初夜
行灯の灯りがゆらゆら揺れ、
薄暗い部屋に静けさが満ちていた。
私は布団の端に座り、
胸の鼓動が落ち着かないまま、信長を待っていた。
(……緊張する……けど、怖くはない。むしろ、さっきの虚勢ツンデレ信長を思い出して、ちょっと笑いそう……)
その時──
ガラッ!!
勢いよく襖が開いた。
「こ、胡蝶!入るぞ!」
(入るぞ宣言、かわいい……)
信長は妙にキリッとした顔で入ってきたが、
その足取りは明らかにぎこちない。
そして、部屋に入った瞬間──
ゴンッ!!
「……っ!」
信長の額が、襖の枠に思いっきりぶつかった。
(ええええええ!?初夜の一歩目で負傷!?)
信長は何事もなかったかのように咳払いした。
「い、今のは……暗かっただけだ。わしは何も痛くない」
(いや絶対痛いでしょ……!)
信長は私の前に座り、
腕を組んでそっぽを向いた。
「べ、別に……緊張しているわけではないぞ」
(いや、さっきから挙動が全部緊張してる……!)
信長はさらに虚勢を張るように続ける。
「そなたが怖がっておらぬか、それを確かめに来ただけだ。……それだけだ」
(優しい……けど言い方……!)
私は微笑んだ。
「大丈夫です。信長様がいてくださるので」
信長は固まった。
本当に固まった。
「……っ……そ、そうか……」
耳まで真っ赤。
沈黙が落ちる。
でも、さっきより柔らかい。
信長は深呼吸し、
少しだけ素直な声で言った。
「……胡蝶。わしは……不器用だ。どう接すればよいのか、よくわからぬ」
私はそっと信長の手に触れた。
「ゆっくりでいいんですよ。私も……同じですから」
信長は驚いたように目を見開き、
そして、ほんの少し笑った。
「……ならば、共に学んでいけばよいな」
その瞬間──
バサッ!
信長の袖が行灯に引っかかり、
危うく倒しそうになる。
「うおっ……!」
慌てて支える信長。
慌てて支える私。
二人の手が重なり、
信長はさらに真っ赤になった。
「い、今のは……わざとだ」
(絶対わざとじゃない!!この人……かわいすぎる……!)
信長は照れ隠しのように咳払いし、
私の隣に静かに座った。
「胡蝶。今日は……そなたと話がしたい。それでよいか」
その声は、虚勢でも強がりでもなく、まっすぐな優しさだった。
私は頷いた。
「はい。お話ししましょう、信長様」
信長はほっと息を吐き、少しだけ肩の力を抜いた。
「……ならば、まずは……そなたの好きなものを教えてくれ」
(初夜に“好きなもの”聞くの!?かわいい……!)
こうして、虚勢とドジが渋滞した信長との初夜は、笑いと緊張と優しさに包まれて始まった。
信長は、私の隣に座ったまま、
落ち着かない様子で指先をいじっていた。行灯の灯りが揺れ、その影が信長の横顔を柔らかく照らす。
「……胡蝶」
「はい」
信長は一度口を開きかけて、
すぐに閉じた。
そして、また開く。
「……そなたは、美濃では……どのように過ごしておったのだ」
(あ、話題を探してる……かわいい……)
私は微笑んで答える。
「父上のそばで文を読んだり、
侍女たちと話したり……時には馬で遠がけをし、薙刀を振るったり、弓を射たりしてました。父は男勝りな私をそれは可愛がってくださいました」
私は自分にびっくりした。
美濃でどう過ごしたなんて、目覚めた1週間前の記憶なんてないのに、スラスラと言葉が出てきたのだ。
信長はこくりと頷き、なぜか胸を張った。
「そ、そうか。ならば……尾張でも同じように過ごせばよい。わしが……守る」
(守るって……そんな真剣に言われたら……)
胸がじんわり熱くなる。
信長はさらに続けようとして──
バサッ!
袖が行灯にまた引っかかった。
「うおっ……!」
慌てて立ち上がろうとして、
布団に足を取られ──
ドサッ!!
信長は見事に転んだ。
「若っ!?」
「信長様っ!?」
侍女がいないのに、思わず声が出た。
信長はすぐに起き上がり、
何事もなかったかのように咳払いした。
「……今のは……わざとだ」
(いや絶対わざとじゃない!!初夜に二回も転ぶ人いる!?マジかわいすぎるんだけど……)
信長は耳まで真っ赤にしながら、
私の前に座り直した。
「……胡蝶。わしは……そなたに笑われるのが……嫌ではない」
(え……)
信長は視線を落とし、
ぽつりと続けた。
「そなたに笑われると……胸が、少し……軽くなる」
その言葉は、
虚勢でも強がりでもなく、
まっすぐな本音だった。
私はそっと信長の手を取った。
「信長様。私は……あなたのそういうところが、とても……好きです」
信長は固まった。
本当に固まった。
「……っ……す、すき……?」
「はい」
信長は顔を真っ赤にし、
視線を泳がせながら呟いた。
「……そなたは……ずるいな……そんなことを言われたら……わしは……どうすればよいのだ……」
(かわいい……この人、本当に天下取るの……?いや、取るんだろうけど……かわいい……)
信長は深呼吸し、
ゆっくりと私の手を握り返した。
「胡蝶。わしは……そなたを大切にしたい。ゆっくりでよい。そなたと……歩んでいきたい」
その声は震えていたけれど、
確かに温かかった。
私は静かに頷いた。
「はい。私も……信長様と共に」
行灯の灯りが揺れ、
二人の影が重なる。
その夜、
私たちは布団の上で向かい合い、
ぎこちなく、でも確かに心を近づけていった。
初夜は、
ただ“話すだけ”だったけれど──
それが何よりも大切な時間になった。
その夜、私は飽くことなく信長様と談笑し、
気づけば夜が白み始めていた。
(……まさか初夜に一睡もしないで喋り倒すとは思わなかった)
信長様はというと──
「ふ、ふん……わしは眠くなどないぞ……」
と言いながら、
三回くらい舟を漕いでいた。
(かわいい……)
本来なら、
初夜の儀を床を共にせず過ごすなんて、この時代ではありえない。
だから私たちは──
襦袢姿で朝を迎え、“初夜を済ませた夫婦”を装うことにした。
信長様は顔を真っ赤にしながら言った。
「こ、これも……必要な策だ……!誤解を招くよりは……その……よいだろう……!」
(いや、誤解どころか誤解しか生まれないけど!?)
二人で並んで朝食をとると、
侍女たちの視線が痛いほど熱い。
「まあ……仲睦まじい……」
「さすが信長様……」
「濃姫様もお美しい……」
(いや、違うんです……!ただ喋ってただけなんです……!)
信長様は虚勢を張って、
わざとらしく咳払いした。
「……当然だ。わしと胡蝶は……その……仲がよいからな」
(言いながら耳まで真っ赤になってる……!)
そして噂は秒速で城中に広がる
「信長様と濃姫様、熱い初夜を過ごされたそうで!」
「夜明けまで……だとか……!」
「さすが美濃の姫……!」
(いや、違うんだってば……!本当に喋ってただけなんだってば……!)
信長様は噂を聞くと、なぜか胸を張って言った。
「……うむ。まあ……否定はせぬ」
(否定しないんだ!?)
その日のうちに、
信長様は家臣と領民に向けて触れを出した。
「美濃より来た貴人、胡蝶を“濃姫”と呼ぶべし」
(……濃姫)
その名を聞いた瞬間、
胸がじんわりと熱くなった。
信長様は照れ隠しのようにそっぽを向きながら言った。
「そなたは……美濃の誇りだ。名も……それにふさわしくあれ」
(……この人、本当に優しい)
私はそっと微笑んだ。
「ありがとうございます、信長様。これからも……よろしくお願いいたします」
信長様は一瞬固まり、
耳まで真っ赤になりながら呟いた。
「……ああ。そなたが隣におれば……わしは強くなれる」
(……そんなこと言われたら、
好きになるに決まってるじゃない)
こうして、
“初夜をしてないのにしたことになってる夫婦”は、
城中の噂を背負いながら、
仲睦まじい新婚生活をスタートさせた。




