第十九話 管理されるもの
第十九話 管理されるもの
1
「こうして吉丘さんは特捜課を離れることになった。もう四十年以上前のことですが……」
雄二さんが当時のことを思い出しているのか、時々懐かしそうに、それ以上に寂しそうな表情をしながら言った。
「あの時の私たちは知りませんでした。絢音さんがどういう気持ちで湯田月の町を離れていったのか……。結局、見送ることしか出来ませんでしたね」
そばにいた紗栄さんが雄二さんの肩に触れた。
「その後、数年ごとに、長い時は十年以上経った後に、この日記の束が送られてくるようになった」
「それは吉丘さん本人が書いたんですか?」
あたしがそう聞くと、雄二さんは何も言わずに頷いた。所々が傷んだ日記を大切そうに撫でる。
「ここから先はこの日記を読むまで私たちも知らなかった話だ。特捜課を離れた吉丘さんが見てきたものをお話しましょう」
そう言いながら雄二さんは再び話し始めた。
吉丘 絢音さんの長い物語の続きを。
2
MEP特捜課の刑事として八年近く歩んできた私にとって、刀人の事件を捜査することは常に命の危険と隣り合わせだった。糸井さんも自分が死ぬのを覚悟して、かつての親友を助けようとした。私も彼と同じか、それ以上に強い自分になりたいと思っていた。
そして私は特捜課を離れ、大切な友人たちに別れを告げ、今こうして新たな場所で日記を書き続けている。
ここに来てから、私の経験してきたものはどれも衝撃的なものだった。私は日々の出来事を日記に書き留めるようにしていた。自分の記憶から失くさないようにするために。いつか、他の誰かにこれらのことを伝えるために。
「……」
ふと最初に来た時のことを思い出す。
今、私のいる場所。MEP管理課の施設に来た五年前のことを。
2022年。京都府 舞鶴市。
舞鶴駅の改札口を抜けて辺りを見回す。落ち着いた雰囲気に包まれた町だと思ったのが最初の印象だった。湯田月の町に比べると、人通りが少ないし、山々に囲まれていて自然にも恵まれている。
「予定の時間より三十分前のご到着とは……。早めに来て良かったようですね」
そばから声が聞こえてきて顔を向ける。背の低めな黒スーツの男が立っていた。
「吉住です。あなたを迎えに来ました、吉丘 絢音さん」
吉住と名乗った男は自己紹介をしながら名刺を出てきた。『MEP管理課 吉住 浩一』と書かれている。
「吉丘絢音です。よろしくお願いします」
私も頭を下げて挨拶すると、吉住はなぜかふふっと鼻で笑った。
「遠いところからご苦労さまです。さっ、乗ってください。管理課の施設までご案内します」
吉住は近くに停めてあった車を指し示した。私が助手席に座ると、吉住が運転席のほうに乗り込み、そのまま車を出発させた。
「管理課からの要請に応えてくれてありがとうございます。課長も大変喜んでましたよ。あの黒刀事件に関わった経験がある特捜課のベテラン刑事。刀人に関する知識が豊富なあなたのような人材を我々はずっと求めていましたから」
「管理課は人員不足が深刻だと聞きましたが、外部から募集することはそんなに難しいのですか?」
「活動内容の都合上、仕方ないんです。刀人の生活を監視することはかなり骨の折れる仕事ですから」
「監視……」
「まあ、実際に現場を見てもらえればわかりますよ」
その時、吉住が見せた笑みは何か嫌な予感をさせるものだった。
駅を出発して一時間。日本海が広がる舞鶴湾。その海岸沿いに建ち並ぶ赤レンガ博物館は舞鶴市では有名な観光地の一つと聞いている。
そこから遠くに見える岬の先に建つ大きな建物がMEP管理課の施設だった。正面の門の前に建って改めて外観を見る。五階建ての造りだけど横に広いため、とても大きく見える。壁の色は赤レンガ博物館と同じで赤茶色に染められていて、屋根は黒かった。
「管理課の施設はちょうど中央にグラウンドや庭があって、ドーナツ状の造りになっています。地上五階建てですが、地下もありますよ」
「地下?」
「現在ここで生活している刀人は五百人ほど。それだけの大人数をいつまでも地上で野放しに出来ませんからね。地下にも収容施設を用意しているんです」
吉住は淡々と説明をしながら、正門前のインターホンを押した。インターホン越しに何か言うと、しばらくして門が両側にゆっくり開いた。
「さ、行きましょう、吉丘さん」
「……」
私は何も言わずに先を歩く吉住について行った。知られざるMEP管理課の施設へと。
4
吉住のあとについて三階まであがる。長い廊下の先を歩き進んでいくと、奥に部屋のドアがあった。吉住がそのドアをノックする。
「吉住です。吉丘さんをお連れしました」
「入っていいぞ」
ドアの向こうから別の男の声が聞こえてきた。
「失礼します」と吉住が言ってドアを開ける。
部屋の内部は特に飾り気のないところだった。横長の机に黒の大きな椅子が置かれているだけで他には何もない。その椅子に座って何かの本を読んでいる男がいた。
吉住と同じく黒いスーツを着込んだ初老の男だった。中西さんと歳が近いかもしれない。
「管理課の課長を務めている及川 伊佐根だ。我々の要請に応えてくれて感謝する吉丘警部補」
及川と名乗った男が手を差し出してくる。
「吉丘絢音です。よろしくお願いします」
私もその手を握って挨拶した。
「立ち話することはない。かけたまえ」
及川がそばにあるソファを手で指し示す。私がそこに座ると、彼はさっき座っていたイスに腰を下ろし、吉住は入口のドアの前に立った。
「さて、特捜課の課長からおおよその話は聞いてると思うが、我々管理課が何を主体とした活動を行っているのか、改めて説明しておこう」
及川が一度息をついて話し始めた。
「我々MEP管理課が発足したのは六年前。刀人と一般人の囚人たちを収容する施設をわけるところから始まる。収容する刀人の人数が多くなり、彼らの生活を管理しなければいけない状況に陥ったのが発端だ。刀人たちが大規模な暴動を起こしたあの黒刀事件も大きな要因となっている。各都道府県に支部があり、この舞鶴にあるのが本部になっている。職員の数は私と吉住を含めて大体五十人ぐらいだ」
「先程吉住さんからも説明を受けましたが、この施設には大勢の刀人が暮らしていると聞いています。彼ら一人一人の行動を監視することは可能なんですか?」
「その点については問題ありませんよ、吉丘さん」
入口のドアの前に立っていた吉住が口を開いた。
「我々は刀人の特徴を完璧に把握しています。彼らがこの施設を抜け出すことはありません」
吉住の言葉は自信に満ちていた。何を根拠にそう言いきれるのか、私にはわからなかった。
「ふふ、すぐにわかりますよ。課長、吉丘さんをご案内してもいいですか?」
「ああ、よろしく頼む」
「はい」
吉住は及川にお辞儀すると部屋のドアを開けた。
「さ、行きましょう、吉丘さん」
「......」
さっきの吉住の笑いはどういう意味を持っているのか、答えがわからない不安を抱きながら、私は彼のあとにしたがった。
5
課長室を出て吉住と共に私は一階まで降りた。
「この建物、地上の階はごく一般の建築物と大差ありません。それぞれの職員が寝泊まりできる個室、食堂、トレーニングジムや娯楽施設も用意されています。吉丘さんの部屋もあとで案内しますね」
「……」
管理課で働く人たちがこの本部で生活することは事前に聞いていた。刀人の情報が外部に漏洩しないようにするための対抗策なのだろう。外部に出かける時はその度に許可をもらうための手続きをしないといけないことになっている。その辺りのことは寺嶋課長から話を聞いた時から覚悟の上だった。管理課は他の課との関わりを極端に避けている。その理由を探りたい気持ちも私の中にはあった。
「刀人たちは?」
そう聞くと、吉住は私のほうに振り返って靴で床をとんとんと叩いた。
「彼らは全員地下の収容施設で生活しています」
吉住が歩き進んでいくと、その先に地下へ降りる階段が見えてきた。そのまま下の階へ降りる。目の前に大きな扉があってその両脇に二人の警備員が見張りをしていた。吉住がそのうちの一人に話しかける。警備員が敬礼して、扉のロックを解除した。扉が静かに左右に開いていく。私は一度深呼吸して前に進んだ。
「この先が刀人たちの暮らす収容所になっています」
吉住が説明しながら手で前のほうを差す。その先はここに入ってきた時点では想像できない光景が広がっていた。
とても広い円形の廊下が続いていて、定間隔に鉄格子で覆われたドアがいくつもある。その部屋の一つ一つに刀人たちが暮らしているんだろう。廊下の内側は地下四階にあたるまで大きく吹き抜けになっていて、何人かの警備員が常に見回りをしていた。
「ここでは大体二十代ぐらいからの刀人たちが生活しています。さっきも説明しましたが、人数は数百人にのぼります」
吉住の説明を聞きながらふとあるものが目に止まった。部屋の一つから囚人服を着た男……刀人が警備員のあとについてどこかへ移動を始めている。その手首の辺りに細長い黒の腕輪のようなものがついていた。
「あの手首につけているものはなんですか?」
「ああ、あれですか。刀人たちが我々に敵対行動を取らないようにするための防衛システムの一つです。こちらの指示なく能力を使った場合、監視局が操作することで、あの腕輪から一時的に行動を抑える麻痺薬を注入する針が出るようになっています」
「え?」
「それぐらいの対策は必要でしょう? 何もせずに彼らを野放しにすれば我々に危険が及ぶじゃないですか。警備員たちが銃で武装しているとはいえ、ここは銃の規制された国です。迂闊に発砲なんて出来ませんから」
「そうかもしれませんけど……」
「説明が少し外れましたね。このエリアの刀人たちは各部屋に二、三人ずつグループを作らせて生活しています。毎朝六時に起床、七時に朝食。そこから労働などをさせています。昼と夕方に休憩時間があり、定期的に身体検査や健康診断も行っています」
「吉住さん、話を聞いてる感じだと一般的な刑務所の暮らしと大差がないように思えますけど」
「ええ、そこまで差はないと思いますよ。一定の期間で能力を使わなければ、身体に異常を起こすので、その訓練をさせている以外は」
「……」
「さて、吉丘さん。あなたに担当してもらおうと思ってるエリアはここではありません、実はもう一つ別のエリアがあるんです」
「別のエリア?」
「ご案内します」
吉住は表情を変えることなくそう言うと、長い円形の廊下を歩いて行った。そのあとについていくと突きあたりに入ってきたのと同じ構造の扉があった。吉住が扉の近くに立っていた警備員に指示を出して、扉を開けさせる。
そう、ここからが……私の想像さえしていなかった管理課の実態があった。
6
扉の向こうにあったものは先ほどの刑務所のような光景とは全く別のものだった。
「これは……」
私は言葉を失った。鉄格子に覆われたその先に広がる部屋にいたのは、たくさんの子供たちだった。部屋のあちこちにぬいぐるみやおもちゃが散らばっていて、それで遊んでる子や追いかけっこをしている子もいる。一目見ただけだと、普通の保育園で遊ぶ園児たちの光景に似ていた。けれど、彼らはみんな真っ白の患者服のようなものを着ていて、その手首にはさっき見たのと同じ黒い腕輪がつけられていた。
「まさかこの子達全員……」
「ええ、お察しの通り。ここにいるのは刀人に目覚めた子供たちです」
隣にいた吉住が言った。
「刀人の能力を探知するシステムは既に完成しています。幼少期に目覚めた彼らは力の制御をうまく出来ず、暴走する可能性もゼロではありません。我々が保護し、刀人の力のコントロールをする必要があります。まあ、全国にいる刀人の子供たち全員を保護するのは、まだ先になりそうですけどね」
「この子たちの親は? 家族はどうしているんですか!」
私は声を大きくして聞いた。
「家族、親戚はもう彼らの存在を知っていません。記憶改ざんの処理を行いました」
「そ、そんな……お腹を痛めて産んだ自分の子供なのに、何の許可も得ずに奪ったんですか!」
「吉丘さん、何か勘違いされているんじゃないですか?」
感情を露わにする私と対称的に吉住は冷静だった。
「奴らは人間じゃない。いつ他人に危害を及ぼすのかわからない刀人ですよ。そんな奴らを放っておいたままでは危険が大きすぎる。実際、能力を暴走させて家族全員皆殺しにした事件も起きました。おおやけには殺人事件として処理されていますけどね。刀人の存在は今の日本社会を混乱に陥れる。あなたの関わった黒刀事件がいい例です。奴らの生活を管理し、その特性を把握する必要があります。そのための手段の一つですよ」
「……」
吉住の言っていることは間違いではなかった。納得できる部分は確かにある。でも、目の前で無邪気に遊んでいる子供たちを見ていると、どうしても、どうしても抑えきれない気持ちが溢れ出そうになった。
これが管理課の実態。幼い刀人の子供たちを連行し、力をコントロール出来るようにするまで保護する組織。寺嶋課長から聞いた話を私はようやく理解した。
7
「……」
「お母さん」
「……」
「お母さん、絢音お母さん」
「!」
びくっと身体を動かして声の聞こえた方向を見る。部屋の入口近くに白い患者服を着て、ピンク色の髪留めで長い髪を一つに束ねた女の子が立っていた。
「唄乃、どうかしたの?」
「こっちのセリフだよ。お母さん、ぼうっとして、何か考え事?」
「大丈夫。何でもないわ。訓練は終わったの?」
私が聞き返すと、唄乃は少し視線を逸らした。
「もう……また途中で抜け出してきたの、唄乃?」
「あんなのしなくても大丈夫」
「だめでしょ。ちゃんと練習しないと、いざ力を使うって時に……」
言いかけてやめた。唄乃がぷいっとそっぽ向いていた。その目にじわっと涙が浮かんでいることにも気付いた。
「……わかったわよ、唄乃。また外の話聞かせてあげるから」
「ほんと?」
唄乃が私のほうに走り寄ってきた。
「もちろんよ。でも、みんなが戻ってきてからね」
「うん」
顔にはあまり出なかったけど、とても喜んでいるのは最近になってわかるようになってきた。私は彼女と手を繋いで部屋を出た。
唄乃は以前から面倒を見ている子どもの一人で、血は繋がっていないけど、苗字が私と同じ吉丘だからいつの間にか「お母さん」と呼ばれるようになっていた。
「唄乃~! 絢音先生~!」
廊下の歩く先から元気な声が聞こえてくる。私たちのほうに向かって走ってきているのは短い黒髪の女の子だった。唄乃と同じ格好で手首には例の腕輪がついている。
「琴子、訓練終わったの?」
「うん! さっき終わったところ! 大地たちは戻ってるよ。それより……唄乃、また途中で抜け出したけど大丈夫? お腹痛くてトイレに行きたいなら言ってくれたらいいのにぃ~」
「ごめん、琴子。トイレに行きたかったわけじゃ……」
「あ、そうなの? じゃあ……わかった、お腹が減ったんだね! 私もペコペコ~! みんな待ってるよ! ほら、行こ行こ~!」
そう言いながら琴子は返事を待たずに唄乃と私の手を引いて、廊下の奥へ進んだ。
「相変わらずね、もう……」
明るくみんなのムードメーカーである琴子がいつもと変わらないことに、私は呆れるのと同時に安心した。
廊下を抜けると、大きく広がった部屋に着いた。見上げると、球場一つ分はすっぽり入るこの場所に二階建ての施設が建てられている。施設の周辺には遊具やグラウンドがあって、ごく一般的な幼稚園や保育園と大差ない。でも、ここで暮らしているのは……。
「大地~、良平~!」
施設の正面玄関で待ってる二人の男の子に琴子が声をかけた。
「おう、遅いぞ、琴子!」
大きな声で返事したスポーツ刈りの髪型の少年は師村 大地という名前で、琴子と同じく元気な少年だった。子供たちみんなで時々するかけっこでは常にトップを走っている。
「お、おかえり、みんな」
大地と対称的に小さな声で返事したショートヘアーの男の子は坂野 良平で、唄乃に似て大人しいけど、優しくて素直な子だった。よく大地の遊びに付き合わされてるのを見かける。
「ごめん、ごめーん、唄乃が途中で抜けちゃったのが気になってさ、絢音先生のところに行ってたの」
「そうだったのか。唄乃、最後まで訓練しないとまた怒られちゃうぞ」
「……うん、その、ごめん」
唄乃は大地から顔を逸らして小さな声で言った。
「大地、唄乃はあんたと違って天才なんだからいいの!」
「て、天才って……まあ、それは知ってるけどよぉ」
「大地、落ち込まなくていい。時間はたくさんあるし」
「おう、ありがとな、良平……って落ち込んでねぇよ!」
「え、でも、昨日は絶対に唄乃に勝つって」
「あー! それは秘密にしとけって言っただろ~!」
「えーなになに、大地、隠し事? あたしにも教えてよ~」
「琴子は入ってくるな~! 話がややこしくなるだろ~!」
みんなからいじられ始める大地の様子を見てまた安心するかのように息をついた。
いつものみんなだ。みんな……私の子供たちが目の前で楽しく笑っている。
そう心の中でつぶやいて、私は唄乃たちの様子を見守った。
8
管理課によって刀人たちの生活が監視されるようになって十年近く、刀人に覚醒した子供たちも例外なく回収され、その一生を各地にある管理課の施設で過ごすことになる。五年前、管理課に配属された私は刀人の子供たちの生活を見守る役目を引き受けることになった。
もちろん、最初は戸惑いを隠すことが出来なかった。ずっとMEP特捜課の刑事として働いてきた私に子供を育てた経験はない。保育士やベビーシッターのような仕事に興味がないわけではなかったけど、自分には向いていないと思っていた。だから、私に刀人の子供たちの世話が出来るのか、不安だった。
けれど、ここで生活している子供たちは刀人に覚醒したせいで大切な家族、普通の暮らしを奪われてしまった。学校の部活や勉強も出来ず、この場所に閉ざされ、あらゆる未来の選択肢を失ってしまった。そんな彼らのために何か出来ることはあるんじゃないか、そう思って私はこの仕事を引き受けることにしたのだ。
その思いを胸に私は頑張ってきた。子供たちとどう接したらいいのか最初はわからなかったけど……。
「ねえねえ、車ってどんな乗り物なの? 外に行ったらこれがいっぱい走ってるって聞いたんだけど~」
そんなある日、私にそう聞いてきた子がいた。収容されている子供たちの名簿は事前に確認していたので、それが琴子だとすぐにわかった。
琴子たちはずっとこの地下にある場所に閉じ込められているため、私が当たり前のように知っていることをほとんど知らなかった。。
外の世界のことを教えよう。
そう思った私はできる限り自分の知っていることを話した。自動車や電車の話に真っ先に興味を持ったのは琴子と大地だったけど、次第に唄乃や良平も気になって私の元に集まるようになった。
私は色んな乗り物の写真が載っている図鑑や自然に暮らす動物たちのこと、世界にある有名な遺産や町のこと、色々なことを彼らに教えた。そうしているうちに私は先生と呼ばれるようになった。
先生なんて呼ばれるほど大した人間じゃないけれど、この子たちから慕われているんだと思うと、何だか嬉しかった。
刀人の訓練が終わると、時刻は午後五時に差し掛かろうとしていた。夜ごはんまで時間があるから、今は自由時間。こういう時はいつも、唄乃たちに外の世界の話をするのが日課になっていた。
「えー絢音先生、それ本当なの!?」
「本当よ。町の中心にとても高い塔があって、そこから全体を見下ろすことが出来るの。関西だと通天閣や京都タワーが有名になるわね」
「知ってるか、良平? 大阪にはたこ焼きっていう美味い食べ物があるらしいぜ」
「たこ焼き?」
「小麦粉の生地の中にたこを入れて焼く食べ物よ。ソースとか、マヨネーズをかけて食べるの」
「美味しそう~! 絢音先生、食べたことあるの?」
私が説明すると、琴子が目を輝かせて聞いてきた。
「ええ、外で暮らしていた時にね。とっても美味しいわよ」
「いいなぁ~、外の世界。俺も行ってみたいぜ~」
大地が羨ましそうに言った。
「唄乃も行ってみたいだろ?」
「わたし? う、うん」
急に大地から話かけられたのに驚いたのか、何かの雑誌を読んでいた唄乃が慌てて返事した。
「唄乃、何読んでるの~?」
「お母さんが持ってきてくれた写真集。京都のイベントのことが載ってるの」
「えー見せて見せて~!」
琴子が唄乃の隣に座った。大地と良平も気になったのか、二人の背後から見下ろす感じで移動する。
「何これ! すっごく綺麗!」
「それは確か大文字山ってやつだよね。毎年八月、山に大きく『大』っていう字で火を灯すイベント」
「へえ、こんなすげえのが外で見れるんだなぁ」
良平の説明に感心したように大地が言った。三人に対して唄乃は何も言わなかったけど、目を見ているだけですごく行ってみたい雰囲気が伝わってきた。
「写真より実際に見るほうが綺麗ね」
「いいなぁ~私も行ってみたいなぁ」
琴子が羨ましそうに言った。唄乃たちもそれに同意するかのように頷いた。
「……」
ここにいる子たちは誰もが外の暮らしに憧れを持っている。当然だろう。刀人でいる限り、この施設から出ることはできない。
毎日、懸命に自分の力をコントロールしようと努力し、他の仲間たちと遊んだり、語り合ったり、喧嘩をすることもあるけれど、冗談を言って笑い合ったりすることもできる。普通の子供と何ら変わりない。ただ刀人だということだけで、みんなここでの暮らしを強制されている。
管理課のやっていることは果たして正しいことなのだろうか。
五年間、この施設で働いてきた私は未だにその答えを見つけられずにいた。
9
子供たちの就寝時間は夜の九時と決まっている。いくつかのグループに分かれて、それぞれ別の部屋で眠る。私は唄乃たちを寝かしつけるまで毎日その様子を見守っていた。
朝から必死に訓練していたのと、夕方から大はしゃぎしていたのも重なって、琴子や大地はすぐ眠りについた。良平もしばらくして眠りにつき、周りの子供たちも静かになった。
そろそろ出ようかな。
そう思って横になっていた私は何も言わずに起き上がろうとした。
「お母さん?」
すぐそばから声が聞こえてきてその方向を見る。布団にくるまっていた唄乃が目を開けていた。
「どこか行くの?」
「ごめんね、私まだちょっと仕事があるの」
「あ、うん、わたしの方こそごめん。お母さんが忙しいの何となくわかるから」
唄乃はそう言いながら手を伸ばして私の手を握った。
「怖い夢を見たの」
「夢?」
「うん。一人ぼっちになる夢。暗くて何も見えない場所に一人でいて、他には誰もいなくて……みんなの名前を呼ぼうとしても声が出ない夢。夢だって途中で気づいたんだけど、すごくリアルで……わたし……」
「唄乃」
私は唄乃の手を握り返し、もう片方の手で彼女の頭を撫でた。
「心配しないで。私はどこにも行かないわ。唄乃を一人にしないから」
「本当?」
「もちろんよ」
私ははっきりと言った。自分自身も孤独な思いをしたくないっていうのは少なからずあった。大切な人を失い、自分を気遣ってくれる人たちからも離れて、ただ一人この場所に来た私にとって、唄乃たちはかけがえのない存在だった。
「……ありがとう、お母さん」
唄乃は安心したように笑顔になった。
「ほら、明日も早いからもう寝なさい」
「うん、おやすみ、お母さん」
「おやすみ、唄乃」
言葉を交わして、唄乃が眠りにつくまで私は彼女の頭を撫でた。やがて、寝息が聞こえてきたのを確認して、立ち上がり、静かに部屋を出た。
「ふぅ……」
「毎日ごくろうさんですね、吉丘さん」
部屋を出た先で待っていたのは吉住だった。初めて会った時に比べると無精ひげを生やし、やや老けたように見える。恰好は相変わらずのスーツ姿だったけど。
「あなたがわざわざここに来るなんて。何か用があって来たんじゃないんですか?」
そう聞くと、吉住はふふっと笑った。
「ええ、及川課長がお呼びです。課長室に来てください」
10
吉住のあとにしたがって、私は管理課の課長室の部屋に来た。
「夜遅くまでご苦労だな、吉丘」
及川は椅子に座って私のことを待っていた。吉住に比べると、及川の見た目は五年前とほとんど変わっていなかった。相変わらず表情を変えることなく、私や吉住に接してくる。
「何か御用があってお呼びしたんじゃないんですか?」
「和泉琴子、師村大地、坂野良平そして吉丘唄乃。この四人の様子はどうだ?」
単刀直入に聞いてきた。やっぱりだと思って息をついた。
「特に変わったことはありません。とても元気ですよ」
「……」
「どうしてあの子たちのことを気になさるんですか?」
「刀人の中には優秀な能力を持って生まれる者がいる。数十人いる中でその四人は特に優れているのだ。その成長過程を詳しく調べるのは、我々管理課の活動を大きく進めるきっかけに繋がる」
及川が淡々とした口調で答えた。
「だからこそ、彼らの様子を常に観察しておく必要があるのだ。それは以前にも言ったことだろ?」
「……」
「そこで普段とは異なる時間を過ごすことも重要だと考えている」
「異なる時間?」
私が聞き返すと、及川は顔の前で手を組んだ。
「外の世界での時間を過ごさせる」
「!」
及川の言葉に私は耳を疑った。外の世界であの子たちを?
今まで刀人を施設から出した前例はない。その理由に関しては納得出来ていて、これまで活動してきた。それをあっさりと……。
「どうしたんです、吉丘さん? 子供たちを外に出していいってせっかく課長が言ってくれてるんですよ。もっと喜んだらどうです?」
後ろのドアの近くに立っていた吉住がふふっと笑いながら言った。
「前例のないことですが、問題ないんですか?」
「万が一の可能性を考慮して、腕輪をつけたままにする。それと同行するのは君だけでなく、吉住にもついてもらう。だが、彼の役目は四人の様子を観察することで、実際に面倒を見るのは吉丘だ。京都府内という制限さえ守れば、行先はどこでも構わない。期間は二日間」
「……」
「心配には及びませんよ、吉丘さん。あいつらが変な動きを見せれば、私が対処します」
吉住がはっきりとした口調で言った。
あの子たちを外の世界に連れていける。それはとても嬉しいことだけど、こうもあっさり言われると逆に怪しいと思うのは間違っているのだろうか。
二人の意図する部分が見えず、私は複雑な気持ちを抱いた。
11
その次の日、私は訓練を終えたみんなを集めて、昨日の話をした。
「えー外に出られるのかよ!」
「絢音先生、本当なの!?」
予想していたけれど、最初に目をキラキラしながら聞いてきたのは大地と琴子だった。
「ええ、この前話してたところにみんなで行くわよ。今の時期、ちょうど五山の送り火が見れるみたいだから」
「お母さん、わたしも行っていいの?」
唄乃が私の服の裾を掴んで聞いた。
「もちろんよ。みんなで行きましょう」
「やったー!いっぱい楽しむぞ、良平!」
「ちょっ、ちょっと!首を掴まないでよ、大地!」
「絢音先生、あたし楽しみにしてるね~!」
琴子が明るく笑いながら抱きついてきた。嬉しいことがあったらこうするのがこの子の癖だ。私は琴子の頭を撫でてあげた。そばにいた唄乃は何も言わなかったけど、私の手を握って控えめに笑ってくれた。
12
その日の夜、私は早速京都観光の計画を立てていた。京都には数え切れないほどの観光地があるため、行くあてはいくらでもあるけど、たった二日だけの外出なので、時間は限られている。
「......」
外の世界のことをほとんど知らないあの子たちの思い出作り。たぶんこんな機会はこれから先二度とないだろう。吉住達が何を考えているのか、わからないけど、今はとにかくあの子たちを楽しませことだけを考えよう。私があの子たちを幸せにしてみせる。
「......う」
出かける予定をノートに書き留めていると、ふらっとめまいがした。思い返せば、ここ数日ちゃんと寝ていないような気がした。唄乃達のことが気がかりで何度が様子を見に行ってることが原因かもしれない。
私は目のあたりを手で押さえた。
ふと、昔の光景が思い浮かんだ。それは湯田月の町の通りを落ち着いた足取りで歩いていく彼の姿だった。あの頃から何も変わっていない。
私はいつも彼の後ろを追っていた。暗い闇に堕ちた親友を助けるために懸命だった彼はどんな状況になっても変わらない強い信念があった。
挫折しそうになったり、傷つけられたことなんて何度もあったはずなのに、誰にも頼ることはなく彼は決してあきらめなかった。十年以上も長い時間の中で一度も......。
そんな彼に比べたら今の私は......。
「......大丈夫です、糸井さん。私は......まだ頑張れます」
小さな声でつぶやいて、私は再びノートを書き進めた。
13
8月15日。
唄乃たちを外の世界へ連れ出す日がいよいよ明日に迫っていた。
「ふぅ......」
その日も唄乃たちは朝からずっと刀人の訓練をしているはずだった。肉体的にも精神的にもまだ幼いあの子たちにとって自分の力を制御することは必要不可欠。そういった意味ではこの施設の存在意義もないわけではない。けれど、だからと言って、家族を奪われ、その記憶からも存在を消されてしまっていいわけじゃない。
今すぐには無理だけど、いつか、いつかここにいる子たちみんなに人並みの生活を送ってもらいたい。そう願わずにはいられなかった。
「......ちょっと休憩しようかな」
昼前からずっと椅子に座って書類を整理していたので、さすがに肩が凝ってきた。このまま続けても集中力が持たない。
ご飯も朝から何も食べていなかったのでちょうど良いタイミングだった。椅子から立ち上がって部屋の出口に向かおうとした。
「あれ?」
ドアの近くに人の気配を感じたのはその時だった。
「あ!」
「琴子、声出しちゃ……」
その声を聞いてすぐに誰なのかわかった。
「唄乃、琴子。何やってるのよ」
「えへへ、ばれちゃった」
「……ばか」
ドアの後ろに隠れていた唄乃と琴子が出てきた。琴子がぺろっと舌を出しながら頭を掻いていて、唄乃はやれやれといった具合にため息をついている。
「どうしたの? 訓練まだ終わってないはずでしょ」
「ごめんなさい、でも、どうしても絢音先生に話しておかないといけないことがあって……」
琴子が一言謝ると、真剣な表情になった。この子がこういう顔をするのは珍しい。
「唄乃には相談したんだげど、大地や良平には聞かれたくないことだから」
「相談?」
私が聞き返すと、琴子は口をもごもごしながら唄乃のほうを見た。それで何かを察したのか、唄乃はまたため息をついて言った。
「琴子、大地に告白したいんだって」
「……え?」
予想もしていなかった話に私はぽかん、と口を開いてしまった。
「だ、だって、ここじゃみんながいるし、なかなか二人きりになれるってことないから……外に出たらチャンスがあるかなぁって思って」
慌てながら説明する琴子は顔を真っ赤にしていた。琴子が大地のことを……。年頃の女の子だからそういうことがあってもおかしくないけど。
「それにしたってどうして大地? あいつ結構お調子者よ。はっきり言っちゃえば、バカなところも多いし。琴子いつも喧嘩してるじゃない」
唄乃が半分呆れたように聞いた。琴子は顔を赤くしたまま少し黙っていたけど、やがて口を開いた。
「た、確かにあいつとは喧嘩してばっかりなんだけど......。ずっと昔、ここに来て間もない頃はさ、あたし全然馴染めなくて、よくいじめられてたりしたのよ」
話している時の琴子の表情は真剣なものになっていた。それに琴子の幼い頃の話を聞くのも初めてだったかもしれない。
「あの頃のあたしって本当に弱虫で何も出来なかった。でもね、その時にあたしのことを守ってくれたのが大地だったの。みんなとあたしの間に立ってね、こいつは弱虫なんかじゃない。俺たちよりもずっとずっと強い女なんだぞ!って大声で言ったのよ。あたし、こいつ何言ってるんだろうって思ってね、何だが可笑しくなっちゃって......。でも、こいつの言う通りに強い女になるって決心したのはその時。それ以来訓練とかで落ち込んでる時に励ましてくれて、唄乃や良平に声をかけてくれて友達になるきっかけを作ってくれたのが大地なの。本人はもう忘れちゃってるかもしれないけどね」
言い終わった琴子は苦笑いを浮かべた。でも、その表情を見ているだけで本当に大地のことが好きなんだなってことが伝わってきた。
「琴子の気持ちはよくわかったわ。それなら......」
私は二人に夜出かけようと思っている場所について話した。
「上手くいくかな......」
話を聞き終えた琴子が珍しく不安そうな表情をしていた。
「気持ちを伝える前から不安がっても仕方ないじゃない。いつもの元気な琴子のままで気持ちをぶつければいいのよ」
「お母さんの言う通り。琴子、自信を持って」
「......うん。ありがとう、絢音先生、唄乃」
素直にお礼を言う琴子が可愛くて、私も自然と笑顔になれた。でも、隣にいた唄乃はアドバイスを送りつつも嬉しそうな悲しそうな、何だか複雑な表情をしていた。
14
8月16日
次の日、外へ出かける日がやってきた。
まだ朝の六時。いつもなら起きたばかりでぼぅっとしていることが多い子たちだけれど、この日だけは違った。
「すっげぇ! こんな服着れるなんて!」
大地は青と白の縞模様のティシャツに黒の短パンを履いていて、いかにも夏らしい恰好をしていた。この子が豊かな自然に囲まれた場所で遊びまわっている姿が何となく想像できる。
「これは何というか......言葉が出てこないね」
良平には濃い緑のカッターシャツに焦げ茶色のズボンを着せてみた。とても知的に見える。何となく必死に勉強している彼の姿が思い浮かんだ。
「これ、すっごい良い!」
琴子は花柄のタンクトップに短めの白いズボンという活発的な印象を際立たせる格好にしてみた。うん、すごく似合っている。
「琴子、これ大丈夫? 変じゃない?」
「唄乃、すっごく可愛いよ!」
「あ、ありがとう……」
唄乃は表情こそ変わっていなかったけど、恥ずかしがっているのか、頬が赤くなっていた。この子に着せたのは黄色のワンピースだった。個人的に一番似合っているような気がする。
施設内で患者服の恰好しか見ていない私にとって、とても新鮮な光景だった。外に出かけるため、真剣に考えて四人の服を選んできて良かった。
「さあ、みんなよく聞いて。これから二日間にわたって外に出かけることになるけど、必ず私のそばを離れないこと、私の言うことはちゃんと聞いてね」
「はーい!」
琴子や大地、良平は大きな声で返事したが、唄乃はまだ恥ずかしがっているせいか、黙って頷いた。
「さ、行きましょ!」
こうして私たちは施設の外に出た。
15
施設を出て、車で東舞鶴駅に向かう道中、四人はあらゆるものに興味津々だった。自分たちの乗る車、建ち並ぶお店や住宅、地平線の果てまで広がる青い海。私はその一つ一つを説明した。その時に自分が当たり前のように思っていることを、教えるのはとても難しいことに気づいた。それらは全てこの子たちにとって新鮮なものだったからだ。地下深くの閉じ込められた世界でずっと生きてきたこの子たちが今いる場所は全く別の世界そのものだった。
「絢音先生、絢音先生! あれは何!」
駅のホームに入ると、琴子が反対側に停まっている電車を指さした。
「あれがさっき言っていた電車ね。これに乗って町の中央のほうに向かうのよ。車よりスピードが出るわよ」
「えーすごい!」
「まじかよ! さっき乗っていた車よりも速いのか!?」
琴子と大地が目を輝かせながら言った。良平や唄乃は何も言わなかったけど、同じように目を見張っている。
「もうすぐ来るから、みんなこの黄色い線の内側で待っておくのよ」
「はーい!」
私たちはきちんと並んで電車が来るのを待った。
それから、東舞鶴駅から特急まいづる号に乗ることおよそ二時間。
京都市内の中心地、JR京都駅に到着した。中央改札を抜けて外に出ると、大勢の人々が行き来していた。金閣寺や清水寺などの有名な観光地に行くことが出来るバスターミナルにも多くの観光客が並んでいた。家電製品の店や郵便局などの建物が並ぶ中で目に止まったのはやはり町のシンボルでもある京都タワーだった。五十年以上前からあるけれど、何度か改修工事が行われたおかげで今もその姿を保ち続けている。
「すげぇ~! 人がたくさんいる~!」
「すごすぎて、言葉が出ない……」
大地と良平はそれぞれで目の前の光景に感動しているようだった。
「みんな色んな服着てる。あ、絢音先生、絢音先生、あの人たちすごく背が高いね。目も青くて綺麗」
「海外の観光客ね。京都は有名な観光地がたくさんあるから」
「海外?」
「私たちの今いるこの日本は海に浮かんでいる島で、その向こうにはもっと大きな国がたくさんあるのよ」
「へぇ~すごい! 海の向こうにも町があるんだね!」
琴子は目をキラキラ輝かせながら言った。
「……」
三人がそれぞれ感動している中で唄乃だけは何も言わずにぎゅっと私の手を握っていた。黙ってはいるけれど、行き来している人たち、建ち並ぶ建物、そのどれもが新しいものに見えたんだと思う。何年か一緒の時間を過ごしているうちにわかるようになった。
「どう、唄乃?」
「うまく言えないけど……すごいね、お母さん」
「ふふ……そうね」
思った通りの感想を聞けて、私は自然と笑った。
16
京都駅から地下鉄烏丸線の電車に乗り換えて十数分。私たちはそこから更に歩くこと三十分ほどの場所にある大宮交通公園に向かった。金閣寺や清水寺などの有名な観光地や京都水族館など、他にもたくさんの選択肢がある中で、あえてこの場所を選んだ理由の一つは、唄乃たちがとても楽しめるものがあるからだ。
「うおおおおお、すげぇ! おーい、置いていくぞ、お前ら~!」
「負けないよ、大地!」
公園の施設内の道路をゴーカートに乗って大地と良平が先を走っていく。この公園には信号機や横断歩道、標識の細かい説明が書かれた場所など交通の規則を学べるものがたくさん置かれている。その中で人気があるのはゴーカートだった。小学校三年生から一人で乗れて、偶然にも連れてきた子供たちがちょうどその年齢だった。京都の観光地を調べていた時にこれならみんな楽しく遊べると思って、ここに行こうと決めていた。
「あ~! 二人とも早すぎぃ!」
大地と良平に続いて琴子がゴーカートを操作してカーブを曲がっていく。そして……。
「お、お母さん、こ、怖い!」
「大丈夫よ、唄乃。車みたいにスピード出ないから」
最後尾に私の運転するゴーカートが続いた。隣の助手席には唄乃が座っている。どうしても私と一緒に乗りたいと言ったので、二人で運転することにした。けれど、車が苦手だったのか、唄乃は顔を暗くして、震えていた。
「で、でも……」
「目を開けてみなさい、唄乃。風が気持ち良いから。それにほら、空も綺麗よ」
「う、うん……」
唄乃はおそるおそる目を開けて、顔をあげた。
歩いてきた時は照り付ける太陽で暑かったけど、今はゴーカートで走っているおかげで涼しい風があって気持ち良かった。同じ気持ちになったのか、唄乃は「わぁ……」と感嘆の声をあげた。
「どう?」
「うん、涼しくて……空が綺麗だね」
唄乃は私のほうを見た。表情をあまり変えない子だけど、その時は控えめに笑ってくれた。
17
それから大地と琴子の要望で三周ほどゴーカートに乗って、他の遊具で遊び終えると時間は昼過ぎになっていた。私はみんなを連れて公園をあとにして、通りを南にしばらく歩いた場所にある今宮神社の前の移動した。神社の東門の参道で経営しているお店では『あぶり餅』というお菓子を食べることが出来る。これは一口サイズのお餅にきな粉をまぶし、竹串に刺して備長炭であぶり、白味噌のたれをつけたもので実は私自身一度食べてみたいと思っていた。唄乃たちと一緒にお店に入り、人数分のあぶり餅を注文してみんなで食べた。
「うめぇ~、こんなに美味いの今まで食べたことねえよ!」
「ん~~~~幸せ」
あぶり餅を口にした大地と琴子が表情をうっとりさせながら言った。
「ふふ、良平はどう?」
「……」
良平は何も言わなかったけど、目から涙を流していた。あまりの美味しさに感動しているようだった。無理もない。管理課の施設では決まった食事しか支給されないし、お菓子を食べる機会なんてほとんどなかった。だから、こういう機会を作れて本当に良かったと思う。
「お母さん、これ……」
隣に座っていた唄乃があぶり餅を食べながら私のほうを見た。
「美味しい?」
「……」
唄乃は何も言わずに黙って頷いた。とても美味しいのだろう。顔が少し笑って見える。
「嬉しそうね、唄乃。顔に出てるわよ」
「え、うそ? そ、そんなこと……ないわけじゃないけど」
普段、おとなしい唄乃が動揺しているのは初めて見た気がした。さっきのゴーカートの時もそうだった。もしかして、四人の中で色んな表情を見るのは唄乃が一番かもしれない。
「いっぱいあるから、たくさん食べていいわよ」
「……うん」
唄乃は顔を赤くしながら、次のあぶり餅を食べた。
「……」
辺りを見回してみたけど、吉住の姿はなかった。刀人のことを嫌っているのか、初めから唄乃たちと直接関わるつもりはないらしい。けど、及川の指示で監視をしているはずだから、どこかで見ているのは間違いないだろう。
監視……か。
周りから見てもこの子たちは普通の子供にしか見えないはずだ。みんなで笑って、思いっきり遊んで、美味しいものを食べている。こうした生活を送るのが当たり前のはずだ。そのはずなのに、ただ刀人というだけで……。
「絢音先生?」
「……え?」
気づくと琴子が私の顔をのぞき込んでいた。
「大丈夫? 何かぼうっとしてたよ」
「ああ、ごめん、ちょっと考え事してて……」
「あたしたちのこと考えてた?」
そう聞かれて驚いて目を見開いた。
「どうして?」
「ふふ、何となく」
琴子は小さく笑って、私の隣に座った。
「あたしまだ子供だからちゃんとはわからないけどさ、絢音先生が悩んでいることは何となくわかるよ。不安や心配になることはあたしだってあるし。あたし、お母さんやお父さんがどんな人なのか、全然覚えていなくてあの施設に入ったの。大地のおかげで元気になれたし、明るくなれたんだけどね」
そう言いながら琴子は大地のほうをちらりと見る。大地は良平とあぶり餅を美味しそうに食べていて、私たちが見ていることに気づいていないようだった。
「心のどこかで不安に思っているの」
「不安?」
「自分はどうして生まれてきたんだろう。あの地下深くの場所で、たぶん死ぬまであのままの状態でいるんじゃないかって。でも、そんな時に絢音先生が来た」
琴子が私のほうに視線を移した。
「絢音先生はあたしたちに色々な話をしてくれた。食べ物のことや乗り物のこと、アニメやゲーム、日本以外の国のこととか……どの話もすごく面白かった。訓練が辛い時でも、絢音先生から話を聞くのが楽しみで頑張れたんだよ」
「琴子……」
「だから、ありがとう、絢音先生。困ったことがあったら、もっとあたしたちのこと頼りにしていいんだよ」
琴子は明るく笑って言った。目の前にいる子はまだ幼い女の子だった。それでも、自分の考えをちゃんと話して、素直に気持ちを伝えてくれる。私よりもずっとしっかりしている気がした。
「そう言ってくれると嬉しいわ。こちらこそありがとう、琴子」
「えへへ、何か照れるなぁ」
「それじゃあ、今度は自分の気持ちをあの子にちゃんと伝えないとね」
「あの子……あっ」
琴子は大地のほうを一瞬見て、慌てて私のほうを見た。その顔がみるみるうちに赤くなっていったので、私はいたずらっぽく笑った。
「今夜のイベントに備えてバッチリ準備してきたわ。大地と良平、驚くかも」
「準備?」
首をかしげて聞く琴子と、それまで隣であぶり餅を食べていた唄乃もきょとんとした顔をする。私はまだ内緒という意味で人差し指を自分の口にあてた。
18
今宮神社であぶり餅を食べ終えた私たちはとある店の前に移動した。それから一時間ぐらい経つ。店の前で待っているのは私、大地、良平の三人だった。
「なあ、先生。琴子と唄乃のやつここで何してるんだよ? もう結構時間経つぞ」
「こういう時、女の子はちゃんとした格好でいくものなのよ、大地」
私がそう言うと、大地は首を傾げたが、やがて何かに納得したかのように言った。
「やっぱ、すげえよ、先生は」
「私が?」
そう聞くと、大地は両手を頭の後ろに回して、別の方向を見た。夕日が町を囲むように連なる山々の背後に沈みかけている。
「だって、俺あきらめかけてたよ。このまま一生、外の世界に行けないまま死んでいくんだって。どこかで割り切ってた。けどさ、こうして先生に連れてきてもらえてわかったんだよ。ゴーカートがあんなに楽しい遊びなんだって、あぶり餅がめちゃくちゃ美味しい食べ物なんだって、実際に見る夕日がとても綺麗なんだって。こんな経験をするなんて夢にも思わなかった」
大地はにっと笑った。
「先生は今まで会った大人とは違う。こんな楽しい思い出をたくさんくれて、ありがとな。また連れてきてくれよ」
琴子に続いて大地まで……。こんなにお礼を言ってくれるなんて思っていなかったので、とても嬉しかった。
「ええ、もちろんよ」
「先生、大地、二人が出てきたよ」
良平の言葉を聞いて、店の入り口のほうを見る。すると……。
「お、お待たせ~」
「こんな格好、恥ずかしい……」
琴子と唄乃が顔を赤くしながら出てきた。二人とも施設を出てきた時の私服じゃない。夏のイベントに似合う浴衣姿だった。
琴子は薄いピンク色の上で赤と青の金魚が泳ぎ回っている模様の着物を着ていた。黄色の帯締め、頭につけた白い髪留めも似合っている。
「……」
唄乃は何も言わずに立っていた。彼女が着ているのは紺色の着物だった。白い花の模様が入っていてピンク色の帯締めをしている。普段おろしている長い髪は赤い花の形をした髪留めで結んでいる。
二人とも本当に綺麗で可愛かった。
「お二人さん、感想は?」
私はにやにや笑いながら大地と良平を見た。
「すごい……二人ともすごく綺麗だと思うよ」
良平はとても感動したのか、目をキラキラさせながら言った。
「……」
一方で大地は何も言わなかった。ただ、その視線は琴子のほうに向いてる。
「大地?」
琴子がその視線に気づいて恥ずかしがる。
「へ、変……かな? そんなにじろじろ見ないでよ」
「……い、いいんじゃねぇの」
ぼそっと大地がつぶやいた。その頬が少しだけ赤くなる。多分、照れてるだけで大地も琴子が綺麗だと思っているんだろう。私はホッとした。けれど……。
「唄乃?」
ふと、唄乃のほうに視線を移すと、何か違和感をおぼえた。どこか暗い目、寂しいような、悲しいような、負の感情が垣間見える目だった。
「唄乃、どうかしたの?」
「……ううん、何でもない」
唄乃は首を横に振った。
「それより、お母さん。これからが本番だよね、琴子の」
「そうね」
唄乃の違和感が気になったけど、とりあえずそれは頭の隅に置いといて、視線を琴子と大地のほうに向けた。照れ隠しか、二人とも顔を赤くしたまま、お互いに顔を背けている。
集中、集中。今は琴子のことを応援しないと。
19
五山の送り火は毎年八月十六日に京都市左京区のある如意ヶ獄、通称大文字山で行われる。
私は唄乃たちを連れて地下鉄烏丸線の電車で丸太町駅に移動した。ここから歩いてすぐの場所にある京都御苑は送り火を鑑賞できる人気スポットだった。夜の八時から点火される予定だけれど、日が暮れ始めてから既に大勢の人が鑑賞に来ていた。
「昼間の京都駅の時もびっくりしたけど、ここもすごいね。こんなにたくさんの人がいるなんて」
琴子が辺りを見回してつぶやいた。
「ここの敷地内はとても広いからたくさん人がいても、そこまで窮屈にはならないわ。事前に調べておいたから」
「やっぱり絢音先生はすごいよ」
「琴子、自分の気持ちを伝えるならこの場所が良いかもしれないわ」
「自分の気持ち……」
私の言葉を繰り返して琴子は前のほうを見る。大地が一人で大文字山のほうを見ていて点火されるのを待っているようだった。
「でも、もし大地に嫌われたら……」
「何言ってるのよ、琴子」
隣に立っていた唄乃が呆れたように息をついた。
「それは言ってみないとわからないじゃない。初恋なんでしょ? 好きな気持ちどんどん強くなったんでしょ? ずっと言いたかったんでしょ?」
既に答えがわかっているように唄乃が質問を重ねた。琴子はそれらの質問に応えるように何度も頷いた。
「ここで言わないと後悔するのは琴子自身だよ。言わないまま我慢し続けるよりも、思い切って伝えたほうが良いよ。大地も真剣に応えてくれるはずだから」
「うん……ありがとう、唄乃、絢音先生。あたし、頑張る」
琴子は私と唄乃にそれぞれお礼を言って大地のほうに向かって歩いていった。
「まったく……あんな明るくて元気なのに、いざって時は心配性なんだから」
唄乃がやれやれといった感じで腰に手をあてた。
「うまくいくといいわね、あの二人……」
「心配することないよ、お母さん」
「え?」
唄乃の言葉に驚いて彼女のほうを見ると。前のほうを歩いていく琴子の背中をじっと見ていた。
「やっぱり……敵わないな、あの子には」
20
唄乃と絢音先生の応援を受けて、あたしは前で山のほうを見ている大地のところに向かった。顔が熱い。胸の高鳴りも止まる気配がない。
緊張してるのかな……あたし。
初めて刀人の力を使った時や訓練の時もドキドキしたけれど、その時の緊張とは違う気がした。不安も心配もある。けれど、唄乃の言っていた通り後悔はしたくなかった。
「大地」
「ん? ああ、琴子か……」
大地は視線をあたしのほうに移した。
「暑くねえのか、それ?」
「昼間だったら大変だったかもしれないけど、今は夜だからね……」
「そっか……」
そこで会話が途切れてお互いに何も言わなくなる。施設の中では喧嘩することがしょっちゅうでよく絢音先生に怒られたけど、ちゃんと大地と話をするのは初めてだったかもしれない。
何か言わないと……。
そう思って口を開きかけたその時だった。急に目の前が明るくなった。ずっと薄暗い場所に立っていたので少し眩しくなる。
「すげぇ……」
「……」
隣でつぶやく大地と違ってあたしは何も言えなかった。山のちょうど真ん中辺りから大きく『大』の字の形をした炎が灯った。絢音先生の見せてくれた雑誌で写真は見たことがあるけれど、実際に見るのとは全く違った。綺麗でまぶしかった。辺りは暗くなっていたのに突然目の前に太陽が現れたような感じだった。感動で言葉が出なかった。
「俺、生きてて良かったよ」
「え?」
横を見ると、大地は大文字の送り火を見たままだった。
「刀人になって、親の顔も何にもわかんねえままで、無理やりあの場所に連れてこられて、何で俺生きてるんだろうって思ってた。どうせ、あそこからは二度と出られねぇんだって」
大地が視線をあたしのほうに移した。
「けど、吉丘先生のおかげで今日、めっちゃ楽しい思い出ができたよ。それに……」
何かを言いかけて大地は口を閉じた。
「それに?」
「……」
なぜか大地は目を左や右に泳がせていた。だんだん顔が赤くなっているような気がした。
「普段と違う姿の琴子が見れて……良かった。似合ってるじゃん」
「……!」
心臓の鼓動がさらに早まった。身体に熱がこもる。けど、今なら……。
「大地、あたし……大地のことが好き」
「……え?」
大地は驚いた表情をした。
「び、びっくりした?」
おそるおそる聞いてみると、大地は視線をそらして指で頬をかいた。
「そりゃあ……な?」
「何であたしに聞くのよ?」
「いや、だって……な?」
「また……」
そこで会話が途切れる。でも、そのあとにあたしは我慢できなくなって笑ってしまった。大地のほうも吹き出した。いつもの雰囲気だった。喧嘩することもあるけれど、お互いにふざけて笑い合うのなんて日常茶飯事だった。
「いや、悪い。何か緊張してたのが馬鹿らしくなってよ」
しばらく笑った後に大地が言った。
「あたしも。何年も一緒だったのに今さらね」
「けど……」
大地はあたしのほうに歩いてきて、手を握ってきた。
「ありがとな、琴子。俺も……好きだ」
「……あたしでいいの?」
「お前こそ、俺でいいのかよ?」
「うん」
「……俺も」
お互いに見つめ合って、また笑った。それから手を繋いだまま、あたしたちは大文字山のほうを見た。
21
「ほら、だから言ったじゃない。あの二人なら心配いらないって。大地からも相談受けてたから」
「そうだったのね……」
琴子と大地が手を繋いでいるのを遠目で見つつ、唄乃がつぶやいた。
「大地も何日か前に琴子に告白したいだって。きっかけは初めて話をしたあの日、琴子がいじめられていた時に助けたってところ。あの時に、大地も琴子のことがほうっておけなくて気づいたら身体が勝手に動いてたって」
「じゃあ、最初から両想いだったってことね」
「そういうこと」
唄乃はため息をついた。
「私の入る余地なんてなかった。琴子には敵わないって最初からわかっていた。自分の好きな人が他の誰かのことをすごく好きなら、応援するものだよね、お母さん?」
「唄乃……」
それを聞いて私はようやく唄乃が時折見せた違和感に気づいた。唄乃もきっと大地のことが……。
「だから……これでいいんだよね、お母さん?」
「……」
私は何も言わずに唄乃の肩に手を乗せた。唄乃は私のお腹のあたりに顔をうずめた。声は聞こえなかったけど、何となく泣いているのがわかった。
その日はほんの短い一日だったけど、私にとっても、唄乃たちにとっても特別な日になった。たくさん遊んで、笑い合って、素敵な恋をして、辛いことがあって涙を流した。今日の時間を私は一生忘れないだろう。いつか、またみんなを外の世界へ連れていきたいと、心の底から思った。
22
「吉住です。ええ、朝からずっと監視していましたが。感情のコントロールは順調のようです」
京都御苑の入り口の通りの近くで、吉住はスマートフォンに耳をあてて誰かと連絡を取っていた。
「この調子だと、数年後には例のテストの対象にすることが出来るかと思います」
淡々と、感情を見せず、何かの読み物を朗読するかのように報告を続ける。
「結果はどうあれ、私たちの計画を進めることは出来るでしょう。この世界で犠牲なんて当たり前ですから。では、明日予定通りに帰ります」
言い終わって吉住は電話を切って、広場のほうを見る。
「しっかり目に焼き付けておくんだな。お前たちはもう二度とこの光景を見ることは出来ない」
大文字山の炎は辺りを照らし続けた。だが、やがて終わりは来てしまう。その日の時間も、彼らの幸せな日々にも。
第十九話 管理されるもの




