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第十六話 RUPA

第十六話 RUPA


1


「はあ……はあ……」

 耳元で荒い息遣いが聞こえてくる。名前も知らない男の声だった。その男が裸で私の上に乗って身体を大きく揺らしている。

「良いよ、最高だよ、花麗(かれい)ちゃん!」

「……」

 乗られている私も仰向けになっていて、男と同じように身体が揺れていた。何をされているのか、もうわかっている。小さい頃から何度も経験していたせいで、もう何も感じなくなっていた。毎日のようにこういう男たちと何度も夜を過ごしていたことも、部屋に入る前に男たちがお父さんにお金を払っているところも。もう私には見慣れてしまった光景だった。

「いやぁ、今日も最高でしたよ、字倉(あざくら)さん」

「へへ、良い娘でしょう。また、お願いしますぜ」

「もちろん。今度は連れも来ると思うのでよろしく頼みます」

 早朝、さっきまで夜を共にしていた男がお父さんに何度もお礼を言って去っていった。私はしわになった服を気にしつつ、その様子を呆然と眺めていた。

「よし、帰るぞ、花麗。何ぼうっとしてる? 今日は学校だろ」

「うん……」

 お父さんが私を車の助手席に乗せて、町の通りを走り始めた。

「いやいや、助かったよ、花麗。お前みたいな娘をあの女が残してくれて本当に良かった。これで借りてた金を返せる」

「……」

「あのお客さんも常連になりそうだ。今度は明後日を予定しているからな。学校が終わったらすぐに帰ってこいよ」

「……」

「おい、聞いているのか、花麗?」

「なに?」

「何だ、その態度は? お父さんが話しているんだから、無視するのはやめなさい」

「……うん」

「家に帰ったら一回風呂に入っとけよ。今のまま学校に行ったら変に思われる」

「……」

 お父さんは幼い時からろくでもない人だった。全然、働かずに毎日酒浸りの日々を送っていた。そんなお父さんのためにお母さんはいくつも仕事を掛け持ちして必死に働いていた。

 でも、お母さんは無理をしすぎた。私が小学五年の時に過労で死んでしまった。

「ちっ、俺を置いて先にくたばりやがるとは……。使えないやつだ」

 葬式のあとにお父さんが言っていた言葉は今でも覚えている。その後、お父さんは一変して、見向きもしていなかった私を大切にするようになった。

「花麗、今日はお前のためにいっぱい服を買ってきた。これを着ていきなさい」

「化粧することを覚えろ、花麗。おしゃれは大事だぞ」

「花麗、お前へのプレゼントだ。綺麗なネックレスだろ? これをつけていきなさい」

 幼い頃の私はお父さんが優しくなってくれて、最初は嬉しかった。でも、どうしてそうなったのか、すぐに理解できた。

「いや、やめて! やめてよ、お父さん!」

「動くなよ、花麗! ちゃんと覚えておかないと、お客さんに失礼だろ。だから、お父さんと練習しておかないとな!」

 暗いアパートの一室でお父さんは私を襲った。いやだ、いやだって何度叫んでもお父さんはやめてくれなかった。他の部屋に住んでる人たちは気づいてはいたけど、助けてくれなかった。

 そして、お父さんは私を色々な男たちに売り始めた。その金で酒を飲んだり、たばこを吸ったり、借りてたお金を返したり……そんな日々が繰り返された。

 お父さんは私から色々なものを奪っていった。


 2


 学校にも私の居場所はなかった。

 担任の先生に相談したことがあったけど、面倒事は嫌だと言わんばかりの態度でまともに取り合ってもらえなかった。それどころか、私が売春してるとクラスの間で噂が広まるようになり、誰も私に話しかけようとしなかった。

「なんだと、花麗? もう一度言ってみろ」

「もうこんなことやりたくないって言ったの」

 ある日、今の生活に耐えられなくなった私はお父さんにそう言った。すると、お父さんは鼻で笑った。

「今さら何を言うんだ、花麗? お前がその身体に生まれてきてくれたおかげで、大金は手に入るし、美味いもんが食べれるんだぞ。父さんもお前もみんな幸せじゃないか」

「……違う。お父さんは自分のことしか考えてない。私の幸せなんてこれぽっちも考えたことなんかないくせに。お父さんは自分が良ければそれでいいのよ」

「なに?」

「お父さんは私に何もくれなかった。私からお母さんを、私が過ごすはずだった楽しい時間を、私の大切なものを、奪って……ただ奪うだけで、何もくれなかった。お父さんは私のことなんか大切にしていない。ただ自分のことが好きなだけよ」

 そう言った直後にばしっと頬に衝撃がはしった。

「!」

 その勢いが強くて私は床に倒れた。お父さんが私の頬を叩いたのだとすぐにわかった。

「ふ、ふふ……言うようになったじゃないか、花麗」

 見上げると、お父さんはにやりと笑っていた。その目が何かを狙うように光っている。

 この目をしている時、お父さんが何を考えているのか、すぐに悟った。

「これはもう一度身体に教えてやらないといけないなぁ!」

 お父さんが私に覆いかぶさってくる。

「いや! やめて! やめて!」

「おとなしくしろ、花麗! お前の身体は俺のものだ!」

 必死に抵抗してもお父さんはそれ以上の力で私を抑え込んできた。

 まただ。また、この人は私から奪おうとしてくる。それなら……。

 今度は私がお父さんから奪う。

 そう決意した後、何が起こったのか、私にはわからなかった。

「はあ、はあ……」

 気づいたら、私は肩で息をしていて、全身が真っ赤な血で濡れていた。両手に黒くて長い棒を持っていて、足元に血まみれになって死んでいるお父さんの姿があった。

 あの時、私は刀人になった。


 3


 2066年二月下旬。大阪府某所。


「花麗? 花麗?」

「……え?」

 どこかの喫茶店。声が聞こえてきてふと我に帰った。テーブルの反対側の席に座っていた伊月(いつき)が心配そうな表情をしている。

「大丈夫? 何か考え事かい?」

「ああ、ごめん。ちょっとね……」

「あまり眠っていないようだね。寝不足は良くないよ」

「ええ、わかってるわ」

 私がそう言うと、伊月は灰色のソフトハットを被り直して、席から立ち上がった。

「そろそろ行こう。同じ場所に長く留まっているのは賢明じゃない」

「うん」

 お金を払って、私たちは喫茶店を出た。

 平日の昼間とはいえ、大阪駅の内部は大勢の人で賑わっていた。人ごみの中を通るのはあまり好きじゃなかったけど、この中で浜家(はまや)たちが私たちを見つけることは難しいだろう。

「環状線の電車に乗り換えるよ。離れないでね、花麗」

「ええ」

 伊月はどこかはっきりとした目的地を決めているようだけど、それがどこなのかまだ言っていない。ここ一年で少年らしさがなくなって、背が伸びた彼の背中はとても頼りがいがあるように思える。二人っきりの時間が多くなって、自分の中にある彼への想いは大きくなる一方だけど、私はその気持ちを未だに打ち明けることが出来ていない。

 とても出来ない。あの子を助けたい。彼の目に宿る強い光はその思いだけだった。私が立ち入る余裕なんてなかった。

 大阪駅から環状線の電車に乗って、伊月と私は新今宮駅という場所で降りた。

 改札を抜けて、伊月が真っ直ぐ歩いていく先には多くの飲食店が建ち並ぶ通りがあって、奥にはこの町のシンボルと言える通天閣が見える。

「すごい場所ね……」

 私にとってその全てが新しい光景だった。普段、買い物や食べ歩きをするために出かけることはないし、仕事以外で施設から離れた場所へ出向くこともなかった。

「ここは串カツ屋が多いんだ」

「串カツ?」

「大阪の名物と呼ばれている食べ物でね、油で揚げた肉や野菜が串に刺さっていて、それにソースをつけて食べるんだ」

「美味しそうね」

「今度連れて行ってあげるよ」

 そう言いながら伊月は優しく笑ってくれる。彼が笑顔でいる時は寂しさを感じることが多いけど、時々、今のような優しい笑みを垣間見ることがある。

 通天閣の真下を通り過ぎて、伊月は奥の道へ進んだ。そのあとについていくと、古い家やアパートが建ち並ぶ裏路地に入った。

「伊月、どこへ行くの?」

「もうすぐだよ。うん、ここだ」

 そう言って伊月は一軒のアパートの前で立ち止まった。近くにあった階段を上がって、二階の廊下を歩いていき、一番奥の部屋に向かう。

「え? もしかして、ここって……」

「ふふ」

 その部屋の表札を見て驚く私の反応に伊月は笑うと、インターホンを押した。

 ピンポーン、ともう聞くことがないと思っていたチャイムが鳴って、ドタバタと音が聞こえてきた。鍵が外れる音がして、ドアが開く。

「新聞はもう頼んでないですよぉ~」

 怠けた声、ボサボサの髪、冬場だというのに可愛いヒヨコのイラストが描かれたTシャツ一枚と、短いズボンを履いた女の子。誰なのかすぐにわかった。

「やあ、久しぶりだね、創路(そうじ)

「……ふぇっ?」

 まだ寝ぼけているのか、創路はきょとんとした顔で私と伊月を交互に見た。そして……。

「……い、伊月さん!? ひょえええええええ!」

 ようやく状況を理解した創路が変な声を出して、発狂した。


 4


「いやぁ、そんなに驚いてもらえるなんて思わなかったよ」

「驚くに決まってるじゃないですか! まさか伊月さんが訪ねてくるなんて……あと、字倉(あざくら)さんも」

「悪かったわね、伊月と一緒にいて」

「もう空気読んでくださいよ。まったく……」

 ぷうっと頬を膨らませつつも、創路は部屋の中央にあるちゃぶ台の上にお茶を置いた。その周りに私と伊月は座っている。

 まさか、創路がこんなところに住んでいたなんてね……それにしても。

 部屋の周りを見回すと、床は下着やお菓子の食べかすなどで散らかっていて、綺麗な部屋とはとても言えなかった。パソコンのそばには何本かのゲームソフトが散乱していて、そのどれもが男同士の恋愛シミュレーションのような……いわゆる腐女子向けのゲームばかりだった。その裏に置かれた本棚にも大量のゲームソフトが並べられていて、それと不釣り合いに多くの医学書や葬儀に関連した分厚い本があった。

「字倉さん、そんなに部屋をじろじろ見ないでください」

「ごめんなさい。あなたがこういう部屋に住んでるなんて、想像してなかったから、つい……」

「それは申し訳ありませんでしたね。うちはこういう部屋に住んでるんですよーだ!」

 創路はべーっと舌を出してそう言うと、床に座った。

「伊月さん、全然連絡が来ないので心配していたんですよ」

「悪かったね。浜家や吉住の監視を掻い潜るのが容易じゃなかったから」

「伊月さんがまさかダルレストを抜けることになるなんて、想像していませんでした。浜家さんたちはカンカンですよ。お二人の行方を必死に追っていると思います。それに……」

「それに?」

 伊月がそう聞くと、創路はやや躊躇った素振りを見せた。けど、すぐにパソコンの裏にある本棚から一冊のファイルを取り出してちゃぶ台の上に置いた。

「伊月さん、字倉さん、RUPAが日本に入ってきています」

「RUPA? 本当に?」

 伊月が少し驚いた表情をした。

「ええ、行方をくらましたガードレディの方々を探し出すために浜家さんたちが要請したようです」

「RUPA?」

「ああ、花麗は知らなかったんだね」

 伊月が創路から私のほうに視線を移した。

「Regulation of Unusual Power Agency。直訳すると普通ではない力を規制する組織。通称RUPA。僕たち刀人を監視し、取り締まっているところだよ」

「それってもしかして浜家が言っていた……」

「はい。いくら施設に収容しているとはいえ、ダルレストで生活している人たちは全員が刀人です。そんな皆さんが一斉に反乱を引き起こしたら大惨事になりかねません。事実、ダルレストの方々は普段の生活に不満を抱いている人が大多数です」

 創路がお茶を飲みながら説明した。確かにあそこでの生活はほとんど刑務所の囚人のそれと変わりなかった。私や伊月はまだ優遇されていたほうだけど、下っ端の刀人たちの中には苛立ちを募らせている者は少なくなかった。

「そこで彼らが迂闊に反旗を翻さないようにするために作られたのがRUPAです。刀人たちが浜家さんたちに逆らわないように監視し、必要とあれば再教育を施すことが彼女たちの役目になっています」

「彼女たち?」

 創路の言い方が引っかかってそう聞いた。

「はい、RUPAの構成員はほとんどが女性の方なんです」

「それも全員が刀人で、その能力の武器で戦うのではなく、刀人の力で発揮される身体能力だけで色々な仕事を請け負う殺し屋なんだよ」

 伊月がソフトハットを被り直して創路のほうに視線を移した。

「創路、RUPAの誰が来ているのか、調べはついているのかい?」

「まだ全てのメンバーを把握しているわけではありませんけど……」

 創路がちゃぶ台の上に置いたファイルを開いた。

「一週間ほど前にアダムス・エリザベートさんが来日しているのが確認されています」

「アダムスって……もしかしてエリザのこと?」

「はい」

「なるほど……浜家たちは本気なんだね」

 伊月が深くため息をつく。

「どうしたの、伊月?」

「エリザはRUPAのリーダーでね。昔、一度だけ会ったことがあるんだけど……だめだね、良い思い出がないよ」

 伊月がどこか寂しげな表情を浮かべる。そのエリザとかいう女と何かの因縁があるみたいだ。ファイルには金髪の長い髪をした女が写っている。映画女優に匹敵するくらい綺麗な女だけど、何か不気味なオーラのようなものも感じ取れた。

「アダムスさん以外に確認されているのはシャノン・オルティナさん。この方はアダムスさんの助手と言いますか、マネージャーさんみたいな方です」

 次のページには黒髪に黒縁メガネ、黒いスーツを着た女が写っていた。

「次にクリス・ハルメンさん。この方はいつも顔を黒い布で隠しているので素顔はわかっていません。女性の方ってことは確認されているんですけど。RUPAの中では一流のスナイパーと呼ばれています」

 創路の言ったようにそのページには黒い布で顔を隠した女が写っていた。背中にライフルの入ったケースを背負っている。

「他にも何名かいるようですが、正確な人数はうちにもわかりません。RUPAの方々は用心深くて、簡単に情報が手に入らない状況になっています。ただ数日前に京都で動きがありました」

「何があったんだい?」

「メンバーの中で唯一刀人の武器を好んで使っているマサヌ・ハーパーさんって人がいるんですけど、この人が死体で発見されました。何か大きな力で蹴り飛ばされたような傷跡が確認されています」

「蹴り飛ばされた?」

「ええ、恐らく希莉絵さんの一人娘の秋野千登勢さんだと思います」

「あの子か。各地方に潜伏しているガードレディたちの中で唯一、ダルレストの刀人たちを殺し回っている子だよね?」

「はい、以前の戦闘で行方知れずになっていたんですけど、京都市内のどこかにいるみたいです」

 伊月と創路の話を聞きながら私は河馬根利(かばねり)工場での戦いを思い返していた。

 あの時に捕まっていた桃色の髪の子がアサガオ本部の戦いで多くの仲間を失い、その仇と捕まった母親を取り戻すために単独で行動していることは、以前から知っていた。でも、いくら強い刀人とはいえ、そんな無茶な行動をすれば、多くの痕跡を残すことになる。もし捕まれば尋問され、他の仲間がどこにいるのか喋らされることになるだろう。賢い行動とは言えなかった。

「それと少し面倒なことになっています」

「面倒?」

 伊月が聞き返すと、創路は息をついて一枚の写真をちゃぶ台の上に置いた。そこにはまた別の女が写っている。

「彼女、名前は雛鳥由美さんって言うんですけど、どうやら千登勢さんと一緒にいるそうです。巻き込まれたって表現のほうが良いかもしれませんけど。そして、偶然か必然か、彼女は梨折(なしおり)秀平(しゅうへい)さんの元婚約者なんです」

「梨折秀平の?」

「ええ、彼女の身に危険なことがあれば、梨折秀平さんも姿を見せる可能性があります。いずれにしてもダルレストとRUPAの方々は千登勢さんと由美さんの行方を探すのに躍起になっているようです」

「創路、エリザたちはこの雛鳥由美の足取りをもう掴んでいるのかい?」

 伊月が今まで以上に強い口調で聞いた。創路は首を横に振る。

「まだ完全に把握しているわけではありません。ですが、時間の問題です。見つかれば、二人ともアダムスさんに拷問される可能性も――」

「それはさせてはいけない」

 伊月は創路の言葉を遮った。強い怒りのこもった目だった。

「これ以上、エリザのせいで闇に堕ちる人を増やしてはいけない。僕が何とかする。創路、雛鳥由美と秋野千登勢の身に何かあったら連絡してくれ」

「伊月さん、わかっていると思いますが、今度は浜家さんたちだけではありません。あなたの行動はRUPAの方々も敵に回すことになるんですよ」

「自分のやってる事が愚かなのはわかってるよ。けど、梨折秀平たちの居場所を突き止めて、もう一度協力してもらうためにも、この二人は抑えておきたい。それが皐月(さつき)を取り戻す最後のチャンスなんだ」

「……わかりました。自分の居場所を捨てて、みんなを敵に回して、自分を追い込んでまで、助けたいんですね?」

「そうだよ。でも、僕は一人じゃない。君も、花麗も、僕の大切な仲間だ」

「……」

 大切な仲間。伊月のその言葉が心に響いてくる。こんなに自分のことを大切に思ってくれる人は今まで一人もいなかった。

 やっぱり伊月は違った。伊月だけは特別だった。今も、最初に会った頃も。伊月は私の中で大きな存在だった。


 5


 父を殺してから数日後、刀人になった私の所に浜家と吉住たちが来て、私はダルレストに回収されることになった。

「父親は既に死んでいた。親戚の記憶操作も完了している。もうお前のことを知る者は外部にいない」

「……」

 浜家からそう言われても、私は寂しいなんてこれっぽっちも思わなかった。元々、父親の歪んだ性格を知っていた叔父や従兄弟は私たち二人と関わろうとしなかったし、その父親の娘というレッテルだけでも、距離を置くには充分すぎる力を持っていた。

 だから、ダルレスト内部の生活はアフターケアの施設に縛られてると言っても、あまり不満を抱かなかった。浜家たちに言われたとおりに知らない誰かを始末さえすれば、最低限の衣食住は保証される。それに他の子と違って、元々の能力が高かった私はオリジナルの刀人として優遇された。

 ここでの暮らしは父親との生活に比べたら、全然ましだった。

 けれど、私の心の中は虚ろなままだった。このまま、私は色々なことを考えないまま、人を殺し続けて生きていく。そんな人生に意味なんてあるのだろうか……。

 私はどうして生きているんだろう。

 答えのない思考を張り巡らし、何の価値もない日々を延々と送り続けた。

 そうして数年が経ったある時。

「君が字倉花麗だね」

 私の部屋を訪ねてきた一人の少年がいた。灰色のソフトハットを被り、穏やかな印象が強いその子は他の刀人とは違った雰囲気を持っていた。

「お互いにオリジナルの刀人になったよしみで、交流を深めるようにって浜家から言われたんだ。僕は前から君と話がしたいと思っていたんだけどね」

「私と?」

「うん。ああ、自己紹介をしていなかったね。僕は伊月(いつき)だ。よろしく、花麗。花麗って呼んでもいいかい?」

 それが伊月との初めての出会いだった。

 私にとって伊月はとても不思議な少年だった。

「花麗は小説を読んだことがある?」

「小説?」

「字だけの本だよ。漫画じゃなくてさ」

「どうかしら。たぶん、読んだことないわ」

 素っ気なく答えると、伊月は手にした本を開いた。

「小説ってすごいんだよ。一人の人間がさ、必死に考えて、知恵をしぼって形にしたものなんだよ。その人が伝えたいって思ったことを字だけで表現しているんだ。自分の気持ちって言葉でも伝わらない時があるのに、小説を書いてる人たちってすごいと思わないかい?」

「そう言われたらそうだと思うけど」

「僕たちがまだ知らないたくさんのことがこの本に詰まっているんだ。こんな生き方もある、こんな人生を送った人がいる、こんな物語を考えることができる。全てが新しい、全く未知の世界なんだ。それってすごくわくわくすると思わない?」

「……」

 またある時は。

「花麗、ランニングバーって知ってる?」

「ううん、知らないわ」

「知らないの? それはもったいないね。仕事が終わった後に食べるのが僕の日課でね、一働きした後に食べると味が格別なんだよ。バニラ味とチョコ味があるんだけど、夏限定でチーズケーキ味が出るんだ。これが一番良いんだよ。十本ぐらい買いだめしてるからこれあげるよ」

 そう言って彼は私にアイスをくれた。とても美味しくて、時々、そのアイスを食べるのが楽しみになった。

 伊月は仕事の時はもちろん、仕事以外の時でも積極的に話しかけてきた。その話題はダルレスト内部の重要な話の時もあったけど、ただの雑談も多かった。基本的に私は相槌をうつだけで、伊月が話すことのほうが多かった。受け答えしているだけで、本当に彼が楽しいのかわからなかったけど、伊月はいつも何かを話すようにしていた。

 そうしているうちに伊月の話を聞くのが楽しみになっている自分に気付いた。それと同時に、どうして伊月がそこまで私に話しかけてくるのか気になった。浜家からの指示を受けているだけって可能性もあるけど、他にも理由があるんじゃないかと思って聞いてみたことがある。

「伊月、あなたはどうして私にそこまで関わろうとするの? オリジナルの刀人と言っても、私は他の子と大差なんてないし、何か特別な力を持っているわけでもないわ。あなたが得することなんて……」

「僕が損するか得するかで君と話してるわけじゃないよ、花麗」

「え?」

「君は他の子と違って感情を持った目をしている。まだ心を失っていない。僕と似ているから」

 そう言って伊月は笑顔を見せた。

「僕たちは刀人の力を持っているけど、だからと言って人間じゃないってことにはならない。僕たちは人間だ。笑ったり、怒ったり、悲しんだりする生き物だ。浜家たちは感情を出すなって言うけど、そんなことできるわけないよ。誰の心にも痛みはある。花麗もそうでしょ?」

「……うん」

「ここでの暮らし以外にも僕たちの生きる道は必ずある。僕はそう信じている。花麗ならわかってくれると思ったんだよ」

 その時、伊月が言った言葉を理解できたわけじゃない。でも、何となく、彼が何かを目指して前に進んでいる強い目を持っていることがわかった。私みたいに毎日を虚ろな気持ちで過ごしているわけじゃない。それが何なのかとても興味があった。

 だから、私は彼に付いていくことにした。父親や知らない男たちとは全然違う。彼は私から何かを奪っていく人じゃない。

 彼は初めて私に何かをくれた人だから。


 6


 伊月、花麗が創路と出会う数日前。京都 大文字山。


 深夜。私は木々の間から綺麗な月が垣間見える山道を歩いていた。

貝堂(かいどう)、まだなの?」

「もうすぐですよ、唄音(うたね)。フィールドが展開されたのはついさっきです」

 先を歩く貝堂がスマホを時々確認しながら言う。険しい山道とはいえ、その足取りが遅くなることはない。私も立ち止まることなく、彼のあとについていった。

「……」

 フィールドの反応があったのは数時間前。貝堂と共に河原町の通りで聞き込みをしていた時だった。刀人の能力を使った反応も出ている。つまり、奴らが特定の刀人を仕留めるためにフィールドを使った可能性が高かった。

 ガードレディの刀人たちが各地方に潜伏している今の状況で、奴ら以外の刀人はちーちゃんしかいない。また、あの力を使ってしまったのだろう。

「ちーちゃん……」

 ちーちゃんは確かに強くなった。アメリカに行く前とは別人みたいだった。けど、刀人の力が強すぎるせいで、身体への負担も大きかった。無理に使いすぎると、自分の命を縮めることになる。

 早く、早く連れ戻さないと。

「唄音、着きましたよ」

 貝堂の声が聞こえてきて私は足を止めた。木々の生い茂る山道の先に開けた場所が見える。五山の送り火の際に焚き火を行う場所だった。今は冬場ということもあって辺りは静まり返っている。

「これは……」

「……」

 けれど、その光景を見た時には言葉を失った。地面に開いた大きな穴、何かが吹き飛ばされたような跡、その先にある木の下で死んでいる人の姿。ここで戦闘があったのは言うまでもなかった。

「随分と派手に暴れたみたいですね」

 やれやれと言った具合で肩をすくめると、貝堂は死体のほうに歩いていく。私もそのあとについていった。

 遺体は無残な状態だったけど、アメリカで調べていた時のリストに載っていた女に間違いなかった。刀人の武器に頼らず、刀人の力で強化された身体能力だけで戦うRUPA。その中で唯一、刀人の武器を好んで使っている女がこいつだった。腹部の辺りに何かで蹴られたようなあとがあって、それが致命傷になったのだろう。

「この傷、間違いない。ちーちゃんがやったんだ」

「そのようですね。しかし、どうして千登勢はこんなところにいたのでしょうか?」

「……」

 貝堂の質問に答えずに周りの状況を確認する。辺りが暗くなっているにも関わらず、それが目に止まったのは訓練のおかげか、今までの戦いで私が他の人の何倍も目が良いおかげかもしれない。死体から離れて、私は焚き火をする石垣のそばに落ちていたそれを拾った。

「唄音、それは?」

「……名刺ね」

 拾い上げた名刺を貝堂に渡す。

「株式会社アドセント……雛鳥由美?」

「手がかりね。その女がちーちゃんといる可能性がある」

「どういう経緯でこの雛鳥さんと知り合ったのかわかりませんが、その線で調べる必要があるみたいですね」

「ええ……!」

 何かの気配を感じた。貝堂もそれに気づいたのか、口を閉じたまま私のほうを見る。お互いに頷き合って、死体があった反対側の森のほうに身を隠した。それから十秒も経たないうちに登ってきた山道とは違う方向から車の走る音が聞こえてくる。

「こんな時間にいったい誰でしょうか?」

「聞く必要があるの、貝堂? そんなの答えは一つに決まってるじゃない」

 やがて、車のヘッドライトが見えてきて、石垣のそばに次々と車が停まっていく。ダルレストの所有している黒のバンだった。バンが開いて、黒いスーツを着た男たちが何人か降りてくる。その中で黒縁メガネをかけたポニーテールの女がいた。

「あの女見たことあるわ」

「ええ、RUPAのメンバーの一人『シャノン・オルティナ』ですね」

 シャノンのあとに続いて顔を黒い布で隠した背の高い女が現れた。アメリカで奴らの動向を監視していた時にも何度か見かけたことがある。クリス・ハルメンって名前しかわからないけど。

「唄音」

 隣にいた貝堂が何かを差し出してくる。特殊なトランシーバーに繋がれたイヤホンだった。片方は貝堂が耳につけている。それを受け取って耳に差し込むと連中の会話が聴こえてきた。

『ハーパーがやられたみたいですね。あれほど単独で行かないようにって忠告していたのに……馬鹿な女です』

『遺体は創路に回収するように連絡しておきます』

『よろしくお願いします』

シャノンとスーツの男が話をしている中で、黒い布の女が遺体のほうを調べていた。

『もう一人、誰かいた』

『本当ですか?』

『誰かはわからない』

『エリザ様の言ってた奴かしら。最近、施設周辺を探ってるやつがいるとかいう』

「!」

シャノンが言った「エリザ」という言葉に耳を疑った。貝堂のほうを見ると、彼も深刻な表情を浮かべて私のほうを見ていた。

『遺体の回収は創路に任せて、我々は本部に戻って報告します。行くわよ、クリス』

『わかった』

 シャノンと黒い布の女がバンのほうに戻っていく。私は耳に付けていたイヤホンを外した。

「貝堂、聞いた?」

「ええ、確かに聞きました。まさか、アダムスがこちらに来ているとは……」

 貝堂は大きくため息をついた。

「彼女だけはそう簡単に動かないと思っていましたが」

「あの女がわざわざこっちに来る理由なんて一つしかないわ。ちーちゃんを狙ってるからよ」

「そうみたいですね。あまりゆっくりしていられなくなりました。彼女に捕まれば、いくら千登勢でも無事には済まない」

「そんなこと、向こうで活動していた頃からわかっていたことでしょ」

私はケースを背負い直して立ち上がった。

「早くちーちゃんを見つけるわよ、貝堂」

「ええ、わかっていますよ、唄音」

 そう言って貝堂はポケットから私が渡した名刺を出した。

「そのためにも雛鳥由美さんが今どこにいるのか、調べる必要がありますね」


 7


 いつの間にか、私はどこかの砂浜に立っていた。オレンジ色の空、広い海の地平線に沈みつつある大きな夕日、潮の流れる音や海鳥の鳴く声も聞こえてくる。

「ここは……どこ?」

 記憶にない場所で困惑する。どうして私はここにいるのだろうか。

「由美、おい、由美」

「えっ?」

 ふと背後から声が聞こえてきて振り返る。そこに立っていた人物に私は驚きを隠せなかった。

「しゅ、秀平(しゅうへい)!?」

 それは間違いなく秀平だった。短い髪、こめかみの傷、腕まくりしたカッターシャツに黒のズボンを履いたその格好は最後にその姿を見たときから何も変わっていない。

「あ、あんた、どうして……!」

「どうしてって言われても、俺にもわからん」

 肩をすくめて、秀平は私の横を通り過ぎていき、夕日のほうを見つめる。

「お前に会いたかった、なんて言えば喜ぶか?」

「や、やめてよ、気持ち悪い。あんたからそんな言葉を聞くなんて、寒気がするわ」

「おいおい、そこまで言われると傷つくぞ」

 やれやれと言った具合に秀平は苦笑いを浮かべる。相変わらず似合わない笑顔。でも、どこか懐かしい気分になる。

「ねえ、秀平、あんたは今どこにいるの?」

「……さあ、どこにいるだろうな。何かを必死に追い求めているうちに、俺は自分の居場所を見失っているのかもしれないな」

「……私、あんたに色々と言わないといけないことがあるのよ」

「だろうな。けど……」

「ええ、わかってるわ。たぶん、これは夢で、あんたは幻なのよね」

「……すまんな、由美」

「あんたが謝ってどうするのよ」

 そう言うと、秀平はどこか悲しげな表情を浮かべた。

「これからどうするつもりだ?」

「やらないといけないことたくさん出来たから。まずはそれを調べてみるわ。そして……」

 私は秀平の隣に立って、夕日を見つめた。

「あんたにまた会いにいくわ」

「俺は死んでるかもしれないぞ」

「じゃあ、遺体だけでも見つけてあげる」

「やれやれ、喜んでいいんだか、どうだか……」

 再び苦笑いを浮かべて秀平は私のほうを見た。

「頑張れよ、由美」

「……うん。あんたもね、秀平」

 私がそう言うと、秀平は笑った。今度は苦笑いじゃなかった。ぎこちないけど、明るい笑顔だった。


 8


「う……」

 目を開けると真っ白な天井が見えた。どこかわからなかったけど、背中に感じる柔らかい感触からして、自分がベッドの上で横になっている事に気付く。だとしたら、ここは病院かもしれない。

「……」

 ふと左手が誰かに握りしめられていることに気付いて視線を向ける。

「……」

 そこにはベッドの縁に突っ伏したまま眠っている千登勢ちゃんがいた。彼女の右手がしっかりと私の手を握りしめている。

「……ん?」

 左手を少し動かしたのに反応して、千登勢ちゃんが目を覚ました。目をこすりながら私のほうを見る。

「ゆ、由美さん?」

「千登勢ちゃん……おはよう」

 私がそう言うと、千登勢ちゃんは目に涙をいっぱい溜めた。

「由美さん!」

 次の瞬間には私のほうに抱きついてきた。

「良かったです! 無事で良かったです!」

「ち、千登勢ちゃん?」

 千登勢ちゃんは私に抱きついたまま嬉し泣きを始めてしまった。こんなに人に心配されたのは初めてかもしれない。

「千登勢ちゃん、おはよう、これ差し入れ……って」

 その時、病室のドアが開いて(しずく)が中に入ってきた。私が起きていることに気付くと、言葉を途中で止める。

「由美、気が付いたの!?」

「おはよう、雫」

「おはよう、じゃないわよ。もう、本当に心配したんだから!」

 雫は腰に手をあてて、むすっとした表情をしたけど、すぐに笑顔になった。

「無事で良かったわ、由美」

「ごめん、何か心配かけさせて」

「謝るなら私より先にその子でしょ。ほとんど寝ないまま、由美のこと看病してたんだから」

「千登勢ちゃんが?」

「……あ、私」

 千登勢ちゃんは急に恥ずかしがって私から離れた。

「由美さんに何かあったらどうしようかと思って……このまま、死んじゃうんじゃないかって思ってたら眠れなくて……。でも、本当に、本当に由美さんが無事で良かったです」

 そう言いながら、千登勢ちゃんは目から流れてくる涙を拭った。

「二人とも……ありがとう」

「小石係長には連絡してるから、しばらく休んでも大丈夫よ。結構しつこく聞かれたけど」

「しつこく聞かれた?」

 雫の言葉が引っかかってそう聞くと、彼女は肩をすくめた。

「理由はわからないけど、由美の容態はどうとか、どうして怪我をしたのかとか、とにかく色々。あまり詳しく言ってないけどさ」

「……」

 雫の言葉を聞いて、口を閉じる。何となく、小石係長が雫に問い詰めたのは私の身を心配したからではない気がした。

 視線をすぐそばの千登勢ちゃんのほうに移す。本人には言えないけど、私は気絶する前のことを覚えていた。襲ってきた謎の女、千登勢ちゃんが私を守るために戦ってくれたこと、そして……。

 女が言っていた『刀人』のことを。


 9


 雫と千登勢ちゃんから聞いた話だと私は五日前に病院へ運び込まれたらしい。意識は失っていたけど、重傷ではなく、意識が戻ってすぐに退院することが出来た。

「由美、怪我の状態は軽いって言ってたけど、四月号の記事を作るのが難しそうなら――」

「大丈夫よ。せっかく調べてきたんだから、今までの努力を無駄にしたくないわ。それに今回の記事を書くのでやらないといけないことも出来たから」

「そう……わかった。由美がそう言うなら止めないわ。でも、無理はしないでね」

「うん、ありがとう、雫」

「それにしても……」

 雫はそう言うと、あたしの隣に立っていた千登勢ちゃんに近づいた。

「こんなに可愛い子だったなんてもっと早く言いなさいよ、由美!」

 言い終わった途端に千登勢ちゃんの身体を抱きしめた。

「ひゃあ!? し、雫さん!?」

「特にこのほっぺたがけしからん! むー! うらやましいうらやましいうらやましいぃぃぃー!!」

 頬ずり攻撃も始めた。

「た、助けてください、由美さーん!」

「ちょっと雫! 千登勢ちゃん嫌がってるからやめてあげなさい!」

「えー気持ちいいのにぃ。ちぇっ!」

 わんぱく小僧のように唇をとがらせて、雫は千登勢ちゃんから離れた。

「じゃ、私は会社に一旦戻るわ。由美、千登勢ちゃん、またね」

 雫はそう言うと、病院の近くにある駅の方に歩いていった。

「千登勢ちゃん、あたし達も帰りましょ」

「……」

「千登勢ちゃん?」

「ゆ、由美さん、あの……ごめんなさい!」

 千登勢ちゃんは頭を下げて謝った。

「ど、どうしたの!?」

「私……はっきりと覚えていないんですけど、由美さんが気を失った原因は絶対私だと思うので……あの女の人、誰かわからないけど、私のこと知っていたみたいですから」

千登勢ちゃんは半分泣きそうになりながら言った。とても優しい子なんだって改めて思う。あたしは千登勢ちゃんの頭に手を乗せた。

「でも、千登勢ちゃんがいなかったら、あたし、あの時殺されてたかもしれないわ。守ってくれたのは千登勢ちゃんよ。だから、謝らないで。ありがとう、千登勢ちゃん」

 あたしはお礼を言った。素直に言えた。秀平と付き合ってた時は全然だめだったのに。

「由美さん……」

 千登勢ちゃんが顔をあげて目に涙をいっぱいためていた。その後に何か言いかけたけど、急に千登勢ちゃんは身体のバランスを崩した。

「千登勢ちゃん!?」

 慌てて千登勢ちゃんの身体を抱きとめた。おでこに手をあてると熱が出ているみたいだった。何日もちゃんと寝ないであたしの事を看病してくれていたからだろう。

「……ありがとう、千登勢ちゃん、家でゆっくり休みましょ」

 あたしは病院の看護婦に頼んで、タクシーを呼んでもらい、気を失った千登勢ちゃんと一緒に自分のアパートへ帰った。


 10


 京都府某所 ダルレスト本部。


 施設内部。浜家は一人で薄暗い廊下を歩いていた。左右に等間隔に部屋が並んでいてそのドアに鉄格子のついた小さな窓がある。そこから内部の様子を確認することができる。アフターケアの地下施設はダルレストの刀人たちが生活していて、昼間の時間帯は夜の仕事に備えて眠っている者が大多数だった。

「……」

 そんな部屋が数え切れないほどあるが、浜家は全く目もくれずにしばらく廊下を歩いていき、やがて見えてきた一つの部屋の前で立ち止まった。

 二回ほどドアをノックすると、ドアが開いた。

「あら、ミスター浜家。一人でどうかしたんですか?」

 アダムス・エリザベートは長い金髪を揺らしながら出てきた。しかし、その格好は衣類をつけておらず、白のバスタオル一枚だけだった。

「エリザ様……誰か来たんですか?」

 エリザの背後にあるベッドの布団がもそもそと動いて、黒のメガネを外したシャノン・オルティナが顔を出した。彼女もエリザ同様衣類を身につけていなかった。

「上から許可が出た。今から向かうぞ」

 浜家がそう言うと、エリザはふふっと笑った。

「わかりました。少し待っていてください」

 エリザは笑顔のまま、後ろに振り返って、タオルを取ると、ベッドの近くの椅子にかけられた自分の衣類を身につけ始めた。

「他人の価値観に関してとやかく言うつもりはないが、今の状況、理解しているんだろうな、アダムス?」

「ええ、もちろんですよ、ミスター浜家」

 エリザは手際よく下着をつけて、迷彩柄の長ズボンを履き、黒のTシャツを着て、上着を羽織った。

「シャノン、また何かあったら報告してちょうだい」

「わかりました、エリザ様。あ、あの……今夜も――」

 シャノンが何か言いかけたが、エリザは自分の口で彼女のそれを塞いだ。長いキスをしたあと、顔を離したシャノンが(とろ)けた表情をしていた。

「焦ってはだめよ。また今度ね」

 シャノンにそう言うと、エリザは後ろに振り返った。

「さ、行きましょう、ミスター浜家」

 浜家を促してエリザは長い廊下を歩き始めた。

「部下に慕われているようだな、アダムス」

「信頼は大事ですよ、ミスター浜家。もっとも、部下には私が気に入った子しかいませんけど」

 エリザはふふっと楽しそうに笑った。

「私は男性より女性の方が感情が豊かだと言います。刀人だと希薄になってしまう子もいますけど。それでも、良いんです。彼女たちの色々な表情を見るのが嬉しい」

「色々な表情?」

「笑ってる顔はもちろんですけど、怒ったり、悲しんだりしてる顔を見るのも好きですよ。苦しんでる表情もたまらないですねぇ。自分が今死ぬかもしれないって思ってる時のあの顔、見てるだけで鳥肌がたちます」

 話してるうちにエリザの表情が狂笑じみていくのがわかったが、浜家は何も言わなかった。

「ダルレストに敵対しているガードレディと呼ばれる少女たち。私は以前から彼女たちに会ってみたいと思っていました。刀人になったことを受け入れ、命を賭けて戦う彼女たち。そんなに強い子なら、じっくり楽しませてくれるはずです」

「特に秋野千登勢が狙いなのか?」

「ええ、他にもいますけどね」

 ふふっとエリザはまた笑った。

 長い廊下を歩き、二人は更に地下へ続く階段を降りていった。


11


 そこはダルレストの幹部しか入れない階になっていて、敵対する組織の重要人物を収容している施設になっている。

 その施設の奥、常に監視カメラと数人の見張りが立っている牢屋。そこには一人の女性が閉じ込められていた。

「ミスター浜家、彼女が?」

「ああ。ガードレディを束ねていたかつてのリーダー『秋野(あきの) 希莉絵(きりえ)』だ」

 表情一つ変えずに答える浜家の言葉を聞いて、エリザは牢屋の内部を見た。

「……」

 薄汚れた囚人服、ぼさぼさになった長い黒髪、かけていた眼鏡はもうなくしてしまい、裸足で横になっている希莉絵がそこにいた。

「ハロー、ミス希莉絵。私はアダムス・エリザベート。エリザで構いません」

「……」

「眠ってるのですか?」

「数ヶ月前から精神に異常が出ている。まともに話すのも難しいだろうな」

「ふーん、そうですか」

 浜家の説明にエリザは一つ頷くと、牢屋のすぐ前に近づいた。

「悔やんでいるのですか、ミス希莉絵。自分だけが生き残っていることに」

「……う、う」

 希莉絵が横たわったまま、顔だけをあげてエリザのほうを見た。しかし、その焦点は合っているのか、どうかわからない。すっかり痩せたその顔はかつての面影がなかった。

「心配しなくて大丈夫です。あなたが大切にしていた娘は必ず見つけます。他の子も必ず見つけます。あなたを一人ぼっちにさせるような真似はしません」

「ち、千登勢……あ、あの子だけは……」

「オー、自分の娘だけは助けて欲しい、と。その身がぼろぼろになっても、我が子への愛情は捨てていない。素晴らしいです」

 エリザが感心したように拍手をして笑った。

「けど、私、彼女のこと気に入りました。捕まえても生きてるかどうか保証できません」

「!」

「私、気に入った子の色々な表情を見たいんですよ。死んでしまったら、謝ります」

「あ、あなたは……」

「ふふ、では、また」

 声が震えている希莉絵に対し、エリザはあくまで笑顔のまま、そう言うと、牢屋から離れた。

「どうするつもりだ、アダムス?」

「シャノンから聞きました。例の子は誰かと一緒にいると。最近、この施設のことを調べている人がいるそうですね」

「ああ、目撃されている回数が多いだけで、目的まではわかっていないがな」

「その人、何か手がかりを持っていそうです。まずはそこからですね」

 エリザはまたふふっと笑った。その目が何かを狙っているかのように冷たく光った。


12

 

 2066年三月上旬。

 

 三月に入っても、冬の寒さが衰えることはなく、京都市内には今日も雪が降っていた。朝早くに、あたしは市営地下鉄烏丸線の四条駅を降りて、河原町の通りを歩いていた

 千登勢ちゃんは体調があまり良くなくて、今はあたしの部屋で休んでいる。あの子には大きな恩が出来た。それに……。

「……」

 通りを歩き進んで、ある喫茶店の中に入る。平日の朝ということもあって店内の客は少ない。だからこそ、待ち合わせしていたあいつを見つけるのにも時間はかからなかった。

「おう、由美、こっちだ、こっち!」

「早いわね、宿海(やどみ)

「お前、遅れたら遅れたでめちゃくちゃ怒るじゃねえか」

 宿海(やどみ) 拓一(たくいち)は苦笑いしながら奥の席を手で差した。

「座れよ。今回は奢ってやる」

「そう。とりあえずホットコーヒーでも頼もうかしら」

 そう言いながらあたしは宿海の対面の席に座った。

「秀平の奴とはどうなったんだ? より戻すつもりだったんだろ?」

「……」

「おいおい、そう睨むなよ。ちょっと聞いてみただけだろ」

「今日はそのことであんたを呼んだんじゃないわよ」

「お待たせしました」

 店員が持ってきたホットコーヒーを口につけると、冷えていた身体が暖かくなった。

「まあ、電話で大体のことは聞いたけどさ」

 宿海はたばこに火をつけて口にくわえた。

「お前、本当にそんなのが存在すると思ってるのか?」

 さすがの宿海も事前にあたしが話していたことを信じているわけではなかった。宿海は高校時代からの腐れ縁で、悪友同士だった。高校を卒業してから探偵兼情報屋の仕事を始めるようになり、あたしが調査で行き詰まったことを彼に依頼して調べてもらうことが多く、社会人になった今でも交流があった。宿海は色々な業界に知り合いがいて、どんな情報でも調べてくれるすごいやつだけど、今回の件には渋い表情をしていた。

「超能力者が実在するのか、どうか、それを調べるのとほとんど差がないぞ。この刀人ってやつを調べるのはよ」

「でも、この目で見たのよ、あたし。それに刀人のこと調べてみたけど、ほとんどそんな情報はネットになかったわ」

「アクセス権で隠した可能性が高いってか……。それでも、信じられないけど……」

 宿海はたばこを灰皿の上に置いた。

「お前が冗談言ったこと一度もないからな」

「あんたぐらいなのよ。こんなこと頼めるのは」

「頼りにされるのは嬉しいけどよ。政府絡みの案件は何かと面倒だからな……ま、期待はしないでくれよ」

 そう言いながら宿海は隣の椅子に置いていた鞄から資料の束を取り出すと、あたしのほうに差し出した。

「一応以前、お前が頼んでいたアフターケアのことは調べておいた」

「どうだったの?」

「結論から言うと、あの施設のことは詳細不明だ。高齢者保護法で預けたじいさんとばあさんには身内じゃないと面会出来ないし、職員に質問しようものなら、不審者と判断されて警察に御用だ。思ったより厳重な場所だぞ、あそこは」

「やっぱり難しかったのね」

「ただ、気になることはあった」

「気になること?」

 あたしがそう聞くと、宿海はテーブルの上に置かれたコーヒーを口につけた。

「何日かあの施設を見ていたが、人の出入りがほとんどないんだ。面会しに来たような奴なんてまず見なかったし、本当に中に人がいるのか怪しいぐらいだったぞ」

「本当に? でも、高齢者保護法が制定されたことで高齢者の割合が減ったのは事実でしょ?」

「ああ、だから、保護法を使った人に何人か聞き込みをした。お前だってやっただろ? でも、みんな口を揃えて良い制度だったの一点張りだ。不満なところや、実際に預けた人に面会したかどうか聞いてもだめだった」

「……やっぱりおかしいわよね」

「おかしいのは間違いないけどな、さっきも言ったように政府の絡んだことを調べるのは難しいぞ、由美」

「……あたし、アフターケアを見てくるわ」

「由美、俺の話を――」

「宿海、あんたは刀人のことを調べておいて。わからなかったら、それで良いし、もし危ない橋を渡るなら引き下がっても構わないわ。でも、あたしは引かない。必ず真相を暴いてみせる」

 千登勢ちゃんのためにも。

 あたしは拳を握りしめて心にそう誓った。


13

 

 宿海に仕事の依頼を頼んだあと、河原町の通りで日用品の買い物を済ませて、自宅に帰った。家に着いた頃には昼過ぎになっていて、お腹がすいてきた。

「ご飯食べないと……」

 そう呟きながら、ドアを開けた。

「あ、由美さん、おかえりなさい」

「千登勢ちゃん……」

 ドアを開けると、千登勢ちゃんが掃除機を手にしていた。周りを見ると、散らかっていた衣類が片付けられていて、床も綺麗になっている。

「もしかして、掃除してくれてたの!?」

「は、はい、少しでも由美さんの役に立ちたくて……」

 千登勢ちゃんは恥ずかしそうに言った。まだ体調は万全じゃないはずだった。それなのに、あたしのために部屋を綺麗にしてくれていた。

「ありがとう、千登勢ちゃん」

「えへへ、人に褒めてもらえると嬉しいですね」

 そう言いながら千登勢ちゃんは明るい笑顔を見せてくれた。うん、かわいすぎる。

「コンビニ弁当だけど、ご飯買ってきたから食べて」

「はい、ありがとうございます」

 千登勢ちゃんは丁寧にお礼を言って、あたしの差し出したお弁当を受け取った。それから二人で椅子に座ってご飯を食べた。まだ出会って日が浅いけど、二人で食卓を囲むのが日常のように思えてきた。

「千登勢ちゃん、あたし、明日ちょっと出かけてくるわ」

「仕事……ですか?」

「うん、でも、会社に行くわけじゃなくて、調べ物をしに行くの」

 あたしがそう言うと、千登勢ちゃんは少し躊躇ったようだけど、思い切って口を開いた。

「由美さん……あの、迷惑じゃなければ、私も一緒に行っていいですか?」

「え?」

「由美さんがまた危ない目に遭ったら、私何も出来ないから。知らない場所で由美さんがいなくなるのが怖いんです……だから……」

「千登勢ちゃん……」

「お願いします」

 千登勢ちゃんは頭を下げて頼んできた。自分のせいであたしが傷ついたんだと思っているんだろう。それに責任を感じているのかもしれない。そこまで自分を責めなくてもいいのに……。

「わかった。明日、一緒に行きましょ」

「……はい!」

 千登勢ちゃんが大きな声で返事する。その表情がぱあっと明るくなったような気がした。


14


 JR京都駅からまいづる号電車に乗ることおよそ九十分。東舞鶴(ひがしまいづる)駅を降りると、日本海に面した港、その周りを囲む山々、総人口およそ八万人の住む町、舞鶴(まいづる)市に到着する。

「何だか、静かなところですね」

 駅の改札を抜けた千登勢ちゃんの第一声がそれだった。彼女の言うとおり、舞鶴の町は京都市内に比べると雰囲気が落ち着いている。都市部から離れていることも影響しているかもしれない。

「あたしは嫌いじゃないよ、こういう雰囲気。市内から結構離れてるから頻繁には来れないけど」

「この町に何があるんですか?」

「あたしが今仕事で調べている施設があるのよ。行きましょ、千登勢ちゃん」

 千登勢ちゃんを促してあたしたちは歩き始めた。東舞鶴駅から歩くこと十五分。舞鶴港の近くにこの町の観光名所と呼ばれている赤レンガ博物館が見えてくる。

 レンガ建築物としては日本で最も古いその場所には、レンガで作られた歴史的建造物の紹介や、世界で実際に使われた様々なレンガが展示されている。赤レンガの建築物の独特な美しさに惹かれ、この場所を訪れる観光客も多かった。

「百年以上前に作られた建物がまだあるなんて……すごいですね」

 館内に入ると、千登勢ちゃんは感心したように呟いて、展示されている色々な物に興味津々だった。とても好奇心旺盛な子なのかもしれない。

「……」

 赤レンガ博物館の外にある舞鶴港。それに面した山の麓にアフターケアと呼ばれる施設が建っていて、ここからでも確認することが出来た。

『あそこは警戒厳重だぞ』

 宿海の言う通り、アフターケア周辺は高い壁で覆われていて、内部の様子を見ることはできない。施設に高齢者を預けている親族しか面会が許可されておらず、無関係な人が入るのは不可能になっている。以前にも取材をしようとあの施設を訪れたことがあったけど、当然のように門前払いを受けた。

 もう一度尋ねたところで結果は同じだろう。けど、アフターケアの施設には必ず何かがあるような気がしてならなかった。

「あら? もしかして...…雛鳥さん?」

「え?」

 誰かに声をかけられてその方向を見る。予想もしていなかった人物にあたしは驚きを隠せなかった。

「か、鴨目(かもめ)さん?」

 それは紛れもなく同僚の鴨目(かもめ) (みどり)だった。あたしと調べていることが似ていて、時々、内容が被らないように牽制(けんせい)してくる嫌な女。そんな彼女と会社以外の場所で偶然出会ってしまった。

「体調を崩しているってお聞きしてましたけど、元気そうね」

「風邪を患っていたんですけど、昨日、治ったんです」

「それは良かったわ。ところで、ここで会うことになるなんて、偶然のように思えて必然かもしれないわね」

 そう言うと、鴨目は少し目を細めた。

「あなたもアフターケアのことを調べに来たのね?」

「……」

「ふふ、図星って顔してるわよ」

 挑発するかのように鴨目が笑みを浮かべる。あたしや雫、他の同僚も恐らくこういう嫌味な態度が目立つ彼女のことを苦手に思っているだろう。その一方で独自のルートであらゆる情報を手に入れる彼女の取材力には目を見張るものがある。アドセントの需要が高まった要因の一部はこの女にあると言っても言い過ぎじゃなかった。

「良かったら少し話しませんか?」

「……」

 あたしは口を閉じたまま、千登勢ちゃんのほうを見た。知り合いと話しているのは雰囲気から察してくれたのか、千登勢ちゃんは少し離れた場所でこくり、と頷いた。話が終わるまで待っていてくれるという意思表示だった。あたしも小さく頷いて、鴨目のほうを見た。

「ええ、構いませんよ」

「じゃあ、座りましょ」

 鴨目に促されて近くにあったベンチに座った。

「取材のほうは順調かしら?」

「……ぼちぼちってところですよ」

「ふふ、でも、アクセス権の実装の真意を調べるためにアフターケアのことを気にしているっていうことはなかなか良い線を行ってると思いますよ。雛鳥さんのこと過小評価していましたけど、撤回します」

「それはどうも。でも、鴨目さんは更にその先を調べている。そういうふうな言い方にも聞こえましたけど?」

 あたしがそう聞くと、鴨目はまたふふっと笑った。

「察しが良いわね、雛鳥さん。あなたの言うとおり、私はその先の謎を解明しようとしている」

 そう言いながら、鴨目は手にした鞄から一冊のクリアファイルを取り出した。何かの写真が挟まっているようだった。

「これ、ご覧になる?」

「鴨目さんが良いのなら」

「構いませんよ、同じジャーナリストのよしみです。けれど、この内容を記事にするのは私です」

 そう言うと、ファイルをあたしのほうに差し出した。それを受け取ってファイルを開いてみる。

「……これは?」

 写っていた光景が何なのか一瞬わからなかった。けれど、それは夜遅くの時間帯、アフターケアの正門が開いて何台かの車が出発しているところだった。

「二週間ほど前からあの施設の張り込みをしていたんです。その時に偶然撮った写真です」

「でも、アフターケアはあまり人の出入りがないんじゃ……」

「そこまでご存知なら話が早いわ。確かにあの施設を訪れる人はほとんどいません。保護法の制度で利用している人が多いにも関わらず。その理由はいくつか仮説がありますが、どれも提示できる根拠はありませんわ。けど、この車列、実はほぼ毎日と言っていいぐらいに施設を行き来しているんです。では、中に乗っているのは誰なんでしょう?」

 鴨目はあたしのほうを見てそう聞いてきた。

「……政府の関係者?」

「その可能性もありますが、私はもう答えを突き止めつつあります」

 そう言いながら鴨目は鞄から新たに一冊のファイルを取り出した。

「これはあるデータをグラフで表したものです。何かわかりますか?」

「……」

 それを受け取って目を通してみる。ファイルに挟まれた紙には一九〇〇年から十年毎に二〇六〇年に至るまでの何かのデータを示した棒グラフが印刷されていた。そのグラフは二〇三〇年まで一五〇〇万前後を示していて、平均を保っていたけど、二〇四〇年頃から二○五○年に移り変わるところで急激に減少し、一二〇〇万を下回りそうになっていた。

「単位は……人? でも、この人数は日本の総人口を示してるわけじゃない。どこかの地域に限定しているんですか?」

「いいえ、そうじゃありませんわ。それは全国にいる子供たちの人数を示しているんです」

「子供?」

 予想していなかった単語に聞き返してしまう。高齢者保護法の話をしているはずなのに、どうして子供の話題が出てくるのか……。

「ふふ、そこまでの域には達していないようですね、雛鳥さん」

 自信があるのか、鴨目はまた笑った。

「私、日本政府の事情に詳しい同業者がいるの。その人に頼んで調べてもらったのよ。私も最初は驚いたわ。保護法が制定された辺りから減ったのは高齢者の数だけじゃない。子供も急激に減っていたのよ。少子化問題は半世紀以上前から問題になっていましたけど、子供の人数がこんなに減った原因は他にあるはずです」

「鴨目さん、あなた、もしかして……」

「ええ。私、アフターケアの施設には子供がいると思うんです。それも一人や二人じゃなくて、とってもたくさんの子供たちが」

「この車に乗っているのが子供たちってこと?」

「私はそう思っています。でも、普通の子供じゃありません。何か特別な事情がある子供たちです。それが何かは……」

 鴨目は途中で話すのを止めた。

「やめておきましょう。まだ自分の中で確固たる自信がないのでお話しても意味がありませんわ」

「……」

「アクセス権の実装は何かの情報を隠すため。その情報には高齢者保護法が関係している。一般では立ち入ることの出来ないアフターケア、そして、特別な事情を持った子供たち。私たちが到底知りえない驚くべき事実が隠されているのは間違いありません。私はその一歩手前まで近づいている」

 鴨目はそう言うとベンチから立ち上がった。

「雛鳥さん、私はこの事実を暴いて、四月号に載せます。必ず」

「……」

「あなたが知りたいと思っていることを私はもう知っているんです。私の取材の邪魔になるようなことはしないでくださいね」

 もう一度、念を押してそう言うと、鴨目は博物館の出口のほうに歩いていった。

 あたしは何も言えなかった。言葉が思い浮かばなかった。

 特別な事情がある子供たち、それってもしかして……。

 ちらっと、展示物を見回っている千登勢ちゃんのほうに目が行く。考え過ぎかもしれない。でも、もしかしたらその子供たちがあたしを襲ってきた女の言っていた刀人だとしたら……。

「……」

 やっぱり言葉が出なかった。色々なことが頭の中を駆け巡っていて整理できなかった。

 鴨目だけじゃない。あたしはもしかしたら踏み越えてはいけない線を越えてしまったのかもしれない。


15


 雛鳥由美と別れた後、私は博物館の外に出て、一度立ち止まった。

「……」

 目に映るのは舞鶴港沿いに建つアフターケア。大きな夕日が地平線に沈みつつあって、撮影すれば良い風景写真になるかもしれないけど、私はただじっと見ているだけだった。

「私が必ず真相を突き止めてみせるわ」

 しばらくアフターケアを見て、そう呟くと、東舞鶴駅へ続く道を歩き始めた。必ず真実を見つけて自分の記事にする。今度の四月号で一番の功績を出すことができたら、自分の立場も安泰する。私は内に秘めた野望を叶えることだけを優先に考えていた。

 こういう考えを持ったのはジャーナリストの仕事を始めた時からじゃない。幼い頃から私は一番を手にすることが目標になっていた。

 小学生の時は定期テストでトップに立つことはもちろん、普段の授業態度も真面目に取り組んで、クラスの代表委員にも必ず立候補していた。少なくともトップに立てば、担任の教師にとやかく言われることはないし、他人に軽蔑されることはない。嫉妬されることはあるかもしれないけど。学業だけでなく、所属していた水泳部でも私は一番を目標にしていた。大会で優勝するためには他の部員よりも遅くまで練習していたし、部活を終えたあとも母親に頼み込んでスイミングスクールに通いつめる日々が多かった。それでも、 学業に支障が出ないように夜遅くまで勉強するようにしていた。

 どうして、そんなにトップにこだわるようになったのか、その一番の原因は父親だった。

 父は一流企業の社長で結果を重要視する性格の人だった。だから、私が良い成績を取れば、それだけで褒めてくれたし、逆に成績が悪ければ、しつこく叱られたものだった。そんな父を支える立場である母も、父の言うことには何でも従う人だった。父に叱られた私を気遣うことはしてくれても、表向きは父の言葉に相槌をうつだけだった。五年前に病で他界し、その葬儀に参列した親族にはその性格がばれていて、疎ましく思われていたんだと実感した。

 その家庭で育てば、他人に褒められるためには良い結果を残さないといけないという考えを持つのは必然だった。小学校から始まり、中学、高校でもトップクラスの成績を出して、大学も有名な国立に進学することが出来た。

 一番になる。誰も突き止めようとしなかった真実を探し出して、世間をあっと言わせるような仕事に就きたい。ジャーナリストの職業はそんな私の性格に合った天職だった。

「ふふ……」

 そして、今回の記事は必ず世間に衝撃がはしる。日本政府が五十年近く隠し続けていた恐るべき真実。これを明らかにすれば……。

「雛鳥さんには言っていなかったけど、私はどんな子供たちがあの施設にいるのか、もうわかってる。大金を使って情報屋を使ったかいがあったわ。これを載せれば、私は一番に――」

「オー、エクスキューズミー? ソーリー、ソーリー?」

 突然、背後から声が聞こえてきて後ろに振り返った。夕日が眩しくて一瞬誰なのかわからなかった。目が慣れてくると、それは長い金髪の外国人の女だということがわかった。背が高く、透き通るような碧い目をしている。映画女優をやっているかもしれないくらい綺麗な女だった。

「わたし、道に迷いました。すいません、教えてくれませんか?」

 女は片言の日本語でそう言った。ちょっと面倒に思ったけど、聞かれた以上は応対しないといけない。

「どこに行きたいんですか?」

「オー、駅、駅です。あなたも行きたいんじゃないですか?」

「ええ、ちょうど良いわ。一緒に行きます?」

「オー、あなた優しい。ワンダフル。ついていきます!」

 そう言いながら女は私の隣に立った。背が高いだけじゃない。スタイルも抜群だった。

「……」

 嫌な気持ちになる。同じ女性のことを綺麗だと心から思ったのは初めてかもしれない。そう思った自分がとても嫌だった。

「あなた、ここの人ですか?」

「いいえ」

「何かしに来たんですか? 観光? 旅行?」

「ええ、そんなところです」

 そう答えると、女はとても明るい笑顔になった。その顔も綺麗だった。けど……。

「嘘は良くないですね、ミス鴨目 緑」

「……え?」

 急に女の言葉が流暢な日本語になった。いや、それ以上に驚いたのは……今、私の名前を言った? どうして……名乗っていないのに。

「オー、自己紹介していませんでした。私はエリザと言います。よろしく、ミス鴨目」

 エリザと名乗った女はふふっと笑った。

「あなたのこと探していました。色々、お話を聞きたいの。二人っきりで」

「な、何言ってるの?」

 エリザが私の手に触れる。その瞬間、身体から急に力が抜け始めた。

「ふふ、わたしと楽しみましょう、ミス鴨目」

 その声を最後に私の意識は暗い闇に沈んでしまった。


16


 博物館を出たあたしと千登勢ちゃんは東舞鶴駅へ続く道を歩いていた。既に外は夕日が沈みかかっている。

「……」

 色々考えたけど、結局、アフターケアには行かなかった。あの鴨目緑に偶然会うなんて思っていなかったし、彼女からあんな話を聞かされるなんて、それこそ想像すらしていなかった。

 鴨目はあたしより先のことを知っていると言った。それが何なのか気になったけど、問い詰めることはしなかった。悔しいけど、鴨目は自分なりの方法でその真相を突き止めた。なら、あたしもあたしのやり方で調べていくしかない。

 あたし自身のために、千登勢ちゃんのために、秀平を探し出すために。

「あっ!」

 その時、隣を歩いていた千登勢ちゃんが何かに気づいて繋いでいたあたしの手を離した。

「千登勢ちゃん?」

「由美さん、ごめんなさい! 博物館に忘れ物しちゃいました!」

 千登勢ちゃんは慌てて頭を下げた。

「手帳を入れてたポーチ……トイレに行く時に忘れちゃったみたいです。すぐに戻るんで待っててください!」

「あ、千登勢ちゃん、あたしも――」

 一緒に行くわ、という前に千登勢ちゃんはもう赤レンガ博物館のほうへ走り始めていた。陸上選手顔負けの速さだった。追いつけるはずもなく、あたしはその場で立ち尽くした。

「とりあえず待っておこうかな」

 そうつぶやきながら、近くにあったバス停のベンチに座ろうとした、その時。

「やっと見つけた」

 背後から声が聞こえてきた。後ろに振り返ると、いつの間にか、そこに一人の女の子が立っていた。

 長い黒髪のツインテールに赤いカチューシャ、黒いワンピースの上に灰色のライダースジャケットを着ている。その格好もだけど、何より目に止まったのは彼女が肩に背負っている茶色のケースだった。何が入ってるかわからないけど、その子の身長よりも大きなケースだった。

「雛鳥 由美」

「え?」

「あなたが雛鳥由美ね」

「どうして、あたしの名前を……?」

「私は唄音」

 その子は一歩近づいて感情のない声で言った。


吉丘(よしおか) 唄音(うたね)


第十六話 RUPA 終



アダムス・エリザベート

アメリカに拠点を置く組織「RUPA」を率いる女性。金髪の長い髪に容姿端麗だが、その性格や経歴などから他の者たちに恐れられている。


シャノン・オルティナ

RUPAのメンバーの一人。エリザの側近。


クリス・ハルメン

RUPAのメンバーの一人。

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