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閑話〜子爵令嬢は乙女ゲームの世界で前世を思い出す〜

今回はイレーヌのお話です。

イレーヌ・ヴァリエ子爵令嬢には、前世の記憶がある。そのことを思い出したのは8歳の時、王城で開かれた王家のお茶会に参加した日だった。


この世界で生まれついたのは、大陸の西の端にある豊かなグランシェール王国の子爵家三女という、どちらかといえば恵まれた境遇。


魔導士団に所属する父と男爵家出身の母、器量良しでお洒落な上の姉と魔力が強くしっかり者の真ん中の姉、そして多少の魔力はあるものの器量も並みで平々凡々な自分。家の後継として婿を取る長姉や魔導士を目指す次姉と違い、自分は特にこれといった取り柄もなかったが、イレーヌは今の生活になんの不満も感じることなく過ごしていた。


8歳の時に参加した王太子主催の王家のお茶会には、年の近い貴族の子供達が招待されていた。2人の姉達とは歳が離れているのでヴァリエ子爵家からはイレーヌ1人のみの参加であったが、極度の緊張のせいで両親と共に王太子一家に謁見した時の記憶はほとんど残っていない。ただ一つ、今でもはっきりと鮮やかに覚えているのは、薔薇園を見たときのこと。


色とりどり大小様々な種類の薔薇が植えられた庭園に足を踏み入れたイレーヌは、これまで感じたことのない強烈な既視感に襲われた。


突如として脳裏に浮かんだのは、小さな四角い動く絵の中で見目麗しい青年が薔薇の花をこちらに向かって差し出している場面。背後には美しい薔薇が咲き乱れている。


(……え?なに、これ……)


絵の中の青年の髪と瞳の色は、さっきチラリと見かけたロッシュブール公爵家の双子の片割れにそっくりだ。彼がもっと成長したら、こんな感じになるのかもしれない。


(ジョアン、さま………?)


……そう、確かこの貴公子はジョアンという名だった。でも、どうして自分がそれを知っているんだろう?


(薔薇の庭園……?……そうだ、バラ!ここ『君バラ』の世界じゃん!!)


その瞬間、イレーヌの頭の中にこの世界のものではない別の記憶が怒涛のように流れ込んできた。


「…………っ!!」

「……イレーヌ?」

「どうしたの!?」


両親の焦った声が聞こえるが、体に力が入らない。


「おい、誰か来てくれ!娘の具合が悪いんだ」


父が近衛兵を呼び止めている声が、遠くで聞こえる。地面に崩れ落ちる前に父の手で抱きかかえられるのを感じたのを最後に、イレーヌは意識を手放した。


次に目が覚めた時、イレーヌはベッドの上にいた。自宅よりもふかふかで手触りのいい布団は、なんだかとてもいい香りがする。


「………うぅ……ん」

「…っ、イレーヌ!目が覚めたのね!」

「お母さま……私……?」

「貴女、王城の薔薇園で倒れたのよ。体調が悪かったのに気づかなくてごめんなさいね」

「……ここ、どこ?」

「ここは王城内の客間よ。貴女が突然倒れたから、特別にお借りしているの」

「……お父さまは?」

「あの人は職場に顔を出しに行ったわ。こんな時まで仕事ばかりなんだから……」


渋い顔の母親を見て、イレーヌはそれ以上質問するのをやめた。三姉妹の一番下ともなると、なんとなく母親の地雷も察してしまうものだ。


「気分はどう?…どこか痛いところはない?」

「うん、大丈夫」

「そう…よかったわ。何か飲み物でももらってくるから、もう少し休んでいなさい」

「はい」


ドアから出て行く母親をぼんやりと見送って、イレーヌはベッドの中で混乱気味の頭の中を整理することにした。


イレーヌは、日本という国で女子高生として暮らしていた。アニメやゲーム好きの友達の影響ですっかり二次元世界の住人と化していたある日、たまたま立ち寄った店でパッケージの絵の美しさに魅かれて女性向けのシミュレーションゲーム、いわゆる乙女ゲームを購入した。それが『君にバラの花束を』──通称『君バラ』である。


魔法が存在するヨーロッパ風の世界が舞台の『君バラ』の主人公の名前はマリベル。平民生まれのマリベルは、王都の南東にある小さな街で母親と暮らしていた。父親は死んだと聞かされているが、実際のところは分からない。母親が営むパン屋で手伝いをしていた少女は、街一番の美少女との呼び声も高く、街の中で知らぬ者は居ないほど有名だった。


マリベルが10歳になる年の初め、街で評判の美少女の噂を聞きつけた窃盗団が、外国に売り飛ばすために彼女の誘拐を企む。身の危険を感じたマリベルは、咄嗟に魔法を放ってしまう。訓練を受けていない年端もいかぬ少女の放った魔法は、窃盗団のアジトごと吹き飛ばすという暴発事故を起こしてしまう。それがきっかけでマリベルの存在が領主であるロゼッタ男爵の知るところとなり、マリベルは母親と共にメイドとして男爵家に住み込みで働き始める。


その後男爵の養女となったマリベルが15歳になり、王立学園に入学するところからゲームがスタートする。


(……って、そもそも『君バラ』にイレーヌなんて登場人物いたっけ?)


全ての攻略対象のエンドをクリアするほどやり込んだゲームなので、もし名前が出てくるキャラならば絶対に分かる自信がある。この平凡な髪と目の色からしてモブキャラなのは間違いないと思うが、もし学園に通うその他大勢のうちの1人だったら名前さえ出てこない可能性大だ。……いや、それ以前にマリベルと同じ時期に学園に通う予定なのかすら分からない。


(まずは私がヒロインと幾つ違いなのかハッキリさせないと)


今日謁見したジャン王子は、実は『君バラ』本編クリア後にダウンロードできる追加コンテンツの攻略対象だったりする。ヒロインの3歳下で、ゲームに出てくる時には13歳。いわゆるショタ枠というやつだ。さっきの王太子殿下の話では今年4歳だと言っていた気がするから、自分から見ると4歳下。───要するに、イレーヌはヒロインの1つ歳上ということになる。


『……てことは、ジェラール、リュックと同級生……ま、マジで!?あのイケメンがクラスメイトかもしれないの?……ヤバい、ヤバすぎるよーーー!!』


興奮のあまり思わず日本語で叫んでしまっていることに、イレーヌ自身は気づいていない。


さっき少しだけ見かけたジョアンは、この歳ですでにかなりのイケメンぶりだった。絶世の美少年ジェラールを生で見た日には、倒れてしまうんじゃないだろうか?


画面の中でしかお目にかかれなかったイケメン達を生で拝めると分かりイレーヌがベッドの中で悶えていると、ドアがガチャリと開いてグラスの乗ったワゴンを押した侍女と共に母親が部屋に入ってきた。


「この部屋から奇声が聞こえたような気がしたんだけど、大丈夫なの?まだどこか痛んだりなんてことは……」

「だ、大丈夫よ、お母さま」

「そう?……ならいいのだけど。薔薇園のバラを使ったローズウォーターを頂いてきたから飲みなさい」

「はい」


母親から手渡されたグラスを傾けると、ふんわりとバラの香りが鼻腔に広がる。かなり貴重なはずのローズウォーターを飲みながら、イレーヌはヒロインがルイーズ王女主催のお茶会でローズウォーターを王女のドレスに溢すという粗相をやらかすイベントを思い出していた。


(……そういえば、ルイーズ王女も私と同い年のはずだよね。王女は最初の婚約者であるアランを事故で亡くしてから、心を閉ざしちゃうんだよね。ジョアンルートでもジェラールルートでも婚約者である王女との仲がギクシャクしてる原因ってアランなんだよねー。……で、その隙間にヒロインがスッと入り込んでくるわけなんだけど)


さっきジョアンを見かけた時にはアランは近くにいなかったけれど、今の時点ではまだ生きているはずだ。ここまでメインキャラに大きな影響を与える人物がどんな人なのか、かなり興味がある。


噂によると、追加コンテンツにはジャン王子以外に攻略できる隠れキャラが2人いて、そのうちの1人がどうやらアランらしいのだ。死んだと思われていたけど実は生きていたという、アニメとかでよくある設定だ。ただしアランルートを攻略するためは、かなり厳しいクリア条件があるらしい。


(……ま、私は完全なモブキャラみたいだし、イケメンを愛でつつ、ギャラリーとして『君バラ』の世界を楽しませてもらおうかな)


……などとのんびり構えていたイレーヌだったが、10歳になる年のある日、彼女の人生を大きく変えるであろう一言を父親から告げられる。


「イレーヌ。お前は来月から王女殿下の侍女として、城に上がることが決まった」

「え?私が……王女殿下の、侍女?」

「そうだ。殿下と同い年で魔力もそこそこあり、跡取り娘でもない令嬢ということで、お前に白羽の矢が立った。ゆくゆくは殿下の側近として一緒に学園に通うことになるが、まずはそれまでの5年間王城で侍女として修行することになった」

「殿下の…側近……」

「しがない子爵家の我が家にとっては、とんでもなく名誉なことだ。しっかりやるのだぞ、イレーヌ」

「……はい、お父さま」


(……まずい……これは非常にまずい。ゲーム通りにヒロインが攻略に成功して王女が外国へお嫁に行くとなると、多分私も一緒に行くことになるよね。なんとしても王女が外国へ行くのだけは阻止しないと……!!)


グランシェール王国の美味しい食べ物が大好きなイレーヌには、この国から離れることなど到底考えられない。これから学園入学までの5年間、どうやったら王女の外国行きを阻止することができるのか、じっくり考えることにしよう。


───そんな決意と共に城仕えを始めたイレーヌだったが、そこでもまた彼女の人生設計は大きく狂い始めることになるのであった。


ここまでお読み下さいまして、ありがとうございました。

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