2 皇女の決意
皇都の様子は、聖王国に慣れていた私にとって、想像していたよりも建物が少なく、寂しいものでした。
道路の敷石もまばらで、荒れた山道のように馬車が揺れます。
正直、暗い気分が胸に押し寄せました。都ですらこのありさまでは、地方はどれだけひどいことになっているのでしょうか。
「姫様」
桂が私を力づけるように手を握ってくれました。
街の人々はとても痩せて疲れている様子でしたが、先ぶれのおかげか、道の両脇に集まってこちらを見ています。
「姫、お手を振ってあげてはいかがですか」
リカード将軍が窓の外を指して言います。
私は窓辺に寄り、集まった人々に手を振りました。
人々の間から歓声が上がります。
「長い間、国を離れていた私にも、手を振り返してくれるのですね……」
笑いながら私を歓迎してくれる人々の姿は、自分だけが安全な聖王国にいたといううしろめたさを消し去ってくれました。
戻ってきて本当によかったと思えました。
ですが中には、私の奥にいる将軍に怪訝そうな目を向ける者もいました。
あれが婚約者か、という目つきです。
将軍は、逆側の窓から民衆に手を振っています。表情は見えません。
民が将軍を受け入れるには時間がかかるだろうということはわかっていました。
私は本来、神殿で神に仕えて一生を終えるはずでした。
皇帝と皇太子が政治を担う一方で、皇族の高位女性が巫女として主神に仕えるのがこの国の伝統です。私は生まれたときに、その巫女となることが定められていました。
神と国をつなぐ巫女となる者であるからこそ、他の皇族が皆国を守っているにも関わらず、特別に戦火を避けて聖王国に預けられていたのです。
ですが、戦争が終わった今、父も兄もいなくなりました。
私が皇位を継ぎ、婚姻して皇室を保たねばならないのです。巫女は空位となりますが、歴史上、そういった期間がなかったわけではありません。
ですが、生涯独身を貫く巫女であるはずの私が婚約者を連れて帰って来たことに、戸惑う民も多いのでしょう。
でも、きっと大丈夫。
将軍は人魔大戦を勝利に導き、人類を救った英雄なのです。これ以上の男性はおられません。
皇室の伝統には反しますが、民も近いうちに将軍の素晴らしさを知り、理解してくれるでしょう。
やがて、馬車は王城へ入りました。
「城はまだ修繕中のようですね」
城壁を眺めた桂がつぶやきます。
「仕方ありませんわ。相当に激しい戦いだったと聞いていますから。修繕も、城より城下が優先です」
ふと気づくと、将軍が珍しく厳しいお顔をなさっていました。
「不十分な城では、将軍にご不便をおかけしてしまうかもしれませんね。申し訳ございません」
「不便などと、とんでもない。決死の戦の跡を拝見して、感慨にひたっておりました。
父君や兄君はこれほどの犠牲を払って、この国と人界を守られたのですなあ……」
その言葉を聞いて、胸に迫るものがありました。
私は目に涙が浮かぶのを何とかこらえ、将軍に向かって頭を下げました。
「ありがとうございます。大戦の英雄、リカード将軍にそのようなお言葉を頂けて、父も兄も喜んでいるでしょう」
「私など、運良く生き残っただけのこと。真の英雄とは、文字通り命を賭したお父君のような方々ですよ」
「いいえ、将軍が英雄であられることは疑いようがありませんわ」
少し遠い目をなさる将軍は、きっと戦場でのことを思い出しておられるのでしょう。
聖王国も無傷ではありませんでしたし、将軍の部下やお仲間も大勢が戦死されたと聞いています。
「これからは、平和になります」
将軍は力強くおっしゃいました。
城の中は、それなりに整っているようでした。
修繕中の壁は落ち着いた色の布で隠され、接見の間には美しい花が飾られています。金色の小さな花が連なって咲き、花器からこぼれ落ちるように垂れています。
幼いころに見た覚えがあります。天和国でしか咲かないと聞いている珍しい花でした。
「金藤の花がこんなに。私たち、本当に帰って来たのですね」
桂が涙ぐんでいます。彼女は私付きの侍女になったために、同じときに国を出て、12年をトラス聖王国で過ごしたのです。
「姫様、将軍、どうぞソファにお掛けください。侍女様もどうぞこちらに」
城の者が飲み物と軽食を持ってきてくれました。まだ若い女の子です。
桂も私の傍付きですから、低い身分ではありません。一段下がってではありますが、彼女にも席が用意され、歓待されました。
「ただ今、大臣たちがまいります。その間にお部屋を整えますので、お疲れでしょうが、もうしばらくご辛抱ください」
「大丈夫よ。ありがとう」
少女が下がり、私たちはこの部屋で少しの休憩となりました。
やがて大臣と数人の神官が来て、私と将軍に歓迎の言葉を伝えてくれました。
「まさか姫様と一緒に、本当にリカード将軍がわが国にいらしてくださるとは。これで天和国も安泰です」
「いやいや、外から来たばかりで、この国の事情はさっぱりです。当分の間は邪魔にならぬよう、小さくなっておりますよ」
「何をおっしゃる。ちょうど国軍の再編を行っている最中です。ぜひご意見を伺いたく……」
男性同士のお話に私が口を挟めるところはありません。
将軍と忠報のやりとりを黙って聞いていると、高齢の神官が私の前にひざを折り、何とも言えない表情を浮かべました。
その顔に覚えがあります。子供の頃の私に祈りの作法を教えてくれた高位神官の一人でした。
「ようこそお帰りくださいました」
絞りだすようなその声を聞いて、私も胸が熱くなりました。
「皇族不在の間、よくこの国と神殿を守ってくださいました。本当にありがとう」
手を取って立たせると、老神官は私を見て懐かしそうに目を細めました。
「お小さい頃のことを覚えておいででしょうか? 姫様はよくお眠りになるお方で、祈祷の時間には、かわいい頭を斜めにされてこっくりこっくりと……」
「こ、子供の頃のことですから」
「そうかと思えば、ご神木を朱墨で花柄に染め上げるなど、やんちゃなところもおありでしたな。あれは色が抜けるまで、本当に大変でした」
「い、一年中花が咲いていた方がいいかと思ったのです」
「神馬の顔面におしろいを塗って、しっぽをリボン結びにしようとされたことも」
「おしゃれをさせてあげたかったのですわ!」
「いつの間にかご神体の前でお昼寝をなさって、そこでおねsh……」
「キャーーーーッ!!」
「そこまでにしてあげてくださいませ」
桂が止めてくれました。
「どうされました」
「昔話に花が咲いただけでございます。どうぞお気になさらず」
将軍が一瞬こちらに目を向けましたが、桂の冷静な返答で安心したようです。再び大臣とのお話に戻られました。
「そんな記憶はありませんわ。そんな記憶はありませんわ。そんな記憶……」
「何もかもみな懐かしい……」
私が必死で過去を否定している目の前で、神官は何かに浸っておいででした。
「桂、桂」
「はい、姫様」
「今のお話、将軍には」
「大丈夫、あちらも話が盛り上がっておりましたから、話の内容までは聞こえていなかったはずです」
「本当?」
「本当です」
ちらりと将軍の方を見ると、大臣と何やら難しそうな話を続けていらっしゃいます。
良かった。
もし聞かれていたら、恥ずかしすぎて死んでしまうところでした。
「姫様、軽々しく死んではなりません」
「わかっています」
「少し落ち着きましょう。深呼吸なさいますか?」
などと言っている間に、老神官も現世に戻ってきたようです。しゃっきりとした真面目なお顔で私を見ました。
「お時間に余裕ができたら、一度神殿へお越しいただけますかな。できれば、ご婚儀の前に」
「ええ、もちろんです」
私は強くうなずきました。
婚姻後の女性は、神殿の奥へは入れません。本尊である神の依り代を目にすることもかなわなくなります。
そうなる前に、主神に祈りを捧げよということでしょう。私も神々へごあいさつをしなければと思っていたところでした。
結婚するまでは、私がこの国の巫女なのですから。
長旅でお疲れでしょうからと、ほどなくして大臣たちは下がることになりました。
「そろそろお部屋の準備もできている頃合いですな。
将軍のお部屋は聖王国風にするよう言いつけております。ごゆっくり羽を伸ばされるとよいでしょう」
「ご配慮、ありがたく」
去り際に大臣は桂とも少し話をし、国に残っていた家族の様子を伝えていました。
すぐには無理かもしれないけれど、桂にも休みをやらなければ。一日も早く家族に会いたいはずです。
先ほどの少女が戻ってきて、私と将軍をそれぞれの部屋へ案内してくれました。
こちらは接客の間とは違い、伝統的な内装でしつらえられた部屋です。それを喜んだのは、私よりも桂のほうでした。
「姫様、高畳ですよ! ああ、懐かしい。几帳の文様の美しいこと!」
「桂ったら」
「戦争で古いものは壊されて、最近は何もかも聖王国風になったと聞いておりましたが、こういうものはちゃんと残っているのですねぇ」
こんなにはしゃぐ桂は珍しいのですが、その気持ちもわかります。
私もお母様のお部屋を思い出しました。王宮よりも神殿にいた期間の方が長い私ですから、おぼろげな記憶なのですが。
「いけない、忘れるところでした」
少女のようにはしゃいでいた桂が、はっと我に返ったようです。
「姫様、先ほど忠報様が、お庭の蓮池が美しいとおっしゃっていました。まだ日も高うございますから、少しご覧になってきてはいかがでしょうか」
「大臣が?」
「はい」
「……では、行ってみましょう。桂、場所はわかりますか?」
「ご案内いたします」
部屋の外には衛士が二人ついています。一人を残して、一人についてきてもらいました。桂の指示で、庭に出てからは少し離れて歩いてもらいます。
城の庭は、木や花がまばらにあるだけで、少し寂しい感じがしました。まだ整庭にまで手が回っていないようです。
幹の一部が黒く変色している木がありました。焦げた跡でしょうか。
「おお、姫様。お散歩ですかな」
その木の陰から、大臣が姿を現しました。
私が見ていた幹を撫で、重い声で続けます。
「城の中にも魔族が侵入いたしました。兄君はこの庭で魔族と戦われたのです」
「ここで……」
「姫」
大臣は顔を寄せ、低い声で、私にそっと耳打ちしました。
「間違いございませんでした」
私は息をのみ、大臣の顔を見つめました。
大臣は真剣なまなざしを私に向けています。
「ご決断を」
「では、皆さまの進言どおりに」
小声でそれだけを返すと大臣はうなずき、去り際に「蓮池はこの先ですが、暗くなる前にお部屋に戻った方がよろしいでしょう」と言って離れていきました。
ああ、と私は息をつきました。
安堵感は確かにありました。同時に、とてつもなく重く、つらい気持ちが胸の中で渦を巻いています。
けれど、仕方がありません。これは私の義務なのです。
夕方には、軽い宴席が設けられました。
天和国式の本格的な宴は明日から始まります。今日は将軍のために聖王国式での宴席となり、主だった臣下を交えて、同じテーブルで食事をします。
料理も聖王国風のものでしたが、完全に同じ味ではありません。あちらの味に慣れた私には、少し変わった風味に感じられました。
でも、どれも美味しい料理でした。隣の席にいる将軍も、お酒と料理を楽しまれているようです。
将軍はこの場にいる者の顔と名前を全て覚えてしまったようでした。前もって重臣の名前を調べていたのかもしれません。そつのないお方です。
目が合うと、将軍は少し気づかわしげな様子で、私の顔を覗き込んでこられました。
「姫、お疲れですかな? 食が進んでおられないようですが」
「いいえ、十分頂いています。
……でも、そうですね。少し疲れが出てしまったかもしれません」
「二月半の長旅でしたからな。今日は早めに休まれてはいかがですか。私が残っていれば、中座しても失礼にはならんでしょう」
将軍は本当にお優しい方です。
気分がすぐれないのは本当でした。将軍のお言葉に甘えて、私は一足先に自室へ戻りました。
衛士が二人、部屋の前までついてきて、部屋付きの衛士と交代しました。そのまま部屋の外で私の警護に当たってくれます。
部屋には桂が待っていました。
「お早いお戻りでしたね、姫様」
「食が進まなかったのを、将軍がお気遣いくださったの」
「さようですか。……良い方ですね」
私は返事ができませんでした。
ドレスから天和風の衣に着替え、脇息にもたれて、私はゆっくり息をつきました。
桂が女官に飲み物を言いつけ、隣の円座に座ります。
そして私の手を握りました。
「姫様。お心は変わりませんね?」
「大臣から、何か知らせがあったのですか」
私がいない間に大臣の手の者から接触があり、計画の内容を知らされたと桂は告げました。
「今夜から始めるそうです。しばらく日数がかかります」
「……方法は?」
「飲み物に」
飲み物に、毒を入れる。
味も匂いもない毒を、数日かけてゆっくりと飲ませる計画でした。
将軍は聡い方ですが、わが国の秘薬とも言える特別製の毒薬です。気づかれることはないでしょう。
毒は数日で効果が表れ、半月後には眠るように身罷られると、大臣の手の者が桂に伝えてきたそうです。
「お苦しみはないのですね?」
「ございません。大丈夫ですよ、姫様」
「私、せめてできる限り、あの方のお側についていて差し上げたい」
「ええ、ええ。そのように取り計らいます。私もついておりますよ、姫様」
桂は私を力づけるように、手を強く握ります。
涙が落ちそうになりますが、私が泣いている暇はないのです。
それに、今の私に泣く資格などありません。人の道に外れたことを、これから行うのですから。
女官が眠る前に良いというお茶を持ってきてくれました。
その女官は私が長旅で体調を崩したのだと思ったようです。
体への気遣いと、皇女の帰国を自分たちがどれだけ喜んでいるかを熱心に伝え、「おしゃべりが過ぎました」と恥ずかしそうに言って部屋を下がりました。
「ねえ、桂。私、この国に戻ってきてよかったわ」
「そうですとも」
彼女たちのためにも、私にできる限りのことをしなければ。
いいえ、例えできないと思うことでも、やらなければなりません。
リカード将軍を、亡き者にする。
そしてこのことは、聖王国に絶対に知られてはなりません。知られたら最後、わが国への援助もこれまでの友誼も消え、逆にわが国の敵となるでしょう。
ですからこれは、秘密裏に行われることです。計画を知る者はごく少数。
将軍にも、聖王国から将軍に同行した従者たちにも、最後まで絶対に気取られてはなりません。
将軍は好ましいお方です。この方に支えられ、私もできる限りお支えしてこの国を良い方向へ向かわせようと、本心からそう思っておりました。
あの庭で大臣と話すまでは。
暗殺、とは、何と恐ろしい行為でしょう。
これは生涯かけて――いいえ、地獄へ行っても私が負う罪となります。
それでも、絶対にやり遂げなければ。
父と兄たちの血が流れたこの城で、私が揺らぐわけにはいかないのです。
読んでいただきありがとうございます。
この作品はコメディです。
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