練習だけではないなにか。
イザベルは本棚から数冊の分厚い本を取り出すと、机の上へ重ね、慣れた手つきでページをめくっていった。
そこに記されているのは、魔法理論をはじめ、魔力の循環、詠唱の補助技術、魔力操作の基礎――さらには属性ごとの特性まで。細かな文字が、紙面を埋め尽くすようにびっしりと並んでいる。
しばらく本へ目を通していたイザベルは、ふと顔を上げた。
「レイズ君は今、どこまでできるようになったのかな?」
優しい問いかけに、レイズは少しだけ背筋を伸ばす。
教わる立場なのだと思うと、自然と緊張してしまう。
「魔力の錬成と放出はできるようになった」
そう答えてから、少し考えて言葉を付け足す。
「それから……基本的な行使も、なんとかできるようになったよ」
「えっ……」
イザベルは目を丸くした。
けれど、それもほんの一瞬のこと。
次の瞬間には、花が咲いたような笑顔を浮かべていた。
「すごいじゃない!」
そこにお世辞はなかった。
純粋な称賛だった。
まるで自分のことのように、心から嬉しそうに笑っている。
そんな顔を向けられると、レイズの方が少し照れ臭くなってしまう。
「……そうか?」
視線を逸らすレイズを見て、イザベルは小さく笑った。そして再び本へ目を落とし、何かを考えるようにページをめくっていく。
「それなら次は、魔力の持続力を伸ばした方が良さそうかな」
ぱらり、と紙の擦れる音が響く。
「それと同時に、魔力の質も高めていくのはどうかな?」
「質?」
レイズが首を傾げる。
「うん。同じ魔力でも、人によって密度や安定性が違うの。たくさん魔力を出せればそれでいい、っていうわけじゃないんだよ」
そう説明しながら、イザベルは窓の外へ視線を向けた。
窓から差し込む柔らかな陽光。
青く澄み渡った空。
その下には屋敷の広大な庭があり、さらにその先には、風に揺れる草原がどこまでも広がっている。
「あそこなら、練習するのにもちょうどいいと思うんだけど……」
イザベルは振り返った。
そして、ほんの少しだけ期待を滲ませながら言う。
「一緒に行ってみない?」
その眼差しは、単なる教師が生徒へ向けるものではなかった。
レイズに教えたい。
もっといろいろなことを伝えたい。
そして何より――レイズと一緒にいたい。
そんな温かな想いが、その表情から自然と溢れていた。
断れるはずもない。
「……分かった」
そう答えかけたレイズだったが、ふと何かを思いついたように顎を引いた。
わざとらしく姿勢を正し、落ち着いた声を作る。
「構わぬ」
一拍置いて――
「では――ゆくぞ」
堂々と言い放った。
「…………」
イザベルが固まる。
数秒の沈黙。
やがて――
「ふふっ」
耐えきれなかったように吹き出した。
「な、なんだ?」
「なにそれ……」
イザベルは肩を震わせている。
「変なの……ふふっ」
くすくすと笑う声が、静かな書斎へ溶けていった。
レイズは少し不満そうに顔をしかめる。
「なぜ笑うだよ……」
「だって、急に偉そうなんだもん」
「偉いから……な?」
「そういうところ!」
イザベルはますます楽しそうに笑った。
そんな笑顔を見ているうちに、レイズもいつの間にか頬を緩めていた。
こうして二人は並んで書斎を出た。
長い廊下を歩き、屋敷を抜け、庭を横切っていく。
そして――やがて二人は、広大な草原へと足を踏み入れた。
風が吹く。
青々とした草が波のように揺れ、暖かな太陽の光が二人を優しく照らしている。
レイズは何気なく隣を見た。
そこには、いつものように柔らかな微笑みを浮かべるイザベルがいる。
二人で肩を並べて歩く。
くだらないことで笑い合い、何気ない言葉を交わしながら、同じ道を進んでいく。
――その光景は、なぜかひどく懐かしかった。
まるで、昔からずっとこうしていたかのように。
兄妹のように笑い合い、肩を並べて歩く。
そんな何気ない日々が、かつて確かに存在していたかのような――。
「…………」
レイズの足取りが、ほんのわずかに緩んだ。
隣を歩くイザベルの横顔を見つめる。
柔らかな微笑み。
優しい眼差し。
何度見ても、ゲームの記憶には存在しない少女だ。
知らないはずの人物。
出会った記憶など、あるはずがない。
なのに――。
(……おかしいよな?)
胸の奥に、小さな違和感が生まれる。
いや。
違和感というよりも――懐かしさだった。
(どうしてだろう……?)
風に揺れる草原。
隣を歩くイザベル。
暖かな陽射し。
そのすべてが初めてのはずなのに。
(俺は……この光景を知っている気がする)
初めて見るはずなのに。
初めて歩くはずなのに。
なぜか、ずっと昔にも同じ景色を見たことがあるような気がした。
けれど、思い出そうとしても何も浮かんでこない。
ただ胸の奥に、説明のできない懐かしさだけが残っている。
レイズはまだ知らない。
その小さな違和感が、自身の中で起こり始めている“変化”であることを。
そして――。
今、目の前に広がっているこの景色が。
決して、
一人だけの記憶ではないことを。




