強引すぎる出発に
「システィーヌ。それでは頼んだぞ」
「えっと……私、学院で忙しいのですけれど!?」
突然そう告げられたシスティーヌは、目の前の父親を信じられないものでも見るように見つめた。しかしカイネルは、そんな娘の反応など最初から分かっていたと言わんばかりに平然としている。
「そのことなら、すでに学長には伝えてある。王命であれば造作もないことだ」
「いや、そんなことで王命を使わないでくださいまし!?」
王女の悲鳴にも似た声が玉座の間へ響いたが、カイネルはまるで気にしていなかった。
本来であれば、システィーヌがアルバードへ向かうのはもう少し先になるはずだった。学院へ入学するレイズを迎える、その機会に合わせて動かせばいい。カイネル自身も当初はそのつもりでいた。
だが――やめた。
待つ必要などない。
レイズは自分の判断でジュラへ向かい、好き勝手に動き回っている。それならば、こちらが予定を少しくらい早めたところで問題はあるまい。
「なに、あやつも勝手にジュラへ行ったのだ。こちらが少しくらい勝手をしても問題はなかろう」
「そういうことではなくてよ!? お父様ぁぁぁ!?」
しかし、カイネルは止まらない。
娘の抗議を聞き流しながら、すでに次の指示を出していた。
そして、その王命によって呼び出された男が一人。
「…………なんで、私ばかり呼ばれるので……」
リールだった。
商人であるリールにとって、王からの呼び出しなど本来なら人生で一度あるかどうかの大事件である。少なくとも以前の彼ならそう思っていた。
ところが最近は、どういうわけか妙に王宮との縁ができてしまった。
当然ながら、商人としての仕事だってある。取引もあれば商品の管理もあるし、予定だって組んでいる。それなのに唐突に王宮から呼び出され、それも王命となれば「今日は商売がありますので」と断れるはずもない。
こうしてリールは仕事を半ば放り出すような形で、再び王宮へやって来ることになった。
「ハハハ…………」
乾いた笑いしか出なかった。
胃が痛い。
いや、もはや胃痛なんて可愛らしいものではない。
――今度は何だ?
一体、次は何を言われる?
そんな不安を抱えたまま玉座の間へ入ったリールだったが、そこで目にした光景に思わず足を止めた。
「…………えっと。ここ、玉座の間ですよね?」
間違えて別の場所へ入ったのではないかと、本気で確認したくなるほど慌ただしい。
騎士が行き交い、官僚たちが次々と書類を運び、王のもとには絶え間なく報告が届けられている。
「南部への設置についてですが――」
「水の供給量について再計算を!」
「魔力の結晶を使用した場合の稼働期間は――」
「次のメモリアルストーンについて――」
あちらからも。
こちらからも。
聞こえてくるのは、メモリアルストーンの話ばかり。
王国そのものが巨大な歯車となり、一斉に回転し始めたようだった。
(…………帰りたい)
リールは心の底からそう思った。
しかし、そんな願いが叶うはずもない。
「止まるな。進め!」
近くにいた騎士から声をかけられ、リールの身体がびくりと跳ねる。
「は、はい! 申し訳ございません!」
慌てて歩き出す。
しかし数歩進んだところで、別の官僚たちが大量の書類を抱えて横切ったため、また立ち止まる。
「そこを空けろ!」
「は、はい! すみません!」
避ける。
進む。
また避ける。
そして進む。
もはや王との謁見へ向かっているというより、戦場の中を必死に突破している気分だった。
(なんなんですか、ここは……!)
それでもどうにか人の波を抜け、ようやく玉座の前までたどり着く。
カイネルがリールの姿に気づいた。
「おお、リールよ。よく来た」
「は、はい! 陛下。本日はどのような――」
「では、システィーヌをアルバードまで連れていけ」
「…………は?」
用件を尋ね終える前に王命が下った。
リールの思考が止まる。
今、なんと言った?
システィーヌ。
それは確か――。
王女。
「え……あの、陛下――」
質問しようとした。
しかし、その隙すらなかった。
「陛下! こちらをご確認ください!」
「うむ。見せよ」
「メモリアルストーンの設置候補地ですが―」
「待て、その前に水量の試算をこちらへ持ってこい」
「ハッ!」
あっという間にカイネルの意識が別の報告へ移ってしまった。
リールだけが、その場に取り残される。
(…………え?)
周囲を見る。
騎士たちは仕事をしている。
官僚たちも仕事をしている。
誰も驚いていない。
つい数秒前、王女を一介の商人に連れていかせるという、とんでもない命令が出たはずなのに。
(え……今、とんでもない話が出ていましたよね!? 皆様、何もおかしいと思わないので!?)
どうやら、この場でおかしいと思っているのはリールだけらしい。
しかし王命は王命である。
「…………王命、承りました……」
そう答える以外に何ができるというのか。
せめて護衛だけでもしっかり準備しなければならない。
相手は王女なのだ。
「あの……それでは護衛の者を、こちらで雇わせていただき――」
「エルンスト」
「ハッ!」
「お前もついていけ」
「承知いたしました!」
「…………」
リールは黙った。
座位騎士までついてくるらしい。
しかもエルンスト本人も「なぜ私が?」などとは一言も言わない。当然の仕事であるかのように即答している。
(いやいやいやいや……)
何かがおかしい。
絶対におかしい。
だが、この王宮にいると自分の感覚の方がおかしいのではないかという気さえしてくる。
リールの苦悩も疑問も、猛烈な勢いで動き続ける王国の中ではあまりにも小さなものらしい。
そうしてリールは、何一つ状況を理解できないまま玉座の間を出ることになった。
当然、後ろにはエルンストがついている。
「…………あの」
「なんだ」
「本当に今から行くんですか?」
「陛下の命だ」
「いえ、それは分かっているんですけど……準備とか、予定とか、そういうものがですね――」
王宮を出たリールの言葉が止まった。
そこにはすでに、立派な馬車が用意されていた。
「…………」
「乗れ」
「ちょっと待ってください!!?」
思わず声を上げる。
「話が……あまりにも飛びすぎでは!? 私、つい先ほど呼び出されたばかりですよ!?」
「陛下の命だ。無駄口を叩くな」
「いや、それで全部解決すると思わないでくださいよ!?」
「乗れ」
「はい!!」
結局、王命には勝てなかった。
ほとんど押し込まれるように馬車へ乗り込んだリールだったが、中へ入った瞬間、今度は別の意味で身体が固まった。
「…………え?」
すでに一人の少女が座っていた。
上質な衣服。
整った容姿。
そして何より、この国の人間なら見間違えるはずもない人物。
システィーヌ王女である。
「…………」
「…………」
しばらく二人で見つめ合う。
(王女と同席!?)
リールの頭の中が真っ白になる。
「し、システィーヌ様……」
「…………貴方、誰よ」
「はい!?」
その瞬間、外から馬車の扉が閉められた。
ガチャリ。
逃げ道まで消えた。
システィーヌは明らかに不機嫌そうな顔でリールを見る。
「お父様から、貴方がアルバードまで案内すると聞きましたわ。でしたら、まず状況を説明してくださる?」
(こちらこそ知りたいですよ!?)
叫びたかった。
心の底から叫びたかった。
だが、目の前にいるのは王女である。
「え、えっと……私はリールと申します。商人をしております。それで……アルバードまでの案内をするよう、陛下から命じられまして……」
「それは私も聞きましたわ」
「ですよね……」
「では、どうして今すぐアルバードへ向かわなければならないの?」
「…………」
リールは目を逸らした。
「……私にも、分かりません」
「貴方も何も知らないの?」
「…………はい」
システィーヌはしばらく黙っていた。
そして小さく息を吐く。
「…………じゃあ、いいですわ」
「いいんですか?」
「分からない者同士で考えていても仕方ありませんもの。それより、貴方はアルバードへ行ったことがあるのでしょう?」
「はい。それはもちろん」
「でしたら、アルバードについて話を聞かせてください」
ようやく自分にも答えられそうな話が出てきた。
リールがほっと胸を撫で下ろした、その直後。
システィーヌは少しだけ身を乗り出した。
「ぁあ、それと――特にレイズという男について詳しく聞きたいですわね」
「…………レイズ様、ですか?」
「ええ」
「…………」
リールは考え込んだ。
レイズについて。
アルバードの若き当主。
メモリアルストーンを作り出し、王国すら動かし、本人が知らないところでも次々と騒動の中心になっている少年。
何から話せばいい。
どこから説明すればいい。
いや――そもそも、どこまで話していいのだろう。
「…………あの」
「何ですの?」
「どこから説明すればいいんでしょう……」
「…………そんなに?」
「…………そんなにですよ」
システィーヌの眉が僅かに上がった。
その反応を見ながら、リールは早くも頭を抱えたくなっていた。
こうして本人の知らないところで、王国は再び動き始める。
あまりにも強引に。
あまりにも慌ただしく。
そして何より――レイズが想像しているより、ずっと早く。
システィーヌを乗せた馬車は、アルバードへ向かって走り始めた。




