ヴィルからの評価
イザベルは机の上に置かれていた数枚の紙を丁寧に揃えると、その中から一枚だけを抜き取り、レイズの前へそっと差し出した。
「はい。ヴィルおじいさまから預かってるわ。これからの予定と能力評価。それから……素質評価も書いてあるみたい」
「ん?」
レイズは少しだけ目を丸くした。
あのヴィルが、わざわざ自分のために紙へまとめてくれた。それだけでも少し意外だった。
「どれどれ……?」
紙を受け取り、何気なく目を通していく。
――午前。
起床。朝食。柔軟。鍛錬。クリスとの模擬戦。
――午後。
イザベルとの魔法鍛錬。終了後、鍛錬。休憩。鍛錬。
――夕食後。
鍛錬。
――入浴後。
鍛錬。
――就寝前。
鍛錬。
「…………」
レイズは紙を少し遠ざけた。
見間違いかもしれない。
もう一度読む。
やっぱり同じだった。
念のため三度見る。
当然、結果は変わらない。
「アホかぁぁぁぁぁぁ!!!」
部屋中に絶叫が響き渡った。
「鍛錬しかねぇじゃねぇか!!」
その反応に、イザベルは堪えきれず吹き出した。
「ふふっ……」
「笑い事じゃないぞ!? ほら見ろ! 午前鍛錬、午後鍛錬、夜鍛錬! 風呂上がりまで鍛錬! しかも寝る前まで鍛錬! 俺の人生、鍛錬しかねぇ!」
レイズは抗議するように紙をバシバシと叩く。
「ちゃんと休憩もあるでしょう?」
「鍛錬と鍛錬の間だろ!」
「でも休めるじゃない」
「それを世間では休憩って言わねぇんだよ!」
イザベルは肩を震わせながら笑った。
「ヴィルおじいさまらしいわ……」
「らしいで済ませるな!」
「でも、ちゃんと睡眠時間も確保してあるのよ?」
「睡眠削ったら死ぬだろ!」
「それもそうね……」
「納得するな!」
レイズは盛大にため息を吐き、頭を抱えた。
「絶対、俺を人間だと思ってない……」
「ちゃんと思ってるわよ」
「思ってたら鍛錬九割生活なんか作らねぇよ」
「ヴィルおじいさまなら作るわね」
「そこは否定してくれよ!」
もはや何を言っても味方になってくれない。
レイズは諦めかけたが、ふと紙の下の方に見慣れない項目があることに気づいた。
『現在能力評価』
『素質評価』
「ん? 能力評価?」
「ヴィルおじいさまが書いたのよ」
「へぇ……」
少し興味を惹かれ、レイズは読み始める。
【現在能力】
体力 ★☆☆☆☆
筋力 ★☆☆☆☆
敏捷 ★☆☆☆☆
持久力 ☆☆☆☆☆
魔力操作 ☆☆☆☆☆
剣術 ☆☆☆☆☆
知識 ★★☆☆☆
精神力 ★★★★★
根気 ★★★★★
「…………」
レイズはしばらく無言で紙を見つめた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「ひどくない?」
「正直ね……」
「体力一。筋力一。持久力ゼロ。剣術ゼロ。魔力操作ゼロ……」
「まだ鍛え始めたばかりだし、木刀も持ち上げられないでしょう? 魔法だってまだ使えないんだから……」
「フォローになってねぇ!」
イザベルはクスクスと笑う。
「でも、精神力と根気は満点よ。ヴィルおじいさまが一番評価したところなんでしょうね」
「そこだけやたら高いな……まぁ、木刀は頑張ったしな」
少し照れ臭そうに頭を掻くレイズに、イザベルは優しく頷いた。
「うん。そこは私も納得」
その言葉に少しだけ気を良くしながら、レイズはさらに紙を読み進めた。
すると、その下には別の欄がある。
『素質評価』
「魔力素質……五。剣術素質……五。力素質……八。魅力素質……十。当主素質……十……」
「…………」
レイズは紙を見つめた。
もう一度見る。
さらに見る。
そして、ゆっくり首を傾げる。
「……意味が分からん」
そんなレイズを見て、イザベルが吹き出した。
「ちなみにね。それも満点は五点よ?」
「…………は?」
思考が止まった。
「だから、五点満点」
レイズは紙を見る。
八点。十点。十点。
もう一度イザベルを見る。
そして――。
「天井突き破ってるじゃねぇかぁぁぁぁ!!!」
再び部屋中に絶叫が響き渡った。
「五点満点だろ!? なんで八点があるんだよ! しかも十点って何!? 倍だぞ!?」
「ふふっ。私も最初はそう思ったわ」
「評価表じゃなくて数字が暴走してるだろ!」
「うん……」
「認めるな!」
イザベルはとうとう笑いを堪えきれなくなり、口元を押さえた。
「本当に最初は『おじいさま、何を書いてるの?』って思ったもの。五点満点なのに八点とか十点とか……疲れすぎておかしくなっちゃったのかなって」
「俺も今まさにそれを疑ってる」
「でしょう?」
二人で笑い合う。
けれど、しばらくするとイザベルの表情が少しずつ変わっていった。
笑みは残っている。
しかし、それまでの楽しげなものではなく、どこか穏やかで真剣なものだった。
「でもね……すぐに笑えなくなったの」
「どうして?」
イザベルは紙へそっと指先を添えた。
「ヴィルおじいさまは、こういうところで絶対に嘘を書かない人だから。数字一つを書くにしても、必ず理由があるの。だから考えたのよ。どうして、この数字になったのかなって」
静かな声だった。
先ほどまでのふざけた空気が消えていく。
レイズも自然と紙へ視線を戻した。
「魔力素質五点。これは分かるわ。今はまだ魔法を使えなくても、素質そのものはある。だから満点。精神力と根気が五点なのも、今日の話を聞けば納得できる。あの木刀を持ち上げられなくても、何度も挑戦したんでしょう? 苦しくても諦めなかった。ヴィルおじいさまは、きっとそこを見ていたのね」
「まぁ……」
真正面から褒められると、やはり照れ臭い。
レイズは誤魔化すように頭を掻いた。
「でもね。私が本当に分からなかったのは、ここなの」
イザベルの指が紙の中央へ移動する。
魅力素質――十。
当主素質――十。
「これだけは、本当に意味が分からなかった」
「そりゃそうだろ。満点の倍だぞ」
「ええ。私も最初は首を傾げたわ。でも……よく見てみたら、気づいたの」
イザベルは窓の外へ視線を向けた。
中庭では使用人たちが忙しそうに掃除をし、庭師が花壇を整え、料理人たちが食材を運んでいる。
どこにでもある屋敷の日常。
レイズには、そう見えた。
「……屋敷が変わってたの」
「え?」
レイズも窓の外を見る。
「何も変わってないぞ?」
「建物はね。でも、人が違うの」
「人?」
イザベルは静かに頷いた。
「リアナも、リアノも、クリスも……ヴィルおじいさまも。みんな、少しずつ笑うようになった」
レイズは何も言わず、続きを待った。
「前の屋敷はね、どこか暗かったの。静かで、誰も未来の話をしなかった。レイズ君のことも、アルバード家のことも、領地のことも……みんな、どこかで諦めていたんだと思う」
その言葉には、先ほどまでとは違う重みがあった。
「でも、今は違う」
イザベルはレイズを見る。
「ヴィルおじいさまなんて、嬉しそうにレイズ君の話をしてたから」
「え?」
「本人は隠してるつもりみたいだけど、全然隠せてないんだから」
思わずレイズの口元が緩んだ。
「そうなのか?」
「うん。クリスも前より話すようになったと思うし、リアナも楽しそう。リアノもそう。それに使用人のみんなが『レイズ様ならきっと大丈夫』って話してるのも聞いたことがあるわ」
「…………」
レイズは何も言えなかった。
そんなこと、考えたこともなかった。
自分はただ、生き残るために必死だった。
ゲームで待ち受けている未来を変えたくて、できることをやっていただけだ。
それなのに。
知らないところで、自分を見ている人たちまで変わり始めていた。
「だから私は思ったの」
イザベルが静かに続ける。
「魅力って、顔立ちの話だけじゃないんだなって。人を惹きつける力のことなんだと思う。レイズ君は自分では気づいてないけど、周りの人を少しずつ変えてる。希望を持たせて、笑わせて、前を向かせてる」
「そんな大げさな……」
「大げさじゃないよ」
イザベルはすぐに否定した。
「少なくとも、私はそう思ってるからね……?」
そして、自分の胸へそっと手を当てる。
「私もそうだから」
小さな声だった。
けれど、その一言には、ずっと胸の奥へしまっていた何年分もの想いが込められているように感じられた。
「レイズ君が変わったって聞いて、また会えるって聞いたとき……嬉しかったよ。すごく」
「…………」
「だから私は、この十点に納得してる」
「いやいやいや」
レイズは慌てて首を振った。
「盛りすぎだろ! 魅力十点って、俺だぞ? 当主素質十点って、俺だぞ?」
「何回確認するの……?」
「だっておかしいだろ! 五点満点なんだぞ!? 十点って倍じゃねぇか!」
イザベルはまた吹き出した。
「ふふっ。本当にレイズ君らしい」
「いや、普通はそう思うだろ!」
「普通ならね」
イザベルは少しだけ悪戯っぽく笑った。
「でも、ヴィルおじいさまはきっと、今のレイズ君だけを評価したわけじゃないんだと思う」
「どういうことだ?」
「これから先、どこまで成長できるのか。そこまで見てるんじゃないかな。だから十点。今の完成度じゃなくて、未来への期待も込めて」
「未来への……」
レイズは再び紙を見る。
十点。
先ほどまでは意味不明な数字にしか見えなかったそれが、ほんの少しだけ違って見えた。
「だからこれは、ただの褒め言葉じゃないと思うの」
イザベルは紙をレイズへ返した。
「期待と信頼。そして……責任」
その最後の言葉だけが、ずしりと胸に落ちた。
レイズは黙って紙を見つめる。
十点。
嬉しいはずなのに、不思議とその数字は重かった。
「ヴィルおじいさまは、レイズ君ならアルバード家を変えられるって信じてる。だから当主素質十点なんだと思う」
「……荷が重いな」
レイズは苦笑する。
「うん。重いわ……とってもね?」
「否定しないのかよ!?」
「だって、本当に重いもの」
そう言ってから、イザベルは真っ直ぐレイズを見つめた。
「でも、一人で背負う必要はないよ。私もいる。リアナも、リアノも、クリスも、ヴィルおじいさまもいる。みんなで支えるから」
その笑顔には迷いがなかった。
「だから安心して、その十点に少しずつ追いつけばいいの」
「追いつくって……気が遠くなるな」
「ふふっ。ゆっくりでいいの。ヴィルおじいさまは、ちゃんと待ってくれる人だから」
部屋に静かな空気が流れた。
レイズはもう一度、手元の紙へ目を落とす。
鍛錬ばかりの滅茶苦茶な予定表。
五点満点を平然と突き破った評価。
最初は笑うしかなかったその一枚が、今では少しだけ――ヴィルという老人が自分へ託した期待そのもののように思えた。
「……よし」
レイズは紙を丁寧に畳む。
「ちょっくら……十点に見合う男になってやるか」
その小さな呟きを聞いて、イザベルは優しく微笑んだ。
(うん。きっと、なれるよ)
(ヴィルおじいさまが、そこまで信じた人なんだから)
そんな穏やかな空気が二人の間に流れていた。
――だが。
レイズは、一つだけ聞き逃していなかった。
先ほどイザベルが口にした、ある言葉。
「…………なあ、イザベル」
「なに?」
「さっき言ったよな?」
「何を?」
レイズは妙に真剣な顔でイザベルを見る。
「『魅力って、顔立ちの話だけじゃない』って」
「……うん?」
「それってつまり……」
嫌な予感がしたのか、イザベルの笑顔が固まる。
レイズは自分の顔を指差した。
「俺、見た目には魅力ないって言われてる?」
「…………」
「なあ?」
「…………」
「イザベル?」
「ち、違うの! そういう意味じゃなくて――」
「やっぱりそういう意味じゃねぇかぁぁぁぁぁ!!」
せっかく綺麗にまとまりかけていたヴィルの評価は――。
最後の最後で、まったく別の問題へとすり替わった。




