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第十四話 思いを繋いで

 第十四話 思いを繋いで


 1


 薄暗い。暗くて狭い部屋。天井についた豆電球だけで照らされたその部屋に私はしゃがみこんでいた。

「……」

 手には手錠をかけられていてうまく動かすことが出来ない。この部屋に連れてこられてから着させられた灰色の囚人服や、ボサボサになった長い髪にもあまり意識が回らないようになっていた。視線はずっと部屋の床に向いたままで、周りの状況を確認する気力もない。完全に疲れきっていた。

「ふん、随分やつれた様子じゃないか」

 部屋の鉄格子越しに声が聞こえてきてわずかに視線をあげる。白髪の混じった小太りの男……他の人に吉住(よしずみ)と呼ばれていた男がそこに立っていた。

「向こうのリーダーとはいえ、さすがに限界が近いようだな。まあ、何日も長時間尋問され続けたら誰でもそうなる」

 吉住は鼻で笑って廊下に置かれた椅子に座ると、ポケットからタバコを取り出して火をつけた。

「その頑固さは浜家(はまや)とは違う強さを持っている。尊敬に値するな」

 言葉とは裏腹に自分のことを馬鹿にしているような言い方に聞こえた。私は何とか力を振り絞って吉住のほうを見た。

「なぜ……殺さないんですか? もう、私を……生かす価値なんて……ないはずですよ」

「お前を殺しては、やつらをおびき出す餌がなくなるだろう。今回の作戦で始末出来れば話は別だが」

「作戦?」

「気づいていなかったのか? 奴らの拠点の場所はもう特定してある」

「!?」

 驚いて目を見開いた。その反応を見て吉住はまた鼻で笑った。

「あの山の中に潜んでいたとはな。つくづく目障りな連中だ」

「い、いったい……どうして?」

「どうしてわかったのかって言いたいのか? 馬鹿なやつだ。自分が話したのをもう忘れたのか?」

「わ、私が……?」

 驚きのあまり声が出なかった。何度も自白剤を投与され、意識が朦朧となっても決して口を割らなかった。他のみんなが死ぬぐらいなら自分一人がどうなっても構わなかった。それだけの覚悟を持っていた。そのはずだったのに……。

「お前たちの拠点の位置を特定した瞬間、ようやく浜家(はまや)が決断した。ダルレスト本部に所属する精鋭部隊。人を殺すことだけに特化した刀人のエリートどもだ。あいつらに勝てる見込みはない。それに『五人目』も出すことになっている」

「ご、五人目……まさか……」

「そういえば、お前は知っていたんだったな。あの計画のことを。そうだ、俺たちは成功していたんだよ。奴の再来を。これでお前らは間違いなく全滅だな」

「あ、あなたも……あなたにも血も涙もないんですか!? あの子達が! あの子達がどれだけ必死に……必死に生きてきたと思ってるんですか!? それを慈悲も容赦もなく……そんな非道なこと!」

「非道? 刀人ごときになぜ情けをかける必要がある? その存在を許されていない化物どもを始末する。それに理由なんていらないだろ」

 吉住の口調は段々と強くなっていった。そこには刀人たちに対する底知れぬ怒りが込められているような気がした。

「奴らにこの世界で生きる資格などありはしない」

 手にした煙草を投げ捨てて、吉住は椅子から立ち上がった。

「あいつらがどんなふうに死んでいくのか、あとできっちり報告してやる。お前はここでただ大人しく、無様に待っていろ」

 そう言うと、吉住はスーツのポケットに手を入れてどこかへ立ち去っていった。

「う……」

 私は力を振り絞って立ち上がり、鉄格子を両手で握った。もちろん、それだけでここが開くわけではない。一人で外へ出ることはできなかった。

 今の私は無力に等しかった。

「う、う……」

 自然と目から涙が流れ落ちていった。アサガオの本部に暮らすみんなの姿が頭の中に思い浮かぶ。

「みんな……ごめんなさい。ごめんなさい……」

 力を出し続けることができず、またその場に膝をついてしまう。

「約束を守れずにごめんなさい……理事長」

 みんなの姿のあとに思い浮かぶ一人の女性。長い髪を揺らした彼女はあの時と同じように優しく微笑んでいた。


 2


 病室の壁に架けられた時計は夕方の四時頃を示そうとしていた。窓の外を見ると、空が灰色の雲に覆われ始め、ごろごろと雷の鳴る音も聞こえてくる。

「雨が降ってきそうだな……」

「そうですね……」

 そばから声が聞こえてくる。さっきまで泣き続けていた八重坂(やえさか)はようやく落ち着きを取り戻した様子だった。結局、慰めの言葉をかけられないまま、俺は彼女が泣き止むのを待っているしかなかった。

「……」

 八重坂の母親は目を閉じたまま、眠り続けている。男たちに襲われた時、脳に大きなダメージを負った彼女はそのまま意識不明の状態になってしまい、秋野たちの計らいでこの松阪総合病院で入院することになったらしい。だが、治る見込みは少なく、このままの状態で一生を終える可能性も少なくないとのことだった。

 八重坂も辛い思いをしているんだな。

 潤一(じゅんいち)やじいさんを失った俺だけじゃない。アサガオにいる奴らはほとんどが暗い過去を持っている。だからこそ、お互いに支えあってずっと生き続けてきた。そして、俺もその中のメンバーである以上、八重坂のことを守っていかなければならない。それが今の俺のやるべきことだった。

 その時、スーツの内ポケットに入れていたスマートフォンが振動した。電話がかかってきたことを知らせるものだった。通話ボタンを押して電話に出る。

『先輩、沢村(さわむら)です。今、どこですか?』

「沢村か。今は八重坂と松阪総合病院に来ている」

『急いで戻ってきてもらえませんか? 緊急事態です』

「どうした?」

『とにかく大至急本部まで戻ってきてください。詳細は直接話します』

 沢村の口調は明らかに焦っていた。こんな沢村の声を聞くのは初めてだった。

「……わかった、すぐに戻る」

 電話を終えた俺は八重坂のほうを見た。

「どうかしたんですか?」

「わからん。だが、緊急事態らしい。すぐに戻るぞ」

「わ、わかりました」

 窓の外からまたごろごろと雷の鳴る音が聞こえてくる。嫌な予感がしてならなかった。


 3

 

 薄暗い廊下の壁に立っていた浜家は微動だにしなかった。しかし、ただ呆然と立ち尽くしているわけじゃない。

 彼は待っていた。すぐ近くにある鉄の扉。その中で出かける支度をしている『五人目』のことを。

「浜家さん」

 廊下の向こうから声が聞こえてくる。ダルレストの刀人が数人やってくるのが見えた。浜家は横目でその姿を確認する。その中の若い男が話しかけてきた。

「準備ができました。部隊は二台のトラックに分けています。いつでも出発できます」

伊月(いつき)字倉(あざくら)は?」

「指示通り、リムジンに乗車させています。今のところ、怪しい動きはありません」

「賢明だな。もう一つの車の用意は?」

「既に準備出来ています」

「わかった。さっきも言ったが、黒刀(くろがたな)のことは丁重に扱え」

「もちろんわかっていますが、そんなに警戒しなければならないんですか?」

「見れば、わかる」

 それから数分と経たないうちに扉が開いた。

「……」

 ゆっくりとした足取りで一人の少女が姿を見せる。真っ黒な靴と銀色のワンピースが垣間見えるが、頭から真っ白なフードを被っていて、どんな顔をしているのかわからなかった。

 しかし、その姿を見た刀人たちは緊張した面構えになった。顔を見なくても、その少女を纏う異様な雰囲気を感じ取ったからだ。下手な態度を取ってはいけないと本能で判断してしまった。

「準備はできたか、黒刀」

 黒刀と呼ばれた少女は声こそ発しなかったが、黙って頷いた。

「行くぞ」

 浜家が先に歩き出すと、少女もそのあとに従った。刀人たちが恐れて道を開ける。その様子に少女は見向きもせず、浜家についていった。


 4


 松坂総合病院を出た俺たちは車で掘坂山に戻った。その最中、灰色の雲に覆われた空からポツポツと雨が降り出し始めた。雨足は少しずつだが、激しくなってきているような気がした。

「……」

「……」

 隣の席に座る八重坂は何も言わなかったが、その不安げな表情から俺と同じ気持ちになっているように見えた。

 沢村から大至急戻って欲しいとの連絡。それが余計に嫌な予感を感じさせるのは当然だった。

 山道を抜けてアサガオの介護施設『紫弦館(しげんかん)』の前に到着すると、沢村たちが正面玄関で待っていた。(たちばな)溝谷(みぞたに)たちもいる。

真那(まな)!」

 駐車場に車を停めて降りたとたんに、橘が駆け寄ってきて、八重坂に抱きついた。

「良かった……無事に戻ってきてくれて……」

鶴香(つるか)、いったいどうしたの?」

 八重坂がそう聞いても、俺たちが戻ってきたのがよほど嬉しかったのか、橘は泣くのを必死にこらえるだけで何も言わなかった。

「梨折先輩、無事で良かった」

 沢村も本当に安堵したような表情で言った。

「沢村、何があったんだ?」

「時間がありません。詳しい話は移動しながら説明します。みんな、一緒に来てくれ」

「おう。ほら、鶴香」

「うん、ごめん」

「これで拭いとけよ」

 そばにいた溝谷が青いハンカチを橘に差し出した。

「ありがとう、文仁」

「あとで洗って返せよ」

 溝谷は少し照れたように視線を逸らした。

 いつものメンバーのやりとりを横目で見つつ、俺たちは正面玄関から紫弦館に入った。

「これは……」

 そして中に入った瞬間、異常な事態になっていることに気づいた。

「皆さん、落ち着いて! 落ち着いて移動してください!」

「これは訓練ではありません! 職員の指示に従ってください」

 紫弦館の中では大勢のじいさんやばあさんたちが中庭のほうへ移動を始めていた。そのあちこちに職員らしき女性たちが大声で指示を出しながら、歩きづらそうな老人に手を差し伸べたり、車椅子を押していたりしている。

『館内の皆さんにお伝えします。速やかに職員の指示に従って、顕光館(けんこうかん)のほうへ移動してください』

 館内放送まで流れているようで、只事ではないのは明白だった。

「梨折先輩、単刀直入に言います。雨森(あめもり)国枝(くにえだ)の二人から連絡がありました。ダルレストの大部隊がこちらに向かっています」

「どういうことだ? 奴らはこの場所を知らないはずだろ?」

「信じたくはありませんが……理事長が話してしまったようですね。あの人は意志の強い人です。奴らに捕まってから数週間空いていたのは、口を割らないように頑張ってくれたおかげだと思います。でも、限界を迎えてしまったようです」

「そんな……。大部隊って……どれくらいの規模なの?」

 不安げな表情を浮かべながら八重坂が聞くと、沢村のそばにいた佐東(さとう)が険しい顔つきで答えた。

「戻ってきた明日野たちが言うには四、五十人はいるんじゃないかって言ってた」

「それだけじゃない」

 佐東に続いて溝谷も答える。

「今まで戦っていた奴らとは違う。おそらくダルレスト本部の精鋭部隊だ」

「精鋭部隊?」

「ダルレストの中でも選りすぐりの殺し屋集団だ。頭がイカれてる奴が多いって話を聞いたことがある」

 溝谷が大きくため息をつく。俺は視線を沢村のほうに移した。

「どうするつもりなんだ、沢村?」

「この館は無理です。ここにいる人たちは全員奥の顕光館の上階に避難させ、大広間を防衛拠点として、やつらを迎撃します」

「そ、そんな……」

 メンバーから一通り話を聞き終えると、八重坂が声を震わせていた。

「シ、シンナがいない今の状態で戦ったら……ど、どうなるの……? まさか、みんな死んじゃうってことは……」

「もう、心配しすぎだって真那」

 それまで黙っていた橘が笑顔で言った。

「精鋭部隊って言ってもあたしたちの人数とほぼ同じだし、こっちは施設の構造とか全部把握出来ているから守ればいいだけよ。あたしや未国もいるから、どんな相手でも大丈夫よ」

「ふん、随分高く期待してくれるんだな、お前」

「あれ、未国、もしかして不満だった?」

「そうは言ってない。そこまで期待されたら応えるしかないって思っただけだ」

 佐東は満更でもなさそうで、ふふっと軽く笑った。確かにこの二人は、普通の刀人じゃないオリジナルの刀人を倒した経験がある。間近で見たことはないが、シンナに劣っているとは思わなかった。それに橘や佐東だけじゃない。沢村や溝谷も刀人ではないが、実戦経験は俺より豊富だった。とても頼りになる。

 このメンバーに勝てる相手はいない。確信に近い気持ちを持っていたが、そんな俺とは対称的に八重坂の表情は明るくならなかった。

「で、でも……」

「心配すんな、鶴香や未国だけじゃない。俺たちもいるんだから安心しろ」

 溝谷が自分の胸の辺りを叩いて言った。最初に会った頃に比べて随分頼もしく見えるのは気のせいじゃないと思った。

「八重坂、お前は貝堂さんたちと一緒に顕光館の上階にいろ。下の階で奴らを抑える」

 沢村がそう言うと、八重坂は口元を引き締めたまま何も言わなかった。シンナがいない今の状況では足でまといになるのは明らかだった。八重坂自身、そのことは充分わかっているんだろう。だけど、仲間の死を恐れている彼女にとって戦いを見守るだけなのがどれだけ辛いことなのか、想像できないわけじゃなかった。

「先輩」

 沢村が続けて俺のほうに視線を移した。

「八重坂たちのことをお願いします。絶対にさせるつもりはありませんが、万が一、奴らに突破されてしまったらみんなを守れるのは先輩だけです」

「沢村……」

 沢村は俺のほうに歩み寄ってきて、両手で俺の手を握り締めた。

「お願いします、梨折先輩」

 沢村にここまで頼まれるのは初めてのことだった。誰かに頼られるのは嬉しいことだが、逆に不安でもあった。沢村たちは本当に生き延びてくれるのだろうか。そう疑問に思ってしまう。

「……ああ、任せておけ」

 そんな自分を払拭するために俺は沢村の頼みを受け入れた。

 八重坂たちのことは死んでも守りきる。心の中でそう決意した。


 5

 

 空から降る雨はだんだん激しくなっていた。周りについているステンドグラスの外からゴロゴロと雷の鳴る音も聞こえてくる。

 梨折さんや真那たちを顕光館の上階に送り届けたあと、あたしたちは顕光館の一階、大広間にいた。沢村たちが本部にいるガードマンやガードレディ全員を集めに向かってから、少しずつメンバーが集まってきていた。

「……」

「つ・る・か!」

 突然、背後から抱きつかれてビクッと身体が動いた。

「あははは! びっくりした?」

 後ろに振り返ると明日野がいたずらっぽくニヤニヤ笑いながらあたしの方を見ていた。

「もう、明日野! 驚かさないでよ!」

「ごめんごめん、あまりに深刻そうな顔だったからさ、つい」

 ペロッと舌を出して笑う明日野にあたしは呆れてため息をついた。

「こんな状況なら誰だってこうなるわよ」

「こんな事態だからこそですよ」

 明日野の後ろから奈央が現れた。

「大きな危険が迫ってる時だからこそ、私達はいつも通りにしていればいいんですよ、鶴姉さん」

「奈央……」

「見てください、鶴姉さん」

 奈央にそう言われて周りを見回してみる。既に集まってきたガードレディたち。その中にはあたしよりも年下でまだ実戦の経験が少ない子も含まれていた。

「あっ、鶴姉だ!」

「鶴姉!」

 その中で目が合った二人があたしの所へ駆け寄ってきた。一人は流花(るか)という名前の子で、伊津美さんのお手伝いをした時に一緒に遊んでいた子だった。最近、ガードレディになったって聞いていたけど、無邪気な様子は相変わらず変わっていなかった。

 もう一人は友江(ともえ)という名前で、とにかくアニメが好きな子だった。アニメの話に詳しいのはもちろん、どのキャラが誰の声優なのかすぐに言い当てることが出来るほどのマニアだった。一日中、友江のアニメの話を明日野たちと聞いていたこともあった。

「流花、友江!」

「わーい、鶴姉だ〜!」

 流花が無邪気に笑いながら抱きついてきた。しばらく見ないうちに背が伸びたのと、予想以上の力に少し圧倒される。

「もう、流花、子供じゃないんだから鶴姉を困らせたらだめよ」

 友江はそう言いつつも、流花のことを羨ましそうに見ていた。思えば友江にもよく抱きつかれていたような気がする。

「ふふ、まるでお母さんみたいね、鶴香は」

「二人とも鶴姉さんに会いたがっていたんですよ」

「そうだったんだ……」

 流花の頭を撫でてあげる。自然と心の中にあった不安が少し和らいだような気がした。

 みんな小さい時からずっと一緒にここで育ってきた仲間だった。辛い過去を持っていても、人という力を受け入れて戦ってきた仲間だった。

 一人で悩む必要はない。あたしにはみんながいる。

 そして……。

「おーい、鶴香! みんなも集まってくれ!」

 遠くのほうで文仁が呼ぶ声が聞こえてきた。明日野たちと一緒に行くと、沢村たちが館内にいるメンバーを集め終えたところだった。

 ガードレディ、ガードマン含めて総勢四十人近く。これだけの人数が集まるのはメンバーの葬式以外では滅多にない光景だった。

「……」

 それだけこれから起こる戦いは深刻になるということだった。

 ぐっと拳を握り、あたしは作戦会議に参加した。


 6


 辺りが段々と暗くなり始めた時間帯。夕方頃から降っていた雨は止む気配がなく、今も降り続いて地面を濡らしている。

 リムジンの窓越しにその様子を見ていた僕は視線を変える。その先には大型のトラックが木々に覆われた山道をゆっくり進んでいた。あのトラックの荷台にはダルレストの精鋭部隊が二十人近く乗っている。僕や花麗のようなオリジナルの刀人に次ぐ戦闘能力を持った刀人たち。彼らを乗せたトラックは一台だけじゃない。もう一台別のトラックがその前を走っているだろう。

 いくらガードレディと言っても、精鋭部隊を相手に戦うのは圧倒的に不利だった。勝負にならない可能性もあった。

「こんなの戦いなんかじゃない。ただの虐殺だ」

「あの子たちが生き延びる可能性はあるの?」

 隣に座っている花麗が聞いてきた。僕はソフトハットを被り直した。

「精鋭部隊だけならまだ望みはあったかもしれないね。だけど……」

 振り返ると、もう一台別のリムジンが山道を進んでいる。車内の様子を見ることは出来ないけど、まだ眠っているんだろう。でも……。

「彼女が動けば全てが終わる」

「浜家が言ってた五人目のこと?」

「そうか、花麗は初めてだったんだね。オリジナルの刀人の中でも彼女は特別だよ。君と互角に渡り合ったガードレディなんて比じゃない。彼女の力は絶対だ。止めることは出来ない」

「そんなに強い子ならどうして今まで使わなかったの?」

「……」

 花麗の質問に対して僕は大きく息をついた。

「浜家たちは彼女の管理をまだ完璧に出来ているわけじゃない。絶大な力でも、それを扱うことが出来なければ暴走する可能性がある。だから、浜家は今まで使うのを渋っていたんだけどね。でも、今回はガードレディたちの殲滅。今までの仕事とはわけが違う。吉住がうまい口実を作ったんだ」

「伊月、あなたと五人目のその子って……知り合いなの?」

「……どうしてそう思うの?」

 そう聞き返すと、花麗はやや躊躇ったけど、すぐに口を開いた。

「あなたがその子の話をしているとき、いつもよりずっと悲しそうに見えるからよ」

「……そうだね」

 花麗にあっさり見抜かれるなんて僕はまだ未熟だな……。

 そう思いながら視線を下に向け、手に握り締めたスマートフォンを見る。

「もう迷ってる場合じゃないね……」


7

 

 顕光館の四階。長い廊下の左右には学校の教室と同じ造りの部屋がいくつかあった。普段は子供たちが勉強する場所であろうこの部屋に、今は紫弦館で暮らしていたじいさんやばあさんたちがうずくまっていた。ある者は怖くて身体を震わせ、ある者はみんなが無事に戻ってくるように祈っている。そんな彼らを職員たちが励ましている光景を何度か見ていた。

「……」

「あ、刀人の反応が出ました……」

 そばから声が聞こえてきて視線を移す。しゃがみこんでいた千登勢がスマホの画面をじっと見つめていた。

「あたしにも見せて」

 隣にいた貝堂もその画面を見る。その表情がより一層険しくなるのがわかった。

「こんなにたくさん……三、四十分もしたら紫弦館前に来るわ」

「貝堂さん、やっぱり私も……」

「千登勢、あんたの力は頼もしいけど、まだ不安定よ。暴走したらほかの仲間を巻き込む可能性だってあるわ」

「で、でも……」

「大丈夫、千登勢ちゃん」

 それまで静かにしていた八重坂が言った。

「どんな相手でも鶴香や未国たちは負けない。絶対に……負けないわ」

「真那さん……」

「……」

 強気に言った八重坂だったが、その身体が僅かには震えているのが見えた。沢村、佐東、橘、溝谷。他にもいるたくさんの仲間たちが全員生き延びることが出来るとは限らない。  

 仲間を失うのが怖い八重坂は特にそれを意識してしまっているんだろう。

「……」

 自然と拳を握りしめる。

 俺にもっと力があれば……。

 その時、スーツの胸ポケットに入れていたスマートフォンが振動した。電話の着信を知らせるものだった。

「……」

 俺はそれに気づいても電話に出るのを躊躇った。そのスマホは俺の物じゃなかったからだ。ここに電話が来るとしたら相手は一人しかいない。

「……」

『電話に出て……おじさん』

 突然、頭の中に弥生の声が響いてきた。

「弥生?」

『早く……」

 それだけ聞こえてきて、また弥生の声が途切れた。

「……」

 俺は胸ポケットからスマホを取り出し、電話に出た。

「もしもし?」

『やぁ、三重大学以来だね、梨折秀平』

 予想通り電話の向こうから伊月の声が聞こえてきた。

『積もる話はあるけど、そうも言っていられない状況になってる。もうわかってるよね?」

「お前達は……ここにいる人達を皆殺しにするつもりか?」

『否定したいところだけど、残念ながらそうだよ。ダルレストの精鋭部隊は君たちが戦ってきた刀人よりも強力だ。おまけにこっちには隠し玉も用意されている』

「隠し玉?」

『今のところ君たちが生き残れる可能性はゼロに等しい。でも、それを僕なら僅かだけど引き上げることが出来る」

「どうゆう事だ?」

『僕は創路を個人的に呼び出せることが出来るんだ。彼女に頼めば回収部隊を大勢連れて、君たちのいる所へ送ることが可能だ。ダルレストは彼女を敵に回すことは出来ない。彼女が介入すれば、撤退するだろう』

「……」

『ただ創路たちが来るのには時間がかかる。およそ一時間。それまでは君たちの力だけでダルレストを抑えてもらわないといけなくなる』

「お前に頼まなければ俺達は全員死ぬ」

『そうだね』

 俺はそこで口を閉じた。この危機的状況を脱するには願ってもない機会だが、ただという訳にはいかないだろう。

「見返りはなんだ?」

『それは必要ないよ。これはこの前君を危険な目に合わせたこと、そして潤一の命を奪ったことに対する謝罪の気持ちと受け取ってくれていい』

「……わかった。創路に頼んでくれるなら俺たちにとって大きな助けになる」

『そう言ってくれて嬉しいよ。長い夜になると思うけど頑張ってね。梨折秀平、君なら彼女をとめられる。僕はそう信じているよ』

「彼女?」

 そう聞き返したが電話はそこで切れてしまった。

 伊月がどういう意図で俺を助けようとするのか、まだ見えてこない。けど、今はこれに賭けるしかなかった。

「秀平さん、誰から電話が来たんですか?」

 そばにいた八重坂が心配そうに聞いてくる。時間がない。詳しい説明をするよりも先にこのことを沢村に伝える必要があった。

「八重坂、沢村に連絡できるか? 話したいことがある」


 8


 外を降る雨はいよいよ本格的になってきた。

 作戦会議を終え、周りにいるメンバーの顔に緊張がはしる。ガードレディ、ガードマン合わせて総勢四十人。けれど、あたし、未国、明日野、奈央以外はガードレディとしてほとんど外に出てない子ばかりで、その中には友江たちのように実際に戦うのが初めてという子も含まれている。

 それでも、沢村たちの指示をしっかり聞いて、足でまといにならないように意識してくれているのはわかる。だからこそ、あたし達がしっかりサポートしなければならなかった。

「鶴香、どうした?」

 隣にいた文仁が聞いてきた。いつもの学生服に身を包み、手にした拳銃の弾を確認しているところみたいだった。

「ちょっとね……。まだガードレディになって日の浅い子がたくさんいるのに、こういう戦いをさせないといけないって思うと……」

「まあ、気が病むよな……。けど、それぐらい覚悟の上であいつらもガードレディになったはずだ。みんなで育ってきたこの場所を守るためにあいつらは戦おうとしている。先輩である俺たちが落ち込んでいる場合じゃないだろ?」

「……そうね、あんたの言う通りよ、文仁」

 あたしは文仁のほうに歩み寄って、その胸元に頭をあてた。

「お、おい、鶴香」

「頼りにしてるわ、文仁。ずっとそばにいてね」

 そう言うと、文仁は少し照れたけど、あたしの頭に手を置いた。

「おう、当たり前だ。お前のことは死んでも守るぜ、鶴香」

「死んだら元も子もないだろ」

 ふと別の方向から声が聞こえてきた。見ると、未国が不機嫌そうな顔であたし達のほうを見ていた。

「せめて生き延びて守ってやれ」

「た、例えばの話だ、例えばの話! 死ぬつもりなんてねぇよ!」

 慌てた様子で言う文仁を見ていると、何だか落ち着いてきた。本当に危険な状況にいるかもしれない。 

 でも、文仁と一緒なら乗り越えられる。そんな気がした。

「おい、みんな、良い知らせだ!」

 大広間の中央にいた沢村が大きな声で言った。周りにいたガードマンとガードレディたちが集まってくる。

「梨折先輩から連絡が来た。創路が部隊を連れてここに向かっているらしい。創路が来てくれたら、ダルレストの連中も迂闊に手が出せないはずだ!」

「本当!?」

「マジかよ!」

「やったー!」

 メンバーの中で歓喜の声があがる。隣にいた文仁も喜んでいた。

「ただ到着するのは七時半頃になる。それまでは俺たちの力で奴らの猛攻を防がないといけない」

 沢村はあくまで落ち着いた口調で説明を続けた。現在の時間はもうすぐ六時半を過ぎようとしている。 

 およそ一時間近く、粘る必要があった。

「奴らの部隊はあと十分もすれば紫弦館前に到着する。作戦通り、紫弦館は破棄。中庭と顕光館の大広間を守る二グループに分かれるぞ。藤原、中庭のグループの統率は任せる」

「ああ、任せろ」

 奈央のガードマンである藤原が胸を張って言った。少し真面目すぎるところはあるけど、奈央と共に何年も実戦を経験しているベテランのガードマンだった。沢村と同じように他の子に指示を出す能力も優れている。

「大広間のグループは打ち合わせ通り、それぞれの柱の周囲で待機。俺からの指示を待ってくれ。連絡はスマートフォンでやるから、全員、電源は入れておけよ」

 沢村からの指示で全員がスマホを取り出して、もう一度確認する。フィールドの影響で外部との連絡は途絶えているけど、エリア内にいる他のメンバーと連絡することは可能だった。これで状況確認することが出来る。

「最後に言っておく。これからここで起こる戦いは今までで一番過酷なものになるだろう。奴らは本気で俺たちを殺しにかかってくるはずだ」

 その言葉を聞くと、自然と拳を握り締めた。隣にいた文仁も唾を飲み込む。

「だから、俺たちも命を張る。自分たちの命はもちろん大事だ。けど、ここで暮らしている人たちの命も同じくらい大事なものだ。俺たちの育ってきたこの場所をみんなで守ろう!」

 沢村のその声を聞いて全員が一斉に声をあげた。アサガオの施設を守る。その心はみんな一つだった。

 刀人になったあたしたちを暖かく迎えてくれた希莉絵さんのために、理不尽に殺されようとしているおじいさんやおばあさんを守るために、そして何より隣にいる文仁と共に生き延びるために。

 あたしは何としてでも生き残る。

 生きて、明日を迎えてみせる。


 9


 八重坂を通じて沢村に連絡を終えた俺はとりあえず一息ついた。伊月は信じられるかどうか微妙な相手だが、今は頼りにする以外に選択肢はない。およそ一時間。沢村たちが粘ってくれたらこの戦いは終わる。

「鶴香……みんな……」

 八重坂はスマホを握り締めたまま、目を閉じて祈るように手を合わせている。貝堂は怖がって震えている千登勢を落ち着かせようと背中を撫でていた。教室にいる他の人たちも似たような感じだった。

 ここで死ぬかもしれない。

 そう思わない奴は誰一人いないだろう。俺自身もそうだった。これまで何度も死にかけたことがあった。井出浦さん、潤一、葉作や愛佳。周りの人が次々と死んでいく状況でそう感じないほうがおかしい。今回も同じだった。俺は……ここで死ぬかもしれない。

 俺は伊月から渡された別のスマホを取り出した。電源は入っていない。ダルレストの部隊が近づいているということはフィールドも張られているだろう。外部に連絡することはできない。

「電話ぐらいしとけば良かったな、由美……」

 俺はため息をついてスマホをスーツの内ポケットに戻した。

『あ、あ……だめ……』

 頭の中に声が聞こえたのはその時だった。

「弥生?」

 さっき途切れた弥生の声が再び聞こえてきた。

『く、来る……あの人たちが連れてくる……』

「連れてくる?」

 何を?

 そう聞こうとした瞬間、そばから雑音のような音が聞こえてきた。

「来た!」

 千登勢が声をあげる。それを聞いた八重坂と貝堂がそばに寄った。三人がスマホに耳を近づける。

『こちら藤原、紫弦館前に近づいてくるトラックを確認した……一台、いや二台だ。二台近づいてくる。かなり大きい、二十人以上は乗れるぞ……ん? 待て。後ろにまだ来ている。あれは……』

 雨の音に紛れて聞き取りづらかったが、確かにそう聞こえてきた。しかし、そこでノイズが響いてきて通信が途切れた。

「本当に来たみたいですね」

「いよいよ始まるのね……あの子たちを戦わせないといけないなんて……」

 貝堂が珍しく弱音を吐いたような気がした。八重坂は何も言わずにまた祈り始めた。

「沢村……」

 教室の窓から外を見る。俺の今の気持ちをはっきり現しているかのように外は激しい雨が降り注いでいた。


 10


「……」

 梨折秀平に連絡を入れてから十数分後、山道を抜けたダルレストの車列が目の前にそびえる大きな建物の前に到着した。そばの駐車場に停まった数台のバン。これまで戦ってきたガードレディやガードマンたちが乗っていたものと同じだった。

 間違いなく、彼らはここにいる。

 建物の前に停まった大型トラックの荷台の後ろが開き、何人かの刀人が降りてきた。その全員がガスマスクで顔を隠している。

「あれが……ダルレストの精鋭部隊」

 隣の席に座っていた花麗が言った。おそらく精鋭部隊を見るのは初めてだろう。彼らは余程の事態でなければ出ることがないからだ。

 刀人たちが数人建物のほうに向かっていくと、荷台からぞろぞろと降りてきて、正面玄関の入り口前に集まっていく。すごい人数だった。五十人近くはいるかもしれない。その中に大砲のような黒い筒を持った刀人も混ざっている。

「浜家……やる時は徹底的にやるみたいだね」

「伊月、あれって?」

「針の入った風船を飛ばせる武器だよ。着弾してから数秒後に破裂して周囲に針を飛ばす。建物に篭っている敵には有効だね」

 そのあと後ろのリムジンが開く音が聞こえてきて、スーツを着た浜家が姿を現した。集まった刀人のうちの一人が歩み寄ってきて、傘を差した。浜家が正面玄関のほうに向かっていく。そして、その後ろから白いフードを被った少女が姿を現した。顔は見えなかったけど、右腕が黒い鱗のようなもので覆われていた。

「伊月、あれが……」

「うん、彼女が五人目「黒刀」だよ」

 黒刀は僕たちのほうに目もくれずに浜家と集まっている精鋭部隊のほうに向かっていった。

 これから浜家の指示を受けて彼らがこの施設にいる人たちを襲撃する。精鋭部隊だけで済めばいいけど、浜家はおそらく彼女も投入してくるだろう。そうなったら、ガードレディたちに生き残るチャンスはゼロに等しい。

「くっ……」

 思わず唇を噛みしめる。人殺しなんてしてほしくない。でも、彼女は浜家に言われたら躊躇いなく命を奪っていくだろう。自分の手が血に染まっても全く意に介さない。一度始めたら最後の一人まで殺し続ける。

「梨折秀平、弥生……」

 何も出来ない自分を悔やみながら僕は施設の中にいる二人の名を呟いた。

「お願いだ、彼女を……皐月(さつき)を止めてくれ」


 11

 

 スマホの画面を見ると、時刻はちょうど六時四十五分に差し掛かろうとしていた。

 顕光館の電気が消えて、一階の大広間も薄暗くなっている。外は激しい雨と時々雷の音がごろごろと鳴っていた。

「……」

 あたしは天井を支えている大きな円柱のそばに立っていた。その隣で沢村と文仁がスマホで、中庭のほうに出て行った奈央や藤原たちのグループと連絡を取っている。

 怖いかどうか聞かれて、怖くないと言えば嘘になる。今まで死にかけたことは何度もあった。ダルレストの刀人と斬るか、斬られるか、そんな毎日を送り続けてきた。もう慣れてきたと思ったけど、やっぱり心のどこかで死ぬのが怖い自分がいる。

 でも、あたしより怖がっている子たちはたくさんいる。流花や友江はこういう戦いをするのは初めてだし、中庭に出て行っている奈央も優しい子だった。

 みんな、怖いだろう。だから、あたし自身が弱いところを見せてはいけないと思った。

「鶴香」

 沢村たちと反対のほうから声が聞こえてきた。そこには柱にもたれている未国がいた。

「ちょっと頼みがあるんだけど、いいか?」

「どうしたの、未国?」

「いや、こんな時に言うのはおかしいと思うんだが……」

 未国は言いづらそうに口をもごもごしたけど、やがて思い切ったように口を開いた。

「明日、買い物に付き合って欲しいんだ」

「……え?」

 あまりに突拍子もない頼みで無意識に聞き返してしまった。

「いや、その今度、沢村と出かける約束をしたから……私、学生服以外に良さそうな私服持ってないし、鶴香、そういうの詳しいだろ? だから……」

「ぷっ……」

「お、おい! 何で笑うんだ!」

「ふふ、ごめんごめん。さっきまで考えていたことが馬鹿みたいに思えてさ」

 あたしは笑うのをやめた。

「いいわよ。オススメの店知ってるから一緒に行こ、未国」

「ほ、本当か!?」

「うん、真那や貝堂さんたちも誘ってみんなで……」

「藤原、どうした!?」

 あたしの言葉は突然の大声に遮られた。

 沢村が切羽詰まった表情でスマホに向かって叫んでいた。隣にいる文仁も表情が強張っている。

『な、なんだよ……あれ……』

『そんな……みんなが、みんなが……』

 スマホから通信で藤原と奈央の声が途切れて聞こえてきた。それと同時に雨の降る音と誰かの叫ぶような声も聞こえてくる。

「藤原! 返事しろ! 何があった!?」

 沢村が必死に叫んでも返事が来ない。周りにいる子たちも中庭のグループに連絡を取ろうとしていたけど、繋がらないみたいだった。

「おい、やばいぞ! こっちの反応がどんどん消えてる! もう半分もいない!」

 文仁が慌てて報告する。あたしも奈央のスマホに電話をかけた。

「奈央! 聴こえる? 聴こえたら返事して!」

『つ、鶴姉さん?』

 雑音に混じって奈央の声が聞こえてくる。その声が何かに怯えるように震えていた。

『ふ、藤原さんが目の前で……目の前で黒い刀を持った子に……あ、あああああああああ!!』

 奈央の叫び声が聞こえてきて、そこで通信が途切れた。

「奈央! 奈央!」

 何度も叫んでも奈央から返事は来なかった。

「明日野!」

「あたしもかけてるけど繋がらない!」

 隣の柱の近くにいた明日野も首を振った。

「おい、外の連中に片っ端からかけてるけど、誰も返事しねぇぞ!」

 明日野のガードマンの国枝がそう言ったことで館内のメンバーに緊張がはしる。

 画面を見ると、中庭にいた味方のグループの反応がなかった。十数人はいたはずなのに……。

「全滅……?」

「そんなバカな……!」

 その直後がしゃん、という音が右側の壁のほうから鳴り響いた。ステンドグラスの窓が割れて、灰色の風船のようなものが中に飛び込んでくる。左側からも窓ガラスが割れて同じような風船が飛び込んできた。

「おい、あれは!?」

「みんな、柱の裏に隠れて!」

 それが何なのか一瞬で察したあたしは叫んだ。灰色の風船が床を転がりながらある程度進んで止まると、カチッと音がして宙へ飛び上がった。次の瞬間、風船が大きな音を鳴らしながら破裂し、周囲に針のようなものを飛ばした。

「きゃああ!」

「ぐわっ!」

 近くにいた流花とガードマンがその針を全身に浴びる。二人とも全身から血を流して床に倒れた。反対側のほうでも何人かの叫び声があがる。

「おい、沢村、なんだよあれ!?」

「周りに針を飛ばす爆弾だ。容赦ないな!」

 文仁と沢村の大声が聞こえたあと、割れたステンドグラスの向こうから人が来るのが見えた。一人や二人じゃない。すごい数だった。

「敵だ、迎え撃つぞ!」

 沢村のその声にそばにいた文仁と未国が頷く。あたしも柱から飛び出した。他の柱に隠れていたメンバーも動き始める。

 既にステンドグラスから大勢のダルレストの刀人が入ろうとしていた。その全員が顔にガスマスクをつけている。

「くそっ、気味の悪いやつらだ!」

 隣にいる文仁が言った。

 剣を構え、最初に斬りかかってきた刀人の攻撃を弾き返して、脇腹を切り裂いた。でも、その後ろから残りの刀人が一気に流れ込んでくる。

「ここは通さないわ!」

 叫びながら剣を振りかぶって二人目の刀人を切り裂く。その直後に別の二人が刀を振り下ろしてきた。咄嗟にその二人の間を転がり込んで攻撃を避け、背後に回る。敵の刀人が振り向く前に一人の足を斬り、もう一人も肩に剣を突き刺した。急所を突く余裕がなかったから、剣をひねりながら抜いて傷口を抉った。返り血を浴びるのが嫌だったけど、気にしていられない。

 別の刀人が背後から斬りかかってくる。すぐに反応してその斬撃を受け止め、押し返して剣を持ち替えて横に斬った。

 ガスマスクの下から血を流して刀人が倒れていく。周りを見ると、いつの間にか四人の敵に囲まれていた。

 まずい。一度にこの人数を相手じゃ……。

「鶴香!」

 その時、後ろのほうから声が聞こえたかと思うと、細長いワイヤーが飛んできて、四人のうちの一人の首に巻きついた。未国が跳び上がって、その刀人の首にナイフを突き刺す。

「ぐっ!」

 別の刀人が声をあげる。いつの間にか沢村が姿を現して手にしたスタンバトンでその刀人の動きを封じていた。

「おらぁ!」

 それと同時に後ろから銃声が鳴った。動きの止まった刀人が顔面にそれを受けて後ろに倒れた。

 あたしの横から拳銃を構えた文仁が現れる。

「一人で無理すんな、鶴香」

「四人で固まれば何とかなるだろ」

「私が援護する、鶴香」

 三人が集まってきて背中合わせになる。

 そうだった。あたしは一人で戦っているわけじゃない。あたしにはこんなにも沢山信じられる仲間がいる。大切な人がいる。

 もう怖いものなんて何もない。

 ぐっと剣を握りなおして襲ってくる刀人を倒した。一斉に入ってきたダルレストの刀人たちは大体撃退することが出来た。反対側も明日野や国枝たちが抑えている。

「行けるわ、これぐらいだったらどうってこと……」

 その時だった。

 何の前触れもなく、綺麗な歌声が聞こえてきた。何を言っているかはわからないけど、それは女の子の声だった。どこか悲しそうな、切ない気持ちになる、そんな声だった。

「何だ?」

「歌か? どこから……」

「こ、この声は……まさか、あの時の……」

 みんなが首を傾げる中で未国だけが声を震わせていた。何かに怯えるように表情も変わっている。こんな未国を見るの初めてだった。

 その歌は天井にかけられたシャンデリアのほうから聞こえてきた。見ると、シャンデリアの上に誰かが立っている。どうやってあんなところに登ったのか、全くわからなかった。

 雷が鳴って、一瞬だけ館内が照らされる。シャンデリアの上にいる人の姿が見えた。

「あれって……」

 立っていたのは一人の少女だった。あたしと同い年ぐらいの髪の長い女の子。けど、その顔の右半分と腕は真っ黒な鱗のようなもので覆われていた。そして、その腕には刀身の黒い刀が握りしめられていた。

 また暗くなって、数秒後に雷が鳴る。シャンデリアの上に女の子の姿はなかった。

「どこいった?」

「みんな、気をつけて!」

 素早く辺りを見回すと、反対側の柱に向かっていく黒い刀の少女が見えた。

「国枝! そっち行ったわ!」

 あたしの言葉に反応して柱の近くにいた国枝と他の三人が身構える。けど、その直後に四人とも首の辺りから血を噴き出して一斉に倒れた。

「どうした、何があった!?」

 驚いて文仁と一緒に反対側の柱のほうに向かう。近くにいた黒い刀を持った少女が煙のように消える。それとほぼ同時に割れたステンドグラスから新たなダルレストの刀人が大勢流れ込んできた。

「鶴香、前!」

 未国の声に反応して剣を構えた瞬間、目の前から刀の一擊を受けた。その衝撃で後ろに飛ばされて追い詰められる。間髪いれずに敵が刀を振り下ろしてくる。横に転がって何とか避けたけど、その先にも二人の敵が待ち構えていた。辺りを見回すと、敵ばかりで文仁たちの姿がない。

 わずか数秒で形勢が逆転してしまった。

「ちくしょおおおお!」

 大声をあげながら向こうの柱に向かって走る。前と後ろから二人ずつ敵の刀人が迫ってきた。目の前の敵に向かって剣を振り上げると、敵が刀を構えて受け止める姿勢を取る。  

 それに構わず力任せに剣を振り下ろした。相手の刀が砕けて剣先が肩に食い込む。そのまま力を振り絞って剣を振り抜いてその敵を倒すと、もう一人の攻撃を弾いてその胸を切り裂いた。でも、休む間もなく、敵の増援が押し寄せてくる。

 すぐそばで明日野が敵の刀に斬られるのが見えた。けれど、周りを囲む敵を倒すだけで精一杯だった。目の前で一人、また一人とずっと一緒に育ってきた仲間たちが次々に殺されていく。でも、助けに行けない。敵の返り血を浴びながら、ただ必死に自分の剣を振るしかなかった。


 12


 ダルレストの精鋭部隊が突入してから二十分ほどが経過した。創路の部隊が到着するまであと二十分強まで迫ってきている。

「花麗、状況は?」

 隣の席に座る花麗に聞いてみる。彼女は複雑な表情を浮かべながら答えた。

「良くないわ。向こうの人たちがかなり押されている。こっちの人数も減っているけどね」

 スマホから視線を離して僕のほうを見る。

「精鋭部隊はかなり使える人の集まりでしょ? いくらガードレディといっても差があるんじゃ……」

「確かにガードレディと精鋭部隊とじゃ差が大きすぎる。それでも、彼女たちが互角に戦うことができるのは生きたいと強く望んでいるからだ。だから、彼女たちは強い。刀人だから強いんじゃなくて、必死に生きたいと願っているから強い。それが人としてのあるべき姿だよ。道具のように扱って、手を血で汚させるのは間違ってる」

「伊月……」

 ソフトハットを被り直して建物のほうに視線を移す。状況からして精鋭部隊の突入でかなりの人数が倒れているだろう。皐月が入っていたなら、恐らく全滅しているかもしれない。

「あと二十分か……」

 梨折秀平。君はここで死んではいけないよ……。

 

 13


 周りを囲んでいた敵を斬り倒して、あたしは包囲を突破した。全身に返り血を浴びていて、体力もかなり消耗している。けど、休んでいる余裕はない。まだ敵の刀人は何人もいた。

「!」

 その時、柱の近くで二人の刀人と戦っている沢村の姿が見えた。沢村は一人を拳銃で射殺したけど、もう一人に刀で銃を弾き飛ばされた。その敵をスタンバトンで何とか倒したけど、更に別の刀人が沢村のほうに向かっていた。

「鶴香、沢村が危ない!」

 未国の悲鳴が聞こえてきた。

「わかってるわ! 文仁、援護して!」

「もうやってる!」

 横から文仁の声が聞こえてきて銃の発砲音が鳴り響き、前にいた敵が倒れる。あたしは急いで沢村のほうに向かった。

 柱の近くに追い詰められた沢村のところに一人、また一人とダルレストの刀人が集まっているのが見えた。いくら沢村でもあの人数の刀人を相手にすることはできない。

「沢村! 沢村!」

 別の方向から来た未国も沢村のほうに向かっていたけど、何人もの敵が立ちはだかっていて、苦戦していた。

「くっ!」

 剣を持ち替えて目の前に来た敵の刀を弾いて足を斬る。けど、その反撃で脇腹に刀がかすった。痛みがはしって動きが鈍る。

「沢村! 持ちこたえて!」

 押し寄せる刀人たちの中で沢村はまだ生きていた。肩や腰の辺りを斬られていたけど、スタンバトンを必死に振って応戦している。

 前の床に腹を斬られたガードレディの子が死んでいた。その上を跳び越えて、沢村のほうに向かって走る。その時、沢村のすぐ近くに黒い刀を持った女の子の姿が見えた。

「沢村、後ろ!」

 叫んだ直後、沢村が顔の左目の辺りを斬られて血を出した。沢村が手にしたスタンバトンを床に落とす。

「悪い……未国」

 沢村がそう言ったような気がした。そのまま、後ろに倒れていった。

「あ、愛太郎……?」

 未国が立ちどまってそう呟き、身体を震わせた。

「愛太郎!」

 未国の叫び声が館内に響いた。それに反応して沢村を囲んでいた七人の敵が未国のほうに振り向いた。

「貴様ら……許さない。ひとり残らず、殺してやるぅぅぅ!!」

 未国が怒りで我を忘れて敵に向かって走った。

「未国、だめぇ!!」

 大声で叫んだけど、未国は止まらなかった。いくら未国でもあの人数の刀人相手だと分が悪すぎる。すぐに助けに行きたかったけど、前にいる二人の敵が邪魔して進めなかった。

「うあああああ!!」

 絶叫をあげて未国が刀人の一人に飛びかかり、ナイフで喉元を突き刺した。けど、後ろから別の刀人が剣を振り上げる。

「未国ぃぃぃぃ!!」

 叫んだ直後に未国は敵の剣に背中を斬られた。

「ぐっ!」

 未国が口から血を流して、倒れた沢村のほうに手を伸ばす。

「あ、愛太郎……」

 小さな声が漏れた。未国はそのまま床に倒れた。

「未国……」

 その場にいた六人の刀人があたしのほうに向かってくる。周りを見回すと、また雷が鳴って館内を照らした。その光で味方のガードレディの友江がまだ生きていて柱の近くにいるのが見えた。けど、そのそばをあの黒い刀を持った少女が立っている。

「友江、後ろ!」

 友江に向かって叫んだけど、その直後に友江は首から血を噴き出して倒れた。斬られたのはわかったけど、攻撃が全然見えなかった。

「あああああ!」

 叫びながら剣を構えて少女のほうに向かった。けど、その前にさっきの刀人たちに周りを囲まれる。そばにいた刀人に向かって剣を振り下ろしたけど、その直後に別の刀人に腰を斬られた。

「くっ!」

 斬ってきたその刀人を斬り殺して、階段のほうに向かって走った。

「鶴香、ここは限界だ! 一旦退け!」

スタンバトンを握りしめた文仁が追いついてきた。

「だめよ、ここを守らないと上の人たちが!」

「そんなこと言ってる場合か! 早く、逃げ……鶴香!」

 文仁が何かに気づいて叫んだ。横を向くと、敵の刀人が手にした刀を横薙ぎに振ってくる。反応が遅れた。避けられない。

「鶴香!」

どん、と身体を押された。同時に大量の血が宙に舞う。でも、あたしの血じゃない。

文仁が敵の刀で左腕を斬られて倒れていくのが見えた。

「文仁!」

その直後に別の刀人の一撃が顔に来た。剣で受け止める余裕がなかった。激しい痛みと共に視界の右半分が真っ暗になる。斬られた。致命傷は受けなかったけど、右目を斬られてしまった。

「あああああ!!」

失明した右目から血を流しながらあたしは剣を振って襲ってきた刀人を倒した。でも、すぐに別の敵の攻撃が太ももをかすめる。

「ぐっ!」

痛みをこらえながら文仁を掴んで、階段の淵に倒れ込んだ。

前にいる五人の刀人たちの笑う声が聞こえてくる。

「に、逃げろ……鶴香……」

片腕を失った文仁が苦しそうに声をあげた。

「だめよ、文仁。あんたを置いていくなんて……」

「お前だけでも……逃げろ」

「絶対に嫌! もう一人になるのは――」

「鶴香!」

 かっと目を見開いた文仁があたしに覆いかぶさった。いつの間にか近づいていていた敵の刀の一太刀が来る。

 斬られた文仁の背中からまた大量の血が噴き出した。

「文仁!」

「鶴香……俺はお前をずっと……」

 口から声が漏れて文仁は目を開いたまま倒れてしまった。

「文仁……」

 残った左目から涙が流れ落ちる。周りを見ると、こっちの味方の姿はどこにもなかった。大広間に倒れた大勢の死体を踏み越えながらダルレストの刀人が迫ってくる。五人、六人……いや、七人はいる。

「……」

 あたしは立ち上がって剣を構えた。斬られた右目と脇腹、腰、太ももからの出血が酷かった。体力も限界に近づいていて視界もぶれている。

 それでも、あたしは剣を強く握りしめた。まだ仲間が全員やられたわけじゃない。上の階には梨折さん、千登勢、貝堂さん、そして真那たちが残っている。今のあたしに出来ることはここで敵を食い止めて創路の部隊が来るまでの時間を稼ぐ。例えそれが一秒になることだとしても無駄じゃない。みんなの思いはあたしの胸の中に残っていた。

 こっちに向かって走ってくるダルレストの刀人たちを、あたしは大声をあげながら迎え撃った。



 14


 雷と雨の降る音だけが聞こえてくる中で俺は教室の前の廊下に立っていた。スーツの胸ポケットに閉まっていた拳銃を握り締めながら階段のほうをじっと見守る。階の入口にはドアがあって鍵がかけられていたが、何人か人数がいれば突き破るのは難しくなかった。

 突き破ってくるとしたら敵しかいない。沢村たちが下の階で粘ってくれていると良いが……。

「真那さん、行っちゃだめです!」

「嫌よ! 私が行かないと……みんなが死んじゃう!」

 その時、教室のドアが開いて八重坂が廊下に姿を現した。そのすぐ後ろには千登勢と貝堂もいる。

「どうした、八重坂?」

「秀平さん、みんなが……みんなの反応が消えてきている。私が行かないといけないんです!」

「無理よ、真那! あんたが行ってもどうすることもできないわ!」

「このまま、黙ってみんなを見殺しにしろって言うんですか!?」

 貝堂に向かって八重坂が叫んだ。こんなに大声を出す八重坂を見るのは初めてだった。

「貝堂さんは何も思わないんですか!? みんなが……みんなが死んでいくのを!」

「あたしだって嫌に決まってるわ。でも、今のあたしには力がない。だから、せめて……せめてここにいる人たちの盾になる。真那、鶴香たちがどうしてあんたをここに残したのか、わかるでしょ?」

「わかりません! シンナがいなくても私はみんなを助けます!」

 自分の腕を掴んでいた貝堂の手を振りほどいて、八重坂は階段のほうに向かって走った。

「真那さん!」

 千登勢があとを追いかけようとしたが、俺はその肩に手を置いた。

「お前はここにいろ。万が一奴らが来たら、対抗できるのはお前だけだ。八重坂のことは俺に任せろ。貝堂、こいつを頼むぞ」

「わかったわ。梨折、気をつけてね」

「ああ」

 貝堂にそう返事して俺は八重坂のあとを追った。

 五階から三階まで降りたところで八重坂に追いついた。

「八重坂、待て! 一人で行くのは危険だ!」

 その手を掴んで走っている八重坂を引き止めた。

「離してください、秀平さん! このままだとみんなが! みんなが!」

「お前が行ってどうこう出来るわけじゃない! 冷静になれ!」

「でも……」

 その時だった。雷が鳴って階段の途中にある折り返しのところで誰かの人影が映った。

 咄嗟に胸ポケットに入れていた拳銃を握り締めた。敵が来た可能性が高い。沢村たちがやられるはずがないと信じているが、万が一の可能性もある。

「……」

 八重坂もその人影に気づいて身構えた。影はゆっくりとした足取りで階段を上っているようだった。見たところ、影はその一つだけだ。

「八重坂、上の階に戻れ。俺が何とかする」

「嫌です。秀平さん一人を置いていくことは出来ません」

「お前のことを頼む、と沢村たちと約束したんだ。それを破るわけにはいかない!」

 拳銃を取り出して、階段下のほうを見る。影は一旦動くのをやめて、その場に停止した。どうして、そんなにゆっくり上ってくるのかわからなかった。

「……」

「……」

 俺は、おそらく八重坂も何か様子がおかしいことに気付いた。再び雷が鳴ってその人影が映る。その形がどこかおかしかった。やがて、鉄のような匂いが漂ってきた。血だ。血の匂いに間違いなかった。

「まさか、この感じ……」

 八重坂が階段を下りていく。俺も銃をしまってあとを追った。折り返し地点のところでその人影が誰なのかわかった。

「つ、鶴香……?」

「……真那?」

 橘だった。それは間違いなく橘 鶴香だった。でも、その姿を見た俺たちは息をのんだ。

橘は右目を斬られていて、失明しているようだった。彼女の全身は真っ赤な血で濡れていて、体中の所々に斬られた傷があった。その傷からどくどくと血が流れていて、上ってきた階段にずっと血のあとが続いていた。重傷だった。そんな状態でここまで上がってきたことが信じられなかった。

「ごめん、真那」

 にもかかわらず、橘は右手に剣をしっかり握っていた。傷だらけの身体を引きずって俺たちの目の前まで来た。

「鶴香!」

 八重坂が橘の身体を支えてその場にしゃがみこんだ。

「ごめん……みんな死んじゃった……。あたし、守れなかったわ……」

 今にも消えそうな声で橘が呟いた。

「鶴香、喋っちゃだめ!」

「五人……来るわ。早く逃げて……」

 言い終わった途端に橘は口から血を吐いた。

「鶴香! 死んじゃだめ! 私を一人にしないで!!」

「ごめん……ごめんね、真那。でも……あたし達の思いは……繋がってる。真那の中にも確かにあるから……あたし達はまだ終わってないよ」

 橘の目が閉じていく。血を流しすぎている。俺にはどうすることもできなかった。

「鶴香!」

「文仁……今そっちに……」

 声が消えていき、橘は目を閉じた。

「鶴香? 鶴香? 目を開けてよ、鶴香!」

 八重坂が涙を流しながら聞いても、橘が返事をすることはなかった。

「あ……あ……」

 八重坂が目を見開く。嗚咽が漏れて、言葉を失った。

「いやぁぁぁぁぁ!!」

 八重坂の悲痛な叫び声が響いた。頭を手で押さえて泣き叫んだ。

「八重坂……」

「あああああ……あ……あ……」

 だが、その途中で声が途切れて八重坂がその場に倒れてしまった。

「八重坂!」

 倒れた八重坂の身体を抱きとめた。何度か名前を呼んだが、反応はない。けど、呼吸はしていた。おそらく、ショックで気絶してしまったんだろう。

 その時、下の階のほうから人の声が聞こえてきた。橘がさっき言っていた敵の刀人だろう。

 五人……。今までその人数を一人で相手にしたことはなかった。けど、ここで食い止めないと上の階にいる人たちに被害が及ぶ。橘たちが命懸けで守った人たちを無残に殺させるわけにはいかなかった。

 俺がやらないといけない。

「……」

 俺は八重坂を抱きかかえて、四階まで上がって近くの教室に運んだ。そこに寝かせて、階段の入口のドアを閉めて、鍵をかけた。

 ポケットに入れていた自分のスマホを取り出す。画面は相変わらず暗いままだった。

「悪いな、由美。無茶するなって言った約束守れそうにない」

 スマホをポケットに戻して、代わりに拳銃を取り出した。

「弥生、力を貸してくれ」

『おじさん……』

「お前が何かに怖がっているのはわかってる。無理に話す必要はない。だが、今の俺にはお前の力が必要だ。八重坂やここにいる人たちを守るためにも」

『……うん。大丈夫、おじさんは……おじさんは私が死なせない』

「……恩に着る」

 勢いよく階段を駆け下りた。三階まで再び戻ると、階段の折り返しのところから刀を持った男が二人来るのが見えた。他の刀人は見えない。

「……」

 俺は一度唾を飲み込んだ。拳銃で不意を突こうと思ったが、その前に廊下に設置されたある物が目に止まった。一度拳銃を締まって、それを両手で掴み、階段の角にしゃがみこんだ。

「おい、さっきの女だ」

「……もう死んでるな」

「あの傷で生きてたらバケモンだぞ。二人もやるなんて信じられない」

「ガードレディを侮ってたな、ちくしょう」

「けど、これで残りは雑魚だけだ。さっさと片付けよう」

 二人の男が会話しているのが聞こえてくる。三階まで上がってきたところが勝負だった。一人じゃ勝てないかもしれない。けど、俺にはもうひとり頼りになる相棒がいる。

 男たちが階段から姿を現したところで俺は行動を移した。

 手に持った消火器で手前にいた刀人の顔面を思いっきり殴った。不意を突かれた刀人はまともに顔面にくらって階段下に落ちていく。

「なんだ、お前!?」

 もうひとりが反応して刀で斬りかかってくる。その一擊を消火器で受け止めた。刀が食い込んくる。すかさず、消火器のホースを男の顔面に向けて、トリガーをしぼった。物凄い勢いで白い煙が噴き出して、周囲の視界を覆った。消火器を離して、男の肩を掴み反対側の手で拳銃を出して、男の腹にあてて引き金をしぼった。

 銃声が二発鳴って、男の身体ががくんと揺れた。男が手にした刀を落として倒れた。

「おい、銃声だ!」

「まだいるぞ!」

 別の何人かの声が聞こえてきた。消火器の煙を掻い潜って廊下のほうに走った。

『おじさん、後ろから来る!』

「!」

 弥生の声に反応して背後を見ると、新たな刀人が刀を構えて突っ込んできた。刀の一擊が来る。

『避けて!』

 言われるがままに横へ跳んでその一擊を避けた。刀の先端が後ろにあった水道管の蛇口を破壊した。そこから水が噴き出して廊下をずぶ濡れにしていく。

 すかさず銃を構えて、男の足に向かって射撃した。

 足に被弾した男がバランスを崩して片膝をつけた。その後ろから別の刀人が二人来るのが見える。

 目の前にいる男を蹴り飛ばして銃を発砲した。銃弾は刀で弾かれて、敵が刀の先を突き出してくる。

 咄嗟に避けて、その腕を掴み、逆関節を決めた。敵が「うっ!」と声を漏らす。すぐに銃の撃鉄を起こして、その顔面に向かって撃った。まともにくらった敵が後ろへ倒れていく。けど、そのすぐ横から別の刀人が刀を振ってくる。

『おじさん!』

「くっ!」

 咄嗟にかがんでその攻撃を避けたが、顔に向かって蹴りがとんでくる。両手で顔を守るのが精一杯だった。ものすごい衝撃を受けて、後ろの教室へドアごと蹴り飛ばされた。

 すぐに身体を起こしたが、蹴られた衝撃で視界が揺らいだ。その中で男が刀を振り下ろしてくる。

「くそっ!」

 舌打ちして何とか横に避けたが、すぐに新たな一擊がきた。刀の先端が左肩に食い込んで激痛がはしる。そのまま、後ろのベランダのほうに押された。

 ガラスの割れてベランダに追い込まれる。そのまま突き落とされそうになったが、ギリギリのところで何とか踏みとどまった。

『おじさん、足元!』

 弥生にそう言われて下を見ると、ガラスの破片が転がっていた。その中で尖っているものを取って、男の太ももあたりに向かって突き刺した。

「ぐっ!」

 男が一瞬怯んで力が抜ける。すぐに刀を引き抜いて、銃を発砲した。銃口から火花が噴いて、男の胸のあたりに小さな穴があく。どさっと男が前に倒れた。

「……」

 外を降る雨で全身が濡れてきた。刺された肩の傷を抑えて、教室の中に戻って一息つく。

「何とかなったな……」

 守りきった。俺は……。

「……」

 その時だった。雨と雷の音に混じって何かが聞こえてきた。

 歌だ。何かの歌が廊下のほうから聞こえてくる。若い女の声だった。透き通るような綺麗な歌声が響いてくる。

「何だ、歌が……歌が聞こえる」

『こ、この声……この声は……まさか!』

 誰かが近づいてくる音が聞こえてきた。刺された肩の傷が痛むが、何とか我慢して銃を持ち上げた。姿を現した瞬間に引き金を絞るつもりだった。

 やがて教室の入口にそいつが現れた。

「なっ……」

 俺は思わず息を呑んだ。現れたのは一人の少女だった。八重坂と同じくらい長い紺色の髪を持ち、銀色のワンピースに身を包んでいる。けど、その顔の右半分は真っ黒な鱗で覆われていた。鱗は少女の右腕のあたりまであって、その手に真っ黒な刀身を持つ刀が握りしめられていた。

 その姿が異様なことにも驚いたが、それ以上に驚いたのは少女の顔だった。

「や、弥生?」

 そう、俺の目の前にいる子は顔の半分が隠れているとはいえ、弥生と瓜二つだった。弥生は光のない目で呆然と俺のほうを見ている。

『嘘……』

 弥生の声が聞こえる。その表情が愕然としているのをイメージした。

『生きてたの? お姉ちゃん……皐月(さつき)お姉ちゃん』

「な……に?」

 弥生の言葉に俺は開いた口がふさがらなかった。

 今、目の前にいる少女が弥生の姉? どういうことだ?

『どうして……どうして皐月お姉ちゃんが……』

「……」

 皐月と呼ばれた少女は何も言わなかった。綺麗な歌を歌いながら教室の中に入ってくる。けど、その直後に少女は歌うのをやめた。

「!」

 身の危険を本能的に感じた俺は咄嗟に目の前に置いてある机を宙へ蹴り上げた。次の瞬間に机が真っ二つに切り裂かれて、刀の一擊が来た。軌道がわずかにずれたのが幸いにして、かろうじて避けることが出来たが、一歩遅かったら斬られていた。

『やめて! 皐月お姉ちゃん! どうしてこんなことを!?』

「……」

 少女は何も言わない。手にした黒い刀を向けて俺のほうに向かってくる。

「だめだ、弥生。こいつがお前の姉なのはわかったが、お前の声を聞いていない!」

『でも! お姉ちゃんがこんなことするはずが……!』

「目の前の状況を見ろ! こいつは俺たちを殺すつもりだ!」

 弥生の声を振り切って銃を構える。少女がすっと刀を上にあげるのが見えた。

「!」

 次の瞬間、肩にまっすぐ傷が入って血が噴き出すのが見えた。一瞬だった。今度は相手の攻撃が全く見えなかった。

「ぐっ!」

 力が入らなくなってその場に倒れた。斬られた肩の傷から血が流れ始める。

「……化物め」

 何とか顔だけをあげて少女を睨みつける。ゆっくりとした足取りでこっちに近づいてくるのが見えた。けど、身体に力が入らない。万策尽きていた。

「ここまでか……」


 15


 水の流れるような音が聞こえてくる。真っ暗で何も見えない世界。そこに私はしゃがみこんでいた。

「う……う……」

 悲しみがこみ上げてきて、目に涙が溢れてくる。手で拭っても止まる気配はなかった。

 どうして私はこんなに悲しいんだろう。今までこんなことなかったような気がするのに……。

 涙が流れて、地面に落ちていく。その涙が波紋のように広がっていったけど、暗い世界はそのままだった。

「真那……真那」

「……」

「真那」

 誰かの声が聞こえてきて、顔をあげる。そこにいた人物が意外すぎて驚いた。

「じゅ、潤一(じゅんいち)?」

 潤一が立っていた。学生服に身を包んだ潤一が私のことを見下ろしている。

「こんな暗い場所で何してるの? 結構探したんだよ」

「ごめん……悲しくなって……」

「悲しいの?」

「うん……だって……」

 また目に涙が溢れ出てきた。ぽろぽろと涙が流れていく。

「だって、みんな……みんな死んじゃった。死んじゃったんだよ。私が、私が頑張らないといけなかったのに……私のせいでみんな死んじゃった。潤一も……私が守らないといけなかったのに……」

 再び顔を下に向けてしまった。

「ごめんなさい……ごめんなさい」

「真那」

 潤一がさっきと変わらない口調で呼んでくる。

「連れて行きたい場所があるんだ。こんな暗い場所にいたら寂しいだけだよ」

「潤一……?」

 顔をあげると、潤一が私のほうに手を差し伸べていた。その表情は優しく微笑んでいた。

 私は自然とその手を握りしめた。潤一が手を引いて私を立ち上がらせてくれる。

「行こう」

 そのまま潤一に手をひかれて暗い世界を歩いていく。

「どこ行くの、潤一?」

「秘密」

 潤一はいたずらっぽく笑うだけで答えてくれなかった。しばらく歩き進んでいくと視線の先に眩しい光が見えてきた。暗い世界に目が慣れていたせいで余計に眩しく見える。

 やがて私と潤一はその光の中に入った。

 その先に待っていたのは……。

「真那!」

「おう、やっときたのかよ、八重坂!」

 目の前にいつも通っていた高校の教室が広がっていた。その入口のそばに鶴香と文仁が待っていた。

「鶴香? 文仁?」

「どうしたのよ、真那? そんな目を丸くしちゃって。らしくないよ」

「おーい、沢村、八重坂が来たぞ!」

 文仁が教室の奥に向かって言うと、沢村が立っていた。両手にお皿を持っている。

「おう、遅かったな、八重坂」

「待ちくたびれたぞ、真那」

 沢村に続いて隣の部屋から未国もやってきた。沢村と同じように皿を運んでいる。教室の中央にある机の列が円の形になっていて、その中央に大きな苺のショートケーキが置かれていた。

「これって……」

「わっはっはっは!」

 懐かしい愉快な笑い声が聞こえてくる。白いエプロンをつけた葉作(ようさく)さんと愛佳(あいか)ちゃんも姿を現した。

「今日は八重坂の誕生日だからな! 力を入れたぞ!」

「うん。愛佳も頑張った。真那の誕生日祝うために」

 愛佳ちゃんが私に向かってピースしてくる。表情は変わらなかったけど、いつもの愛佳ちゃんだった。

「おい、みんな呼んだぞ」

 後ろから声が聞こえてきて振り返る。秀平さんが大勢の人を連れてくるのが見えた。

「真那、誕生日おめでとう」

「おめでとうございます!」

「おめでとう、真那」

「おめでとう!」

 希莉絵さん、、千登勢ちゃん、伊津美さん、堺さん、明日野に奈央、藤原さんや国枝さんまでいる。アサガオの施設で一緒に過ごしてきた人たちが勢ぞろいしていた。

「みんな、真那のことを祝うために来てくれたんだよ」

 隣にいた潤一が優しく言ってくれる。

「……」

 また涙が流れ落ちてきた。でも、この涙は悲しいものじゃない。

 嬉しかった。私にはこんなにもたくさんの人たちがいることが嬉しかった。

「真那」

 鶴香が話しかけてくる。

「あたしたちの思いは一つよ。離れていても、もう会えなくても、あたしたちは真那の支えになる。だから、一人で泣いたらだめよ、真那。真那にはあたしたちがずっとついてるから」

「鶴香……」

 私は涙を拭って、隣にいる潤一を見た。

「潤一……私、私も潤一のところに行きたい。鶴香や未国、愛佳ちゃんのいる場所に……」

「真那、その気持ちはよくわかるよ。僕だってずっと真那と一緒にいたい」

「でもね」と言って潤一は私の両肩に手を置いた。

「真那にはまだやらないといけないことがあるだろ。それが正しいのか、間違っているかなんてわからないけど、何もしないであきらめるよりはずっと良いよ。兄さんを、真那のお母さんを、お姉ちゃんを……守ってあげて。こっちに来るのはそれからでも大丈夫だよ」

「潤一……」

「また辛くなったら呼んでくれていいから」

「本当? また私のそばに来てくれる?」

「もちろんだよ、真那」

 潤一が笑顔で言ってくれる。それだけで私は嬉しかった。とてもとても嬉しかった。

「よし、じゃあパッとやるぞ!」

 文仁が手にしたクラッカーを構える。いつの間にかみんなも、そして私もクラッカーを手に持っていた。

「せーのっ!」

 その合図と共にクラッカーがパンと音を鳴らして紙吹雪が宙へ舞った。

「……」

 目を開けた。暗い教室。そこは学校の教室じゃなかった。どこなのか、一瞬わからなかったけど、すぐに思い出した。

 そうだった。まだ私にはやることが残っている。

「シンナ」

 そう呟いて立ち上がる。しばらくしてから頭の中に声が聴こえてきた。

『悪い、真那。目覚めるのに時間かかった。最低だな、あたし』

「ううん、戻ってきてくれてありがとう」

『真那……』

 ぎゅっと拳を握る。周りにみんなはいなかったけど、もう一人だとは思わなかった。

「行こ、お姉ちゃん」

 私はそう言って、教室の外を出た。


16


 肩の痛みがだんだん強くなってきて、その場に片膝をつけた。出血のせいで身体にも力が入らなくなってきた。

「くっ……」

 痛みをこらえながら前方を見る。教室の入口から来た少女は黒い刀を持ったまま、何も言わずに歩いてくる。

 攻撃が全く見えない。気づいた時にはもう斬られている。対処のしようがなく、今の傷の状態だと尚更どうすることもできなかった。

「すまん、弥生……身体に力が入らない」

『だ、だめ! だめだよ、おじさん! あきらめたらだめ!』

 弥生の叫び声が頭に響き渡る。それに答える余裕もなかった。

「……」

 黒い刀の少女がまっすぐこっちに向かってくる。

『お、お姉ちゃん! 皐月お姉ちゃん! やめて! おじさんは……おじさんは……』

 弥生の声が響く。それでも少女が歩いてくる。

『おじさんは皐月お姉ちゃんと伊月お兄ちゃんを助けてくれたんだよ!!』

 少女が突然動きを止めた。お互いの距離が数メートルと離れていなかった。

「……」

 俺は目を開けて少女のほうを見た。

「う……う……」

 表情こそ変わらなかったが、少女の口から短いうめき声が聞こえてきた。

「や……よ……い」

『さ、皐月お姉ちゃん?』

「わ……だ……じは……あ、あ……ああああああ!!」

 次の瞬間、少女の叫び声が教室中に響き渡った。

「ぐ……!?」

 その声を聞くと痛みがはしって、思わず頭を手で押さえた。直後に頭の中にある光景が浮かんできた。


 17


 それは何度も見てきた光景だった。

「助けて! 誰か助けて!!」

「潤一、待ってろ! 今行くぞ!!」

 燃え盛る炎の中。そこがあのアパートだということはすぐに分かった。高校の時の制服を着た俺が大声で叫んで部屋の奥に向かう。

 その時、天井を支えていた柱が崩れ落ちてきた。

「くっ!」

 咄嗟にそれを避けたが、右のこめかみ辺りに火の粉が飛び散ってきて、痛みがはしる。それをこらえながら廊下を抜けて部屋に入った。

 リビングの隅に三人の子供がいた。髪の長い少女と短い髪をした少年、そしてその隣に潤一もいた。

「潤一、大丈夫か!?」

「兄さん!」

 そばに駆け寄った俺は言葉を失った。

 潤一と少年は大した怪我をしていなかったが、少女のほうは重傷だった。身体中の至る所に火傷が出来ていて、血も流している。まだ息はしていたが、すぐに手当てをしないといけなかった。

「助けて! 皐月を助けてください!」

「ああ、すぐにここから出るぞ!」

「兄さん! あの子も助けてあげて!」

 潤一が別の方向を指差す。その方向に視線を移すと、別の女の子が大きな棚の下敷きになっていた。

「う……」

 少女は口から血を流していたが、まだ生きていた。

「待ってろ!」

 俺はすぐにその子の元へ向かった。棚に手をかけて力を入れる。

「くっ……ぐぐぐ……」

 身体中の力を込めて棚を持ち上げようとしたがビクともしなかった。その間にも炎は燃え広がっていく。このままだとみんな焼け死んでしまう。

「お、おじさん……」

 下敷きになった少女が苦しそうに言った。その目が俺のほうを見ていた。

「皐月お姉ちゃん、伊月お兄ちゃん、潤一……三人を……助けて」

「お前……」

 まだ小学生ぐらいの少女が身内とはいえ、他人の……他人のことを思いやっている。自分がもうすぐ死んでしまうかもしれないのに……。

 こんなに、こんなに優しい子を俺は死なせてしまうんだろうか……。こんなところで俺は……。

「弥生! 君を置いてけぼりなんて……出来ないよ!」

 少年が泣きながら言う。弥生と呼ばれた少女は「いいから……行って」と苦しそうに声をあげた。

 弥生が俺のほうを見上げる。

「お願い……」

「くっ……」

 唇を噛んだ。炎と煙にむせながらもう一度棚を持ち上げようとしたが、出来なかった。このままではみんな死んでしまう。俺がやるべきことは……。

「すまない」

 棚から手を離した俺は全身に火傷を負った少女と近くにいた少年を担ぎ上げた。

「な、何を!?」

「潤一! 早く逃げるぞ!!」

「兄さん! でも、弥生ちゃんが!?」

「わかってる! でも、俺達にはどうすることも出来ない! このままだとみんな焼け死ぬぞ!!」

 そう言っている間に天井が崩れてきて床一面が炎に包まれていく。

「逃げるんだ!!」

 大声で叫んだ。潤一は涙をこらえながら出口に向かって走った。俺もその後に続く。

「や、弥生! 弥生!!」

 担いでいる少年が叫ぶ。棚の下敷きになった少女の姿は炎のせいでもう見えなかった。

 俺は炎の中を無我夢中に走ってアパートの外へ向かった。


 18


「くっ……」

 頭を両手で押さえて、その場にうずくまった。

「あ……あ……」

 黒い刀を持った少女もよろめいて教室の壁に手をつく。

『おじさん!』

「や、弥生……お、俺は、俺はお前を見捨てたのか?』

 お前を見殺しにして潤一たちを助けた?

 助けた少年と少女には見覚えがあった。少年のほうは成長したとはいえ、伊月に間違いない。そして、少女のほうは……。

 頭を手で押さえながら目の前にいる黒い刀の少女を見る。

 俺が助けた少女が……こいつなのか?

 どうしてこんな大事なことを忘れていたんだろう。伊月、弥生、そして目の前にいる少女「皐月」。俺と潤一はこの三人に会っていたんだ。そして、俺は……。

「弥生、お前は俺のせいで……」

『違う! 絶対に違うよ、おじさん! おじさんがいなかったら伊月お兄ちゃんも皐月お姉ちゃんも、潤一もあそこで死んでた! 三人を助けたのはおじさんのおかげだよ!」

「だが、俺は……」

 お前を見殺しにしてしまった……。

「ああああああ!!」

 言葉に出そうとする前に黒い刀の少女が叫び声をあげた。

「や、弥生……わたじ、わたじは……まだ、まだ伊月との約束を……」

『お、お姉ちゃん……やっぱりまだ私たちのことを……』

 皐月がかろうじて言葉を発したようだったが、すぐに苦しみの声をあげた。そして手に持った黒い刀を振り上げる。

 まずい、仕掛けてくるつもりだ。

 次の一撃をくらえばひとたまりもない。

 俺は立ち上がろうとしたが、肩の出血のせいで力が入らなかった。

 ここまでなのか……。

 そう思った時だった。

 教室の窓が割れる音がしたかと思うと、黒い塊が飛び込んでくるのが見えた。

「待たせたな、おっさん!」

 八重坂と同じ声。でも、口調は全然違う。とても懐かしい感じがした。長い髪を一つに束ね、刀を手にした少女が教室の机の上に降り立った。

「シンナ……シンナなのか!?」

「へっ、結構派手にやられてるじゃねえか」

 シンナは笑ったが、すぐに表情を戻して皐月のほうを見た。

「噂にちらっと聞いていたが、まさか本当にいたとはな。会えて光栄だぜ、黒刀」

「……」

 皐月は左手で頭を抑えるだけで何も言わなかった。けど、右手に持った黒い刀が一瞬動く。

「!」

 何かを察知したシンナが横へ跳んだ。それとほぼ同時にシンナの近くにあった机が真っ二つに切り裂かれる。

「くっ!」

 攻撃を避けたシンナが床を蹴って、皐月のすぐ目の前にまで接近した。刀を後ろへ引いて突き刺そうとする。

 だが、その直前にシンナの肩や腰に切り傷が入った。シンナが痛みで一瞬顔を歪める。

「シンナ!」

「うおおおおお!」

 自分の傷に構わずシンナが叫び声をあげながら手にした刀を突き出した。その先端が皐月の左肩に突き刺さる。けど、すぐに皐月が反応してシンナの腹のあたりを刀で突き飛ばした。

「ぐっ!」

 シンナの身体が吹き飛んでくる。

「シンナ!」

 残った力を全て使って、俺は突き飛ばされたシンナを抱きとめた。だが、その勢いまでは抑えきれず、後ろの壁に激突した。

 背中に衝撃が走って、傷の痛みが強く響く。そのまま、床に倒れ込んでしまった。

「大丈夫か……シンナ?」

「はは、わりぃ、おっさん。あいつ想像してた以上にやばいやつだ……」

 シンナが口元から血を流しながら言った。口調は相変わらずだったが、身体の傷のせいで刀を持ち上げることが出来ないようだった。

「……」

 皐月が黒い刀を振って、近づいてくる。シンナが刺した左肩から血を流していたが、その表情は変わらなかった。

『皐月お姉ちゃん……やめて。もうやめて!』

「……」

 弥生の声が聞こえてきても、皐月はもう何も言わなかった。今度こそ終わりかもしれない。

 その時だった。

「!」

 急に教室の窓から強い光が差し込んできて、辺りを明るくした。同時にプロペラの回るような音も聞こえてくる。

『あーあー。皆さん、聞こえますかぁ?』

 スピーカー越しに大きな声が響き渡る。口調からして創路の声だった。

『ただいまから遺体の回収及び清掃作業を始めますぅ。館内にいる皆さんは私たちの作業を邪魔しないようにご協力お願いしまーす』

「……」

 創路の声が聞こえる中でこっちに近づいてきた皐月がぴたりと止まった。

 ほんの数秒の間、お互いに見つめ合う。顔の半分が真っ黒な鎧で覆われた彼女の瞳は死んだように光がない。それでも、俺たちのことを見ているような気がした。

 しばらくして皐月は手にした黒い刀を下ろして、後ろに振り返った。そのまま、教室の出口へ歩いていく。

『お姉ちゃん……』

 弥生がつぶやいたが、皐月はもう俺たちのほうに振り返ることはなかった。階段のほうから大勢の人が駆け上がってくる音が聞こえてくる。

 やがて皐月は静かに教室を出て行った。 


 19


教室全体が明るくなって十数人の作業員が入ってきた。

「創路の回収部隊です」

 先頭にいた男が言うと、何人かが担架を運んできて、倒れていたシンナを乗せた。俺のほうにも来て、二人の作業員が手際よく、肩の傷に包帯を巻いた。

「ここは我々だけで良い。上の階の人たちを避難させろ」

 リーダーらしき男が指示を送ると、何人かの作業員が教室を出ていく。それとちょうど入れ替わるように誰かが入ってくるのが見えた。

「梨折! 真那!」

「真那さん!」

 貝堂と千登勢の二人だった。千登勢が泣きながら八重坂のそばに寄ってきて、貝堂も俺のほうに来た。

「我々は先に下の階へ行きましょう」と男が言って、先導する。そのあとに従って俺たちは廊下に出た。

「大丈夫か、シンナ?」

 担架の上で横になっているシンナに聞く。シンナは俺のほうを見て笑った。

「大したことねえよ。これぐらいの傷は慣れてる」

「相変わらずだな、お前は」

 ため息をつくと、シンナは笑うのをやめた。

「……悪かったな、おっさん。あたしがいない間、色々と大変だっただろ」

「気にするな。お前がいなかったら、俺は死んでいた。礼を言う」

「そう言ってくれると少しは気が楽だ。あたしはちょっと休ませてもらう。真那に戻るぞ」

 シンナがそう言って数秒経つか経たないうちに八重坂の表情に戻った。

「秀平さん……無事で良かったです」

「ギリギリだったけどな……」

苦笑いを浮かべてると、八重坂も控えめに笑った。

慎重に階段を下りて一階までいくと、天井の明かりが全て点けられていて大広間を照らしていた。ずっと暗がりにいたのでどこか安心する気持ちはあったが、あるものが目に止まってしまう。

「……」

「……」

 階段の近くに二人の遺体があった。一つはシーツの中に入れられていたが、上の階から運ばれてきたようなので橘の遺体に間違いなかった。もう一人は溝谷だった。左腕がなくなっていて、背中に大きな切り傷が残っている。死んでいるのは明らかだった。

 いつも冗談やくだらないことをして場を盛り上げる溝谷と、それに呆れている橘。二人のやり取りを二度と見れないと思うと、辛い思いがよぎった。

「鶴姉さん……文仁お兄ちゃん……」

 千登勢が震えた声で呟くのが聞こえた。貝堂は何も言わずにその肩に手を置いている。

そして、一階の大広間に入った俺たちは目の前の光景を見て言葉を失った。

 明るくなった大広間で大勢の作業員たちが掃除をしていた。それぞれが背負ったボンベに繋がれたホースから白い煙をまいていくと、壁や床に飛び散った血が初めから何もなかったかのように蒸発していく。割れたステンドグラスの破片を片付けるやつもいた。

「……」

 そしてその作業員たちの数以上に大広間に転がっている遺体が次々に灰色のシーツに入れられていた。そのどれもが真っ赤な血に染まっていて、担架に乗せられて中庭のほうへ運び出されていく。

 隣にいる貝堂が泣いている千登勢を必死に慰めようとしていたが、貝堂自身も涙を流していた。

 ほんの三ヶ月。共に過ごしてきたやつの顔が思い浮かんでいく。ここにいたガードマンとガードレディはほとんど死んでしまったということだろう。

「秀平さん!」

 八重坂に呼びかけられて、隣を見ると彼女はある方向を指さしていた。天井を支えている円柱のそばで何人かの作業員が担架に誰かを乗せようとしている。見間違うことはなかった。

「沢村……」

「……やあ、先輩」

沢村だった。左目にまっすぐ切り傷があり、腹と背中にも斬られた傷があったが、生きていた。包帯で身体中はぐるぐるに巻かれている。

「どうやらお互いに運が良かったみたいですね……」 

「……」

「八重坂のこと、ちゃんと守ってくれたんですね」

「結局はシンナに助けられたがな……」

 肩をすくめると、沢村が別の方向を見る。俺も同じほうに視線を向けた。

「未国! 未国!」

 八重坂はすぐそばで担架に乗せられている佐東の手を握って必死に叫んでいた。佐東も背中に大きな傷があって、決して軽傷ではなかった。けれど……。

「……」

 佐東は何も言わなかったけど、八重坂の手を握り返していた。

「生き残ったのは俺たちだけみたいですね……」

「ああ、そうだな……」

「これからが大変ですね」

「……とりあえず今は怪我の治療をしろ。あれこれ考えるのは後でいい」

「梨折先輩もたまには良いこと言いますね」

「おい、どういう意味だ?」

そう聞いたが、沢村はふふっと笑うだけだった。そのあと、佐東と共に作業員に運ばれていった。

それを見送りながら、隣にいる八重坂のほうを見た。

「八重坂、大丈夫か?」

「秀平さん……」

 八重坂は大広間のほうに視線を向けていた。まだ数えきれないほどの死体袋が残っている。失った物はあまりに大きすぎる。けれど、彼女の目に涙はない。強い光が宿っていた。

「私、まだあきらめません。鶴香や文仁の思いを無駄にしないためにも……戦います。最後まで、ずっと……」

「……そうか」

 八重坂のその強い決意に対して俺は一言そう呟いた。

 でも、ぐっと拳を握りしめて彼女と同じ方向に視線を向ける。

 俺も最後まで付き合うぜ、八重坂。

 俺たちは死んでいった仲間たちが全員運び出されるまで、その様子を見届けた。


 20


 創路の回収部隊のトラックが数台、降りていく様子を僕は車の窓越しに見ていた。

「ガードレディ、精鋭部隊、お互い全滅に近い結果に終わったわね」

 隣の席に座っていた花麗が言った。

「五人目は?」

「負傷したみたいだけど、命に別状はないみたいよ」

「良かった……」

 安堵のため息をつく。

「梨折秀平のおかげだ。彼がいなければ彼女の暴走を止めることは出来なかった」

「でも、ここを失ったら、あの子たちどうすることも出来ないんじゃないの? 生き残った人たちを浜家が野放しにするとは思えないし」

「そうだね。このままだと彼らは終わりだ。でも、梨折秀平には生きていてもらわないと困る。彼がいないと、黒刀を助けることは出来ない」

 そう言いながら手にしたスマホを見つめる。ぎゅっと強く握りしめると、頭の中に幼い頃の皐月の顔が思い浮かんだ。

 ただ、純粋に明るく笑ってるその顔をもう一度見たい。

 そのためならどんなことでもする覚悟が出来ていた。

「もう迷ってなんかいられない。そうだろ? 皐月」


 21


 その日、深夜帯になっても、アフターケアのある一室には明かりが灯されていた。その部屋に置かれた椅子に座っていた吉住は、手にしたタバコを口にくわえた。正面に立つ浜家は何も言わずにその様子を見ている。

「精鋭部隊がやられたそうだな」

「ガードレディはほとんど駆逐しましたが、奴らの抵抗は予想より強かったようです。生き残った者は数名しかいません」

「おまけに五人目も負傷。命に関わるようなものじゃないが、しばらくは安静にするようにしておけ、か。大損害だな、浜家」

 机の上に置かれた灰皿にタバコを押しつけて吉住は浜家を見た。

「しかし、奴らの拠点を潰すことには成功しました。ガードレディが活動を再開するのには膨大な時間を必要とします」

「お互い様だ。こっちの損害も大きい。精鋭部隊の再編成が必要だ」

「……」

「創路が介入してくるとは予想していなかった。あの小娘が来ていなければ、全て丸く収まっていたのにな」

「奴らへの今後の対応は?」

「あいつらが、堀坂山にもう一度戻ってくるとは考えにくい。どこか別の場所へ潜むだろう。その場所を徹底的にマークしたいところだが、こっちの受けた打撃が大きい以上、次の行動を起こすのには時間がかかる。しばらく泳がせるさ」

「よろしいのですか?」

「構わん。いざと言う時のための隠し玉もあるからな」

 ふん、と鼻で笑って吉住は二本目のたばこを口にして、机の上に置かれたある写真を手にした。そこに映る一人の女性。黒いスーツを着込み、長い髪を一つに束ねた彼女は数人の子供たちと並んで控えめに笑っている。

「お前さんが必死に守ってきたものたちは無残に死んでいったぞ。あの日の因縁にケリをつけるときも近いな」

 吉住が吐き捨てるように言っても写真に映る女性は笑顔のままだった。


 22


 そして時は流れ……一年後。

 2065年12月。


 京都府某所。株式会社『アドセント』社内。


「……」

 今日は珍しく京都の町に雪が降っていた。建物の屋根や道路が真っ白な雪に包まれている。

「あーあ、今日の帰りの電車遅れそう……」

 その景色を見ていた女が舌打ちしながら手にした煙草を口にくわえた。肩に届くくらいの焦げ茶色の髪、黒いスカート、白のカッターシャツの上に赤いガーディガンを羽織っている。

「また眉間に皺が出来てるわよ、由美(ゆみ)

 隣でコーヒーを飲んでいた同僚がそう言うと、由美は不機嫌そうに口を歪めた。

「洗濯物、ベランダに干しっぱなしだったわ。こんなに降ってくるなんて思わなかったし」

「一人暮らし始めてもうだいぶ経つでしょ? まだ慣れないの?」

「うーん、何かね……」

「……やっぱり、気になる、彼のこと?」

 そう聞かれて由美は手に持った煙草をスタンド型の灰皿に捨てた。

「気にならないって言えば嘘になるわ。連絡取れなくなって半年になりそうだし」

「……心配だね」

「まぁね……」

 由美はそう言ってポケットから白のスマートフォンを取り出す。着信やメールが来ている様子はなかった。

「あんたは今何してるのよ……秀平」

「おーい、雛鳥(ひなとり)村瀬(むらせ)、休憩が終わるぞ。もうすぐ会議するから準備しろ」

 部屋のドアが開いて、部長らしき男がそう言うと、由美は「はい、今行きます」と言って喫煙所をあとにした。


 23


 アメリカ ダラス国際空港。


 休日ということもあって空港のロビーには大勢の人が行き来していた。キャリーバッグを片手に飛行機へ乗る手続きを済ませた観光客たちが飛行機の出発まで待っている。その中で一人の日本人がベンチに座っていた。

 それは一人の少女だった。長い黒髪のツインテールに赤いカチューシャ、灰色のライダースジャケットの下に黒色のワンピースを着ている。身長はそれほど高くなく、中学生ぐらいに見える。けど、彼女の隣のベンチにはその身長を超える大きな茶色のヴァイオリンケースが置かれていた。

「……」

 少女は何も言わずにただじっと座っていた。その表情は喜んでいるわけでも、悲しんでいるわけでもなく、無表情だった。

唄音(うたね)、お待たせしました」

 その時、少女に話しかけてくる男がいた。背が高く、黒縁の眼鏡をかけて、スーツを着ている。

 唄音と呼ばれた少女が男のほうに視線を移した。

「随分、遅かったのね、貝堂」

「申し訳ありません。向こうの方と連絡を取っていました」

「……ちーちゃんは大丈夫?」

「……」

 唄音の質問に対して昇はすぐに答えなかった。眼鏡をかけ直して肩をすくめる。

「元気ですよ。けど、かなり無理をしているそうです」

「無理をしている?」

「理事長を助けたいという思いが強いんでしょうね」

「無茶なことを……ちーちゃんにもしものことがあったら、あいちゃんとの約束を守れない」

 唄音は隣に置かれたヴァイオリンケースを肩に担いだ。

「奴ら、もうアメリカを発っているでしょ?」

「ええ、我々は少し出遅れてしまったようですね」

「じゃあ、急ぐわよ。早く日本に戻ってちーちゃんを守る」

「わかりました、唄音」

 二人はそれぞれの荷物を持って、日本へ向かう飛行機の乗り場に向かった。


 この物語はまだ終わらない。


 第十四話 終。次回へ続く。




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