難易度が跳ね上がる。
レイズは困惑していた。
相手を知ろうとすればするほど、なぜか好意を持たれてしまう。
婚約についてはすぐに答えを出せない。まずは互いのことを知ってから――そう説明したはずなのに、システィーヌから返ってきたのは、まさかの二度目の求婚だった。
「やっぱり………私と……婚約してください」
「いや、だから……!」
どうしてそうなる。
さっきまでの話を一体どう聞いていたのだろうか。レイズとしては、かなり真面目に説明したつもりだった。婚約というものには段階がある。まずは互いを知って、それから少しずつ関係を築いていくものなのではないか、と。
なのに。
システィーヌは少しだけ首を傾げると、どこか不安そうにレイズを見つめた。
「…………だめです……の?」
「いやいやいやいやいやいや!! 先ほどまでの話は!?」
「…………お父様に言いつけますわ」
「待って!? 待ってほしい!」
反射的に身を乗り出したレイズを見て、システィーヌは一瞬だけきょとんとしたあと、小さく口元を緩めた。
「冗談ですの」
「あ、………え? 冗談?」
「はい」
「ハ、ハハ……まったく、システィーはお茶目さんだなぁ……」
レイズは引きつった笑みを浮かべながら胸を撫で下ろす。
危なかった。
何が危なかったのか自分でもよく分からないが、とにかく王女から国王へ何かを言いつけられるという状況だけは、本能的に危険な気がした。
しかし――。
「婚約したい気持ちは本気ですけど」
「遊んでるよね!? それ!」
思わず声が裏返った。
システィーヌは楽しそうに笑っている。完全に遊ばれている。つい先ほどまで王国の格式を重んじ、いかにも王女らしく振る舞っていた少女と同一人物とは思えない。
「それに、なんで……ぼ、……俺なんだよ!」
言った直後、レイズは固まった。
「あら」
システィーヌの瞳がわずかに輝く。
「本当は俺っ子なんですね」
「いや。男が俺って別に普通でしょ!?」
ついに素が出てしまった。
王女を相手にしているということで、ここまでどうにか取り繕っていたというのに、完全にいつもの口調へ戻ってしまっている。
だが、もういい。
レイズは額を押さえ、大きく息を吐いた。
「待ってくれ……。本当に勘弁してください……」
「そんなに困らなくてもよろしいではありませんか」
「困るよ……すごく……」
レイズはもう一度深く息を吐くと、少しだけ表情を改めた。
「システィー、聞いてほしい」
「…………なんですの?」
システィーヌは静かにレイズを見る。
その表情を見ただけで、なんとなく分かっていた。
レイズは自分を選んだりしない。
少なくとも、今すぐ婚約を受け入れるようなことはないのだろう。
けれど、嫌われているわけでもない。
迷惑そうに突き放すわけでもなく、本当に困っているのだ。それでも自分を傷つけないように、一つ一つ言葉を選んでいる。
そんな姿が、システィーヌにはどうしようもなく愛おしく見えた。
「私、これでも………それなりにはモテますのよ?」
「それでもだよ! そりゃモテるだろ!」
そこについては、レイズだって否定するつもりはない。
お世辞を抜きにしても、システィーヌは美しい。整った顔立ちに、王族として育てられた品のある仕草。王女という肩書きを抜きにしたとしても、その美貌に心を奪われる男は少なくないだろう。
そんなことはレイズにも分かっている。
分かってはいるのだが――。
「違うんだよ」
レイズの声から、少しだけふざけた調子が消えた。
「俺は……王国との繋がりを深く示すことが、必ずしも魔族にとっていいことだとは思ってないんだ」
「…………」
「もちろん、王国が嫌いって意味じゃない。むしろ今の王国とは、これからも仲良くしていきたいと思ってる。陛下のことだって信頼してる。でも……俺が王族と婚約するってなると、それだけじゃ済まないだろ?」
アルバードの当主と王国の王女が婚約する。
それは二人だけの問題ではない。
周囲から見れば、アルバードが王国へ大きく傾いたと受け取られてもおかしくない。
それでは駄目なのだ。
ガイルに公平を謳うのであれば、王国に寄りすぎてもいけない。もちろん、魔族に寄りすぎることも許されない。
あくまで中立。
そして、そのうえでどちらとも友好でなくてはいけない。
それが今、レイズが進もうとしている道だった。
「だから……簡単に決められることじゃないんだよ」
「そういうことでしたのね……」
システィーヌは先ほどまでとは違い、真剣な表情で頷いた。
その様子を見ながら、レイズはふと別のことを思い出す。
未来に存在しないシスティーヌ。
そして、未来で自分が知っているリオネルという王。
まだ繋がったわけではない。
けれど――どうしても気になる。
「システィー……そのリオネル殿下って………システィーのことを、めちゃくちゃ大事にしてるんだよね……?」
「ええ。私が傷ついたりでもしたら、お兄様ならきっと………」
そこでシスティーヌは何かを想像したのか、ほんの少しだけ顔を青ざめさせた。
「…………容赦しないですわ。お父様よりも………」
「…………」
レイズの表情から色が消えた。
それを聞いた瞬間、頭の中でいくつものものが繋がった気がした。
システィーヌは、自分の知る未来にはいない。
そして未来のリオネルは――ゲームにおける巨悪の一人として存在している。
今のシスティーヌの話を聞く限り、兄であるリオネルは妹を心の底から大切にしている。
もしも。
もしも、システィーヌの身に何かが起きたのだとしたら。
それが、未来のリオネルへと繋がっているのだとしたら――。
(…………まさか)
確証はない。
まだ何も知らない。
けれど、無関係だとはどうしても思えなかった。
そしてもう一つ、とんでもなく面倒なことに気づいてしまう。
今ここで下手にシスティーヌを傷つければ、そのリオネルの敵意が自分へ向く可能性だってある。
婚約は簡単に受けられない。
だからといって、雑に断るわけにもいかない。
未来のことを知るためにはシスティーヌと関わる必要がある。
そして何より、彼女を死なせるわけにはいかない。
「どんな……難易度なんだよ、それ………」
「難易度………?」
システィーヌは不思議そうに瞬きをしたあと、少し考え込んだ。
「私は比較的には……簡単だと思いますが……」
「そこは簡単じゃ駄目でしょ!?」
何の話をしているんだ。
いや、たぶんシスティーヌは、自分のことを言っている。
レイズは頭を抱えたくなった。
「システィー、いいかな?」
「はい?」
「男はいろんな意味で危ないんだ。そんな簡単に惚れたりしたら、本当に危ないんだぞ!」
システィーヌは一瞬きょとんとしてから、くすりと笑った。
「あら。お兄様みたいなことを言うんですわね」
「いや! 知らないよ!?」
なぜ婚約を申し込まれている自分が、相手に男への注意を促しているのだろうか。
もはや自分でも分からない。
「安心してください。そこらの男に簡単に惚れるほど、私は易くありませんわ」
「え……だって……」
「レイズがあまりにも、可愛いのでつい………」
システィーヌは両手を自分の頬へ添え、少し恥ずかしそうに視線を逸らした。
「いや。もう………」
レイズは力なく肩を落とした。
「俺のどこがそんなにいいんだよ………」
すると、システィーヌの表情が変わった。
今度は本当に不思議そうだった。
「むしろ逆に、どうしてそんなに自己評価が低くて?」
「だって!? 俺、めっちゃ太ってて! それにわがままで!! みんなに酷いことだって、たくさん言って………」
思わず言葉が溢れ出す。
今の自分がどう見えているのかではない。
レイズの中には、以前の自分がまだ残っている。
誰かを傷つけた言葉も、拒絶したことも、わがままを言ったことも、全部なくなったわけではない。
それを知っているからこそ、自分が誰かからここまで真っ直ぐ好意を向けられることが、どうしても不思議だった。
しかし、システィーヌはあっさりと言った。
「自覚しているなら、なおさらですわね、」
「…………え?」
「そんなの、軽傷ですことよ?」
「軽傷!?」
「ええ……」
システィーヌは当然のように頷いた。
「自分がしてきたことを何とも思っていない方でしたら、私も嫌ですわ。でもレイズは、今でも覚えていて、それを悪かったと思っているのでしょう?」
「…………まぁ」
「でしたら、少なくとも今の貴方まで、昔の貴方と同じではありませんわ」
「…………」
レイズは言葉を失った。
システィーヌがどこまで考えてそう言ったのかは分からない。
けれど、その言葉はある意味、あまりにも的を射抜いていた。
そして同時に思う。
(…………やりにくい)
今まで出会った誰よりも、システィーヌという少女はやりにくい。
こちらが距離を取ろうとすれば近づいてくる。
真面目に話せば話すほど、なぜか好意を持たれる。
婚約を断ろうとしているはずなのに、気づけば自分の過去まで肯定されている。
なのに――。
そんな相手を、自分は救わなくてはいけない。
いや。
救いたい。
未来にシスティーヌはいない。
そして今聞いた話が本当なら、システィーヌがいなくなることと、未来のリオネルがあの冷徹な王になることは、決して無関係ではない。
まだ何が起きるのかは分からない。
いつなのかも、誰が関わっているのかも分からない。
それでも一つだけ、レイズの中で決まったことがあった。
(…………絶対に、死なせちゃ駄目なんだよ……)
システィーヌがいない未来。
それはきっと、リオネルが壊れてしまう未来へと繋がっている。
ならば、その未来を知っている自分が、何もしないという選択肢だけはなかった。
ただ――。
「レイズ……?」
「…………なんでもない」
心配そうに顔を覗き込んでくるシスティーヌを見ながら、レイズは小さく息を吐く。
(助けなくちゃいけない相手に、なんで俺が婚約迫られてるんだよ………)
未来を変える以前に。
目の前の王女一人をどうにかするだけで、とんでもない難易度になりそうだった。




