第十八話 選んだ答え
第十八話 選んだ答え
1
この日記を読んでいるあなたへ。
あなたが私の知っている人なのか、どうか、私自身にはわかりません。もしかしたら、私の友人かもしれないし、遠く離れた場所にいる名前も知らない人なのかもしれない。あるいは、私の生きている今の時代よりもずっと未来にいる人かもしれない。いずれにしても、私にはあなたが誰なのかはわかりません。
でも、あなたには知ってほしい。私のことを。私が見てきたものを。私と一緒に過ごしてきた大切な人たちのことを。
私の、吉丘 絢音の歩いてきた道を。
2
2021年、二月。関東地方、湯田月市。
深夜の時間帯になっても都市部の人通りが絶える気配はなかった。無数に建ち並ぶ飲食店の前では大勢の客を引き入れようと呼び込みの声が聞こえ、通り過ぎていく人たちの話し声や車の通りすぎる音が重なって活気にみなぎっている。
そんな賑やかな表通りに対して路地裏は物静かな雰囲気に包まれていた。建物の明かりも差し込まず、所々に立つ電灯だけで照らされているため、とても薄暗い。
「くっ! はあ、はあ!」
そんな路地裏の道を息を荒くしながら走っている男がいた。男は入り組んでいる道を闇雲に逃げているようだった。
「待ちなさい!」
私は両手で拳銃を握りしめながら、その男のあとを追っていた。男の素性はわかっている。以前から何件かの銀行強盗を起こして指名手配されている真壁 浩一という男だった。
真壁は時々私のほうを振り返りながら、路地裏の先を進んでいく。
私は真壁を見失いようにしながら、そのあとを追った。後ろから何人もの警官があとに続く。
「ちっ!」
真壁は何度も舌打ちしながら、路地の奥へ奥へと進んでいくが、私が彼の姿を見失うことはなかった。この町で暮らし始めて九年近く、何度も事件の捜査であちこちを歩き回っていた私はこの町の構造を熟知していた。
しばらくして路地裏の一番奥まで逃げ続けた真壁の足が止まった。その先は三方が高い壁で覆われていて行き止まりだったからだ。
「真壁、観念しなさい!」
追い詰めた私は拳銃を構えて、銃口を真壁に向けた。
「くそ、冗談じゃねえ。こんなところで捕まってたまるかよ! せっかく、せっかく手に入れた力だ! 俺は自分のやりたいようにやるんだ!」
言い終わった途端に真壁は右手に日本刀を出して切りかかってきた。これまでの捜査から真壁が刀人であることはわかっていた。だから、彼の追跡に特捜課も参加していた。
「どけええええ!!」
大声で叫びながら真壁は正面から切りかかってきた。私は素早くその攻撃を避けて、拳銃のグリップで真壁のうなじのあたりを叩いた。
「くっ!」
一瞬怯んだ隙に足を払って、うつ伏せに倒し、真壁の左手を後ろに回して抑えつけた。
刀人との戦いはこれまで何度も経験してきた。その動きにはある程度のパターンがあり、それさえ覚えていれば私でも対処することが出来た。
「ちくしょう、離せえええ!」
「雄二くん、手錠を早く!!」
「はい!」
そう言うと、スーツ姿の中西 雄二くんが後ろから駆けつけてきて、私の抑えつけていた真壁の両手に手錠をかけた。そのあとから他の警官たちも追いついてきた。
「真壁 浩一、連続殺人容疑であなたを逮捕します!」
深夜の路地裏で指名手配されていた刀人の追跡劇はこうして幕を閉じた。
3
翌日。
夕方の時間帯。私は雄二くんの運転する車に乗って湯田月署に向かっていた。
「昨日の事件、無事に解決出来て良かったですね。やっぱり吉丘さんはすごいですよ」
「そんなことないわ。雄二くんもすぐに慣れるわよ」
「いえいえ、普通の犯人を捕まえるのと、刀人を捕まえるのとでは緊張感が全然違いますよ。それを考えれば、吉丘さんはいつもしっかりしていて、ずっと特捜課で刀人の事件を捜査していて、本当に俺、尊敬していますよ。親父が聞きたがるんで、吉丘さんの話よくしていますよ」
「中西さんは元気にやってるの?」
「ええ、出所して二年経ってますけど、ちゃんと仕事見つけて働いてますよ。最近、忙しいですけど、夜ご飯は親父と一緒に食べるようにしてるんです」
「そう……良かったわ」
「吉丘さん、今度会ってあげてくださいよ。親父、きっと喜んでくれます。顔に出すかはわからないですけどね」
「そうね、近いうちにお邪魔しようかしら」
「ぜひ、お願いします。親父にはあえて何も言わずに来るのはどうですかね? どんな反応するでしょうか。驚いた親父の顔も見てみたいですね」
「ちょっと雄二くん、それはいじわるよ」
「はは、すいません、すいません」
苦笑いを浮かべながら雄二くんは謝った。初めて会った頃の彼からは想像できないくらいに、彼は冗談をよく言ってくれる。性格も明るくなったし、まだまだ新米ってところもあるけど、将来はしっかりした刑事になってくれると思う。
初めて会った頃……。
ふと、窓の外に視線を移す。町の中央に建つ湯田月タワー。半壊していたそのタワーは完全に修復され、元の姿に戻っている。あの時のことを忘れている人も多いかもしれない。
「あれからもう七年……か」
4
「昨夜はご苦労だったな、吉丘、中西」
「私は当然のことをしただけです、寺島課長」
署に到着した私と雄二くんは、七年前の事件で亡くなった菅原さんに代わって新しく特捜課の課長になった寺島課長に、真壁逮捕の報告書を出した。
「中西、配属されてまだ日も浅いのに、吉丘によくついていると思う。これからも期待しているぞ」
「そんな、自分なんかまだまだですよ。でも、吉丘さんや課長に迷惑かけないように頑張ります」
慌てて首を振りつつ、雄二くんは次の捜査へ意気込むように言った。本当に人ってこんなに変わるのかと改めて思った。
「うむ、期待しているぞ。中西、昨夜の活躍を褒めた直後で悪いが席を外してくれないか? 吉丘と話したいことがある」
「え? はい。わかりました」
雄二くんは少し首を傾げたが、すぐに頷いて部屋を出て行った。
「さて、吉丘。私の話したいことが何かわかるか?」
ドアが閉まったのを確認して、寺島課長が机の前で両手を組んで聞いてきた。雄二くんに聞かれたくない話となると、最近の動きから一つしか思い浮かばなかった。
「以前、お話していた管理課のことですね?」
「そうだ。特捜課に成り代わり、刀人の事件の捜査ではなく、その管理を徹底することへ主旨を置いたMEP管理課のことだ」
MEP管理課。その存在は以前から何度か聞いていた。
七年前の2014年。家族の復讐を続けていた黒刀こと音坂 稜。彼の個人的な復讐は、私たち特捜課をはじめとする警察への報復を企む刀人の組織『アゲハ』の暴動を誘発することになり、大勢の犠牲者を出した。あの後も刀人による事件が途絶えることはなく、私の所属する特捜課や第一課は懸命に事件解決に取り組んでいた。けれど、近年になって新たな問題が発生してしまった。
それは逮捕された刀人たちの生活管理だった。私たち警察が捕まえるのは刀人だけじゃない、刀人の能力を持たない人も大勢、逮捕される。その人数のほうが多いくらいだ。
これまで普通の人たちと刀人たちが同じ施設に収容されないように配慮されてきたけれど、数年前からその状況に限界が迫りつつあった。明らかに刀人たちを収容する場所が不足してきていた。このまま行けば、普通の人たちと同じ施設へ収容しないといけなくなる。そうなれば、事態の混乱を避けることはできない。
そこで立ち上げられたのがMEP管理課だった。刀人の事件の捜査を専門にしていた特捜課とは異なり、今後刀人たちが問題を起こさないように彼らの生活を管理することを専門にする組織。既に主な都市部には管理課が配置されており、実験的ながらもその活動は始まっているらしい。
「アリナキサス。人間を刀人に変えることの出来る薬品。その開発に専念していた音坂 成二のことは知っているな?」
「一度お会いしたことがあります」
「彼の研究データによって刀人に関するあらゆるデータが揃った。それを元に刀人の生活を管理しているのが管理課だ。私も話に聞いた程度だが、将来的に犯罪の有無に関わらず刀人は全て彼らの監視下に置かれることになる。刀人に生まれた者、全てだ」
「生まれた者全て……。大人だけでなく子供も含まれているってことですね」
「そういうことになる。だが、管理課の実態は他の課には厳重に隠されている。無論、特捜課も例外ではない。刀人の捜査を専門にしている我々でも、その詳細はわからないのだ」
「……」
「そんな管理課から君に異動してきてもらいたいと要請を受けた。刀人の知識が豊富で、何より七年前の黒刀事件を経験している君に」
「……私にはまだ決めかねます」
寺島課長に私は頭を下げた。
「もちろん、すぐに決断しろとは言わない。吉丘にとっても重要な事なのはわかっている。だが、私は君にぜひ管理課に異動してもらいたいと思っている。君には知る権利がある。今の刀人たちがどう生きているのか、それを見届ける権利が」
寺島課長が強めの口調で言ったけど、私はすぐに返事が出来なかった。
管理課の活動に興味がないわけじゃない。けれど、特捜課を離れれば……。
私は糸井さんの墓の前で誓ったあの約束を破ることになる。
5
署の外に出ると、夕日が沈んで辺りはすっかり暗くなっていた。空からは小さな雪がぽつぽつ降り始めていて、冬の寒さを強く感じる。脱いでいた灰色のコートを羽織り、赤紫のマフラーを巻いて私は正面の階段を降りた。
「あ、吉丘さん!」
ふと声が聞こえてきてその場に立ち止まる。階段を降りた先に雄二くんが待っていた。その隣には……。
「吉丘さん、お久しぶりです!」
「久しぶりね、紗栄ちゃん」
雄二くんと交際している赤月 紗栄ちゃんが立っていた。
「署の外で吉丘さんを待っていたら、仕事帰りの紗栄とばったり会いまして、二人で待ってたんですよ」
「運が良かったら雄二さんと会えるかなぁって思ったら、本当にいたんですよ。ふふ、今日の私はラッキーです」
そう言いながら紗栄ちゃんは雄二くんの腕にしっかりとしがみついた。
「お、おい、紗栄。人前でいきなり……!」
「うふふ、照れなくても良いですよ、雄二さん。あ、吉丘さん、良かったら三人でご飯食べに行きませんか? 吉丘さんさえ良ければ」
「いいわね。今日はもう家に帰るだけだったから」
「やったー! じゃ、行きましょう!」
こうして私は二人と一緒に町の通りを歩き、季節風と呼ばれる居酒屋に入った。
この店は糸井さんと二人で行った最初で最後の店だった。あの時はお酒に酔って恥ずかしいところを見せてしまった。何だか懐かしい気持ちになった。
「それで吉丘さん、雄二さんはちゃんと仕事やってますか?」
程よくご飯を食べ進んだところで紗栄ちゃんが聞いてきた。
「おい、紗栄。俺はちゃんとやってるぞ。この仕事に就いてもうだいぶ経つからな」
「えー本当ですかぁ?」
「なんだ、その顔は!? やめてくれぇ~」
「うふふ、大丈夫よ、紗栄ちゃん。雄二くんはしっかりやってくれてるわ」
「そうですか~、良かったですね、雄二さん。吉丘さんに褒めてもらえて」
「う……もう恥ずかしいからやめてくれ、紗栄」
「ふふ、照れてる雄二さん、かわいい~」
「かわいいって言うなぁ~!」
自然と笑みがこぼれてしまう。押しの強い紗栄ちゃんに振り回されつつも、それを受け入れてる雄二くん。二人を見ていると、本当にお互いのことを想っているんだなって感じた。黒刀事件で大切な人を失い、心に傷を負った彼が大学生になって、同じ学生だった紗栄ちゃんと出会い、今のような明るさを取り戻してくれて、本当に良かった。
でも、心のどこかで安堵している自分とは別に二人のことを羨ましいと思っている自分もいた。
「……」
幸せな道を歩こうとしている雄二くんたちに比べて、私はどうだろう……。
6
雄二くん達と別れた後、私は一人で暮らしているマンションに帰った。階段をあがり、廊下を歩いて自分の部屋にたどり着き、玄関のドアを開けるとその日の疲労感が一気に押し寄せてきた。
「ふぅ……」
手にした荷物を置いて、奥の部屋にあるベッドの上に背中から倒れ込む。すぐにシャワーを浴びるつもりだったけど、何だか起き上がる気力もなかった。
「……」
自分が一人暮らしをもう一度することになるなんて考えていなかった。少なくとも二年前に婚約したあの時の自分は。
三年前にお見合いで会った彼がいた。とても誠実で良い人だった。私の仕事を応援してくれていたし、支えになってくれていた。結婚する時も確かな幸せが私たちの間にあった。
けれど、ある時、彼に特捜課の仕事をやめて欲しいと言われた。
「毎日、毎日、死ぬかもしれない仕事を続けていてさ、絢音は大丈夫なのか? 大切な人をいつ失うのかわからない俺の不安がわかるか? 何で、そんな死に急ぐような真似をするんだよ」
仕事に没頭しすぎていたせいかもしれない。日頃の不満が限界に来て彼にそう言われたのだ。
死に急ぐなんて……そんなこと一度だって考えたことはない。私はちゃんと信念を持って特捜課の刑事をしている。
似たようなことを彼に言ってから、私たちの心は離れてしまった。それがたった一年の結婚生活となっしまったきっかけになった。
離婚して以来、私は一人で生活を始めた。新しい相手を探す気持ちにはなれなかった。
どれだけ優しい人でも、私の生き方を知れば、私の身を案じてくれるに決まっている。そうなったら別れた彼の二の舞になるのは明らかだった。結果が同じになるなら誰かと一緒になる生活は諦めたほうが良いかもしれない。
そんな考えに至ってしまった要因は他にもあった。
7
次の日の休み、私は車である介護施設に向かった。
NPO法人『アサガオ』。五年ほど前から活動を始めている介護福祉団体で、大勢の高齢者の介護に尽力し、最近は親に捨てられた孤児も預かっている。私がこの施設を訪れるのには大きな理由があった。
車を駐車場に停めて外に出る。冬の寒さは肌に染みるけど、何年もこの町で暮らしていたからもう慣れた。けれど……。
「……」
「絢音さん?」
正面玄関の近くで立ち止まっていると、誰かの声が聴こえてきた。玄関のそばにある花
にじょうろで水をあげていた女性が私を見ている。短めの黒い髪に焦げ茶色の縁のメガネをかけていた。
「おはよう、詞歩子」
「おはようございます!」
彼女、秋野 詞歩子はアサガオで働いている職員で、二年ほど前に知り合った。真面目でよく働く子で、たまに二人で外食に行くこともある仲だ。
「今日も来てくれたんですね、ありがとうございます」
「お礼を言うのはこっちのほうよ。詞歩子にはお世話になりっぱなしだわ」
「そんなことありませんよ。吉丘さんは毎日仕事で忙しいのに、よく来てくれて……私には大したこと出来ませんし……」
話しているうちに詞歩子の声の調子が段々低くなっているような気がした。
「どうかしたの?」
「あの、絢音さん。あの人は……」
「……今日も?」
詞歩子の言おうとしていることがわかって先にそう聞くと、彼女は黙って頷いた。
「一緒に来てくれる?」
「もちろんです」
詞歩子はすぐに答えて、手にしたじょうろを片付けて、私を施設の中へ案内した。四階建てのこの施設には大勢の高齢者が介護生活を送っている。数十人の職員が日勤夜勤交代制で二十四時間、食事、リハビリ、入浴などの日常生活のサポートを行っている。介護の仕事がとても大変なのは聞かなくてもわかっていた。将来的に私自身も迷惑をかけることになるかもしれない。けれど、それは数十年先のことだと思っていた。
「どうぞ」
「ありがとう、詞歩子」
詞歩子の案内を受けて、三階の一番奥にある部屋にやってきた。部屋の表札に書かれている名前の中に『吉丘 紫』があった。そう、ここには私の母親が暮らしている。
部屋に入ると、いくつかベッドが設置されていて、母は窓際のベッドで横になっていた。
「……」
お母さんは目を閉じてぐっすり眠りに入っていた。すっかりやつれた顔や細々とした手は相変わらずで、何も変わっていない。
「落ち着いているみたいね」
「ええ、薬の投与が効いているんだと思います」
詞歩子は申し訳なさそうに私に言った。
「絢音さん、ごめんなさい。私たちのせいでこうなる道しかなくて……」
「何であなたが謝るのよ、詞歩子。あなたのせいじゃないわ」
そう詞歩子のせいなんかじゃない。お母さんを今の姿にした一端は私だから。
8
元々、私とお母さんは仲が悪いわけではなかった。小さい頃からお母さんは私に誕生日プレゼントをくれたり、遊園地に連れて行ってくれたりしていた。私もお母さんをがっかりさせないように、必死に勉強して学校で良い成績を取るようにしていた。だから、私の家族は世間でよく聞く家庭内暴力みたいな問題が起こることはなかったし、本当に平凡な毎日を送っていた幸せな家族だったと思う。
けれど、刑事だった父がある事件で殉職して以来、私たちの関係は変わった。我が子を失いたくないとばかりに、お母さんは私に過保護な態度を取るようになった。だから父と同じ刑事を目指すと決めた私のことを、お母さんは自分に反発しているように思ってしまったんだろう。
「どうして……どうして絢音まで自分で死ぬような道を選ぶの! 私はあなたのためを想ってるのに!」
家を出て行く直前に、お母さんが何度も口にした言葉だ。過保護なお母さんに不満を募らせていた私は、実家を離れて湯田月の町に来て、特捜課の刑事になった。それから実家に帰ることも連絡を取ることもないまま、お母さんとは疎遠になっていた。
でも、黒刀事件が終わってから数年後、近所で暮らしていた人から、お母さんの容態が急変したと聞かされて、流石に無視することは出来なかった。
実家に戻った時に見たお母さんはすっかり変わり果てた姿になっていた。酷くやつれて、髪は白く染まっていて、本当に生きているのかどうか、疑ってしまうくらいに弱っていた。
詳しい話を隣近所の人から聞いたところ、お母さんは私が家を離れて以来、ずっと一人で孤独に暮らしていたらしい。たまに家から暴れるような音や泣き叫ぶ声が響き渡ることもあったとも言っていた。
誰かが面倒を見ないといけない。
親戚の人たちはそれを嫌がり、拒絶した。必然的に一人娘である私がお母さんのことを見ないといけなくなった。でも、特捜課の仕事をしていたらそんな余裕はない。だから、このアサガオの施設に彼女を預けることにしたのだ。施設に預ける費用は母のもらっている年金と私の給料で何とか維持出来ている。
「……」
預けたばかりの時のことを今でも覚えている。お母さんは身体こそ弱っていたけど、意識はあった。私を一目見た瞬間にその表情が怒りで歪んだ。
『こんな場所に私を閉じ込めてどうするつもりよ!? あんたみたいな親不孝な娘のせいで! 私だけがどうしてこんな目に遭わないといけないの!』
今まで溜まっていた憎悪の込められた言葉と、手を差し伸べようとした時にばしっと払われたことも多分、これから先、何年も私の頭の中に残り続けるだろう。
「多分、お母さんはもっと私に言いたいことがあるんだと思う。親不孝なことをしてきたのは事実だし、自分の愛していた娘にそんな態度を取られたら嫌だと思う気持ちわかるから……」
「そんなに自分を追い込まないでください、絢音さん。結局、薬を使わないといけなくなった責任は私たちにもありますから」
詞歩子が顔を下に向けて謝る。さっきからお互いに謝ってばかりで苦笑いを浮かべてしまった。
「……」
離れていった彼、自分を拒絶した母親、進むべき道がわからない現実。そういった様々な要因が私の生きている意味をわからなくしているような気がした。
9
湯田月市の都市部から離れた小高い丘。私はそこに並んでいる墓地の間を歩いていた。毎年二月になると必ず訪れるこの場所。すっかり見慣れてしまったせいか、初めてここに来た時から時間が止まっているような気がした。
私はしばらく歩き進んで一つのお墓の前で立ち止まった。
「お久しぶりです、糸井さん」
お墓の下で眠るかつての上司に話しかける。もちろん返事なんてなかったけど、私はいつもこの一年何があったのか、彼のお墓に報告するようにしていた。
「もうすっかりあなたの歳を超えてしまいました。あれから七年……七年経ちましたよ」
しゃがみこんで、花を置いて、手を合わせた。糸井さんの真剣な顔、困っている顔、笑っている顔が思い浮かんでは消えていく。
糸井さんは親友だった音坂 稜を助けるためにいつでも必死だった。僅かな手がかりでも時間を惜しむことなく調べていたし、刀人たちが相手でもいつも立ち向かい、私が危機に陥った時も勇敢に助けてくれた。
『心配するな。必ず戻るよ』
怪我をして動けなくなった私の頭を撫でて、湯田月タワーに向かって走っていく糸井さんの後ろ姿。あの時の手の温もりと共に忘れないようにと心に決めていたけど、年月が流れていくとどうしても記憶が薄れてしまう。
迫り来る決断、これからの特捜課、そして刀人たちのこと。考えないといけないことが多くて正直なところ疲れていた。
「糸井さん、私どうすればいいんでしょうか……。刀人たちの未来を見守るのか、あなたの意思を継ぐのか、私、迷っています。あなたとの約束を破るつもりはありません。けれど、わからないんです。何が正しいのか、何が間違っているのか……私、私は……」
「もしかして……吉丘か?」
自分の迷いを呟いていると、そばから声が聞こえてきた。視線を移すと、私のよく知っている人が立っていた。
「中西さん……」
「久しぶりだな」
そこに居たのは中西 英樹さんだった。雄二くんの父親であり、黒刀事件を共に捜査したこともあった。事件の最中に起こったある出来事で警察に捕まり、数年前に服役を終えて、一般の工場で働いていると雄二くんから聞いている。
「仕事が忙しくてな。糸井の墓参りに来るのも三年ぶりぐらいだ」
中西さんは手にした花を糸井さんのお墓の前に置いて、しゃがみこみ、手を合わせた。
「あれからもう七年か……。時の流れは早いもんだな」
しばらくして目を開けると、しゃがみこんでいた中西さんが腰をあげた。
「吉丘、この後何か予定あるか?」
「いえ、特には……」
「良かったら家に寄らないか? お茶ぐらいは出すぞ」
「いいんですか?」
「何か積もる話がありそうな気がしたんだけどな」
苦笑いを浮かべながら中西さんが私の方を見た。どうやら、見破られていたようだった。
「では、おじゃまさせていただきます」
10
中西さんの運転する車に乗って、私は彼の住んでいるマンションに着いた。ここに来たのは七年前、行方不明になった中西さんの手がかりを探すために来たあの日以来だった。雄二くんが木出拓馬に薬を打たれて、容態を悪化させてしまい、そんな彼を助けるために中西さんは罪を犯した。あの時のことは今でもちゃんと覚えている。
「コーヒーで良いか?」
「はい、頂きます」
リビングの中央にあるテーブルとそれを挟む形で置かれている四つのイス。私はその一つに座った。中西さんはキッチンでコーヒーをコップに入れてテーブルの上に置くと、私の対面に座った。
「誰かを家に招き入れるのは雄二が紗栄を連れてきて以来だ」
「そうなんですか?」
「ああ。緊張していたけどな。雄二のほうが顔真っ赤にしながら『俺たち結婚するから』って言ってたのは一生の思い出になる」
中西さんはコップに口をつけてコーヒーを飲んだ。
「俺はもう刑事でも何でもない。けど、大体の事情は察しがつく。特捜課で何か大きな動きがあったんじゃないのか?」
「……雄二くんから聞いたんですか?」
「否定はしない。だが、雄二も詳しい事情は知らないって言ってた」
「そうですか……」
私は手元にあるコップを握りしめて、以前から言われている寺島課長の話をかいつまんで説明した。
「……MEP管理課か。前から気にはなってたが、やはり刀人の生活を監視する組織は出来ていたか」
私の話を聞き終えた中西さんはそう言って、もう一度コーヒーを飲んだ。
「木出拓馬の率いる『アゲハ』が壊滅し、黒刀が行方不明になったからと言って、刀人による犯罪が減ったわけじゃない。刀人は今までもこれからも存在し続ける。そして、刀人として生まれてくるやつも。そうなってくると、管理課みたいな組織が出来るのも必然だろうな」
「そうですね……」
「吉丘」
中西さんは手にしたコップをテーブルの上に置いて私の名前を呼んだ。
「管理課に行くのか、はたまた特捜課に留まるのか、これは俺や他の誰かが決めることじゃない。吉丘、お前自身が決めることだ」
「……わかっています」
「糸井との約束を破るかどうかじゃない。お前がどうしたいかで考えるべきだ」
「!」
「雄二も辛い目に遭ってきたが、あいつはあいつなりに自分の未来を見定めて進んでいる。吉丘にも出来るはずだ」
中西さんは笑みを浮かべた。今度は苦笑いじゃなくて、純粋に笑っている顔だった。
その言葉を聞いて気付いた。中西さんの言うとおり、わたしはいつの間にか糸井さんのお墓の前で誓った言葉に依存していたのかもしれない。いつでも前に向かって歩いていく彼の背中をずっと追い続けた私は、自分自身でどうすればいいのか、考えないようにしていたのかもしれない。少し思い返せばわかることを、私はあの事件の時からずっと目を背けていた気がした。
「俺はもう歳をくいすぎた。老いたやつに意見を聞いても仕方ないだろ」
「いえ、話を聞いてくれただけでもすっきりしました。ありがとうございます」
「そうか。なら、良かった」
中西さんが安心したように息をつく。その時、インターホンの音が鳴った。
「ああ、ちょうど良かった」
椅子から立ち上がった中西さんが玄関に向かい、ドアを開ける。私もそのあとに続いた。
「ただいま、親父」
「お久しぶりです、お義父さん」
そこにいたのは雄二くんと紗栄ちゃんだった。二人とも片手に肉や野菜の入ったスーパーの袋を手にしている。
「あれ、吉丘さん来てたんですか!」
雄二くんがすぐ私に気づいた。
「お邪魔してたわ」
「ちょうど良かった。今日、三人でちゃんこ鍋しようと思ってたんです。吉丘さんも食べましょう!」
紗栄ちゃんが嬉しそうな顔をして言った。
「え、でも……」
「大丈夫ですよ。人数の多い方が楽しいですし」
雄二くんも笑顔でそう言った。中西さんのほうを見ると、彼も笑みを浮かべて頷いた。
たくさんの人がいるわけじゃない。でも、私のことを支えてくれる人は確かにいる。そのことに改めて気づくことが出来た。
「じゃあ、頂こうかしら」
「やったー! 今日はいっぱい飲むぞ~!」
「おい、紗栄、はしゃぎすぎだって!」
テンションを高くして喜ぶ紗栄ちゃんと慌てて落ち着かせようとする雄二くん。二人の様子を見て、私は自然と笑うことが出来た。
11
夜遅くまでご飯を食べたあと、雄二くんの運転する車の助手席に座って私は窓の外を見つめていた。夜の繁華街、行き交う大勢の人々。見慣れた湯田月の町が目に映っている。
「親父があんなに喜んでるの久しぶりに見ました」
「中西さんが?」
「ええ。ああ見えて、吉丘さんのこと結構心配してたんですよ。たまに家に帰ると、あなたのこと聞かれますし」
「そうだったの………」
「寺島課長からの話、お受けになるんですか?」
そう聞かれて私は驚いた表情をして雄二くんのほうを見た。
「実は以前から吉丘さんが悩んでるの知ってて、課長に聞いていたんです。最初は教えてくれなかったんですけどね。やっと先日話してくれました。管理課から要請が来るなんて、やっぱり吉丘さんはすごいですね」
雄二くんはしっかり前を見据えたまま、話を続けた。
「悩んで当然だと思います。刀人のことは吉丘さんも俺も辛い過去を持っていますし、このまま特捜課の活動を続けていくべきなのか、具体的な活動をふせている管理課に行くべきなのか、そんな簡単には決められないかもしれません」
「雄二くん……」
「俺、沙耶や川崎のこと一生忘れないと思います。二人を失った悲しみや苦しみはこれから先ずっと残り続けるでしょう。でも、それでも俺は挫けずに前へ進むって決めたんです。命懸けで助けてくれた親父のために、俺の苦しみを理解してくれて支えてくれる紗栄のために、俺は生きていきます。吉丘さん、あなたにもきっと選べますよ」
雄二くんはキッパリと言い切った。誰もが悩んで、苦しんで、それでも前に向かって懸命に生きている。私にもそれが出来るはずだと、みんなが言ってくれる。
糸井さん、あなたも悩んでいたんですね。十数年、復讐を続けていた親友を止めるために、いつまでも報われなかった自分を責めて、挫けることもあったかもしれないのに、それでもあなたは……。
私は目を閉じた。糸井さんの背中をずっと追い続けていた。でも、今はもう違う。誰かのあとを追うんじゃなくて、私自身が考えて前に進まないといけない。
私がやるべきこと……。
糸井さん、あなたが自分の命を犠牲にしてまで音坂稜を救おうとしたのと同じように、私も自分で選びます。
12
数日後。
「管理課からの要請に応じようと思います」
「本当に良いのか、吉丘?」
「はい」
湯田月署の特捜課課長室に来た私は寺島課長にはっきりと言った。
「とても迷いました。特捜課の活動から離れることになりますから。ですが、私には刀人たちがどう生きていくのか、見届けないといけない気がしたんです。彼らと関わってきた一人の人間として」
「……そうか。それがお前の選んだ答えなんだな、吉丘」
「はい」
そう返事すると寺島課長は安堵したのか、やや心配しているのか、複雑そうな表情をしたけど、やがて頷いた。
「では、私のほうから管理課の担当の者に連絡を入れておく。数日で返事が来るはずだ。正式な異動はそれからになると思うが、恐らく一ヶ月後ぐらいになるだろう」
「一ヶ月ですか?」
「君にはまだ言っていなかったが、管理課の本部はこの町にはない。京都の北部、舞鶴市だ」
「関西に拠点を置いているのですか?」
「それも都市部から遠く離れた北の町だ。京都市内からでも二時間近くかかる場所にある。それと調べてわかったことだが、管理課に所属した経験者の所在調査をしてみたが……該当者はなしだった」
「……」
「これがどういう意味を持つのか、わからない君ではあるまい」
「管理課の拠点を他の課から目の行き届きにくい場所に置く。その実態は謎。仮に知ったとしても外部に情報を漏らすことは出来ない。つまり、一度管理課に入って抜け出すのなら、その時の記憶をなくしてしまう」
「記憶を改ざんする技術が発達しているからな。刀人に関わった人たちの一部に対して、試験的に運用しているとの噂もある」
寺島課長は一度ため息をついて、椅子から立ち上がった。
「これはあくまで私個人の見解だが、日本政府は刀人の存在を消そうとしているんじゃないかと思っている。異能力を持つ者が実在していると何かと不都合な現代社会だ。管理課の活動をより強化して、刀人の全ての行動を監視する。そんな可能性も否定できない」
「私が見定めてきます」
「……吉丘一人に抱え込ませるのは、私も本意ではないが、仕方のない状況だ。管理課のほうから推薦が来たのなら、君のことを高く評価しているに違いない。悪い扱いは受けないだろう。あとは……君の目で見届けてこい」
「はい」
私は課長に向かって敬礼した。
13
次の日の朝、休暇を貰って私は引っ越しの準備を始めた。
このマンションに持ち込んできたものは多くはなかった。大抵の情報集めや仕事の資料をまとめたりする作業はノートパソコンで済ませることが出来たし、ファッションにも疎かったから私服もたくさんあるわけじゃなかった。
思い返せば、特捜課の仕事に力を入れていたせいか、プライベートなことにはそれほど熱心になっていなかったんだなって思った。家に帰ってもその日の疲れのせいですぐに寝ることが多かった。
『吉丘さんは頑張りすぎですよ。たまには息抜きしてください』
以前、紗栄ちゃんにそう言われたことを思い出した。その時は自覚がなかったけど、こうして自分の部屋を見回していると確かにそうなんだなって思った。
「……」
ふとあるものが目に止まった。ベランダのそばに置いてあった植木鉢。そこにはひとつのサボテンが植えられていた。
一見すると、何の変哲もないごく普通のサボテンだけれど、私はそのサボテンを毎日大切に育てていた。
このサボテンとの出会いは遡ること七年前になる。
そう、七年前、黒刀事件で亡くなった糸井さん。彼の住んでいたマンションの一室に置かれていた遺品の中で私が貰い受けたのがこのサボテンだった。糸井さんが観葉植物の観察を趣味にしているなんて全く知らなかった。タバコを一服したあとにすぐ捨ててしまう変わった癖があるのは知っていたけれど、彼のプライベートなことに関してはほとんど無知だったと言っていいのかもしれない。
かたちあるものがあれば、私は糸井さんのことをずっと忘れずにいられるかもしれない。
そう思って、私は彼の遺族にお願いしてこのサボテンを譲り受けた。仕事で疲れて、家に帰ってすぐ寝てしまうことはあるけど、このサボテンの世話をすることは欠かさなかった。
「毎日水をあげないとってわけじゃないけどね」
苦笑しながら、サボテンの鉢を手に取った。
「糸井さん、あなたとの約束を破ることになるかもしれませんけど、私、頑張ってみようと思います。新しい場所で、自分の選んだ道の先に何があるのか見届けるために」
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一ヶ月後、湯田月市内にある新幹線の改札口の前まで、私は雄二くんと紗栄ちゃんに見送ってもらった。今日はいよいよ管理課のある京都に向かうことになる。
「ありがとう、雄二くん、紗栄ちゃん、見送ってくれて」
「決意……したんですね。吉丘先輩」
ここまで来るまであまり話をしなかった雄二くんが改めて確認するように聞いた。
「ええ、これが私の決めた道だから」
「一人で……大丈夫なんですか、吉丘さん?」
顔を下に向けていた紗栄ちゃんが言った。
「大丈夫よ」
「……私は雄二さんや吉丘さんが今までどんなふうに生きてきたのか、話に聞いていただけ、実際に見たわけじゃないからわからないですけど」
紗栄ちゃんは歩いてきて、私の両手を握りしめた。
「何かあったら言ってくださいね、吉丘さん。私や雄二さん、そしてお義父さんたち。みんな、どんなことがあっても吉丘さんの味方です!」
「紗栄の言う通りです。吉丘さんが一人で抱え込む必要はありません」
紗栄ちゃんに続いて雄二くんも励ましてくれた。二人の優しさはとてもありがたかった。
「……」
管理課の施設はここから遠く離れている。しばらく……何となくもうこの町に戻ることがないような気がした。
「二人ともありがとう。じゃ、行ってくるね」
二人にお礼を行って、私は鞄を肩にかけて改札口を抜けた。
「お気を付けて!」
「また帰ってきてくださいね、絢音さん!」
その時、初めて紗栄ちゃんに名前で呼ばれたけど、私は何も言わずに笑顔で手を振るだけだった。
二人とも、さようなら……。
手を振って見送る二人に心の中でそうつぶやくと、私は前に向かって歩いた。
もう後ろには振り返らなかった。
第十八話 選んだ答え 終。次回へ続く。




