↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
3/21

第3話 禁術オタクの失敗

 私は胸の前で両手を固く握りしめる。

 手のひらは、自分の汗でじんわりと湿っていた。


(魔力量さえ、完璧にコントロールすれば……)


 邪な気持ちが、頭をもたげた。


 卒業までのたった四日間。

 クレイを口止めする程度の、ごくごくわずかな恋情を抱かせることができれば――。


(……いや、でも)


 唇を噛んで黙っていると、クレイは禁書を抱え直し、こちらをじっと見つめた。

 短い沈黙のあと、彼は何も言わず、再びゆっくりした動作で背を向ける。


 静かな図書室に、靴音が大きく響いた。


 遠ざかっていく背中。

 その腕に、しっかりと抱えられた禁書。


 彼が一歩遠ざかるたび、禁書たちが火炎魔術によって煤と化す想像が膨らんでいく。


 いやだ。

 返して。


「待って」


 口にした途端、理性など吹き飛んだ。

 先ほど暗記したばかりの複雑なアルコ語の詠唱が、するりと舌の上を転がっていった。


 直後、私の足元に淡く発光する魔術方陣が浮かび上がり、円を描くようにくるりと回転した。

 指先に意識を集中し、体内を巡る魔力から、ほんのわずかな量だけを引き出す。

 慎重に加減し、その指先を華奢なクレイの背中へ向けた。

 

 すると方陣の中心から金色の光が糸のように伸び、蛇のように床を這って彼の足首へ絡みつく。


 異変に気づいたクレイがぴたりと動きを止め、自分の足元を見下ろした。

 そして、弾かれたように私を振り返る。


 大きく見開かれた瞳と、強張った口元。

 

 それを見た途端、自分が何をしようとしているのかに気付き、急に恐ろしくなった。


(やっぱりだめ!)

 

 咄嗟に手を下ろし、魔力を断ち切るように拳を握りしめる。

 詠唱を止めようと唇を閉じた。


 けれど、遅かった。


 最後の一音まで、すでに紡ぎ終えていた。

 金色の糸は意思を持つようにクレイの身体を駆け上がり、胸元へ達したところで異様に膨れ上がる。

 次の瞬間、光が彼の身体へ吸い込まれ――金色の粒子となって弾け散った。


(しまった……!)

 

 魔力の制御が狂ったのかもしれない。

 さっと血の気が引いて、指先が冷たくなる。


 クレイは自分の周囲でちらつく光を目で追いながら、呆然とその場に立ち尽くしていた。

 何度か瞬きを繰り返したあと、心臓のあたりに手を当てる。 


 息をすることすら忘れて見守っていると、不意に彼がこちらを振り返った。


 なぜか、口元がわずかに緩んでいる。


(まずい……)


 嫌な予感がして、すぐに駆け寄った。

 顔色を確かめるように近づき、恐る恐るその顔を覗き込む。


「クレイ、えっと……大丈夫?」


 クレイは何も答えず、しばらく黙っていた。

 その視線がわずかに逸れ、小さく息をつく。


 一拍置いて、再び私と目が合った。


 その目元がふっとやわらぐ。


「平気だよ。ミ(・)リ(・)」


(!?)


 いつもの素っ気ない呼び方とは、まるで違う。

 甘く優しい声音で名前を呼ばれ、驚きのあまり声すら出せない。

 

 そんな私をよそに、クレイは静かに微笑んだ。

 十二年間の付き合いの中で、こんな眼差しを向けられたことなど一度もない。


 あまりの豹変ぶりに、くらりと目眩がした。

 

「クレイ……あの、いまどんな気持ちがする?」

「ん?」


 些細な変化も見逃さないよう、私は爪先立ちになり、顔を至近距離まで近づける。


「私のこと……好き?」

 

 するとクレイは顔を背け、自分の耳にそっと指を伸ばした。

 白い耳朶がうっすらと赤く染まり、伏せた面差しには照れたような笑みが浮かぶ。

 普段の彼からは到底想像もつかない、その可憐な反応を見た瞬間、絶望が全身を貫いた。


(加減を間違えた!)

 

 ちょっとした好意どころじゃない。

 完全に好きにさせてしまった!


 パニックになりながら、慌てて彼が腕に抱えていた禁書へ手を伸ばす。

 強引にでも奪い取るつもりだったが、クレイは抵抗すらせず、あっけなく手渡してきた。


 その様子にも、またぞっとする。


「まずい、まずい、まずい……!」


 独り言が勝手に口から零れていく。

 焦りで細かく震える指先で何とかページを捲り、『恋情操作術』の項目まで戻ると、欄外に記された解術方法に視線を滑らせた。


『術者と対象者が掌を重ね、合わせて二十四時間、互いの魔力を巡らせること』


 自分の目を疑った。

 

(……に、二十四時間?)


 さらに注釈文が続く。


『術の発動より一週間を過ぎれば、付与された恋情は魂に根づき、以後これを解くことは叶わない』

 

(ちょっと待って。嘘でしょ?)

 

 禁術の解術方法は、奇天烈なものが多い。

 

 だが、よりにもよって、こんな方法だとは考えもしなかった。

 叫びだしそうになるのを必死に堪え、指を折って計算を始める。

 

(消灯は二十一時。……みんなが寝静まるのを待てば、動けるのは二十二時頃から。朝は六時までとして……一晩で八時間)

 

 一週間という猶予があるとはいえ、卒業式の翌朝にはそれぞれの赴任地へ出発しなければならない。

 残された時間は、ぎりぎりだ。


 いや、それより――。


(これから三晩も、クレイと手を繋ぎ続けるってこと?)


 呆然としていると、背後から気配がした。

 振り返る間もなく隣に立ったクレイが、長身をかがめて一緒に禁書を覗き込む。


 彼は紙面にさっと目を通すと、どこか面白がるように、控えめな笑い声を漏らした。


「ずいぶんドキドキする解術方法だね」

「呑気なこと言わないで。失敗したら、あなたは一生私に惚れたままになっちゃうのよ」

 

 私の焦燥をよそに、クレイはゆるりと顔を上げる。

 そして笑みを浮かべたまま、何でもないことのように言った。


「僕はそれでいいけど」


(ああっ、完全に術にかかってる!)


 本人らしからぬ甘い言葉に、きーんと耳鳴りがした。

 私は禁書を机に置いてクレイに向き直り、彼の両肩を掴んで真正面から訴える。

 

「クレイ。ちゃんと解術しましょう」


 クレイがぱちぱちと目を瞬いた。


「じゃあ、今夜から二人で手を繋ぐってこと?」

「……そういうことになるわ。本当にごめんなさい」

「謝らないで。ミリのためなら協力するよ」


 素直な返答に、ますます申し訳なさが込み上げてくる。


「それに、毎晩一緒にいられるなんて嬉しいな」

 

 そう呟いて、クレイはうっとりと表情をほころばせた。

 見慣れない笑みに、自分の頬がひきつっていく。


 だが――私を見つめる彼の瞳は、どこか異様に冴えて見えた。


(……本当に、かかってるのよね?)


 背筋を、かすかな寒気が駆け抜けていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。