3 毒殺 ~婚約者様が頑丈すぎる~
翌朝、身支度を終えた私は、中庭から聞こえる剣劇の音に気付いて、外を見ました。
リカード将軍。魔王を倒した英雄の一人であり、大恩ある聖王国の王族であり、私の婚約者であるかの方を、暗殺する。
これが故国へ戻った私が第一になさねばならないことであり、既に昨夜から計画が実行されています。
無味無臭で無色の毒が昨夜から飲み物に混ぜられ、将軍のお体を少しずつ蝕んでいるはずです。
その一方で、今日からは、私の帰国と将軍との婚約を内外に知らせる行事が数日かけて続くことになっています。
正直なところ、暗殺の実行を決めてからというもの、どんな顔で将軍にお会いすればいいのだろうと思っていましたが、昼前から行事の予定がぎっしり詰まっています。顔を合わせるどころか、ほぼ一日じゅう一緒にいることになります。
まずは、民への顔見せです。
城の前に集まった民たちへ露台から姿を見せている間、将軍はぴったり寄り添ってくださいます。私のほうは、思いっきりぎくしゃくとしておりました。
罪の意識が、絶えず私を苛んでいるのです。
「姫。まだ疲れが抜けていないようですが、大丈夫ですかな」
「だ、大丈夫ですわ。おほほほ……」
「これはいかん。桂殿、早めに姫に休息を取らせてもらえぬか」
将軍は少し慌てた様子で私の背中を支え、後ろに控える桂にそうおっしゃいます。ご心配をかけてしまいました。
もしかして、立場が逆ではないでしょうか?
「将軍は、今日もお元気そうですのね」
「それだけが取り柄ですからな。何があっても姫をお守りできますぞ」
将軍は闊達に笑い、天和国風の衣の袖をまくり上げて力こぶを作りました。
台の下に集まった民から控えめな歓声が上がります。喜び半分、困惑半分といった声でしたが。
「おっと。調子に乗ってしまいました」
そして将軍は民を見下ろしました。
「桃月姫とこの国は、私が命を懸けてお守りする! 共に豊かな国を取り戻そう!」
将軍の声はよく響き、群衆の隅まで届いたようです。先ほどの何倍も大きな歓声が上がりました。
将軍が魔王を倒した英雄であることは、民も知っていたのでしょう。群衆の中から、英雄将軍、という声が上がりました。
初めはさして大きくもなかったその声が、次第に大きくなっていきます。
「英雄将軍! 皇女様! 英雄将軍!」
「どうやら、歓迎してもらえたようです」
将軍が私に笑顔を向け、それから歓声に応えるように、民衆に手を振りました。
私もそれに倣い、二人で手を振りながら、喜びに満ちた民の声を受けました。
少し、複雑な思いがいたします。
将軍の進言で予定よりも早めに顔見せを切り上げ、私は休息を取りました。
その後、重臣たちを交えて軽食を取り、国の現状を聞きました。あくまでも食事中の歓談ではありましたが、皇都を中心に少しずつ復興が始まっているそうです。
各所に施療院が設置され、傷病者はそこで看護を受けていることや、家をなくした者や、家族を亡くした子供を救済する手段の検討などが話題にのぼっていました。
将軍は天和国の地理を学んで来られたようです。どの地域でどんな施策がなされるのかと、細かく聞いておられました。
「やらねばならぬことは山ほどあります。優先度は官吏が判定しておりますが、その官吏も資金も足りません」
「できることからやっていくしかないでしょうな。資金のほうは、多少であれば聖王国から追加の援助が可能です」
「それはありがたい」
「辺境付近では魔物の出没もまだ多いのです。今は皇都に軍を集めているため、地方からは不満も多く……」
「しかし、兵士自体が少なく、若者の数も……」
「街道の修繕に工兵はどの程度割けるのか」
「それより今年の作付けが」
「聖王国から技術者の派遣は……」
私には難しい話が多く、黙って聞いているほかありませんでしたが、将軍と聖王国がわが国の復興に最大限のお力添えをしてくださっていることは充分理解できました。
軽食の後は神官から婚約の祝福を受け、夕刻からは、私と将軍の帰国を祝っての夜宴が始まります。
直系皇族の婚約の儀は数日かけて行われますが、今回は世情を考えて簡略化され、婚約の祝いも同時にこの宴で行われることになりました。
お酒もふるまわれる席ですので、難しい政治の話はありません。
神官が厳かに祝詞を述べ、雅やかな音楽と歌が奏でられます。大臣の少々長い口上と祝いの言葉が終われば、あとは飲食を楽しむ時間です。
将軍はわが国独特の宴席のしつらえを面白がり、料理の膳にまで感心なさっておられました。
「聖王国では大皿の料理を皆が好きに取り分けますが、こちらは各々の分が美しく盛られている。落ち着いて味を楽しめますな」
「将軍には、わが国の作法は窮屈ではございませんか?」
「とんでもない。長い歴史による洗練というものを味わっておりますよ」
やがてお酒が進み、作法を少々崩して飲み交わす者が増えていきます。
新しいお酒が将軍の酒杯に注がれます。将軍も上機嫌で飲んでいました。
「桂、今日のお酒も、もしかして」
夜が更けて部屋に戻った私は、気になっていたことを桂に聞いてみました。
「ええ。先ほど太政官の若者が将軍にお酒を注いでおりましたね。あれに入っていたのでしょう」
「まだ宴席は続いているのですよね」
「明け方まで飲む者もいると聞きますから、将軍もまだいらっしゃるでしょう。……姫様、湯殿の用意ができております。体を温めてお休みください」
湯殿は広く、清潔でした。お湯は暖かく快適でしたが、私の胸の奥には、ひんやりとしたものがありました。
翌朝は少し頭が重く、なかなか起きることができませんでした。ですが、中庭から響いてくる音が気になり、体を起こしました。
打ち付けたり擦ったりするような金属音が不規則に聞こえています。
「姫様、お目覚めですか」
寝所に来た桂に聞いてみました。
「あの音は?」
桂は複雑そうな顔をしました。
「リカード将軍が、剣の稽古をなさっておいでです」
「将軍が?」
「はい。従者の方も手練れのようで、なかなかお見事な打ち合いだと衛士たちが喜んでおりました」
「ずいぶん長く打ち合っておられるようですが」
「もう一刻ほど続いております」
「そんなに?」
私も気になって、袿を羽織って庭のほうへ向かいました。
部屋付きの衛士が護衛のために付いて来ます。勇猛と名高いリカード将軍の剣技を直接目にできることが嬉しいようです。1名が部屋の前に残りましたが、その者は非常に残念そうでした。
中庭には女官や衛士が集まり、ちょっとした人だかりができていました。
重い鋼が打ち付けられる音がその向こうから響いてきます。遠巻きできている人垣の中央で、将軍ともうお一人が剣を交えていました。
「お相手は竜潜将軍ですね。わが国の総大将を務めておられる名将です」
衛士が教えてくれました。
従者との稽古はもう終わったらしく、今はわが国の総大将との手合わせとなっているようです。
鋭い気合とともに数合打ち合います。合わせた剣をリカード将軍がすべらせていなし、その剣で竜潜将軍が真横から切りつけます。リカード将軍は紙一重でそれを避けます。
竜潜将軍は昨夜の宴にもご参加されておられました。お年を召した方ですが、壮年のリカード将軍と互角に切り結んでおられます。
「竜潜将軍も手練れですが、リカード殿はさすがです。格が違いますね」
「そうなのですか?」
「激しい打ち合いに見えますが、年配の将軍に失礼のないようにリカード殿はうまく手加減しておられます。剣も体さばきも相当余裕がありますね」
私には全く分かりませんでしたが、武士である衛士がそう言うのであれば、そのとおりなのでしょう。
そういえば、リカード将軍が剣を取っているところを間近で見たのは初めてです。
剣の良し悪しはよくわかりませんが、雄々しく剣をふるうリカード将軍の姿は不思議に目が離せません。
やがて竜潜将軍は息を切らして剣を下げました。かなり汗をかいたご様子ですが、お顔は満足そうです。
「ああ、終わってしまいました。もう少し見ていたかったのですが」
残念そうに衛士が言います。
私も武器の音が止んで緊張がゆるみ、ホッとするのと同時に、少し残念な気分にもなりました。将軍が勇猛であることは何度も聞いていましたが、剣をふるう姿をこの目で見たのは初めてでした。
手にしていた剣を従者に預けた将軍がこちらを見ました。私に気づいて、こちらに歩いてこられます。
「桃月姫。来ておられましたか」
「おはようございます、将軍。皆が騒いでおりましたので、私も拝見に来てしまいました」
「騒がせてしまいましたかな。申し訳ない。昨夜、竜潜将軍が手合わせをしたいと申されておったので、早速打ち合ってみたところです」
「私の衛士が感心しておりましたわ。竜潜様も手練れの将ですのに、格が違うと」
「いやいや、竜潜殿も相当の強者です。良い経験になりました」
「リカード将軍は、その……お元気ですのね?」
「うん? もちろん、体調に問題はございませんぞ」
確かに、将軍のご体調には何の問題もないように見えます。
「そういえば、昨夜は結構飲んでおりましたからな。心配してくださったのですか? 姫様は、お優しい方ですな」
将軍は目を細め、ゆったりとした笑顔を向けてこられます。父との思い出がほとんどない私ですが、お父様とはこういったお顔で娘に接するのでしょうか。
一言で言って素敵……なのですが、きゅんとしている場合ではありません。私は将軍を亡き者にするのです。しっかり自覚をしなければ。
「将軍がご壮健で、私、安心いたしました」
部屋に戻ってから改めて桂に聞いたところでは、将軍に飲ませている毒薬の効果は数日で出るはず、ということでした。
「2日ぐらいでは、まだご体調には出ないのかしら」
「おそらくですが、そう思います」
「お酒に混ぜたり、朝からあんなに激しく体を動かしたりしていたら、悪い効果が早く出そうな気がするのだけれど」
「おそらくですが、私もそう思います」
「もうしばらくはお元気なのね?」
「はい。おそらく、ですが……」
それから数日たちました。
将軍は相変わらず、とても健康そうでした。
「そろそろお体に何かしらの兆候が出てもいい頃なのですが……」
今朝も元気に中庭で剣を振り回す将軍を遠目に見ながら、桂が首をひねっています。
将軍は毎朝のように素振りをされたり、ご自分の従者や飛び入りの衛士と切り結んだりされています。
昼間は典礼行事の合間に重臣たちと政治や軍事の話をし、夜の宴席では出された料理をきれいにたいらげ、上機嫌でお酒を飲まれます。
宴の期間が終わったら、将軍は本格的に国のまつりごとに加わる予定です。竜潜将軍とともに軍事教練にも携わり、さらに空いた時間には衛士たちの詰め所で稽古をつけるという約束もしているそうです。
そして連日の宴では周囲に付き合って深夜まで笑い騒ぎ、浴びるようにお酒を飲まれます。そのお酒には当然、毒薬が入っているのですが……。
毒薬を使い始めて半月後、私の部屋を訪れた忠報大臣が、首をひねっておりました。
「量を増やしているのですが、変わりないようですな……」
「半月でお命を落とされると伺いましたが、効きが遅いのでしょうか? しかし、何の兆候も出ないどころか、むしろご壮健さに磨きがかかっているような気がします」
「そんなはずはないのですが」
「将軍が察して、毒消しか何かを飲まれているとか?」
「あり得ますな。しかし、この毒薬はわが国の秘術で作られる特別製のものでして、毒性を抜く薬などこの世にないと聞いております」
「部下の方が、将軍に同情して毒を入れなかったということは?」
「それは考えられません。信頼できる者を厳しく選んで任に当たらせています」
大臣と私と桂の3人で頭を悩ませているところへ、若い女官が一人、お茶を持ってきました。
その女官はお茶を置くのもそこそこに、小声で大臣に耳打ちしました。大臣の顔色が変わります。よく見れば、女官の顔も青ざめていました。
「姫様、重大なことがわかりました」
女官が出て行ったことを確認すると、大臣が低い声で私に告げました。
「将軍には竜の加護があるそうです」
「竜の加護とは……?」
「魔王との決戦の前に、勇者一行は竜の血を与えられたのだそうです。王族の一人が竜の血を得たとなれば、現聖王の権威を脅かしかねません。そのため、聖王国では秘匿されてきたのでしょう。その竜の血というのは……」
「竜の血というのは?」
「あらゆる毒を無効にする力がある、と」
「……あらゆる毒を」
「無効に……」
竜の血ならば、そのくらいの加護があっても当然かもしれません。
「つまり、毒は全く効いていなかったというわけですか?」
「そのようです」
将軍が毎日お元気でいらっしゃるわけです。
「貴重な秘薬を無駄にしましたな。あれは作るのが本当に大変なのです……」
大臣が遠い目をしてつぶやきました。
将軍に使った毒は、想像以上に貴重な秘薬だったようです。
「忠報、しっかりしてください。このまま諦めるわけにはいかないのですよ?」
「はっ、そうですな。毒が効かないのであれは、他の手を考えなければなりません」
「何か手立てはありますか?」
大臣はしばらく考えを巡らせるように黙り込みましたが、やがて重々しく口を開きました。
「暗殺の王道で参りましょう」
「暗殺の王道……?」
よくわかりませんが、なんだかとても恐ろしい手段のような気がします。
「裏の仕事を生業にしている者たちがおります。専門の暗殺者を雇うのですよ」
「暗殺者に襲わせるのですか。しかし、将軍は魔王を倒すほどの武勇に優れた方ですよ。そう簡単にいくとは思えませんが」
「十分な数をそろえて不意を突けば、何とかなるでしょう」
「不意を突いて襲うだなんて、将軍のご気性には沿いませんわね……」
まっすぐなご気性の将軍には申し訳ない気がしたのですが、すぐに桂と大臣に反論されました。
「姫様、納得して暗殺される方など普通はおりません」
「そもそも、毒薬を使うのも同じようなものですからな」
「あっ、そうでした」
私たちは最初から卑怯な手を使って、将軍を暗殺しようとしているのです。
今さらでした。
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