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軍議と濃姫

清洲城、評定の間。

障子の外は静かだった。

だがその静けさは、嵐の前のものだ。

尾張はまだ一つではない。

織田信行が兵を集めているという報は、もはや隠す気配もなかった。

重臣たちが揃う中、私は――濃姫は、信長の左隣に座している。

最初は異様に見られたこの光景も、今では“理由のある配置”として受け入れられつつあった。

信長が口を開く。


 

「信行が動く」


 

短い言葉。

だが、それで十分だった。


 

「戦は避けられぬ」


 

誰も異を唱えない。

柴田が言う。


 

「ならば、兵をまとめ、叩くのみ」


 

武断。

正しい。

だが、それだけでは足りない。

信長の視線が私に寄越される。


――言え。


私は一礼し、静かに口を開く。


 

「信行様に与する者は、“勝てる側”に付いているわけではございません」


 

ざわ、と空気が揺れる。


 

「では、何ゆえだ」


 

林が問う。

私は答える。


 

「安心を求めております」


 

理解できぬ、という顔が並ぶ。


私は続ける。


 

「正統、という言葉に」


 

「母君の後ろ盾に」


 

「変わらぬ秩序に」


 

それは戦国において、強い理由だ。

だが――


 

「それは“過去”です」


 

広間が静まる。

私は言い切る。


 

「信長様は“未来”を示さねばなりません」


 

信長が、わずかに口元を歪める。


 

「未来、か」


 

「はい」


 

私は頷く。


 

「戦の前に、戦の後を示します」


 

柴田が眉をひそめる。


 

「戦う前に、負けた者の話をするのか」


 

「違います」


 

私は即座に返す。


 

「勝った後の話です」


 

沈黙。


 

「降る者は許す」


 

「所領は減らしても、家は残す」


 

「働きで戻す」


 

私は一つ一つ、言葉を置く。


 

「そう明言すれば、“最後まで戦う理由”が減ります」


 

現代の組織でも同じだ。

逃げ道を用意された者は、無駄に争わない。

信長が言う。


 

「戦わずして崩す、か」


 

「はい」


 

「内から崩れます」

 


彼はしばし考え、そして断じた。


 

「濃の策を用いる」


 

即断。

迷いはない。


 

「降る者は生かす」


 

「だが、裏切る者は斬る」



線引きは明確。

そしてさらに言う。


 

「戦の後、市を開く」


 

重臣たちが顔を上げる。


 

「商いを守る」


 

まだ戦も始まっていない。

それでも、信長はすでにその先を見ている。

私はその横顔を見た。

――この人は、本当に先を見ている。

ただ勝つだけではない。

続ける気だ。

林が慎重に問う。


 

「しかし、いくらご正室様とはいえ、軍議に女がここまで関わるは……」


 

その瞬間。

信長の声が落ちる。


 

「濃は俺の妻だ」


 

静かだが、重い。


 

「内を知り、外を見る」


 

「俺が隣に置くと決めた」


 

それだけで、議論は終わる。

私は口を挟まない。

言葉で争う必要はない。

この人が、すでに答えを出している。

評定が終わる。

家臣たちが去り、広間に静寂が戻る。

私は小さく息を吐いた。


 

「……緊張しました」


 

「嘘だな」


 

即答。

信長がわずかに笑う。


 

「お前はああいう場が性に合う」


 

「会議体は慣れておりますので」


 

「かいぎたい?」


 

「集まって決める場、です」


 

彼は呆れたように息を吐く。

だが、否定はしない。


 

「胡蝶」


 

「はい」


 

「戦が始まる」


 

「はい」


 

「城は揺れる 」

 奇妙丸。

 土田御前。

 信行派の動き。

 すべてが火種だ。


 

「お前が抑えろ」


 

私は迷わず頷く。


 

「承知いたしました」


 

信長は一歩近づく。


 

「俺は外を斬る」


 

「お前は内を守れ」


 

役割は明確。

 そして最後に、静かに言った。


 

「俺が信じるのは、お前だ」


 

その言葉は、何よりも重い。

 私は微笑む。


 

「では、負けられませんね」


 

「当たり前だ」


 

短い返答。

 だが、それで十分だった。

 尾張はまだ割れている。

 兄と弟が刃を交える前夜。

 だが――勝敗はすでに、半分決まっている。

 未来を語れる者が、勝つ。

 その未来の設計図に、私はいる。

 正室として。

 そして――信長が唯一、迷わず信じる女として。

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