第13話(前編) 最終夜――月明かりの図書室
魔術学院の卒業式は、華やかに幕を閉じた。
学院長の挨拶に、在校生によるパレード、記念撮影。
次から次へと予定に追われ、卒業生たちは私語を交わす暇さえないほど慌ただしく過ごしていた。
なかでも、卒業生代表として壇上に上がり、王都から訪れた記者たちの質問に答えるクレイは、誰よりも忙しそうだった。
大勢の前でも臆した様子はなく、背を伸ばし、淡々と受け答えをしている。
その表情は、いつもの級長そのものだった。
昨夜――いや、この三晩のことなど、まるでなかったかのようだ。
ほんの数時間前まで、あれほど近くにいたのに。
それでも、私は何度か話しかけようとした。
壇上から降りてきたところを待ち構えたり、撮影を終えた姿を見つけて近付いたり。
けれど、そのたびに誰かがクレイを呼び止める。
ようやく目が合ったと思っても、彼は一瞬だけ表情を強張らせ、すぐに人混みの向こうへ姿を消してしまった。
(……逃げてる)
やっぱり、昨日のことを話すつもりはないのだろうか。
歯がゆさで、じりじりと胸が痛む。
けれど、追いかけようにも周囲には人が多すぎて、結局、呼び止めることすらできなかった。
気がつけば、時刻はもうすっかり夕方になっていた。
卒業パーティが始まるのは、日が落ちてからだ。
卒業生たちは浮き足立ったまま寮へ戻り、ドレスや礼服へ着替え始める。
私もセナに連れられるまま自室に帰ると、昨日合わせたドレスに袖を通した。
「ミリ、とっても可愛い!」
着付けをしてくれたセナが、私の両肩に手を乗せて満足そうに微笑んだ。
姿見に映る私は、いつもとはまるで違って見えた。
しっかりと化粧を施され、身体にぴったりと合ったドレスに身を包んでいる。
髪の毛もセナの手で丁寧にハーフアップへ整えられ、露わになった首筋を冷たい空気が撫でていく。
少し身体を動かすたび、髪に留めた青い髪飾りが小さく揺れた。
鏡の中でそれを目にした瞬間、胸の奥が落ち着かなくなる。
――『青がもっと好きになった』
この飾りを選んだとき、自分は何を考えていたのだろう。
そこまで考えて、私は慌てて鏡から視線を外した。
せっかくのパーティだというのに、気持ちは少しも晴れない。
(このまま、話ができないまま今日が終わったら……)
胸の奥から焦燥がせり上がってくる。
何を聞きたいのか、自分でもまだよく分からない。
それでも、このまま何も言わずに別れてしまうことだけは嫌だった。
私は重たい身体を引きずるようにして、セナに手を引かれるまま寮を後にした。
◆ ◆ ◆
大広間は、すでに教師たちの手によって華やかなパーティ会場へと姿を変えていた。
在学中、式典のたびに何度も足を運んだ思い出深い場所だ。
けれど今夜は、長テーブルの上に色とりどりの料理がずらりと並び、壁際や柱には香りの強い花々が惜しげもなく飾られている。
高い天井から吊るされた魔導灯は、昼間とは比べものにならないほど眩く輝いていた。
光を受けた装飾品やグラスがきらきらと瞬き、着飾った卒業生たちが歓声を上げながら次々と大広間へ入っていく。
普段から見慣れているはずのクラスメイトたちも、今夜は皆、それぞれに着飾っている。
色鮮やかなドレスや礼服が行き交い、甘い香水の匂いと、浮き立った笑い声が混じり合っていた。
いつもは威厳のある教師たちまで礼装に身を包み、今夜ばかりは穏やかな表情で卒業生たちを見守っている。
私は大広間の入り口に立ったまま、無意識にドレスの裾を握った。
寮を出る前にも、何度も鏡で自分の姿を確認した。
それでも、こんな格好で大勢の前へ出るとなると、どうにも落ち着かない。
「ミリ、早く行きましょうよ。お肉が取られちゃうわ」
隣でセナが焦れたように唇を尖らせた。
「……うん」
曖昧に頷きながらも、私の視線はもう別のところへ向いていた。
人の頭越しに会場の奥を見渡す。
背の高い男子生徒の姿を追い、無意識に金色を探した。
(クレイがいない)
どれだけ見回しても、見つからない。
おずおずと大広間へ足を踏み入れたものの、華やかな光景が、途端に色褪せて見えた。
やがて、他のクラスメイトたちも彼の不在に気づき始めたらしい。
「エルヴァンはどこだ?」
歓談の合間から聞こえてきた声に、心臓が跳ねる。
反射的にそちらへ目を向けると、クレイに声をかけようとしていたらしい女子生徒たちも、不思議そうに顔を見合わせていた。
クラスメイトたちの様子を見る限り、誰もクレイの居場所を知らないらしい。
(……どこにいるんだろう)
落ち着かないまま、セナが取ってきてくれた料理を口へ運ぶ。
けれど、何を食べても舌の上を通り過ぎていくだけで、ほとんど味がしない。
よく似た声が聞こえるたびに顔を上げる。
扉が開くたび、そちらを振り返る。
背格好の似ている人を見つければ、つい顔を確かめてしまう。
そのたびに気持ちが沈み、また姿を探してしまう。
――『明日になったら、他人になるのに?』
昨夜のクレイの声が、耳の奥に蘇った。
指先から、すっと力が抜ける。
気づけば、私は手にしていた皿をテーブルへ置いていた。
セナの様子をそっと窺うと、彼女は少し離れたところで友人たちとの歓談に夢中になっていて、こちらを見ていない。
迷ったのは、ほんの一瞬だった。
手洗いにでも向かうような素振りで、私はさりげなく大広間を抜け出した。
扉が閉じた途端、あれほど賑やかだった喧騒が急激に遠のく。
人気のない廊下には静かな夜の空気が満ちていて、細いヒールが床を叩く音だけが大きく響いた。
歩きながら、ふと窓の外に目をやる。
クレイと二夜目を過ごした東屋が、遠くに見えた。
月光を浴びてぽつんと佇む屋根。
その周囲には花壇が広がり、さらに奥には旧校舎の黒い影が落ちている。
あそこで肩を並べて、夜通し手を繋いだ。
繋いだ手の熱まで、まだ掌の奥に残っているような気がする。
自然と歩みが速くなる。
けれど、この広い学院のどこにいるのかも見当がつかない。
教室を覗き、校庭へ出て、学食にも足を運んだ。
階段を昇り降りするうちに、慣れないヒールに足が痛くなってくる。
どうして、ここまで必死になっているのだろう。
最後に足を向けたのは、図書室だった。
大きな扉に手をかけ、ゆっくりと押し開けた。
薄暗い室内を覗き込むが、やはり誰の姿もない。
それなのに、なぜかそのまま帰る気にはなれなかった。
私はそっと中へ入り、螺旋階段を見上げる。
ドレスの裾を軽く持ち上げ、ゆっくりと階段を登っていった。
三階へ辿り着いたところで、気配を感じて足が止まった。
本棚の前に、人影が立っている。
窓から差し込む月光を背にして、見慣れた金色の髪が淡く光っていた。
「クレイ」
思わず名前を呼ぶと、人影が振り返る。
私を認めた瞬間、クレイの瞳が驚きに見開かれた。
「……ローデン」
名字を呼ばれ、胸がちくりと痛む。
クレイは礼服を着ていた。
パーティに出るつもりで着替えたのだろう。
身体に合わせて仕立てられた礼服は、いつもの制服よりもずっと彼を大人びて見せている。
月明かりが頬の輪郭や鼻筋を縁取り、あまりにも整った姿は、暗い図書室の中でひどく現実味がない。
それなのに、私を見つめる彼の表情には、隠しきれない動揺が浮かんでいる。
「探したのよ。こんなところで何をしてるの?」
ずっと問い詰めたかったはずなのに、ようやく見つけた安堵のせいか、思っていたよりずっと弱い声になった。
クレイの喉が、小さく上下し、何か言いかけたように唇が動いた。
けれど、言葉にはならない。
ほんのわずかに身動ぎしたあと、彼は逃げるように本棚へ身体を向けた。
「パーティには来ないの?」
返事はない。
クレイは手元に持っていた本へ目を落とし、そのまま膝を折って本棚へ戻そうとする。
「……それ」
クレイが手にしていたのは、私が何度も読み返していた、あの禁書だった。
私の視線に気づいても、表情を変えないまま本を棚へ戻す。
指先だけが名残惜しそうに背表紙をなぞった。
「……気になっただけだ」
ぼそりと落ちた声は、普段の彼からは想像できないほど歯切れが悪かった。
クレイはゆっくりと立ち上がったが、やはりこちらを向かない。
背を向けたまま、ただ黙っている。
私も、言葉が出てこない。
聞きたいことはいくらでもあったはずなのに、いざ本人を目の前にすると、どれから口にすればいいのか分からない。
風を受けて、図書室の窓枠が小さく軋んだ。
沈黙に耐えかねたのは、クレイのほうだった。
しばらく俯いていたあと、低い声が落ちた。
「……騙して悪かったよ」




