仲間と恋敵
食事を終え、ようやく空腹も落ち着いた頃、レイズは満足そうに息を吐いてから、向かいに座るシスティーヌへと視線を向けた。先ほどまでは目の前の料理に夢中になっていたが、腹が満たされたことでようやく本来聞いておかなければならないことを思い出したらしい。
「そうだ。それでシスティー、アルバードに来て俺ともこうして話ができたし、目的はある意味達成したんだよな? だったら、この後は王国に帰るのか?」
レイズとしては何気なく尋ねたつもりだったのだが、システィーヌはその言葉を聞くと、何を言っているのか分からないというように不思議そうに首を傾げた。
「いえ。私は本来、レイズを迎えに来たのですけれど?」
「……迎え?」
「えぇ。学院へ入学する際にレイズを迎えに行くよう、お父様から言われておりましたの」
「…………え?」
そこでようやく、レイズの頭の中でいくつかの情報が繋がり始めた。学院への入学。そのための迎え。そして以前、カイネルが口にしていた言葉。学院へ向かう時にはリールを遣わすと言っていた。ならば、リールがアルバードへ来た時点で、もっと早く気づいていてもよかったはずなのだ。
「じゃあ……もう、すぐ学院に行かないと駄目なのか……? っていうか、もう!?」
そこまで言ったところで、今度は別のことに気づく。
「あれ……?」
レイズは食堂を見回した。当然ながら、そこにリールの姿はない。
「リール……帰ったよな?」
「えぇ」
「それにエルンストも……?」
「帰られましたわね」
「…………」
少しの沈黙のあと、レイズは本気で困惑した顔を浮かべた。
「え? どうすんの? システィー帰れないじゃん!!」
そのあまりにも素直な反応に、システィーヌは少し呆れたように、それでもどこか楽しそうに微笑んだ。
「えぇ。ですから、学院へ入学するまでの間、ここでアルバードについて学ぶようにということなのでしょうね」
「……ここで?」
「はい。ですから……しばらくの間、こちらに泊めていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ!?」
レイズは慌てて身を乗り出した。
「ちょ、ちょっと待ってね! 部屋ならあるし、必要なものもすぐ準備させるけど……えっと、だいたいどれくらい?」
「二月ほど……お世話になりますわ」
「…………二月?」
「二月ですわ」
レイズはもう一度聞き返したあと、思わず眉を寄せる。
「結構長くない、それ!?」
そんな二人のやり取りを聞いていたイザベルも、さすがに少し驚いたようにシスティーヌへ視線を向けた。二月もの間、王女がアルバードに滞在するとなれば、王国側が何も思わないはずがない。それに何より、イザベルにはもう一人、真っ先にその話へ反応しそうな人物に心当たりがあった。
「システィーヌ様……それは王国の方々が心配するのでは? それに、リオネル殿下も……」
イザベルは学院にいた頃のリオネルを知っている。王族としての立場も、実力も、容姿も申し分なく、多くの女性から注目されるような人物でありながら、学院にいる女性たちが迂闊に彼へ近づけなかった理由も知っていた。
リオネルという男は、あまりにも妹を大切にしすぎるのだ。
普段は理性的で、王族としての振る舞いにも隙がない。けれど妹のこととなれば、その理性がどこまで通用するのか分からない。そんな人物が、妹が二月もアルバードに滞在すると知ればどうなるのか。イザベルがわずかに頬を引きつらせていると、システィーヌは何でもないことのように答えた。
「それでしたら心配いりませんわ。お父様がお兄様を……黙らせるはずですので」
「…………」
イザベルは思わず黙り込んだ。
あのリオネルを黙らせる。
国王なのだから当然と言えば当然なのかもしれない。けれど、リオネルという人物を知っているからこそ、その一言がどれだけ簡単なことではないのかも想像できてしまう。
(陛下……どれだけすごいの……)
「そ、そう……なんだ……」
なんとも言えない表情を浮かべるイザベルとは対照的に、レイズは感心したように頷いていた。
「リオネル殿下って、そんなにシスティーのこと大事にしてるんだな。ほんと、いいお兄さんなんだな」
「…………」
イザベルがゆっくりとレイズを見る。
「そんなレベルの認識なの? あなた……」
「え? 普通のことだろ。家族は大切だ。それって、かなり大事なことだよ」
「…………はぁ」
イザベルは頭を抱えた。能天気なのか、それとも本気でそう思っているからこそなのか。おそらく両方なのだろう。
そんな二人を見ながら、システィーヌは楽しそうに笑った。
「えぇ。その認識は、どちらも正しいですわね」
あえて訂正する必要はない。リオネルがいい兄であることに間違いはない。ただし、少々――いや、かなり妹を大切にしすぎるだけなのだから。
「でも俺、明日にはダークエルフのところへ行くしなぁ……」
レイズが何気なくそう呟いた瞬間、システィーヌの眼がぱっと輝いた。
「ダークエルフ? それでしたら、私も行ってみたいですわ!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください、システィーヌ様!」
真っ先に止めたのはイザベルだった。そして珍しく、レイズもほとんど間を置かずに答える。
「うん。システィー、それは本当に駄目なんだ」
「…………」
二人から同時に止められたことで、システィーヌはすぐに口を閉ざした。そして少し考えれば、その理由には自分でも思い至る。
王国の王女である自分が、ダークエルフのもとへ向かう。
それがどれほど軽率な行動なのか。
ましてや、王国には過去にダークエルフを捕らえた歴史すらある。そんな国の王族が突然現れたところで、快く受け入れてもらえるとは限らない。
(……そうですわよね)
また何も知らないまま軽率なことを言ってしまった。
そう思ったシスティーヌだったが、レイズが口にした理由は、彼女が想像したものとは少し違っていた。
「システィーは、今アルバードに来てくれてる大切な客人だからさ」
「…………え?」
「今のダークエルフたちなら、システィーが王族だからって理由だけで拒絶することはないと思う。俺が一緒なら、ちゃんと話も聞いてくれるはずだし」
レイズは少し考えながら、言葉を選ぶように続ける。
「でも、そこへ行くまでが問題なんだ。魔族領にいる全員が、完全にアルバードを認めてくれてるわけじゃない。もし俺たちをよく思ってない魔族が襲ってきても、俺一人なら殺さずに止められる。でも、王族であるシスティーに危害が及んだら……それじゃ済まなくなるだろ?」
「…………」
「王国にも、ちゃんと示さないといけなくなる。王女が襲われたのに何もしませんでした、じゃ済まないだろうし」
そこでレイズは少しだけ眼を伏せた。
「俺は……魔族を絶対に殺したくないんだ。だから、その可能性はできる限り減らしたい。それだけなんだよ」
システィーヌは、しばらく何も言えなかった。
まただ。
また、この少年はそうやって言葉を選ぶ。
自分が危険だから駄目だと、それだけを言えば済む。王女が同行すると面倒だからと断ることだってできる。それなのにレイズは、王国も、魔族も、そしてシスティーヌ自身も傷つかない形を探している。
誰か一人だけを守るのではなく、その結果として傷つくかもしれない相手まで考えているのだ。
(…………どこまでいっても優しいわね)
胸の奥に、また少しだけ温かいものが広がる。
そしてその横で、イザベルも似たようなことを考えていた。
(ほんと……こういうところなのよね。本人は特別なこと言ってるつもりないんでしょうけど……ほんと、器用なんだから)
けれどイザベルには、もう一つ別の不満もあった。
「それだけじゃないのよ……」
「ん?」
「私だって行きたい……ちゃんと挨拶もしたいし……でも今はリアナとリアノに勉強を教えないと……」
「…………あ」
レイズが今思い出したような顔をする。
勉強………。レイズにもそれは刺さる。
その名前を聞いたシスティーヌは、少し首を傾げた。
「リアナさんとリアノさんという方は?」
「あぁ、二人とも俺と一緒に学院へ行く予定なんだ」
「学院へ?」
「うん。リアナもリアノもさ、そういう学生みたいな時間を過ごせたらいいなって思って。まぁ半分はそれで、もう半分は俺の護衛みたいな感じだけど」
「…………なるほど」
システィーヌは静かに頷いた。
考えてみれば、それもまた少し前までなら考えられなかったことなのだ。アルバードに暮らす者が王国の学院へ通う。王国とアルバードの関係を考えれば、以前なら夢物語に近かったはずである。
しかも学院そのものも、誰もが通える場所ではない。王国内ですら学院で学べる者は限られており、貴族の子弟や、並外れた才能を認められた者が集う場所だ。学院で学ぶということ自体が、多くの者にとって決して当たり前のことではない。
「リアナさんとリアノさんは、学院へ入るだけの適性をお持ちなのですか?」
今度はイザベルへ尋ねる。
「属性適性でいえば、かなり恵まれている方だと思います。それに、おじいさまたちから戦闘技術も教わっていましたから……」
イザベルがそう言うのであれば、学院への入学基準を満たしていることは間違いないのだろう。
そこでシスティーヌは少し考え、やがて一つの答えに辿り着いた。
「それでしたら……私が、リアナさんとリアノさんに勉強を教えて差し上げますわ」
「…………え?」
レイズとイザベルが同時にシスティーヌを見る。
「私も二月もの間、ただここにいるだけでは、あまりにもお邪魔ですもの。何か役割を与えていただけた方が、私としても嬉しいですわ」
「システィーが……?」
レイズが驚いている横で、イザベルは言葉を失っていた。
王女であるシスティーヌが、リアナとリアノに学院へ向けた勉強を教えてくれる。それがどれほどありがたいことなのか、学院を知っているイザベルだからこそ理解できる。
けれどレイズはすぐに首を振った。
「いやいや、さすがにそれは悪いよ。リアナとリアノはイザベルが教えて――」
そこまで言いかけたところで、イザベルの表情が分かりやすく沈んだ。
「…………」
「…………え?」
レイズがようやく気づく。
けれど、その理由を理解するより早く、システィーヌが口を開いた。
「あら」
にっこりと笑っている。
ただ、その笑みにはどこか有無を言わせない強さがあった。
「私では力不足だとおっしゃりたいのかしら?」
「いやいやいや!! そんなこと言ってないから!」
レイズは猛烈な勢いで首を振る。
「そんなわけないって! ただシスティーは大切な客人だし――」
「やりますわ」
「え?」
「私がやります」
はっきりと言い切ると、システィーヌは今度はイザベルへ視線を向けた。
「ですので、イザベルさん」
「…………はい?」
「レイズと一緒に行ってきたらよろしいですわ」
「…………え?」
「それで、よろしいですわね?」
再びレイズを見る。
「は……はい。ありがとうございます……」
勢いに押され、レイズは頷いていた。
けれどイザベルだけは、しばらく何も言えなかった。
レイズと二人で旅をする。
それはずっと、心のどこかで夢に見ていたことだった。
いつも誰かがいた。それが嫌だったわけではない。リアナもリアノも、クリスもディアナも、大切な人たちだ。それでも、レイズと二人だけでどこかへ行く時間があればいいのにと、何度思ったことだろう。
まさか、その機会がこんな形で訪れるとは思ってもいなかった。
しかも、それを作ってくれたのが――王族だった。
イザベルにとって、王族という存在は今でも単純なものではない。過去に起きたこと。ヴィルのこと。アルバードが失ったもの。それらを考えれば、今すぐ心の底からすべてを受け入れられるわけではないし、無理に受け入れる必要もないのだろう。
それでも今だけは。
目の前にいる一人の少女に対して、心から感謝したかった。
そんなイザベルへ、システィーヌは静かに告げた。
「貸し……ではありませんわ」
「…………え?」
「お返しです」
その短い言葉だけで、イザベルは何となく理解した。
王国がしてきたことを、王女であるシスティーヌ一人がすべて背負えるわけではない。過去を消すこともできないし、失われたものを取り戻すこともできない。
それでも、自分にできることがあるのなら。
ほんの少しでも返していきたい。
これはきっと、システィーヌなりに見つけた最初の答えなのだ。
「…………ほんとに」
イザベルの眼から、小さな涙が零れた。
「ありがとう……」
システィーヌは何も言わず、ただ優しく微笑んだ。
そして――。
「え……?」
レイズだけが、またしても何も分かっていなかった。
「そんなに行きたかったの……? ダークエルフのところ……」
「…………」
イザベルがゆっくりとレイズを見る。
「それなら……一緒に行く?」
「うん」
イザベルは涙を拭いながら笑った。
「行きたかったわ……どこへだって、一緒に……」
「おいおい……大袈裟だなぁ、本当に……」
「…………」
システィーヌは呆れたようにレイズを見つめ、思わず小さく息を吐いた。
「あら……本当にお馬鹿……なのですのね」
「なんで!?」
レイズへの評価が、ほんの少しだけ下がった。
もっとも、それ以上の速度で別の評価が上がり続けているため、ほとんど意味はなかったのだが。
「ふふっ……」
イザベルはそんな二人を見ながら笑った。
「でも、それくらいがいいの」
「え?」
「いつか……分かるはずだから」
その言葉の意味を理解したのか、システィーヌも小さく頷く。
「間違いございませんわね」
「なんの話だよ……」
当然、レイズだけは分からない。
「それでは」
システィーヌは気持ちを切り替えるように姿勢を正した。
「やるべきことも決まりましたし、早速いろいろとアルバードを案内していただいてもよろしいですか?」
「えっと……うん」
レイズも頷き、それからイザベルを見る。
「じゃあ、とりあえずシスティーのことはイザベルに任せてもいいか?」
「私?」
「俺は明日の支度も整えてくる。それに、このあとクリスとも仕事の話があるから」
「分かったわ」
「じゃあ、よろしく!」
そう言い残すと、レイズは軽い足取りで食堂を出ていった。
その後ろ姿を、システィーヌは静かに見送る。
十四歳で仕事をする。
それ自体は、この世界では決して珍しいことではない。
けれど――彼の言う『仕事』は、きっと自分が想像するものとは違う。
アルバードという領地全体に関わること。
もしかすれば、王国や魔族にまで関係することなのかもしれない。
それでもシスティーヌは、あえて深く尋ねなかった。
今はまだ、知らなくてもいい。
これから知っていけばいいのだから。
やがてレイズの姿が完全に見えなくなると、イザベルが少し遠慮がちに口を開いた。
「その……殿下」
「あぁ」
システィーヌは振り返り、すぐに柔らかく笑った。
「ここでは『殿下』はよろしくてよ」
「え?」
「私のことは……そうですわね」
少し考えてから、システィーヌは小さく首を傾げた。
「ティーヌ、とでも呼んでくださる?」
「ティーヌ……?」
イザベルは瞬きをする。
「システィーではなくて……?」
その瞬間、システィーヌの笑みが少しだけ深くなった。
「システィーは……特別な異性に呼んでいただける方が嬉しいですから」
「…………」
イザベルの表情が固まった。
「友人としてでしたら、ティーヌ。そちらの方が私は嬉しくてよ?」
「…………ふふ」
意味を理解したイザベルは、やがて笑った。
「ティーヌね。分かったわ!」
そして自分を指差す。
「私のことも、イザベルって呼んでね?」
「はい」
システィーヌ――ティーヌも、嬉しそうに頷いた。
「イザベル。これからよろしくお願いしますわ」
「うん! よろしくね、ティーヌ!」
二人は笑い合った。
ほんの少し前までなら、考えられなかった光景だった。
王国の王女と、アルバードに生きる少女。
それぞれが違うものを背負いながら、それでも今、少しずつ互いを知ろうとしている。
ただし――。
「それと」
「え?」
システィーヌがにこりと笑った。
「レイズについては、私も諦めておりませんから」
「…………」
イザベルの笑顔が止まった。
「うう…………そう……よね」
そして、すぐに負けじと身を乗り出す。
「私だって!! っていうよりね! レイズくんを狙ってるの、私だけじゃないからね!?」
「あら」
システィーヌは口元へ手を添え、楽しそうに笑った。
「それは前途多難なことで」
「そうなの………」
「ですが――」
システィーヌの眼に、ほんの少しだけ強い光が宿る。
「私は負けるつもりはありませんわ」
「…………」
イザベルは再び頭を抱えた。
どうやら、とんでもない相手と友人になってしまったらしい。
恋に関しては、あまりにも強敵。
けれど、それ以外では――きっと、とても心強い味方。
「…………ほんと、強敵すぎるわよ」
小さく呟くイザベルの隣で、システィーヌはどこか楽しそうに微笑んでいた。




