↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
16/21

第12話(前編)三夜目――責任を取ってくれる?

 夜の教室は、磨き上げられた床に窓から差し込む月光が青白く落ちている。


 昼間には生徒たちの声で満ちていたというのに、今は人の気配ひとつなく、並んだ机と椅子が整然と暗闇の中に沈んでいた。


 誰かに見咎められないよう、夜の闇に紛れてここまでやってきた私は、そっと室内へ踏み入れた。


 自然と、自分の机へ足が向かう。


 昼間の大掃除ですっかり綺麗にした机の天板に、指先で軽く触れて息をつく。


 そのまま何気なく視線を滑らせると、少し離れた場所にあるクレイの机が目に入った。


「……」


 胸の奥がざわついた。

 けれど、ゆっくり考え事をする暇もなかった。


 コツ、コツと硬い靴音が廊下の向こうから響いてきて、大きく肩が跳ねる。


 反射的に窓際へ駆け寄り、分厚いカーテンの裏へ身体を滑り込ませた。

 布地を握りしめ、息を潜める。


 足音は止まらず、一定の間隔を保ったまま、まっすぐこちらへ近付いてくる。

 やがて教室の前で、ぴたりと音が止んだ。

 そして室内の様子を窺うような間があったあと、扉が静かに開かれた。


 月明かりの差し込む廊下に立っていたのは、クレイだった。

 私はカーテンの陰からおそるおそる顔を覗かせ、ごくりと息を呑む。

 

 クレイはすぐに私の姿を見つけると、一瞬だけ驚いたように目を見開いた。


「もう来てたんだ」


 彼は表情を緩ませると、穏やかに笑った。

 その笑みを見た途端、息をするのも苦しくなる。

 何も答えられず、逃げるように視線を伏せた。


 クレイはそんな私を特に気にした様子もなく、後ろ手で教室の扉を閉め、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。


「抜け出すのに苦労したよ。最後にこっそり食事会をしようって誘われて。みんな、騒ぐのが好きだよね。ミリは大丈夫だった?」

「……」

「この教室ともお別れだと思うと、なんだか感慨深いね」


 次々と投げかけられる言葉に、何ひとつ返せない。

 私はカーテンの端を握ったまま、ただ黙って彼の声を聞いていた。


 どんな顔でクレイを見ればいいのか分からない。

 目が合えば、すべて見透かされてしまいそうで怖かった。

 

 さすがに様子がおかしいと思ったのだろう。

 クレイは足を止め、不思議そうに首を傾げた。


「どうかした?」

「……いいえ」

「そう」


 短く答えたものの、クレイの瞳にはまだ訝しげな色が残っている。

 それでも、それ以上は追及してこない。

 まっすぐ私の前までやって来ると、何の躊躇いもなく片手を差し出してくる。


「手を」


 二晩も繋ぎ続けた、見慣れているはずの大きな手。

 なのに今は、触れることにさえひどく戸惑い、私はその手から目を離せなくなった。


 手を伸ばそうとしても、指先が宙を彷徨うだけで動かない。

 むしろ逃げるように、さらにカーテンの奥へ身体を縮こませた。


「……ミリ?」


 視線だけを教室の時計へ向ける。


「……」


 針は容赦なく進んでいた。

 

(……私の思い違いなら、ためらっている時間はない)


 もし禁術がきちんと発動しているなら、解術しなければ。

 

 私の憶測で、クレイに迷惑をかけるわけにはいかない。


 そう思い直し、ようやくカーテンを退けた。

 一歩ずつクレイへ近づき、おずおずと彼の手に触れる。


 その瞬間、クレイはほっとしたように口元を緩めた。

 すぐに長い指が私の掌を包み込み、しっかりと握り込まれる。


 これまでの二晩と同じように短く詠唱すると、無事に魔力の循環が始まった。

 重なった指先から、じわりと体温が伝わってきて、心臓が大きく高鳴る。


 私たちは外から姿を見られないよう、窓から離れた教室の奥へ移動し、壁を背に並んで腰を下ろした。


 ひんやりとした床と壁。

 けれど、繋いだ手だけが妙に熱く感じる。


 私は無意識のうちに、クレイから少し距離を取るように身体をずらした。

 すぐ隣にいる彼の体温も、呼吸の気配も、何もかもが気になって仕方がない。

 あまりにも緊張して、意識しなければ息の仕方すら忘れてしまいそうだった。


 さすがに、私の様子に気づいたのだろう。

 クレイは何も言わずにこちらを眺めたあと、試すように目を細めた。


「パーティ、来るんだ?」


 冷ややかな言葉に、ぎくりとした。


「ええ……せっかくだし」

「僕が言っても、断ってたのに」

「気が変わったの」


 なるべく、何でもないことのように答えた。

 けれど、その直後。

 繋いだ手に、ぎゅっと力が加わる。


「男目当て?」

「違うってば」


 思わず顔を上げた。

 すぐ近くに、クレイの顔があった。


 立てた膝に片肘をつき、私を観察するような眼差しを向けている。


「本当に? 好きな男がいたんじゃないの?」

「……だから、いないわよ」

「ふうん」


 クレイの表情は晴れない。

 私を見つめる瞳は冷めきっていて、こちらの言葉を少しも信用していないように見えた。

 やがて彼は、繋いだ手をゆっくりと持ち上げた。


「……?」


 引かれるまま、私の手も持ち上がる。


 クレイはその手を、自分の顔へゆっくりと引き寄せた。

 私の手の甲に、温かな吐息が触れる。


 あとわずかで、唇が触れてしまいそうな距離。


 思わず声が漏れそうになった。


 喉が乾き、頭の芯まで熱が上がっていく。

 目眩がするほどの動揺に耐えきれず、私は慌てて口を開いた。


「クレイ! 昨夜はあんまり眠れていないんじゃない!?」

「……」

「寝不足は良くないんじゃなかった?」


 誤魔化すように続けたが、クレイの視線は動かない。

 ただ真っ直ぐ、私を射すくめる。


「今夜は私が見張りをするから、朝まで寝たほうがいいわよ」


 一瞬、クレイの顔から表情が消えた。

 私の手を握る指だけが、微かに強張る。

 何かを飲み込むように唇を結んだあと、低い声が落ちた。


「明日になったら、他人になるのに?」


 指先に、さらに強い力が加わる。


「もしも、この手が離れたら、僕はずっと君に恋をしたままなんだよね?」

「……そ、そうね」


 どうにかそれだけ答える。


 するとクレイは、わずかに目を伏せた。

 けれど、彼は決心したように再び顔を上げ、私をまっすぐ見据える。


「もしそうなったら、責任を取ってくれる?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。