婚約は急速に
レイズは、ガイルとの話を終えて部屋を出た。
「…………はぁ」
まだ少しだけ、胸の奥に何かが残っている。
ガイルには言いたいこともあった。文句だってある。
ディアナを傷つけたことを許したわけではないし、考え方のすべてが同じになったわけでもない。
それでも――。
(やっぱり、思ってた通りのやつだったな)
仲間、と呼んでいいのかは分からない。
でも。
友達。
それくらいの関係には、なれた気がした。
それがレイズには、何より嬉しかった。
「…………さて」
感傷に浸っている場合でもない。
イザベルにも話をしなければならない。
だが、その前に。
「まずは……クリスとディアナだよな」
あの二人が今どうなっているのか。
正直、不安しかない。
レイズは二人がいる部屋の前まで行くと、軽く扉を叩いた。
「クリス。ディアナ。入るぞ?」
すぐに返事が返ってきた。
「はい! レイズ様!!」
クリスの声だ。
しかも、やけに力強い。
「こちらも、ちょうど話がまとまりましたので!」
「…………お?」
レイズは少しだけ安心した。
どうやらディアナがうまくやってくれたらしい。
さっきまであれほど取り乱していたクリスを、きちんと落ち着かせてくれたのだろう。
「ならよかった」
そう呟きながら、扉を開ける。
そして。
「…………は?」
レイズの目に飛び込んできたのは。
床に座り込み。
顔を真っ赤にしながら。
ボロボロと泣いているディアナだった。
「…………なんで?」
その隣では、クリスがやけに真剣な顔で立っている。
「レイズ様!!」
「いや待て待て待て。ディアナ、大丈夫か!?」
ディアナへ駆け寄る。
「怪我か!? またどこか痛むのか!?」
ディアナは慌てて首を振った。
そして。
何度も。
コクコク。
コクコク。
頷く。
「…………じゃあ、なんで泣いてんだよ」
意味が分からない。
その時だった。
クリスが一歩前に出る。
「レイズ様」
「ん?」
「お願いがあります」
「…………嫌な予感しかしないんだけど」
「ディアナと私の婚約を認めてください!!」
「…………」
レイズの思考が止まった。
「…………こんやく?」
「はい!」
「婚約?」
「はい!!」
「…………」
一拍。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?!?」
部屋中にレイズの叫び声が響いた。
「なんで!? なんでそうなった!? 俺ちょっとガイルと話してただけだよな!? なんでその間に婚約まで進んでんだよ!?」
「説明いたします!」
クリスはいたって真剣だった。
「どうやら、ディアナは以前から私に好意を抱いていたそうです!」
「う、うん」
「そして私も、どうやらディアナに好意を抱いていることが分かりました!」
「…………うん」
「ですので!」
クリスは胸を張った。
「婚約しかないかと!!」
「段階飛ばしすぎだろ!?!?」
レイズは頭を抱えた。
「馬鹿なの!? お前!? 付き合うとか! もっとこう! 色々あるだろ!!」
「?」
「そこで首を傾げるな!!」
ディアナは真っ赤な顔のまま、両手で顔を覆っていた。
どうやら泣いていた理由も、なんとなく理解できた。
おそらく。
ディアナが想いを告げた。
そしてクリスも、それを受け入れた。
そこまではいい。
むしろ、よかった。
本当に。
よかったのだが。
「いや……だからってなんで婚約なんだよ……」
レイズは額を押さえる。
「俺がガイルと話してる間に何があったんだよ……」
するとクリスが、少しだけ表情を引き締めた。
「ガイルは……絶対に許せません」
「そこはまだ許してねぇんだな」
「当然です!!」
即答だった。
「ですが」
クリスは一瞬、ディアナを見る。
「私がディアナをどれほど大切に思っているのか。それに気付かせたことに関してのみは……礼を言ってもいいでしょう」
ディアナがさらに顔を赤くした。
「クリスさん……」
「ですが!!」
クリスの目が鋭くなる。
「次は絶対に許しません!!」
「いやいやいやいやいや!!」
レイズは両手を振った。
「そこ今どうでもいい!!」
「どうでもよくありません!!」
「今は婚約の話だよ!!」
「はい!!」
「はいじゃねぇ!!」
レイズは叫んだ。
そして。
深く息を吸う。
「…………よし」
二人を見る。
「最初から説明しろ」
「はい!」
「何があって」
「はい!」
「どうして?」
「はい!」
「婚約まで行ったんだよ!!」
「詳しく説明いたします!」
「最初からそうしろぉぉぉぉぉぉ!!」
レイズがガイルと話していた頃。
別の部屋では、クリスとディアナが向かい合っていた。
正確には――向かい合えていたのはディアナだけだった。
「クリスさん。見てください。私はもう大丈夫です」
「…………」
「ほら。ちゃんと立てますし、歩けます。痛いところもありません。傷だって、もう――」
「…………」
「クリスさん?」
ディアナは困ったように笑った。
先ほどから何度も同じことを伝えている。
自分は大丈夫だ。
もう傷は治っている。
こうして普通に話すことだってできる,
それなのに、目の前のクリスは両の拳を強く握ったまま、未だに身体を僅かに震わせていた。
怒りが消えていないのだ。
ガイルへの怒り。
そして何より、もう少し遅ければディアナを失っていたかもしれないという恐怖が、未だクリスの中から抜けきっていなかった。
「…………許せません」
「クリスさん」
「貴女がこうして無事であることは理解しています。ですが、あの時……私がもう少し遅ければ……」
クリスの拳に、さらに力が入る。
ディアナはそんな彼をじっと見つめていた。
そして、少しだけ嬉しそうに笑った。
「私、幸せでした」
「…………はい?」
クリスが顔を上げる。
「何を言っているのですか。死にかけたのですよ?」
「はい。死ぬかと思いました」
「でしたら――」
「だからこそです」
ディアナは遮った。
「怖かったです。本当に怖かった。もう駄目なのかなって思いました。でも……クリスさんが来てくれました」
「…………」
「また、助けに来てくれました」
その声が少しだけ震える。
「クリスさんは、いつも私を助けてくれます。だから……あの時もクリスさんが来てくれたことが、本当に、本当に嬉しかったんです」
ディアナは胸の前で両手を重ねた。
「もちろん、ガイルを許したわけではありません。殺されかけたことだって怖かったです。でも……そのおかげで、ずっと言えなかったことを言えましたから………」
「言えなかったこと?」
「はい」
ディアナは真っ直ぐクリスを見る。
「私が、クリスさんを好きだということです」
クリスは瞬きをした。
だが。
「それは当然ではないですか!」
「…………はい?」
今度はディアナが固まった。
「私たちはレイズ様を共に支えると誓った仲間です! 互いを大切に思うのは当然のことではありませんか!」
「…………」
「ディアナ?」
ディアナはしばらく無言だった。
やがて。
「…………違います」
「何がですか?」
「そういう好きではありません」
「…………?」
クリスが本気で分からないという顔をする。
ディアナは小さく息を吐いた。
予想はしていた。
この人は、本当に分かっていない。
「では、聞きます。どうして私のために、ウラトスを名乗ったのですか?」
「…………」
初めて。
クリスが答えに詰まった。
「そ、それは……」
「それは?」
「…………何故でしょう」
「私に聞かないでください」
「ですが……あの時は確かに、冷静ではいられませんでした」
クリス自身にも説明できなかった。
ディアナが傷つけられているのを見た瞬間、頭の中が真っ白になった。
許せない。
殺す。
ただ、それだけだった。
捨てたはずの名を自ら名乗るほどに。
「では、今はどうですか?」
「…………今?」
「私だって今、冷静ではありません」
ディアナの頬は真っ赤だった。
「でも、私はウラトスにはなっていませんよね……?」
「それはそうでしょう。貴女はウラトスではありませんから」
「そういう意味ではありません!」
「!?」
思わずディアナの声が大きくなる。
「クリスさんは、どうしてそこまで怒ったのですか!? どうして私が傷つけられただけで、あんなふうになったんですか!?」
「…………」
クリスは答えられない。
「私は分かっています」
ディアナは胸元をぎゅっと握った。
「私なら、分かります」
「ディアナ?」
「だって私は――クリスさんを愛しているんです」
「…………」
クリスの動きが止まった。
今度こそ完全に。
「愛して……いる?」
「はい」
「私を?」
「はい」
「…………愛している、とは?」
「…………」
そこからですか。
一瞬そんな顔をしたディアナだったが、やがて覚悟を決めたようにクリスへ近づいた。
一歩。
もう一歩。
「ディアナ?」
そして。
ディアナは背伸びをして――。
そっとクリスへ口づけた。
「…………」
「…………」
ほんの一瞬だった。
ディアナが離れる。
クリスは固まったままだった。
先ほどまで身体の中を埋め尽くしていたはずの怒りが。
ガイルへの殺意が。
あれほど抑えられなかった感情が。
嘘のように消えていた。
「な……」
クリスの顔が、見る見る赤くなっていく。
「ななななな、なぜ私に口づけを!?」
ディアナも真っ赤だった。
それでも逃げなかった。
「これが、愛ですから」
「…………これが」
クリスは自分の唇へ触れた。
胸の鼓動が速い。
頭がうまく働かない。
なのに、不思議だった。
さっきまであれほど怒っていたのに。
ディアナが目の前にいる。
笑っている。
自分へ想いを伝えてくれた。
それだけで。
安心した。
嬉しかった。
そして――。
クリスの中で、ようやく一つの答えが繋がった。
「…………つまり」
「はい?」
「私も……ディアナを愛しているということなのでは?」
ディアナの目が大きく開く。
「…………そうだと」
声が震えた。
「そうだと……嬉しいです」
そして、恐る恐る尋ねる。
「クリス様。私を……愛してくれますか?」
「…………」
クリスは考えた。
ほんの数秒。
そして。
「それならば婚約です!!」
「…………はい?」
「婚約しましょう!!」
「…………え?」
「互いに愛しているのであれば婚約するべきです!!」
「え、えっと、クリス様!?」
「間違いありません!!」
「ちょ、ちょっと待って――」
ディアナの目から、ぽろぽろと涙が溢れ始めた。
「ディアナ!?」
「…………嬉しいんです」
「では問題ありませんね!!」
「問題がないと言いますか……!」
嬉しい。
嬉しいのだ。
ずっと好きだった相手から、愛していると認めてもらえた。
その上、婚約まで求められた。
嬉しくないはずがない。
ただ。
あまりにも。
あまりにも早すぎる。
ディアナは真っ赤な顔を隠すように、その場へ泣き伏してしまった。
その時だった。
コンコン。
扉が鳴る。
「クリス……ディアナ……入るぞ?」
「はい! レイズ様!!」
クリスが即座に答える。
「こちらも話がちょうどまとまりましたので!」
扉の向こうで、レイズはほっとしていた。
(よかった……ディアナがうまくやってくれたんだな)
そして扉を開ける。
「…………は?」
床に泣き伏しているディアナ。
その横で堂々と立っているクリス。
レイズの思考が止まった。
「…………なんで?」
「レイズ様!!」
「お、おい! ディアナ大丈夫か!?」
ディアナは泣きながら何度も頷いた。
コクコク。
コクコク。
「いや、全然大丈夫そうに見えないんだけど!?」
するとクリスが一歩前へ出た。
「レイズ様! お願いがあります!」
「…………何?」
「ディアナと私の婚約を認めてください!!」
「…………」
レイズは瞬きをした。
「…………こんやく?」
「はい!!
「婚約?」
「はい!!」
「…………」
そして。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」
叫び声が部屋中に響いた。
「なんで!? 俺がガイルと話してる間に何があったんだよ!? ちょっと離れてただけだよな!?」
「説明いたします!」
「頼むから説明してくれ!!」
クリスは胸を張った。
「どうやらディアナは、私に惚れていたそうです!」
「…………うん」
「そして私も、どうやらディアナに惚れていることが分かりました!」
「う、うん……」
「ですので婚約します!!」
「段階飛ばしすぎだろ!?!?」
レイズは頭を抱えた。
「馬鹿なの!? お前!? 好きだって分かった次の瞬間に婚約ってなんだよ!? もっとあるだろ! 付き合うとか! 色々!!」
「しかし、互いに愛しているのですよ?」
「だからって婚約に直結しないんだよ!!」
「そうなのですか?」
「なんで俺が恋愛を教える側になってんだよ!?」
レイズは頭を抱えたままディアナを見る。
「…………ディアナ」
「は、はい……」
「お前も……それでいいの?」
ディアナは顔を真っ赤にしたまま。
コクコク。
何度も頷いた。
「…………そっか」
今度はクリスを見る。
「クリス。本当に分かってんの?」
「間違いありません!!」
クリスは胸に手を当てた。
「このクリス! 間違いなく愛を知りましたので!!」
「いやいやいやいやいやいや!?」
レイズは叫んだ。
だが。
二人を見る。
真っ赤になっているディアナ。
そして、本人なりにこれ以上ないほど真剣なクリス。
「…………はぁ」
もう駄目だ。
「好きにしてくれ……」
「ありがとうございます!!」
クリスの顔が一気に明るくなった。
「それではディアナ! 式の準備を急いでしなくてはいけません!」
「え!?」
レイズが再び顔を上げる。
「式!?」
ディアナまで慌てた。
「ク、クリスさん!? もうちょっとだけ待ちませんか!?」
「待てるわけがありません!!」
「なんでだよ!?」
レイズとディアナの声が重なった。
クリスだけが不思議そうに二人を見る。
「愛し合っているのですよ?」
「…………」
「…………」
もう誰も何も言えなかった。
レイズは深く息を吐くと、泣き笑いのような顔になっているディアナを見る。
「…………ディアナ」
「はい……」
「よかったな」
その一言に。
ディアナはほんの少しだけ目を潤ませて。
嬉しそうに笑った。
「…………はい」
こうして。
クリスとディアナの関係は――。
レイズがガイルと話している、ほんの僅かな時間の間に。
誰も予想していなかったほどの速度で、大きな進展を迎えたのだった。




