第4話 一夜目――旧校舎の階段下で
中央魔術学院では、校則によって男女交際が禁止されている。
健全な男女の交友は黙認されているが、もし不純な関係へ発展した場合、凄絶な吊るし上げを食らうことになっていた。
以前、不運にも交際が露見してしまった先輩たちは、交わしあった甘い手紙を全校生徒と教員の前で朗読させられるという地獄の公開処刑を受けていた。
だからこそ、人目を忍んで真夜中に男女が密会するなんて、もってのほか。
あまりにもリスクが高い。
無謀な行いだ。
――それなのに!
私とクレイは薄暗い旧校舎の一階で、肩を寄せるようにして冷たい石造りの床へ膝を抱えて座り込んでいた。
埃が舞い、すえた黴の匂いが漂う中、上階へ続く階段裏の狭い死角で、息を潜めた。
消灯時間を過ぎてから、それぞれの寮の自室をこっそり抜け出してきたため、互いに見慣れない部屋着姿だ。
襟元を緩めた薄手のシャツに、ゆったりとしたズボンを履いたクレイは、普段よりも素朴で年齢相応に見えた。
けれど、胸のあたりに高級店の紋章が入っていて、一目で値の張るものだと分かる。
私は長袖のワンピースの裾を無意識に掴んだ。
着古した服で来てしまったことに、今さらながら恥ずかしくなった。
しかしクレイは特に気にした素振りもなく、
「案外、すんなり抜け出せたね」
誰かに見られたら終わりだというのに、口調は呑気そのものだった。
「開錠術を使うのは初めてだったけど、うまくいってよかったよ。寮長も全然気づいてないし」
「……卒業前に不祥事を起こす生徒がいるなんて考えてないから、警戒も緩んでいるんじゃないかしら」
「たしかに。時期が良かったね」
無邪気に笑うクレイを目の当たりにし、私は自分の顔を両手で覆った。
全校生徒……いや。
学院設立以来、一、二を争う模範的な生徒であったクレイの倫理観が、ここまで緩んでしまったのも、すべて禁術のせいかもしれない。
(絶対に解術しなきゃ)
私はため息をついて、鞄から懐中時計を取り出した。
銀の蓋を開けて文字盤を確認すると、時刻は二十二時になろうとしていた。
意を決し、自分の右手をクレイに差し伸べる。
「……手を出してくれる?」
あまりの緊張で、自分の声が上ずっていた。
そんな私に、クレイは小さく笑うと、躊躇いもなく左手を伸ばしてきた。
そしてこちらの手を包み込むように握りしめた。
幼稚舎からの付き合いとはいえ、こうして直接触れ合うのは初めてだ。
華奢に見えたクレイの手は、意外と大きくて骨張っている。
凹凸のある関節の感触と、皮膚を通して伝わる生々しい体温を感じた瞬間、ぴくりと自分の指が跳ねた。
そんな私の様子に、クレイは白い歯を見せて微笑んだ。
そして繋いだ手をそっと胸元へ引き寄せると、噛み締めるように呟く。
「ミリの指は細いね」
(ひぃ……)
喉から勝手に声が漏れそうになって、慌てて口をつぐんだ。
動揺を悟られないよう、空いている左手でそっと自分の前髪を梳き、乱れた息を整えた。
「ねえ。さっきから、どうして名前で呼ぶの?」
「何か問題ある?」
「……」
顔を伏せて、目を瞑る。
(落ち着くのよ、私)
解術さえすれば、元のクレイに戻るのだ。
いちいち反応していては、身が持たない。
私は深呼吸をして、再び懐中時計に視線を落とす。
(二十二時から明日の六時まで……)
先ほど二人で相談し、この八時間を一晩分の魔力循環時間と決めた。
けれど六時を迎えるまでに、一瞬でも手が離れてしまえば、即失敗となる。
積み重ねた時間は無効化され、カウントは最初からやり直しになってしまう。
夜が明けるまで、何があっても手を離せない。
「じゃあ、始めるわね」
私は喉の渇きを覚えながら、緊張の中で解術の術式を唱える。
重なった互いの掌に意識を集中し、そこへ魔力を注ぎ込んでいった。
静脈のような魔力の枝が、青白い光を放ちながら掌の接地部分から幾筋も伸び、クレイの肌を這うようにして、彼のしなやかな腕をゆっくりと伝っていく。
冷え切った旧校舎にいるはずなのに、魔力が互いの体内で交わった瞬間、不思議とじんわりと熱が巡ってくるのを感じた。
無事に魔力の循環が始まったことを確認し、大きく息を吐く。
私は硬い石壁に背を預けたまま、ほっと胸を撫で下ろした。
ちらとクレイの横顔を窺うと、彼は平然とした表情で重なった手を見つめている。
しかし、よく見ると口角が上がっていた。
「なんだか、いけないことをしている気分だね」
しみじみと呟くクレイに、私は天井を仰いだ。
「いけないことしてるんだってば」
「だよね」
クレイは片膝を立て、そこに右肘を置いて頬杖をついた。
「誰かが見たら、付き合ってるって思われるのかな」
あまりにも危機感のない様子に、頭痛がした。
「……万が一そんなことになったら、自分が被害者だって言ってね。私に無理やり連れ出されたって説明すれば、クレイはお咎めなしになるはずだから」
「そんなこと言わないよ」
「これ以上、迷惑をかけたくないの」
「迷惑じゃないって」
やけにはっきりとした口調だった。
返す言葉を失っていると、クレイはしばらく黙ったまま、繋いだ手に視線を落とした。
やがてゆっくり向き直ると、暗闇の中でわずかに私へ身を寄せてきた。
そして、意を決したように私を見つめた。
「ミリ、好きだよ」
絡み合った指先に、ぎゅっと力がこもった。
鼓動が激しく高鳴り、反射的に手を引こうとしたが、離してはいけないことを思い出して寸前で止める。
クレイの真剣な眼差しに射抜かれ、目を逸らすこともできない。
「ごめんね、クレイ。絶対に術を解くから」
絞り出すように答えると、彼はやわらかく目を細めた。
「僕はこのままでいいけどね?」
声音は優しく、表情もとろけるように甘い。
それなのに、この妙な胸騒ぎは何だろう。
「……だから、だめなんだってば」
首を横に振りながらきっぱり告げると、彼は薄笑いを浮かべて視線を逸らした。
あまりにも気まずくて、私は咳払いをして誤魔化した。
「……大体、経緯はどうあれ、庶民の恋人がいたなんて誤解されたら、ご両親や将来の奥さんがいい顔しないわよ」
そう口にした瞬間、クレイの笑みが消えた。
眉根を強く寄せると、拗ねたようにそっぽを向く。
「家のことなんか、どうでもいいよ」
ひやりと刺すような声に、思わず背筋を正して座り直す。
今までの甘い気配が一瞬で失せ、その顔つきは見慣れた級長のものに戻ったようだった。
「……よ、よくないでしょ」
エルヴァン家は王国でも知られた名門であり、クレイはその次期当主として周囲から大きな期待を寄せられている。
もし事が大きくなれば、クレイの将来にまで響きかねない。
だが、クレイは不満そうに鼻を鳴らす。
「誤解される相手がミリなら、むしろ好都合だ」
……。
(だいぶ重症だわ)




