第12話(後編)あっ
熱を帯びたクレイの眼差しが、私の顔をゆっくりとなぞる。
「……だから。そうならないように、こうして……」
「仮定の話をしてるだけ。失敗したら、僕とずっと一緒にいてくれる?」
あまりの距離の近さと、投げかけられた言葉の重さに、何と返せばいいのか分からない。
彼の唇が動くたび、手の甲に温かな吐息が触れる。
繋いだ手から伝わる体温まで、ひどく意識してしまう。
呼吸をするたび、胸の奥が苦しくなっていく。
黙り込んだ私をしばらく見つめていたクレイは、やがて諦めたように視線を逸らした。
それと同時に、繋いでいた指から、少しずつ力が抜けていく。
「クレイ、ちょっと……!」
手が離れかけた瞬間、考えるより先に身体が動いた。
空いていた手を咄嗟に重ね、離れていこうとするクレイの手を引き留める。
「そんなに嫌?」
クレイは眉根を寄せた。
「そういうことじゃ……」
視線がぶつかった。
互いの前髪が絡まりそうなほど近くに、クレイの顔がある。
ほんの一瞬、二人の間からすべての音が消えたような気がした。
窓の外から差し込む青白い月明かりが、クレイの顔の輪郭をぼんやりと縁取っている。
彼の額に、さらりと金の髪が一房かかった。
月光を弾くその髪も、私をまっすぐ見つめるブラウンの瞳も、恐ろしいほど美しい。
「ミリ、僕とずっと一緒にいてよ」
ぎゅっと心臓を掴まれるような思いがした。
私は堪らず顔を伏せる。
頭の中はぐちゃぐちゃで、何を考えればいいのかも分からない。
そのまま大きく首を横に振った。
その瞬間、クレイの指先に力がこもる。
「どうしてもだめなの? 僕の何がいや?」
「だから……私を好きっていうその気持ちも、全部術のせいなんだって」
どうにか絞り出した声は、自分で思っていたより弱々しかった。
縋るようなクレイの眼差しを、まともに受け止めることができない。
「明日になったら、何もかも元通りになるわ」
そう言い切った、その瞬間。
クレイの手に、ぐっと力がこもった。
「ミリはそれでいいの?」
「……」
「僕は嫌だ。僕は、君をクラスメイトだなんて思ったことはない。僕にとって、ローデンはいつも特別で」
「ローデン?」
「あっ」
クレイの動きが、ぴたりと止まった。
しまった、とでも言うように、唇をきつく引き結ぶ。
疑っていたはずだった。
詠唱を間違えていたのではないか。
最初から、術なんて発動していなかったのではないか。
それでも。
その反応が、何より雄弁な答えに思えた。
「……やっぱり」
自分の声なのに、別人のもののように聞こえた。
クレイの表情が、見る間に強張っていく。
「……最初から、術なんてかかってなかったのね?」
返事はない。
ただ、さっきまで私の手を強く掴んでいた指が、徐々に緩んでいく。
言い訳すら口にしない。
するりと、互いの手が離れていった。
「クレイ……」
思わず呼びかける。
けれど、彼はこちらを見ようとしない。
俯いた横顔には、もうあの切実さは残っていなかった。
「ね、ねえ。ちゃんと説明を……」
戸惑いながら声をかけても、頑なに口を開こうとはしない。
クレイは床に片手をつき、ゆっくりと立ち上がった。
そして衣服についた埃を払うと、乱れていた呼吸を整えるように、静かに息を吐く。
熱を宿していた瞳は冷え、口元からも柔らかな色が消えている。
姿勢を正した彼は、もう私がよく知る――いつもの級長そのものだった。
「帰る」
「……!」
あまりにも平坦な声音に、私は言葉を失う。
さっきまでのやり取りなど、まるでなかったかのような態度に、胸がざわついた。
だが、クレイはそれ以上何も言わず、私からふいと顔を背ける。
そして靴音を響かせながら、教室の出口へ向かって歩き出した。
「ちょっと待って! 他に言うことないの?」
私が声を荒げると、ようやく彼は教室の扉の前で足を止めた。
「……」
振り向きはしない。
月明かりの届かない扉の前に立つ、クレイの背中をただ見つめた
しばらく沈黙が続いたあと、彼は小さく息を吐く。
「ごめん、ローデン」
クレイの声は、上ずっていた。
扉を開ける音が響き、彼は薄闇の広がる廊下へ足を踏み出す。
引き留める言葉が、出てこない。
やがて扉が静かに閉じ、靴音が遠ざかっていく。
残された私は、座り込んだまま自分の手を見つめた。
確かにそこにあったはずの温もりが、まだ残っていた。




