講義前
お待たせしました。
「さて。行きますよ」
「何処に?」
―――運命の水曜日。
私は律渦を叩き起こすと、開口一番そう宣言した。律渦はまだ眠気まなこを擦っている状態だが、頭はそれなりに働いているらしい。的確なツッコミが返ってきた。
しかし漫才をやる気はない私は、律渦の質問に端的に答える。
「大学よ。私も一緒に行くから、今日こそ登校してちょうだい」
「ぅ、大学……。って、神楽も来るのっ?って高校は?」
「一日ぐらい休んだってどうってことないわ。私は推薦使わないし」
自分でも強引かなと思いつつも、律渦のためだとその懸念を正当化する。朱音さん達も既に居間で待っている。ここで引くわけにはいかない。
「姉さんは知らないかもしれないけど、大学側から催促されてるのよ」
「そ……そうなの?」
流石に危機感が芽生えたのか、弱気になる律渦。私はそんな姉の肩に手を置いて、諭すように呟いた。
「それに―――私もいるなら、大丈夫でしょう?」
この言い方は卑怯だとは、自分でも思う。しかし彼女を動かすには、“私”を使うしかない。
「…………うん」
律渦はちょっと恥ずかしそうに頷いた。
「多いですね、人」
駐車場に停められた車内から、多くの人でごった返す正門を眺めながら、私はぽつりと呟いた。今は一限の講義開始、その三十分前である。
老若男女の割合は、男性四割女性六割。十~二十代が八割で、それ以上が二割。中には五十代程に見える男性もいた。中々のチャレンジャーである。
それにしても、まだ時間に余裕があるのにしては人が多い。てっきり講義の十分前ぐらいから混み始めると思っていただけに、やはり大学生と高校生では違うのだなと思い知らされた。
「これでも、大学の中では小さなものよ」
運転席に座った朱音さんはそう返しつつ、ミラー越しに後部座席に乗った私の隣を覗き込んだ。
「…………」
律渦が薄く目を細めて、私が見ていたものと同じ光景を眺めている。言葉を発しないまでもその表情から、懐かしさと、不安にも似た恐怖が見て取れた。
「まるで駅のホームですね……」
「ふふっ、言い得て妙ね」
朱音さんと顔を合わせぬ掛け合いを展開しつつ、人が少なくなるのを待つ。駐車場は門の外にあるので、今学内に入るには、あの人の川に紛れなければいけない。そんなことをしたら律渦がどうなるのか判らない……ということで、こうして正門前で待機しているということだ。実際、私もあまり人が多いところは好きではないから、正直有難かった。
「今何時ですか?」
「ん、ニ十分前」
話している間に十分経った。人は未だいるが、混んでいるという感じではない。
「そろそろ行く?」
「そうね。麻里、忘れ物は?」
「無いって。朱音ったらぁ、お母さんじゃないんだから」
二人の会話を聞いて、自分も動くべく隣の姉に顔を向ける。
「姉さん。行きますよ」
「………………」
「……姉さん?」
声をかけるも、律渦は窓の外を見つめたままじっとしている。どうしたのだろうか。律渦の顔を覗き込む。
「え…………」
いつの間にか、彼女の目が景色を見ているのとは違う、焦点の絞られたものへと変わっていることに気付いた。ここから見えるものは正門と、疎らになってきた人波だけ。一体何を見ているのかと気になって、彼女の視線に被らせるように顔を寄せた。
「あっ、ごめん。もう行くんだったね」
しかし私が視線を辿るよりも早く、律渦は振り向いた。話は聞こえていたのか、律渦は振り返るや否や、私とは反対側のドアからさっさと出てしまった。
「神楽ぁーっ、早くしないと!」
「あ、はいっ、今すぐ!」
さっきとは打って変わって、逆にこちらを催促する姉を見上げながら、私は荷物片手にドアを開けた。
結局何を見ていたのか判らなかったが、それは後で訊けばいいだろう。それに大したことじゃないだろうし。
筆記用具とお財布。それと律渦との外出ではいつも持ち歩いているお守り……のようなものの入ったバッグが、シートベルトに引っ掛かってカツコツと音を立てた。
講堂には目立たないように、後ろ側の扉から入った。出席確認システムにカードをかざす姉達に物珍しげな目線を遣ってから、およそ一階分は下方にある演壇に目線を向けた。
教授は既に来て準備をしており、パワーポイントのファイル確認や配る資料を用意したりと忙しそうだ。
八割程度が若者で埋まった座席の方は、大学ノートやルーズリーフを用意したり、携帯端末でソーシャルゲームに興じたりと、皆思い思いに過ごしている。一年生だからか、まだその表情に講義への必死さは見えない。レポートは割とハードみたいだが、普段からピリピリするほどの学生生活ではないようだ。ただ、学年が上がることに余裕は無くなるらしいが。
「神楽ちゃん、行くわよ」
―――と、ぼぅっと脳に蟠っていた知識を掘り返している間に取り残されようとしていた私に、朱音さんが慌てて声をかけた。口調はいつも通りだったが、表情にはやや心配した色が見て取れる。
「あ、すいません」
頷いて小走りに三人の後につくと、右側後方三列目に、丁度四人分の席が空いていたのでそこに滑り込む。
隣に座った律渦の腕時計を盗み見ると、講義開始まであと十分弱だった。
短かったですか?そうでしょうね。講義内容について中々まとまらなくて苦労しています。次はいつになるやら……。




