伝える大切さ。
レイズはついに念願だった入浴を済ませ、リリアナが用意してくれていた新しい服へと袖を通していた。
「さっぱりしたぁぁぁ…………はぁぁぁ…………」
二日間の野宿で溜まっていた疲れも、身体にまとわりついていた汚れも、すべて湯と一緒に流れていったような気がする。柔らかな服に袖を通せば、ようやく本当にアルバードへ帰ってきたのだという実感まで湧いてきた。
だが、身体がさっぱりしたことで、今度は頭まで冷静になってしまった。
「…………意味わかんねぇよ」
我を取り戻したレイズは、これまでに起きた出来事を改めて思い返していた。
「なんでみんな、こんなに勝手に動きまくってんだよ…………」
クリスは勝手にウラトスとなってガイルと戦い、ガイルはガイルでアルバードまでやって来て、ディアナは大怪我をしたと思ったら、その直後にはクリスとの婚約が決まっていた。
何もかもが、自分の知らないところで勝手に動いている。
だが、そこまで考えたところで、レイズは小さく息を吐いた。
「…………まぁ、ゲームじゃないからな」
そう。
ここはもう、自分が知っていたゲームそのものではない。
そこに生きている人たちは、決められた台詞を話すだけの登場人物ではない。レイズが知らない場所でも考え、自分で選び、時には間違えながら、それぞれの人生を生きている。
そして、それは自分自身も同じだった。
自分が持っていたゲームの知識。
それによって助かった命がある。
防げた争いがある。
生み出すことのできた平和がある。
だが同時に、その知識があったからこそ余計な争いを生み、誰かを危険へ巻き込んでしまったこともあった。
知っているから正しいわけではない。
未来を知っているから、何をしても許されるわけでもない。
「知ってることは…………武器にも、災いにもなるって、こういうことか」
レイズは静かに目を伏せた。
「本当に……ヴィルの言う通りだよ…………」
これから皆と話さなければならない。
イザベルにも、クリスにも、ディアナにも。そしてアルバードのみんなにも、自分が知ったこと、自分が考えていることを話したかった。
けれど、その前に。
どうしても行っておきたい場所があった。
レイズは一人で屋敷を出ると、町の喧騒から少し離れた場所へと向かった。
辿り着いたのは――墓地。
そこには、メルェ、ヴィル、そしてセバスが眠っている。
三人の墓を前にして、レイズはしばらく何も言えなかった。ただ静かに立ち尽くし、やがてゆっくりと頭を下げる。
「…………本当に、ごめんなさい」
その言葉が届いたのかどうかは分からない。
当然、返事もない。
それでもレイズは、どうしても謝りたかった。
自分の選択がすべて正しかったとは、今でも思えない。もっと違う方法があったのではないか、自分が知らなければ起きなかったこともあったのではないか。そんな考えは、きっとこれからも完全には消えない。
「ヴィルにも……セバスにも…………メルェにも、見せたかったのにな」
今のアルバードを。
人間と魔族が同じ町を歩き、同じ場所で笑っている光景を。
王国との戦争を避け、少しずつ未来へ向かって歩き始めたこの場所を。
「でも、次に進むから」
レイズは顔を上げた。
「俺、ちゃんと…………この場所を守るからさ」
声が僅かに震えた。
「…………また、会いたいよ」
ぽろりと、一粒の涙が頬を伝った。
それが誰の涙なのか、レイズ自身にも分からなかった。
メルェを失った悲しみには、本来この身体で生きていたレイズの記憶がある。ヴィルやセバスへの想いも、もともとのレイズが持っていたものなのか、それともこの世界で彼らと過ごした自分自身のものなのか。
今となっては、その境界すら曖昧だった。
記憶も。
悲しみも。
感謝も。
すべてがあまりにも深く重なりすぎている。
「…………おじいさま」
気づけば、そんな言葉が口から零れていた。
「アルバードの道は…………やっぱり、正しかったんだよね…………」
返事はない。
ただ一陣の風が吹き、レイズの金色の髪を静かに揺らした。
レイズはしばらくその風を感じたあと、少しだけ笑う。
「ヴィル、聞いてくれよ。クリスとディアナが婚約したってさ」
こんなことを聞いたら、ヴィルはどんな顔をしただろう。
驚いただろうか。
それとも、あの二人ならいつかそうなると思っていたのだろうか。
「セバスも聞いてくれ。俺…………すごく強くなったんだよ」
昔の自分からは考えられないくらいに。
身体を鍛え、魔法を覚え、何度も戦い、今では守れるものも増えた。
そして最後に、レイズはメルェの墓へ視線を向ける。
「メルェ…………」
少しだけ間を置いてから、優しく笑った。
「お前のお陰で…………俺、みんなを守れるようになったんだよ」
やはり、返事はなかった。
それでもレイズは三人へ祈るように頭を下げると、涙を拭い、ゆっくりと墓地を後にした。
もう進まなければならない。
亡くなった者たちを忘れるのではなく、その想いも一緒に抱えて。
レイズは前へ歩いていった。
だが――。
そんなレイズを、少し離れた場所から見守っていた者がいることに、本人は気づいていなかった。
「…………レイズくん」
イザベルだった。
彼女もまた墓地を訪れており、途中からレイズの言葉を聞いていた。
レイズの姿が完全に見えなくなるまで見送ってから、イザベルはゆっくりと三人の墓の前へ歩いていく。
「レイズくん…………本当に、たくさん守ってくれたんだよ」
誰へ聞かせるでもなく、そう呟く。
そしてヴィルの墓の前で、少し恥ずかしそうに笑った。
「おじいさま。私ね…………?」
一度言葉を止める。
それから覚悟を決めるように、胸の前で両手を重ねた。
「私、レイズくんのこと…………心から好きなんだ」
言ってしまった。
墓前とはいえ、口にしてしまえば顔が少し熱くなる。
「レイズくんのお嫁さんになったら…………おかしいかな? 従姉だもんね…………」
もしヴィルがここにいたなら、なんと言っただろう。
そんなことを考えながら、今度はセバスの墓を見る。
「セバス…………いつもおじいさまを助けてくれて、本当にありがとう」
イザベルは柔らかく微笑んだ。
「クリスはね、セバスみたいにすごく心強い仲間なんだ。時々バカだけど…………でも、ちゃんとみんなを守ってくれてるんだよ。だからクリスのこと、褒めてあげてね…………?」
そして最後に、メルェへ。
イザベルはメルェ本人を知らない。
直接言葉を交わしたことも、その姿を見たこともない。
それでも――。
「メルェさん…………私は、貴女のことを知らない。でもね」
イザベルは静かに目を閉じた。
「貴女がいたから、今のレイズくんがいるんだと思う。レイズくんはすごく立派になったし…………私も、魔族はただ怖い存在じゃないんだって知ることができた」
少しだけ笑う。
「だから、メルェさん。貴女には…………感謝しかありません」
そうしてイザベルも三人へ祈りを捧げ、静かに墓地を後にした。
――だが。
さらにその様子を見ていた者たちがいた。
イザベルの姿が見えなくなったところで、物陰から二人の男女が姿を現す。
クリスとディアナだった。
「…………」
ディアナは何とも言えない顔をしていた。
だがクリスは違う。
三人の墓の前まで堂々と歩いていくと、胸を張り、大きく息を吸い込んだ。
「ヴィル様!! セバス様!! そしてメルェ!!」
「く、クリス……声が…………」
ディアナが慌てるが、もう遅い。
「私は愛を知りました!!」
墓地にクリスの声が響き渡る。
「ディアナと幸せになります!! そしてこれからも、レイズ様をお支えします!!」
「…………」
ディアナは隣で真っ赤になっていた。
「ディアナも!」
「わ、私もですか!?」
突然振られ、ディアナは完全に困ってしまう。
三人の墓を見る。
何か言わなければ。
けれどクリスの直後に何を言えばいいのか、まったく分からない。
「えっと…………えっと…………」
しばらく悩んだ末、ディアナは深々と頭を下げた。
「その…………本当に、ありがとうございます」
それだけだった。
けれど、それで十分なのかもしれない。
クリスは満足そうに頷くと、ディアナの手を取った。ディアナもその手を握り返し、二人は並んで墓地を後にする。
一体、何の報告だったのか。
それは誰にも分からない。
けれど、こうしてアルバードで亡くなった者たちへ向けられる想いは、それぞれまったく違う形をしていた。
後悔を伝える者。
未来を誓う者。
恋を打ち明ける者。
感謝を伝える者。
そして、幸せになると報告する者。
亡くなった者たちは、もう答えてくれない。
ヴィルが生きていたなら、どんな顔をしたのだろう。
セバスなら、どんな風に笑ったのだろう。
メルェなら、成長したレイズを見て、どんな風に甘えたのだろう。
それはもう――誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは。
彼らが残したものは消えていないということ。
それぞれの想いを受け取った者たちが、今も生きている。
そしてその者たちは今日も、亡くなった者たちが見ることのできなかった未来へ向かって歩いていく。
それぞれの形で。
それぞれの想いを胸に抱きながら。




