一限『刑事問題・犯罪心理学セミナー』
この講義はあらゆる講師の方がローテーションで自由に講義をしていくというもので、テーマは毎週違います。なので出来は人によってまちまちで、朱音さんはよく「今日はアタリ」「今日はハズレ」とぼそぼそと呟いています。今回はどうなんでしょうね。
「未成年者の犯罪に於いて、最も多い動機は……一体何だ?」
配られた資料に目を通す暇も与えず、講師―――高倉教授は話し始めた。プロジェクターから出力されたパワーポイントが操作され、可愛らしいフレームに飾られた妙にポップなタイトル画面から一転して、無機質な棒グラフが表示される。
「資料にも配った通り、最も多いのは“判らない”“なんとなく”。つまり曖昧で突発的ということだ。……何故だと思う?」
問いかけに応じて、周囲の頭がクイッと左右に振れた。窺うような目線がそこかしこで交差する。
「まぁ、真実はどうあれ―――心理学の間では、思春期の成長過程で生じる自我の不安定性を補おうと心理的刺激を求めた結果、衝動的に、比較的軽微で身近な犯罪に手を染める。……と言われている」
途中から息継ぎさえせずに棒読みしてのけたその語り口は、まるで納得のいかない論文の解説をしているかのようだ。というかまんまそれだ。隣の律渦も苦笑して高倉教授を眺めている。
だがその笑顔には、呆れとは違う、何処か懐かしさのようなものが見て取れた。
「まぁそれはともかく。少年犯罪には、様々な法的措置が施されている。少年法がそうだな。いずれ知ることになるだろうが、ここでも内容を説明しておこう」
スライドが捲られ、無味乾燥な文字だけのページが表示される。そこにはこう書かれていた。
・十四歳未満の場合、児童相談所へ通告し、児童自立支援施設等へ
・十四歳以上の場合、家庭裁判所へ送致
→重罪の場合検察庁を経由し、家庭裁判所に送致
→罰金以下の犯罪の場合、直接家庭裁判所へ送致
配られた資料には無い内容に焦ったのか、慌ててルーズリーフを取り出し始める学生たち。律渦も慌てて鞄を漁り始める。私はそれをニヤニヤと眺めていた。
そんなシャーペンを忙しなく動かす学生たちを見上げて、高倉教授はばつが悪そうに頭を掻いた。
「あーっ、書類送検という言葉があるが、それは検察庁を経由する場合に使われる言葉だな。―――さて、一生懸命写してもらってるとこ悪いが……これは改正前の少年法だ」
スライドが切り替わる。律渦が騙された……。と小さく呟いた。周囲の学生も同じような表情で手を止めた。
「テレビとかで見なかったか?少年法は二〇〇七年十一月一日に改正されている。改正後の内容はこれだ」
・十四歳未満の場合、児童相談所へ通告。必要な場合により児童相談所経由で家庭裁判所へ送致
・十四歳以上の場合、成人と同様に扱い警察や検察庁の捜査が行われ家庭裁判所に送致
「十四歳が区切りであることは変わらないが、十四歳未満でも裁判所へ送られるようになったことからも判る通り、改正前よりも厳しくなった」
改めてスライドを書き写し始める学生たち。同様にシャーペンを動かし始める律渦を眺めて、私は先程のニヤニヤを再び出さぬよう、唇を強めに噛んだ。
―――実は去年の今頃だったか。私は個人的興味で少年法について調べており、改正前と改正後の内容を知っていたのだ。
そのため、知らずに慌てている自分よりも年上の大学生達を、やや上から目線で眺めていたわけである。浅ましいと思っても、この優越感は悪い気がしない分、どうこうしようとは思わない。少しでも多く“知っている”ことは、生きていく上での武器でもあるからして、武器の多さを誇ることは間違っていることではないだろうから。
「これは試験に出るからよぅく頭に叩き込んでおくように」
付け加えられた一言に、写そうとしてなかった数人が慌ててシャーペンを引っ掴んだ。
「さて。君らが写している間の時間稼ぎも込みで、ちょっとした雑談でもしようか」
高倉はそう言うと、パソコンの前から離れ、演壇の周りをふらふらと歩き始めた。
「少年法では、満ニ十歳までの少年犯罪者に対する処遇が定められているが、犯行時十八歳以上の場合は、あくまで死刑に相当する事件を犯した被疑者に対してだが―――死刑判決を言い渡すことは可能だ。日本では戦後から現在にかけて、四十二人の未成年死刑囚が確認されているが、そのうち六人は法改正や条約が絡んだり、反省の深さが認められたとかで個別恩赦―――つまり死刑を取り下げられている」
死刑が取り下げ……?私はその言葉に、この“雑談”への興味を大きく膨らませた。
「死刑ってのはそう簡単に決まるものじゃないってのは誰でも想像できるだろう。実際そうさ。被疑者は死にたくないし、検察だって殺したいわけじゃない。じゃあ誰が被疑者を亡き者にしたいのか。それは被害者の家族だ。死刑相当というからには、遺族だろうな。つまり、意思の拮抗する両者は土俵の上にはいないってことだ。するとどうなる?当然長引くわなぁ。裁判官だって気が狂いそうになりながら悩む。その場合、結果がどうであれ、裁判官は一生後悔し続けるらしい」
高倉教授の足が止まる。
「平成十二年―――二〇〇〇年に改正施行された刑事訴訟法によって、法廷で遺族が意見陳述することが出来るようになってからは、被害者側にも判決を左右させることが出来るようになったわけだが」
そこで言葉を区切り、彼はスライドとは別にメディアプレイヤーを立ち上げた。それは映像ではなく音声ファイルのようで、加工された不自然に低い声が、講堂のスピーカーからおどろおどろしく響いた。
『死刑か無期懲役か。どうせ死ぬ時期が遅いか早いかだけで、傍から見れば大した違いが無いかもしれませんが。いざ決める側に回ると、どうしようもなく悩みます。殺された方の遺族は死刑を望みますし、被疑者は死刑以外なら何でもいいと涙目になります。稀に全てを諦めたようにぼんやりしている方もいますが、そういう方は無言で責められているようで、とても怖いです』
『私は検察でしたから、あまり被疑者が怖いとは感じたことが無いのですが……裁判官は、やはり違うのですか』
『むしろ検察官の方が感じないと聞いて驚いてます。実際に対面してる時間は検察の方が長いのに……』
『私達は被疑者ではなく、書類を見つめてる時間の方が多いですから』
『そうですか』
『はい。……ではここで訊きたいのですが、刑事訴訟法の改正で遺族の意見陳述が認められましたが、やはりそれは判決に大きな意味がありましたか?』
『はい。実際にそれ以降、死刑判決は増えていますから。遺族の心情を考慮することは無かったわけではありませんでしたが、遺族の生の声というものは、やはり私達裁判官の心を否応無く引っ張り込んできます。一番辛いのが、その意見陳述を聞いた上でも、証拠不十分と判断せざるを得ない時です。私達も人ですから、情に流されそうになったりします。ですがそれ以上に、私達は冤罪というものが怖いのです。―――人を言葉で殺すことが出来る、唯一の職業ですから』
メディアプレイヤーのウィンドウが消える。高倉教授がスライドを再び全画面に戻した。
「これはある元裁判官を取材したときの会話だ。彼は十二年程裁判官を勤めたが、ストレス性の失調症を患って現役を退いた。人の人生を左右する仕事なだけに、ストレスは半端じゃない。定年まで勤め上げる裁判官は稀だ」
私達は言葉を失った。加工されていたとはいえ、生の声―――人を裁いたことのある人間の声を聴いたのだ。私でさえ鳥肌が立ったのだ。法の道を志す彼らは、総身が震え上がる様な不安感を憶えたに違いない。
それからも講義は続いたが、私は先程のインパクトの強さに引き摺られて、あまり内容が頭に入ってこなかった。
―――人を裁くとはどういう意味を持つのか。
―――人を平然と裁くなんてことが出来るのは、最早人間ではなくなってしまうということか。
「あと三十分か……。まぁいいや。二限まで休憩」
他の学生達も似たような状態だったのだろうか。高倉教授はそう言って、講堂を出ていった。
このまま二限を書けるかどうか心配でたまらない。資料と睨めっこしながら書くのは本当にきついです。仕事してるみたいであれでした。
ただ二限のテーマはもう考えてあるので大丈夫ですよ。ちなみにこのセミナーは一限と二限繋がってます。三時間も座りっぱなしとか地獄ですよね!




