第二十話 思いの交差
第二十話 思いの交差
1
「こうして吉丘さんは管理課の施設で、刀人の子供たちの世話をするようになりました」
雄二さんは手にしていた吉丘 絢音さんの日記を閉じた。
「……」
MEP特捜課から管理課に異動し、そこで暮らす刀人たちの現状を目の当たりにした彼女の心境はどういったものなのか、あたしにはわからない。けれど、自分たちの生きている世界に刀人は実在し、それに目覚めた子供たちは家族から突き放されて、施設の中に閉じ込められて一生を過ごす。そんな非人道的なことを日本政府は何年もやってきたなんて、とても信じられなかった。絢音さんが受けた衝撃も決して小さいものではなかっただろう。
でも、彼女は挫けることなく何年も歩み続けた。刀人になった子供たちが幸せに暮らせる道を模索するために。
あたしは千登勢ちゃんの隣に座っている唄音ちゃんを見た。雄二さんの話が始まってから彼女は何も言わずにずっと黙って聞いていた。けれど、時々何かを思い出したかのように険しい表情になるのが気になった。
やっぱり……。
思い当たるところはある。雄二さんの話の中に出てきた刀人の子供たち。そのうちの一人の名前が吉丘 唄乃だった。その子と名前が似ていることにすぐ気づいた。唄音ちゃんと何か関係があるのは間違いないだろう。それが何なのか、おそらく雄二さんの話の続きに答えがあると思った。
あたしは視線を雄二さんのほうに移した。
「さて、次の日記ですが、これが送られてきたのは十年以上経過してからでした」
「十年以上ですか?」
「色々なことがあったんでしょうね……。今からお話します」
雄二さんはそう言って日記を手に取り、話の続きを始めた。
2
誰にでも夢や希望はある。大人になるにつれて辛いことや悲しいことがたくさんあって挫けそうになる。けれど、将来こんな自分になりたい。大切な人を幸せにしたい。そういった願いは夢になり、希望になる。それらが生きる糧となって未来へ繋がるのだろう。
私が望んだ夢はたいしたものじゃない。ただ、この子たちが幸せに生きる未来を作りたい。そのためなら自分が犠牲になっても構わないとさえ思っていた。だけど、そんな願いも現実はいともたやすく閉ざしてしまう。
京都観光から四年後。2031年。京都府舞鶴市。
「ふぅ……」
自分の部屋で日記を書いていた私は一息ついてペンを置いた。毎日必死に働いていると一日があっという間に過ぎていく。あの五山の送り火からもう四年。当時の光景をはっきりと思い出すのも難しい気がした。
「……」
「お母さん」
誰かの呼ぶ声が聞こえてくる。視線を移すと、部屋のドアのそばに長い髪の少女が立っていた。
「訓練終わったのね、唄乃」
「うん。今日も順調だったよ」
唄乃は控えめに笑って私のそばに来た。
「お母さん、仕事終わったの?」
「今日の分は終わったわ」
「じゃあ、ご飯食べに行こうよ」
「ええ」
私は椅子から立ち上がって唄乃と一緒に部屋を出た。この四年で唄乃は背が伸びた。始めに会った頃に比べると感情表現も豊かになった。よく笑うようになったと思う。あの日、大文字山の時に失恋して落ち込んでいた時期もあったけど、今はもう吹っ切れたみたいだった。
「……」
「お母さん、聞いてた?」
「え、何?」
いつの間にか前を歩いていた唄乃が下から私の顔をのぞき込んでいた。
「もう~聞いてなかったでしょ」
「ごめん、ごめん」
唄乃がぷぅっと頬を膨らませたので、慌てて謝るとすぐに元の表情に戻った。
「ほら、琴子たちもう待ってるよ」
「ええ」
廊下の先にある部屋。部屋といっても学校の体育館ほどの広さがあるその部屋は子供たちが食事を取る場所になっていて、等間隔に円形のテーブルがいくつも並べられていた。すでにほとんどの席が埋まっている中で、私と唄乃に向かって手を振っている子がいた。
「唄乃~! 絢音先生~! こっち、こっち!」
これだけ大勢の子供たちがいても、すぐにその子が琴子だとわかった。四年前に比べると髪を伸ばしている。私が外から持ってきているファッション雑誌を読んでおしゃれに目覚めたようだった。服装を変えることはできないけど、せめて髪形だけはと意気込んでいたことが印象に残っている。
「先生、唄乃。おはようございます」
別の席に座っていた良平がお辞儀して挨拶する。最初に会った頃と変わらずおとなしく真面目な性格だったけど、最近は私や他のみんなにも丁寧に接していて優しい子になっていた。
「おはよう、琴子、良平」
挨拶してくれた二人にそう返すと、私は最後の一人のほうを見た。
「おはよう、大地」
「……」
「大地?」
「ん? あ、ああ……おはよう、先生」
ぼうっとしていた大地がはっとした様子で挨拶を返した。
「大地、大丈夫?」
「悪い悪い、訓練で疲れて眠くてさ」
心配そうに聞く琴子に対して、大地は控えめに笑って答えた。季節の変わり目のせいか、体調を崩す子は少なくない。一月前まではまだ夏の暑さが残っていたけれど、今はすっかり寒くなって冬を感じるようになった。
「最近寒くなってきたからね。しっかり食べて、しっかり寝る。これを心がけよう、大地」
良平がそう言いながら味噌汁の入ったお皿に口をつけた。
「……そうだな」
大地はそうつぶやいて目の前に置いてある食パンを掴んでかじった。
「訓練の内容きつくなってきたからね。実践練習なんて本当に役立つかわからないし」
「万が一のためだと思うけどね。刀人の一人が力を暴走させた時に、止められるのは刀人しかいないから」
呆れたように言う唄乃に対して、琴子が苦笑いを浮かべた。刀人たちは自分自身の力を上手く制御するために訓練しているけど、それ以外にも理由があった。それは他の刀人が暴走した時のための抑止力になることだった。だから、刀人同士の実践訓練も存在する。もちろん、本気で殺し合うわけじゃないけど、実際に見ると迫力があって強い緊張感があった。その訓練の成績で大地と唄乃がほぼ同率一位で、次に琴子、最後に良平が位置していた。この四人は周りの子供たちの中で特に戦闘能力が高いということになる。そんな力、使ってほしくないけど。
「ごちそうさん。俺は先に休んどくよ」
大地が手を合わせて椅子から立ち上がった。いつの間にか食パンや味噌汁を食べ終えていた。
「あ、大地」
「ん、どうした?」
琴子に呼び止められて大地がこちらに振り向く。
「……う、ううん、何でもない。呼び止めてごめんね」
「いや、気にすんなよ。じゃあな」
そのまま大地は部屋を出ていった。
「どうしたの、琴子? 何か言おうとしてたんじゃないの?」
大地の姿が見えなくなったのを確認して私が聞いた。
「う、うん……最近、二人で話せてないから、今日こそはって思ってたんだけどね、何か調子良くないみたいだし」
琴子が落ち込んだように顔を下に向けた。
「だ、大丈夫ですよ。大地は少し体調が優れないだけで、きっとすぐに戻りますよ。だから、元気出してください」
「そうよ。訓練が大変なのはみんな知っているし、あいつのことだからすぐに良くなるわ」
「うん、ありがとう、良平、唄乃」
二人から励ましを受けて、琴子は元気を出してくれた。やっぱり、誰よりも明るくてみんなを引っ張る琴子が一番彼女らしい。
「さ、みんな、今日はゆっくり休んで。明日も訓練があるでしょ」
「はーい」
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま~」
四人で手を合わせて、その日の夕食を終えた。
3
「はぁ……はぁ……」
琴子たちの前では我慢していたけど、食堂を出た瞬間に限界が来ていた。鉛のように思い身体を引きずって何とかトイレに駆け込む。便器の蓋を開けた瞬間に、その日に食べた物を全て吐き出してしまった。
「はぁ……まただ。また、ちゃんと食べれなかった……」
いつからだっけ? こんなに体調を崩すようになったのは……。それまで、何事もなく、ただみんなと訓練を重ねて、琴子のことを大切にするようになって、これから先もみんなと一緒に楽しく出来たらいいなって。そんな大した望みじゃないのに、どうして……。
「ああ……」
バカだな、俺……。何が原因かなんて、考えればすぐにわかることじゃないか。
「……」
着ていた服の裾をめくって自分の右腕をめくる。そこには小さな注射のあとがあった。一か所だけじゃない。何か所も数えきれないほどだった。
『おめでとう、師村大地くん。君は選ばれた刀人だ。このテストを合格すれば、皆と一緒に外の世界に出れる。以前と違って、永遠に』
「……そうだ。こんなところで挫けている場合じゃねえ……。俺は必ずみんなを、琴子を外に連れて行くって……決めたんだ」
ああ、けれど……なんだろう、この気持ちは。
溢れ出てくるこの感情は……。
とメられナイ……とマラナイ……オサエラレナイ……。
「アア……オレモ……ダレカ……」
4
「以上が今回の報告になります」
次の日、私は及川のいる課長室で担当している子供たちの様子を報告していた。大体月に一度、こうして状況報告をするように言われている。
「ふむ、報告ごくろう、吉丘」
及川は私の提出した書類に目を通した後に言った。最初に会った頃と見た目はほとんど変わっていない。表情を大きく変えることもなく、手にした書類をテーブルの上に置いた。
「三日後に新たに三名移動することが決まった」
「……またですか?」
無意識のうちに棘のある聞き方をしていた。
「ああ。収容人数の増加、それに反して担当する職員の不足。この舞鶴の施設だけでは管理しきれない状況になっている。君にもわかるはずだ」
「……」
数か月前から舞鶴の施設に収容されていた子供たちが別の施設に移動することが増えていた。収容されている刀人の人数が多くなってきたのが原因らしい。逮捕された刀人を担当する職員も増やさないといけないため、それまで子供たちの世話をしていた同僚もそちらに移動していた。
「本部とはいえ、舞鶴よりも都市部のほうが何かと人手が多いからな。そちらにある支部に移すのは仕方ないだろう」
「それはもちろんわかっています。ただこの場所と別の施設は雰囲気や決まりが違うと思います。向こうでも上手く生活しているのか気になるんです」
「都市部で働いている職員も優秀な人材が揃っている。心配することはない」
「……」
気になることはあったけれど、これ以上聞いても納得できる答えは返ってこないだろうと思った。及川に一礼して、私は部屋を出た。
「ふぅ……」
ため息をついて廊下を歩き始める。
「報告お疲れ様です。吉丘さん」
前から声が聞こえてきて顔をあげた。そこにはスーツ姿に身をまとった吉住の姿があった。及川と違ってこの男は少し老けたように見える。
「月に一度とはいえ、あいつらの報告をするのは面倒ですねぇ。毎日一生懸命に世話をして疲れてるでしょう。少しは休んだ方がいいんじゃないんですか?」
「あなたに言われなくても、自分の体調管理ぐらい出来ています」
初めに会った頃と比べると、態度が軽くなったような気がした。けど、この男のことは少し苦手だった。だから、無意識のうちに棘のある言い方をしてしまう。
「ま、自分のことを一番わかっているのは自分自身ですからね」
吉住はたいして気にしていないのか、それだけ言うと後ろを振り向いて歩き始めた。
「あ、そうそう」
何かを思い出したように吉住は立ち止まって、もう一度私のほうを見た。
「吉丘さん、最近様子の変な子供がいたりしますか?」
「え?」
「体調が悪かったり、いつもと様子が違うってことですよ」
「どうして気になるんですか?」
私がそう聞くと、吉住はふっと笑った。不快に感じる笑いだった。
「いえいえ、最近管理課の仕事も忙しくなってきましたからね。吉丘さんも子供たち全員の面倒を見るのには骨が折れているんじゃないかと思ったんですよ」
「さっきも言ったはずです。自分の管理は出来ています」
吉住にもはっきりわかるように不快感を込めて言った。けれど、彼は特に気にする様子もなく、ふふっと笑った。
「まあ、それなら良いんですけどね。いつその時が来るか、わからない。今のうちに出来ることをしておいたほうがいいですよ」
意味深なことを言って、吉住は再び歩き去っていった。
「……」
体調が悪かったり、様子の変な子……。
吉住の言葉を頭の中で反芻する。普段なら、聞き流しているところだけれど、その時は違った。思い当たる子がいたからだ。
「まさか、大地のこと……?」
確かにいつもと比べると体調を崩しているように見えたし、あんなに明るかった性格も今は大人しくなったようにも思える。けど、気分が乗らないことや体調不良になることは誰にでもあることだ。そこに人と刀人との違いなんてありはしない。それに体調を崩しているなら、数日休めば元気になるはずだった。
「そうよ。そこまで気にすることは……」
けど、なぜだろう。吉住に言われたばかりのせいなのか、私の胸の中の不安は大きくなり始めていた。
そして、その日は突然やってくることになる。
5
数日後。
この施設で暮らし初めて十数年が経過していたけれど、あたしたちの基本的な生活は変わらない。朝早くに起きて、ご飯を食べて、訓練をして、みんなと少し雑談して……それの繰り返し。一日の大半を占める刀人の訓練が何の意味があるのか、未だにわからない。これから先もずっとこんな日々を過ごすのだろうと思うと、虚しい気持ちになることもある。けれど、そんな日々に希望を持てたのは絢音先生のおかげだった。外の世界のことを毎日教えてくれたばかりか、実際に京都の町へあたしたちを連れ出してくれた。そして、大地とのことも応援してくれて、あたしの恋は実った。
あれから四年が経って、外の世界へ出かけることはなかったけど、大好きな人と一緒にいる時間は幸せだったし、唄乃や良平たちと話すのも楽しかったから、こんなあたしでも生きがいを感じることが出来るようになった。
でも、最近、大地は元気がない。心配になって話しかけても、いつも上の空のようでぼうっとしていることが多かった。
「……」
ポケットからあるものを取り出して手のひらに乗せる。去年の誕生日に大地がくれた赤い髪留めだった。絢音先生に頼み込んで買ってもらったと後から聞いた。訓練の規則でピアスやネックレスなどの装飾品を身に着けることは禁止されている。髪留めも例外ではなかった。だから、今までポケットに入れて大切にしていた。
何秒かだけでいい。ほんのわずかで良いから絢音先生に頼んで、これをつけているあたしを大地に見てほしい。そしたら、少しは元気が出るかもしれない。そう思った。
「琴子?」
「……」
「琴子!」
「え? な、なに?」
隣で座っている唄乃のほうを見ると、心配そうにあたしの顔をのぞき込んでいた。
「大丈夫? 何かぼうっとしてたけど」
「う、うん、平気。ちょっと考え事してただけ」
あたしは持っていた髪留めをポケットに戻した。
「そう……」
唄乃はそう言うと、前のほうに向きなおった。今は訓練の合間にある休憩時間で、大きな部屋の壁際にみんなしゃがみこんで休んでいた。このところ実践に近い練習を続けていて、けが人も何人か出ている。
「……ねえ、唄乃」
「ん?」
「訓練……きつくなってきてるよね?」
「そうね。ここ二、三か月から内容が濃くなったというか、実践練習が多くなったというか……。私たちはこの施設でずっと暮らしているから、誰かと戦うわけじゃないのにね」
「……」
誰かと戦う。その言葉があたしには引っかかった。ここにいる子たちとは全員仲が良いって感じではないけれど、殺したいほど関係が悪いって感じでもない。何て表現したらいいのか、閉ざされた環境にいる者同士、見えない絆で結ばれているように思っていた。
訓練をする理由。あたしたちは刀人が定期的に能力を使わないと暴走するので、それを防ぐためだと聞かされてきた。でも、それだけじゃない。実践練習をするということはそれに近い状況が起こるかもしれないということだ。そんな状況って……。
「おい、大地。大地ってば」
ふと、近くから声が聞こえてきて、その方向を見る。良平が大地の背中をさすりながら話しかけていた。大地は壁のほうを向いていて頭を下げている。
「大丈夫? 気分悪いなら担当の人に言ったほうが……」
「……」
心配そうに言う良平に対して大地は何も言わなかった。左手で右腕を抑えている。
「良平、大地どうかしたの?」
気になって唄乃と一緒に二人のそばに寄って聞いた。
「大地、何か朝から元気なくて、練習中もぼうっとしていたから。けど、何も言わないし……」
良平がそう言っても、大地は顔を下に向けたままだった。
「大地、体調悪いなら無理しないほうが……」
「……ア、ア……」
その声を聞いたあたしたちは驚いた。普段の大地の声とは全然違う。重く苦しそうな声だった。
「だ、大地?」
「……コトコ……二、ニゲロ……」
左手で抑えていた大地の右腕が見える。服の裾が破れたその腕は真っ黒な何かで覆われていた。
6
夢を見ていた。
そう言えるのは私がそれを夢だと自覚できているからだ。なぜなら、それは十年以上前の光景だったからだ。
厚い雲に覆われた空からポツポツと雨が降ってきている。近くで燃えている車の焼け焦げた匂い。足の傷から流れ出る血と痛み。
『心配するな。必ず戻るよ』
聞き覚えのある声が聞こえてきて、私の頭を撫でてくれる人がいる。
誰なのか、すぐにわかった。もう昔のことだけど、一度も忘れたことがなかった。
「糸井さん……」
私がそう言っても、目の前にいる彼は笑顔を向けるだけだった。
「私、あなたが一生懸命頑張っているのをずっと見守っていましたから……あなたがどれだけ勇敢で真っすぐな人だったのか、わかっていますから……だから、私もあなたと同じくらい、それ以上に頑張ります。だから……くじけそうになった時は私を……あの子たちのことを……」
『……』
糸井さんは何も言わなかった。ただ、明るくまっすぐな笑顔を向けるだけだった。
「……さん」
「……」
「……お母さん」
別の誰かの声が聞こえてくる。
「……起きて、お母さん」
呼んでいる。あの子が。私のことを……。
そして、私は夢から覚めた。
7
目を開けると。ぼんやりとした視界の中に唄乃の姿が見えた。
「唄乃?」
「お母さん、早く起きて!」
何かに焦っているのか、緊急の事態である事は彼女の顔を見るだけですぐにわかった。目を開いて眠っていたソファから起き上がる。
「何かあったの?」
「わ、私もよくわからない。訓練中に大地がいきなり暴れ始めて......」
「大地が!?」
それを聞いた瞬間に目を見開いた。唄乃は動揺している自分を抑えようとしていたけど、身体が小刻みに震えていた。
「唄乃、とにかく一緒に行きましょ!」
「う、うん」
私は唄乃の手を引いて、子供たちの訓練している部屋に向かった。部屋に近づくにつれて嫌な匂いが鼻につく。私は知っている。この不快な匂い。特捜課の仕事をしていた私には何の匂いなのかすぐにわかった。
「血の匂い......」
胸騒ぎがだんだんと大きくなる。これ以上前に進みたくない気持ちが強くなってきた。けど、前に進まないといけない。私の目に焼き付けないといけない。ぐっと唄乃の手を強く握りしめて部屋のドアを開けた。
「......」
言葉が出なかった。刀人達が集まればどんな事が起こるのか、簡単に想像出来るはずだった。けど、みんなの笑顔や、楽しかった思い出を振り返るとそんなこと考える必要はないと思っていた。私はずっと目を背けていた。
目の前に移るのは血まみれになって倒れている子供たちの姿だった。一人や二人じゃない。何人もの子供たちが腕や足を切られて苦しんでいる。怪我はしていなくても部屋の隅で怯えている子供やずっと泣き続けている子供もいた。
いったい何が......何が起こったっていうの?
「う......絢音先生」
足元から声が聞こえて見下ろす。聞き覚えのある声だった。
「りょ、良平!」
間違いなく良平だった。良平は腹の辺りを切られていて血を流していた。苦しそうな声を出している。
「良平!大丈夫!?」
「先生......大地が暴れて......琴子が後を追いかけて」
良平は今にも途切れるような声で言った。咳き込んで口から血を吐き出す。
「良平、喋っちゃだめ!」
「......」
後ろにいた唄乃はあまりに衝撃的な光景で何も言えずに立ち尽くしていた。
「僕のことはもういいから......先生、早く......」
こんな傷だらけの状態でも良平は大地と琴子の心配をしていた。なら、私も彼の気持ちを汲み取らなければならない。
「......唄乃、ここのことは他の人に任せるわ。琴子と大地を探すわよ!」
「う、うん......」
私の大声を聞いて我に返った唄乃が頷いた。スマートフォンを取り出して、他の職員に良平達の手当てをするように連絡しながら、部屋を出た。
廊下を走り回って二人のいそうな場所を探す。一緒にご飯食べた食堂、本の読み聞かせをした寝室、外で訓練をする時に使う中庭。
「はぁ......はぁ......」
息を切らしながら探したけど、二人の姿はなかった。時間だけが過ぎていって焦り始める。
「お、お母さん!」
その時、横についていた唄乃がある方向を指さした。その先は探していた階の上を示している。
「上にいるの、唄乃!?」
「多分......屋上にいる」
「くっ......」
既に体力は限界に近づいていたけれど、気力を振り絞って階段を昇った。唄乃が倒れないように私の横にずっとついてきてくれたおかげで何とか屋上にたどり着いた。
「はぁ......はぁ......」
私は手を伸ばして屋上へ通じるドアを開けた。
8
その日は夕焼け空が広がっていて、辺り一面がオレンジ色に染っていた。
「う......」
屋上の真ん中あたりで琴子が左腕のあたりを抑えて膝をつけていた。抑えている右手の指の間から血が流れ出している。腕のあたりを斬られているようだった。
「琴子!」
私と唄乃が彼女のそばに駆け寄った。
「あ、絢音先生......」
今にも泣きそうな顔で琴子が私のほうを見た。
「違うんだ......違うんだ、先生......」
もう一人別の声が聞こえてきて屋上の奥を見る。四方を囲んだフェンスを背に大地が立っていた。
「大地、その姿は……」
言葉を失った。声は間違いなく大地だった。けれど、いつもの大地の姿じゃなかった。
右腕全体が黒い鱗のようなもので覆われていて、その手には真っ黒な刀が握りしめられていた。
あの刀は見たことがある。もう何年も前だけど、私が特捜課で糸井さんと一緒に追っていた彼の武器と同じだった。かつて黒刀と呼ばれた音坂 稜と。
「俺……こんなつもりじゃなかった。こんなこと……したくなかったんだ」
途切れるような声で大地はつぶやいた。目が充血し、口元から血が流れ出している。
「でも……琴子や他のみんなが自由になれるってあいつが……。俺が頑張って耐えたら琴子達を助けられるから……」
大地の言っていることが完全に理解出来たわけじゃない。けれど、良平や他の子供たちを、琴子を傷つけたのは大地の意思じゃない。何かに苦しみながらも大地は懸命に自分の意思を守ろうとしている。
「俺が犠牲になれば……みんなが……」
「そんなの嫌……嫌だよ、大地」
琴子が斬られた傷の痛みをこらえながら立ち上がった。
「あたし達が自由になっても、そこにあんたはいないんだよ。そんなの残されたみんなが悲しむに決まってるじゃない!あたしはそうだった。訓練で辛い時に冗談を言ってみんなを和ませてくれたり、あたしがわがまま言ってもちゃんと応えてくれたり、この場所で暮らしてきて楽しい思い出をくれたのも、全部あんたのおかげよ、大地!」
琴子が大声で叫ぶ。
「あんたのいない自由なんて、あたしはいらない!」
「琴子……うう……」
大地の声がかすれていく。真っ黒な鱗が右腕全体を覆い尽くし、肩から首、顔の部分にまで伸び始めている。
どうして大地が黒刀と同じ姿になってしまったのか、わからない。けれど今はそんなことを考えてる場合じゃなかった。
「うう……殺してくれ……頼む……殺して……ああああああ!」
突然大声をあげて大地が琴子に向かって突進した。手にした黒い刀を振り上げる。
「くっ!」
琴子は咄嗟に刀人としての武器である剣を出して、大地の攻撃を受け止めた。けれど、その衝撃に耐えきれず、私と唄乃のいるほうへ吹き飛ばされてきた。
「琴子!」
唄乃が咄嗟に前に出て、琴子を受け止めた。
「う、ありがとう、唄乃……」
「ああああああ!」
大地は空に向かって大声をあげた。もう理性が崩壊しているように見えた。
「くっ……」
私が守らないと。琴子も、大地も、唄乃も、みんな私の大切な子供たちなんだから。私が守らないと……。
腰に差していた拳銃を取り出して銃口を大地に向ける。足を撃って止めるつもりだった。けど、それだけで大地を助けることが出来るのだろうか。
「あああああああああ!」
大地の叫び声が響き渡る。だめだ、あれはもう手遅れだ。助けたい気持ちが強かったけど、頭のどこかで諦めようとしている自分がいた。それがだんだん大きくなってくる。
そんなことを考えてはいけない。必ず助けないと。だって、大地は……。
手にしていた銃が震え始める。三人を失うかもしれない恐怖と絶望が頭の中に広がっていた。
「絢音先生!」
誰かの声が響いたのと同時にぐさり、と何かが突き刺さる音が聞こえた。
「……」
顔に赤い血が飛び散る。けど、痛みはなかった。隣にいた唄乃も怪我をしていなかった。
「う……」
「……琴子?」
琴子の苦しそうな声が聞こえる。目の前に大地の持っていた黒い刀で身体を貫かれた琴子の姿があった。
「琴子!」
「ああああああ!」
大地は琴子を刺して、さらに私たちのほうに進んで来ようとした。黒い鱗が顔の全体を覆って表情が見えなくなる。
「ぐっ……大地……」
口から血を流しながらも、刀を持つ大地の手をつかみ、琴子はもう片方の手で大地を抱きしめた。
「大地、大丈夫……大丈夫だよ。あたしはどこにも行かないから……ここにいるから」
「あああああ」
「これ見て。大地があたしの誕生日にくれた髪留め。ちゃんとつけてきたんだよ……。あとで驚かせようと思ったんだけど」
琴子が頭につけていた髪留めを大地のほうに見せる。それまでずっと叫び続けていた大地の声が少しずつ小さくなっていた。
「ああああ……あ……あ……」
「大地、あたし……少しは綺麗になったかな?」
「こと……こ……?」
途切れるような声だったけど、大地は確かに琴子の名前をつぶやいた。それが聞こえたのか、琴子は笑顔になった。黒い刀が引き抜かれて、琴子はその場に倒れた。
「琴子……? 琴子!!」
唄乃が悲鳴をあげながら琴子に向かって走った。私もすぐあとに続いた。琴子は胸のあたりを貫かれていて真っ赤な血がどくどくと溢れ出てきていた。とても助かるような傷ではなかった。今までにないくらいの激痛を味わっただろう。
でも、それでも琴子は最期まで大地のことを想っていた。口元から血を流していても、その表情は明るい笑顔のままだった。
「琴子、うそ……うそでしょ! しっかりして! 琴子、ねえったら!」
唄乃は倒れた琴子を起こして涙を流しながら叫んだ。私は何も言えずに立ち尽くしていた。琴子が……リーダーシップがあって、みんなを笑顔にすることができて、誰よりも元気で明るかった琴子が死んでしまった。
「お、俺……俺のせいで……」
大地の身体が震え始めた。
「琴子も、良平も……他のみんなも……あ、あ、ああああああ!」
大声で泣き叫ぶ。その瞬間、大地の身体を覆っていた黒い鱗にヒビが入り、剥がれ落ちていった。
「大地!」
「あああああああ!」
私が呼びかけても大地は叫び声をあげるだけだった。そして、再び黒い刀を構えて私と唄乃のほうに向かってくる。
「くっ!」
私は琴子を抱きかかえる唄乃の前に立った。自分の命なんてどうでもいい。せめて、唄乃だけでも……。
その直後だった。
ぱん、と乾いた銃声が鳴り響き、大地の額に小さな穴があいた。
「あ……」
大地が叫ぶのをやめた。同時に額から赤い血が流れ始める。続けて銃声が何回も鳴った。止める間もなかった。大地は全身から血を流して後ろに倒れた。
「二人を保護しろ。遺体の回収も急げ」
及川の声が聞こえてきて、銃を持った兵士たちが次々と駆けつけてきた。血を流して倒れている琴子や大地をシーツの中に入れていく光景も、唄乃や私が保護されるところも全てが走馬灯のように見えていた。
9
その日の事件は十数名の死傷者を出す大惨事になった。
亡くなった子どもたちの中には琴子や良平、そして事件の発端となった大地も含まれていた。
遺体の回収や血の飛び散った部屋の掃除を黙々とこなす作業員の様子をしばらく見ていた私はぐっと唇を噛んだ。
良平は大地を助けるように頼んだ。大地は助けを求めていた。琴子は一人で大地を助けようとした。
けど、私は何をしていた?
ただ、呆然と立ち尽くしていただけじゃないだろうか。目の前の光景に衝撃を受けて琴子達のために何も出来ずに立ち尽くしていただけだった。何て無力なのだろう、私は。
今更、その事を思い知って目に涙が浮かんだ。
何も変わっていない。私はここに来た時から何も変わっていなかった。
「あーあ、随分悲惨な有様ですね」
「!」
いつの間にか、部屋の入口の近くに吉住が立っていた。この酷い状況を見てもあまり驚いていないようだった。
「刀人の力が暴走するとは……いくら強大な力を手に入れてもそれを制御出来ないのなら意味がない。せっかく全国を回ってくまなく探してきた逸材なのに、もったいないことですね」
「……何をしたの?」
「何をって何です?」
そのとぼけた顔は私の怒りを頂点にまで登り詰めるのに充分だった。
「大地に何をした!?」
大声で叫んで吉住の胸ぐらを掴み、壁に叩きつけた。吉住は私がそんな行動にとるとは思っていなかったのか、驚いた表情をした。けれどすぐに元の表情に戻る。
「何を怒っているんです、吉丘さん。あいつらは刀人ですよ。未来永劫、一般社会に戻ることなく生涯を終えるだけの存在です。同情することも憐れむ必要もない。情でも湧いたんですか?」
「あなたには何もないって言うの? 今を懸命に生きているあの子たちに、何も感じないの!?」
「……何も感じませんね。私からあらゆるものを奪っていったやつらに情なんてものはない」
吉住は冷たく言うと、胸倉をつかんでいた私の手を離した。
「吉丘さん、私もね、あの事件の時にいたんですよ。あの町に」
「え?」
「湯田月の町で私は家族と一緒に暮らしていました。当時はまだ学生だったのですが。私の父親は奴らに殺されたんです。父は湯田月の警察署で働いていたので」
吉住の父親が私と同じ署で働いていた?
それは予想すらしなかったことだった。
「黒刀事件の時、湯田月署へ報復活動を仕掛けた組織『アゲハ』。その犠牲になった一人が私の父でした。父が亡くなって、一人で家計を支えていた母も過労で倒れて、二年後に亡くなりました。私はあの事件で両親を失ったんです。その時に誓いましたよ、私は。あいつら刀人の未来を見届けてやると。この世で生きるべきではない存在だということを証明するためにね」
「……」
「だから、奴らに同情することはありません。あいつらがどうなろうと私には一切関係ないんです」
顔には出なかったけれど、その言葉から底知れない怒りや憎しみを感じ取れた。
「話の主旨が逸れましたね。師村大地に何をしたのか私にもわかりません。下っ端はいつでも置いてけぼりだ。けど、あなたならあの持ってる武器に見覚えがあるんじゃないですか?」
そう言われて大地の手にしていた黒の刀が思い浮かぶ。言われるまでもない。けど、あの刀を大地が持っているはずがない。ありえないことだった。なぜならあの刀を持っている人物は何年も前に行方不明になっているはず……。
「まあ、及川さん達が何かしらのテストをしたんでしょうね。あいつらに」
「あいつら?」
吉住の言葉が引っかかる。彼はにやりと笑った。
「特に優秀だと言われてる刀人、師村大地の他にもいたじゃないですか?」
10
惨事の起こった現場を後にして、私は廊下を走っていた。吉住の言葉を聞いて嫌な汗が流れる。だんだんと不安が大きくなってくる。
琴子や大地は特に優れた刀人として及川たちに目をつけられていた。そして、唯一生き残った唄乃も……。
唄乃は今どうしているだろう。
私は唄乃たちが生活している部屋に向かった。何故かわからない。けど急がないと行けない気がした。
琴子や唄乃たちが睡眠を取るために使っている部屋。ドアを開けると中は明かりがついていなくて薄暗かった。琴子たちはもうここにはいない……。けど、人の気配が部屋の奥からした。
「唄乃?」
「……」
その後ろ姿は唄乃に間違いなかった。唄乃は両手で何かを握りしめている。鈍く光る金属の輝き、それは唄乃の刀人としての武器である剣だった。その刀の先を自分の首のあたりに向けている。
「唄乃!」
大声で叫んで、唄乃の両手を掴んだ。
「離して! 離してよ!」
唄乃が暴れて刀を自分の首に押し込もうとするのを懸命に止めた。
「琴子も、大地も、良平も、みんな死んじゃったんだよ! 私一人だけが生きていても意味ないでしょ! 私もみんなのところに行くの!」
「だめ! それだけはだめよ!」
「離してよ、お母さん! このまま、生きていても、苦しいだけじゃない! 悲しいだけじゃない! 何も良いことなんてない! 嫌、もう生きてるのは嫌なの!」
「未来のことなんて何もわからないじゃない!」
泣き叫ぶ唄乃に対して、私も大声で言った。
「唄乃、私も生きているのに疲れたことがあったわ。大切な人が自分から離れて、他の人の幸せがうらやましくて、何のために自分は生きているんだって思った。でも、でもね……自分にはやるべきことがあるから生きているんだって、命をかけて教えてくれた人がいたの。その人は決して挫けずにただ真っすぐに自分の道を歩き続けた。私も彼のようになりたいと思った。そして、唄乃、あなたに出会えた。こんな私でもここにいるみんなに色々なことを教えられる。それがわかっただけで充分に生きがいを感じた。自分の人生捨てたものじゃないって思えた。唄乃たちに会えたから今の私があるの。だから、あきらめちゃだめよ、唄乃。私が必ずあなたを守ってみせる」
「う……う……お母さん」
うまく言えたかわからないけど、自分の気持ちは確かに唄乃に届いた。唄乃は握りしめていた剣を地面に落とした。泣きながら私の手を握りしめた。
「私……どうしたらいいの? お母さん……」
「……逃げるわよ、唄乃」
「え?」
「ここにいたら何をされるかわからない。もう籠の中で暮らす必要はないわ。あなたを外の世界へ連れ出す」
11
管理課の施設を出る。口で言えば簡単なことだけれど、それがどういう意味を持つのか充分に理解しているつもりだった。きっと私は犯罪者として指名手配されることだろう。捕まれば、死罪もありうる。
でも……それでも、私は唄乃をここに置いておくことが出来なかった。大地のようにいつ実験の対象にされるのかわからない。そうなれば、この子の命は……。私の愛してきた子供たちをまた失うことになる。
「……」
それだけは出来なかった。だから、私は唄乃を連れ出す決意をした。
管理課の施設は警備こそ厳重だけど、施設の職員として働き、重要な人材として抜擢されていた私にはセキュリティを超える権限があった。うまく行けば施設から出ることも難しくない。
九年近く、ここで生活していたおかげで吉住や及川たちの日々の行動も大体把握している。あの二人もこの施設でずっと生活していたものだと思っていたけど、そうじゃなかった。三か月に一度、定例会議で都市部のほうに向かっているのでその日だけ施設を不在にしている。不幸中の幸いか、その日は一週間後に来ることになっていた。
抜け出すならその日しかない。もう迷っている場合じゃなかった。
それから一週間、私は平然を装って業務に勤しんでいた。管理課全体としても大きな被害を受けた子供たちの治療や復旧作業が重点的に進められていたので、何か大きな変化が起こることもなかった。唄乃を含む無事だった子供たちも普段通りに訓練に励んでいた。
決行の日までの日々を長く感じることもあったけれど、思い返すと意外と短いと感じるように一週間は過ぎていった。
12
当日の朝四時。
早めに起きた私は鏡の前に立っていつものスーツに着替えた。紐で髪を結び、鏡の台の上に置いてあった銃を手に取る。
特捜課から管理課に異動して以来、この銃を使ったことは一度もない。今までの私には必要なかったし、琴子や唄乃たちに銃を向ける状況なんて想像できなかったからだ。
でも、今は違う。万が一の場合、私はこの銃を使わないといけないかもしれない。あの時、大地を撃とうとした時と同じように。
銃を腰のベルトに差した。もう一つ、職員一人一人に配られている麻酔銃も反対側のベルトにつけた。本来は自分の担当している刀人たちが暴走した場合、鎮圧するために用意されたものだった。
「……」
準備が出来たので部屋を出た。唄乃たちの寝室に行くと、彼女はもう起きていた。
「お母さん……」
「唄乃、大丈夫?」
「うん。私は平気……でも、お母さん、本当に大丈夫? 私のためにここまですること――」
「大丈夫よ、唄乃」
私は唄乃の両肩に手を置いて彼女が言いかけるのを止めた。
「これは私のわがままだから……あなたが責めを負う必要はないわ」
「……」
「唄乃、手を出して」
「……うん」
唄乃が右手を差し出す。手首に巻かれているリストバンドの蓋を開けるとコード番号を入力する液晶画面が現れた。万が一、唄乃が訓練以外で刀人の能力を解放した場合、このリストバンドから致死性の毒が打ち込まれる可能性がある。管理課で働いている職員には解除するコード番号が伝えられている。当然、無断でそんなことをしたら規約違反になるのは間違いない。
「……」
私はコード番号を入力した。唄乃のリストバンドが外れる。解除したことは監視局に知られてしまうだろう。一刻の猶予もない。
「よし、行くわよ、唄乃」
「うん」
私は唄乃の手を握って部屋を出た。
朝早くの時間帯ということもあって、収容されている刀人たちはみんな眠っていた。時々巡回している警備員にさえ注意を払えば通り抜けることは容易だった。地下施設から一階に出るまでにある扉は警備している二人を麻酔銃で眠らせて突破した。ここまで自分でも驚くくらいに順調だった。あとはエントランスさえ突き抜ければ、何とかなる。ここまで来たら引き返すわけにはいかなかった。
「あなたがそんなに愚かな人間だったとは……。失望しましたよ、吉丘さん」
「!」
背後から声が聞こえてきて咄嗟に振り返る。吉住が拳銃を構えて立っていた。その隣には武装した兵士が何人かいる。
「どうして……」
「今日は定例会議で不在のはず、と言いたいようですが、残念ながらあの騒動のあとです。予定がずれたんですよ」
吉住は隣に立っている唄乃のほうに視線を移した。私は唄乃を自分の背後に移動させた。
「しかし悪い予感は的中するものだ。あの時のあなたの怒りようでまさか……とは思いましたけど、こんな馬鹿なことをするとは思いませんでした。せっかくあの実験が順調に進み始めているんだ。そいつは貴重なサンプルになる」
「何の実験をするつもりなの?」
私は素早く拳銃を構えた。それに反応して武装した兵士たちがアサルトライフルを向けてきたけど、吉住が手で制止した。
「愚かだが、思い切った行動をしたあなたに敬意を表して本当のことを教えてあげますよ。あいつの持っていた武器、あなたなら見覚えがあるでしょう?」
頭の中に浮かぶ大地の手にしていた黒い刀が思い浮かぶ。
「黒刀……音坂 稜と何か関係があるのね」
「ご名答。十八年前に起こったあの忌まわしき大事件。あれがきっかけで刀人による犯罪組織が今後現れる可能性はゼロとは言い切れなくなった。だから、上層部は対刀人用の部隊を編成することを考えた。目には目を。刀人に対抗するには刀人しかいない。この施設はその第一段階だ。刀人の研究を進め、より強力な刀人を作り出すための」
「そんな……そんなのありえない! 刀人を生み出す研究なんて、それはまるで……!」
「そう、君なら知っているはずだ」
さらに後ろから誰かが姿を現した。
「及川……」
及川が後ろに武装した兵士を新たに連れて姿を現した。
「黒刀事件の発端となったあの男。人間を刀人に変える薬『アリナキサス』を開発した音坂成二の研究だ」
「……続けていたと言うの? 彼の研究を」
「刀人の特徴を知るのに必要なことだった。あの事件の現場で採取された黒刀の細胞を使って素質の強い刀人に取り込ませて、強力な刀人を生み出す。これからの未来のために」
「だから……」
私は拳を握りしめた。怒りで握りしめていた銃が震える。
「だから、この子たちを使って実験したの!? 新しい黒刀を作るために!? いつから、あなたたちはそれを……いったい何人の子どもたちの命を奪ってきたのよ!」
喉が張り裂けるほど叫んだ。目の前にいる彼らのせいで、良平も大地も、琴子も、他のみんなも犠牲になったのだ。そして、唄乃も……。
「人類の未来のためだ。大勢の命を救うために少数の命を犠牲にすることはやむを得ない」
「狂ってる……あなたたちは狂ってるわ! ここにいる子たちの未来を踏みにじる権利なんて誰にもない! 他の人の幸せや喜びを奪い去る権利もない! 人間だから、刀人だから、そんなこと関係ないわ! あなたたちに彼らの命をもてあそぶ権利なんかないわ!」
「……やれやれ、賢明な君ならわかってくれると思っていたが、そういうわけにはいかないようだ。吉丘 唄乃を渡しなさい。そうすれば命は助ける」
及川の後ろにいた兵士たちが再び銃口を私たちのほうに向ける。
「お母さん……」
後ろにいた唄乃今にも泣きそうな声だった。
「あなたたちに……唄乃は渡さないわ」
「……そうか、ならば仕方ない」
及川がふっと手をあげた。その直後、近くにいた兵士の一人が何の躊躇いもなく銃の引き金をひいた。避ける間もなく、銃弾が右肩を貫いた。
「うっ!」
「お母さん!」
片膝をついて撃たれた傷口を抑える。激しい痛みと共に血がどくどくと流れ始めてくる。
「今まで管理課に尽くしてくれたせめてもの礼だ。苦しまずに二人とも死んでもらおう」
及川が無表情に言うと、兵士たちが前に出て、アサルトライフルの銃口を向けてくる。
「お母さん! お母さん!」
「う、唄乃……あなただけでも……逃げて」
目が霞んで唄乃の顔がよく見えなかった。けど、この子だけは命に代えても守らないといけなかった。死んでいった琴子たちのためにも、せめて、唄乃だけは……。
「……嫌。お母さんが死んじゃうのは……いやああああああ!」
唄乃が大声で叫んだ。その瞬間、彼女の右手に長い剣が現れた。刀人としての武器に間違いなかった。
「か、刀人の力を解放したのか!? は、早く撃て! 殺せ!」
及川が叫んだのと同時に何発もの銃声が鳴り響いた。だけど、それは私には当たらなかった。銃弾を弾く金属音が何回か鳴って、床に弾が落ちていく。
「……」
いつの間にか、唄乃が私の前に立っていた。
「唄乃……」
「……」
私が呼びかけても唄乃は何も言わなかった。
「な、何をしているんだ! 早く殺せ!」
及川の言葉で兵士たちが再び武器を構える。だけど、それより早く唄乃が動いた。一瞬で彼らとの間合いを詰めたかと思うと、手にした剣を上からまっすぐに振り下ろす。一人の兵士が声をあげるまもなく血を噴き出しながら倒れた。
「くっ、この!」
そばにいた別の兵士が銃を向けようとしたけど、その前に唄乃の持つ剣が風を斬る。その兵士の肩口から銃を持っていた腕を斬り落とした。
「ああああああ!」
返り血を浴びながら唄乃は叫んで、剣を振った。彼女が剣を振る度に周りにいた敵が血を流しながら倒れていく。銃声が鳴り響いたけど、唄乃には一発も当たらなかった。
時間にしてほんの十数秒足らず。気づけばそこに立っていたのは及川だけだった。
「吉丘 唄乃……これほどの力とは……やはり、お前は化け物だ。人間なんかじゃない!」
及川がそう叫んで手にしたリボルバーの銃口を唄乃に向けた。
「……」
唄乃は何も言わなかった。ぱん、と乾いた音が鳴る。一瞬で唄乃の姿が消えたかと思うと、及川のすぐそばに現れていた。風を斬る音が響き、及川は肩からまっすぐに斬り裂かれて床に倒れた。
血まみれになった死体が床に転がり、残ったのは吉住だけだった。いつの間にか唄乃に足を斬られていて、床に倒れている。
「化け物め……殺すなら、殺せ」
「唄乃……」
「……」
唄乃は手にした剣を振り上げる。目から涙が流れ落ちていくのが見えた。
「唄乃!」
「……っ!」
私は唄乃に駆け寄り、後ろから抱きしめた。唄乃の手が震えていた。持っていた剣を床に落とした。
「私……殺しちゃった。こんなに人を……」
「うん」
「お母さんが死んじゃうかもしれないと思って……私、必死で……」
「うん……うん」
「お母さん、私……本当に生きてていいの?」
唄乃が私のほうに振り返る。その目から涙が溢れ出ていた。私は彼女の手を握りしめた。
「生きるのよ、唄乃。琴子や大地、良平の分まで……どんな罪を背負ってでも、生きなさい!」
唄乃にそう言って、立ち上がらせた。そのまま施設の出口のほうに向かう。
「吉丘さん!」
後ろから吉住の声が聞こえてきて立ち止まる。
「ここから出たら、あなたは終わりだ。全国に指名手配されて逃げ続けることしかできなくなる。そんな人生に幸せなんてありはしない。なぜ、そこまでその娘にこだわるんだ! まだやり直せる。そいつが暴れたことにすれば、何とでもなるんだ。考え直せ!」
吉住にしては珍しく感情のこもった言い方だった。けど、私の意志は変わらなかった。
「それでも愛するわ、この子を。自分の人生に悔いを残さないためにね!」
こうして私は唄乃を連れて管理課の施設から逃げた。彼女がただ殺しの道具として酷使されて、死んでいく人生とは違う道を歩んで欲しかったために。
第二十話 想いの交差 終




