第7話(後編)今さら気づいた?
やがて、重々しい靴音を響かせて教師が入室してくると、私たちは互いに背筋を伸ばして口をつぐんだ。
だが、もう卒業式を目前に控えたこの時期の授業内容は、実質的には消化試合のようなものだ。
教壇の前に一人ずつ呼び出され、これまで習った魔術式を教師の前で復唱するだけ。
生徒の数が多いので、当然ながら自分の順番が回ってくるまで退屈を極める。
周囲を見渡すと、皆適当に手元の教科書をめくったり、隣同士で声をひそめて私語を交わしたりと、気ままに過ごしていた。
普段ならばすかさず叱責が飛んでくるところだが、教師も気にした素振りなく淡々と授業を続けている。
私も手元に広げたノートをぱらぱらと意味もなくめくり、頬杖をついて生徒の様子をぼうっと眺めた。
暁醒薬のおかげで頭は冴えているものの、体力の消耗までは誤魔化しきれない。
相変わらず関節は痛むし、倦怠感も残っている。
何度も込み上げてくる欠伸を必死に噛み殺しながら、目を強く擦って眠気に耐えた。
それでもやはり退屈で、隣に座るクレイに視線を向けた。
彼は真面目な顔つきでペンを走らせ、ノートに何かを細かく書き込んでいる。
好奇心に負けて横からそっと覗き込んでみると、どうやら教科書に載っている複雑な術式を、正確に書き写しているようだった。
(真面目ね……)
私も見習って姿勢を正すと、鞄から分厚い術式図鑑を取り出した。
机の上に広げて文字を追い始めてみたものの、ものの数分で眠気に襲われてまったく頭に入ってこない。
同時に、クレイの存在が気になって仕方がない。
顔を上げて、今度はまじまじと眺めた。
昨夜は間近で近づいたとはいえ、暗闇の中にいたせいで、じっくりと観察する余裕などなかった。
ふんわりとした金の髪が目元にかかり、身動ぎするたびに、さらりと揺れる。
独り言を呟くたび、血色の良い唇がわずかに動き、ときおり喉が上下する。
額から鼻先へ続く滑らかな線と、シャープな顎から喉元へ続くライン。
(絵に描いたような輪郭線……)
子どもの頃からクレイの端正な容姿は評判だった。
十八歳になった今、彼の骨格や雰囲気は洗練され、いっそう磨き上げられているように思える。
(大人になったなあ)
夢中になって見入っていたからだろう。
私の視線に気づいたクレイが不意にペンを走らせる手を止め、こちらを振り返った。
吸い込まれそうなほど透き通るブラウンの瞳。
みずみずしく濡れたような澄んだ白目。
くっきりした二重瞼の幅も、揺れるほど長い睫毛も、目尻の切れ上がったアーモンドアイも。
すべてが計算され尽くしたように整っていて、人体の神秘に感動すらしてしまう。
「そんなに見つめられると、さすがに照れるよ」
小声で囁かれ、はっとして我に返った。
自分がどれほど露骨に見つめていたかに気づいて、かっと頬が熱くなる。
「ごめんなさい、つい」
「今さら僕の顔が良いことに気づいた?」
「ええ。虹彩の曲線のセンスが素晴らしいわ」
私の返事に、クレイは目を瞬かせると、呆れたような苦笑を浮かべた。
「……初めて言われたよ」
一拍遅れて、自分の発言の奇妙さに気づいた。
褒めるところを、完全に間違えている。
「違うのよ。よく出来た顔ねって言いたくて」
「……ああ、そう。ありがとう」
「……」
我ながら、どうしようもない。
これ以上の言い訳も思いつかず、私はしゅんと肩を落として俯いた。
すると、クレイがふっと笑う気配がした。
「僕も、ミリの青い瞳は綺麗だと思ってるよ」
思いがけない言葉に顔を上げると、クレイは目を細めていた。
「青がもっと好きになった」
そう言ってにこりと笑うクレイに、どきんと胸が大きく高鳴った。
動揺を隠すように、自分の目元に指を当てたまま顔を逸らす。
「……どうもありがとう」
私の顔立ちなんて、ごくごく平凡だ。
これまでの人生で誰かに容姿を褒められた記憶なんて、片手で数えるほどしかない。
ましてや自分の瞳の色を褒められるなんて、初めてだ。
たったの一言なのに、こんなに嬉しいなんて。
指先を頬にずらして、つい緩みそうになるのを必死に引き締める。
「……今夜はどうしよっか」
呟かれた低い声に、私ははっとして息を止めた。
横目で見ると、クレイはペンを顎に当てて首を傾げていた。
なぜか早まっていく鼓動。高鳴りが聞こえてしまいそうで、胸に手を当てた。
「場所のことだよ。昨夜のこともあるし、旧校舎は使わないほうがいいよね」
「あっ、そうね」
一瞬、彼が禁術にかかっていることを忘れそうになっていた。
そんな自分が恥ずかしくて、ふるふると小さく首を横に振る。
「なっ、中庭の東屋はどう? 屋根もあるし、囲いもあったと思うけれど。寒いかしら?」
「大丈夫じゃない? だいぶ暖かくなってきたし」
「……じゃあ、そこで」
「了解。待ってる」
クレイはにこりと優しく微笑んだ。
言葉を返そうと口を開きかけた瞬間、教壇の方から教師が彼の名前を呼んだ。
するとクレイは瞬時に甘い表情を引き締め、何事もなかったかのようにすっと席を立つ。
背筋を伸ばし、迷いのない足取りで進むその背中は、私のよく知る厳格な「級長」そのものだった。
規則正しく靴音を響かせながら教師の元へ歩いていく後ろ姿を見ながら、背もたれに身体を預けて息をつく。
『欠席したら一生後悔すると思うわ』
今朝、自室でセナが口にしていた言葉が蘇る。
教師の前で凛とした声を響かせ、複雑な術式を容易く復唱するクレイの横顔。
机の上で、自分の右手にそっと左手を重ね合わせる。
繋いでいたクレイの手のひらの温もりと感触が、今もまだ残っているような気がした。




