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律渦は災禍  作者: sniper
第一部
23/27

憂鬱の居場所

お待たせしました。

―――車が発進してしばらく経った頃。

「ねぇ神楽ちゃん」

窓の外を残像を残して流れていく景色に意識を溶かしていると、前方から不意に声がかかった。視線を窓から運転席に移すと、バックミラー越しに朱音さんがこちらを見つめていた。

「何ですか?」

問いつつ、合わせた視線をスッと外す。いつまでも見つめ合っていては、朱音さんの方が前方不注意になってしまう。

「律渦のことなんだけどね。なるべく気にかけてあげてほしいの」

「私としては、今までも気にかけていたつもりですけれど……」

言われるまでも無く、自分の姉のことは十二分に気を配っている。“妹”としては当然だ。

「ごめんなさい。そういう意味じゃなくてね。何ていうか……水曜日には、なるべく機嫌の良い状態で大学へ来て欲しいのよ」

「えっと、つまり―――」

私はつい言葉を切った。

言いたいことは解った。そして私がすべきことも。けれども、それを言葉にすると何処か後ろめたい。

だがそれを朱音さんは察したのだろう。私の台詞を引き継いで、続きを口にした。

「律渦のご機嫌取りをしてほしいのよ」

「そうですか……」

私は窓の外を再び眺め始めながら返した。朱音さんも、バックミラーからは完全に視線を外して続ける。

「いくら貴女が同行するにしても、機嫌が悪い状態では、家から出てくれるのか判らないでしょう?そのために、ある程度気分の良い状態で当日を迎えたいのよ」

景色の流れが遅くなり、やがて止まる。前方を横目で確認すると、信号は赤い光だけを灯している。

「お願いできるかしら?」

朱音さんが首を後ろに捻り、こちらを見る。先程からあまり調子の好い返事をしていなかったせいだろう。少し心配そうだ。私の今の調子は、朱音さんたちの言動や態度が原因ではないので、そんな思いをさせてしまったことに負い目を感じてしまう。なので、なるべく明るく見えるよう意識して返事をした。

「はい。私でよければ」

「……そう。頼んだわ」

笑みは取り繕ったものだったが、こちらを見る目に心配の色は薄れた。

「朱音さん。そろそろ青ですよ」

後ろを向いたままだった朱音さんに声をかける。

「あっ、そうね」

振り向いて信号を確認したと同時、灯は赤から青へと変わる。

背中に、やや荒っぽい加速の重みがかかる。少し吹かし気味に踏み込まれたアクセルペダルを頭に思い浮かべながら、私は再び窓の外に目を向けた。景色が一瞬だけぐちゃぐちゃになって、すぐに元のノイズのような流れになる。そんな様子がどうも気になって、私はつい、眺めることに没頭してしまっていた。



「ただいまぁ」

帰宅した私を出迎えたのは、妙にシンとした静寂だった。“妹”の方で帰ってきたのに、律渦はおろか母さんさえ挨拶を返してはくれない。誰もいないのだろうか。

居間に行って誰かいないか確認したかったが、荷物があったのでそれを自室に置きに行く。

自室なので、勿論ノックなんてしない。だから立ち止まりもせずに流れで開けようとしたのだが……。

「ん……?」

扉の奥で、誰かの息遣いを感じた気がして、ノブを掴んだままの姿勢で一瞬、身体が硬直した。しかし流れ動作はそう易々と急制動をかけれるものではない。私はノブを捻り、自室へと踏み入れた。

そしてすぐに、先程の気配の正体に気付いた。

「すぅ…………すぅ…………」

「…………あらあら」

息遣いの主は、部屋の中で最も場所をとる家具―――ベッドの上にいた。

「こんなところで姉さんが寝てるなんて…………珍しいわねぇ」

主い居ぬ間に部屋のベッドを占領していたのは、私の愛する姉・律渦。

穏やかな寝息を立て、心から安心した様子で眠るその姿は、まるで腹を痛めて産んだ我が子を見るような……そんな母になったような気持ちにさせられる。子を産んだことも、ましてや(こんな姿でも)男性である私では、母親の気持ちなど解りようが無いのだが……何故かそういう表現が適するような気持ちだった。

荷物を机の傍の床に置いて、ベッドに足音を殺して歩み寄る(半ば摺り足のようになっていたが)。

ベッド脇に腰を下ろすと、その愛らしい寝顔がよく見えた。長めの睫毛が僅かに揺れる。だが目を醒ました様子は無い。

「本当、どちらが姉なんだか……」

その幼気な姿に、思わずそう呟く。

それと共に、自然に右手が伸びていき、律渦のさらりと黒く輝く髪の毛に指が触れた。

「ん、ぅ…………」

くすぐった気な声が漏れる。私は衝動に任せるがままに、姉の御髪を梳いた。

指がさらさらと艶やかな髪を滑り、手のひらに律渦の頭の温かさを感じる。

「ふぅ……んっ……」

「ふふっ」

気持ちよさ気に息を漏らす律渦。思わず笑みが零れる。

その笑みと共に、私は自分の奥の方に溜まっていた言葉が、少しだけ溢れ出すのを、止められなかった。

リップクリームで未だ潤う唇が開く。

「姉さん……。私は姉さんを愛してる。だからやっぱり、姉さんには夢を諦めてほしくはない。…………何より姉さんは、将来を打算でしか見られなくなった私とは、違うのだから……」

その言葉は律渦の鼓膜を揺らしただろう。しかし脳に届くことは無い。私の小さな呟きは、誰の目に触れることも無く、やや湿度の低い空気の中に溶け込んだ。

だがそれでよかった。むしろ誰にも聞こえてない方がよかった。

―――私の漏らしたものは、弱音だったのだから。

能面のように穏やかな笑顔を貼り付けたまま、私はひたすら姉の頭を撫でていた。

待たせておいて短いじゃねえかと怒られそうですが、これをもっと長く続けた話にしようと思ったら多分六千文字ぐらいになってしまうので、ここらで一旦上げさせていただきました。

次話からは少し息抜きも兼ね、ほんわかした話になる予定です。いつもほんわかしてると言われたら何も言えないですが、とりあえずそんな気持ちで書きます。

まだ一文字も書いてませんがね……。

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