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第8話(前編) 二夜目――花の香りと待ち合わせ

 寮の消灯を知らせる鐘が、遠くで鳴る。


 私はしばらく布団に包まっていたが、セナの寝息が聞こえてきたところで、慎重にベッドから滑り出る。


 分厚い禁書を鞄に詰めて肩にかけ、薄暗いなかで自分の身なりを鏡で確認する。

 昨夜と同じく寝間着のワンピースだが、手持ちの中でも上質なものを選んだ。


 裾を翻しながら全身を映していると、一体何をしているんだろうと我に返る。


 相手は禁術にかかっているクレイだというのに。


 静かに部屋の扉を開け、目を凝らして夜に沈む廊下を見渡す。

 靴を両手に持ったまま、足音を立てないように裸足で階段をゆっくり降りていった。


 裏口の鍵に開錠術をかけて、そっと外に出ると、冷たい夜気に身体が震える。


 だいぶ薄着だったかもしれない。


 上着を取りに戻ろうかと迷ったが、待ち合わせの時間も迫っている。

 靴を履き、人の気配がないことをもう一度確かめてから後ろ手で扉を閉めた。

 

 女子寮から校舎までは、歩いて数分。

 石畳の小径を静かに進む。

 左右に並ぶ木々の影が、地面に長く伸びていて、少しぞっとする。


 月明かりに照らされた学院も、昼より不気味に感じた。


 正門へ続く道とは反対方向へ折れ、校舎の脇を抜けていく。

 夜風に揺れる枝葉が擦れ合う音が、まるで私を追いかける足音のように聞こえて身がすくんだ。


 こんな思いをクレイにもさせてしまっているのかもしれないと思うと、罪悪感で胸が痛む。

 

 早足に進むと、やがて建物に囲まれた広い中庭が見えてきた。


 闇夜の中でも淡い光を放つ魔薬花の花壇と、むせ返るような甘い香り。

 白、黄、赤――。

 美しい花々が夜風に揺れる光景に、思わず息を呑む。


 そして花壇の向こうには、古い東屋がひっそりと建っていた。


 近付いていくと、金色の髪をなびかせたクレイが座っているのが見えた。


 彼はベンチの背もたれに片腕をかけ、夜空をぼんやりと眺めている。

 その横顔が、いつも以上に凛々しく感じられた。


 自分の足が、ぴたりと止まる。


 ざあっと強い風が吹いたかと思うと、枝からさらわれた花弁が夜空へ舞った。


 私の長い髪も、風になびいて大きく揺れる。


 クレイは散った花弁の行方を視線で追っていた。

 その眼差しが、やがて立ち尽くす私に向けられた。

 ほんの一瞬、彼は驚いたように目を見開く。

 けれど次の瞬間には、目元が柔らかくほどけ、唇からふっと笑みがこぼれた。


「ミリ、待ってたよ」


 どきり、と鼓動が強く打った。


 ぎこちなく目を伏せ、私はゆっくりとクレイの元へ歩み寄っていく。

 

「どうしたの?」

 

 クレイは座ったまま、不思議そうに私を見上げる。

 

「な、何でもないわ」


(なんだか、顔が見れない)


 彼のすぐ近くに座るのも気が引けて、私は敢えて一人分の距離を空けてベンチに腰を下ろした。


 クレイは不審そうに目を細めていたが、それ以上追求してこない。


 私が鞄を置いて居住まいを正すと、クレイも気を取り直したように姿勢を整えた。


「……それじゃあ、今夜もよろしくね?」

 

 クレイは静かに言いながら、私に左手を差し出してくる。

 一瞬、自分の手を重ねることに躊躇いを覚えた。

 けれど、すぐに思い直し、おずおずとその手を握る。


 触れた途端、クレイの大きな手に包み込まれた。

 掌から伝わる温かさと、滑らかなのに自分の手より少し硬い感触を意識して、思わず視線を逸らした。


 昨日だって同じように手を繋いだはずなのに。


(今夜のほうが恥ずかしいのはどうしてだろう)

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