アルバードの母
そうして、それぞれの――儀式と呼んでいいのかは分からないが、墓前への報告を無事に終えた頃。
アルバードの屋敷には、再び主要な面々がずらりと勢揃いしていた。
レイズ、イザベル、リリアナ、リアナ、リアノ。そしてクリスとディアナ。
先ほどまでそれぞれが胸の内に抱えていた想いを墓前で語り、あるいは静かに受け止めてきたばかりだからなのか、部屋にはどこか不思議な空気が流れていた。
「それじゃあ……そうだな。何から話すべきか、なんだけど……」
レイズはそう言いながら全員の顔を見渡したのだが、どういうわけか皆の視線が一か所へ集まっているような気がした。
イザベルは先ほど墓地でレイズの独り言を聞いていたため、すでにクリスとディアナが婚約したことを知っている。いくらなんでも婚約は早すぎるし、どういう経緯でそうなったのか意味が分からない。けれど、隣り合って座っている二人を見ていると、自然と別の感情も湧いてきてしまう。
(…………羨ましいな)
そんなことを考えながら二人を見つめるイザベルとは違い、何も知らないリアナとリアノは、先ほどからクリスとディアナの様子に妙な違和感を覚えていた。座っている距離が以前より近い気がするし、時折視線が重なった時の空気まで何となく違って見える。
(なんだか……クリス様とディアナ様、距離が近いような……?)
(気のせい……なのかな?)
二人がちらちらと様子を窺う一方、リリアナだけは何かを察しているらしく、温かな眼差しを向けながら小さく微笑んでいた。
(青春ですね……)
そして当のクリスはどこか誇らしげな表情を浮かべており、その隣にいるディアナはさすがに恥ずかしいのか、ほんのりと頬を赤くして俯いている。
そんな全員の反応を見たレイズは、ようやく理解したように小さく頷いた。
(……そりゃそうだよな。みんな、ガイルのことが気になるよな)
間違ってはいない。
確かに全員、ガイルのことは気になっている。
だが今この瞬間、この部屋における最大の注目の的が完全にクリスとディアナであることに、レイズだけが気づいていなかった。
「そうだな……まず、ガイルがなんでディアブロと一緒に王国へあんなことをしたのか、そのことから話そうと思う」
「う、うん。そうね。それは聞きたかったわ」
イザベルは慌ててクリスたちから視線を外し、リアナとリアノもレイズへ顔を向ける。
「何か……理由があったんですか?」
「私も気になります」
そう言いながらも、二人の視線は時折クリスとディアナへ向かっている。もちろんレイズはそれにも気づいておらず、リリアナだけがその様子を見て、また小さく笑っていた。
だが――ガイルという名前が出た瞬間、クリスの身体が僅かに震え、その拳に力が入った。
それに気づいたディアナは何も言わず、そっとクリスの手を握る。
「…………!」
驚いたようにクリスが横を見ると、ディアナはただ優しくその手を包み込んでいた。それだけで先ほどまで強張っていたクリスの身体から少しずつ力が抜けていき、その変化が嬉しかったのか、ディアナも思わず柔らかく微笑む。
「…………ありがとうございます。ディアナ」
「はい………」
その光景を見たイザベルたちの視線が、ますます二人へ集中する。
やっぱり何かある。
しかし――レイズは気づかない。
「それで……最初に言っておかなきゃいけないことがあるんだ」
先ほどまでとは違い、レイズの声が少しだけ低くなった。
「あれ……俺のせいだったんだよ」
その一言で、部屋の空気が変わる。
「…………レイズくんの?」
イザベルが眉を寄せ、リアナとリアノも信じられないというように顔を見合わせる。
「そんな……」
「レイズ様のせいなんて……」
だが、誰よりも早く反応したのは――やはりこの男だった。
「そんなわけありませんよ!!」
「…………クリス」
「レイズ様が原因などということは――」
「ク、クリス。まずは……ちゃんと話を聞きましょう? ね?」
ディアナが優しく袖を引くと、クリスは一瞬黙り込み、すぐさま姿勢を正した。
「もちろんです!! ではどうぞ! レイズ様!」
「いや……あの……」
さっきまでの勢いは何だったんだ。
思わず面食らいながらも、レイズは話を続ける。
「前に話しただろ? 俺が魔族領のティグルって場所へ、ミスリルを取りに行ったこと。その時、俺はすでにディアブロと会ってるんだ」
「ディアブロって……あの、とんでもない気配を持っていた奴よね?」
「ああ。少なくとも俺がティグルで会った時なら、間違いなく最強と呼んでいい存在だったと思う。それに、あいつを種族で分けるなら、普通の魔族っていうより……どちらかというと精霊に近い存在なんだと思う」
「精霊……?」
「ああ。ディアブロの出自については、俺も詳しくは分からない。でも魔力や魔法に関してなら、あいつは本当に規格外だった。それに――吸魔っていう性質も持っていた」
相手の魔力を吸収し続け、戦えば戦うほど相手を弱体化させていく。圧倒的な魔力と魔法を持ちながら、さらに相手の力まで奪うのだから、普通に魔法で戦う限りディアブロはあまりにも厄介な存在だった。
「だけど、俺にはそれがほとんど通用しなかった。死属性の特性が、ディアブロにとっては最悪の相性だったんだと思う。だから俺は……あいつの弱点を突くことができた」
魔力、魔法、吸魔。それらによって無敵とも呼べる力を誇っていたディアブロであっても、それらが通じない相手から物理的な攻撃を受ければ話は変わる。
「俺はディアブロと戦って……傷をつけた。それで、ディアブロは動いたんだと思う。自分に通用する力が人間側に広がれば、それまで保たれていた均衡が崩れる。そう考えたんだ。だから、そうなる前にガイルと手を組んで王国を襲って……人と人が争うように仕向けた」
しばらく誰も言葉を発さなかったが、やがてクリスが静かに口を開いた。
「…………それは、おかしな話です」
「え?」
「ならば何故、そのままヴィル様やセバス様と戦うことを選んだのです? 本来の目的から外れたのであれば、とっとと引き返せばよかったはずですが」
あまりにもまともな指摘が飛んできたことで、レイズは思わず目を瞬かせた。
(…………急にめちゃくちゃまともなこと言うじゃん)
「たぶん……そこはガイルの性格が、ディアブロの計画を大きく崩したんだと思う。あいつ、舐められるのをめちゃくちゃ嫌うんだよ。それに売られた喧嘩から引くような奴でもない。だから途中から、ディアブロが最初に考えていた計画とは全然違う方向へ進んだんじゃないかな」
「愚かです」
即答だった。
「自らの目的を忘れ、自らの計画を破綻させる。だからあれは弱いのですよ!」
「いやいや! ガイルもとんでもなく強いからな!?」
「ですが私であれば! ヴィル様であれば!! セバス様であれば!!!」
「分かった! 分かったから! とりあえずクリス、今はそういう話じゃなくてさ……」
また話が逸れそうになったため、レイズは頭を押さえながら軌道を戻し、しばらくして表情を曇らせた。
「結局……あの戦いの引き金の一つを俺が作ったことには変わりないんだ。俺はヴィルとセバスなら大丈夫だって思ってた。正直、二人なら勝てるって……そう思ってたんだよ。でも二人とも、もうとっくに全盛期じゃなかった。あの戦いで残っていた力を使い尽くして……きっと、あれが最後の戦いになったんだと思う。だから結果だけ見れば、俺が二人を――」
「それだけじゃないよ……」
イザベルが静かに言った。
「…………そう。それだけじゃないんだ」
「だから違うって!」
「え?」
レイズが顔を上げると、イザベルは少し怒ったような、それでいて悲しそうな表情で彼を見ていた。
「私が言ってるのはそういう意味じゃない! おじいさまもセバスも、そんな理由だけであそこで戦ったんじゃないわよ!」
「イザベル……?」
「私はね、おじいさまたちなら……本当に殺そうと思っていたなら、もっと違う戦い方だってできたと思ってる」
「でも相手はグレサスにガイル、それにディアブロだぞ? 二人だってもう全盛期じゃ――」
「それでもよ」
イザベルは譲らなかった。
それが実際に可能だったのかどうかではない。彼女はヴィルとセバスという二人をずっと見てきたからこそ、そう信じていた。
「おじいさまもセバスも、本当に相手を殺すことだけを考えて戦っていたなら……少なくとも、あんな戦い方はしなかったと思う」
するとクリスも、先ほどまでとは違う静かな声で口を開いた。
「私も、そう思います。ヴィル様もセバス様も、殺すことだけを目的として戦ってはいませんでした。もしお二人がそのような考えを持っていたのであれば……もっと早くから、多くの者が命を落としていたはずです」
「…………なんで」
レイズが小さく呟くと、イザベルが代わりに答えた。
「私たちのためでしょ」
「俺たちの……?」
「だって、もしあそこでおじいさまたちがグレサスやガイルを殺していたら……それで全部終わったと思う?」
その問いに、レイズは答えられなかった。
終わるはずがない。
王国最強の騎士をアルバードが殺せば、その事実は王国に残る。ガイルを殺せば、今度は魔族側にその死を覚えている者が残る。誰かが恨み、誰かが復讐し、その復讐がまた次の恨みを生み出していく。
「おじいさまたちは、それを終わらせたかったんじゃないかな。殺せるほどの力があったとしても殺さない。力があるから殺すんじゃない。強いからこそ……殺さずに終わらせる。その姿をグレサスにも、ガイルにも、そこにいたみんなにも示したかったんじゃないの?」
レイズはその言葉を聞きながら、ようやくあの日の戦いを別の角度から見始めていた。
「じゃあ……あれは、グレサスやガイルたちにも示すためにやったことだったのか……?」
けれど、それでも胸の奥に残ったものは簡単には消えてくれない。
「でも……結局、最初の原因を作ったのは――」
パンッ、パンッ。
乾いた音が部屋に響き、全員がそちらを見る。
リリアナが両手を叩いていた。
「そこまでですよ?」
静かな声だった。それなのに、不思議と誰もその先を口にすることができなかった。
「リリアナ……」
「レイズ。貴方がしたことが、あの出来事へ繋がった。それは事実なのかもしれませんね」
リリアナはレイズの責任を無理に否定しなかった。
「ですが、それくらいのことはヴィル様もセバスさんも分かっておられたはずです。あの方々は、そういう方ですから」
「…………」
「ですから、もう過去のお話だけではなく……今のお話をしませんか?」
「今の……?」
「はい」
リリアナはそう答えると、この部屋にいる者たちを一人ずつゆっくりと見渡した。
「今、こうして皆様が生きています。そしてアルバードでは、人間も魔族も同じ場所で暮らし、町では当たり前のように笑い声が聞こえるようになりました。王国との争いも終わり、今日を生き延びるためだけではなく、明日のことを考えられる人が増えました。最終的にそこへ辿り着くことこそが……あの方々の願いだったのではないでしょうか」
「…………リリアナ」
「アルバードは、そうやって繋いできた場所です。誰かが守り、その人から受け取った誰かがまた守る。そうやって今日まで繋いできたからこそ、今ここにある平和を、今度は私たちが守っていかなければならないのです。ここがどこよりも平和な場所なのだと、これからも示していくために」
誰一人として反論する者はいなかった。
レイズもまた、すぐにすべてを納得できたわけではない。自分の選択が本当に正しかったのか、もっと別の方法があったのではないかという思いは、きっとこれからも完全には消えないのだろう。
それでも――今ここにいる皆が生きている。
「…………そっか。そう……なんだな」
レイズがようやくそう呟くと、リリアナは優しく微笑んだ。
「それと……クリス。ディアナさん?」
「…………!」
突然名前を呼ばれ、ディアナの肩が跳ねる。
「は、はい!」
クリスも僅かに姿勢を正すと、リリアナはそんな二人を見ながら、ますます優しい笑みを浮かべた。
「随分と……幸せそうですね?」
「こ、これは!!」
慌てて何かを説明しようとしたクリスに、リリアナは小さく首を振る。
「違います、違います。怒っているわけではありませんよ。むしろ、とても嬉しいことではありませんか?」
「…………え?」
「恋をする時間が、アルバードに生まれたのです」
その言葉に、部屋が静かになった。
「誰かを好きになって、その人と一緒にいたいと思って、これから先の幸せを考えることができる。そんな素敵な時間が、今、この場所に当たり前のように生まれているのです。戦うことだけを考えなくていい。今日を生き延びることだけを考えなくてもいい。誰かを好きになり、一緒に食事をして、笑い合って、明日の予定を考えられる。それはきっと……とても幸せなことなのですよ」
ディアナの瞳が僅かに潤み、クリスも何も言えずにリリアナを見つめていた。
そしてリリアナは、今度は二人だけではなく、そこにいる全員へ向けてゆっくりと頭を下げた。
「ですから皆様、本当によく頑張りました。私からも、感謝をさせてください」
その声は、どこまでも穏やかだった。
「本当に……ここまで、よく頑張りました」
「…………っ」
レイズの視界が滲んだ。
ずっと、自分のしたことが正しかったのか分からなかった。守れなかったものを数え、自分の選択によって失われたものがあるのではないかと考え続けていた。
だからこそ、リリアナのその言葉を聞いた瞬間、堪えていたものが一気に溢れ出した。
「リリアナ……リリアナぁ……」
レイズの頬を涙が伝い、その隣ではイザベルまで目元を押さえている。
「もう……リリアナがそんなこと言ったら……誰も何も言えないじゃないの……」
リアノも涙ぐみながらリリアナを見つめた。
「リリアナ様だって……ずっと皆さんを支えてこられたではありませんか……」
「…………え?」
そんな中、リアナだけは涙を浮かべながら、ようやく先ほどの言葉の意味を理解したらしい。
「恋って……え? クリス様とディアナ様……? え?」
「そこ今なの!?」
思わずイザベルが突っ込む。
そしてクリスもまた、大粒の涙を流していた。
「ううう…………レイズ様は本当に……本当に…………」
「クリス……」
ディアナが心配そうに顔を覗き込むと、クリスは涙を流したまま彼女の手を強く握る。
「ディアナ…………愛しています…………」
「…………」
ディアナは一瞬言葉を失ったものの、すぐに泣き笑いの表情を浮かべた。
「それ……今言うことじゃありませんからね?」
「はい…………」
「でも……ありがとうございます」
二人の手は、そのまま離れなかった。
そうして、本来であればレイズが皆へ伝えるはずだった話は、いつの間にかリリアナの言葉によって幕を閉じることとなった。
アルバードに長く仕え、ヴィルをよく知り、セバスを知り、そして幼い頃からレイズやイザベルたちを見守り続けてきた彼女だからこそ、誰が悪かったのか、誰の判断が正しかったのかという過去だけではなく、そのすべてを受け取った先に今何が残っているのかを見ていた。
人が笑っている。
魔族が笑っている。
若者が恋をしている。
誰かが明日の食事を考え、誰かが風呂を沸かし、また明日もここで生きていこうとしている。
それこそが、アルバードが長い時間をかけて守り、繋いできたものだった。
アルバードの母――もし彼女をそう呼ぶ者がいたとしても、きっと誰も不思議には思わないだろう。
リリアナは表立って剣を振るうわけでもなければ、誰かの上に立って命令するわけでもない。それでもずっと、ヴィルたちが守ったものを受け取り、レイズたちを支え、この屋敷の日常を守り続けてきたのだから。
「さて」
そんなリリアナが、もう一度ぱんっと手を叩いた。
「皆様、お腹が空きましたよね?」
「…………え?」
泣いていたレイズが顔を上げる。
「リアナ。私と一緒に食事の準備をしましょう」
「は、はい!!」
リアナが慌てて立ち上がると、リアノがおずおずと手を挙げた。
「あの……私は?」
「そうですね……」
「お風呂を沸かし直しましょうか?」
「ああ、それがいいですね。レイズはもう入ってしまいましたし、新しくお湯を沸かしたら、順番に皆様で入りましょう」
「分かりました!」
その瞬間だった。
「…………な」
先ほどまで涙を流していたクリスの顔から、すっと涙が止まる。
「…………な…………」
「ん?」
レイズが振り返ると、クリスは信じられないものを見るような顔で彼を見つめていた。
「レイズ様…………」
「なんだよ?」
「何故…………何故、私を置いて……先にお風呂へ…………」
「…………」
レイズは数秒間、何も言わずクリスを見つめた。
そして――。
「いや、それこっちのセリフだからな!?」
屋敷中にレイズの声が響き渡った。
「俺が帰ってきたら、お前ら俺を置いて好き勝手やってただろうが!!」
「ですが、お風呂は別です!!」
「何が別なんだよ!!」
「レイズ様との入浴は――」
「知らねぇよ!!」
そのやり取りに、ディアナが堪えきれずに吹き出し、イザベルも涙を拭いながら呆れたように笑う。リアナとリアノも顔を見合わせて笑い始め、そしてリリアナもまた、そんな彼らを見ながら静かに微笑んでいた。
先ほどまで涙に包まれていた部屋に、今度は笑い声が広がっていく。
ヴィルが。
セバスが。
そしてメルェが見ることのできなかった未来。
けれど彼らが守り、残し、次の者へと繋いだからこそ、確かにここに存在しているもの。
誰かを好きになって、泣いて、笑って、腹を空かせて、風呂の順番程度のことで騒ぐことのできる日常。
それこそが――。
今のアルバードだった。




