第十二話 因縁の再会
第十二話 因縁の再会
1
必然というのは本当にあるのだろうか。それは事前に連絡を取って待ち合わせ場所を決めたわけではなく、何年も前から決まっていた出会い。その相手が異性なら恋人同士になるかもしれない。同性の場合は……どうだろうな。その可能性はあるかもしれないが、俺が由美と出会ったのは本当に偶然だったし、八重坂たちとダルレストの戦いに巻き込まれて今も生きているのは偶然に偶然が重なっただけかもしれない。
けど、逆に潤一たちが行方不明になった時点で、俺がここにいるのはあらかじめ決まっていたのではないだろうか。そう考えても腑に落ちないところは意外と少ないかもしれない。
俺が今、こうしてあの少年と出会ったのも必然だったかもしれないのと同じように。
「……」
少年に銃を構えたまま、改めて部屋の状況を確認した。部屋の中央に倒れている三人。そのうちの二人はよく知っている。嵯峨山と娘の愛佳だった。二人とも腹のあたりに大きな傷があって、血を流し続けている。もう生きていないのは明らかだった。もう一つの死体は酷いありさまだった。どんな顔だったのか、原型を留めていない。体格からして男だということがわかるくらいだった。体中の何箇所にも切り刻まれたあとがある。
部屋の奥には横に倒れている二人がいた。一人は秋野の護衛をしていた女性……確か松藤という名前だっただろうか。彼女は首の辺りを斬られていて、血を流して死んでいた。もうひとりは秋野の娘の千登勢。こっちは無傷だった。気絶しているだけで呼吸しているのもわかる。
「お前が……」
俺は拳銃を握り締める力を強めて言った。
「お前が嵯峨山たちを殺したのか?」
「……」
「答えろ!」
少年はやれやれと言った具合に肩をすくめた。
「この状況を見たら、疑われるのも無理ないね。一応言っておくけど、葉作たちを殺したのは僕じゃないよ。桜夢っていう僕の仲間だ。もっとも、その本人は無残な死体になってしまったけどね」
少年がソフトハットを被り直して、俺の方に身体を向けた。
潤一と同い年ぐらいだろうか。こんな高校生ぐらいのやつがダルレストにもいるのか……。いや、それよりもこの感覚は……。
最初に少年のことを見てから俺は妙な感覚を抱いていた。それは夢の中で時々出会う弥生と話す時に感じたのと同じだった。 記憶にはなくても、どこかで会ったことがある気がする感覚。弥生と同じようにこの少年からもその感じがした。
「……その様子だとやっぱり忘れてしまっているようだね。潤一の時もそうだった」
「なぜ、潤一のことを知っている!?」
「ああ、そういえば君は知らなかったんだね。彼を殺したのは……」
その時、窓の外からプロペラの回る音が聞こえてきた。視線を向けると、大阪湾の地平線の向こうから二機のヘリがこっちに向かってくるのが見えた。
「あれは……」
「どうやら迎えが来たみたいだ。僕はこれで失礼するよ」
そう言うと少年が後ろに振り返って反対側にある部屋のドアへ歩いていく。
「ま、待て!」
再び銃を構えてそう言うと、少年は立ちどまって横目で俺のほうを見てきた。
「そんなので僕には勝てないよ。それに僕が殺そうと思えば、いつだって君を殺すことが出来る。わかっているはずだ」
「……」
「でも、僕は君を殺さないよ、梨折秀平。君には生きていてもらわないと困る。弥生の声が聞こえている君には」
「どうして、弥生のことを……?」
「……」
「教えろ。お前はいったい……」
その直後、答えの代わりに何かが俺の方に向かってとんできた。反射的にそれを取ると、一台のスマートフォンだった。
「梨折秀平。もし、君がもう一度僕に会いたいなら、それを使うといい。僕と連絡を取ることが出来る」
「……」
「僕と君がどういう関係なのか、そして弥生が誰なのか、知りたいのなら、また会いに来るといい。けど、来るなら君一人でだ」
言い終わると、少年は再び部屋の出口のほうに向かって歩いていった。俺は何も出来なかった。少年を撃つことも、捕まえることも出来なかった。
『伊月お兄ちゃん……』
頭の中に弥生の声が響いてきても、俺はしばらくの間呆然と立ち尽くしていた。
2
「……」
部屋を出た僕はゆっくりと歩いて屋上へ向かった。
あの状況で秋野千登勢を連れて帰ることは出来たけど、そうしたら梨折秀平を始末しないといけなかっただろう。それだけは何としても避けたかった。
幸い、あの場所にいたのは僕だけだったし、浜家には上手く逃げられたとか言って誤魔化しておけば大丈夫だろう。
屋上へ続く階段を登りながら、僕はスマホを取り出して電話をかけた。呼び出し音が何度か鳴って相手が電話に出てくる。
『はいはーい、伊月さん! 今日もお疲れ様ですぅ!』
電話の向こうから創路の明るい声が聞こえてきた。
「創路、お願いがあるんだけど、花麗が工場の外にいるんだ。負傷して動けないみたい。保護しておいてもらっていいかな?」
『任せてください! 伊月さんのお願いなら出来る限り応えてみせますよぉ』
「ありがとう、よろしく頼むよ」
『それより伊月さん、あの人に会うことは出来たんですか?』
創路が誰のことを言っているのか、すぐにわかった。
「うん、ようやく会うことが出来たよ。向こうは覚えていないみたいだけどね」
『仕方ないですよぉ、あの時のことは記憶処理で忘れてしまってますから』
「でも、感覚的には覚えていたみたいだよ。それにあの子の声が聞こえているから、思い出す可能性は充分にあるね」
『伊月さん、あなたは……』
「……やっぱり、思い当たるところがあるみたいだね、創路。でも、まだわからないよ。 あの人が僕に協力してくれるかどうかもわからないし」
『伊月さん、まさか――』
「花麗のこと、頼んだよ」
創路が何か言いかけたのを無視して電話を切った。
階段を登って屋上に出ると、ちょうど一機目のヘリが飛び立つところだった。窓越しに浜家と拘束された秋野希莉絵が機内に座っているのが見えた。
続きはダルレスト本部で……か。
「伊月、一人か?」
もう一機のヘリのそばにいた浜家の部下の大泉が話しかけてきた。
「うん、花麗は創路が運んでくれるから大丈夫だよ」
「他のやつはどうした? 人質も何人かいただろ?」
僕は一度、登ってきた階段のほうを見た。梨折秀平が追いかけてくる気配はない。恐らく生き残っていた秋野千登勢の保護を優先したんだろう。最も、僕のあとを追いかけてくるなら殺さないといけなかったから、そっちのほうが良かった。
「みんな死んだ。ガードレディたちも来ないよ」
「……そうか。すぐに撤退するぞ」
大泉は僕の答えに疑問を抱いた様子だったけど、深くは聞いてこなかった。
もう一度、下の階へ続く階段を見た。やはり、追いかけてくる気配はなかった。
「さあ、決断の時は迫ってるよ、梨折秀平」
そうつぶやいて僕はソフトハットを被り直し、大泉のあとに続いてヘリのほうに向かった。
3
それは何ヶ月か前に見たのと同じ夢だった。電気のついていない木造建築のアパート。その一室に俺は立っていた。
「……」
ふと何かに気づいて視線を横に向ける。そこに立てかけられた大きな鏡。そこに俺自身の姿が映っていた。けど、そこに映っていた俺は今の俺ではなかった。
これはなんだ……? 制服?
高校の時の制服を着ているような気がする。よく見ると自分の顔も今より一回り若かった。
学生時代の……俺?
「助けて、誰か……」
部屋の奥から声が聞こえてきた。幼い少女の声だった。俺は廊下を歩いて奥の部屋に向かった。
「う……ごほっ、ごほっ!」
歩く度に息をするのが辛くなってきた。何故かわからない。何の変哲もない廊下を歩いているだけなのに、手で口を抑えないといけないくらい咳き込んでしまう。
「助けて……」
「くっ……」
それでも俺は前に向かって歩いた。少女の声はまだ聞こえていた。そして、ようやく奥の部屋にたどり着いてそのドアを開けた。
「う……う……」
部屋の片隅に長い髪の少女がしゃがみこんでいた。その子が着ている真っ白なワンピースは所々に焦げ付いた跡があって、手や足にも火傷をしているようだった。
「弥生……なのか?」
俺が呼びかけても弥生は答えなかった。ただ、じっと顔を伏せたまま泣き続けている。
「ごめんなさい……私のせいで……」
その時、弥生とは違う別の少女の声が聞こえてきた。それが誰なのかわからなかった。どこから聞こえているのかも……。
「違う、謝るのは……俺のほうだ。俺がもっと早く……」
無意識のうちにそう話していた。どうして俺がそんなことを言うのか、わからなかった。
「君は悪くないよ。あの時、僕に力があれば……」
妙に聞き覚えのある子供の声。それはさっき聞いた少女の声じゃない。幼い少年の声だった。
「先輩? 梨折先輩、起きてください。そろそろ時間ですよ」
「……」
声が聞こえてきて、俺は目を覚ました。真っ白な天井、そばの窓から差し込む光。壁にかけられている俺のスーツ。そこは俺の寝泊りしているガードマンの男子寮の部屋だった。
「先輩? 大丈夫ですか?」
ドアをノックする音と共に沢村の声が聞こえてきた。
「大丈夫だ、ちょっと待ってろ」
そう返事してベッドから起き上がる。窓の外を見ると、雲一つない青空が広がっていたが、それと対照的に俺の心は晴れなかった。
「またあの夢。弥生、お前はいったい……」
そうつぶやいても弥生の声は聞こえてこなかった。今はあまり話したくないのだろうか。その理由も気になったが、今は別のことを考えることにした。
「ちゃんと見送ってやらないとな……」
俺は壁にかけられたスーツに着替え、黒いネクタイをつけた。
今日は嵯峨山たちの葬儀の日だった。
4
2064年九月下旬。
「待たせた、沢村」
スーツに着替え終わった俺は部屋を出て、廊下に待っていた沢村に言った。沢村も俺と同じスーツ姿だった。
「準備は出来ましたか、先輩?」
「ああ、もう大丈夫だ」
「じゃあ、行きましょう。みんなも集まってきていますし」
「わかった」
そう返事して俺は沢村と男子寮の階段を降り始めた。
「今日は冗談言わないんだな、お前」
前を歩く沢村にそう言うと、俺のほうを見て苦笑いした。
「そんなに俺の普段の印象、悪いですか?」
「これまでの経験上は、な」
「流石に今日はヘラヘラ笑うことは出来ませんよ。文仁も落ち込んだ鶴香を励まそうと必死でしたから」
「溝谷が?」
「ええ、あいつのほうが落ち込むんじゃないかって思ったんですけどね。俺だってショックは大きいですよ。あの葉作のおっさんがやられてしまうなんて……」
「すまん、俺がもっと早くあそこに行けば……」
「先輩のせいじゃありませんよ。あの状況で誰が悪いかなんてものはありません。それに先輩があの部屋へ一番に行ったおかげで千登勢を助けることが出来たんです。先輩が責めを負う必要はありません」
「……」
「本当にありがとうございます、梨折先輩。きっとおっさんや愛佳も感謝していると思います」
沢村が立ちどまって俺のほうにお辞儀する。俺は何て言えばいいのか、わからなかった。
「おい、何してるんだ? もうみんな集まってるぞ」
寮の玄関のほうから声が聞こえてきた。見ると、黒いワンピースを着た佐東が立っていた。
「悪い、未国。待たせてしまったな」
「別にそこまで怒ってないが……ほら、行くぞ」
佐東が玄関のドアを開けて大広間のある建物へ歩いていったので、俺と沢村もあとに続いた。
「あ、秀平さん」
渡り廊下を歩く途中で佐東と同じ格好をした八重坂が待っていた。
「八重坂、傷のほうは大丈夫なのか?」
「少し痛みますが、だいぶましになりました。それに今日だけは部屋で休むわけにはいきませんから」
八重坂は控えめに笑ってそう言った。彼女の足や手にはテープが貼られていてた。一番傷の大きかった脇腹にはおそらく包帯が巻かれているのだろう。
字倉花麗との戦いの傷は決して軽いものではない。シンナはよく戦ったと思った。
「そうか。無理はするなよ」
「はい、ありがとうございます」
「おーい、早くしろ! みんな、集まってるぞ!」
大広間の建物のほうから声が聞こえてきた。見ると、スーツ姿の溝谷と佐東や八重坂と同じ黒いワンピースをきた橘が立っていた。
これで俺がよく行動しているメンバーが揃ったわけだ。
「……」
そう、揃ってしまった。
もうこのメンバーの中に嵯峨山と愛佳の姿はなかった。
5
一階に体育館があり、二階からは刀人の孤児たちが勉学に勤しむ教室がある場所。正式名称「顕光館」と呼ばれるその建物の地下一階に、俺は初めて足を踏み入れることになった。
薄暗い廊下を歩き、大きな扉の向こうには数え切れないほどの小さな石碑が無数に並んでいた。その一つ一つにろうそくが灯されてあり、人の名前も刻まれていた。聞かなくてもそこが死んでいった者たちの眠る墓地だということはすぐにわかった。
その中で三つの新しい石碑が置かれていた。あの時死んだ三人。秋野の護衛をしていた松藤、そして嵯峨山と愛佳の物だった。
その三つの石碑の周りにこの施設で暮らしているガードマンやガードレディが大勢立っていた。その一人一人が石碑の前に小さな花を置いていくのが見えた。
「来てくれてありがとね、梨折」
後ろから話しかけられて振り向くと、貝堂が立っていた。
「来ないわけにはいかないからな。短い付き合いだったが」
「たった二ヶ月ぐらいだったかもしれないけど、梨折が来てくれて葉作たちはきっと喜んでいるわ。遺体は創路に回収されちゃったけど、三人の魂はここに眠っている」
「そうだな……」
「う、う……」
前から誰かが泣いている声が聞こえてきた。
「梨折、あたしちょっと行ってくるわ」
「ああ」
貝堂が前のほうに歩いていく。その先に桃色の短い髪が見えて、それが千登勢だということがわかった。あの工場の戦いで唯一助けることが出来た。でも、親友の愛佳を失い、母親の秋野は結局ダルレストの奴らにさらわれてしまった。本人にとってこれほど辛いことはないだろう。
「あいちゃん……どうして、どうして……」
「千登勢、泣いてばかりじゃ、向こうも悲しくなるよ。ちゃんと花を置いてやりな」
貝堂がそばに行って、千登勢を慰めた。千登勢は泣きやもうとしていたが、目から溢れてくる涙が止まることはなかった。
「今度は、うたちゃんも入れて三人で……三人で遊ぼうって約束したのに……こんなことって、こんなことって……」
泣きながら千登勢は嵯峨山や愛佳の石碑の前に花を置いていった。その次に橘と後ろで待っていた溝谷が石碑の前に出てきた。
「愛佳、何を考えているのかよくわからないところあったけど、葉作おじさんとのコンビすごく面白かったな……もう少しぐらいこっちにいても良かったのに……」
「愛佳ちゃんの毒舌、俺は好きだったのに、もう聞けないのか……。おっさんともっと一緒に仕事したかったけど……残念だな」
「寂しくなるね……」
「鶴香……」
普段はあれだけ強気な姿勢が印象的な橘も、今は泣くのを必死にこらえている少女だった。溢れてくる悲しみを抑えるのは難しいだろう。
次に俺の前に立っていた佐東と沢村が石碑の前に立った。
「勝手なやつだな、お前は」
佐東が愛佳の石碑の前に花を置いて言った。
「お前のこともっと色々と知りたかったのに、これから仲良くしていこうと思った矢先に死んでしまうなんて……お前と嵯峨山が死んでしまったら、あのクッキー、もう食べれないだろ。時々作ってくれたご飯ももう食べられなくなってしまったじゃないか。こんな別れ方はないだろ……」
段々と声が震えてきて、佐東の目から一筋の涙が流れ落ちていった。そばにいた沢村が佐東の肩に手を置いた。
「辛いな……付き合ってた年はそんなに長くなかったけど、やっぱりあんたがいないのは寂しいぜ、葉作のおっさん。でも、別れはいつか来てしまうもんだよな……。なら、ちゃんと見送ってやらねえとな。愛佳と向こうで幸せに生きろよ」
沢村が花を置いて、泣き始めた佐東を慰めつつ、離れていった。
「……」
次は俺の番だった。
嵯峨山との付き合いは二ヶ月ぐらいだった。それは本当に短くて、あっという間だったかもしれない。それでも、あいつはこの世界に足を踏み入れて、戸惑っていた俺に何の隔たりもなく接してきた。
最初は面倒な男だなと思っていたが、愛佳と仲良く話している様子を見ていると、本当の親子のように見えた。刀人だからと言って、普通の人間と何ら変わりはない。あいつらも怒ったり、悲しんだり、喜んだりするんだってことが伝わってきた。あの二人ともっと長い時間を過ごしていれば、俺の知らないことをたくさん学ぶことが出来たんじゃないかって思った。
別れるのは呆気ないもんだな……。
『梨折、お前は後悔するようなことをするんじゃないぞ。大切な友達を失い、相棒だった井出浦もいない今、八重坂を支えてやれるのはお前とシンナしかいない。自分のやらなければいけないことを見失うな』
以前に嵯峨山が言っていたことが頭に響いてきた。その声が目の前の小さな石碑から聞こえてきたような気がした。
「お前の言葉……忘れないぞ、嵯峨山」
俺は手に持った花を石碑の前に置いて、嵯峨山たちの冥福を祈った。
6
2064年十月上旬。
嵯峨山たちの葬儀から一週間後。十月になり、秋の季節を強く感じるようになり始めていた。
アサガオ内部の雰囲気は決して明るいものではなかった。河馬根利工場の一件で千登勢を救出することに成功したものの、秋野を奪還することは叶わず、その行方はわかっていない。ダルレストが大きな動きを見せていないのが幸いしていたが、嵯峨山たちが死んだことがメンバーの中に影を落としているのは間違いなかった。
沢村たちは秋野奪還のための話し合いを毎日のようにしていたが、目立った進歩はなく、時間だけが虚しく過ぎていった。
「……」
その日の朝、食堂で朝ごはんを食べている途中で、俺は手にした一台のスマートフォンをじっと見ていた。
それは俺のものじゃない。あの時、出会った灰色のソフトハットを被った少年。弥生が伊月と呼んでいた少年が渡してきたものだった。
『僕と君がどういう関係なのか、弥生が誰なのか。真実を知りたければ、それを使うといい。でも来るなら君一人でだ』
この話を俺は他のやつにしていない。俺自身も決心がなかなかついていないせいもあるが、あいつは一人で来いと言っていた。もし、八重坂たちにこのことを話せば、間違いなくあいつらは俺に付いてくるだろう。それに気づかれたら、たぶんあの少年は俺に会わない。そうなったら、俺の知りたいこともわからなくなる。けど、単独で向かうことは奴らにいつでも殺される危険があるということだ。だとしたら……。
「……」
「深刻な顔してますね。どうかしたんですか?」
話しかけられて前のほうを見ると、トレーに朝ごはんを乗せた沢村がやってくるのが見えた。
「朝から考え事ばかりしていると精神が持ちませんよ、梨折先輩。朝くらいリラックスして下さい」
「この状況でリラックスしろと言われても無理がある。お前だってそうだろ?」
そう聞くと、沢村は肩をすくめて俺の正面の席に座った。
「まあ、おっしゃってることもわかりますよ。嵯峨山のおっさんたちが死んで、理事長もダルレストに捕まってしまった。これで落ち着けと言うほうが無理あるかもしれません。ですが、いつまでもこんな雰囲気が続いても悪循環になるだけです。今この瞬間、連中に襲われでもしたらひとたまりもないでしょう」
「それもわかる。だから、秋野を助け出す計画を立てているんだろう?」
「もちろんです。このまま、やられっぱなしなのは嫌ですからね。ですが、理事長の所在が掴めない今、どうすれば良いのか迷っているのが現状です」
「なす術なしか……」
「今のところは。けど、必ず近いうちに答えを見つけてみせますよ」
沢村が強く意気込むように言った。純粋に強いなと思った。沢村は俺よりも嵯峨山と付き合ってる年数は長いはずだった。あいつが死んで落ち込んでいるのは間違いない。でも、他の仲間のために必死に立ち直り、次に何をするべきかを考えている。
俺より年下だが、沢村のそういった一面はとても羨ましいと思った。
7
朝食を終えた俺は特に何も考えずに男子寮から顕光館を経由して中庭に出た。この日は若干雲が広がっていて肌寒かった。あの夏、白浜の海の暑さがもう懐かしく思えてくる。
「ふぅ……」
中庭にあるベンチの一つに座り、大きく息をつく。色々なことを考えすぎたせいなのか、何だか疲れてきた。
「うじうじ悩んでないでさっさと行動しろ……か。お前にも散々言われてたな、由美」
ズボンのポケットに入れていた携帯を取り出す。沢村たちにアサガオの関係者以外との連絡は取らないようにと一ヶ月ほど前から言われている。いつ、どこで情報が漏れるのかわからないのと、その時はダルレストの連中の動きもかなり活発だったことが主な理由だ。
だから、俺はこの一ヶ月、由美と連絡をしていない。電源を入れたら多分何通ものメールが来ていると思うが、しばらくそれを見ることはないだろう。
「また悩ませてしまうかな……」
携帯をポケットに戻してため息をつく。今日はため息をついてばかりだな。
「秀平さん?」
「ん?」
声が聞こえてきて後ろに振り向くと、木々の間の道に八重坂が立っていた。今日は制服ではなく、白のブラウスに赤いスカートの私服だった。
「男子寮に行ってみたら、いらっしゃらなかったので……。よくここに来るんですか?」
「いや、たまには風にあたるのも良いかなって思っただけだ。特に理由はない」
「そうですか……」
「俺を探してたということは何か話があるんじゃないのか?」
「ええ……」
八重坂はそう言って、俺の隣に座った。
「秀平さん、この前の戦いで葉作のおじさんと愛佳ちゃん、松藤さんが死んでしまい、希莉絵さんもダルレストに捕まってしまいました」
「お前のせいじゃない。俺たちは最善の手で秋野たちを助けようとした。あれ以上に良い作戦があったとしても、あいつら全員を助けられたとは限らないだろ」
「それは鶴香たちにも言われました。ええ、その通りだと思います。後悔したところで愛佳ちゃんたちが帰ってくるわけじゃない。それはわかります。わかっているつもり……なんですけど」
八重坂は胸にあたりに手を置いた。その小さな身体が段々と震え始める。
「怖いんです……。愛佳ちゃんたちに続いて他のみんながどんどんいなくなってしまうんじゃないかって……。何かのきっかけで帰ってこなくなってしまうんじゃないかって……。葬儀をする度に思います。もし、あの人が死んじゃったらどうしよう……。私がもっと戦えば守ることが出来たんじゃないかって……。そんな気持ちがずっと、ずっと……ここから離れないんです。離れてくれないんです」
「八重坂……」
「潤一が死んで、市子が死んで……葉作のおじさんと愛佳ちゃんが死んで……。次は誰が? 私から誰をあの人たちは奪っていくんでしょうか……?」
八重坂が俺のほうを見る。その目から涙が流れ落ちていくのが見えた。
『八重坂はガードレディたちの中で特に仲間意識が強い子ですから』
だいぶ前に沢村が言っていたことを思い出した。葬儀の時、皆がそれぞれ嵯峨山や愛佳に対する気持ちを口にして弔っていた中で、八重坂だけは何も言わずに花を置いて手を合わせていた。
あの時、八重坂が何を考えていたのか、その疑問の答えが今わかった気がした。
「秀平さん」
「!」
ふと、胸のあたりに柔らかい感触が伝わってきた。一瞬、何が起こったのかわからなかったが、八重坂が俺の胸のあたりに顔をうずめていることがわかった。
「八重坂?」
「秀平さんは……」
表情こそ見えなかったが、八重坂の声はまだ震えていた。
「秀平さんはいなくならないでください。何処にも行かないでください。私を……一人にしないでください」
「……」
俺は八重坂のその言葉に「ああ」と返事をすることが出来なかった。
すまん、八重坂。でも、お前のおかげで決心がついた。この戦いを終わらせる鍵になるかもしれないあの少年に。
俺は会いにいくよ。
8
その日の夜、男子寮の自室に戻った俺はあのスマートフォンの電源を入れた。その連絡先リストに一人の名前が入っている。
『田中 一郎』。
ごくありふれた日本人男性の名前だった。けど、奴はここに連絡しろと言った。
「……」
ごくり、と唾を飲んで俺はその名前の番号に電話をかけた。二、三回コールが鳴って向こうが電話に出た。
『恋人からの連絡を待っているような気分だった。決心がついたようだね、梨折秀平』
電話越しに少年の声が聞こえてくる。
『この電話にかけたってことは僕に会うつもりだと解釈していいかな?』
「お前は誰なんだ? どうして、俺のことを?」
『その答えを知りたくて電話をかけたんでしょ?』
「……」
『ふふ、電話でも君が今どんな顔をしているのか、何となくわかるよ。とても深刻な顔をしているね』
少年が軽く笑って言葉を続ける。
『心配しなくてもちゃんと教えてあげるよ。でも、やっぱり直接会いたい。積もる話もあるからね。もちろん、来るのは君一人でだ』
「他のやつに告げずにこっそり抜け出せっていうのか? そんな器用なことは出来ない」
『その通りだね、だから迎えを送る。僕の強力な助っ人を、ね』
言い終わると、少年が電話を切った。強力な助っ人……誰のことを言っているんだ?
その答えは数時間後、深夜になってわかった。
「……」
「はーい、どうも、どうも、梨折さん。ご無沙汰してまーす」
秋の季節にも関わらず、麦わら、アロハシャツ、短パンにサンダルという不釣り合いな格好。一度会ったことがある。この戦いで出た遺体の回収をしている創路という子だった。その子が突然、俺の部屋にやってきたのだ。
「どうして、お前が? どうやって来たんだ?」
「ふっふっふ、それは秘密ですねえ。まあ、うちにかかれば、これくらいのことは簡単に出来ますよお。安心してください。今日は伊月さんに頼まれて梨折さんを迎えに来ただけです。どうしても彼にお会いしたいと伺っております。うちと一緒に来てもらえたら安全に送りますよぉ」
相変わらず能天気な口調だったが、その陽気な顔とは裏腹に感じ取れる雰囲気は異様だった。俺に断らせない。必ず自分と一緒に来てもらう。そんな雰囲気だった。
「わかった。準備するから待ってろ」
「ふっふっふ、賢明な人、うちは好きですよお」
9
いつもの黒いスーツに着替えた俺は護身用にスタンバトンだけ腰に差しておいた。向こうがやる気なら拳銃も持っていくところだが、あの少年が殺すつもりでいるなら、最初に会った時に出来たはずだ。それに向こうも俺と話がしたいと言ってきている。話を終えたあとにどうするのかまでは想像できないが……今はあの少年に会うのが最優先だと思った。
「待たせた、もういいぞ」
廊下で待っていた創路にそう言うと、彼女は「はーい、じゃあ、ついてきてくださーい」と言って先を歩いていった。その足取りは軽く、まるでこの施設の構図を完璧に理解しているようだった。
男子寮から顕光館を抜け、中庭を通り過ぎて介護施設へ進むまでほとんど時間をかけなかった。しかも、その道中他のメンバーと一切遭遇することもなかった。深夜帯とはいえ、誰かに会うかもしれないと思っていたが、そんな気配は少しもなく、まるでこの施設全体にフィールドが張られているような気がした。
本当にこいつはいったい……。
「ではでは、梨折さん、あのトラックに乗ってくださーい」
介護施設の建物の正門前に一台の大きなトラックが停まっていた。その周りを青色の作業服を着た男たちが何人か立っている。そのうちの一人に創路が声をかけて何かを命じた。
話しかけられた作業員が頷いて他のやつが動き始める。二人が運転席と助手席のほうに向かい、残りのメンバーが荷台のほうに移動し始めた。
「梨折さんもどうぞ」
創路が笑顔で荷台に乗るように促す。俺は口を閉じたまま、そこへ乗り込んだ。荷台の中は数十人は座れる席が左右対称に配置されていた。
「適当に座ってください」
創路にそう言われたので、目に付いた左の列の席に座った。
「はーい、じゃあ、お願いしますー」
創路が運転手にそう言うと、トラックがゆっくりと動き始めた。荷台の周りには窓がついていないため、外の様子はわからなかった。
「……」
「どうかしたんですか、梨折さん? 変な顔してますよぉ。あ、もしかして忘れ物とかしちゃいましたか?」
俺の隣の席に座った創路が聞いてきた。
「お前、どうやってこの場所を知ったんだ? 他のやつに気づかれずに俺のところまで来るなんて、普通じゃ出来ない芸当だ」
「うーん、まあ、そこは企業秘密としか言わざるを得ないですねえ。うちの得意技なんですよお」
「得意技か……」
ため息をついて俺は席にもたれ、改めて隣に座るこの少女を見る。麦わら帽子にアロハシャツ、短パンにサンダル……秋の季節には合わないその格好を除けば、普通の子供となんら変わりない。八重坂たちよりも年下……愛佳と同い年ぐらいじゃないだろうか。そんな子が俺たちとダルレストの戦いで出た死体を回収。そう、死んだ人間を回収して処分している。こんな子供が? 普通じゃ、考えられないことだった。
「お前、どうしてこの仕事をしているんだ?」
「どうしてと言われましても、死体をそのまま放置することなんて出来ないじゃないですかあ。それに、うちらはちゃんとお金を貰って仕事をしているんです。この仕事しないと生活できませーん」
創路はすっとぼけたように答えた。俺にはその態度が癪に障った。
「そうじゃない。俺が聞いているのは、お前のような子供がどうしてこんなことをしているんだってことだ。お前、死んだ人間のこと見て何とも思わないのか? 死んでるんだぞ? 同じ人間が、さっきまで生きていたやつが死んでいるんだぞ。何も感じないのか?」
「それを言うなら梨折さんも刑事の仕事で死んだ人たちのこと見てきたじゃないですか?」
「それはそうだが、長いあいだ仕事をしていくうちに慣れた。けど、最初のほうは精神的に来たもんだぞ。普通、誰だってそうなる。お前だって――」
「梨折さん、何か勘違いしているんじゃないですか?」
言い募ろうとした俺を止めて、創路はそれまで笑っていた表情から真顔になった。
「梨折さんの言う普通とうちの考える普通は意味が違います。うちは死体の回収や処理をする仕事を先祖代々からやってきたんです。その仕事を継ぐためにたくさんのことをしてきました。梨折さん、あなたの想像できないようなことも、うちは小学生ぐらいの時からしていました。だから、うちは何も思いません。何も感じることもありません。それがうちの普通なんです。梨折さんにとっては異常かもしれませんが」
「……」
「これまでに何度か梨折さんと似たような質問をしてくる人がいました。梨折さんと同じように彼らがどうしてそんなことを聞いてくるのか、うちには理解出来ません。人が死んだから何なんですか? 毎朝、テレビをつけたら人が死んだニュースなんて普通に流れているでしょう? 人は常に死と隣り合わせ。何歳何十歳で死んでも差別はありません。人類皆、平等ですよ。別れを惜しむためにするやつ……葬式っていうんでしたっけ? あれをする意味もよくわかりません。死んだ人の魂なんて生きてるうちらにわかるわけないじゃないですか」
それはとても中学生ぐらいの子供が言うような話ではなかった。まるで何かを悟っているような、死に対してどんな感情も湧かない、そんな感じの言い方だった。どんな家で育つとこんな考え方になるのだろうか。
少なくとも俺には分からなかった。だが、こんな変わった価値観を持っているからこそ、この子は死体の回収なんてことをしているんだろう。
「ということなので、梨折さんの質問に答えることは出来ないです。ご期待に応えられず、申し訳ありません」
「いや、いい。俺の考えが甘かっただけだ」
「いえいえ、でも、うちは嬉しいですよ。特定の人とこういった話をするの好きですから。何より伊月さんに頼みごとされるのが一番嬉しいですけどね、ふっふっふ」
「そういえば、気になったんだが、お前、中立な立場にいるんだろ? なのに、どうして、そいつの頼みは聞くんだ?」
「ふぇっ!? そ、それは……そ、そそそその……企業秘密です!」
「ん? 何でだ?」
「企業秘密といったら、企業秘密です! じぇったい、教えません!」
なぜか顔を真っ赤にしながら創路が大声で叫んだ。どうして、こんな頑なに言わないのか、よくわからなかった。
10
それからどれくらい時間が経ったのだろう。
「梨折さん、起きてください。そろそろ時間ですよぉ」
「う……」
目を開けると、目の前に創路の姿があった。運転席のほうを見ると、窓越しに太陽の光が射し込んでいる。もう朝になっているようだった。
松阪の駅の近くまで到着したあと、創路の指示で朝になるまで仮眠するようにと言われていたことを思い出した。とても、そんな気分にはなれなかったが、睡魔には勝てず、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
「もう始発は出ていると思います。ここからはお一人でどうぞ」
「どうゆうことだ? あいつはどこに?」
「駅の改札の近くで待っている人がいます。その人の案内に従ってください」
「誰が待ってるって言うんだ?」
「お会いすればわかりますよお。では、道中、お気を付けて。運が良かったらまた会いましょう」
創路に笑顔でそう言われても、俺の気持ちが晴れることはなかった。こんなことを続けていて、こいつが幸せになるのか……。俺には想像出来なかった。それでも、こいつの見せる笑顔はあまりに爽やかに見えたので、複雑な気持ちだった。
いや、もういい。こいつのことで考えるのはやめよう。今は目の前のことをやる。それだけだ。
左右に首を振って荷台から降りると、目の前に松阪駅が見えた。時間が早いのと休日のせいなのか、人通りはそこまで多くはない。もちろん、その中に八重坂たちの姿はなかった。
黙って出て行ったこと、あいつらどう思うだろうか……。でも、これは俺の決めたことだ。俺は真実を知りたい。あの少年のこと、弥生のこと、そして俺自身のことを。
駅の改札に向かって歩いていく。改札付近は仕事やどこかへ出かける人たちが行き来しているだけで、誰かを待っているようなやつは見かけなかった。
本当にいるのか……。
「また会ったわね」
「!」
突然、背後から声が聞こえてきて、後ろを振り向いた俺は驚いて目を見開いた。
俺の後ろに立っていたのは二週間前、河馬根利工場でシンナが戦ったあの字倉花麗だった。
青いジーパンに袖なしの黒ティシャツは以前と同じだったが、ティシャツの上に茶色のカッターシャツを着ていた。また左腕が白い包帯で固定されているところから、シンナとの戦いの傷はまだ癒えていないようだった。
「お前は……」
「そんなに警戒しなくていいわ。この場であなたを殺すつもりはないから。最も、殺すつもりでもこんな状態じゃ戦えないし」
「どうしてお前がここにいる?」
「あなたを待ってたのよ。彼に会いたいんでしょ? なら、私についてきて」
字倉はそう言うと改札のほうに向かって歩いていく。本当に敵意はないらしい。無意識のうちに腰につけていたスタンバトンの柄を掴んでいたが、ゆっくりと離した。
「……」
不安はもちろんある。あいつらがその気になれば、いつだって俺を殺せる。常に死と隣り合わせ。この状況に自分を追い込むのは苦しかった。だけど、こうしなければ俺は真実にたどり着くことが出来ない。
だから、俺はやつに会うよ、八重坂。
ぐっと拳を握り、俺は字倉のあとをついて行った。
11
いつからそこにいたのか、私は中庭にあるベンチに座っていた。見上げると、雲ひとつない青空が広がっている。こんな澄んだ青空を見たのは久しぶりのような気がした。
「真那お姉ちゃーん、一緒に遊ぼうよ!」
「鬼ごっこやろうよ! 鬼ごっこ!」
その空の下で結衣や麻子たちが私のほうに手を振っているのが見えた。他にも何人か子供たちがいる。みんな、この施設で育った子だった。
「真那、みんな呼んでる」
隣から声が聞こえてきた。
「あ……」
そこに座っていたのは愛佳ちゃんだった。いつものように無表情な顔だけど、その表情を見ると何故か心が落ち着いた。
「そうだぞ、八重坂。あいつらと遊んでやれ」
ベンチの後ろから声が聞こえてきた。その声も聞き覚えがあった。
「よ、葉作おじさん……」
そこに立っていたのは葉作おじさんだった。おじさんが笑顔で私のほうを見ている。
目から涙が溢れてきた。二人とも生きていた……。死んだと思っていたのは私の勘違いだったんだ。あの葬式も夢だったんだ。
「愛佳も一緒に遊ぶ。だから、行こ、真那」
「う、うん!」
私は喜んで返事した。ベンチから立ち上がり、結衣や麻子たちのほうに走る。
「真那」
「!」
不意に誰かに呼び止められた。それは愛佳ちゃんの声でもおじさんの声でもなかった。
とても暗い声……。聞いたことがある気がする。でも、思い出したくない……そんな声だった。
ゆっくりと後ろに振り向く。おじさんと愛佳ちゃんの後ろから真っ黒な影が現れていた。
「お前は誰も救えない」
さっきと同じ声が影から聞こえてくる。その影が伸びて、愛佳ちゃんとおじさんの身体を包み始めた。二人は私のほうを見ているだけで影に気づいていない。
「あ、愛佳ちゃん! 葉作おじさん! 逃げて!」
私は二人の元へ走ろうとした。けど、足が何かに引っかかって動かなくなった。
「!」
いつの間にか、それまで綺麗な緑の草原だった足元が黒い水になっていた。とてもドロドロしていて、足が思ったように動かない。
「ど、どうして!?」
必死に力を振り絞ったけど、やっぱり動けなかった。その間にも愛佳ちゃんと葉作おじさんの身体は影に覆われていく。
「二人とも逃げて! 早く!」
私が叫んでも二人はずっと私のほうを見ていて、影に気づかなかった。
「お前の力では誰も守れはしない」
「ち、違う……そんなはずは……」
「あの二人と同じように、お前は誰も救えない」
その声と共に私の周りに大勢の人が現れた。鶴香、文仁、沢村、未国、希莉絵さん、貝堂さん、そして秀平さんも……。
「いや……いや……やめて」
「お前には無理だ」
私は両手で耳を塞いだ。その声を聞きたくない。二度と、もう二度と聞きたくない。でも、その声は聞こえてくる。
その時、目の前に立っていた秀平さんに向かって真っ黒な影が伸びていくのが見えた。
「お前には無理だ」
「やめてええええええええ!」
私は叫んだ。その声をかき消したくて叫んだ。でも、消えなかった。その場から動けず、影に包まれていく葉作おじさんと愛佳ちゃん、そして秀平さんを助けることも出来なかった。
12
「!」
身体を起こして目を覚ました。
「はあ……はあ……」
秋にも関わらず、顔に汗が浮かんでいた。肩で息をしていて、さっきまで運動していたような状態だった。
「夢……だよね?」
「んん……」
隣のベッドから声が聞こえてくる。布団にくるまっていた鶴香が寝返りをうっていた。時計を見ると朝の八時ぐらいになっていた。
「……」
頭を抑える。心の中にある不安が強く残っているせいであんな夢を見たんだろうか。愛佳ちゃんと葉作おじさんが死んで、次に何が起こるのか……嫌な予感がしてならなかった。
『どうした、真那? すげえ、疲れた顔してるぞ』
頭の中にシンナの声が響いてきた。
『何か悪い夢でも見たのか?』
「し、シンナ……秀平さんが……」
『おっさんがどうした?』
「い、行かなきゃ!」
私はベッドから起き上がって急いで制服に着替えた。
ただの夢なのかもしれない。でも……。
「秀平さんのところに行く」
『何で急に……って、おい! 真那!」
シンナが何かを言う前に私は部屋を飛び出した。素早く階段を駆け下りて、女子寮を出た。
「おわっ!?」
「きゃあ!」
正面玄関を出たのと同時に誰かにぶつかってしまった。
「いてて……って八重坂!?」
「文仁!?」
ぶつかった相手は文仁だった。文仁も学校の制服を着ている。なぜか息を切らしているようだった。
「ちょうどよかった。八重坂、大変だ! 梨折のおっさんがいないらしい」
「え!?」
「沢村が朝起こしに行ったら部屋に誰もいなくてよ。今、他の仲間と手分けして探してるんだが、どこにもいねえんだよ」
「や、やっぱり……あの夢は……」
「夢?」
「秀平さん……」
私はスマホを取り出した。夢の通りなら秀平さんはかなり危ないことをしようとしている。他人のことを監視しているようで、使いたくなかったけど……。
「何してる?」
「秀平さんの持ってるスタンバトンの位置を調べてるの」
「何!?」
「秀平さんに言ってないし、使わないようにしていたんだけど……」
彼がいなくなってしまうのが怖かった。とは口には出せなかった。
「……いた。秀平さんは……」
「この速さは……電車か?」
「行かないと……」
「行くって八重坂一人で行く気か? 少し待っとけ、他のやつと一緒に行った方がいい」
「そうしてる間に秀平さんの身に何かあったらどうするのよ! 私は先に行くわ」
「けどよ……」
「文仁、鶴香たちにも言っておいて!」
「お、おい、八重坂!」
文仁が呼び止めるのを無視して、私は渡り廊下を走って顕光館をの中に入った。
でも、どうしよう。今から走って山を駆け下りて、駅に向かうには時間がかかりすぎる。車の運転は出来ないし、誰かに頼んで……!
顕光館の体育館の辺りを見回して、私の目に止まった人がいた。
「伊津美さん! 伊津美さん!!」
「あ、真那!」
体育館の円柱のそばで子どもたちの様子を見ていた伊津美さんが私に気づいた。
「どうしたのよ? そんなに慌てた顔して」
「じ、事情はあとで説明します! く、車を! 急いで車を出してもらえませんか!」
「え? どうして、急に……」
「お願いします! 秀平さんが……秀平さんが危ないかもしれないんです!」
「梨折が? よ、よくわからないけど、緊急事態なのね。わかったわ。絹子! みんなの面倒任せるわよ!」
「わかりました!」
そばにいた堺さんにそう言うと、伊津美さんは顎で紫弦館と呼ばれる介護施設のほうを差した。
「紫弦館のほうに車があるわ。事情は車の中で聞くわよ」
「お願いします!」
伊津美さんが先に顕光館の出口に向かう。私もすぐにその後に続いた。
13
「くそっ、一体何がどうなったんだっていうんだよ……」
八重坂が顕光館のほうへ走っていったあと、俺は男子寮のほうに向かっていた。梨折のおっさんのことをあそこまで心配しているのは、葉作のおっさんと愛佳ちゃんが死んでしまったことが大きく影響しているんだろう。
あいつは恐れている。また他の仲間が死んでしまうのではないかって。
「そんなの……俺だって嫌に決まってるだろ!」
俺は急いで渡り廊下を走った。
「文仁!」
その時、背後から声が聞こえてきて後ろに振り返った。学校の制服姿の鶴香が走ってきた。
「鶴香!」
「真那が慌てて部屋を飛び出したのが見えたから何かあったんじゃないかって……」
「ああ、大ありだ。梨折のおっさんが施設から出たんだ」
「梨折さんが?」
「理由はわからんが、八重坂は何か危険な目に遭うんじゃないかって、一人で行ってしまった。今から沢村たちと合流してみんなであとを追いかけるぞ」
「わ、わかったわ」
鶴香と一緒に渡り廊下を走って男子寮に入った。寮のロビーで沢村や明日野のガードマンの国枝たちが話しているのを見つけた。
「沢村、おっさんはここじゃない! 松阪の駅のほうだ!」
「なんだって!?」
「八重坂が一人で追いかけにいった! 急いで追いかけるぞ!」
「わかった。国枝、留守を任せるぞ。俺たちが先輩を連れ戻しに行く!」
「了解した。気をつけろよ!」
国枝にそう言って、沢村がロビーの出口のほうへ向かう。俺と鶴香もそのあとに続いた。
「でも、おっさんのやつ、どうして俺らに黙って一人で出ていったんだ?」
「俺にもわからない。最近、ちょっと様子がおかしいとは思っていたけど」
「おっさんも八重坂も危なっかしいことしなきゃいいがな……」
ふと葉作のおっさんと愛佳ちゃんの姿が思い浮かんだ。まだ知り合ってから日は浅いが、おっさんは俺たちの仲間だった。これ以上、仲間を失うのは嫌だった。
八重坂もきっとそうだろう。だから、俺が引き止めるのを無視して一人で行ったんだ。俺たちを戦いに巻き込まないために。
「どいつもこいつも大ばかだ。ばか、ばか言われてる俺なんかよりよっぽどな。なおさら放っておけねえ! 沢村、早く行くぞ!」
「ああ! 鶴香、未国を呼んできてくれ。顕光館の上の階へ探しに行かせてるから、まだそこにいるはずだ」
「わかったわ!」
「文仁、俺たちは先に車を出す準備しとくぞ!」
「よっしゃ、さっさと連れ戻しに行くぞ!」
気合いを入れるためにそう言って、俺たちはそれぞれの準備を始めた。
14
三ヶ月ぶりに乗った近鉄線の電車は休日の早朝ということもあってかなり空いていた。スーツを着ているからと言って目立つことはなく、誰かに見られているような感覚もしない。
それでも、今、俺の目の前に座っているこの女の存在が俺に落ち着きを感じさせてくれなかった。
「江戸橋駅ってところで降りて、そこから少し歩くわよ」
「どこに行くつもりだ?」
「ついてこればわかるわ」
字倉は俺の質問にちゃんと答えずにそう言った。
松坂の駅から三十分弱で江戸橋駅に到着した。電車を降りると字倉が先を歩いていくのでその後についていった。
駅を離れ、近くを流れる志登茂川も越えて、字倉は立ち止まることなく歩いていく。どこに向かっているのか、本人から聞いてはいなかったが、その進む先で思い当たる所は一つしかなかった。
「ここよ」
「まさか……」
一瞬、その場に立ち尽くした。着いた場所は国立の三重大学だった。高校時代にオープンキャンパスで何度か通ったことがある。実に十年ぶりの来訪だったが、付属病院の建物や遠くに見える医学部の校舎には見覚えがあった。
「どうしてここに?」
「彼がそういう気分だからよ。特にはっきりした理由があるわけじゃないわ。行くわよ」
字倉が先に歩いていくのでそのあとについていった。付属病院や校舎を横切り、真っ直ぐに進んでいく。
「……」
その途中で俺は大きな違和感を抱いた。それはあまり気にしていなかったが、歩き進んでいくにつれてどんどんと大きくなっていった。
「どうして俺たち以外に人がいないんだ?」
俺はその違和感を字倉に聞いた。休日とはいえ、サークル活動は行われているし、土日に開講する授業もあるはずだ。少しくらい学生がいても不自然ではない。だが、大学の構内には俺と字倉以外の人影がひとつもなかった。
「今は誰もいないわ。そういう状況にしてるの」
「どういうことだ?」
「あなた、創路のこと、ただの女の子だって思ってる? 油断しないほうがいいわよ。あの子、その気になったらあなたのことなんてすぐ消せるから」
「……」
「ダルレストがあの子に偉そうな態度を取らないのはそれが理由。遺体の回収をしてもらってるから当然といえば当然なんだけど」
「一体何者なんだ、創路は?」
「さあ……。ただ、一つ言えることはあの子に逆らわないほうが良いってことだけ。情報源がどこなのかわからないけど、あの子は全員の過去や秘密を知り尽くしている。あなたも、もちろん私のこともね」
言い終わると、字倉は再び歩き始めた。その表情がどこか寂しげに見えた気がしたが、その理由まではわからなかった。
この先に……やつがいる。
自然と拳を握りしめて、俺は字倉のあとについて行った。
15
「真那、駅に着いたわ」
「はい」
伊津美さんの運転する車に乗って私は松阪駅に到着した。道路脇に車を停めると、伊津美さんは窓を開けて辺りを見回した。
「梨折はいないわね」
「電車からは降りたみたいです。急いで行けば間に合います。伊津美さん、送ってくれてありがとうございます」
「これくらい大丈夫だけど、気をつけるのよ、真那。梨折だけじゃない、あんたまで危ない目に遭ったらみんな立ち直れなくなるかもしれないわよ。葉作たちが死んでしまったいまだから尚更」
「大丈夫です。無茶なことはしません」
「そう……わかった、沢村たちには言っておくから、早く連れ戻しに行きな」
「はい。本当にありがとうございます、伊津美さん」
もう一度伊津美さんにお礼を言って私は車から降りた。急いで松阪駅の改札へ向かう。
『ったく、おっさんのやろう、いったい何するつもりなんだよ』
改札を通り過ぎたところで、頭の中にシンナの声が響いた。
「わからない。でも、何か危ない気がするの」
『勘ってやつか?』
「うん……そうかも」
『まあ、おっさんが一人でどっか行くなんてこと今までなかったからな。最近、考え事しているように見えたし』
「だから、私たちで追いかけるの。私とシンナの二人で」
そう、私は一人じゃない。私にはシンナがいる。昔も、今も、これからだって私たちはずっと一緒。二人でみんなを守る。必ず……秀平さんを連れ戻す。
『真那』
「ん?」
『あんたがその悪い夢を見た日の夜、あたしも夢を見たよ。あの時の夢だった』
あの時……。そう言われて思い出したのは一つしかなかった。頭の中にその時の光景が蘇ってくる。
『おっさんの身に危険が迫っているとあんたの勘が言っているように、これもあたしの勘ってことになるけど……あいつはこの町に来ている』
「うん」
『あたしらのせいで奴らもこの辺りの活動をかなり邪魔されているからな、元々あいつがここに来ていてもおかしくなかった。真那、わかってると思うけど、あいつに会ったら……あたしに任せておけ』
「……うん」
『まだ、踏ん切りがつけられねえのか? あんなことされたのによ』
「頭ではわかっているつもりなんだけどね。それでも……」
『だめだ、真那。こればっかりは譲れないよ』
シンナが普段よりも強い口調で言った。
『わがままだって言われて当然かもしれねえけど、あたしは絶対に許さない。あいつだけは……』
シンナの言葉には深い怒りと憎しみがこもっていた。その気持ちが私にはすごくわかる。だから、シンナの望みを叶えてあげたい。それが自分の本心とは違うものであったとしても。
「うん、ごめんね、シンナ。もう何も言わない」
『おう。よし、さっさとおっさんのとこへ行くぞ!』
「わかった!」
シンナにそう返事して、私は駅のホームに到着した電車に乗り込んだ。
16
キャンパスの右側に医学部の校舎が続く中で、反対側のほうに大きな講堂が見えてきた。講演会や式典を行う時に使われる場所だろう。周囲がたくさんの柱に囲まれていて、建物全体がガラス張りになっている。高さはビルの四階建て分ぐらいはあるだろう。だが、その周りにも人の姿はなかった。
字倉と共に講堂の正面玄関を通ってロビーに入り、そのまま中央にあるホールの中に入った。
何百人も収容できるその広いホールにも人影はなかった。ただ一人を除いては……。
前の列のほうに誰かが座っている。顔は見えなかったが、頭に被っている灰色のソフトハットで誰なのかすぐにわかった。
「連れてきたわよ、伊月」
字倉がそいつに話しかける。間違いなく、河馬根利工場で出会ったあの少年だった。
「うん、ごくろうさま、花麗」
伊月と呼ばれたその少年が俺のほうを見る。帽子を被り直して笑みを浮かべた。
「やあ、無事に会えて何よりだよ、梨折秀平。さすが創路だね。無理なお願いだったけど、ちゃんとやってくれたみたいだ」
「……」
「そんな顔していると眉間のしわが増えるよ。まあ、座りなよ。心配しなくても君に危害を加えるつもりはないから」
伊月が何を企んでいるのか、まだわからなかったが、もし殺すつもりならもっと早くしているだろう。ここは言うとおりにしておいたほうがいいと思った。
そう判断した俺は伊月の隣の席に座った。伊月は「ふふっ」と笑って前に向き直った。
「実は大学ってところに来たのは初めてなんだ。すごいよね、こんなに広い場所で一人の先生が何か話して、それをみんなが聞くんでしょ。入学式や卒業式ってやつもここでするらしいね。僕も一度でいいからそういうのに出てみたいよ。まあ、そんなこと上の人に言っても許してくれないけどね」
伊月が俺のほうに視線を移す。
「梨折秀平、君は何ヶ月か前までは普通に刑事の仕事をしていたよね。それまで普通に学校に通って色々なことを勉強して、ちゃんと刑事という仕事について、静かな生活を送っていた」
「何が言いたいんだ?」
「君にとってそれは普通の、そう本当に普通の生活だと思う。他のみんなもそんな暮らしを送っている、それが普通だ。そう考えてるよね。意識はしなくても少しはそういう考えを持っているはずだよ。だからと言って、それを否定したいわけじゃないんだ。今の日本社会に生きる人たちは僅かな違いはあっても、根っこの部分の暮らしは同じだと思うからね。でも、梨折秀平、君の思う普通の生活があるように、僕たち刀人にも生活がある。それは君にとって異常なことかもしれないけどね」
『梨折さんの言う普通とうちの考える普通は意味が違います』
駅まで来る途中で創路が言っていたことを思い出した。創路と同じように伊月は俺が理解出来ない暮らしを送ってきたのだろうか。
「刀人になれば、まず君の思う普通の暮らしは出来なくなる。ダルレストによって拉致され、身内の記憶からその存在を抹消される。そして、全国にある施設に送られ、他の刀人たちと生活することになる。この生活が大変でね、まあ、警察に捕まった囚人たちと似たような暮らしをするって言えばわかりやすいかな。刀人として戦えるように厳しい訓練を積み、一人前の殺し屋に育て上げられて、深夜の狩りへ駆り出される。そこでガードレディに殺されたらそれまで。殺されなくてもノルマを達成しなければ処分。ノルマを達成し続けたとしても、戦闘用に調整された薬の副作用で三十代を迎えるか迎えないかの年齢で寿命を迎える。これがダルレストの刀人たちの末路だ。ガードレディたちはもっと幸せな生活を送っているみたいだけどね」
「……」
「梨折秀平、君は自分の存在意義について考えたことがあるかい?」
「存在意義?」
「自分がどうしてこの世界に生まれてきたのか。どうして自分が生きているのか……そういったことだよ」
「そんなことは……」
考えたことがないわけじゃなかった。仕事で辛いことがあって、どうしてこんな仕事をしているんだろう、俺はどうして生きているのかって思ったことは少なからずある。それは俺自身に限ったことじゃない。どんなやつでも一度は考えることだろう。
「考えたことはある。だが――」
「はっきりとした答えはわからない……かな?」
ソフトハットの下から伊月が覗き込むように俺のほうを見てきた。図星だったので、何も言えずにいると、伊月は笑みを浮かべた。
「それが自然だと思うよ。自分がどうして生きているのかなんて、そんな問いかけは『痛い』ってどういう意味かって聞くのと同じくらい難しいことだ。そういう哲学的なことを考えるのが好きな人はいるけど、明確な答えが出るわけじゃない。まさに十人十色。人によってその答えは違うと思うからね。それに普通の人はその答えを出す必要はないんだ。生きているから自分はここにいる。それだけで充分なんだよ。でもね……」
伊月は俺から視線を外してまたホールの前方にある教卓のほうを見つめた。
「僕たちは違う。どうして自分がここにいるのか、その答えを知らなければならない」
今まで穏やかだったその口調が少し暗くなった気がした。
「元々人間で、特別な力を持った存在ってどんなのがいるって聞かれたら、何が思いつくかな? 吸血鬼、狼男、ゾンビとかが思いつくかもしれない。あるいは炎を操る者、水を出す者、時間を止める者と言ったよく見るアニメや、本屋に並んでいるラノベとかに出てくる超能力者たち。でも、彼らは実在しない。みんな、誰かが頭の中で空想したものばかりだ。現実に存在しないからこそ、そういった作品に登場する。だから、おもしろいんだろうけどね。でも、本当に彼らが実在したらどうなると思う?」
再び伊月が俺のほうに視線を戻した。その話が伊月や八重坂たち刀人のことを現しているのは聞かなくてもわかった。
「普通の人間がそいつらに憧れを抱く……そんなことにはならないだろうな」
「その通り。人はね、その存在を否定するんだよ。そんなものの存在を肯定しても社会が混乱するだけだ。何のメリットもない。だから、僕たち刀人はその存在を抹消されたんだ。そのために作られたのがダルレスト。そして、今は深刻化した高齢化問題解決のために人々の命を奪い続けている」
「だから、お前たちは人を殺すのか? そんなことが許されると本気で思っているのか?」
「僕たちも殺したくて殺してるわけじゃないよ。でも、そうしないと生きていけないんだ。虚しい人生だよね。見ず知らずの他人の命を奪って何の意味があるのかな? それを生きている証とでも言いたいのかな?」
伊月は大きくため息をついた。
「僕たち刀人は……どうして存在しているんだろう。まあ、こんなこと、君に答えを求めるのは間違ってると思うけどね。これで僕たちがどうして人を殺しているのか、少しは理解してもらったはずだ。自分が生きるために僕は大勢の人を手にかけた。その中には……君の弟も含まれている」
「潤一が?」
「そう。潤一を殺したのは僕なんだよ」
「……」
それは衝撃的な事実だったが、俺は自分で思っている以上に驚いてはいなかった。
ここに来てから何となくそんな感じがしていた。伊月が俺と話したがっているのは潤一のことがあるんじゃないかって……。
「なぜ潤一を殺したんだ?」
「他に方法がなかった。潤一を殺さなければ僕が死んでいた。僕はまだ死ぬわけにはいかないんだ。君にとってはただ自分の命が惜しいだけのやつだと思われるかもしれない。その通りだよ。僕は僕のわがままを押し通すために彼を殺した」
伊月の言っていることは確かに自分勝手な内容だった。だが、その裏には本当に申し訳なかったという気持ちがこもっていた。
「もう一つ聞きたいことがある。お前はどうして俺と潤一のことを知っていたんだ? 名乗った覚えはないぞ、それに……」
「もう察していると思ったけどね……」
伊月は苦笑いしながらソフトハットを被り直した。
「梨折秀平、僕は一度君たち二人と会っている。それに大きく関わっているのが君の中にいる弥生だ」
「弥生が? どういうことだ? 俺はお前に会ったことなんてないぞ」
「君のそのこめかみの傷、本当に煙草でついた火傷だと思ってるの?」
「なに?」
その問いかけがどういう意味を持つのか一瞬わからなかった。
「それはタバコでついたものじゃない。その傷は十一年前、君が高校生だった時に出来た傷だよ。僕たちを助けるためにね……」
「十一年……前?」
「そう。十一年前、僕たちの暮らしていたあのアパートで起きた火事で……」
十一年前、火事、アパート。それらのキーワードを頭の中で繰り返して呟いた瞬間、ある記憶が脳裏によぎった。
17
「秀平! もう無理よ! あんたまで死んでしまうわ!」
女の声が聞こえてきた。誰の声なのか思い出せなかったが、そいつの声を聞くと何故か懐かしさを感じた。
「うるさい! やってみないとわからないだろ!!」
その声に対して俺が怒鳴り返し、着ていた制服の上着を脱いだ。
制服……俺が高校生ぐらいの時なのか。
「兄さん!」
「潤一、お前はここにいろ!!」
ぼやけた視界の中に潤一の姿もある。だが、それはまだ小学生ぐらいの幼い潤一だった。俺は二人が呼び止めるのを無視して、前に向き直る。
目の前に広がるのは一軒のアパートだった。そのアパート全体が炎に包まれて真っ黒な煙をあげている。火事になっているのは誰が見ても明らかだった。
俺はその燃えているアパートに向かって駆け出した。階段をあがり、二階の廊下を走っていく。そして廊下の突き当りにある部屋のドアの前に立った。
「くっ!」
そのドアも炎に包まれていたが、俺はためらわずに身体をぶつけてドアを突き破った。
突き破った先も地獄絵図だった。その部屋も真っ赤な炎に包まれていて、木で出来ていた天井も一部が崩れ落ちていた。
「助けて! 誰か助けて!」
その部屋の奥から声が聞こえてくる。幼い少年の声だった。
「痛いよ! お兄ちゃん、痛いよ!」
もう一人の声が聞こえてくる。こっちは女の子の声のだった。
「待ってろ、すぐ行く!」
大声で叫んで部屋の中に入る。だが、それとほぼ同じタイミングで頭上から大きな音がした。
「!」
咄嗟に顔をあげる。天井に張り巡らされた柱の一つが火に包まれ、勢いよく下に落ちてきた。
18
「くっ……」
そこで頭の中の映像が途切れた。無意識のうちに俺は両手で頭を抑えた。
知らない……知らないぞ、あんな記憶。俺が高校の時? あんなことがあったのか……?でも、覚えてない。なんで……。
「何か思い出したって感じだね」
隣の席に座っていた伊月が俺のことを見ている。そこが元いた大学の講義室であることを思い出した。
「記憶は消されても、心の中には残っているみたいだね。どうして、君に弥生の声が聞こえるのか、その理由は恐らく十一年前の事件が大きく関係している」
「……教えろ、俺はいったい何をしたんだ? 弥生はいったい……」
『やめて……』
頭の中に弥生の声が聞こえてきた。その声に悲しさが混じっていて、
『もうやめて、伊月お兄ちゃん。それ以上……おじさんを困らせないで! 私は……私はもう……!』
「梨折秀平、今すぐ僕と一緒に来てもらうよ。君の力がどうしても必要なんだ。潤一のことで恨まれていたとしても協力してもらう」
「お、俺はいったい……」
その時、ばん、と大きな音が鳴ってホールの後ろのドアが開いた。頭を片手で抑えながら立ち上がって後ろに振り返る。ドアの付近に黒いスーツを着た男たちが何人も入ってきた。その全員が手に拳銃を持っている。
「全員、その場から動くな」
その奥から感情のない低い声が聞こえてくる。ドアの奥から背の高い男が現れた。短く刈り込んだ髪に無表情な顔。視線が合っただけで背中から嫌な汗が流れ落ちてくる。
「おかしいな、君まで招待したつもりはないけどね……浜家」
「どういうつもりだ、伊月?」
浜家と呼ばれたその男が伊月を睨みつける。だが、伊月は全く動揺していなかった。
「伊月、どうして浜家のおじさんが……」
「どうやら部下に命じて僕たちのことを尾行していたみたいだね。創路がうまくしてくれたと思ってたけど、油断していたみたいだ」
そばにいた字倉と伊月が小声で話している。状況は最悪だった。ただでさえ、信用できるからどうか怪しい伊月たちと、ドアの近くに集まっているダルレストの奴ら。ここから抜け出すのは至難の業だった。こっちには銃はなく、護身用のスタンバトンしかない。
「どういうつもりだ、と聞いている伊月?」
「……」
「答えないのか。まあ、いいだろう。その男は日高と尾上たちに始末を命じていた対象者だ。こちらに渡せ。これは命令だ。逆らえば、容赦はしない」
「どうするのよ、伊月……」
「……」
周りの空気がピリピリと張り詰めてくる。どちらかが動き始めようとした……まさにその時だった。
ガラスの叩き割れる音がホールに鳴り響いた。驚いて上を見上げると、ちょうどホールの中央あたりに天窓の大きなガラスの破片が落ちてきた。それに少し遅れて誰がが階段の上に降り立つ。
松阪高校のセーラー服とスカート、紐で一つにくくったポニーテールの髪、右手に握り締めた刀。
「シ、シンナ!?」
間違いない、シンナだった。シンナが天窓を突き破って堂々とホールに現れた。
「ったく、心配かけんじゃねえよ、おっさん。そして……」
シンナが俺のほうから視線を別の方向に向けた。その先にいるのはホールの入口前に立っているあの男だった。
「よぉ、やっぱりこの町にいやがったか。久しぶりじゃねえか、くそ親父」
「相変わらずの口ぶりだな、シンナ」
「……なに?」
くそ親父? 親父って言ったのか……シンナのやつ。
改めて浜家と呼ばれていた男を見た。
「あいつが……シンナの父親!?」
「へっ、ぞろぞろアヒルみたいに手下を引き連れて親分気取りかよ、てめえは。何も変わってねえよな」
シンナが刀を肩にもたせかけて言った。それに対して浜家の表情は全く変わらない。
「変わらないのはお前のほうだ。真那の身体を乗っ取っていつまで無駄なことを繰り返すつもりだ? お前一人がどうこう出来ることじゃない。既にこの世にいないお前にはな」
この世にいない? どういうことだ?
浜家の言っている意味がまるでわからなかったが、シンナはやつのことを鋭く睨んでいた。
「……うるせえよ」
「自分の恨みを晴らすために真那の手を血で汚すか。愚かなのはどちらのほうだ?」
「うるせえ!」
シンナの大声がホール中に鳴り響いた。それは今まで聞いた中で一番大きな声だった。
「てめえはおふくろの苦労を知ろうとせず、真那が寂しがっている時にも傍にいなくて、そればかりか、真那からおふくろとあたしを奪っていったクソ野郎だ! お前なんかにあたしらの何がわかる!? てめえのやったことがどれだけ酷かったか、わかんのか!?」
「……」
「わかんねえなら、直接体に教えてやる!」
言い終わった途端、シンナは階段を蹴り上げて浜家のほうに向かっていった。
それと同時にスーツを着た男たちが拳銃を発砲する。
「うらあ!」
シンナは何発かの銃弾を弾いて、男たちの前に降り立ち、躊躇いなく刀を横に振った。
「ぎゃああああ!」
男の一人が血を噴き出しながら倒れていく。それに続いてシンナは男たちの合間をくぐって浜家の目の前に現れた。刀を両手で持って思いっきり振り下ろす。
「くたばれ、クソ親父!!」
「愚かな……」
がん、と鈍い金属音が鳴り響いた。
血は飛び散らなかった。シンナが口を開けて驚いているのが見える。
手にした刀が浜家の右腕に深々と食い込んでいた。だが、そこから血は流れ出していなかった。
「お前は刀人の恐ろしさを知らない。何もわかっていないただの小娘だ」
浜家の着ていたスーツが破れて、その腕が露わになる。
「なっ……」
驚きのあまり目を見開いた。その腕は人のものじゃなかった。肩のあたりまで銀色に輝く金属で出来ている。義手だった。
「てめえ、その腕……」
「ふん、だから、お前はただの小娘なんだ」
浜家が一瞬油断したシンナの首をその義手で掴んだ。シンナが驚いて刀を振ろうとしたが、その前にホールの壁に叩きつけられた。
「がっ!」
「シンナ!」
無意識のうちに俺はシンナのほうへ走ろうとした。しかし、その前にスーツの男たちがこちらに銃を向けてくる。
「!」
次の瞬間には銃口から火花が噴いた。咄嗟に近くの座席の後ろへ隠れた。命中さえしなかったが、着ていたスーツの一部を銃弾がかすめた。このまま迂闊に出ても蜂の巣にされるだけだった。
「くそ……」
シートの上から少しだけ顔を出して様子を見る。浜家に首を掴まれたシンナはそのまま首を締め上げられ、手に持っていた刀を地面に落とした。
「ち、ちくしょう……離しやがれ、この……」
「無駄だ。私の前ではどんな刀人でも抵抗出来ない。この腕で掴んでいる限り、お前は刀人の力を使えない。私が人間であるにも関わらず、他の刀人たちが逆らわないのはこれが理由だ」
浜家はあくまで淡々と、感情を込めず、何かの本を朗読するように言った。
「お前には無理だ。香代と同じように、お前には誰も守れはしない」
「う、うるせえ……クソ野郎。すぐに殺してやる……」
「……愚かなやつだ」
言ったとたん、浜家がシンナを一度壁から離してもう一度叩きつけた。激しく背中を打ちつけられたシンナが口から血を吐く。それに構わず、浜家はホールの下のほうへシンナを放り投げた。
「シ、シンナ!」
俺は咄嗟に座席の後ろから飛び出た。奴らに撃たれるかもしれなかったが、そんなこときにしている余裕はなかった。
投げ飛ばされたシンナを抱きとめたが、勢いは止められずに階段の下のほうへ落ちた。ちょうどステージの淵の壁に激突して、背中に痛みがはしった。
「伊月、字倉、その二人を始末しろ。そうすれば、今回の件のことは責めないでやろう」
「……」
浜家の指示に対してそれまで動かなかった伊月が俺たちのほうを見た。伊月にかかれば、今の俺たちなんてすぐに殺せるだろう。傷を負ったシンナを抱えて、このまま逃げ出すのは不可能に近い。まさに絶体絶命だった。
「ここまでなのか……」
その時だった。シンナの突き破ってきた天窓から何かが落ちてくるのが見えた。空き缶のようなものが三つ、四つ、空から降ってくる。
空き缶?
「!」
缶がホールの下に落ちて音が鳴った瞬間、白い煙が物凄い勢いで噴き出した。あっという間にホール中が白い煙で包まれていく。
「先輩! 今のうちです!」
煙で全く見えなかったが、それが沢村の声なのはすぐにわかった。シンナを抱きかかえて、声の聞こえた方向に走る。その途中で上から銃声が鳴り響いたが、当たらなかった。
「ごほっ!ごほっ!」
「先輩、急いでください!」
何とか煙の中から出ると、非常口の近くでガスマスクをつけた沢村が激しく手招きしているのが見えた。その側には佐東もいた。
「急げ! すぐに煙が晴れるぞ!」
「わかった!」
二人に促されるまま、非常口からホールを抜けた。その直前に煙の向こう側に席に座ったままの伊月の姿が見えた。
伊月は何も言わずに俺のほうを見ていた。聞きたいことはまだまだたくさんある。けど、今は逃げるほうが先決だった。
「くっ!」
シンナを抱きかかえたまま、俺は沢村たちのあとに続いて非常口の廊下を走り抜けた。
講堂の外に出ると、車のエンジン音が近くから聞こえてきた。
「おっさん、こっちだ! 早く!」
停まっていた白いバンの運転席の窓が開いていて、そこから溝谷が顔を出して叫んでいた。後部座席のドアが開いて橘も姿を見せる。
「急いで!」
沢村たちと共に俺はバンの後部座席に乗り込んだ。それと同時にすぐそばを何かがかすめる。
「!」
後ろを見ると、講堂の正面玄関のほうから黒いスーツの男たちが走ってくるのが見えた。その全員が手に拳銃を持っている。
「文仁、出せ! アクセル全開だ!」
「わかってる!」
沢村の声に応じて、溝谷がアクセルペダルを踏み込んだ。バンが勢いよく発進する。その直後に窓ガラスに何発か銃弾が当たったが、防弾仕様で作られていたため、貫通しなかった。
バンはすごい速さで車道を走り、講堂はあっという間に小さくなった。
「よし、何とか全員無事だな!」
溝谷が手を打って喜んだ。
「間一髪だったわよ」
橘もほっと息をついて胸をなでおろした。
「先輩、一言声をかけてから外出してくださいよ。心臓が止まるかと思いましたよ」
「ああ、すまん、沢村……。みんなも色々と……心配かけたな」
俺は頭を下げて謝った。今更、自分の勝手な行動でこいつらに迷惑をかけたことが申し訳なかった。理由はあとでちゃんと話そう。
「う……」
その時、すぐそばから声が聞こえてきた。視線を下に向けると、気を失っていたシンナが目を開いていた。
「シンナ、気がついたか?」
「……秀平さん?」
その返事を聞いてシンナから八重坂に戻っていたことに気付いた。八重坂は目を何度か開いて閉じて辺りを見回す。
「こ、ここは?」
「もう大丈夫だ。沢村たちが助けに来てくれたんだ」
「そうですか……!」
その時、八重坂は急に目を見開いて手で頭を抑えた。何かに動揺しているかのように身体が小刻みに震える。
「う、うそ……どうして……?」
「どうした?」
「秀平さん……シ、シンナが……」
八重坂は震えながら俺のことを見上げた。
「お姉ちゃんが……いなくなっちゃった」
第十二話 因縁の再会 終。次回へ続く。




