レイズの念願
レイズは頭を抱えた。
ガイルとの話を終えたばかりの胸の中には、まだたくさんの感情が残っていた。温かい気持ちもあれば、どこか寂しい気持ちもある。それでも、ガイルとちゃんと話せたことは本当によかったと思っているし、あいつが自分の思っていた通りの人間だったことも嬉しかった。
だが、それで終わりではない。
これからレイズには、みんなに伝えなければならないことがたくさんあった。
なぜ、あの戦いが起きたのか。その発端の一つに自分自身が関わっていたこと。ミスリルを手に入れるためティグルへ向かい、そこでディアブロと戦い、自分があいつを傷つけてしまった。それが巡り巡って大きな戦いへと繋がり、その中でヴィルやセバスは力を使い果たし、本来残されていたはずの寿命を早めてしまった。
もちろん、すべてがレイズ一人の責任というわけではない。それでも、自分の行動が一つのきっかけになったという事実を、黙っているつもりはなかった。
そして何より――ガイルについても話さなければならない。
(ガイルは……悪い奴じゃないんだ)
ディアナを殺そうとしたことを許したわけではないし、ガイルのしてきたことをすべて肯定するつもりもない。それでも、あいつが何を失い、何を抱え、百年以上もの間どんな思いで生きてきたのかを知った今、ただの敵として片付けることだけはしたくなかった。
だからこそ、みんなに説明しようと思っていた。反発されることも覚悟している。怒る者だっているだろうし、そんなことを聞いたところでガイルを許せないと言う者もいるだろう。それでも、レイズはちゃんと話すつもりだった。
そのために、どう説明すればいいのかも真剣に考えていた。
――はずなのだが。
「…………婚約……」
今、レイズの頭の中を最も大きく占めているのは、ガイルでも、ディアブロでも、ヴィルやセバスでもなかった。
クリスとディアナが、正式に付き合うという段階すら飛び越えて、いきなり婚約してしまったという衝撃だった。
「…………なんで婚約なんだよ……」
どう考えても早すぎる。
ほんの少し前まで、クリスはガイルを殺しかねない勢いで怒り狂っていた。それがディアナと二人で話をさせて、レイズがガイルと話して戻ってきてみれば、愛を知った、婚約する、式を挙げる。
いったい自分がいない間に、どれだけの速度で話を進めたのだろうか。
「わ、分かったから……とりあえず、今は二人で話しててくれ」
「はい!!」
やけに力強く返事をするクリスに対し、ディアナは未だ顔を真っ赤にしたまま俯いている。
そんな二人を見ながら、レイズはもう諦めた。
今、この二人にガイルのことや過去の戦いについて話したところで、まともに頭へ入るとは思えない。それに、あまりにも急激すぎるとはいえ、ようやく互いの想いが通じたのだ。だったら今くらいは、二人だけで幸せな時間を過ごしてもいいだろう。
「…………まぁ、二人でゆっくり話しててくれ」
「レイズ様?」
「いいから。今は二人でいろよ」
それはレイズなりの配慮でもあった。
二人を残してそっと部屋を出ると、後ろ手に扉を閉め、そのまま廊下で大きく息を吐く。
「はぁぁぁぁぁぁ…………えぇぇぇ…………」
どうにも感情が追いつかない。
ついさっきまでガイルと百年以上に及ぶ憎しみや、生きることについて話していたというのに、その直後にクリスとディアナの婚約を聞かされたのである。
「…………まぁ、いいか。二人が幸せなら」
そう自分に言い聞かせ、レイズは歩き出した。
次はイザベルだ。
イザベルにも話さなければならないことがある。ガイルのことも、ディアブロのことも、過去の戦いのことも。そして、クリスとディアナが何故か婚約したことも――。
「…………何から話せばいいんだよ」
もはや混乱しかない。
それでも、まずはイザベルを探そうと部屋の前までやって来ると、レイズは軽く扉を叩いた。
コンコン。
「イザベル?」
返事はない。
少し待ってからもう一度ノックしてみるものの、それでも中から声は聞こえてこなかった。
「…………いないのか? 入るぞ?」
そっと扉を開けて中を覗いてみるが、やはりイザベルの姿はどこにもない。
「あれ……どこ行ったんだ?」
屋敷の中にいることは間違いないと思うのだが、わざわざ探し回るほど急ぐ必要もない。どうせ後で会えるだろうと考え、レイズは一度自分の部屋へ戻ることにした。
「まぁ……また後で会えるしな」
それに、さすがに少し疲れた。
ジュラから帰ってきてからというもの、まともに休む暇すらない。町の住民から逃げ、屋敷へ戻ればクリスが外で叫んでいて、中にはガイルがいて、そのガイルと話し終えたと思ったら今度はクリスとディアナが婚約していた。
せめて少しくらい、自分の部屋で落ち着きたい。
そんなささやかな願いを抱きながら自室の前まで戻ってくると、レイズは何の警戒もせず扉へ手を伸ばした。
「…………ちょっと休もう」
ガチャリ。
扉を開ける。
「…………ん?」
レイズは、そのまま固まった。
部屋の中には三人の人間がいた。
イザベル。
リアノ。
そしてリアナ。
三人は机を囲んで座っており、何やらイザベルが紙に文字を書きながらリアノとリアナへ説明している。
「ここはこう考えればいいの。学院へ行ってからも必要になると思うから、今のうちに覚えておいた方がいいわ」
「なるほど……」
「そういう意味だったんですね」
「…………」
レイズは黙ってその光景を見つめた。
勉強をしている。
どう見ても勉強をしている。
それ自体は別におかしくない。リアノもリアナもこれから学院へ向かうのだから、イザベルから色々教わることだってあるだろう。
問題はそこではない。
レイズは一度、開けた扉の向こうにある廊下を確認し、それからもう一度部屋の中を見た。
間違えてはいない。
ここは間違いなく――自分の部屋だ。
「…………勉強?」
その声に三人が一斉に振り返り、イザベルが何でもないことのように笑った。
「あ、レイズくん。おかえり」
「…………ただいま」
レイズも反射的に答えた。
そして数秒してから、ようやく自分が何を言っているのかに気付く。
「…………って、違う!!」
三人が目を丸くする。
レイズは思い切り自分の部屋を指差した。
「なんで俺の部屋でやってんの!?!?」
ガイルと百年以上の憎しみについて語り合い、クリスとディアナの婚約に頭を抱え、ようやく少し休めると思って戻ってきた自分の部屋。
そこすら、既に占領されていた。
レイズのツッコミが、今日何度目になるのかも分からないほど大きく屋敷へ響き渡ったのだった。
「なんで俺の部屋でやってんの!?」
レイズの声が部屋中に響くと、リアナとリアノは互いに顔を見合わせた。どう説明したものかと少し困ったような顔をしてから、まずリアナが口を開く。
「それは……イザベル様が……」
「イザベルが?」
「レイズ様の部屋から出たくないと仰ったので……」
「…………は?」
レイズがゆっくりとイザベルを見る。しかし当の本人は特に悪びれる様子もなく、レイズの机の前に座ったままこちらを見ていた。
すると今度はリアノが、申し訳なさそうに説明を続ける。
「それで、私たちも学院へ向かう前に勉強についてイザベル様から教わらなければならないことがありまして……」
「それならここでいいんじゃない? って、イザベル様が……」
リアナが最後を引き継いだ。
「…………」
レイズはしばらく三人を見つめた。
つまり。
イザベルが自分の部屋から出たくない。
リアノとリアナはイザベルから勉強を教えてもらいたい。
だったら全員ここにいればいい。
そういうことらしい。
「…………俺の部屋なんだけどな」
誰に言うでもなく呟いたが、どうやら今さら何を言っても仕方がなさそうだった。
そんなレイズの様子を見ていたイザベルが、ゆっくり立ち上がる。
「それで、話し終わったんだね。レイズくん」
「…………ああ」
先ほどまでとは少しだけ声の雰囲気が変わった。
イザベルも分かっているのだ。
レイズがガイルと二人きりで話していたことも、その話が決して軽いものではなかったことも。
だからこそイザベルは、少しだけ不安そうにレイズを見つめながら尋ねた。
「それで…………聞かせてくれる?」
「…………」
レイズは口を開こうとした。
ガイルから聞いたこと。
ルイガスのこと。
ディアブロのこと。
あの戦いがどうして起きたのか。
自分がミスリルを求めてティグルへ向かい、ディアブロを傷つけたことが一つの発端となり、その先でヴィルやセバスが命を削ることになったこと。
そして、ガイルという男が本当はどんな奴だったのか。
話さなければならない。
イザベルには、特に。
そう思っていた。
レイズはしばらく黙ってイザベルを見つめていたが――やがて、ぽつりと口を開いた。
「…………ごめん」
「え?」
「一回、風呂入ってもいいかな……?」
「…………え?」
イザベルの顔が固まった。
レイズ自身、さっきまで今すぐ話すつもりだった。
だが、もう無理だった。
ジュラから二日もかけて戻ってきて、町では住民たちに追いかけられたと思って逃げ、屋敷へ戻ればクリスが外で叫んでいて、中にはまさかのガイルがいた。そのガイルと百年以上続いてきた憎しみやルイガスについて話し、ようやく終わったと思えば、今度はクリスとディアナがいきなり婚約していた。
そして少し休もうと自分の部屋へ戻ってみれば、そこでは何故か勉強会が開かれている。
もういい。
一回。
本当に一回だけ。
何も考えずに休ませてほしい。
それが今のレイズの本音だった。
「ちょ、ちょっと!? レイズくん!」
「いや、ちゃんと話す。話すから……一回だけ色々整理させてくれ……」
頭も気持ちも、何もかもが追いついていない。
するとリアノが、ぱっと顔を明るくした。
「あ、それでしたら! お風呂はすでに沸かしていますので!!」
「…………え?」
レイズが振り返る。
リアナも大きく頷いた。
「そうですよ! レイズ様は長旅をされていたのですから、少しくらい休んでくださいまし! お話はその後でもよろしいではありませんか」
「リアナ……リアノ……」
レイズは二人を見つめた。
なんて優しいのだろう。
ようやく自分の味方がいた。
「いや……俺も少し休もうと思って、自分の部屋に戻ってきたんだけど……」
そこで三人を見る。
自分の机。
自分の椅子。
広げられた勉強道具。
完全に占領された自分の部屋。
「…………もういい」
「レイズくん?」
「風呂へ行く!!」
レイズは勢いよく踵を返した。
「ちょっと、レイズくん!?」
後ろからイザベルの声が聞こえたが、今だけは振り返らない。
話す。
ちゃんと話す。
逃げるつもりだってない。
イザベルに伝えなければならないことも、レイズ自身よく分かっている。
だが、それは風呂の後だ。
絶対に風呂の後だ。
(もう誰も邪魔するなよ……!)
町へ戻ってきた時から、ずっと望んでいたもの。
何度も何度も遠ざかり、そのたびに諦めかけていたもの。
柔らかい布団より先に。
食事より先に。
今のレイズが何より求めているもの。
「風呂だぁぁぁぁぁ!!」
こうしてレイズは、ようやく。
本当にようやく。
念願だった風呂へ向かうことができたのであった。




