9
獣人、などというファンタジックな言葉を聞いて、少々動転してしまったのかもしれない。そのせいで、うっかり油断していた。
嗅覚に優れている=香りの少ない薔薇を栽培する、という図式はここまでの話の流れで普通に予測できることであり、ルイーズとしては何の気なしに発した言葉だった。だから、これが7歳の貴族令嬢の発言としては普通ではないということをすっかり失念していたのだ。
「……ルイーズ嬢は勉強を始めてからどれくらいになるの?」
「もうすぐ2年になります」
「そうか…」
そう言ったきり、グレーの瞳を伏せて考え込んでしまったアラン。不自然な発言を疑われているのではないかと不安に思いつつ、まだどこか幼さの残る少年の横顔を見つめる。ふいに薔薇園を吹き抜ける少し強めの春の風が、ダークブラウンの髪をサラリと揺らした。
(…あぁ……すごく、綺麗───)
物思いにふける横顔から目が離せない。薔薇の甘ったるい香りが鼻孔をくすぐり、思考まで鈍らせていくような錯覚に陥る。急に繋いだ手からアランの体温が伝わってきたような気がして、ルイーズは顔が熱くなってくるのを感じた。
(……おいおいちょっと待て、自分!!10歳かそこらの少年相手に一体どうしたの!?)
(いや……でも今この世界では7歳なんだから、これはこれで間違ってはいないの、かな……?)
相反する感情がせめぎ合い、なんだか頭がクラクラしてくる。なんとか気を落ち着つかせようとルイーズが深呼吸をすると、遠くでかすかに自分の名を呼ぶ声が聞こえた。アマレットが探しに来たらしい。
ふと顔を上げてこちらに一瞬だけ真剣な眼差しを向けたかと思うと、アランはすぐに柔和な笑みを浮かべた。
「……どうやら迎えが来たみたいだから、そろそろ戻ろうか」
「…はい」
繋いだ手はそのままに、2人は互いに無言で来た道を戻った。別れを告げる前に、名残惜しいと言わんばかりに絡めるようにゆっくりと解かれた手。その感触を確かめるように、ルイーズは気づくと自分の手を握りしめていた。
アランの姿が見えなくなって間もなく、薔薇の茂みからアマレットが顔を出した。
「ちょっと、探したわよルイーズ!しかもさっきまで一緒にいたのって、もしかしてロッシュブール公爵家のご子息じゃない?」
「うん、そうなの…ごめんね、探させてしまって。何だか色々あって、ロッシュブール家の方々とお知り合いになって」
何となく握りしめた手を隠すように答えると、アマレットが意味ありげな視線を寄越した。
「ふぅん、色々、ね?…まぁ、その辺はまた改めて詳しく聞くとして。約束したでしょ、私の友達を紹介するって。だから連れてきたのよ。ほら、出てきて!」
アマレットが茂みの奥を覗き込むと、レイラの他に3人の令嬢がぞろぞろと出てきた。
「ブランシュ伯爵家の姉妹ナタリーとエリーゼ、それからモロー子爵家のドーラよ。ナタリーは私と同い年、エリーゼは貴女やレイラと同い年、ドーラはその一つ上なの。……こちら、私の従妹レーヌ伯爵家のルイーズよ」
まずダークブロンドにヘイゼルの瞳の少女、それから赤みがかった金髪に茶色の瞳の少女が並んでドレスの裾を摘んだ。
「ナタリー・ド・ブランシュです」
「エリーゼ・ド・ブランシュです」
2人は髪と瞳の色こそ違うけれど、顔の造作がよく似ていて並ぶと姉妹だとすぐわかる。どちらもフワフワの髪に大きな瞳の可愛らしい少女だ。
「ドーラ・モローです。よろしくお願いしますわ」
続いて挨拶をしたドーラは、ダークブラウンの髪に琥珀色の瞳を持つ背の高いしっかりした印象の少女だ。ちなみに、名前と家名の間に「ド」が付くのは伯爵家まで、王家の場合はさらに「ラ」が加わる。
「ルイーズ・ド・レーヌです。どうぞよろしくお願いします」
軽くドレスの裾をつまんで挨拶をすると、すぐにブランシュ家の妹の方エリーゼが近づいてきた。
「初めまして、ルイーズ様。私たち同級生だから、仲良くしましょうね!」
「えぇ、ぜひ!レイラも同級生だし心強いわ」
「学園でも3人一緒にいられるわね」
エリーゼ、レイラと盛り上がっているところへ、姉のナタリーもやって来た。
「さっき広間でチラッと見かけたのだけれど、ルイーズ様の瞳の色ってすごく綺麗なのね。そんなに濃い青色、王家の方々以外に見たことがないわ」
「あ、ありがとうございます…」
ニコニコしているナタリーが純粋に誉めてくれているのだと分かっていても、内心では少し辟易してしまう。それを顔には出さないようお礼を言うと、ナタリーの後ろからドーラが控えめに顔を出した。
「…瞳の色ももちろんですが、ルイーズ嬢は髪の色も素敵ですね」
「………!」
隠したつもりだったけど、もしかして気を遣ってフォローしてくれた…?
ドーラの方を見てみると、大丈夫と言わんばかりににっこりと微笑まれてしまった。
「…ドーラ様、ありがとうございます」
「いいえ、本当のことですから。…私とも一年違いですし、学園で仲良くしてくださると嬉しいですわ」
「えぇ、もちろんです!よろしくお願いします」
アマレットの友人というだけあって、皆可愛らしくて話しやすい令嬢ばかり。持つべきものは頼りになる親戚だわ!!
「ありがとう、アマレット。素敵なお友達を紹介してくれて」
「気にしなくていいのよ、友達が増えれば私も嬉しいし。…その代わり、さっきの話じっくり聞かせてもらうわよ」
「………」
ニヤニヤしている赤毛の従姉はこの手の話が大好きだ。彼女から逃れる術はなさそうだと、諦めにも似た境地でルイーズは溜息をついたのだった。
◇◇◇◇◇
帰りの馬車の中では、ジャックがすっかり仲良くなったジョアン様の話をしていた。
「今度ジョアン様が公爵家に遊びに来て欲しいと言ってたよ。もちろん姉上も一緒に」
「そういえばカミーユ様も同じことを言っていたわ。ジャック、カミーユ様とはお話しできたの?」
「あぁ、うん。まぁね…」
「?」
珍しく歯切れの悪いジャックに首を傾げる。カミーユはアランの言葉通りだと少しマイペースなところがあるらしいから、あまり話が弾まなかったのだろうか?
口を閉ざしたジャックを心配になってじっと見ると、耳が少し赤くなっている。これはもしや……?
姉がニヤニヤしていることに気づいたジャックが、ジト目でルイーズを睨んだ。…弟よ、そんな顔もできるようになったんだね!
「……姉上こそアラン様と2人きりでどこか行っちゃって…一体何をしていたのさ?」
「何って……薔薇を見に行っただけよ」
「へぇ?本当にそれだけ?」
「…どういう意味?」
「だって僕達のところに戻ってきたアラン様、すっごく嬉しそうだったからさ」
「え、そうなの?」
ジャックにまで分かるほど嬉しそうな様子のアランを想像して、急に恥ずかしくなってきてしまった。あの後アマレットからもしつこく問い詰められて、散々揶揄われた。ただし彼女は、最後にしっかりと忠告も残していってくれた。
「さっき大広間でね、オルセー侯爵家のご令嬢が『自分こそがロッシュブール公爵家のアラン様の婚約者として相応しい』って話しているのをたまたま耳にしたの。相当自信があるみたいだったし敵に回したら厄介なタイプに見えたから、貴女気をつけた方がいいわよ」
オルセー侯爵令嬢、と聞いて、カミーユの話を思い出す。……確かに敵に回すと厄介そうだ。でも気をつけろと言われても、自分からアランに何かする気もないのに、一体何に気をつければいいのか…。
(そもそも、私はアラン様のことをどう思っているのだろう?)
初めて見た時はあまりの完璧な貴公子ぶりにかなり引いてしまったけれど、実際に話してみると思ったよりも気さくで話しやすく、とても好感が持てる少年だった。
じゃあ彼のことが好きなのか?と問われると、この先どうなるかは分からないけれど今までのところはまだそこまでの感情は持てない、というのが正直なところだ。
お茶会から帰宅した日の夜、ベッドの中でそんなことをつらつらと考えていると、いつのまにか眠りに落ちていた。そしてその夜、ルイーズは久し振りに前世の夢を見たのだった。
お読みいただきありがとうございました。
ようやくお茶会終わりました…。




