思いしるのは誰か
カタカタ、カタカタ、カタカタ――。
一定の間隔で車輪の音が響き、馬車はアルバードへ向けて街道を進んでいた。
しかし、その穏やかな音とは裏腹に、馬車の中には息苦しいほどの空気が流れている。
その地獄のような空気の中にいるのは、二人。
一人は、アルバードからメモリアルストーンを王国へ輸入する役目を担った商人、リール。
そしてもう一人は――王国の王女、システィーヌだった。
(…………帰りたい)
リールは、先ほどから何度目になるか分からない言葉を心の中で呟いていた。
もちろん、システィーヌの噂は以前から聞いている。
とても美しい王女。
そこだけを聞けば、同じ馬車に乗ることを羨む男だっているかもしれない。
だが――問題は、その先だった。
システィーヌは、とにかく男性に対する扱いが厳しい。
少々どころではない。
興味のない男など、そもそもまともに相手にしない。特に自分へ言い寄ってくるような相手に対しては、兄であるリオネルと同等、あるいはそれ以上に優れていなければ、会話をする価値すらないとでも言わんばかりの態度を取る。
好みが厳しい、などという可愛らしい話ではない。
システィーヌにとって、その辺にいる男など虫も同然。
そして今、目の前に座っているリールに至っては――おそらく、その虫にすらなれていない。
そんなことを考えていたリールへ、システィーヌが窓の外を眺めたまま口を開いた。
「それで……レイズという方について、話してくださいまし」
「は、はい……はい」
「はいは一回でよくてよ?」
「…………はい」
自分から質問しておきながら、システィーヌはリールの方を見ようともしない。
外の景色を眺めながら、さもどうでもよさそうに聞いている。
しかも、リールが王女を前にして緊張していることなど、彼女には当然分かっているはずだ。
分かっていて、この態度なのだ。
だからこそ、余計にやりにくい。
「そ、その……私がレイズ様と初めてお会いしたのは、ヴィル様やセバス様がお亡くなりになられた後で――」
「その話、必要ですこと?」
「あ、あ、あの……」
「私が聞いているのはレイズという方についてですわ。そうね……まずは容姿についてかしら?」
ようやくシスティーヌがリールを見る。
その口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。
「聞いていた話では確か……随分と太っていて、白豚のような男だったとか?」
「…………」
「それに、出来損ないだったとも聞いたかしらね?」
リールの表情が、ほんのわずかに変わった。
システィーヌはそれを見逃さない。
それどころか、さらに続けた。
「メモリアルストーンだって、本当に本人が考えたものなのかしら。イザベル……そう、レイバードの娘でしたわね? その方の知識か何かを、自分の手柄にしただけだったりして」
「…………システィーヌ様」
「なんですの?」
その瞬間。
先ほどまでリールの声にあった震えが消えた。
王女を前にしているという怯えも、少しずつ薄れていく。
「メモリアルストーンについてですが、あれは紛れもなくレイズ様がお考えになったものです。」
「へぇ……?」
システィーヌはまるで信じていないかのように眉を上げる。
だが、リールには断言できる理由があった。
初めてメモリアルストーンについて説明を受けた時、イザベルですら目を丸くしていた。リールと同じように分からないことだらけで、レイズへ次々と質問を投げかけていたのだ。
つまり、イザベルの知識ではない。
ましてや他の誰かの知識を横取りしたなどとは、到底考えられない。
アルバードの者たちに知恵がないと言っているのではない。
むしろ逆だ。
優秀な者は数多くいる。
それでも、メモリアルストーンに関しては常にレイズが中心だった。
レイズが説明し、皆が聞き、そこから形にしていった。
その光景をリール自身も見ている。
だからこそ――許せなかった。
自分がこの先、生涯を通して関わっていきたいと決めた人間を、何も知らないまま馬鹿にされることが。
たとえ相手が王女であろうとも。
「それから、レイズ様の容姿についてですが」
「まだ何かありますの?」
「はっきり申し上げれば、美少年……と表現するのが近いかと。年齢の割には、多少幼く見えるところもございますが」
システィーヌが鼻で笑った。
「確か十四歳くらいでしたわね? ただでさえ子供なのに、見た目まで幼いなんて。それで当主だというのだから、少し笑えてしまいますわね」
「それは見た目の話だけでしょう?」
「…………」
今度はシスティーヌの目が、僅かに細くなる。
だがリールはもう止まらなかった。
「レイズ様は、その容姿からは想像もできないほどの知識をお持ちです。少なくとも私が今まで出会ってきた誰とも違う。おそらく学院にいる皆様と比べても……その知識量は、すでに比較すること自体が難しいかと」
「…………それって」
システィーヌの声から、先ほどまでの軽さが消えた。
「リオネルお兄様や、この私よりも優秀だと言っているのね? 貴方」
「…………」
さすがにリールも一瞬だけ怯んだ。
リオネル。
次期国王として期待され、学院でも圧倒的な成績を残し、学問だけでなく武にも秀でた王子。
システィーヌ自身もまた、王族として高い教育を受けている。
その二人を目の前の王女本人から出されて、それでもなおレイズの方が上だと言えるのか。
リールは一度だけ息を呑んだ。
それから、真っ直ぐシスティーヌを見た。
「はい。少なくとも私が見てきた限りでは――圧倒的に」
「…………」
「だからこそ、陛下もレイズ様をお認めになられたのではないでしょうか」
静寂が落ちる。
やってしまった。
そう思っても、もう遅い。
王女の目の前で、王子と王女よりもレイズの方が優れていると言い切った。
商人として考えれば、とんでもない失言だった。
下手をすれば――。
「アハハハハッ!」
「…………はい?」
突然、システィーヌが笑い始めた。
怒るどころか、どこか楽しそうにリールを見る。
「貴方、その方がいいわね!」
「…………何が、でしょうか?」
「それでいいのよ。その方が、ちゃんと話ができますもの」
「…………?」
リールには意味が分からなかった。
するとシスティーヌは、先ほどまでとは違う笑みを浮かべる。
「さっきまであれほど私にびびり散らかしていた貴方が、レイズという方を馬鹿にされた途端、私にそこまで言えるようになるんですもの」
「…………え?」
そこで、リールはようやく気付いた。
システィーヌは――わざとだったのだ。
白豚。
出来損ない。
メモリアルストーンも他人の手柄。
どこまでが本当に聞いた噂なのかは分からない。
だが少なくとも、あえてレイズを悪く言い、リールがどう反応するのかを見ていた。
レイズ本人をまだ知らないからこそ、その周囲にいる人間を見ようとしていたのだ。
「そうね。貴方をそこまで変えてしまうというのなら……少なくとも、ただ者ではなさそうですわね」
「本当に…………やめてください」
「あら?」
「冗談でも、レイズ様をあまり悪く言わない方がよろしいかと……」
リールの背中を、ぞくりと悪寒が走った。
「私だったからよかったものの……もしクリス様が聞いていたら……」
想像した。
そして即座に後悔した。
あのクリスが、レイズを白豚だの出来損ないだのと言われるところを聞いたらどうなるのか。
冗談では済まない。
比喩でも何でもなく、王国との関係そのものが吹き飛びかねない。
「…………アルバードに着いたら、本当にやめてください。誰に聞かれるか分かりません。絶対に駄目です」
「あら、そんなに?」
「そんなにです」
リールは知っている。
アルバードにいる者たちが、どれほどレイズを慕っているのかを。
使用人だけではない。
町の住民たちもそうだ。
レイズ本人が思っている以上に、多くの者が彼を見ている。
「アルバードの人たちは……それほど、その方を慕っているのね」
システィーヌの声音が少し変わった。
先ほどまでの刺々しさが薄れ、そこには純粋な興味が混ざっている。
「はい。それはもう……本当に、狂っているのではないかと思うほどに」
「貴方も同じでしてよ?」
「…………え?」
「気付いていないの?」
システィーヌが呆れたように笑う。
「この私を相手に、リオネルお兄様や私よりもレイズという方の方が圧倒的に優秀だと言い切ったのよ? 私の側近や、お兄様を支持する者たちが聞いていたら、貴方の商会がどうなっていたか分からなくてよ?」
「…………」
それも冗談ではない。
リオネルを次期国王として支持する者は多く、システィーヌ自身にも多くの支持者がいる。
その二人を差し置いて、どこかの領地の十四歳の当主を「圧倒的に優れている」などと言えば、誰がどう受け取るか分からない。
先ほどの自分が商人としてどれほど危うい発言をしたのか、リールにも分かっていた。
それでも――。
「事実ですから」
リールは胸を張った。
迷いはなかった。
たとえそれで商人としての生命が終わったとしても、レイズを侮辱されて何も言えない人間になるくらいなら、そんなものは捨ててやる。
それほどの覚悟が、今のリールにはある。
もう単なる取引相手ではない。
レイズはリールにとって、自分の人生そのものを変えてくれた人間だった。
大切な仲間であり、自分がこれから先も仕え、共に歩んでいきたいと決めた相手だ。
そんなリールをしばらく眺めてから、システィーヌは小さく息を吐いた。
「やっぱり貴方も、アルバードに染まっていますのねぇ……」
先ほどまで虫以下だった男。
だが今、システィーヌの中でリールは――少なくとも、まともに会話をする価値のある人間へと昇格していた。
虫以下から、虫以上へ。
リールにとってはまったく嬉しくない昇格である。
「まぁ、それでもリオネルお兄様には及びませんけれど」
「…………そこは譲らないのですよね」
「当然でしょう?」
システィーヌは胸を張った。
「お兄様は王としての素質だけではありませんわ。騎士たちからも認められるほどの実力を持っている。頭が良いだけではないのよ。王族の中でも最高クラスに優秀なんですから」
その言葉に関しては、リールも素直に頷いた。
「それは私も存じております」
このままいけば学院首席はリオネルで間違いない。
学問だけではなく、王族としての振る舞い、実績、そして戦う力まで、すでに多くの者から評価されている。
次期国王として申し分ない。
王国の将来は安泰だ。
そう語る者がいるのも、決して大袈裟ではないだろう。
だからこそ――システィーヌには許せないことがあった。
「なのに、お父様は……レイズ、レイズって」
その声に、初めて年相応の感情が滲んだ。
「…………本当に気に入りませんわ」
「システィーヌ様?」
「リオネルお兄様があれだけ努力して、あれだけ結果を残しているのに……そのお兄様の前でまで、別の男をあんなに評価するなんて」
窓の外へ視線を戻す。
「そんなレイズという方を、私はどうしても好きになれる気がしませんわね」
そこでリールは、ようやくシスティーヌの本当の苛立ちがどこにあるのか理解した。
レイズが太っていたからではない。
出来損ないという噂を信じているからでもない。
会ったことすらない少年を、父であるカイネルがあまりにも高く評価している。
そして、その比較対象として大切な兄の存在が霞んでしまうように感じる。
それが――気に入らないのだ。
「…………絶対に、化けの皮を剥いでやるんだから」
システィーヌは再び、どうでもよさそうな顔で外を眺めた。
だがリールは、その言葉を聞いて思わず笑いそうになった。
(…………さて)
果たして。
今、目の前にいる王女は、レイズ本人と出会った時にどんな反応をするのだろうか。
陛下がなぜ、あれほどレイズを気にかけているのか。
アルバードの人々が、なぜあれほどレイズを慕っているのか。
その答えは――アルバードへ着けば、嫌でも分かる。
リオネルが優秀であることに異論はない。
学院首席になるだけの実力も功績もある。
だが。
リールは思う。
そもそも――レイズを学院の順位だけで測ろうとすること自体が、間違っているのだ。
メモリアルストーン。
それ一つを取っても、すでに一人の学生が優秀かどうかなどという尺度から大きく外れている。
戦う力にしてもそうだ。
かつて学院を首席で卒業し今では、王国の座位二位のデュラン様と、勝てずとも渡り合ったほどの力を持っている。
しかも、それすら過去の話。
今のレイズが、その頃から成長を止めているはずがない。
学問。
魔法。
戦い。
発想。
そして何より――人を動かす思想。
そのどれか一つだけを取り出して、「学院で何位」という尺度に押し込めることに、どれほどの意味があるのだろう。
だから、リールはもう何も言わなかった。
わざわざシスティーヌを説得する必要などない。
会えば分かる。
アルバードを見れば分かる。
そして――レイズ本人と話せば、もっと分かる。
リールは窓の外へ視線を向け、小さく笑った。
(思い知るのは……システィーヌ様。貴女の方ですよ)
馬車は進んでいく。
カタカタ、カタカタと車輪を鳴らしながら。
レイズという少年の化けの皮を剥ぐつもりの王女と。
その王女がアルバードで何を見ることになるのか、少しだけ楽しみになってきた商人を乗せて。
アルバードへ向かって――。




