ゲームに登場しない彼らは
草原へ足を踏み入れると、柔らかな風が二人を包み込んだ。
青空の下では草花が静かに揺れ、心地よい風が頬を撫でていく。
イザベルはその風を受けながら気持ちよさそうに目を細めた。
「風が気持ちいいね!」
「ああ、そうだな」
レイズも頷いた。
だが、その意識はすでに別のところへ向かっていた。
(……やっぱり、おかしいんだ)
目の前に広がる景色を眺めながら、レイズは考える。
ゲームには、こんな人たちは存在しなかった。
アルバード家に仕える使用人たち。
リアナも、リアノも、ヴィルも。
皆が確かにここで生きている。
笑い、悩み、働き、時には怒り、それぞれの未来を思い描いている。
それなのに――レイズが知るゲームの中では、彼らの名前すら語られていなかった。
存在していたのかどうかさえ分からない。
(じゃあ……本来の歴史では、みんなどうなったんだ?)
胸の奥が、わずかに痛んだ。
(消えたのか……?)
自分が知らなかっただけなのか。
それとも、歴史のどこかで命を落としたのか。
あるいは――。
考えれば考えるほど、答えは遠ざかっていく。
けれど、一つだけ確かなことがあった。
彼らは背景ではない。
物語を彩るためだけに置かれた存在でもない。
一人一人が意思を持ち、感情を持ち、確かにこの世界を生きている。
それを知ってしまった。
だからこそ、もうゲームの登場人物だけを見ていればいいとは思えなかった。
風が吹く。
草花が揺れる。
レイズは遠くを見つめたまま、深い思索へと沈んでいった。
どれほどそうしていただろう。
「もしもーし?」
声がした。
けれど、反応できない。
「レイズくーん?」
今度は、すぐ近くから聞こえた。
それでも返事をしなかったレイズの耳元へ、イザベルが顔を寄せる。
「聞こえてますかー?」
「うわぁっ!?」
レイズは飛び上がった。
慌てて振り向けば、そこには満面の笑みを浮かべたイザベルがいる。
「お、おいっ! 急に耳元で叫ぶな!」
「ふふっ、ごめんごめん。だって何回呼んでも全然返事してくれないんだもん」
イザベルは肩を震わせながら笑うと、少しだけ身を乗り出した。
「それで? そんなに真剣な顔して、何を考えてたのかな? お姉さんに言ってごらん?」
無邪気な笑顔だった。
そこに悪意など欠片もない。
レイズはしばらくイザベルの顔を見つめる。
そして――思った。
(……やっぱり子供だな)
先ほどまで胸の中にあった緊張も、不思議と少しだけ和らいでいた。
もちろん、年齢だけを見れば自分の方がずっと幼い。
だが、精神年齢となれば話は別である。
レイズは咳払いを一つすると、わざと落ち着いた表情を作った。
「そうだな……今から何年も先のことを考えていた」
「何年も先?」
「ああ。いや……何十年も先かもしれないな」
そう言って、レイズは青空を見上げた。
イザベルは目をぱちぱちとさせる。
そして数秒後、妙に感心したような顔で頷いた。
「わぁ……なんだか、すごく偉い人みたい」
「当たり前だろ!?」
途端にレイズは得意げに胸を張った。
「俺は当主なんだぞ!」
ふん、と鼻を鳴らす。
その堂々たる宣言に、イザベルは堪えきれず吹き出した。
「ふふっ……あははは!」
明るい笑い声が草原へ響き渡る。
レイズは不満そうに眉を寄せた。
「なんで笑うんだよ!」
「ごめんごめん。でも、急に偉そうになるんだもん」
「偉いんだよ!」
「はいはい、当主様」
「その言い方、絶対馬鹿にしてるだろ!」
再びイザベルの笑い声が響いた。
けれど――。
レイズが先ほど口にした言葉は、決して冗談ではなかった。
本当に未来のことを考えていた。
誰も知らない未来。
いや。
この世界では、レイズだけが知っているはずの未来を。
ゲームの中に登場したレイズ・アルバード。
そこにいた彼は、すでに中年だった。
小太りの身体。
今の幼い姿からは想像もできないほど変わり果てた姿。
けれど、それは確かに存在していた未来だった。
十数年後。
この世界が本来辿るはずだった歴史の一端。
だからこそ、レイズは考えてしまう。
これから先、一体何が起きるのか。
誰が生き残り。
誰が消えていくのか。
そして――。
レイズは、隣で楽しそうに笑っているイザベルへ視線を向けた。
「……?」
視線に気づいたイザベルが、不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの?」
「……いや」
レイズは小さく首を振った。
今ここにいる。
笑っている。
こんなにも近くにいる。
それなのに――。
ゲームの中で、イザベルという名前を聞いた記憶は一度もない。
(……イザベル)
レイズは胸の奥で、その名前を呼んだ。
(お前は……あの未来で、どこにいるんだ?)
そして。
もう一つ。
どうしても頭から離れない疑問があった。
未来の自分。
あのゲームで見たレイズ・アルバード。
今の自分とはあまりにも違うはずだ。
姿だけではない。
雰囲気も。
人との接し方も。
生き方さえも。
まるで別人だった。
(……それに)
レイズは自分の手を見る。
まだ小さな手。
これから変わっていくはずの、自分自身の手。
(俺に……一体何があったんだよ)
何があれば。
これほど多くの者に囲まれている少年が。
あの男になるのか。
何があれば。
今、隣で笑っている少女さえ――。
未来から消えてしまうのか。
風が吹いた。
先ほどまで心地よかったはずの風が、今だけは少し冷たく感じられた。
レイズはまだ知らない。
この疑問の答えが。
自分自身の過去と。
そして――イザベルという少女の存在に、深く繋がっていることを。




