小さなことの意味
ここまでを話すとガイルは笑っていた。
「クハハ……ほんっと、でたらめだったぜ? いきなりあの魚と戦わされてよぉ! こっちはガキだってのに、加減ってもんを知らねぇんだよ、あいつは!」
ガイルは笑っていた。もう百年以上も昔のことだからなのか、それとも今となっては笑って話せる思い出になったからなのか、ギルウェラに吹き飛ばされ、肘を擦りむき、それでも短刀を握って必死に立ち上がった幼い自分のことを、まるでくだらない昔話でもするように楽しそうに語っている。
けれど、レイズは笑うことができなかった。
「…………ガイル」
ゲームの中でも、ガイルの過去について触れられる場面はいくつか存在していた。人間でありながら魔族と共に生きてきたこと。ルイガスという魔族を誰よりも慕っていたこと。そして、そのルイガスを失ったことが王国への激しい憎悪につながったことも知っている。
だが、そこまでだった。
ガイルがどうやってルイガスと出会ったのか。人間たちから差し出され、何度も後ろを振り返りながら、本当は誰かに追いかけてきてほしいと願っていたこと。魔族に食われることを恐れ、「死にたくない」「生きたい」と泣いていたこと。そしてルイガスと出会い、ギルウェラを相手に傷だらけになりながら、それでも生きるために短刀を振るったこと。
そんなガイルを、レイズは知らなかった。
今、目の前にいる男は強い。クリスと正面から殺し合えるほど強く、百年以上もの時を生き、人間を滅ぼすと平然と言ってのける。ゲームの中では明確な悪役であり、主人公たちの前へ立ちはだかる敵だった。
けれど――最初からそうだったわけではない。
怖くて、痛くて、帰りたくて、それでも死にたくなくて。
ただ、生きたかった。
そんな一人の子供だった。
そして、そんなガイルを拾ったのがルイガスだった。
考えてみれば、今のガイルの中にもルイガスは残っている。荒っぽい話し方も、豪快な笑い方も、どこか似ている。本人が意識しているのかは分からない。それでも長い時間を共に過ごし、父のように、師のように慕った相手なのだから、知らず知らずのうちに影響を受けたとしても不思議ではなかった。
ガイルにとってルイガスは、生きる希望であり、強くなった理由でもあったのだ。
悪役。
そんな言葉一つで片付けてはいけない。
ガイルが今のガイルになるまでには、それだけの理由が確かに存在している。
「なぁ、ガイル。もう少しだけ、ルイガスのこと聞いてもいいか……?」
そう尋ねると、それまで笑っていたガイルの表情が僅かに変わった。
「ぁあ? 詳しくは語らねぇって言っただろ?」
「いやいや、ここまで話してそれはないだろ!? 気になるに決まってるじゃないか!」
「うるせぇなぁ……てめぇ、ほんっと変なところに食いつきやがる」
ガイルは面倒そうに頭を掻きながら大きくため息を吐いた。それでも帰ろうとはしないあたり、何だかんだ言いながら話してくれるつもりなのだろう。
「はぁ……あと少しだけだからな?」
「ああ」
「本当に少しだぞ?」
「分かってるって」
「その顔、絶対分かってねぇだろ……」
呆れたように吐き捨てるガイルを見ながら、レイズは少しだけ考え、それからずっと気になっていたことを尋ねた。
「ルイガスって、人間と魔族が争うことを止めようとしてたんだよな? それにイェイラも、その考えを捨てなかった」
その名前を出した瞬間、ガイルの眼が僅かに細くなる。
「……何が言いてぇ?」
「どうしてなのかなって思ってさ。ルイガスも、イェイラも……どうしてそこまでして、人と魔族の争いを止めようとしたんだろうって」
「ハッ、そんなもん俺様が知るかよ。ルイガスは死んだ。人間と分かり合おうなんて馬鹿なこと考えて、その結果があれだ。それなのにイェイラの奴らは、それでもあいつの考えを捨てなかった。だから俺はあいつらとは別れた。それだけだ」
その声から、先ほどまでの笑いは完全に消えていた。
「俺には理解できなかった。今だって全部理解したわけじゃねぇよ。ルイガスは人間を信じた。その結果、殺されたんだぞ? 俺を捨てたのも人間だ。ルイガスを奪ったのも人間だ。それでも人間を信じろってのか? 仲良くしろってのかよ?」
「違う違うそうじゃなくて……」
レイズはすぐに首を振った。
「俺はガイルに、人間を好きになれなんて言ってない。王国を許せとも言わない。俺だって、王国がやったことを正しいなんて思ってないから」
「だったら何が言いてぇんだよ」
「……ルイガスとイェイラが、それでも争いを止めようとした意味だよ」
レイズは一度言葉を止めた。
自分はルイガス本人に会ったことなどない。イェイラが何を考え、何を思ってその道を選んだのか、そのすべてを知っているわけでもない。
それでも――少しだけ分かる気がした。
きっと難しい理由ではない。
もっと単純なことなのだ。
「みんな……失ったら辛いんだよ、ガイル」
ガイルの表情が止まった。
「人間だってそうだし、魔族だって同じだ。家族でも仲間でも、大切な奴が死んだら辛い。昨日まで隣にいた奴が突然いなくなったら、簡単に忘れられるわけないだろ。……お前が一番知ってるじゃないか」
「…………てめぇ」
「ルイガスが死んで、辛かったんだろ?どれだけ時間が経っても許せないくらい、大切だったんだよな?」
「……黙れよ」
低い声だった。僅かに周囲の空気まで震えたように感じたが、それでもレイズは眼を逸らさなかった。
「だから分かるだろ。お前が守ろうとしてる魔族だって同じなんだよ。そいつらにも大切な奴がいる。家族がいる奴だっているだろうし、仲間がいる奴だっている。その誰かが死んだら、そいつだってお前と同じように苦しむんだ」
「……だからなんだってんだよ?」
「だからルイガスは止めようとしたんじゃないのか? イェイラも、それを捨てなかった。」
「おい……知ったような口利くんじゃねぇ」
「知らないよ」
あまりにもあっさり認めたからか、ガイルが僅かに眼を見開いた。
「俺はルイガスに会ったことなんてないし、イェイラが本当は何を考えてたのかだって全部知ってるわけじゃない。だから俺が勝手に答えを決めるつもりもない。でも――お前のことは今、ちゃんと見てる」
「…………」
「ガイル。お前、魔族が大事なんだろ?」
しばらくの沈黙のあと、ガイルは当然のことを聞くなと言わんばかりに答えた。
「……当たり前だろぉが」
「だから守りたいんだろ?」
「当たり前だって言ってんだろぉが!!」
「だったらさ、上に立つ者として、その道を選んだんじゃないのか?」
ガイルの眼が鋭くなる。
「俺様に王様にでもなれってか?」
「違うよ。そんな名前なんかどうでもいい。強い奴が上に立つ、それが魔族の考え方なんだろ? だったら、上に立った奴にしかできないこともあるじゃないか。弱い魔族が殺されたらお前は怒る。魔族が酷い扱いをされたら許せない。だったらもう、それってお前がそいつらを大切にしてるってことだよな」
レイズはそこで一度息を吸い、ガイルをまっすぐ見た。
「お前がルイガスを失った時と同じ思いを、今度はお前についてきた魔族にさせるなよ」
ガイルは何も言わなかった。
だからレイズは続けた。
「それにな、ガイル。俺もディアナが死んだら辛い。クリスも同じはずだ」
ほんの少し前、ディアナは本当に死にかけた。そして彼女を失いかけたクリスがどうなったのかは、ガイル自身が誰よりもよく知っている。
「死んだら、みんな辛いんだよ。復讐してやるって思う。絶対に許さないって思う。なんで大切な奴が死ななきゃいけなかったんだって、奪った相手を同じ目に遭わせてやりたいって思う。……俺だって、そう思うから」
ガイルは黙ったままレイズを見ている。
「でも、どこかで呑み込まなきゃいけないんだ」
「…………呑み込めってのか? ルイガスのことをか?」
「違う。忘れろなんて言ってない。許せとも言ってないよ。俺だって許せないことはあるんだから、ガイルにだけ全部忘れて笑えなんて言えないよ」
それでも。
「怒りのまま誰かを殺したら、今度はその人を大切にしていた誰かが苦しむんだ。その人もきっと思う。復讐してやるって。絶対に許さないって。それでまた誰かが死んで、その死を悲しんだ誰かがまた怒って、また誰かを殺す。そうやって、ずーっと連鎖していく」
レイズの脳裏に、傷だらけのディアナと、ウラトスを名乗ったクリスの姿が浮かんだ。
「あの時、お前がディアナを殺してたら、クリスはどうしてたと思う?」
ガイルは答えなかった。
答える必要などなかった。
「たぶん、お前を殺してた」
「……だろうな」
「そうしたら、今度はお前を大切にしてる魔族がクリスを憎むかもしれない。それでクリスが死んだら、今度は俺たちが……って、終わらないんだよ」
どちらかが勝てば終わるわけではない。
人間が勝てば救われるわけでも、魔族が勝てばすべてが幸せになるわけでもない。
憎しみのまま殺し続ければ、その死からまた新しい憎しみが生まれる。
「それがずーっと連鎖して……最後に救われる奴なんて、どこにもいないんだよ」
長い沈黙が流れた。
ガイルは何も言わなかった。怒っているのかもしれないし、納得できないのかもしれない。百年以上抱え続けてきた憎しみを、十四歳の少年に数分話された程度で捨てられるはずがない。
レイズも、それを求めてはいなかった。
やがてガイルが俯いたまま、小さく吐き捨てた。
「はぁぁ…………ふざけんなよ」
それからゆっくりと顔を上げる。
「ほんっと……ふざけんな。てめぇみたいなガキに、百年以上生きた俺様が説教されてんじゃねぇよ」
「説教のつもりは――」
「うるせぇ」
「……はい」
ガイルはしばらくレイズを睨んでいた。
だが、やがて大きく息を吐く。
「……だけど、分かったよ。王国を攻めたりは、もうしねぇからよ」
レイズは思わず顔を上げた。
「ガイル……」
「勘違いすんなよ。王国を許したわけじゃねぇし、ルイガスのことだって忘れねぇ。それに、王国の奴らが次に魔族を襲うなら――俺は二度と容赦しねぇ。そこだけは、てめぇに何を言われようが変えるつもりはねぇぞ」
「……うん」
レイズはそれ以上を求めなかった。
それで十分だった。
するとガイルはふと窓の向こうへ視線を向け、先ほどまでとは少し違う声で言った。
「それにな。魔族はここだけじゃねぇ。レイズ、てめぇは海を知ってるか?」
「もちろん知ってるよ。」
「なら話は早ぇ。海の向こうにも魔族はいるんだ。今だって、そこで戦いは起きてやがる」
レイズは黙って聞いていた。
「だから、俺が次にやることは決まった。スカイドラゴンを手に入れて、海を越える。俺は海の先へ行く」
そう言ったガイルの顔には、もう先ほどまでの迷いはなかった。
「俺は同胞を絶対に守る。魔族は――俺にとって大事なんだよ」
その言葉だけは、どこまでも真っ直ぐだった。
レイズはそんなガイルをしばらく見つめたあと、どうしても一つだけ確認しておかなければならないことを口にした。
「……それって、海の向こうにいる人間は殺すってことか?」
「ハッ、ふざけんな。本当なら王国の人間だって全部ぶっ殺してやりてぇのによ!?」
「いや、そこはまだ思うか……」
「当たり前だろぉが!!」
怒鳴ってから、ガイルは少しだけ黙った。
そして。
「……だけどな。それじゃ駄目だってことくらい、ここで分かった……」
レイズが僅かに眼を見開く。
「だからって、てめぇと同じことをするつもりはねぇ。人間も魔族も全部守るなんて、そんな器用なこと俺様にはできねぇよ。俺は魔族を守る。それでいい」
「…………」
「てめぇらは、ここで平和に生きてりゃいい!! それ以上はもう話すこともねぇ!!」
ガイルは勢いよく立ち上がったものの、窓へ向かって数歩進んだところで、ふと足を止めた。
「だけど……俺は違う」
「ガイル?」
「俺は……まだ何もできてねぇんだ」
その言葉を聞いて、レイズは何も返せなかった。
百年以上生きて、あれほど強くなった男が、それでも自分はまだ何もできていないと言う。
きっとガイルの中には、今でも守れなかったものが残っている。
ルイガス。
ディアブロ。
そして、これまでの長い時間の中で失ってきたもの。
取り戻すことはできない。
だから今度こそ、まだ生きているものを守りたいのだろう。




