第13話(後編)好きになってほしかった
「それだけ?」
問い返すと、クレイはわずかに顎を引いた。
けれど返事はなく、口を閉ざしたまま立ち尽くしている。
私は無意識に指先を握り込んだ。
「どうして黙ってるの? ねえ、どこまで本気だったの?」
「……」
また、沈黙。
さっきまで彼のことを必死になって探していたはずなのに、そんな自分がひどく滑稽に思えてくる。
パーティを抜け出して、慣れない靴で学院中を歩き回った。
踵は痛むし、身体は汗ばんでいる。
せっかく整えてもらった髪だって乱れているだろうし、化粧も崩れているかもしれない。
それなのに。
(私は、一体何を期待してここまで来たんだろう)
嫌な予感が、じわじわと胸に広がっていく。
「全部、嘘だった?」
ようやく、クレイがこちらを向いた。
一瞬、その顔に明らかな動揺が走る。
何かを言おうとして、唇が動いた。
けれど結局、声にはならない。
喉が小さく上下し、クレイはそっと目を伏せた。
(……否定しないんだ)
目の奥が熱くなり、視界の輪郭が滲んだ。
それを誤魔化すように顔を背けると、髪に留めた青い髪飾りが小さく揺れる。
途端に、ひどく惨めな気持ちになった。
(馬鹿みたいだ、私)
これ以上ここにいたくない。
私は目元を指で拭いながら、クレイに背を向けた。
「好きになってほしかったんだよ」
踏み出しかけた足が止まる。
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
ゆっくり振り返ると、クレイは月明かりを背負ったまま、こちらを見つめていた。
逆光のせいで影が落ち、表情までは分からない。
それでも、もう逃げる気配はなかった。
彼は短く息を吐き、自分を抱え込むように腕を組んだ。
「……だから、狡い真似もした」
「……」
脳裏に、三日前の光景が蘇る。
――『僕が君にもう少し甘ければ、黙っていたかもしれないけどね』
「……私に術を使わせようとしたってこと?」
わずかな間があった。
けれどクレイは、私から視線を外さないまま、しっかりと頷く。
(本当に……最初からだったのね)
術にかかったふりをしただけではない。
最初から、誘導されていた。
(そこまでして……)
「でも、三晩の言葉に嘘はひとつもない」
どきりとして、息を呑む。
返す言葉が、見つからない。
「……」
クレイはしばらく、私の返事を待っているようだった。
けれど私が黙ったままでいると、張り詰めていた口元がわずかに歪む。
やがて、諦めたように腕をほどいた。
「寮に戻るよ」
「……え?」
クレイはそれ以上何も言わず、そのまま脇を通り過ぎようとした。
考えるより先に、身体が動く。
咄嗟に、その手を掴んでいた。
クレイは驚いたように息を止め、掴まれた手を見下ろしてから私へ視線を移した。
わずかに身じろぎする。
離れようとしたのだと気づき、咄嗟にもう片方も重ねた。
「……勝手だわ」
クレイの眉が寄る。
私は逃がすまいと手を掴んだまま、その顔を真正面から睨み上げた。
「人のことを散々振り回しておいて……! 私が、どんな思いで三晩過ごしていたと思うの!?」
勢いのまま言葉をぶつけると、クレイはぎょっとしたように目を見開く。
さっきまで強張っていた表情が一気に崩れ、眉尻が下がる。
「だ、だから……悪かったって」
「悪かったと思うなら、なんで引くの!?」
クレイが言葉に詰まる。
私は掴んだ手をさらに強く握りしめた。
「ここまで好きにさせておいて、明日から他人なんて……責任を取るのはあなたの方でしょ!」
言い切ると、クレイはただ驚いたように固まったまま、何度か瞬きをする。
「好き……?」
「あっ!」
しまった。
自分が何を口走ったのか理解した瞬間、全身の血が一気に頬へ集まった。
「いや、えっと……今のは」
しどろもどろになったが、クレイは私の言葉を待っている。
「……だから、その……」
言葉が続かない。
するとクレイは空いているほうの手を持ち上げ、私の両手を上からそっと包み込んだ。
重なった掌から伝わる体温に、ますます頭が回らなくなる。
そのまま、クレイは少しだけ身を屈めた。
私の反応をひとつも見逃さないようにするみたいに、じっと覗き込んでくる。
(なんで私が追い詰められてるのよ……!)
「ううっ……」
耐えきれず、悲鳴に似た声が漏れる。
するとクレイの口元が、ごくわずかに緩んだ。
それが、また悔しい。
「……わ、私も反省しなきゃなんだけど……禁術を使おうとしたのは、私だし」
「……うん」
「だから、その……私だけが怒るのも、違うのよね……」
言いながら、自分でも何を説明しているのか分からなくなってくる。
それでも、これだけは伝えなければならない。
私はクレイの手を握ったまま、顔を上げた。
「だから、もう、こんなふうに騙さないで」
クレイの顔から笑みが消える。
重ねられていた手に、ゆっくりと力がこもった。
「うん。もう二度としない」
噛み締めるような声だった。
まっすぐ言われると、もっと居たたまれなくなる。
胸の鼓動が速くなり、指先まで熱い。
今にもこの場にしゃがみ込みたくなるほど、落ち着かない。
そんな私を見つめながら、クレイはしばらく黙っていた。
やがて意を決したように、小さく頷く。
「じゃあ、夏までに結婚の話をまとめるね」
「……ん?」
ぽかんと見返す私の前で、さっきまでの張り詰めた空気が嘘のように、目元が柔らかくなる。
「しっかり責任を取るよ」
あまりにも迷いのない口調だった。
冗談を言っている顔ではない。
私が呆気に取られている間にも、クレイは満足そうに口元をほころばせる。
今度はクレイのほうから、手を握り返してきた。
「ちょ、ちょっと待って。責任って、そういう――」
慌てる私をよそに、クレイは青い髪飾りに気づいたらしい。
それを眺めたあと、静かに口を開いた。
「パーティへ行こうか、ミリ」
甘い声で名前を呼ばれ、私は思わず頬を引き攣らせた。
けれどクレイはそんな私に構うことなく、当然のように手を引いた。
私は一歩遅れて、その背中についていく。
繋がれた大きな手から伝わる、すっかり馴染んだぬくもり。
今度こそ離すつもりなどないと言わんばかりに――しっかりと握られていた。




