優秀な使用人たち。そして晩餐へ。
クリスと俺は、その後もさまざまな話をした。
ヴィルのこと。
執事として、これまでどのようにアルバードで生きてきたのか。
そして、これから相談役として何をすべきなのか。
初めこそ互いにどこかぎこちなかったが、話を重ねるうちに、少しずつ空気は和らいでいった。
クリスは、見た目どおりの男だった。
真面目で。
誠実で。
そして、驚くほど真っ直ぐだ。
特にヴィルの話をするとき、その口調はいつもより少しだけ熱を帯びていた。
「ヴィル様には、返しきれぬほどの恩があります。」
静かな声だった。
だが、そこに込められた思いは強い。
「私が今こうしてアルバードとして立っていられるのも、すべてヴィル様のおかげです。」
「へぇ……。」
俺は湯船へ肩まで浸かりながら、隣へ座るクリスを見た。
彼は遠くを見るように目を細めている。
その姿は、まるで師を敬う弟子のようだった。
少し堅苦しいところはある。
考え方も、どこか融通が利かない。
けれど、そのすべてが悪いものには思えなかった。
(……悪くないやつだな。)
最初は勝手に湯殿へやってきた変な男としか思っていなかったが、話してみれば印象はずいぶん違う。
こちらの話にも真剣に耳を傾ける。
分からないことは素直に尋ねる。
間違いを指摘されれば、言い訳もせずに受け入れる。
その真っ直ぐさに触れるうちに、俺は少しずつ心を許していた。
だが同時に。
どうしても引っ掛かることがあった。
(……なんか、誰かに似てる気がするんだよなぁ…。)
ちらりと隣を見る。
湯気の向こうに見える、整った横顔。
若くして煌びやかな銀髪。
肩よりも長く伸びた髪は、水に濡れたことで普段よりも深い色合いを見せている。
目鼻立ちも整っており、黙っていれば貴族の令息と言われても疑わないほどだ。
(でも、クリスなんて名前……俺は知らないんだよな。)
ゲームの中で聞いた覚えもない。
少なくとも、重要人物として登場した記憶はなかった。
(それにしても……。)
もう一度、横顔を見る。
(本当にこいつ、くそイケメンじゃねぇかよ……。)
同じ男として、なんとなく腹が立つくらいに整っている。
俺がじっと見ていたことに気付いたのか、クリスが不思議そうに首を傾げた。
「どうかなさいましたか、レイズ様。」
「いや……。」
思わず視線を逸らす。
「なんでもない…。」
「そうですか…。」
クリスはそれ以上追及することなく、静かに頷いた。
やがて俺たちは入浴を終え、脱衣所へ移動した。
体を拭き、用意されていた衣服へ袖を通す。
その瞬間。
「……あれ?」
妙な違和感を覚えた。
以前は、窮屈すぎてまともに動くことすら難しかった服。
鍛練を始め、少し痩せてから着たときには、今度は緩くなりすぎて腰からずり落ちそうになっていた。
けれど今は違う。
肩も。腕も。腰も。
無駄な隙間がなく、ぴたりと体に合っている。
きつくもない。
緩くもない。
まるで今の俺の体を正確に測って作られたようだった。
「……サイズ、完璧じゃないか?」
思わず袖口を見つめながら呟く。
すると、隣で着替えていたクリスがすぐに答えた。
「当主様。リリアナ様が仕立て直されたのでしょう。」
「……リリアナ?」
「はい。」
クリスは当然のように頷く。
「鍛練によって痩せられた分に合わせ、衣服を仕立て直されたのだと思われます。」
「リリアナ……。」
名前を口の中で繰り返す。
リアナ。
ではない。
リリアナ。
(誰だ、それ……。)
聞き覚えがあるような気もする。
だが、はっきりとは思い出せない。
それでも。
誰かが俺の体形の変化に気付き。
何も言わず。
こうして衣服を直してくれていた。
その事実が、胸の奥へじんわりと染み込んでいく。
雑に扱われることに慣れていた記憶が、どこかに残っている。
誰にも期待されず。
誰にも気に掛けられず。
ただ、厄介者のように扱われていた過去。
だからこそ。
こうして見えないところで支えてくれる存在のありがたさが、痛いほど胸へ響いた。
(……ありがたいな。)
俺はまだ知らない。
リリアナという人物が、レイズとどれほど深い関わりを持っているのかを。
鏡へ映る自分を見つめる。
以前より少しだけ引き締まった顔。
まだまだ太ってはいる。
それでも、確かに変わり始めていた。
俺は照れくささを隠すように、小さく呟く。
「…なんか…悪くないな。」
そのときだった。
「ですが、レイズ様。」
クリスが真剣な声音で問い掛けてきた。
「どうして、そこまで痩せることへ拘られるのですか?」
「ん?」
「鍛練をされる理由は理解できます。」
クリスはまっすぐ俺を見る。
「魔法を学び、剣を振るい、当主として力を得る。」
「それは必要なことなのでしょう。」
「ですが……。」
一度言葉を区切る。
「痩せることそのものに、そこまで執着される理由が私には分かりません。」
「…………。」
俺は黙った。
クリスの表情は真剣だった。
本気で疑問に思っているらしい。
俺は少し考えたあと。
ゆっくり立ち上がった。
「クリス。」
「はい。」
「よく見ろ。」
「……何をでしょうか?」
俺は胸を張る
そして。
服の上から両手で腹を持ち上げるように掴んだ。
「見よ!」
「はい。」
「これが――俺の腹だッ!」
ぽよん。
両手で腹を叩く。
ぽよん、ぽよん。
柔らかい肉が、情けないほど揺れた。
クリスは無言でそれを見つめている。
「…………。」
「…………。」
俺は少しだけ頬を引きつらせながら言った。
「……恥ずかしいだろ、こんなの。」
その一言に、クリスは目を丸くした。
しばらく俺の腹を見つめ。
やがて口元を引き結ぶ。
そして、深く頷いた。
「……なるほど。」
「分かったか?」
「はい。」
クリスの表情は、どこまでも真剣だった。
「確かに、それは……お辛いでしょう。」
「分かってくれたか!」
「はい。」
「だよな!!?」
「はい!」
二人の間に、妙な沈黙が流れる。
だが、それは先ほどまでの気まずい沈黙ではなかった。
言葉にしなくても分かり合えたような。
そんな不思議な空気だった。
(……初めてだ。)
俺が痩せたい理由を、ここまで真剣に受け止めてくれた人間は
少し大げさかもしれない。
けれど俺は、その瞬間。
初めて理解者を得たような気がした。
そして、クリスへさらに心を許したのだった。
着替えを終え、俺たちは脱衣所をあとにした。
廊下へ出ると、そこにはリアナが待っていた。
俺の姿を見ると、すぐに一歩前へ出て深く頭を下げる。
「当主様。皆様がお待ちです。」
「……皆様?」
思わず聞き返した。
「はい。」
リアナは穏やかに微笑む。
「お食事のご用意が整っております。」
「皆様……。」
その言葉が妙に引っ掛かる。
これまで食事は、ほとんど一人だった。
豪華な料理が並んでいても。
広い食卓に座るのは俺だけ。
それが当主として当然なのだと思っていた。
だが。
(……そういえば。)
ふと気付く。
(俺、レイズの家族に会ったことがないな……。)
父親。
母親。
兄弟。
姉妹。
いるのか…?
この世界へ来てから、そうした人物を一度も見ていない。
皆様。
その言葉が、家族を意味するのだと考えた瞬間。
胸の奥がざわついた。
(どうする……。)
(いきなり親とか出てきたら、何を話せばいいんだ…)
足取りが自然と重くなる。
そんな俺の様子に気付いたのか、リアナが少しだけ首を傾げた。
「当主様?」
「いや……なんでもない。」
「そうですか。」
リアナはそれ以上尋ねず、食堂へ続く廊下を進んでいく。
やがて、重厚な扉の前へ辿り着いた。
「皆様、中でお待ちです。」
リアナは扉の前で立ち止まり、恭しく一礼する。
「では、ごゆっくりお過ごしくださいませ。」
「……うん。」
俺は扉を見上げた。
大きい。
重そうだ。
そして、妙に威圧感がある。
(自己紹介するのか?)
(いや、向こうは俺を知ってるよな。)
(じゃあ、普通に挨拶?)
(礼儀正しくしすぎても変か……?)
頭の中で、いくつもの場面を想像する。
だが、どれもしっくりこない。
(ええい、もういい!)
俺は大きく息を吸った。
そして、覚悟を決めて扉を開く。
ゆっくりと開いた扉の向こう。
長い食卓。
灯された明かり。
並べられた料理。
そして。
「……え?」
そこにいたのは。
イザベルと。
ヴィルだけだった。
俺は思わず目を瞬かせた。
(……二人?)
てっきり親戚一同がずらりと並んでいると思っていた。
それだけに拍子抜けする。
同時に。
胸の奥へ、わずかな安堵が広がった。
「何してるのよ。」
イザベルが軽く手を振る。
「こっちよ、レイズくん。」
「……ああ。」
ヴィルも静かに俺を見る。
「早く座りなさい。」
「分かった。」
俺は促されるまま席へ向かう。
三人で食卓を囲む。
料理の香りが広がる中、食事は静かに始まった。
だが。
どこか妙だった。
イザベルは、先ほどまでとは少し違う表情をしている。
落ち着いている。
というより。
何かを話し終えたあとのような。
すでに答えを得た人間のような顔だった。
ヴィルもまた、いつもとは少し違う。
俺を見るたび、何かを言いたげにしている。
(なんだ……?)
嫌な予感がする。
箸を動かしながら、俺は二人の様子を交互に見た。
すると。
ヴィルが静かに手を止める。
「……レイズ。」
「なんだ?」
ヴィルは一度、イザベルへ視線を向けた。
それから再び俺を見る。
「イザベルに、話してしまったのですね。」
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
(何を?)
頭の中へ、大きな疑問符が浮かぶ。
俺はイザベルを見る。
イザベルは少し困ったように苦笑した。
「まあ……そういうこと。」
「どういうことだよ。」
何が起きているのか分からない。
だが、二人の間ではすでに話が通じているらしい。
そして。
ヴィルは珍しく、深いため息を吐いた。
「はぁ……。」
長く。
本当に長いため息だった。
そこには、これまで積み重なっていたすべての勘違いが詰め込まれているようだった。
だが。
俺だけが、何も分からない。
(……なんなんだよ。)
静かな食卓。
漂う料理の香り。
そして妙に重い空気。
そんな中。レイズは、ゆっくりと口を開いた。




