07
「えーと、あとは、カンデラの森と、キシオンがわかりません」
持っていたカップを擦り置きながら「何のことなんでしょう」と首を傾ければ、先生は少し難しい顔をして頭を掻いた。
「えー、そうですね。なんといえばいいでしょうか。カンデラの森ですが、強い魔物の住処と覚えていただければ間違いはありません。キシオンは……」
言葉に詰まった様子の先生は視線を迷わせ、私を見てくる。また視線を外して唸ると、口元に手を当て首を傾げた。
「魔王、と言えば分りやすいでしょうか。魔王は現実に存在していないとなってはいますが、真相はわかりません。そもそもキシオンとは魔王そのものを指すのではなく、人智を超えた、恐ろしいことをいいます。超常的な力とでもいいますか、具体的なものではないのです。人の手に負えない、とにかく恐ろしいものを、キシオンと呼びます」
言葉を探しながら説明してくれた先生に「そうなんですかあ」と少し気の抜けた返事を返してしまった。
ならそういえばいいのに、わざわざキシオンという名前がついている以上はキシオンと呼ばれるなにかが、存在が、どこかにいた、もしくはあったからなんじゃないのかな。時間とともにおとぎ話になってしまった、みたいな類だったりして。恐ろしいことなら、ないことにこしたことはないけど。
「それと、もうひとつ聞きたいことがあって、治癒魔術があるのなら、お医者さんは必要なんでしょうか」
エーデリア様はファデル様の怪我に治癒魔術をかけていた。お医者さんが手当てしたであろう後に。
先生は目を丸くすると、苦笑する。魔術は万能ではないんです、といわれ首を傾げた。
「治癒魔術は、怪我を完全に治せるわけではないんです。ない肉を再生させることができないように、治癒魔術にできるのは毒素を出すこと、回復を促進させること。大まかにこの二つです。折れた骨を完全に治すことはできませんし、千切れた腕を元に戻すこともできません。治し癒す魔術ではありますが、なんでもできるわけではないんです。不治の病には効きませんし、もちろん生命力を少し強くすることはできるとは思いますが、延命、というだけで治りはしません。治療法のわかっていない病も同じです。時間の経過で治る怪我の類は治癒魔術が効果的ですが、時間があっても助からないものは治癒魔術には何もできません」
「そう、なのですか」
つまり、ファデル様のは怪我だから効いたっていうだけなんだ。そっか。難しいなぁ。
思わず視線を下げて、カップの中のココア色のようなベージュ色のようなコーヒーを見つめる。水面には歪んで私の顔が写っていて、思わず揺らして消した。
「あ、そうだ先生、さっきのバンズはいくらなんですか。あとこれも」
「バンズが四十ミリー、コーヒーは二十ミリーです。お嬢様のはミルクと蜜が入っているので、プラスで十ミリーです」
合わせて七十ミリー! お安いのかお高いのかわからないけど、ターウが一本十ミリーだったことを考えると妥当なのかもしれない。でもオプションが合わせてターウと同じ値段と考えると、ターウはもしかして安いのかな。にしてもコーヒーってこの世界にもあるんだ。あとコーヒーっておいしいね。
物価もわからないのでどうなのだろうかと思いつつ鞄から七十ミリー、銀貨の小さいの一枚と、銅貨の大を二枚探して先生の手を引っ張って置いた。先生は目を丸くすると慌てた様子で私の手に硬貨を戻して、「ここは私が払いますから」と言ってきた。えー。
「先生先生、これは通貨の勉強なのでしょう? なら実際に使わなくては」
どうです、と目を見れば、先生は戸惑った様子で私を見つめる。そのすきにまた手に硬貨を握らせて、ぐっと先生の手を押し戻した。自分の手と私を交互に見て溜息をついた先生はカップの中を飲み干して、私も飲み干して、するとまた先生が私を見て溜息をついた。
「行きましょうか」
「はい」
もうひとつ溜息をついて、カップを二つ持って席を立った先生に笑顔で頷き後についていく。お店の女の人は私を見ると「こんにちは」と笑ってくれて、挨拶を返したあと「ごちそうさまでした」と言うとお菓子をくれた。クッキーだ。
「そのクッキーね、あそこのお店で売ってるのよ。おいしいから今度行ってみるといいわ」
指を差された先は露店ではなく、住宅の一階に入っているお店だった。お菓子屋さんなのかな。お礼を言うと頭を撫でられた。
再び先生と手を繋ぎ、お店から離れる。「どこに行きましょうか」とあたりを見渡す先生の手を引いた。
「こっちのほうに、リリシアと見たお店があるんです。あの時は外から見ただけだったから、入ってみたくて」
急くように手を引けば、先生は「わかりました」と笑って隣に来てくれた。うろ覚えの光景を探して歩けば、見つけた。
「あそこです!」
入口に黄色と白のしましま屋根。ドアは水色で、壁は白だった。お店の名前だろうピンクの文字で書かれた看板。全体的にパステルカラーの可愛らしいお店だった。
先生は私の指の先を見ると立ち止まる。思わず見上げれば、見つめ返してきた。
「あそこですか」
「はい」
口元を引きつらせ、しまいには目元を抑え眉間にしわを寄せてしまった先生に、何がいけなかったのだろうかとうろたえてしまう。
「あ、あの、先生……?」
恐る恐る伺えば、眉間のしわが濃くなる。思わず繋ぐ手の力が緩んでしまった。それに気付いたのか気付いていないのか、ぐっと力を込めて繋ぎなおされ、びびる。あ、あの、先生、そんなに嫌だったら別に大丈夫なんですよ?
「行きましょう」
意を決したように店を見据えた先生にびくりとしてしまう。「はい」と頷きはしたものの、恐る恐る進んでしまった。
なんだったんだろうか、先生の葛藤。
かわいらしい装飾の水色のドアに、金のドアノブ。シンプルなドアノブに先生が手をかけ、数秒止まったかと思うとドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
やわらかい店員さんの声に中を見れば、色とりどりの商品がところぜましと、けどごった返しているわけではなくきれいに並べられていた。壁が見えなくなるほどの商品の数だ。飴の入った透明な小瓶に、ハート形の銀細工らしい箱。鏡にポーチに鞄に時計に、あらゆるものが詰まったきらきらした店内だった。
「せっ、先生、素敵ですね!」
さっきまでビビっていたことも忘れて手を引けば、先生は目を白黒させていた。どうしたんだろう。
「えー、お嬢様は、何をお探しですか?」
落ち着いたのか私を見て聞かれ、「お財布です」と答えた。
「お財布?」
「はい、鞄の中に、お金がそのまま入っちゃってるので、お財布がほしくて」
言うが、先生は首を頻りに傾げている。それを見て私も首を傾げ、はっとした。もしかしてお財布って存在しないのか。いやでもお金はそしたらどうやって持ち歩いてるの? だってじゃらじゃらしてて、鞄を変えるだけでも面倒だよ。お財布じゃない? お財布以外に入れてるのかな。ポーチとか?
「お金を入れるもの、ということですよね?」
一応通じたらしい。「そうです」と頷けば、先生が店員さんに話しかけに行ってくれた。店員さんは頷くとお店の奥に入って行って、先生は溜息をつきながら戻ってくるのを待っているようだ。なんだかよくわからないけど復活した葛藤? はどうにかなったらしい。
ついつい目移りしていまう自分を律して先生の後についていけば、戻ってきた店員さんがしゃがんで目線を合わせてくれた。
「お嬢ちゃん。金袋はねえ、この四つしかないんだけど、好きなのはあるかな」
金袋というらしい。差し出された両手で持つものは、お財布とは言い難い巾着のような袋だった。一瞬驚いて、それから納得する。紙幣がないのだから、あの形である意味は確かにない。チャックが見当たらないこの世界ならこうあってもおかしくはなかった。ガマ口とかならあってもよさそうではあるんだけど。
「手にとって見てもいいですか?」
聞けば、「どうぞ」と返ってきたので一つ、黄色の布に緑と青の糸でお花の刺繍がされたものを手に取ってみる。口を縛っている、赤く着色された革ひものような紐をほどいてみれば二週ほど巻きつけてあって、ベルトを通すみたいに一周していた。口はスムーズに開く。割と大きめだ。お姉さんの手にはこれの色違いが一つと、模様違いのものが二つ。手に持っていたものを戻して模様違いの花の刺繍のものを取る。
淡く黄色がかった白い布に白と黒の花、それに添えるように金色の葉っぱの刺繍。そこまで目立つわけでもなく、控え目なその刺繍が気に入った。紐は黒。さっきのと作りは一緒だし、使いやすそうだ。
「これがいいです。おいくらですか?」
「これは保存の魔術が掛かっているから丈夫で長持ちするけど、ちょっとお高めよ、大丈夫かしら? 百ミリーになります」
一瞬驚いたのか眼を丸くした店員さんは悪戯に笑ってそう言って、私は「じゃあ買います」と即答した。目を丸くした店員さんに笑って、「預かってて貰っていいですか?」と首を傾げた。
「もう少しお店の中を見てみたいんです」
「ああ! ええいいわよ。ゆっくり見ていってね」
笑うと、店員さんは何故か先生を見てウィンクした。なんだか所作が可愛い人だ。お言葉に甘えてレジの前から動かないらしい先生を置いて入口に戻る。ショーウィンドウに飾られていたものが実は気になっていたのだ。
「えーと」
端から一つ一つ棚を見ていき、見つけたそれに手を伸ばす。けどギリギリ届きそうになかった。踏み台はないかと床を見ていると、顔に影が差す。
「ロロジーが欲しいの? 色は決まってる?」
見上げれば店員さんが上から私を覗き見て、棚の商品を指さした。頷けば「なに色?」と棚に視線を向ける。
「青と、黄色が欲しいです」
「はいはい」
にっこり笑ってとったそれを手に乗せてくれて、お礼を言えば頭を撫でられた。なんだか親しみやすいお姉さんだ。ついはにかんでしまう。
「あの、ロロジーっていってましたけど、これはなにか意味があるものなんですか?」
手の平の上でコロコロと転がる、ビー玉より一回りほど大きいガラス玉を見つめる。グラデーションと言おうか、まだらと言おうか色の付いたそれはとても綺麗で、前回はショーウィンドウには無かったものだ。
「それは今王都で流行ってるお守りなのよ。知らないで選んでたのね。教えてあげる」
そういうと後ろから私の両脇に手を入れ、持ち上げた。驚いているとお姉さんは片手で私を抱え直し、「見て」と棚を指す。
「お守りっていっても何かを願うものではないの。それを大切にします、という意味で持つのよ。緑は健康、体ね。青は学業と言われているけど、精神のこと。つまり努力や、諦めない心。赤は愛で、黄色は人との縁。紫は志。白は人を否定しない、受け入れる心。黒は恐怖に打ち勝つ強さ」
一つ一つ指しながらいい、「どれにする?」と優しく聞いてくる。それに少し考えて、青を白に変えてもらった。
「これでいい?」
「はい」
私を下ろしてまた棚から取り、青を戻す。きゅっと口角を小さく上げて首を傾げたお姉さんにしっかり頷けば、お姉さんも頷いた。
「お会計おねがいします」
「はーい。レジまでご案内しまーす」
そっと背中に手を添えられ、手で進行方向を示しながら本当に案内されてしまった。見える距離にありますってと思いつつ、なんだか少し楽しい。ぱっと離れたお姉さんはカウンターを回り込むと、先ほどの金袋を出してくれた。
「金袋百ミリー。七十五ミリーのロロジー二つでえーと、百五十ミリーね。合わせて二百五十ミリーになります」
そう言えばロロジーの金額を聞いていなかったと思いつつ、相場もわからない上に二桁だとつい安い気がしてしまう。まあお守りだしいいかな、と鞄を漁った。ぴったりになるよう硬貨を取って渡せば「ありがとうございます」と受け取って、金袋を指さす。
「包もうか? それともこのまま使う?」
「あ、じゃあ、使います」
お姉さんは「ちょっと待っててね」と言ってカウンター下からハサミを取ると、タグを切って渡してくれた。「ありがとうございます」と受け取ればかわいらしく笑って頭を撫でられる。スキンシップの多い人だなあと戸惑っていると「いれちゃいな」と言われ、離れて行った手を見ながら頷いた。
鞄の中の、結構量のある硬貨を少しずつ入れていく。全部入れる前に金袋がパンパンになっちゃって、店員さんに両替をお願いしようかとも思ってしまった。細かいのがあったほうが便利だからいいけど。
「お嬢ちゃんお金持ちね! それなら金庫はどう? 新しくかわいいのが入ったの」
そう言って壁の棚に向かうと、私では両手でなければ持てなさそうな、宝箱のような箱を持ってきてくれた。
「鍵はこれ一個。なくしたら開かないわ。これも保存の魔術が掛かってて、見た目もきれいでかわいいし、どうかしら。常に大金を持ち歩くのも怖いでしょう?」
なるほど、金庫って本当に金庫なんだ。
円柱を縦半分に切ったような蓋とか、まさにゲームに出てくる宝箱のようだ。白の箱に細かい装飾のされた金の縁取り。好みだけど、お高そうである。ついている鍵も南京錠ではなく箱に差し込むタイプらしい。金色で綺麗な模様が彫られていた。
「お高いですか……」
「そうねえ、五百三十ミリー。やっぱりちょっとお高いかなあ」
お財布の五倍とちょっとか、どうしよう。でもずっと使えるならここで買っちゃっても、うー見た目はとっても好きなんだけど、お高いのかどうなのか相場がわからないから決断できない。バンズが四十ミリーだったわけだから、そのまま円に変えるんじゃ安すぎる。とすれば日本円に換算して四百だとする。つまり一ミリー十円換算だ。そうすると五千三百円。お財布が千円ならむしろ安いような?
「先生」
思わず助けを求めて見上げれば、困ったような顔で頭を撫でられた。まあ見られても困るよね。
すごく悩む。悩むけど、買わずに後悔するよりは。別に必要なものだし。でもなくても困りはしないよね。でもほしい。
「……買います!」
読んでいただきありがとうございました。




