生きろ。
取り戻すことはできない。だから今度こそ、まだ生きているものを守りたいのだろう。
「…………ガイル」
レイズは窓の前で立ち止まったガイルの背中を見つめながら、静かにその名を呼んだ。百年以上もの時を生き、誰よりも強くなり、それでも自分はまだ何もできていないと言う男。けれど、レイズにはどうしてもそうは思えなかった。
「ちゃんと出来てるよ」
「…………ぁあ?」
ガイルが訝しげに振り返る。何を言っているのか分からないとでも言いたげな顔をしていたが、レイズはそんなガイルへ少しだけ明るく笑ってみせた。
「人を選ぶのも、魔族を選ぶのも、自分次第なんだろ? ガイルは魔族を選んだ。だから魔族を守るって決めた。だったら、もうちゃんと出来てるじゃないか」
「…………」
「今だってそうだよ。ガイルがいるから守られてる魔族がいる。ガイルがいるから、今も生きていられる奴だっているんだろ? だったら、何も出来てないなんてことないじゃん」
レイズにとって、それは慰めのつもりで言った言葉ではなかった。ガイルがどれほど自分を認めていなかったとしても、実際に彼がいたからこそ守られた者がいる。今もガイルを頼り、彼がいることで安心して生きている魔族だっているはずなのだ。
それならば、何もできていないはずがない。
「だから……な?」
レイズは少しだけ言葉を止め、それから何の飾り気もなく、自分が思っていることをそのまま口にした。
「俺は、ガイルが生きていてくれて本当に嬉しい」
「…………」
ガイルは完全に固まっていた。先ほどまでの険しい顔でも、怒った顔でもない。ただただ唖然としてレイズの顔を見つめ、しばらくしてようやく口を開いたかと思えば、出てきたのは予想もしない言葉だった。
「きめぇ……お前、乙女みてぇな奴だな」
「はぁぁあ!!? どう見ても男だろ!! ってか、その反応なんだよ!! 俺、結構いいこと言ったよな!?」
「クハハハハハ!!」
突然腹を抱えるように笑い始めたガイルに、レイズは納得がいかないと言わんばかりに眉を寄せた。
「なんで笑うんだよ!」
「いや……クハハ……そういや、ルイガスも似たようなこと言ってやがったなと思ってよ」
「……ルイガスが?」
「ああ」
そう答えたガイルの目が、ほんの僅かに遠くを見る。
――人も魔族も、最初から敵だったわけじゃねぇ。どちらを守るのも、どちらを選ぶのも、お前の自由だ。
百年以上も昔、まだ幼かった自分へ向けられた言葉。あの頃はその意味をすべて理解することなどできなかった。けれど長い時間を生き、数え切れないほどのものを見て、失い、それでも生き続けた今なら、少しくらいは分かる。
「……そうだな。俺は魔族を選んだ」
ガイルは小さく息を吐きながら、今度は迷うことなくそう言った。
「だから魔族を守れりゃそれでいい。俺様には、それで十分だ」
「うん。だったら、それがガイルの選んだ道なんだと思う」
レイズは素直に頷いた。そして少しだけ間を置いてから、今度は自分自身の答えを伝える。
「だから、俺も選んだんだ。俺は魔族も人も守るよ」
「…………欲張りすぎだろぉがよ」
ガイルの眉間に深い皺が寄った。
「人間も魔族も守る? 簡単に言いやがって。どっちか一つでも面倒だってのによ」
「まあ……そうなんだけどさ」
「だが……てめぇがそう選んでるってんなら、俺様に否定する理由なんてねぇよな」
その言葉に、レイズは僅かに目を見開いたあと、嬉しそうに笑った。
「うん。だから俺も、ガイルを否定しない」
人間も魔族も守ると決めたレイズと、魔族を守ると決めたガイル。二人が選んだ道は同じではないし、これから先も完全に同じ考えになることなどないのかもしれない。それでも、自分が何を大切にし、何を守りたいのかを自分自身で決めたという点では同じだった。
だからこそ、レイズはガイルの道を否定しない。そしてガイルもまた、レイズの道を邪魔しない。それでいいのだ。
「だからさ、ガイル。生きててくれよ」
「…………」
ガイルの表情から、僅かに残っていた笑みが消えた。
レイズはその変化に気づきながらも、目を逸らすことなく続ける。
「生きててくれ。生きろ」
その言葉を聞いた瞬間、ガイルの瞳が僅かに揺れた。
生きたい。
かつて幼かった自分は、泣きながら何度もそう叫んだ。死にたくない。食われたくない。痛いのも嫌だ。ただ生きたい。そんな自分をルイエはルイガスの元へ連れていき、そしてルイガスもまた、生きることをガイルへ教えた。
食え。生きろ。強くなれ。そして、生きることを楽しめ。
それから百年以上が過ぎた。言われた通りガイルは生きた。強くなった。誰にも簡単には負けないほど強くなり、百年以上もの長い時間を生き続けた。
それなのに。
「…………なんで」
ガイルがぽつりと呟いた。
「え?」
「なんでどいつもこいつも………俺に生きろって言いやがる……」
怒っているようにも、笑っているようにも聞こえない声だった。ただ、その奥には百年以上という途方もない時間の中で積み重なったものが、確かに滲んでいた。
「みんな……先に死んじまったくせによ……」
ルイガスも、ディアブロも、自分に生きろと言った。強くなれ、生きることを楽しめと教えた。だからガイルは生きてきたというのに、気がつけば自分へそう言った者たちは皆、自分よりも先にいなくなっていた。
レイズは何も言わなかった。何かを返したところで、この百年以上の時間を埋めることなどできない。それくらいは分かっていたからだ。
しばらく静かな時間が流れたあと、ガイルの口元が僅かに持ち上がった。
「……クハハ」
小さかった笑い声は、次第にいつもの豪快なものへ変わっていく。
「クハハハハハ!!!! ぁあ、言われなくても俺様は生きるぜ? 今更てめぇに言われるまでもねぇよ!」
「そっか」
「だから――てめぇも死ぬなよ、レイズ」
「…………」
「死ねば、何も守れなくなる」
その言葉に、今度はレイズが僅かに驚いた。自分がガイルへ生きろと言ったはずなのに、いつの間にか同じ言葉を返されている。
けれど、それが何だか嬉しかった。
「……うん。俺もちゃんと生きるよ。ガイルが心配だからさ」
「…………気持ちわりぃ」
「なんでだよ!?」
ガイルは心底理解できないものを見るようにレイズを眺め、露骨に顔を歪めた。
「お前なんなんだよ、ほんとに……。さっきから俺様のことばっか気にしやがって」
「え……俺?」
レイズは自分を指差し、少しだけ考える。しかし、考えるほど難しい話でもなかった。自分がなぜここまでガイルのことを気にするのか。その答えなら、最初から分かっている。
「ぁあ、俺ってさ。実はガイルのこと、すごく好きなんだよ」
「なおさらきめぇわ!!」
「なんでだよ!!」
「クソが!! ここにいたら本当に調子が狂う!!」
ガイルは吐き捨てるように言うと、そのまま窓へ向かって歩いていった。そして躊躇なく窓枠へ足をかける。
「あばよ。もう二度と会うこともねぇだろ」
その言葉を聞いたレイズは少しだけ目を丸くしたものの、すぐに小さく首を横へ振った。
「んーん。ガイル。俺たちは……必ずまた会えるから」
「…………」
「生きてたら、すぐに会えるからさ」
ガイルは何も答えなかった。ただ、しばらくレイズの顔を見つめたあと、面倒そうに片手を上げる。それが別れの挨拶なのだと分かった次の瞬間、ガイルは窓を蹴り、そのまま空へと飛び出していった。
吹き込んだ風にカーテンが大きく揺れる中、レイズは窓まで歩いていき、ものすごい勢いで遠ざかっていくガイルの背中を見送る。
「…………普通に玄関から出ていけばいいのに」
最後までよく分からない奴だと思いながら苦笑した、その時だった。
「……ん?」
窓辺で何かが光った。
ほんの一瞬だけ、陽の光を受けて小さな雫のようなものがきらりと輝き、そのまま風に乗って舞っていく。空は晴れている。当然、雨など降っていない。
レイズはその小さな雫を見逃さなかった。
それが何だったのか、確かめることはできない。ガイルに聞いたところで、きっと怒鳴られるだけだろう。それが悲しさから零れたものなのか、嬉しさから零れたものなのか、それとも百年以上もの間ずっと抱えてきた様々な感情が、ほんの一瞬だけ溢れたものなのか。
レイズには分からない。
だからこそ、勝手に答えを決めることもしなかった。
ただ、もう姿すら見えなくなりつつあるガイルの飛んでいった空を見つめながら、レイズはほんの少しだけ笑った。
「……ガイルって、本当に優しい奴なんだよな」
ゲームの中では悪役だった。人間を憎み、王国を滅ぼそうとし、主人公たちの前へ立ちはだかった男だった。
けれど今のレイズは、もうそれだけではないガイルを知っている。
人間たちに差し出されても生きたいと願い、誰かに迎えに来てほしくて何度も後ろを振り返った子供を知っている。ルイガスに拾われ、生きることを教えられ、世界の広さを知った少年を知っている。そして大切な者を何度も失いながら、それでも百年以上生き続け、今度は自分が守りたいものを自分自身で選び、そのために海の向こうへ行こうとしているガイルを知っている。
だからレイズは、そんなガイルのことが好きだった。
考え方のすべてが同じなわけではない。ガイルがしてきたことのすべてを肯定できるわけでもない。それでも、ガイルという一人の人間を知れば知るほど、レイズは彼を嫌いにはなれなかった。
「……絶対、生きてろよ」
もう姿の見えなくなった空へ向かって、レイズは小さく呟いた。
必ず生きていてくれ。
いつかまた会おう。
その時もきっと、くだらないことで言い合って、ガイルが怒鳴って、自分が笑っていられれば、それでいい。
それがレイズの、何の迷いもないまっすぐな本心だった。




