クリスとの繋がり。
クリスは丁寧にタオルへ泡を立てる。
そして傷一つ付けまいとするかのように、慎重な手つきでレイズの背中を洗っていた。
湯気が立ち込める浴場。
静かな空間に、クリスの落ち着いた声が響く。
「……レイズ様」
「なんだ…」
「私は感動いたしました」
その声音には偽りがなかった。
心からの敬意。
そして感銘。
「強くなるために、あれほどの鍛錬を積まれる精神力」
タオルを動かす手は止まらない。
「並の者には決して歩めぬ道でございます」
そして静かに続ける。
「まさしく当主様の器かと」
レイズは思わず少しだけ胸を張った。
(……おお)
悪い気はしない。
むしろかなり良い。
(完全に『痩せたい』が抜け落ちてるけど)
(まぁいいか)
(結果オーライだ)
湯に浸かりながら、わざと低い声を作る。
「そうだな……」
顎を引く。
「鍛錬とは、己を強くするためだけにあるものではない」
それっぽく言う。
「私がそれを成すからこそ、皆がついてくる」
一拍置く。
「そう理解したのだ」
クリスの目が輝いた。
「……お見事なお考えです」
深く頭を下げる。
「お言葉、心に刻ませていただきます」
レイズは満足げに頷く。
なお。
本音は。
(痩せたい)
それだけだ。
クリスはしみじみと続ける。
「確かに……我々のレイズ様を見る目は変わりました」
「ほう」
「そしてそれを最初から見抜いておられたヴィル様」
尊敬の念が滲む。
「やはり傑物にございます」
レイズは少し引っかかった。
(いやいやいや)
(初日は露骨だったろ)
(お前ら全員『関わりたくない』って顔してたじゃないか)
そこでふと思う。
今なら聞けるかもしれない。
「クリス」
「はい」
「素直に言え」
クリスの手が止まる。
レイズは振り返らずに続けた。
「前の俺はどうだった?」
浴場に静寂が落ちる。
クリスは少しだけ考えた。
慎重に言葉を選ぶ。
「……そうですね」
ゆっくりと口を開いた。
「以前のレイズ様も、ただ者ではない雰囲気をお持ちでした」
レイズは黙って聞く。
「ですが――」
そこでクリスの声が少し沈んだ。
「メルェの件から」
「我々はどこか距離を置いてしまっていたのかもしれません」
レイズの眉が僅かに動く。
(メルェ?)
知らない名前だった。
ゲームにいた記憶もない。
(誰だそれ……)
頭の中で検索する。
該当なし。
完全に初耳である。
だが顔には出さない。
何食わぬ顔で頷いた。
「あぁ……」
適当に相槌を打つ。
「そうだな」
まるで知っているように。
「簡単に乗り越えられることではなかった」
知らない。
本当に知らない
だが勢いで続ける。
「しかし、このまま立ち止まっていても何も生まれない」
クリスが目を見開く。
レイズは止まらない。
「草原で空を仰いだ時」
少し遠くを見る。
「己という存在がどれほど小さいのかを知った」
それっぽい。
かなりそれっぽい。
「だからこそ」
顎を引く。
「進むべき道を決めたのだ」
完璧だった。
少なくともレイズはそう思った。
クリスは深く頷く。
「……お見事です」
完全に感銘を受けていた。
レイズは少しだけ罪悪感を覚えた。
ほんの少しだけ。
そんな中。
ふと違和感を覚える。
(……ん?)
数秒考える。
(待てよ)
さらに数秒。
(背中いつまで洗ってるんだ?)
長い。
異様に長い。
そろそろ皮が剥けそうである。
レイズは恐る恐る口を開いた。
「クリスよ」
「はい」
「もう十分ではないか?」
クリスは真面目な顔だった。
「申し訳ございません」
深々と頭を下げる。
「お話があまりにも深いものでしたので」
「つい手が止まらず」
いや。
止まってない。
むしろ動き続けている。
そしてクリスは自然な流れで言った。
「それでは次は前を丁寧に――」
「まてぃ!!!」
浴場に絶叫が響いた。
クリスが固まる。
レイズは勢いよく振り返った。
「前は!」
必死だった。
「そうだな!」
必死である。
「実は傷が痛むのでな!」
苦しい。
かなり苦しい。
「先に入念に洗ってある!」
そして締める。
「だから大丈夫だ!!」
完璧だった。
多分。
おそらく。
きっと。
クリスは納得したように頷く。
「なるほど」
レイズは心の中で安堵した。
(あぶねぇぇぇぇぇぇ!!)
危機一髪だった。
(変なことになったら威厳どころじゃないだろ!!)
(社会的に終わる!!)
即座に話題を変える。
「さぁ!」
勢いよく立ち上がる。
「また…湯船に入るぞ!」
クリスは恭しく頭を下げた。
「御意」
そして丁寧にタオルを畳む。
「当主様」
こうしてレイズは、ギリギリのところで己の尊厳を守り抜いたのであった。
――ちなみに。レイズは心の中で思っていた。
(ていうか普通に嫌だろ……)
誰かに身体を洗われる。
しかも前まで。異性だとか同性だとか。
そういう話ではない。羞恥心の問題である。
誰だって恥ずかしい。そう思う。
だがレイズは知らない。
自分がいた世界の常識。
そしてこの世界の常識。
その二つは決して同じではないことを。
価値観。文化。距離感。
その全てが微妙にずれている。
そしてその小さなズレこそが――
これから先、何度もレイズを混乱させることになるのであった。




