過去のレイズを知る③メルェ
レイズは問いかける。
「ヴィル……俺は村で、何をしたんだ?」
一瞬だけ迷うように目を伏せたヴィルは、しかしやがて覚悟を決めたように息を整えた。
「……貴方に隠し続けることは、もう難しいでしょう」
ゆっくりと顔を上げ、レイズの瞳を正面から見据える。
「――メルェ。魔族の少女の名です」
その名を耳にした瞬間、レイズの心がざわめく。
「……メルェ……?」
小さく呟く声。聞き覚えがあるのに、記憶の底から掬い上げられない。
ヴィルは静かに続けた。
「彼女は……貴方にとってかけがえのない存在でした。
ともに過ごし、支え合い、幼いながらも貴方は『守る』と誓った。
その想いが、レイズ……貴方を強くもしたし、同時に脆くもしてしまった」
レイズは息を飲む。
「……それで……メルェは?」
ヴィルの瞳に影が落ちた。
「彼女は命を落とした。……村で起きた不幸な出来事の中で」
短く、だが重い言葉。
「そのときの悲しみと怒りが……貴方を突き動かした。
村で起きたこと――それは誰もが忘れられぬ惨事です」
レイズの胸に、説明のつかない痛みが走った。
記憶のないはずの心が、確かに反応していた。
そうして、私も間違っていました——とヴィルは静かに吐露するように続けた。
その言葉を受け、ヴィルの胸の奥で少年時代のレイズの声が響き返すのを、彼は否応なく思い出す。
「じいさまもいたのに! なんで助けてくれなかったのか!? 彼女が魔族だからですか!?」
幼いレイズの叫びに、ヴィルはゆっくりと顔を上げて答えた。
「レイズ。貴方は自分で守ると言ったではないか。メルェが魔族であることは関係ない」
その言葉を聞いた少年のレイズは、目を見開き、震える声で応えた。
「わかった。なら、僕がメルェの無念を晴らしてやる。村の連中だ、絶対に許さない!」
しかしヴィルは厳しい調子で制した。
「レイズ! 何をしようとしているのか分かっているのか。村の人間が――」
言いかけたヴィルを遮るように、少年は声を荒げた。
「うるさい!!」
そう言い放つと、レイズはそのまま居間を飛び出していった。
床に残されたヴィルの声が、追いかけようとするかのように響く。
「レイズ!!」
だが、駆け去る足音は止まらない。ヴィルの呼び声は風に消え、若き日の決意だけが夜の空気に残った。
「……そうして、悲劇は起きました」
ヴィルの声は低く、重みを帯びていた。
「レイズ。あの時、貴方は村へと走り、怒りのままに人々を襲ったのです」
言葉を重ねるたび、その場の空気は沈み込んでいく。
「村の者たちは、魔族の娘を害した真犯人ではなかった。……だが貴方は誰の声も届かぬまま、剣を振るい、何人もが重傷を負いました」
レイズは息を詰める。自分がやったわけではない。だが――確かに“レイズ”がやったことなのだ。
ヴィルは目を伏せ、静かに続けた。
「私たちはすぐに駆けつけ、貴方を取り押さえ……屋敷へと連れ戻しました。そして、しばらくの間、貴方を監禁せざるを得なかった」
重い沈黙。
「それからです。……貴方が、私と口をきかなくなったのは」
ヴィルの声音には悔恨と寂しさが入り混じっていた。
レイズは、静かに理解した。
――村を襲ったのは、「レイズ」自身。
守れなかった自分。
その悔しさと無力感を、どうしようもない怒りに変えて、村人へとぶつけてしまった。
「……俺が一番許せなかったのは……守れなかった自分だったのか」
小さく漏らすその声は震えていた。
そして同時に理解する。
村人が、なぜ今も自分を憎み、忌み嫌うのか。
あれは当然の報いだったのだと。
そして――ふと思い出す。
(……そうか。ヴィルが時折俺に向けていた、あの鋭い視線……。あれは“警戒”だったのか)
過去の罪を忘れてはいけないと、目で訴え続けていたのだ。
レイズは深く息を吐き、静かに呟いた。
「そうだったのか……」
しばし沈黙したのち、レイズは顔を上げる。
そこには、かつての自分を重ねた怒りの光が宿っていた。
「メルェは.....ゆるせねぇ....」
ヴィルは深く息を吐き、静かに言った。
「えぇ。私も許せませんでした。……だからこそ、これは誰かが意図して仕組んだことだと、私は理解しています」
レイズの胸にざらついた怒りがこみ上げる。拳を膝の上で握り締め、唇をかみしめながら問う。
「じゃあ……真犯人はどうなったんだ? 捕まったのか? 処分されたのか?」
ヴィルは首を横に振った。
「わかりません。ですが、ひとつだけはっきりしていることがある」
その目は鋭く、レイズの奥底を見透かすように向けられる。
「メルェの姿は、アルバードが用意した服を身につけていませんでした。なぜか……ボロボロの服を着せられていたのです」
「……っ」レイズの喉が鳴る。
「さらに、あの村ではちょうど盗難の話が出ていた。その状況の中で、メルェは罪を擦り付けられ……そして殺されたのです」
ヴィルの声は淡々としていたが、その奥には深い怒りと悔しさが滲んでいた。
「……ふざけるな」レイズは低く呟いた。
「つまり……誰かが意図的に仕組んだってことだろ。俺の、大切な……仲間を」
ヴィルは静かに頷いた。
「えぇ。だからこそ、私は許せなかった。……だが、だからといって感情のままに動けば、また同じ悲劇を繰り返す」
彼は視線を逸らさず、重く言葉を落とした。
「だから、貴方には乗り越えてもらわねばなりません。人の上に立つ者として。真実を掴む意思の強さが必要です」
レイズは奥歯を噛みしめ、目を閉じた。脳裏にはメルェの姿も、村人たちの憎悪も、そして過去の自分の暴走も浮かんで消える。
「……あぁ、わかってる。俺は……守れなかった。その事実は消えない。でも、今度は逃げない。必ず真実を掴んでみせる」
ヴィルの目がわずかに和らぐ。だが声は厳しさを保ったままだった。
「それでいいです。だが一つだけ忘れるな。真実を求めることと、ただの復讐は違う。お前の正義が曲がれば、結局は誰も救えなくなる」
レイズは深く頷いた。
「肝に銘じるよ……ヴィル」
その瞳には、怒りの奥で燃え続ける覚悟が宿っていた。




