番外編 完璧な幼馴染(クレイside)
僕はいい男だと思う。
十八年の人生で、他人より能力が劣っていると感じたことはない。
エルヴァン家の一人息子として、家名に恥じぬよう、周囲から寄せられる期待にも常に応えてきた。
第一魔術隊への配属も内定しているし、学院では首席卒業も確実。
学院生活で一度も規則を破ったことはなく、教師たちからの評価も申し分ない。
男子寮の自室で、僕は姿見の前で制服のボタンを留めながら、ふっと息を吐く。
金色の細い髪がさらりと揺れて、目元にかかった。
顎に手を当て、まじまじと鏡を覗き込んだ。
元舞台女優の母と、美形の多い血筋の父から譲り受けた顔は、どの角度から見ても様になる。
(……我ながら、完璧では?)
卒業まで、あと一ヶ月。
このまま何事もなく卒業式を迎えれば、僕は学院屈指の模範生として語られることだろう。
ちらと、クローゼットへ目を向ける。
中には卒業パーティで着用する礼服が丁寧にしまい込んである。
おそらく、当日は何人もの女子生徒から好意を告げられる。
この三年間、校則で恋愛が厳しく禁止されていたのだから、なおさらだ。
女子から見れば、僕はいわゆる高嶺の花。
相当面倒なことになるのは、今から覚悟している。
エルヴァン家との今後の付き合いを考えれば、無下に断れない令嬢もいるはずだ。
角が立たないよう、慎重に断らねばならない。
だいぶ……いや、かなり気が重い。
だが、絶対に欠席するわけにはいかない。
ミリに交際を申し込める最後の機会なのだから。
彼女のことを考えると、身体が緊張して強張った。
想いを自覚してから十二年。
恋愛は学業の妨げになると親から釘を刺され、学院では校則で禁じられた。
もどかしかったけれど、ひたすら待った。
卒業すれば僕も成人だ。
親の干渉からも、校則からも自由になれる。
(とはいえ、結婚まで話を進めるのはさすがに難しいだろうな)
自分の頬を撫でながら、息を吐く。
それでも僕らは幼馴染だ。
ミリも、きっと悪い気はしないはずだ。
驚きこそすれ、真剣に想いを告げれば交際くらいは承諾してくれるだろう。
(恋人になれれば、離れても会いに行く口実ができる)
髪を指で梳く。
もう一度、鏡の中の姿を確かめるように口元を引き締めた。
(よし。完璧だ)
◆ ◆ ◆
「欠席するわ」
「……」
一瞬、聞き間違いだと思った。
席に座ったまま平然と僕を見上げるミリを前に、頭が真っ白になった。
「……卒業パーティだよ?」
自分の声が上ずっている。
けれど、ミリは気にした素振りもなく、首を傾げて苦笑いを浮かべる。
「そうね。でも、面倒だからいいかなって」
「面倒? パーティが?」
「うん。先生に伝えておいて」
ミリはそれだけ言うと、椅子から立ち上がった。
肩に鞄をかけると、するりと僕の脇を通り過ぎ、淡々と教室から出て行った。
「……え?」
遅れて、自分の口から情けない声が漏れた。
追いかけようとして一歩踏み出しかけ、足が止まる。
教室のざわめきが、急に遠くなった。
誰かに話しかけられたような気もしたが、それどころではなかった。
額に手を当てて、奥歯を噛む。
(欠席するって言ったか?)
ミリが変わり者なのは、今に始まったことじゃない。
だけど――予想外だ、こんなの。
(君が来ないんじゃ、僕だって出席する意味ないんだけど!?)
◆ ◆ ◆
とはいえ、パーティまではまだ時間がある。
周囲が浮き足立ってくれば、ミリの気も変わるだろう。
特に、彼女の親友のセナ。
あの陽気で、祭り事大好きな女子が、ミリの欠席を黙って許すとは思えない。
女友達から熱心に誘われれば、参加したくなるはずだ。
そう、思っていたのに。
あっという間に、三週間近く経ってしまった。
僕は自室のベッドに寝転がりながら、深いため息をついた。
手元には、教師から共有されたパーティの出席簿がある。
【ミリ・ローデン 《欠席》】
唯一の欠席者である。
「なんでだよ……」
思わず指に力がこもり、紙の端に皺が寄る。
壁にかけられたカレンダーを見て、眉を寄せる。
パーティまで、もう一週間を切っている。
さすがに焦りが出てきた。
なぜ頑なに考えが変わらない?
一生に一度の卒業パーティだぞ?
(本人に参加するよう頼むか?)
そう考えた途端、すん、と胸の奥が沈んだ。
(……どうやって)
自分が幼稚舎の頃とは比べものにならないほど近寄り難い存在になってしまった自覚はある。
完璧な男を目指して切磋琢磨していたら、予想以上に仕上がってしまったせいだ。
それに、恋愛禁止の校則に触れるのが怖くて、意識的に彼女と距離を取っていた。
好意を隠したまま、彼女に出席を頼める関係性では――ない。
枕に後頭部を沈め、しばらく天井を睨んだ。
(……まさか、振られるなんてことはないよな?)
思考を払うように、頭を横に振った。
疎遠になって、話す機会が極端に少なくなっただけだ。
彼女にとっても、僕は未だに特別な存在のはず。
十二年間、一緒だったんだ。
好かれることこそあれ、嫌われる理由なんてない。
明日、直接理由を訊こう。
◆ ◆ ◆
「卒業パーティに欠席なのは君だけだけど、本当に参加しないつもり?」
「うん、予定があるから」
さらりと流されて、呼吸が止まりそうになった。
(予定……)
「パーティより大事な予定ってなに?」
「言わなきゃだめかしら?」
青い瞳に見つめ返され、また言葉に詰まる。
そのあとすぐに女子生徒たちに囲まれたが、ほとんど何も考えられなかった。
席を立って教室から出て行こうとするミリを見て、僕はほとんど反射的に声をかけていた。
「参加の変更は、明後日の昼まで受けつけているから」
「ありがとう。でも、行くつもりはないから。もう気にしないで」
それだけ言うと、ミリは僕に軽く手を振る。
教室を出ていく後ろ姿は、どこか僕から逃げていくようにも思えた。
唇を噛んで、立ち尽くした。
(分かっていないのか?)
卒業パーティは、想い人に告白できる最後の場。
彼女が恋愛事に疎いのは知っている。
それでも少しくらい、僕の好意を期待してくれていてもいいんじゃないのか。
同時に、別の可能性が頭をよぎった。
(僕のことなんか、どうでもいい?)
胸がざわついた。
女子生徒たちがまだ何か話しかけてきていたが、まったく耳に入らない。
一気に不安が押し寄せてきて、ミリを追って教室を飛び出した。
しかし、廊下には大勢の生徒たちが行き交っていて、すぐに見失ってしまった。
(……仕方ない)
夕飯時の学食を狙おう。
偶然を装って彼女の隣に座る。
そこで、謎の予定とやらを聞き出せばいい。
それから、何度も頭の中でミリとの会話を組み立て直した。
警戒されないよう、自然に振る舞えばいいだけだ。
そわそわしながら時間が過ぎるのをひたすら待つ。
やがて、頃合いになったところで大食堂へ向かった。
食堂は大勢の生徒が集まっていて、がやがやと騒がしく活気がある。
入口付近で立ち止まり、席の間を行き交う生徒たちに目を凝らした。
けれど、ミリらしき姿はどこにも見当たらない。
(まだ来ていないのか?)
仕方なく料理を注文し、トレーを手に食堂内を進む。
その途中、視界の端に見覚えのある後ろ姿が目に入った。
ミリの親友である、セナだ。
彼女は一人で壁に貼られたメニューを眺めていた。
僕は何でもない顔を装って、ゆっくり近付いていった。
「セナ。ちょっといい?」
僕が話しかけると、彼女ははっとして振り返って目を瞬いた。
「なんだ、エルヴァンじゃない。びっくりした」
「ごめん。用事があってローデンを探しているんだけど、どこにいるか知らない?」
「それがねえ。今日はいつもより戻りが遅いみたいなの」
「……どういう意味?」
「最近、放課後になると消えちゃうの。どこにいるのか、あたしにも分からなくて。今日はご飯食べないつもりかもね」
嫌な予感がした。
けれど、表情には出さないよう慎重に取り繕う。
「そうなんだ。もしかしてローデンがパーティに来ない理由と何か関係があるのかな」
さりげなく探りを入れてみた。
すると、セナは少し考え込むように唸ったあと、突然閃いたように顔を上げた。
「あっ。もしかしたら、いるのかも」
「いる?」
彼女は八重歯を見せて、いたずらっぽく笑った。
「卒業までに、仲を深めておきたい人が」
あまりの衝撃で、トレーを取り落としそうになった。
「ちょっとエルヴァン、大丈夫?」
(……盲点だった)
ミリのことは、ずっと見ていたつもりだ。
級長という立場上、クラスメイトたちの校則違反には目を配っていたし、彼女についてはそれ以上に気にかけていた。
でも、考えてみれば僕が知っているのは、授業中や教室で過ごす彼女だけ。
(相手は下級生か? それとも出入りしている業者? まさか教師?)
考えれば考えるほど、落ち着いて食事をしている場合ではない気がしてきた。
「ああ~……でも、それはないか。あの子、興味なさそうだし」
「セナ、これ食べて」
独り言を呟くセナの両手に、トレーを押しつける。
「え? いいの?」
彼女はぎょっとしたものの、すぐに嬉しそうな顔で受け取った。
僕はそのまま踵を返し、足早に食堂を飛び出した。
(ミリと話をしなければ)
今なら、間に合うかもしれない。
(話がしたい)
昔のように、二人きりで。
僕の気持ちさえ知ってもらえれば、きっと好きになってくれるはずだ。
きゅっと唇を引き結ぶ。
だって――僕らは特別な幼馴染なんだから。




