第十七話 真実を求めて
第十七話 真実を求めて
1
「吉丘……唄音ちゃん?」
最初、見たことがない女の子かと思ったけど、どこかで見覚えのある顔だった。いったいどこで……。
「ちーちゃんはどこ?」
唄音ちゃんは一歩あたしのほうに近づいて聞いてきた。ちーちゃん……もしかして千登勢ちゃんのことだろうか。
「……あっ!」
そこでようやく思い出した。千登勢ちゃんが手帳に挟んでいた写真。幼い頃の千登勢ちゃんとベッドで横になっているおばあさん、そしてもう一人、千登勢ちゃんと同い年ぐらいの女の子が写っている写真。目の前にいる唄音ちゃんはその子にそっくりだった。
「ちーちゃんってもしかして千登勢ちゃんのこと?」
「あなたと一緒にいることは知ってるわ」
あたしがそう聞くと、唄音ちゃんは質問に答えずに厳しい口調で言った。
「これ、私が拾わなかったら今頃あなた、死んでるわよ」
そう言いながら唄音ちゃんがライダースジャケットのポケットから取り出したのは名刺だった。
「!」
あたしの名刺だとすぐにわかった。でも、どこで……?
「大文字山ってところに落ちてたの。あなた、ちーちゃんと一緒に登ったでしょ?」
確信に近い口調で唄音ちゃんは聞いてくる。あたしは何も答えずに一歩後ずさった。この子はあの時、あたしと千登勢ちゃんが襲われたことを知っている。恐らく千登勢ちゃんが刀人であることも。そうなると、この子も刀人なのかもしれない。
「……」
「ちーちゃんはどこ?」
唄音ちゃんがまた一歩近づいてくる。今度は足が動かなかった。彼女に睨まれていると、絶対に逃がさない感じが伝わってきた。逃げてもすぐに追いつかれる。
やがて唄音ちゃんがすぐ目の前にまで来て、あたしの手首を掴んだ。
「早く答えて」
最初掴まれた力は弱かったけど、急に強くなった。その強さは普通の子どもでは到底出せない強さだった。
「い、痛い……!」
運動神経の良いあたしでも痛くて声をあげた。それでも、目の前にいる唄音ちゃんが力を緩めることはない。
「時間がないの。早く!」
「由美さん!!」
その時だった。真上から声が聞こえたかと思うと、唄音ちゃんがあたしから手を離して後ろに下がった。
「由美さん、大丈夫ですか!?」
いつの間にかあたしの目の前に千登勢ちゃんが立っていた。急いで来たのか、肩で息をしている。彼女の履いている靴がサッカー選手の使っているのと同じスパイクシューズになっている。あの時……大文字山で襲われた時に千登勢ちゃんが履いていたのと同じ。これが刀人の力なのかもしれない。
「ち、ちーちゃん……」
唄音ちゃんが驚いたように目を開けて千登勢ちゃんを見ていた。
「由美さんに……由美さんに手を出さないで!」
それに対して千登勢ちゃんは唄音ちゃんに大きな声でそう言うと、身構えてあたしの事を守ってくれた。
「ちーちゃん……私だよ、唄音だよ。わからないの?」
唄音ちゃんがそう言ったけど、千登勢ちゃんは身構えたままだった。
「私、あなたのこと誰かわからない。でも、由美さんを傷つけようとする人は誰であっても許さない!」
「ちーちゃん、いったい何が……」
あたしと話をしていた時の冷静な唄音ちゃんと打って変わって、今は声が震えていた。
「千登勢ちゃんは記憶を無くしているの。だから、あなたのことがわからないのよ」
「記憶が……?」
信じられない、と言うような表情で唄音ちゃんが千登勢ちゃんのほうを見た。よほど、ショックが大きかったのか、少し後ずさりする。けれど、すぐに元の表情に戻った。
「それでも関係ない。ちーちゃんは返してもらうわ」
「唄音」
突然、唄音ちゃんの背後から別の男の声が聞こえたかと思うと、いつの間にか背の高いメガネをかけた男が唄音ちゃんの後ろに立っていた。彼女の肩に手を乗せている。
「か、貝堂……」
唄音ちゃんが横目で後ろに立っている男を見る。貝堂と呼ばれたその男はじっと彼女のことを見下ろしていた。
「勝手な行動はしないようにって言ったはずですよ」
「で、でも、目の前にちーちゃんがいるのに……」
「大体の事情はわかっています。帰りますよ」
穏やかな表情で話し方も丁寧だったけど、その裏に大きな圧力を感じる男だった。唄音ちゃんは何か言いかけたけど、口を閉じた。
「……わかったわ」
唄音ちゃんが貝堂の手をはらい、肩にかけていたケースを背負い直すと、駅とは反対の方向に歩き始めた。
その姿を少し見送ったあとに貝堂があたしたちのほうに振り向いた。
「ご迷惑をおかけしました、雛鳥由美さん。我々はそこにいる千登勢の知り合いなのですが、本人は記憶を失っているようですね」
「あなたいったい誰なの? それにあの子も……」
「詳しいお話は後ほどさせて頂きます。今はあまり時間がありません。すぐにここを離れてください。あなたは……狙われています」
「狙われてる?」
「ええ、すぐに離れてください」
貝堂は具体的な説明をしないでそう言うと、唄音ちゃんのあとを追って姿を消した。
「……ふぅ」
緊張がとけて、大きく息をついた。中学生ぐらいの子供にしか見えなかったけど、もしかしたら殺されるかもしれないって感じるほど、すごい威圧感を持つ子だった。
「由美さん、大丈夫ですか?」
隣にいた千登勢ちゃんが心配そうな表情で聞いてくる。彼女が来てくれなかったら、今頃どうなっていたのか、想像するのも怖かった。
「……うん、ありがとう、千登勢ちゃん」
「良かったです。由美さんにもしものことがあったら、わたし……」
そう言いながら千登勢ちゃんは手を伸ばしてあたしの手を握り締めた。
「帰りましょう……由美さん」
「そうね」
今日は色々なことがあった。一度休んでまた明日ゆっくり考えよう。
そう思ったあたしは千登勢ちゃんの手をひいて、舞鶴の駅に向かって歩いた。
2
夕日が沈み、辺りはすっかり暗くなった。街灯に明かりがついても、周囲を山々に囲まれているのか、光源は街灯と時々通り過ぎていく車のヘッドライト以外にない。
「貝堂、どうして止めたの?」
後ろを歩く貝堂を横目で見ながら言った。
「今の千登勢を無理に連れ戻そうとすれば、彼女は能力を使って抵抗するかもしれません。それにこの近くで騒ぎを起こすのは賢明ではありませんよ。いつエリザたちが現れるか、わかりませんから」
「……」
貝堂の言ってることは間違っていなかった。この舞鶴の町はダルレストの拠点がある場所。こんな所にいつまでも留まっているのは自殺行為に等しかった。
「……ちーちゃん、記憶を無くしてた」
「そのようですね。ですが、大文字山で戦っていたので感覚的には刀人の力を使えると思います。記憶もいずれ戻るかもしれません。そうなれば、ますます私たちのところへは――」
「それでも」
私は貝堂の言葉を遮った。
「それでも私はちーちゃんを連れて帰る。あいちゃんとの約束を守るためにも」
ぐっと拳を握りながら、あいちゃんと葉作おじさんの姿が頭の中に浮かんだ。
絶対また会おうね。日本を発つ時にそう約束した。一緒にいた時間は少なくても私たちは親友だった。遠く離れていてもいつか会えるその時まで頑張ろうと必死になった。
でも、あいちゃんたちはもうこの世にいない。今の私に出来ることはあいちゃんとの約束を果たすこと。
どんな事があっても二人でちーちゃんを守る。
それを破るわけにはいかない。ちーちゃんは私が必ず守る。今のちーちゃんが記憶を無くしていても、記憶を戻したちーちゃんが戦うことを望んでいても、私は自分の意志を変えるつもりはなかった。
「唄音、あなたの気持ちはよく分かります。RUPAの動きも気になります。引き続き、あの二人の監視をしましょう」
「言われなくてもそのつもりよ」
そう言って私は前に向かって歩き始めた。
アダムスは恐らく私たちの存在に気づいているだろう。感が鋭く、戦闘狂と評されるあの女ならちーちゃんや雛鳥由美を見つけることは難しくない。私たちの前に現れるのは時間の問題だった。
もしかしたら、もうすぐ近くに……。
考えないようにしたけど、どうしても嫌な予感がしてならなかった。
3
気づいた時、そこがどこなのかわからなかった。お酒を飲みすぎたあとのように視界がゆらりと揺れていて気持ち悪い。吐き気もしたけど、それ以上に寒かった。今日は厚着で外を出たはずなのに、どうして……。
「え……?」
そこでようやく、私は下着しか身につけていないことに気付いた。椅子に座っていて、その取っ手に自分の両手がワイヤーのようなもので縛り付けられていた。動かそうとしてもビクともしない。
辺りを見回すと、そこはどこかの部屋だった。四方は灰色のコンクリートの壁に覆われていて、窓がない。電気もなくて、部屋の中を照らしているのは壁に架けられたいくつかの蝋燭だけだった。視線の先に鉄で出来た頑丈な扉がある。
牢屋……みたいなところだった。
「う……あ……あ……」
どうして、私、こんなところに?
そう言おうと思ったけど、声が出なかった。口に真っ白な布が巻かれていて、言葉が言えないようになっていた。いったい、どうして私はこんな状況にいるのか、全く理解出来なかった。
「オー、目が覚めたようですね」
ドアが開いて誰かが入ってくる。
金髪の長い髪、背が高く碧い瞳をした女だった。間違いなく、気を失う前に話しかけてきたあの女だった。
「あ……あ……!」
声を出そうとしたけど、口を白い布で縛られているせいで何も言えなかった。
「ここは私の部屋です。他には誰もいません」
女はふふ、と笑うと私の目の前に立った。
「あなたのこと以前から見てました。アフターケアの施設を用もなしに見に来る人なんてあまりいません。近くにある博物館はともかく、あの施設を見ることがただ好きな人もそうそういません。特定することは容易でした」
女が手を伸ばして私のあごに触れるとぐっと上にあげた。女の顔が間近に見える位置まで来ている。
「良ければ理由を教えてくれませんか?」
「……」
声が出なかった。口を縛られていても抵抗するぐらいのことは出来るはずだった。けど、その女に見られていると、身体が氷のように硬くなってしまって、動けなかった。
「ふふ、ミス鴨目は良い目をしていますね。私、とっても好きです。だから……」
ざくっと包丁でキャベツを切るような音が鳴った。一瞬何が起こったのかわからなかった。だけど、自分の膝の辺りから痛みが広がりはじめる。それは小学生の時、道路で転んだ時に出来た擦り傷やカッターナイフで指を切ってしまった時の傷とは比べ物にならないくらい痛かった。痛すぎて声も出なかった。視線を落として自分の膝を見ると、女が手にした鋭いナイフが突き立っていた。刺された傷から血が流れ始めてきて、床にぼたぼたと落ちている。
「……!」
今まで体験したこともないような激痛が全身に襲いかかった。無意識のうちにその痛みをこらえようと目を閉じたけど、痛みが引く気配はなかった。
「ふふ、ふふふ……いい、すごくいいわ、今のあなたの顔」
目の前にいる女の笑い声が聞こえてくる。その表情は何かのプレゼントをもらって喜んでいる子供のように無邪気な笑顔だった。狂っている。この女は明らかに狂っていた。
「あなたみたいな人が苦しむ顔を見ていると、気分が高揚するの。やめられないわ。誰にも邪魔はさせない。あなたはもう私のものよ」
女は私の膝に刺したナイフを引き抜いて、血まみれになったそのナイフの先端を舌で舐めた。刺された傷から血は流れ続けていて止まる気配がない。
「さぁ、ミス鴨目。楽しみましょう、私たちだけの時間を。もっと見せてください。あなたの色々な顔を。さぁ、見せて」
女が手にしたナイフを振りかざす。その時に私は悟った。
ああ、私は踏み込んではいけない場所に来てしまっていたんだ。そのせいでここで死んでしまう。ここでこの狂った女に殺される。
「ふふふ、あははははははははは!!」
女の笑い声が部屋中に鳴り響く。その声と部屋を充満しつつあった血の匂い、耐えられない激痛が混ざりあって、私はもう何も考えられなかった。
4
いつもシャワーを浴びていると、疲れが少し取れて、その日、色々あったことを深く悩まなくて済む。でも、今日に限ってあたしは物思いにふけっていた。
鴨目緑の言っていたアフターケアに隠された真実、千登勢ちゃんのことを知っている吉丘唄音ちゃん。
自分自身が真相を追い求めていくうちに何か触れてはいけないところまで来てしまっているような気がしていた。このまま、何も知らないほうがあたしのためになるんじゃないかって考えるようになっていた。けれど……。
「……」
シャワーを止めて、浴室を出た。洗面所の鏡に映る自分を見つめる。
「どうしても知りたいと思うあたしがいる。それも事実なのよね……」
そう呟いてため息をつく。タオルで身体を拭いて、パジャマに着替えて部屋を出た。
「ん?」
リビングに入ると、パジャマを着た千登勢ちゃんが部屋の端に立って、呆然と何かを見ていた。
「由美さん、この写真って……」
そう言って千登勢ちゃんが棚の上に置かれていた写真立てを見ている。部屋の隅に置いていたからあたしもそれがあることをすっかり忘れていた。
「懐かしいわ、もう十年以上前の写真よ。あたしが高校生の時のやつね」
「この由美さんの隣に立っている人って……」
「うん、それが前に付き合ってた男。秀平って言うの。すっごい仏頂面でしょ? 怖いイメージがあるかもしれないけど、当時はあたしのほうが凄かったと思うわ」
「昔の由美さんがですか?」
「そう。今でも覚えてるわ。あいつに初めて会った時のこと」
そう言ってあたしは千登勢ちゃんに話し始めた。昔のことだけど、一度も忘れたことはない。
秀平との思い出を。
5
十二年前。
「いてっ! てめぇ、なにすんだよ!!」
「うるせえ! うだうだ言ってきたのはお前のほうだろうが!!」
「んだと、このやろう!」
「うっせえ! この甲斐性なし!!」
会話だけ聞いてると二人の若い男が言い争っているだけに聞こえるかもしれない。ここが松阪高校の校舎裏で、放課後の時間帯だったとしても、それは変わらないだろう。けど、残念ながら言い争っているのは女であるあたしと一応最近付き合っている彼氏だった。
こいつとはそこそこ上手く付き合っていたような気がしたが、最近になって化粧しろだの、スマホを新しいのにしろだの、この服着てみろだの、あーだこーだ言ってきたので遂に我慢の限界を迎えてしまった。元々気の短い性格だったあたしは些細なことでもすぐに怒る性格だったので、彼氏だろうと大声で怒鳴りつけた。
「なんだと、このぉ!」
「きゃあ!」
と言っても、あたしは女で向こうは男。男勝りな性格とはいえ、身体的にどうしても非力だったあたしはそいつに覆いかぶされた。抵抗しようとしても腕をがっちり押さえつけられているせいでびくともしない。
くそ、こんなやつにあたしは……。
そう、思った時だった。
「おい」
覆いかぶさっていた彼氏の背後から低い声が聞こえてきた。
「ああ?」
彼氏が後ろに振り返る。それであたしも少し顔をあげることが出来た。
そこにいたのは背が高く短い髪をした男だった。格好はあたしの通っている高校の男子が着ている制服と同じだった。がっちりとした体格をしていて体育会系に見える。
「なんだ、てめえ?」
「女に向かって暴力か。男として恥ずかしくないのか?」
「んだよ、こいつは俺の女だ。関係ないやつは引っ込んでろ」
「彼女か。なら、余計に暴力を振るったらだめだろ」
「うるせえ!」
彼氏が立ち上がって、その男に向かって走った。拳を作って顔に向かって殴りかかった。
けれど、男はそれをひらりとかわして、彼氏の腕を掴むと、そのまま自分の肩のほうに回した。柔道の一本背負いというやつだった。
「うっ!」
彼氏はそのまま地面に叩きつけられて動かなくなった。どうやら気絶してしまったらしい。
「加減はしたけどな……」
男はやれやれと言った具合に一息ついてあたしのほうに歩いてきた。
「お前、大丈夫か?」
そう言いながら手を差し伸べてくる。
「あ……」
無意識のうちにあたしはその男の手を握っていた。
男なんてろくなやつしかいない。そう思っていたあたしにとってそいつ――梨折 秀平との出会いは今までと違う気がした。
6
自分が女らしくない自覚はある。小さい頃から男友達と遊びまくっていたことや、両親があたしの教育に関して基本的に放置主義だったせいで、一人で努力しないといけなかったことも影響しているかもしれないが、あたしは世間で言う不良娘というレッテルを貼られていた。別にその事で腹が立つかと聞かれたらそうでもない。他人がどう思っても、それは各々の自由だし、悪いように思われていてもどうでも良かった。そんなわけで友達らしい友達はいなくて、あたしの高校生活は一匹狼の日々が多かったといっても過言じゃない。
「おい、雛鳥。校内は禁煙だぞ」
「……」
梨折と関わりを持つようになるまでは。
その時は校舎裏でタバコを吸ってたらこいつに目をつけられてしまった。秀平は学校の風紀委員をしているわけじゃないけど、あの件以来、目をつけられるようになってしまった。
「タバコ吸おうと吸わないとてめぇには関係ないだろ」
「そうは言ってもな、このまま黙って見過ごすわけにはいかないだろ。それに同じクラスメートだったとは知らなかったし」
「けっ!」
「未成年が喫煙禁止なのはわかっていると思うが、お前がタバコを吸うことで周りにも迷惑をかけることになる。主流煙と副流煙の話、授業で受けたことがあるだろ。本人が吸い込むタバコの煙より、タバコの先から出る副流煙のほうが――」
「ああああ! もう、うるさい、うるさい! わかった、わかった。やめればいいんだろ!」
梨折から長々と話を聞かされるのは日常茶飯事だった。あたしがどれだけうるさがっても、いつも長々と話をしてくる。
「ったく、昼休みぐらいゆっくりさせてくれってんだ。こっちはくだらない授業でイライラしてるって言うのによ」
「そんなに面白くないのか? 聞いてみると意外と面白かったりするぞ。英語なんか駅前で咄嗟に外人から道を聞かれた時に役立つ事があるし、日本史は昔のことを知るだけで興味が惹かれるものがある。どんな些細なことでも関心を持つのは大事だぞ」
「けっ、偉そうに言うなよ」
「雛鳥、お前その口調もっと何とかならないのか? もっと女性らしい話し方のほうが……」
「ふん、あたしがどう話そうとあたしの勝手だろ」
「まあ、そう言われたらその通りだけどな……」
「何だよ?」
梨折を睨みつけると、何故か言いづらそうに目を逸らした。何度かあたしのことを見たり、見なかったりを繰り返したあとに口を開く。
「せっかく綺麗な顔で生まれてきたのに、もったいないなって思ったんだよ」
「な、なに? あたしが……綺麗?」
そんなこと親にも言われたことがなかった。あたしが綺麗? そんなこと……。
「ああ、俺はそう思った」
梨折がそう言うと自然と胸が高鳴った。顔に熱がこもる。な、なんで……。
「ん、どうした雛鳥? 顔が赤いぞ?」
「お、お前が急に変なこと言うからだろ、この馬鹿!」
梨折といるとどうしても調子が狂ってしまう。
また、ある時は……。
「勉強?」
「ああ、雛鳥、この前の定期テスト赤点ばかりだっただろ。先日、担任の先生が俺のとこに来てな、勉強の面倒を見ろって言われたんだ」
「な、なんであんたにそんなこと!?」
「俺は知らなかったけど、あいつらお前と関わりを持つのを避けてるみたいだ。不良女とか暴力団に狙われるとか、陰でぐちぐち言っていた」
「……けっ、そんなこと知ってるよ。今更なんだよ、勉強って。あたしが留年しようがしまいと、あいつらには関係ないだろ。お前だって、そうだ。こんな嫌われ者と一緒にいたって良いことなんて何もねえぜ。もうほっといてくれ」
「……」
そう言うと、梨折は黙った。親と同じだ。聞こえの悪いあたしとつるんでいるところを見られたら、変な噂がたってしまう。良いことなんて何もない。あたしと関わるメリットがこいつには……。
「放っておくわけにはいかない。あいつらは面倒でこの役目を俺に任せたみたいだが、俺は少なくとも面倒だとは思っていない」
「……はあ? お前、何言ってんだよ。あたしとつるんだって良いことなんか……」
「損得で人と付き合うやり方、俺は好きじゃないんだ。そういう付き合い方のほうが良いってやつもいるだろうがな。まあ、お前がどうしても俺に勉強を教わるのが嫌だって言うなら話は変わるが」
「……」
開いた口が塞がらなかった。こいつ、本気でそんなこと言っているのか?
あたしのことなんて放っておいたほうが良いに決まっている。でも、こいつは自分からあたしに勉強を教えたいと言っているように聞こえた。
「どうする、雛鳥?」
「……」
嫌だ、と言う気があれば言えた。けど、こいつには元彼から助けてもらった借りがある。すぐに断るわけにもいかなかった。
結局、あたしは梨折に勉強を教えてもらうことになった。
7
次のテストが始まる一ヶ月ぐらい前から、放課後にファーストフードの店内で梨折と勉強することが日課になりつつあった。
「えー何でこの答えがAになるんだよ! 普通にCで良いだろ?」
「違う。この単語のあとは必ず複数形になるんだよ。この用法はテストによく出るから覚えておいたほうが良い」
「そ、そうなのか……」
「雛鳥、ここ一学期で習ったところだぞ」
「う、うるさいな! 一学期の授業なんてほとんど出てねえんだよ!」
「やれやれ、前途多難だな。けど、もう忘れるなよ」
「……くっ、偉そうに言いやがって」
「おい、仮にも教えてもらってる立場だろ。ちょっとその反抗的な態度何とかしろ」
「う、うるさいな。そういうお前はどうなんだよ?」
「俺は大丈夫だ。これでも大学から推薦も貰ってる」
「なっ、本当かよ!?」
「これでも一応警察を目指してるからな」
その時、初めて梨折が笑うところを見たけど、あまりに似合っていなくて、思わず吹き出してしまった。
「お前の笑うとこ、全然似合ってないぞ。奈良の大仏がにやけてるみたいだ」
「お、おい、そんなにか!?」
「それにまさか梨折がファーストフードに行ったこともないやつだったなんて思ってもみなかったぜ。初めて、ここ来た時、あのハンバーガー注文する時の震え声と言ったら……」
「おい、やめろ。俺だって緊張してたんだよ」
「ふふ、これはもう忘れられないな」
その時、あたしも初めて自然と笑うことが出来た。
「よぅし、決めた!」
「何をだ?」
「勉強教えてもらってばかりじゃ悪いし、あたしも色々と教えてあげるよ。世間知らずなあんたに」
「お前がそれを言うのか?」
「う、うっさい! とにかく、今日は勉強教えてもらうけど、明日は付き合ってもらうからな!」
有無を言わさずにあたしは梨折のコーディネートをすることにした。
8
早速次の日、あたしは梨折を連れて町のデパートへ向かった。
「……何でデパートなんだ?」
「今日はあんたの服を買いに来たんだよ」
「服? 服なら家にあるぞ」
「……何、馬鹿なこと言ってるんだ? 家に服が一着もなかったらどうやって生活するつもりだよ? あんたの私服、いつも黒いのばっかりで気になってたんだ。だから、あたしが選んであげる。一応、日頃から勉強教えてもらってるし、そのお礼も兼ねてな」
「お礼か。雛鳥からそんな言葉が聞けるとはな」
「うっ、いちいち突っかかるな! 行くぞ!」
「お、おい……」
何か言いかけた梨折の手を掴んであたしはデパートの服屋に向かった。
梨折は一言で言えば筋金入りの真面目人間だった。将来、警察になるために勉強や部活に一生懸命取り組んでいる反面、娯楽施設に遊びに行ったことがなく、友達も少なかった。似ている部分はあったかもしれないけど、その面ではあたしのほうが詳しい自信があった。服を選んであげたり、カラオケやゲーセンにも連れて行ってあげた。学校の授業をよくサボって立ち寄っていた喫茶店にも連れて行った。そうしてるうちに一ヶ月、三ヶ月、半年と、梨折と一緒に過ごす日々が多くなった。
そして……。
「雛鳥、俺と付き合わないか?」
「付き合う? 付き合ってるじゃない、あたしたち。昨日も勉強するぞって言って夜遅くまで店でさ――」
「そういう意味じゃなくて、彼氏彼女としての付き合う、だ」
「……え?」
「ずっと考えていた。今はこうして同じ高校に通っているから顔を合わせることが多いが、ここを卒業したら、俺は警察。お前は別の道を進むことになる。曖昧な関係のまま、別れるのは嫌だからな。ここではっきりとさせておきたいんだ」
いつになく梨折は真面目な表情で話していた。あたしは動揺して、しばらく何も言えなかったけど、何とか口を開いた。
「だ、だって、梨折、あんた、あいつらに言われて仕方なく、あたしに勉強を……」
「最初はそうだったかもしれないけど、お前と過ごす時間が多くなるにつれて、変わっていく自分がいた。これから先も、お前と一緒にいれば新しい自分が見つかるかもしれない。俺はそれを見つけたいんだ」
「梨折……」
「半年前よりも口調が柔らかくなった。時々、笑うようになった。俺が言わなくても次にいつ会えるのか聞いてくるようになった。少しずつ、本当に少しずつだけど、由美との時間が楽しいと思える自分がいたのは確かだ」
あたしの名前を初めて呼んで、梨折は手を差し出した。
「由美の返事を聞かせてくれ」
「……あ、あたしみたいな女のこと、気にかけてくれるのあんたしかいないし。そんなこと言われたら……嬉しいに決まってるじゃない」
胸の鼓動が高鳴る。顔に熱がこもったけど、あたしは梨折の差し伸べた手を握った。
「こっちこそよろしく……秀平」
「ああ、よろしく頼む」
こうしてあたしは秀平と本当の意味で付き合うことになった。高校を卒業して、大学に入って、ジャーナリストという仕事に就くことが出来たのは全部秀平のおかげだった。秀平がいてくれたから今のあたしがいるのは間違いなかった。
結婚しようってあいつに言われた時もあたしは嬉しくて仕方がなかった。
それなのに、つまらないことであたしは秀平を怒鳴りつけてしまって、一方的に別れを切り出してしまった。
9
「本当に馬鹿よね、あたし。あいつのこと突き放して、どうでもいいことで喧嘩して、なにやってるんだか……」
「そんなこと……」
それまでずっと黙ってあたしの話を聞いていた千登勢ちゃんが口を開いた。
「そんなことありません」
「千登勢ちゃん?」
「わ、わたしは由美さんから話を聞いただけで、その秀平さんって人に会ったことがないから、どういう人なのかよくわかりませんけど、お互いに本当に好きじゃないと本当の気持ちって言い合えないと思います。その人の好きなところだけじゃなくて、悪いところも含めて。だから、喧嘩することがあってもおかしくないと思います。秀平さんが由美さんのことを大切に想っていたのと同じように、由美さんも由美さんで秀平さんのことを想っていたんだと思います。今も変わらず。少なくともわたしはそう思いました」
「……」
それは当たり前のことだったかもしれない。けれど、面と向かって、しかもまだ高校生ぐらいの子にそう言われるなんて考えもしなかった。その通りだ。初めて会った時から変わらず、あたしは今も秀平のことを想い続けている。それは間違いなかった。
「……ありがとう、千登勢ちゃん。そう言ってくれたの、あなたが初めてかも」
「い、いえ、わたしは思ったことを言っただけで、そんな……」
「ううん、本当に……ありがとう」
あの時の自分と違って今はちゃんとお礼を言うことが出来ている。今度、秀平に再会した時にもきっと言えるはずだ。
だからこそ、今はこの子のために、そしてあたし自身のために真実をつきとめてみせる。
あたしは心の中でもう一度決意した。
10
血なまぐさい匂いが漂ってくる。
「ちっ」
すっかり嗅ぎなれたはずなのに、その錆び付いた鉄のような匂いがすると、無意識のうちに顔が歪む自分に吉住は嫌悪感を示した。何人かの部下を連れて、ダルレストの施設の長い廊下を歩いてきた。刀人たちの暮らす部屋がたくさんあったが、それに目もくれず、吉住は一番奥の部屋に来たのだが、その部屋から漂ってくる血の匂いが異常だった。
「ドアを開けろ」
部下の一人に命じて部屋のドアを開けさせる。異常だと感じていた血の匂いがより濃くなった。
「……くっ」
部屋の惨状を目の当たりにした吉住は絶句した。部屋中に真っ赤な血が飛び散っていて、元の姿を想像することが難しい。中央に座っている女は目を見開き、口を開けたまま死んでいた。下着が裂けて、ほぼ全裸になっており、その全身に数え切れないほどの刺傷があった。死んでいるのは明らかだった。残忍な殺し方をする刀人と言えば、椚木というやつがいたが、その比ではない有り様だった。
「オー、いらしたんですか、ミスター吉住」
その女の死体の前に立っている下着姿のエリザが吉住のほうを見た。彼女の全身も血で濡れていて、長い金髪も真っ赤に染まっていた。その手には鋭いナイフが握り締められている。
「アダムス、警告したはずだぞ。死体の処理やここを掃除するのにはそれなりの時間がかかる。お前に命じたのはその女から情報を聞き出すことだけだ。必要以上に拷問をするのはやめろ」
「申し訳ありません、ミスター吉住。わたし、綺麗な人を見ると、つい我を忘れてこうしてしまうんです。自分でも止められません」
そう言いながらエリザは手にしたナイフの刃先を舌で舐めた。
「ミス鴨目はとても素晴らしい女性でした。彼女のもだえ苦しむ顔を見るだけでも、心がざわつきます。こんな良い人は本当に珍しく――」
「お前のイカれた価値観を聞くつもりはない!」
吉住はエリザの言葉を遮った。
「情報はちゃんと聞き出したんだろうな?」
「ええ、もちろんですよ、ミスター吉住。一度、彼女の家の捜索をしたいと思います」
「どうゆうことだ? 情報は聞き出したんだろ?」
「どうやら彼女以外にも我々のことを調べている人がいるみたいです。それも彼女と何らかの関係がある人物が。それを調べてみます」
「……わかった。だが、今度からは過剰な殺しは控えろ。こっちに来ている以上、俺たちのルールに従え」
「承知しました、ミスター吉住」
エリザは深く頭を下げたが、吉住は彼女が素直に従うとは到底思えなかった。
「行くぞ、お前ら」
エリザを残して吉住は他のボディーガードたちと共に部屋を出た。
「吉住さま……あの女は異常すぎます。このまま野放しにすれば、何をするのか……」
「それぐらいわかっている。だが、あの女に頼らなければ現状を打破出来ないのも事実だ。少しは大目に見ないといけない。しかし……」
吉住は不快感を表すように舌打ちした。
「やはり、あの女はいかれている。俺には奴の思考が理解できん。あんなやつが人の形として生まれてくるなんて……。次に何をやらかすつもりなのか……」
先の見えない未来に不安を抱きつつ、吉住は長い廊下を歩き進んだ。
11
後日、千登勢ちゃんに家の留守を任せて、あたしは河原町の通りを歩いて、喫茶店に入った。
宿海に依頼してから十日が経っている。いつも彼に頼んだ時は二週間ぐらいを目処に会って、調査の報告をしてもらんだけど、今回はいつもに比べてやや早めに彼からメールが来た。
『由美、この前のことで話がある。いつもの店で会おう。急いで話さないといけないから、頼む』
文面だけでも宿海がかなり焦っているのは見て取れた。調査する過程で何か良くないことが起こったのだろうか。身の回りが目まぐるしく変わっていく今の状況で、嫌な予感がしてならなかった。
「……宿海」
宿海の姿はすぐに見つかった。店の奥のテーブルでホットコーヒーを飲んでいた。けれど……。
「どうしたの、その顔?」
「ああ、由美か」
顔色の悪い宿海があたしに気づいた。何日も寝ていないように目の下に隈が出来ていて、若干頬も痩せていた。
「あんたがそんな顔するなんて初めて見たわ」
「俺だってそんなつもりはなかったけどな。どうしようもなかった」
宿目はコーヒーを口につけた。あたしは対面の席に座ってカフェオレを注文した。
「原因はお前にもあるんだぞ、由美」
「この前頼んだことと関係あるの?」
「大ありだ。むしろ、原因はそれが全てだ」
宿目は手にしたコップをテーブルの上に置いて、大きくため息をついた。
「由美、以前政府絡みのことを調べるのは簡単じゃないって言った話、、覚えてるか?」
「ええ」
「嫌な予感はしていたんだけどな。今度の依頼ばっかりは予想以上だった。正直言ってまずすぎる」
宿海が厳しい口調でそう言った。今まで彼に依頼したことは何度もあったけど、ここまで焦っている宿海を見るのは初めてだった。
「今ならまだ間に合う。由美、この件に手を引け」
「そういうわけにはいかないわ、拓一。あたしは……あたしはどうしても知らないといけないの。そうしないといけない理由があるわ」
あたしは初めて宿海の名前を呼んだ。拓一は本気であたしのことを心配してくれているんだろう。けれど、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「……わかった。けど、今後のためにもこれ以上この件の調査を依頼するのはやめてくれ。俺の命に関わる」
「……もちろんよ」
拓一はまたため息をついて、隣の椅子に置いていた鞄から何枚かの紙をクリップでとめた資料を取り出した。
「結論から言うと、お前の言っていた刀人って連中は確かに存在した。だが、その存在はかなり前から隠されるようになったらしい。何かきっかけがあったと思うが、その詳細まではわからなかった。ただ、この刀人が大きく絡んだ事件のことは調べられた」
「刀人の事件?」
「と言っても、五十年以上前の事件だけどな。事件の名前は黒刀事件。当時、指名手配されていた黒刀って刀人が起こした連続殺人事件だ。その事件には警察への報復を企んでいた刀人の組織が絡んでいて、当時はかなり混乱状態に陥ったらしい。この事件に絡んだ関係者は大勢いる」
「その事件……どうなったの?」
あたしがそう聞くと、拓一はコーヒーを一口飲んで答えた。
「未解決だ。黒刀は逮捕されず、行方不明になっている。当時、刀人絡みの事件の捜査を担当していた課があってな、MEP特捜課と呼ばれていた。今はもう解体されていて、そんな課があったなんて痕跡も消されている」
「よく調べられたわね」
「ああ、おかげでこんな顔になってしまったけどな」
拓一は苦笑いした。
「その特捜課が刀人の事件の捜査を担当していた……でも、待って。今はどうなってるの? 黒刀事件は未解決のまま終わってしまったけど、刀人たちは?」
「そう、問題はそこだよ、由美。当時は刀人って存在はおおっぴらになっていて、日本人なら誰でも知っていたはずだ。けど、今はそんな奴らのことを知っている人間は誰もいない。考えられる可能性はいくつかあるが、最も有力な説を挙げるとすれば……刀人は俺たちの記憶から消されたんだよ。今の世の中、記憶を改ざんする技術が発達しているって聞くからな。国民の義務とか何とか言って、日本中の奴らをかき集めて、記憶を書き換えたんだろう」
「そんなこと出来るの?」
「俺にもわからん。もしかしたら、政府の目を掻い潜って、当時のことを記憶している奴がどこかにいるかもな」
拓一は肩をすくめた。
「けど、一般社会から存在を消されたからと言って刀人全てが死んだわけじゃない。どういう原理か知らないが、奴らは俺たち人間と同じように生まれてくる。だから、刀人のことを管理している組織がどこかにあるはずだ。それが何かまではわからなかったが……」
「アクセス権は……刀人のことを調べさせないようにしているってことね」
「推測の域は出ないけどな」
「拓一、その特捜課に所属していた人たちはどうなったの?」
「不明だ。生きていたとしても五十年も前の話だ。少なくとも七十歳以上は年取ってるじいさんかばあさんだな。それに記憶を消されている可能性もある」
「あたし……探してみるわ。もしかしたら、どこかで生きてるかもしれないし」
「おい、由美、俺の話聞いてなかったのか? ここまで調べることが出来ただけでも万々歳だろ。これ以上首を突っ込んだら、命の危険だって……」
「せっかくあんたが調べてくれたのに、ここであきらめるわけにはいかないわ」
「由美、俺を気遣っているなら、余計に……」
「そうじゃないわ、拓一。あたしは知らないといけないのよ。どうしても……」
あたしはあくまで引き下がらなかった。拓一はしばらく黙っていたけど、やれやれといった具合に肩をすくめた。
「強情だな、お前は。ったく、どこかの誰かにそっくりだよ」
拓一はそう言って鞄から一枚の写真を取り出すと、あたしのほうに差し出した。
「そうそう、忘れてたぜ。この女、俺の知り合いに由美と同じようなことを調べさせていたらしいんだ。もしかしたら知ってるんじゃないのか?」
写真を受け取ってそれを見る。誰なのか、あたしには一目でわかった。
「鴨目……鴨目緑じゃない!?」
12
拓一と話を終えたあと、あたしは山科駅の改札を抜けて、自宅への帰り道を歩いていた。
「……」
アクセス権の実装の裏側を調べる。最初はただそれだけだった。けれど、調査を続けていくうちに普通では到底知りえない事実が明らかになっていった。それと同時に新たな謎も出てきた。存在を消された刀人たち、刀人のことを調べていた特捜課、まだ自分が生まれてもいない五十年以上前にいったい何があったのか。それを知るためには……。
「それを知る誰かに会わないといけない」
けれど、もうこれ以上拓一に危ない橋を渡らせるわけにはいかなかった。ここから先は自分の力で手がかりを掴むしかない。特捜課に所属した経験のある人を見つけるのが一番良いけど、アフターケアで働いたことのある人を探していた時も全く見つからなかったから、日本政府に隠されている可能性がある。
「どうすればいいかしら……はあ、ちょっと疲れたかも」
「随分、老けた顔をしてるわね」
急に前から声が聞こえてきてびくっと身体が震えた。見ると、アパートの階段下にケースを肩に背負った女の子が立っている。
「唄音ちゃん……」
「……」
あたしは無意識のうちに身構えたけど、唄音ちゃんはその場に立ったまま、じっと見つめるだけだった。
「そんなに警戒しなくてもいいわ。あなたに何かするつもりはないから」
「でも、何か用があって来たんじゃないの?」
「言っておきたいことがあったから」
唄音ちゃんは肩にかけたケースを背負い直した。
「ちーちゃんは私たちのことを覚えていない。記憶を失ったちーちゃんはあなたのことを拠り所にしている。あなたがいなくなると、今のちーちゃんがどうなるか……。だから、しばらくの間、あなた達の見えないところで監視することにしたの」
「監視?」
「ちーちゃんがどのタイミングで記憶を取り戻すのかわからない。もし、記憶が戻った時の備えはしておきたいから」
備えをしておきたいとはどういう意味なのか、唄音ちゃんの言葉に少し違和感をおぼえたけど、何となく雰囲気から聞いても答えてくれない気がした。
「もし、ちーちゃんの様子におかしなところがあったら、すぐに行くわ。あなた達のことはそばで見てる」
「どうして千登勢ちゃんのことをそこまで?」
そう聞くと唄音ちゃんは視線をあたしの部屋のほうに向けた。
「ちーちゃんは……絶対に守るって約束した私の大切な友達だから」
初めて唄音ちゃんが感情をこめた声でそうつぶやいた。一瞬寂しそうな表情をしたけど、すぐに元の無表情な顔に戻った。
「あなたも充分気をつけなさい。あの子の力を甘く見ていたら、死ぬかもしれないわよ」
言い終わると、唄音ちゃんは静かな足取りで立ち去っていった。
「……」
あたしには唄音ちゃんと千登勢ちゃんがどういう関係なのかよくわからない。けれど、唄音ちゃんはあの子に対して特別な思いを持っているのは間違いないみたいだった。過去に何があったのか、気になった。
「知りたいことだけがどんどん増えてくるわね」
独り言をつぶやきながらアパートの階段を昇り、自分の部屋のドアを開けた。
「ただいまー」
「あ、由美さん!」
千登勢ちゃんが奥の部屋から出てきたかと思うと、慌てた様子であたしのそばに駆け寄ってきた。
「大丈夫でしたか!? 怪我とかしていませんか!?」
「へ、平気よ。千登勢ちゃん、ちょっと落ち着いて!」
心配そうな表情をしている千登勢ちゃんにそう言うと、顔を下にむけて、あたしの服の裾をぎゅっと握った。
「……ごめんなさい。わたしのいない間に由美さんが危険な目に遭っていたと思うと、落ち着かなくて……」
「心配してくれていたのね。ありがとう、千登勢ちゃん。でも、大丈夫よ。自分のことは自分でちゃんと気をつけているつもりだから」
「はい、ごめんなさい……」
千登勢ちゃんはもう一度謝ると、あたしから少し離れた。
「それでまた心配させるかもしれないけど、明日は仕事で会社に行かないといけないの。今の仕事の状況を把握しておきたいから」
「大丈夫です。わたしはここで待ってます」
「あ、でも……」
千登勢ちゃんは両手を後ろに回して笑顔になった。
「わたしが少し混乱していただけです。ちゃんと待っていますから、明日はお仕事に行ってください」
「……うん」
『記憶を失ったちーちゃんはあなたのことを拠り所にしている。あなたがいなくなると、今のちーちゃんは……』
唄音ちゃんが言いかけたことはこれだったんだ。あたしも出来れば、千登勢ちゃんのそばにずっといてあげたかったけど、現実はそうしてはくれなかった。
ごめんね、千登勢ちゃん。
まだあたしに笑顔を向けてくれる千登勢ちゃんに対して、心の中で謝った。
13
翌朝、千登勢ちゃんに見送られて、あたしは朝早くからアドセントの会社に出勤した。以前、負った怪我で入院していたこともあって、職場に来るのが随分久しぶりに思えた。見慣れた光景のはずなのにやや緊張してしまう。
「くらぁー! 遅刻だぞぉ!」
「ひゃっ!」
急に背後から声が聞こえてきて、反射的にびくっと身体が動いてしまった。
「ふふ、由美がそんなに驚くなんて思わなかったわ」
「しーずーくぅ!」
後ろにいた雫を睨みつけると、彼女は明るく笑った。
「あはは、ごめん、ごめん。でも、由美が元気そうで良かった。これでも心配してたのよ、あたし」
「心配してくれてありがとう。良き親友を持てて、あたしも幸せです」
最後のほうを棒読みで言うと、雫はまた笑ってあたしの肩をぽんぽん叩いた。
「あ、由美、そういえばさ」
「どうしたの?」
急に雫が表情を変えた。
「鴨目さん、ここ最近会社に来てないの」
「え、うそ?」
「本当よ。連絡もつかなくて係長がちょっと焦ってるわ」
雫がそう言ったのがにわかに信じられなかった。少なくともあたしは鴨目緑が会社を休んでいるところを見たことがない。もちろん、鴨目だって一人の人間だから体調を崩すことはあるだろうけど、連絡なしに休むなんて思えなかった。他の同僚にも衝撃がはしっているのか、似たような話をあちこちでしている。
「このまま来なかったら四月号の記事の内容、考え直さないといけないかもねぇ」
「……」
そのまま、あたしたちは朝礼の時間に入った。結局、鴨目緑が出勤することはなかった。
「雛鳥。おーい、雛鳥」
「はい?」
仕事の休憩時間になって、小山係長が話しかけてきた。係長から話が来るのは大抵は仕事や記事の話で、今回もそうなのかと思ったけど……。
「雛鳥、悪いがこれを今日鴨目の家に届けてくれないか?」
そう言いながら係長は封筒に入った紙の束をあたしに差し出した。
「鴨目さんに?」
「もう話は聞いてると思うが、ここ数日、鴨目は会社に出勤していない。おまけに連絡もなしだ。あいつに限ってサボりってわけじゃないと思うんだが、正直言って俺自身もかなり驚いてる」
係長がため息をつく。
「あいつの記事の状況を把握しておきたいんだ。四月号まで時間もない。これ以上、同じ状況が続くなら、あいつの記事はなしでやる可能性もあるんだ。当然だが、そんなことにはしたくない。それは他のやつの記事の状況や四月号の製本までのスケジュールをまとめた資料だ。あいつの家から一番近いのがどうやら雛鳥らしくてな。同じジャンルの記事を調べてる縁もあるから、頼みにきたんだが」
係長の説明を聞いてなるほどと思った。正直、気乗りはしなかったが、仕事に好き嫌いを絡めるのは良くない。
「わかりました。自分が届けに行きます」
「ありがとう、助かるよ」
あたしは係長が差し出した封筒を受け取った。
14
小山係長から預かった資料を手にしてあたしは仕事帰りにそのまま電車で、鴨目の家の最寄駅に向かった。
彼女のアパートは駅近くにあったからすぐにわかった。あたしの住んでいるところに造りは少し似ている。プライドの高い彼女の性格からして高級マンションにでも住んでるんじゃないかと思ったけど、意外だった。
アパートの三階に上がり、廊下を歩き進むと表札に鴨目と書かれた部屋があった。
ドアの近くに呼び鈴があったので押してみる。部屋の中から呼び出し音が鳴り響いたけど、誰かが出てくる気配はなかった。
念のため、もう一度インターホンのボタンを押す。結果は同じだった。
「留守……かな?」
「あれ? あんた、緑ちゃんとこの知り合いかい?」
横から声をかけられ、見ると背の低いおばあちゃんが立っていた。
「あ、あの、あなたは……?」
「ああ、あたしはこのアパートの管理人だよ。緑ちゃんとは長い付き合いでね。ここ一週間ぐらい帰ってないみたいだから心配してるのさ」
「え……?」
「もうすぐ月末でしょ? 緑ちゃん、家賃はいつも二十日に払ってくれるんだよ。ここ五年間ずっと。でも、今月はまだもらってないからね、心配で、心配で。あんた、何か知らないかい?」
一週間前といえば舞鶴の赤レンガ博物館で彼女と話してた時期に近い。あのあとに何かあったというのだろうか。
「あたしも知らないんです。会社にも来てないので、資料を届けに来ただけで……」
「ああ、そうだったのかい」
「お力になれずすみません」
「いや、あんたのせいじゃないよ。あ、そうだ。何か届け物があるなら部屋に置いといてもらってもいいよ」
「い、いえ、そんな勝手なこと……」
「心配することないよ。緑ちゃんがもし戻ってきたら、あたしから言っておくから。あんたの持ってるそれを置いとくだけだろ?」
「ま、まあ……」
「よし、決まりだね」
そう言っておばあちゃんはポケットから鍵の束を取り出して、その一つを鴨目の部屋の鍵穴に差し込んだ。さすがのあたしでもなんだか悪い気がしたけど、届け物を置いておくだけならと無理に納得することにした。
「はい、開いたよ。用が住んだら一階の105号室に来ておくれ。あたし、そこにいるから。じゃあね」
「ありがとうございます」
お礼を言うとおばあちゃんはアパートの階段を降りていった。
一人残ったあたしはドアを開けて部屋の中に入った。部屋の中は明かりがついていなかったけど、カーテンの隙間から差し込む太陽の光のおかげで暗くはなかった。よく掃除された綺麗な部屋だった。畳が敷かれていて部屋の端に机と椅子があり、ノートパソコンと何冊ものファイルが置かれている。
「意外と努力家だったのかしら……」
そう呟いて、とりあえず資料の入った封筒を机に上に置こうとした。
「ん?」
ずらりと並んだファイル。その一つ一つの背表紙に名前が書かれていて、その一冊に目が止まった。
『刀人と五十年前の事件』
「……刀人?」
それは偶然なのか、あるいは必然なのか、あたしと千登勢ちゃんを襲ったあの女が言っていたこと、そして拓一の話から何度も聞いた単語と同じだった。普段の生活で刀人って言葉が使われることはない。でも、今、目の前にその言葉が書かれたファイルがある。
「……」
あたしはそのファイルを手にとって、開いた。
「今から五十年前、2014年湯田月市で起こった連続殺人事件。その被害者が全員刀人と呼ばれる能力者で、当時、彼らの事件の調査をしていたのがMEP特捜課と呼ばれる組織だった……」
『半世紀前、黒刀って呼ばれていた刀人が起こした連続殺人事件がある。今は存在しないけど、特捜課ってところが刀人関連の事件を調べていたらしいぞ』
拓一の言葉が脳裏によぎる。同じだった。あたしが拓一に調査を依頼したように鴨目も独自のルートでこの事件のことを突き止めていたんだ。
ファイルには黒刀事件の詳細が書かれていて、それに関わったとされる人物の名前も書かれていた。
糸井 智彦。中西 英樹。菅原 井織。吉丘 絢音。
当時、特捜課に所属していた人たちだろう。他の項目には一般人の名前も書かれている。
中西 雄二。川崎 里菜。結城 沙耶。西馬 千秋。木出 拓馬。
たくさん書かれていた。でも、その中であたしが特に注目したのは……。
「吉丘絢音……吉丘……」
『私は唄音、吉丘唄音』
舞鶴で出会ったあの子と同じ苗字。偶然かもしれない。けれど、もしかしたら何か知っているんじゃないだろうか。一度聞いてみる必要が……。
がたん、という音が外から聞こえてきたのはその時だった。何かが落ちたような音。それに続いて何人かの人が階段をのぼってくる音が聞こえた。
「おばあさん、この部屋で間違いないですね?」
「合っているけど、あんた達誰なんだい? 本当に緑ちゃんの知り合いかい?」
「ええ、鴨目緑とは大の仲良しなんです。久しぶりにお会いしたかったの」
「どうも信じられないね。緑ちゃんと付き合いは長いけど、あんた達の話なんて聞いたことがないよ」
ドアの向こうから流暢な日本語を話す外国の女の声が聞こえてきた。その女と話してるのはさっきのおばあちゃんのようだったけど、あまり良い雰囲気の会話に聞こえなかった。
「緑ちゃん最近帰ってきてないのと何か関係があるんじゃないのかい?」
「いえいえ、とんでもありませんわ。鴨目緑はとても素晴らしい方ですよ。ここ最近の中では特に、ね」
「それはどうゆう……むぐぐっ!」
突然、おばあちゃんの声が何かに遮られた。
「んー! んーー!!」
何かで口を塞がれたのか、おばあさんのくぐもった声が聞こえてきたけど、やがてその声は静かになった。
「!」
直感で自分の身に危険が迫っていると思った。この場からすぐに出ないといけないと気がした。
あたしは窓を開けて部屋のベランダに出た。二階だったけど、すぐ下が地面になっていた。飛び降りれない高さじゃない。後ろを振り返ると、ドアノブの回る音が聞こえてきた。すぐにでも誰かが入ってくる。
「この年になってこんな事すると思ってなかったわ」
意を決してあたしはベランダから真下の地面へ飛び降りた。運動神経が良かったおかげで何とか地面に着地出来た。着ていた服は土でちょっと汚れたけど。
「……」
鴨目の部屋を一度見上げてから、あたしは走って少し離れた道路の角からアパートの様子を見た。
アパートの正面の道路脇に何台かの車が停まっている。自衛隊が使っているようなジープカーだった。普段の生活ではほとんど見ない。
「部屋の内部に人の姿はありませんでした。鴨目緑の調べていた資料の回収を始めています」
「細かいことはあなたに任せるわ、シャノン。私、そういうの苦手だから」
「わかっています、エリザさま。その代わり……」
「ふふ、わかってるわよ。あとでね」
アパートから二人の女が話をしながら出てくるのが見えた。一人は黒髪に縁の黒い眼鏡をかけたポニーテールの女、もう一人は長い金髪の女だった。二人とも背が高く、迷彩柄の服を着ている。外国人のようだったけど、流暢な日本語を使っている。そして、金髪の女の声はさっきおばあちゃんと話をしていたのと同じだった。
「あの老婆の死体の回収は創路に頼んでおきますが、よろしかったのですか?」
「別に良いわ。ミス鴨目と違って痛ぶりがいのない女性は好みではありませんから」
短い会話の中であの二人はとんでもないことを口にした。老婆の死体……死体? あのおばあさんを殺したの? そんな、あっさり。それに鴨目をいたぶったって……。
「彼女が勤めていた会社にも伺ってみましょう。ミス鴨目とは別に私たちのことを調べている奴がいるかもしれません」
黒髪の女の言葉を聞いて、口を手で抑えた。鴨目と同じように調べている別の誰か。それに当てはまっている人なんてたった一人しかいない。
「それもあなたに任せるわ、シャノン。でも、もしその人が女性なら……」
金髪の女がにやりと笑って黒髪の女に言った。
「必ず生かしたまま、私のところに連れてきなさい。必ず、よ」
「わかっています、エリザさま」
二人が停まっていた車の中に戻っていく。続いて何人かアパートから出てきたけど、その様子を最後まで見ずに、あたしはその場をあとにした。
15
電車に乗り込んで山科駅に向かっていた。
「……」
あの女たちが探していたのは今あたしが手にしている鴨目の資料だろう。あのまま、部屋にいたらあたしも殺されていたかもしれない。あの二人、特に金髪の女のほうは危険だった。見た目はとても綺麗だったけど、感じ取れた雰囲気からそれが伝わってきた。そして、あの女が言っていたことが本当なら鴨目はもう殺されているってことになる。
「……」
鴨目のことは好きではなかった。職場で嫌味を言ってくるし、プライドの高い性格だったからよくイライラすることがあった。でも、その反面、彼女の作る記事はどれも詳細に書かれていて、伝えたいことがとてもよくまとめられていたものが多かった。悔しかった、それと同時に羨ましかった。あんな性格だけど、実力があることを見せつけられて、あたしも負けないと意地を張って、色々なことを調べてきた。そうしていくうちに仕事に対するモチベーションも上がっていった。
そんな鴨目にあたしは一種の憧れを抱いていたのかもしれない。彼女も危険を承知でアフターケアのことを調べていたんだと思った。そうまでして、知りたかった事実がある。でも、彼女は死んでしまった。なら、あたしに出来ることは彼女が求めていた真実を突き止めることだ。ここまで来て全てを無駄にはしたくなかった。
やがて電車が山科駅のホームに到着した。あたしはぐっと拳を握ってホームに降りて、改札を抜けるとそのまま自分のアパートへ続く帰り道を歩いた。道を歩き進んで、自分のアパートの部屋に戻る。
「ただいまー」
玄関のところでそう言ったけど返事はない。いつもなら「由美さん、おかえりなさい!」と言って千登勢ちゃんが奥の部屋から出てくるはずなんだけど。
「……」
何故かはわからないけど、嫌な予感がした。奥の部屋のドアは半開きになっていて電気がついていた。あたしは靴を脱いで廊下を歩き、そのドアを開けた。そこにはうつ伏せになって倒れている千登勢ちゃんがいた。
「千登勢ちゃん!」
あたしは手にした鞄を置いて、千登勢ちゃんのそばにしゃがみこんだ。千登勢ちゃんは呼吸していたけど、ひどく汗をかいていた。
「あ……由美さん……おかえりなさい」
千登勢ちゃんは目を開けてそう言ったけど、その笑顔はとても弱々しかった。
「どうしたの!? 熱? 大丈夫?」
「大丈夫……です。ちょっとぼうーっとしてるだけで……う……」
あたしに心配させまいとしたみたいだけど、千登勢ちゃんは頭を抑え始めた。
「わ、わたしはみんなの仇を……他のみんなを守るためにあいつらを……う、うう」
「千登勢ちゃん、もしかして……」
「記憶が戻りつつあるのよ」
玄関のほうから声が聞こえて、後ろに振り返る。ケースを肩に背負った唄音ちゃんが立っていた。
「唄音ちゃん……」
「安静にしておく必要がありますね」
唄音ちゃんだけじゃなかった。彼女の背後から舞鶴で出会った眼鏡の男が現れる。確か、貝堂と呼ばれていた男だ。
「少しお邪魔させて頂きますよ、雛鳥由美さん」
それだけ言うと、貝堂は靴を脱いで家にあがった。唄音ちゃんもそのあとに続く。
「熱もあるようですね」
貝堂が千登勢ちゃんの額に手をあててそう言うと、彼女の身体を抱きかかえて、ベッドの上に寝かせた。
「記憶の一部が戻ったみたいで混乱しているみたいです。今日は安静にしておいたほうが良いです。唄音」
「はいはい」
貝堂に呼ばれて唄音ちゃんは背負っていたケースを床に下ろして、その外側のポケットを開けて手を入れる。中から出てきたのは熱さまシートだった。それを貝堂に渡す。受け取った貝堂が千登勢ちゃんの額にそのシートを張りつけた。
「これで少しは落ち着くでしょう」
「そういうの常備してるの?」
「ちーちゃん、身体弱ってるから色々と買ってるのよ」
「千登勢ちゃんが?」
「あなたも見たでしょ、ちーちゃんの力」
唄音ちゃんが視線をあたしのほうに向けてくる。千登勢ちゃんの力、それは間違いなく刀人としての力のことだろう。
「ちーちゃんは私よりも強い。とても強いの。けど、身体がその負担に耐えきれてない。力を使いすぎないようにって何度も言ったけど、ちーちゃんは聞かなかった」
「いったい千登勢ちゃんに何があったの?」
「ここでは言えない。ちーちゃんが思い出す可能性があるから」
唄音ちゃんは少し辛そうな表情をしながら言った。貝堂のほうも苦笑いをするだけだった。
「もう一つ……あなたたちに聞きたいことがあるの」
そう言いながら鞄から鴨目の家で手に入れた資料を取り出した。
「これ、あたしの同僚が調べていたの。五十年近く前に刀人の絡んだ大きな事件、その事件を調べていた特捜課のことが細かく書かれてるわ。あたしの直感だけど、あなた達にも大きく関係していると思う」
「五十年前……ですか」
貝堂が眼鏡をかけ直して唄音ちゃんのほうを見た。唄音ちゃんは一度貝堂のほうを睨んでから、あたしのほうを見た。
「そこまで調べることが出来たなんて奇跡に近いわね」
「じゃあ、やっぱり……」
「知らないわけじゃないわ。でも、生まれる前のことは語り聞いただけだから、断片的にしか答えられない」
「……だったら、この特捜課に所属していたリストの中に一人だけ、連絡の取れる人も調べられてあったわ。その人に会いに行って確かめてみる」
「あなた、今の状況、ちゃんとわかってるの?」
唄音ちゃんが言う状況の意味はすぐに理解できた。
「これを調べた同僚、殺されてるらしいわ……。あたしも狙われているのよね?」
そう言うと、貝堂がやれやれといった具合に息をついた。
「残念ながら、時間の問題だと思います。だから、我々はこうして雛鳥さんと千登勢をいつでも助けられるようにしているのです」
「それでも、あたしその人に会いにいくわ。会って話を聞く」
「どうしても?」
「どうしても、よ」
あたしがきっぱりと答えると、唄音ちゃんはため息をついた。
「説得しても無駄のようね。私と貝堂が連れて行くわ」
「あ、あの……わたしも行く」
後ろから声が聞こえてきて振り返る。眠っていた千登勢ちゃんが目を開けて、あたしたちのほうを見ていた。
「千登勢ちゃん、起きてたの?」
「すいません、ちょっと前に……」
千登勢ちゃんは少し笑って謝ると、上半身を起こした。
「わたしも知りたいんです。自分自身のことを。その人の話が聞きたいです」
「ちーちゃん……」
「どちらにしても、千登勢を一人で残すわけにはいきません。あなたが行きたくなくても連れて行くつもりでしたよ」
貝堂が笑って答えるのに対し、唄音ちゃんはまた不機嫌そうに眉をひそめた。けれど、すぐに無表情な顔に戻った。
「で、いつ行くの?」
「連絡が取れたらすぐにでも」
あたしはみんなを見回してそう言った。
16
数日後。
ふと目を開けると、窓の外には白い雪が降っていて、海岸線沿いの砂浜を真っ白に染めていた。車の通りは少なく、乗っている自動車はスムーズに目的地へ進んでいる。朝早くに出発してからいつの間にか眠ってしまったらしい。
「んん……」
視線を外から車内のほうに戻すと、隣の席に座っていた千登勢ちゃんがあたしにもたれかかっていた。
昨日からあまり元気がない。記憶を少し取り戻したのと、体調がまだ回復していないせいだろう。今は家を出発してからずっと眠っていた。
「……」
その寝顔があまりに可愛くて頭を撫でた。千登勢ちゃんは少し目を開けたけど、すぐにまた眠り始めた。今は寝かせておいてあげることにした。
次に前の座席のほうに視線を移した。
運転している貝堂はあたしが眠る前からずっと目的地までのルートを進んでいた。千登勢ちゃんたちの保護者だと言っていたけど本当かどうかまだ半信半疑だった。丁寧に応対してくれるので第一印象は悪いわけじゃないけど、警戒してしまう。
助手席には唄音ちゃんが座っていた。いつも背負っているケースは車の一番後ろの座席に置いてある。彼女も目を開けたままじっと前を見ていたけど、時々バックミラー越しに後ろの千登勢ちゃんの様子を見ているのは何となくわかっていた。
最初に会った時と違って千登勢ちゃんを無理やり連れて帰ろうとする素振りはなかった。けど、それでも彼女のことを心配しているのは明らかだった。
『ちーちゃんは……私の大切な友達だから』
あの時、初めて感情のこもった声で言った唄音ちゃんの一言は今も頭に残っている。千登勢ちゃんのことをとても大切に思っているんだろう。でも、千登勢ちゃん本人は記憶をなくしていて、唄音ちゃんのことを覚えていない。それはとても辛いことに違いなかった。それでも、彼女は表情変えずに前をじっと見つめている。
とても強い子ね。あたしなんかよりも。
ため息をついて、窓の外を見つめた。太平洋沿いに和歌山県の周囲を覆うように続いている国道四十二号線。このままずっと走り続ければ、日本最南端の潮岬の灯台や円月島、千畳敷が有名な白浜の海に着くこともできるけど、あたしたちの目的地はそこじゃなかった。
「ここを曲がれば良いんですね」
運転していた貝堂の声が聞こえてきて、車が国道四十二号線から外れて別の道に入る。海が見えていた風景から左右が山林に覆われた自然に変わり始めた。道を登っていて、より自然が濃くなっていく。
「休憩を挟んだとはいえ、少し身体に応えますね」
ここまで何時間も運転していた貝堂が眼鏡をかけ直して言った。
「歳なんじゃないの、貝堂?」
「そうかもしれませんね」
唄音ちゃんがそう言っても貝堂は苦笑いするだけだった。
それから山道を登り続けてしばらくすると、目的地が見えてきた。ユネスコ世界遺産に登録されている熊野那智大社。那智の滝がとても有名で、道のりが長いにも関わらず、訪れる観光客はとても多かった。
「良い場所ですね。この近くに住みたい気持ち、何となくわかります」
「それだけじゃないと思うわ。ここにいればまだ安全なのよ。都会で暮らすよりも」
唄音ちゃんが意味深に言ったけど、その真意はあたしには理解出来なかった。
那智大社への入口である鳥居が見えてきたけど、車はそこを通り過ぎて、さらに山道を登り続けた。那智の山の頂上付近にまで来ると、それまで見かけていた観光客の姿がぱったり消えた。やがて、前方に十数軒の住宅が建ち並ぶ集落が見えてきた。
「ようやく到着……ですね」
集落の入口近くに車を停めた貝堂が大きく息をついた。ここまでの道のりを一人で運転してきて、相当身体に応えたらしい。
「雛鳥さん、私はここで一休みします」
「え、でも……」
「大丈夫です。帰りの体力は回復しておきますので」
貝堂は笑顔でそう言った。
「……わかったわ。千登勢ちゃん」
「……起きてます」
ずっと眠っているはずだった千登勢ちゃんはいつの間にか目を覚ましていた。車のドアを開けて外に降りる。それと同じタイミングで助手席のドアが開いて、唄音ちゃんも降りてきた。
「私も行く」
「……」
そう言った唄音ちゃんに対して千登勢ちゃんは何も言わなかった。代わりにあたしの手をぎゅっと握り締めた。
「行きましょう」
二人に言って、あたしは集落の中へ入った。どの住宅も人が住んでいる気配はあったけど、どこか寂しげのある雰囲気が漂っていた。活気に満ち溢れているのとは程遠い。全く知らない世界に飛ばされたような孤独感を強く感じるような場所だった。その中であたしは目的の家を探した。
「……あったわ」
見つけた。瓦の屋根の和風なイメージがある住宅。その表札に『中西』と書かれている。鴨目緑の調べていた住所と合致した。
「ここで間違いないわね」
「……」
「……」
千登勢ちゃん、そして唄音ちゃんもやや緊張した表情でその家を見ていた。あたしは気を引き締めて、表札の下にあるインターホンを押した。しばらく待つと、玄関の引き戸が開いて一人の女性が姿を現した。肩ぐらいまでの長さのある白い髪を後ろで一つに結んでいるおばあさんだった。眼鏡をかけていて、あたしたちのほうをじっと見ていた。
「こんにちは、株式会社アドセントの雛鳥由美です」
「……ああ、雛鳥さん。連絡をくれた方ですね?」
「では、あなたが中西 紗栄さん?」
「ええ、初めまして」
紗栄さんは丁寧に頭を下げた。鴨目の調べていた情報通りなら七十近いおばあさんのはずだった。けれど、その声はとてもしっかりしている。
「あ、この子は秋野千登勢ちゃんです」
「は、初めまして、秋野千登勢です」
千登勢ちゃんは緊張気味に頭を下げた。
「こちらが吉丘唄音ちゃん」
「唄音です」
千登勢ちゃんと対称的に唄音ちゃんは無愛想にそう言うだけだった。
「……」
けれど、紗栄さんの視線は唄音ちゃんのほうに釘付けになっていた。何かあるのだろうか。
紗栄さんはしばらく唄音ちゃんのほうを見ていたけど、やがてあたしたちを見回して笑顔になった。
「遠いところからよく来てくれました。さ、中へどうぞ。主人も喜んでくれると思います」
17
紗栄さんの案内を受けて、あたしたちは家の中に入った。右手に大きな中庭が見える木の廊下を歩いていく。左手にいくつか部屋があって、先を歩く紗栄さんがその途中の部屋で立ち止まり、閉じられていた襖の前で立ち止まった。
「雄二さん、私です。雛鳥さんたちがお見えになっています」
「……入ってもらいなさい」
襖の奥から老人の低い声が聞こえた。紗栄さんが襖をゆっくり開けた。
「どうぞ」
「失礼します」
頭を下げて、千登勢ちゃんたちと一緒に部屋の中に入った。八畳ほどの広さのある和室。部屋の周囲には本棚が置かれていて、たくさんの本が置かれている。冬なのでストーブもある。その部屋のちょうど中央に布団が敷かれていて、そこで眠っている一人の老人がいた。紗栄さんと対称的にその老人はとても弱々しく見えた。
「あなたが……中西雄二さん?」
「……この歳になって、自分を訪ねる人がいるなんて驚きです」
老人が目を開けて、あたしのほうを見る。
「中西雄二です。遠いところからよく来てくれました、雛鳥由美さん」
雄二さんは起き上がろうとしたけど、苦しそうな表情を浮かべた。反射的に手を差し伸べようとしたけど、それより先に紗栄さんが雄二さんのそばにしゃがみこんで彼の背中を支えた。
「ありがとう、紗栄」
「無理しないでください、雄二さん」
「大丈夫だ、これぐらい」
心配する紗栄さんに笑いかけると雄二さんはあたし、そして後ろにいる千登勢ちゃんや唄音ちゃんのほうを見た。
「ちゃんとしたおもてなしも出来なくて申し訳ない。まあ、座ってください」
雄二さんがそう言うのであたしはその場に座った。千登勢ちゃんがその隣に座って、唄音ちゃんは少し離れた場所に座った。
「正直言って連絡を受けた時は信じられない気持ちでいっぱいでした。自分たちがここにいるってことよく分かりましたね」
「同僚が調べていたんです。五十年近く前に存在したMEP特捜課という組織にあなたが所属していたことを」
「特捜課!? それは――!」
「紗栄、静かにしなさい」
驚いたように声をあげた紗栄さんを手で制して、雄二さんはあたしのほうを見た。
「そこまで調べることが出来たのは容易なことじゃない。もしかしたらその方は殺されているかもしれない」
「……恐らくもうこの世にはいません」
「では、雛鳥さん、あなたも危険だ。この件には手を引きなさい」
厳しめの口調で言う雄二さんに対して、あたしはあきらめたように少し笑った。
「あたしも既に狙われていると思います。この子たちに出会った時から、もうこうなる運命だったんです」
「……」
「お願いします、中西雄二さん。あたしの知りたいことは電話でお伝えした通りです。五十年前、いったい何があったのか。刀人たちはどうなってしまったんですか?」
あたしがそう聞くと、紗栄さんが辛そうに顔を下に向けた。雄二さんが彼女の背中を撫でた。
「紗栄、あれを持ってきてくれ」
「雄二さん。でも……」
「構わない。持ってきなさい」
雄二さんがそう言うと紗栄さんは立ち上がって部屋を出ていった。しばらくして戻ってくるとその手には数冊の手帳が握りしめられていた。
「これを取り出す時が来るとはな……」
雄二さんが紗栄さんからそれを受け取ると、そのうちの一冊を大切そうに撫でた。少しの間だけ目を閉じる。
「あなたのしてきたことがようやく報われますよ、吉丘さん」
そう呟いて目を開けると、あたしのほうを見た。
「この日記にはある人の記録が書かれている。それこそ、一人の人生が書かれた日記だ」
「ある人?」
「彼女の名前は吉丘 絢音。刀人と共にずっと生きてきた女性だ」
そう言いながら雄二さんは語り始めた。
あたしの想像を遥かに超えた一人の女性の物語を。
第十七話 真実を求めて 終。次回へ続く。




