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第二十一話 花が咲く

第二十一話 花が咲く


 1


「……」

 雄二さんの話を聞いたあたしは言葉が出なかった。子供を持ったことがないからあたしには絢音(あやね)さんがどういった気持ちでいたのか、ちゃんと理解は出来ない。けど、自分の愛している人を一度に失い、最後の希望になった唄乃ちゃんを守りたいと強く願う彼女の姿勢は話を聞いただけでもよくわかる。

 秀平とは離れ離れになっただけで、あいつを失ったわけじゃないあたしなんかよりも、もっと辛い気持ちでいただろう。

「吉丘さんは管理課の施設を抜け出しました。たった一人の刀人の子供を守るために」

 雄二さんは開いていた日記を閉じて、新たな一冊の日記を手に取った。

雛鳥(ひなとり)さん」

「はい」

「これが吉丘さんから送られてきた最後の日記です」

「……」

 雄二さんは続いて千登勢(ちとせ)ちゃん、そして唄音(うたね)ちゃんのほうを見た。

「この長い話もこの日記で終わりです。これを聞いたあなたたちがどういう結論を出すのか、私にはわかりません。けれど、最後まで聞いてもらいますね」

 雄二さんはどこか寂しそうに笑った。隣に座っていた紗栄(さえ)さんは彼の肩に手を置いた。

「吉丘さんの最後の物語です」


 2


 自分の人生に悔いを残さないように生きていきたい。漠然としたものだけど、そんな目標が私の中にあった。挑戦しようと思っているものをそのままにするのは嫌だし、もやもやした気持ちをいつまでも残しておくぐらいなら、どこかで踏ん切りをつけたい。そんな気持ちをずっと持っていた。

 父の意志を継いで特捜課に入ったことや、管理課で刀人たちの未来を見届けようと決意したことにも後悔はない。私は生きてきた。自分の人生に意味を持たせるために生きてきた。彼らの未来を繋ぐために。


 2050年。


「……」

 書いていた日記が区切りの良いところまで来た。静かに閉じて一息つく。雄二くんたちの元へ送り続けた自分の日記がどんな人に読んでもらっているのか、そもそも目を通してもらうことがあるのか、想像しても答えが出ることはない。私のやっていることは無意味なのかもしれない。けれど、何もしないよりは良い。自分でそう納得するしかなかった。

「理事長、吉丘理事長」

 部屋のドアをノックする音と共に若い女性の声が聞こえてくる。私はかけていた眼鏡を外して椅子から立ち上がり、ドアを開けた。

「おはようございます、吉丘理事長」

 秋野(あきの) 希莉絵(きりえ)が丁寧にお辞儀した。幼い頃から知っている子だったけど、今ではすっかり大人だった。

「おはよう、希莉絵」

「……また、日記を書いてたんですか?」

「ええ、今の私に出来ることはこれぐらいしかないから」

 歳をとるにつれて、歩きづらくなり、特捜課時代、自由に動かすことの出来た自分の身体もすっかり衰えてしまった。視力も落ちて、最近は眼鏡がないと生活できなくなってしまった。

「それで何か用?」

「昨夜、神楽(かぐら)たちが二人を保護して戻ってきました」

「無事なの?」

「ええ、大した傷は……。ただ優南(ゆな)ちゃんが重傷を負っています」

「そう……。わかりました。今から行きます」

「すいません。あの子たち、理事長の顔を見るだけでもすごく元気が出るので」

「こんなよぼよぼのおばあちゃんの顔を見ても何も出ないわよ」

 そう言うと、希莉絵は首を横に振った。

「ここは理事長のおかげで作ることが出来たんです。理事長がいなかったら今ごろどうなっていたか……」

「……そう言ってもらえれると嬉しいわ。さ、早く行きましょ」

「はい!」

 希莉絵は元気良く頷いた。五年前に母親を亡くした時はかなり落ち込んでいたけれど、今は立ち直って私のサポートをしてくれている。頼もしい子だった。


 3


 あの管理課の施設を抜け出してから二十年が経過していた。唄乃と一緒に管理課の追跡を振り切って私がたどり着いたのが、NPO法人『アサガオ』だった。秋野(あきの) 詩歩子(しほこ)と再会した私は彼女に事の次第を話した。

 もちろん、最初は彼女も他の職員の人たちも信じられない様子だった。けれど、唄乃が刀人の力を解放し、同じ刀人の力を持つ子供たちを見つけることで信用してもらうことが出来た。

 管理課は全国から刀人になった人たちを集め、独自の戦闘部隊を作っている。年代なんて関係ない。どれだけ幼い子供であっても、刀人であれば兵器として利用されることになる。

 許せなかった。琴子や大地と同じような目に遭う子をこれ以上見たくなかった。

 私は詩歩子たちに協力してもらって、各地方で刀人に目覚めて捨てられた孤児たちを集めた。唄乃の協力がなければ出来なかったことだろう。同時に管理課がどんな動きをするつもりなのか、探りも入れていた。

 そして、『ダルレスト』と呼ばれる組織が作られた。刀人による戦闘部隊。そして、その目的は近年深刻化していた高齢化問題を解決するために、裏で高齢者を中心に暗殺すること。ここ一、二年でその動きはより活発になっている。

 人殺しの道具として利用される刀人たち、理不尽に殺されるおじいさん、おばあさん。そして、彼らの存在を記憶から消去される家族や親せき。そんな非人道的なことを日本の平和を守るためにあるはずの政府が行っている。とても信じられるものではなかった。けれど、管理課での生活や、唄乃たちと政府の動向を見ていることでもう信じるしかなかった。

 そして、私は……。

「松阪の町に来てからもう十年ですね」

「……もうそんなに時間が経ってたのね」

「アサガオの支部がどんどん潰されてしまって、都市圏から離れるしか方法がなかったですから……」

「……」

「理事長、着きましたよ」

「ええ」

 施設内を移動し、医務室の前につくと、希莉絵がドアをノックして開けた。真っ白な壁に覆われたその部屋には様々な医療器具が置かれていて、その中央に置かれた手術台の上で横になっている子がいた。

「理事長……」

 そばの椅子に座っていた神楽が立ち上がった。頬のあたりにテープを貼っていたけど、それ以外に大きな傷はない。

「ごくろうさま、神楽」

「すいません。あたしが不甲斐ないばかりに優南が……」

 頭を下げようとする神楽に私は手で制止した。

「謝る必要はないわ。あなたはよく頑張ってくれた」

「う、理事長……?」

 かすれた声が手術台のほうから聞こえてきた。優南が目を開けて私のほうを見ていた。

「優南」

 名前を呼ぶと、優南は嬉しそうに笑って右手を伸ばした。私はその手を握りしめる。いつも訓練を頑張っていて、力が強い子だったけど、今はとても弱々しかった。

「怪我の具合は?」

「命に別状はありませんが、もう戦闘に参加できるような状態では……」

 手術を担当していた職員が頭を下げる。私は頷いて、優南のほうを見た。彼女の左手は手首のあたりでなくなっていて、腹部を斬られていて、何重にも巻いている包帯からも赤い血がにじみ出ていた。それでも、優南は嬉しそうに笑っていた。

「理事長、わたし……役に立ちましたか?」

「……もちろん。あなたがいなかったら、昨日の二人は保護出来なかったわ」

「理事長……そんなに悲しい顔しないでよ」

 優南にそう言われて、私は少し驚いた。顔に出ていたのかもしれない。まだ幼いこの子たちを戦わせてしまっている現状が辛く、自分の非力さに自己嫌悪を感じていたせいだ。

「わたし、理事長に会っていなかったら、今頃何も出来ずに死んでいた……。自分なんかが生きている意味なんてないって。けど、理事長はそんなわたしに生きがいをくれた。やるべきことを見つけてくれた……。だから……」

 優南が私の手を強く握りしめた。

「悲しい顔をしないでください……」

 言い終わると優南は咳き込んだ。口から血が出てくる。

「無理しすぎだ。安静にして」

 治療していた医師と何人かの職員が優南を囲んで、応急処置を始めた。

「……」

 私は後ろに振り返って、その部屋をあとにした。

「理事長……」

 希莉絵がすぐについてきて、私に話しかけてくる。

「ダメな女ね、私は……。あの子たちを救うために今まで頑張ってきたはずなのに、結局命の危険を脅かすことをさせてしまっている」

「後悔していません、私たち」

 希莉絵ははっきりとした口調で言った。

「理事長と母、唄乃さんがいたから、私たちの今があるんです。もちろん、あの子たちも。理事長たちがいなかったら、私たちはみんなダルレストで自分の命を削る道しか進めませんでした。違う道を作ってくれたのは理事長たちのおかげです」

「……ありがとう、希莉絵」

 私は希莉絵の両肩に手を置いた。

「そう言ってもらえるだけでも嬉しいわ。優南たちのこと頼むわね。それと……」

 私は視線を少し下に向けて彼女のお腹を見た。

「あなたもお腹の子供のこと大切にしないとだめよ」

「ありがとうございます、理事長。けど、少し身体を動かすぐらいがちょうど良いので」

 希莉絵が視線をそらして恥ずかしそうに言ったその仕草が可愛かったので少し笑ってしまった。

「唄乃の様子、見てくるわ」

「唄乃さんも、もうすぐですね……」

「ええ」

「わかりました」

 希莉絵の返事に私は頷いて、医務室をあとにした。


 4


 建物を出て、中庭を通り、顕光館に入る。ここは一階部分が学校の体育館と同じくらいの広さがあって、子供たちの遊ぶ場所だった。二階からは教室のような部屋がいくつかあって、国語や算数などを勉強するところになっている。そう言っても、アサガオの職員はまだまだ人数不足で充分な運用が出来ていない。刀人の子供たちを出来る限り集めて、理不尽に殺されるおじいさんやおばあさんを救う。みんな、毎日必死になって頑張っている。

「さてと……」

 そのまま、顕光館を通り抜けると女子寮と男子寮にわけられた施設が用意されている。私は女子寮の中に入り、三階まで昇った。廊下を歩き進んで、途中で立ち止まる。その部屋には出来るだけ毎日通うようにしていた。

 ドアをノックすると、中から「どうぞ~」という声が聞こえてきた。ドアを開けて中に入る。窓際に置かれたベッドで上半身を起こして本を読んでいる唄乃がいた。

「何読んでるの?」

刈今(かるいま) 啓吾(けいご)って人が書いた小説」

 唄乃が小説の表紙を私のほうに見せた。私はベッドのそばに置かれた椅子に座った。

「自分の兄が犯罪に手を染めたせいで、何の罪もない弟が苦難の人生を歩む話。仕事を見つけても、夢を追いかけても、恋人が出来ても、犯罪者の弟というレッテルのせいで何もかも失敗してしまう……そんな話」

「……」

「何か管理課の施設にいた時の私を思い出してね。私もあの場所では縛られた人生しかないと思ってたから」

「今もそう思ってるの?」

 私がそう聞くと、唄乃は小説を閉じて、手を伸ばして私の手の上に重ねた。

「ううん、その逆だよ。私が新しい道を歩くことが出来たのはお母さんのおかげ。こんな私にも幸せがくるなんて思っていなかったから……」

 そう言いながら唄乃は大きく膨らんだ自分のお腹を撫でた。

「もうすぐ産まれるわね」

「うん……」

 五年前、アサガオの施設の準備が出来て、ようやく活動を始める目処が立った時に唄乃はアサガオの職員として働いていたガードマンの男性と親しくなり、婚約した。施設の中で式を挙げた時はみんなが祝福してくれた。私自身も唄乃に幸せをつかみ取ってもらいたかったから、本当に嬉しい気持ちでいっぱいだった。

 ただ、その婚約した男性は一年前にダルレストとの戦いで命を落とした。唄乃が妊娠しているとわかったのはそれから数か月後のことだった。

「お母さん、私、この子の母親になるんだね」

「ええ、そうよ、唄乃」

「私、今までの自分を振り返ると、多分普通の人に比べて嬉しい事は少なくて、悲しい事のほうが多かった。だから、この子には自分と同じような人生を歩んでほしくない。この子にはたくさん友達を作って、大好きな人に会って、また新しい命を作ってほしい……」

 唄乃は言葉を詰まらせた。目から涙が溢れ出てくる。

「私、何があっても、この子を産みたい。死んでしまった琴子や大地のためにも。この子の未来を作ってあげたい」

「大丈夫よ、唄乃」

 私は手を伸ばして彼女の身体を包み込んだ。

「この子の未来はきっと明るくなる。唄乃に似たとても芯の強い子になるわよ」

「……うん、ありがとう、お母さん」

 唄乃が抱きしめ返してくる。嬉しい気持ちでいたのは間違いない。けれど、心の片隅にどうしても暗い部分が残っていた。取り払いたくても取り払うことの出来ないもの。避けることの出来ない厳しい現実が私たちを待っていた。


 5


 唄乃の部屋をあとにして、廊下の奥で希莉絵が待っているのが見えた。

「お疲れ様です、理事長」

「大したことはしてあげられてないわ」

 私は少し笑って、そういうと、唄乃のいる部屋のほうを見た。

「元気そうだったけど、何とかならない?」

 そう聞くと、希莉絵は顔を下に向けた。

「担当の方が言うには長くないと……。手は尽くしたのですが……すいません」

「……」

 こうなることはわかっていた。管理課の施設で育てられた刀人たち。戦闘能力をより強化するために様々な薬を投与していたことが後になって判明した。ダルレストのような戦闘部隊を作るためだろう。その薬で刀人の強化には成功したものの、投与された刀人たちの寿命を著しく縮めるという副作用が含まれていた。琴子や大地、良平も私の知らないところでその薬を投与されていたらしい。もちろん、唄乃も例外ではなかった。施設を抜け出してから二十年。刀人の子供たちを探すためにいっぱい頑張ってくれて、ここまで生き延びることが出来たのはむしろ奇跡なのかもしれない。唄乃の命が尽きるのは時間の問題だった。

「唄乃さんはこのことを知っているんですか?」

「いいえ。でも、勘の良い子だから、薄々気づいていると思うわ。だから、お腹の子を産みたいと願っている。それが彼女の本心なら、せめてその願いだけでも叶えてあげたい。それが私の願いよ」

「理事長、私やほかのみんなも理事長の味方です。どんな時でも支えになります。だから、あなたも無理しないでくださいね」

「ええ。ありがとう、希莉絵。今日は少し疲れたわ。部屋で休むわね」

「はい」


 6


 唄乃の見舞いを終えて、自分の部屋に戻ろうと顕光館の渡り廊下を歩いていると、反対側から短い髪の女の子が手に何冊もの教科書を持って走ってくるのが見えた。

「あ、絢音さん、こんにちは!」

「こんにちは、伊津美(いづみ)

 貝堂(かいどう) 伊津美(いづみ)。確か十八歳ぐらいの女の子だった。ガードレディの刀人として活躍してくれてたけど、二年前に起こったある戦いで刀人の力を使うことが出来なくなってしまった。一時期は落ち込んで、家出したこともあったけど、今は介護の実習や勉強に励んでいる。

「ちょうど今実習が終わったところなんです。ご飯食べ終わったらまた勉強をしようかと」

「ふふ、偉いわね、伊津美」

「……唄乃さんのお見舞いですか?」

「ええ」

「最近、医者や看護婦の方が唄乃さんの部屋に行ってるのを見かけるんですけど、大丈夫なんですか?」

「赤ちゃんがもうすぐ産まれるかもしれないから、その準備をしてるのよ」

 私はなるべく動揺しないように答えた。

「絢音さんも唄乃さんもすごい人ですね」

「え?」

 伊津美は手にした教科書の束に視線を落とした。

「あたし、ガードレディとは違う道へ進もうと決意したのはほんの二年前くらいで……。介護の教習や勉強を毎日しているけど、時々、疲れて全部嫌になることがあるんです。何とか挫けずに頑張っていますが……。でも、絢音さんや唄乃さんは何年も、何十年も前からあたしたちのために頑張ってくれて、このアサガオの施設という場所を作ってくれて、戦う意味や生きている意味をくれました。それはとてもすごいことだと思います」

「……」

「そして、唄乃さんは今、新しい命を作ろうと必死になって生きている。あたしには出来ないです。とても……」

「伊津美」

 私は名前を呼んで彼女の頭の上に手を乗せた。

「他の人と比べる必要なんてないわ。私は私、唄乃は唄乃、伊津美は伊津美でしょ。他の子たちもそう。みんな、それぞれまっすぐ前に向かって歩いている。未来という光に向かって歩いているわ。私はちょっと背中を押しただけ。だから、そんなに落ち込むことはないわ、伊津美」

「……うん、ありがとう、絢音さん」

 笑顔でそう言うと、彼女のお腹が鳴る音が聞こえた。

「ほら、お腹すいてるでしょ? いっぱい食べないと」

「えへへ、実はもう腹ペコだったんだぁ。じゃあね、絢音さん。あ、今度時間空いてたら勉強見てくれる?」

「もちろん、いいわよ」

「ありがとう! またね!」

 伊津美は元気よく言うと、女子寮の食堂のほうへ走っていった。

「……」

 ここにいる子たちはみんな一生懸命に生きている。刀人になって、理不尽な現実を突きつけられて、社会から追いやられても、みんな頑張って生きている。私に出来ることは途

中で挫けそうになっている子たちの手を差し伸べること。そして、今は唄乃の子供が無事に産まれるのを願うことだ。

「私もまだまだ頑張らないと……」


 7


 唄乃が破水してもうすぐ出産するかもしれないと連絡が来たのはそれから一週間が過ぎた時だった。

 私はほとんど眠らずに唄乃に付きっきりになっていた。職員達が取り囲んで出産に備える。

「う……ううう!」

 唄乃が激しい痛みを必死に我慢しているのがわかった。

「頑張るのよ、唄乃! 私、ずっとここにいるわ。そばにいるわよ!」

 私は彼女の手をしっかり握りしめながら、ずっと叫び続けた。他の職員たちも応援している。

「お、お母さん! 私……私!」

「大丈夫よ、唄乃。あともう少し! もう少しだから!」

 どれだけの時間が過ぎただろう。私は喉がかれるくらい何度も呼び続けた。 子供を産んだことのない私にはどれだけの激痛を唄乃が受けているのか想像することしか出来ない。けれど、彼女今までずっと一緒に生きてきた。苦しいことや辛いことはたくさんあったけど、嬉しいことや喜んだことも同じくらいたくさんあった。これから先もずっと一緒に生きていく。もうすぐ産まれる新しい命のためにも。

 何時間も経過した気がした。もう終わりなんてない。そう思いかけた。 部屋の中に赤ちゃんの泣き声が聞こえてくるまでは。

「産まれたわ!」

「唄乃さん、理事長、女の子ですよ!」

 職員達の歓喜する声が聞こえてきて、ふと我に返る。隣にいた希莉絵が真っ白なタオルに巻かれた赤ちゃんを差し出していた。

 その赤ちゃんを抱きかかえた。ずっと泣き声を発している。元気な女の子だった。嬉しくて目から涙が溢れ出てきた。

「見て、唄乃! 女の子よ! よく頑張っ……」

 よく頑張ったわね。そう言いかけて気づいた。

「……」

 唄乃は目を閉じていた。同時に彼女の脈を測るモニターがずっと「ピー」と音を出しているのがわかった。

「うた……の?」

「心肺停止している!?」

「早く心臓マッサージ! 応急処置を!」

「急いで早くしないと!」

 周りの職員たちが応急処置を始める。みんなの声や赤ちゃんの泣き声がだんだんぼやけて聞こえてくる。冷静に考えればありえるかもしれないことだった。元々、薬の副作用で弱っていた唄乃が子供の出産の痛みに耐え抜ける保証はどこにもなかった。心臓マッサージが何度も行われたけど、唄乃は目を閉じたまま、意識が戻らなかった。

「あ……あ……」

 大地、良平、琴子……大切な子供たちを失い、最後に残った唄乃を守ろうと懸命になった。その結末がこれだ。私は誰も守ることが出来ず……一人残されてしまった。

「ああ……ああ……」

 息が詰まる。胸が苦しくなる。視界がぼやけてくる。

「理事長?」

 異変に気付いた希莉絵が私の肩に手を触れたけど、その感覚もほんのわずかしか感じなかった。身体のバランスを保てなくなり、横に倒れていく。止めようとしても止められなかった。

「理事長! 理事長!」

 希莉絵の声が響き渡る。返事をすることが出来なかった。そのまま、私は意識を失ってしまった。


 8



 数日が経過してから、私は意識を取り戻した。希莉絵から唄乃が出産した直後に彼女の応急処置を試みたものの、命を取り留めることは出来なかったと聞いた。

「申し訳ありません……理事長」

「……希莉絵が謝る必要はないわ」

 ベッドで横に寝たまま、見舞いに来てくれた彼女に言った。

「唄乃さんの容態をもっとちゃんと把握していれば、こんなことには……」

「唄乃は頑張ったわ。彼女が頑張ったからこそ、その子がいる。そうでしょ?」

 希莉絵の抱きかかえていた唄乃の赤ちゃんに視線を移した。今は泣き止んでいてぐっすり眠っている。

「唄乃が前に話してくれてたの。もし、女の子が生まれたらどんな名前をつけるのか」

「名前……」

 私は手を伸ばして赤ちゃんの頬に触れた。とても柔らかい感触が伝わってくる。

「唄乃の唄という字と、絢音の音という字を取って、唄音(うたね)にするって」

「唄音、この子の名前は唄音なんですね」

 希莉絵がそうつぶやくと、彼女の目から涙が流れ落ちた。

「この子は唄乃の残した希望。そしてもう一人……」

 私は唄音から希莉絵の膨らんだお腹に手を触れた。

「この子の名前も決めているの?」

「もう検査で女の子とわかっているので……千登勢(ちとせ)という名前にしようと思っています」

「千登勢……良い名前じゃない」

 私がそう言うと、希莉絵は黙ったまま、頷いた。


 9


 唄乃が亡くなった衝撃を受けて倒れ、思うように身体を動かせなくなるほど弱っていた私はベッドで寝たきりの状態になっていた。たくさんのものを失い、様々なものを目にしてきて、今の自分に出来ることは日記を書き続けることだけだった。

 そうして二年が経った。

「おばあちゃん……絢音……おばあちゃん」

「ん?」

 いつの間にか眠っていた私は声が聞こえてきて目を開けた。すぐそばに伊津美が赤ん坊を抱きかかえて立っていた。

「あ、理事長。起こしてすいません。唄音がずっと理事長のことを呼び続けていたもので……」

「……いいのよ」

「理事長、身体の具合はどうですか?」

 伊津美の後ろから希莉絵が顔を出した。

「相変らずってところね。良くなることも悪くなることもないわ」

「そうですか……」

「唄音の顔、よく見せてくれる?」

 そう言うと、伊津美は近くの椅子に座って、私に見える位置に唄音を持ってきてくれた。

「お……おば……ちゃん……おばあ……ちゃん」

 まだはっきりとは言えないけれど、私の事をちゃんと呼んでくれて胸が熱くなった。私を見る目が唄乃に似ている。

「唄音……とても良い目をしているわ」

 何とか力を振り絞って手を伸ばすと、私の人差し指を唄音が小さな手で握りしめた。

「ダルレストの動きが活発になったそうね」

「……はい。東京はもちろん、関西だと京都や大阪を中心に大規模な活動を始めているそうです。記憶処理のほうも一年足らずでほぼ完了させてしまうところがすごいですね。そういう活動は手っ取り早い」

 希莉絵が苦笑いを浮かべて言う。記憶処理……いつの日か、特捜課の寺島さんが言っていたことだ。刀人の存在を社会から消す。まだ行き届いていない地域は少なからず残っているものの、もう日本に住むほとんどの人は刀人のことを覚えていないだろう。

「……」

 書き続けている日記を密かに雄二くんたちの元へ送り続けていたけど、これもちゃんと届いているのかもうわからなくなっていた。

「あ、う…あうあ……あ」

 その時、希莉絵の後ろから唄音とは違う女の子の声が聞こえてきた。彼女が背負っている桃色の髪の女の子。

「千登勢……」

 私が話しかけると、希莉絵が気を利かして、伊津美と交代して近くの椅子に座ってくれた。千登勢を正面に抱きかかえる。

「あ……あ……」

 千登勢が私に向かって手を伸ばしてきた。その手をそっと握りしめる。とても柔らかく、小さな手だった。

「この子たちは宝物。この子たちになら任せられるわ。私はそう信じている」

 千登勢も唄音も何も言わなかったけど、明るい笑顔を見せてくれた。


 10


 それからどれだけの時間が過ぎただろう。

 希莉絵たちから直接聞いたわけじゃないけど、ガードレディの子たちとダルレストの戦いは少しずつ激しさを増しているようだった。数年前に制定された高齢者保護法を後ろ盾にして、全国規模で刀人の回収と高齢者たちの数を減らし続けている。

 終わりの見えない戦いかもしれない。見届ける義務があるかもしれない。けれど、時の流れには勝てなかった。

 横を見ると、部屋の窓があって、生い茂る木々の隙間から夕焼けの光が差し込んでいた。 

 人は死ぬ時に初めて自分の生まれてきた意味を知る。誰かがそんな話をしていたのを聞いた事がある。自分の生きている意味があるのか悩んだことがないと言えば嘘になる。

 たくさんの人が命を落とすところを見てきた。困難に出くわして挫けそうになったこともあった。何も出来ずに大切なものを手から取りこぼすことも少なくなかった。

 私の人生、決して幸せなものではなかったかもしれない。けれど……。

 反対側を見る。希莉絵、伊津美、施設で働いてくれている職員たち、ガードレディの少女達、そして、唄音と千登勢。未来に繋がる大切な存在がそこにはあった。

 自然と笑顔になって目を閉じた。最期に思い浮かんだのはあの人の姿だった。 

 糸井(いとい)さん、私の選んだ道は間違っていたかもしれません。けれど、ずっと前を歩いていたあなたの隣に私はようやく立つことが出来た気がします。あなたと同じくらい頑張ることができたと思います。もういいですよね、糸井さん? 私、頑張りましたよ。あの時みたいにまた頭を撫でてくれませんか? 

『よく頑張ったな、絢音』

 頭の中に彼の声が響いた気がした。ああ、今ならはっきりと言える。


 糸井さん……私のやってきたことは無駄ではありませんでしたよ。

 

 11


「こうして吉丘さんは自分の生涯に幕を閉じました。残された人たちに未来を託して……」

「……」

 雄二さんの話を聞き終えたあたしは胸をおさえた。

 管理課に入ってから二十年近く、絢音さんはどれだけ辛い思いをしていただろう。誰にも頼ることなく、ただ懸命に刀人の子供たちを助けようとした彼女はとても強い女性だった。たくさんの苦しみや悲しみを味わってきたのに、彼女は自分の生きている意味を知ろうと頑張ってきた。

 とてもあたしには出来ない。どれだけ辛かったのか、どれだけ悲しい思いをしてきたのか、雄二さんから話を聞いただけでも伝わってきた。そして……。

「唄音と千登勢っていうのはやっぱり……」

 あたしは隣で座っている二人を交互に見た。千登勢ちゃんはあたしと同じように驚いた表情をしていたけど、唄音ちゃんは表情を変えなかった。でも、少し悲しそうな目をしているような気がした。

「今さら隠さないわ。紛れもなく、私とちーちゃんのことよ」

「……」

 唄音ちゃんはあたしのほうを見た。

「幼い頃の記憶はほとんどないけど、お母さんは私を産んですぐに死んだ。元々、身体が弱かったって聞いてたから、産まれてきただけでも奇跡だって。皮肉なのは私もちーちゃんも刀人の素質を持って産まれたことね」

 唄音ちゃんはスカートの裾のあたりをぎゅっと握った。

「けど、お母さんとおばあちゃんのおかげで私は今ここにいる。こうして生きている。ちーちゃんを守るために」

 唄音ちゃんが千登勢ちゃんのほうを見た。

「私、そんな大事なことを忘れていたなんて……覚えていないことも多いけど……でも、絢音おばあちゃんはすごく頑張ってくれたんだと思う。絢音おばあちゃんがいなかったら、私もきっと今まで……」

 それっきり唄音ちゃんも千登勢ちゃんも何も言わなくなった。それまで黙って聞いていた雄二さんがあたしのほうを見た。

「私の話はこれで終わりです。雛鳥さん、答えは出せそうですか?」

 あたしは胸を抑えるのをやめて大きく深呼吸した。答えはもう出ていた。

「絢音さん、そして彼女が育ててきた刀人たち。政府の隠していた真相。まだはっきりとしないこともあるけれど……あたしが責任をもってこのことを伝えます。信じられないってみんな言うかもしれないけど……絢音さんのやってきたことは知ってもらわないといけません」

「……」

「すぐには出来ないかもしれません。でも、必ず伝えます。あたしが必ず」

 それが絢音さんのためにあたしが出来る唯一のことだから。

「そう言ってもらえると私も嬉しいです」

 雄二さんが笑顔で言ったけど、その目から一筋の涙が流れ落ちた。

「本当に……吉丘さんがたった一人で頑張ってきたことがようやく……ようやく報われるような気がして……ありがとうございます、雛鳥さん」

「私からもお礼を言わせてください。絢音さんの力に全然なれなかったのに、今、少しでもあの人の肩の荷を下ろすことが出来たかと思うと……」

 隣にいた紗栄さんも涙を流しながら言った。

「由美さん、これからどうするんですか?」

 千登勢ちゃんが聞いた。

「そうね。とりあえず京都に戻りましょう。何とかして絢音さんの話を伝えるわ……」

「その方針には賛成したいところですが……」

 突然、部屋の襖が開いて貝堂(かいどう) (のぼる)が姿を現した。

「三人ともすぐにここを離れましょう」

「どうかしたの、貝堂?」

 異変に気づいて唄音ちゃんがそう聞くと、貝堂は深刻そうな表情をした。

「RUPAの一団が来ています」


 第二十一話 花が咲く 終。次回へ続く。


 

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