ガイルとルイガスの出会い。
ルイガス――。
その名を、ガイルは決して忘れたことがない。
ルイガス・ジアハート。そして今、ガイル自身もまた、その名を受け継いでいる。ガイル・ジアハート。だが、生まれた時からその名を持っていたわけではない。本当のガイルは、ただの――ガイルだった。
ガイルが生まれ育った場所は、王国でもなければ魔族領でもなかった。人と魔族が争い続ける世界の中で、そのどちらにも属することを嫌い、王国とも魔族とも深く関わることを拒みながら、ひっそりと暮らしていた少数の民族がいた。王国からすれば自国の民ではなく、魔族から見ても敵でも味方でもない。どちらからも保護されることのない、世界の隙間に取り残されたような人々だった。
それでも彼らは、争いに巻き込まれず、自分たちだけで静かに生きていけるのならそれでいいと考えていた。
そんな場所で、ガイルは生まれた。
そして幼い頃から、ガイルには異常とも呼べるほどの才能があった。火、水、風、土、光、闇、氷――本来なら一つ、あるいは複数を扱えるだけでも十分な才能とされる属性を、ガイルはほぼ全て扱うことができた。それは後にグレサスやクリスと並べられるほどの異質な才能となるのだが、その才能に最初に気付いたのは王国ではなかった。
魔族だった。
魔族にとって、ガイルたちの民族は「野良人」に近い存在だった。王国に属していないため、殺しても王国との戦争にはならず、奪っても誰も報復には来ない。敵でも味方でもなく、ただ何をしても大きな問題にはならない人間。中には王国との戦いで仲間を殺された憂さ晴らしとして、その民族の人間を襲う魔族すらいた。
だが、ガイルという存在だけは違った。
幼いながらに全属性を扱う。もしこのまま成長したなら、あるいは王国がその存在を知って自分たちの戦力として迎え入れたなら、人と魔族の均衡そのものが崩れる可能性すらある。
そう考えた魔族は、ガイルの民族へ一つの条件を突きつけた。
――ガイルを差し出せ。
さすれば、今後お前たちには手を出さない。
一人を差し出せば、残りは助かる。拒めば集落そのものがどうなるか分からず、王国に助けを求めることもできない。そしてまだ幼かったガイルは、そんな大人たちの事情など何一つ知らないまま、生け贄のような形で魔族へ差し出された。
「…………なんで?」
連れていかれる途中、ガイルは何度も後ろを振り返っていた。
まだ誰かが追いかけてきてくれると思っていた。
父か、母か、知っている大人か。それが誰でもよかった。
きっと途中で「やっぱり返してくれ」と言ってくれる。もしかしたら大人たちは魔族が怖くて、すぐには言えなかっただけなのかもしれない。
だからガイルは、何度も何度も振り返った。
けれど――誰も来なかった。
「なんで……?」
今度は先ほどより小さな声だった。
「俺……何もしてないのに……」
答えてくれる者はいない。
「俺、大きくなったらもっと強くなれるんだぞ……?」
それは誰に向けた言葉だったのか、ガイル自身にも分からなかった。
「もっと魔法だって使えるようになるし……みんなのことだって守れるのに……」
声が次第に震えていく。
「だから……いらないって言うなよ……」
そこでとうとう涙が溢れた。
「俺、ちゃんと役に立つから……」
まだ幼いガイルには、集落全体を守るために自分一人が差し出されたという事情など理解できなかった。分かるのは、自分がいらないと言われたような気がしたことだけだった。
それが、何よりも悲しかった。
「帰りたい……」
魔族に連れていかれながら、ガイルは何度も目元を擦った。
「帰りたいよ……」
けれど帰ったところで、自分を差し出した人たちは受け入れてくれるのだろうか。そんなことを考えてしまうと、今度は悲しさが怒りへ変わっていった。
「……もういい」
小さく呟く。
「俺だって……あいつらなんか嫌いだ」
本当は嫌いになどなりたくなかった。
今すぐ誰かに迎えに来てほしかった。
それでも誰も来ないから、嫌いだと思うしかなかった。
「みんな……自分勝手だ……」
魔族は人を食う。そんな話くらい、子供のガイルでも知っている。なら自分はこれから食べられるのだろうか。殺されるのだろうか。
その想像をした途端、ガイルは急に怖くなった。
「……食われるの、嫌だ」
唇が震える。
「痛いのも嫌だ……」
死ぬというものがどんなものなのか、本当の意味では分からない。それでも、もう何も見られなくなること、何も食べられなくなること、眠ったあと二度と起きられないことくらいは分かる。
それだけで、どうしようもなく怖かった。
やがて最果てと呼ばれる魔族たちの地へ近付くにつれ、ガイルの周囲には次々と魔族が集まってきた。
「我に食わせろ!!」
その言葉を聞いた瞬間、ガイルの肩が大きく跳ねた。
「そうだ!! そんな上等な人間を!!」
「我は王国に仲間を殺された!! その憂さ晴らしにそいつを寄越せ!!」
「俺が先だ!!」
「…………っ」
ガイルは俯いたまま、自分の腕をぎゅっと抱きしめた。
怖い。
逃げたい。
けれど足が動かない。
「やだ……」
誰にも聞こえないほどの声が漏れる。
「食べないで……」
その時だった。
「この人間は――ルイガスに渡す」
たった一人の声で、それまで騒いでいた魔族たちが静まり返った。
「それとも、お前たちはルイガスを敵に回してでも、この人間を奪いたいのか?」
誰も答えなかった。
その魔族こそ、最果ての地でも上位に位置する一族――イェイラ。その中でもまだ若く、後にメルェの父となるルィエイェイラだった。
ルィエはガイルの前へやって来ると、怯えている少年を見下ろした。
「小僧……ガイルと言ったな」
ガイルは答えない。
「…………」
「聞こえているだろう?」
「……ガイル」
「そうか」
ガイルは恐る恐る顔を上げた。
「……お前も、俺を食べるの?」
あまりにも真っ直ぐな質問に、ルィエは僅かに目を瞬かせる。
「私は食べませんよ」
「…………本当?」
「ああ」
「絶対?」
「少なくとも私は、ですが」
「少なくともってなんだよ……!」
少しだけ安心した直後に突き落とされ、ガイルの顔がまた泣きそうになる。
そんな様子を見ながら、ルィエは言った。
「安心しなさい。お前は、我らの中でも特に強い魔族のもとへ連れていきます」
「……もっと強い?」
「ああ」
「…………」
ガイルの顔が真っ青になった。
「もっと駄目じゃん……」
「?」
「もっと強い奴だったら、逃げられないじゃん……!」
ルィエはそこで初めて、この少年が何を勘違いしているのか理解した。
「ルイガスは最強ですが、人は食べませんよ」
「…………ほんと?」
「ああ。少し変わり者ではありますが」
「じゃあ……俺、殺されない?」
「それはルイガスが決めることです」
「…………」
またガイルの顔が曇った。
「でも、生き残る可能性はちゃんとあります」
「……可能性」
「そうです。それとも、もう絶望して死にたくなりましたか?」
「嫌だ!!」
今度は考えるより先に声が出た。
「死にたくない!!」
ガイルは涙をぼろぼろと流しながら、ルィエの服を掴んだ。
「俺、死にたくない!! 生きたい!!」
「…………」
「なんでもするから!! 俺、ちゃんと言うこと聞くから!! だから食べないでくれよ!!」
ルィエは、そんなガイルをしばらく見つめていたが、やがて小さく笑った。
「そうだ。それでいい」
「……?」
「そのままでいなさい。ルイガスは、生きることを望む者を好みますから」
ガイルは涙を拭った。
死ななくて済むかもしれない。
それだけで、先ほどまで真っ暗だった世界に小さな道が見えたような気がした。
だったら生きる。
何をしてでも生きる。
「……絶対、生きる」
そして少し考えたあと、子供らしい真っ直ぐな怒りがまた込み上げてきた。
「生きて……帰って……あいつら全員ぶん殴る」
ルィエは呆れたように首を振った。
「それは違うと思いますがね」
「なんでだよ! 俺を捨てたんだぞ!」
「その話は生き残ってから考えなさい」
「…………絶対覚えてるからな」
「はいはい」
ルィエはガイルを抱き上げ、そのまま空へ飛び上がった。
「うわああああああああっ!!?」
ガイルは悲鳴を上げ、反射的にルィエへしがみついた。
「高い!! 高いって!! 下ろせ!!」
「下ろしたら死にますけど?」
「じゃあ下ろすな!!」
「どっちで?」
「落とすなって言ってんだよ!!」
ガイルは必死にルィエへしがみつきながら、恐る恐る下を見る。
「…………うわ」
怖い。
ものすごく怖い。
それなのに――。
「……すげぇ」
初めて見る世界だった。
遠くまで続く大地。
小さく見える森。
曲がりながら流れる川。
自分が暮らしていた場所からでは、絶対に見ることのできなかった景色。
「世界って……こんなに広いのか……?」
ルィエは答えなかった。
だがガイルは、いつの間にか泣くのをやめていた。
「もっと速く飛べるの?」
「飛べますけど」
「……ちょっとだけなら、速くしてもいい」
「怖いのでは?」
「ちょっとだけって言っただろ!!」
ルィエは小さく笑った。
ガイル自身はまだ気付いていなかったが、この時初めて、魔族に対する恐怖の中へ別の感情が混じった。
この魔族は、自分を落とさない。
ちゃんと抱えてくれている。
命を守ってくれている。
だからほんの少しだけ、ルィエにしがみつく腕から恐怖とは違う力が抜けた。
しばらく飛び続けると、やがて視界の先に巨大な水の世界が広がった。
「……なに、あれ」
ガイルが呆然とする。
「海ですよ」
「うみ……?」
ガイルは海というものを初めて見た。
「でっか……」
どこまで続いているのか分からない。
「全部、水なの?」
「そうです」
「飲める?」
「飲んでみますか?」
「……やめとく」
そんな海を見下ろす場所に、一人の魔族が立っていた。
ルィエが地面へ降りる。
「ルイガス……まったく、海が好きなのは変わらないですね」
その声に、魔族がゆっくりと振り返った。
長い黒髪に鋭い切れ長の目、立派な角、羊を思わせる異形の脚。そして何よりも身体が大きい。ただ立っているだけなのに、ガイルには先ほど自分を食べようとしていた魔族たちより、ずっと恐ろしく見えた。
「…………」
ガイルは無言でルィエの後ろへ隠れた。
ルイガスがため息をつく。
「イェイラ……何度も言っているだろうが……」
「分かっていますよ。だから判断を任せに来たんです。あれら魔族に任せれば、この子は食われるだけですから」
「クク……魔族の在り方に、俺の判断なんぞ必要ないだろ??」
「貴方はそう言っても、すでに強すぎるんですよ。もう魔族の頂点と名乗ってもいいのでは?」
ルイガスはその言葉を聞き流しながら、ガイルを見る。
「ふむ……おい」
「…………」
ガイルはルィエの服を掴んだまま、さらに後ろへ隠れた。
「おい、イェイラ。お前に懐いてるじゃねぇか?」
「どうでしょう?」
「ならお前がどうするか決めればいいだろ。わざわざそんなもんを連れてくるな」
ガイルの顔が固まった。
「……え?」
必要ない。
そう言われたように聞こえた。
ガイルは慌ててルィエを見る。
「ね、ねぇ……俺、どうなるの?」
ルィエは優しく笑った。
「そうですねぇ。では私についてくるなら、この子はイェイラの夕飯として並べることになりますね」
「…………」
ガイルは数秒固まったあと、勢いよくルィエから離れた。
「う、嘘つき!!」
「何がです?」
「食べないって言ったよね!!」
「私は食べないとは言いましたが、イェイラが食べないとは言っていません」
「同じだ!!」
「違いますよ」
「同じだよ!!」
涙目になりながら怒鳴るガイルを見て、ルイガスが露骨に嫌そうな顔をした。
「イェイラ、あんまり人間の子供を苛めるな。見てて胸くそ悪くなるだろ」
「私は事実を伝えただけですが?」
「余計に悪ぃだろそれ……」
ルイガスはガイルの前まで来ると、その小さな身体を見下ろした。
「おい、小僧。名前は?」
「…………ガイル」
「聞こえねぇよ!」
「ガイル!!」
「そうか」
「ねぇ!!」
ガイルは必死にルイガスを見上げた。
怖い。
逃げたい。
それでも、ここで何も言わなければ殺されるかもしれない。
「俺、死にたくないんだ!! 食べないでくれ!! ちゃんと言うこと聞くから!!」
「…………」
「俺……俺、まだ何にもしてないんだぞ! まだやりたいことだっていっぱいあるし……!」
何をやりたいのかと聞かれたら、すぐには答えられない。
それでも死にたくなかった。
「生きたいんだよ!!」
その言葉に、ルイガスの目が僅かに変わる。
ガイルはそれに気付かず、必死に続けた。
「それに……俺を捨てた奴らだって許してない!! 俺、もっと強くなって、あいつらに文句言ってやるんだ!! なんで俺を捨てたんだって!! だからまだ死ねないんだ!!」
何を言ったかなど、ルイガスにとってはどうでもよかった。
復讐したい。
強くなりたい。
文句を言いたい。
そんなものは後からいくらでも変わる。
ルイガスが反応したのは、その根底にある一つだけだった。
「ほぉ……生きたいか?」
「……生きたい」
「本当か?」
「生きたい!!」
それを聞いたルィエは小さく笑った。
もう十分だった。
「では、ルイガス。任せましたので」
「あ??」
「え?」
ルィエが飛び上がる。
「ちょ、ちょっと待てよ!!」
ガイルが慌てて追いかける。
「お前、俺を置いてくの!?」
「そうですが?」
「嫌だ!! まだこいつ怖い!!」
「すぐ慣れるので」
「慣れなかったらどうすんだよ!!」
「頑張りなさい」
「おい!! 戻ってこいよ!!」
しかしルィエは、そのまま空の向こうへ消えていった。
ガイルはしばらく呆然と空を見上げていたが、やがて恐る恐る後ろを振り返る。
ルイガスがいる。
「…………」
「…………」
ガイルは短い足で、ほんの少しだけ距離を取った。
ルイガスが口を開く。
「ガイル」
「……なに」
「生きたいんだな?」
「さっきからそう言ってるだろ……」
「なら、生きてみろよ」
「…………どうやって?」
ルイガスは懐から小さな短刀を取り出し、ガイルへ投げ渡した。
慌てて受け取ったガイルは、それとルイガスを交互に見る。
「なにこれ」
「見りゃ分かるだろ。短刀だろ?」
「それは分かるよ!」
「ならいちいち聞くな」
「何に使うか聞いてんだよ!」
ルイガスの口元が僅かに上がった。
「食い物を手に入れろ。生きるってのは、まず食うことだろ」
そう言って海へ手を向けた次の瞬間、風が爆発した。
巨大な海面が左右へ押し広げられ、水の壁が姿を現す。
「…………え」
ガイルの口が開いたままになる。
「え……え……?」
ルイガスは平然と海の中へ入り、壁のようになった水へ腕を突っ込んだ。
「ちょ、ちょっと待って!! なにしてんの!?」
「飯を取ってる」
「飯ってそんな取り方すんの!?」
「俺はな」
「絶対普通じゃないだろ!!」
やがてルイガスが引っ張り出したのは、鋭い牙を持つ魚型の魔物だった。
それは激しく暴れながら水球を放つ。
スパァァン!!
スパァァン!!
「うわっ!! 当たってる!!」
ルイガスの顔や身体へ水球が直撃する。
「痛くないの!?」
「別に?」
「絶対おかしいって!!」
ルイガスはそのまま陸へ戻ると、魔物をガイルの前へ放り投げた。
「うわああっ!?」
ガイルが慌てて後ろへ下がる。
魔物は周囲へ水膜を作り、その中で泳ぎながらガイルを睨んだ。
「そいつはギルウェラだ。まぁ、それなりには狂暴だが、強くはねぇだろ」
「強くないわけないよね!! 歯見ろよ!!」
「歯はあるなぁ」
「いっぱいあるだろ!!」
ルイガスはまったく気にしていない。
ガイルは泣きそうになりながら短刀を握った。
「……これ、俺がやるの?」
「ぁあ、そうだ」
「一人で?」
「俺がやったら、お前の飯じゃなくて俺の飯になるだけだろ?」
「そんな決まり知らないよ!!」
「今知ったよな?」
「嫌だよ!!」
「なら食わなくていい」
「…………」
「腹が減れば死ぬだけだ」
ガイルは黙った。
ギルウェラを見る。
短刀を見る。
ルイガスを見る。
もう一度ギルウェラを見る。
「…………ずるい」
「何がだ?」
「やるしかないじゃん……」
ルイガスが小さく笑った。
「そういうことだ」
その直後、ギルウェラが激しい水流を放った。
「うわっ!!」
ガイルは反射的に魔力障壁を展開する。
だが、まだ幼いガイルの障壁は脆かった。
バキィ!!
「うわあああっ!!」
身体が吹き飛び、地面を何度も転がる。
「いったぁ……!!」
肘を擦りむいていた。
血が出ている。
「痛い……」
涙が浮かぶ。
「もうやだ……」
帰りたい。
そんな言葉が喉まで出かかった。
けれど。
「…………」
ギルウェラがまたこちらを見る。
「……お前」
ガイルの眉がぴくりと動いた。
「俺、何もしてなかっただろ……」
もう一度、水が飛んでくる。
「だから!! なんで攻撃してくんだよ!!」
恐怖より先に腹が立った。
「もう怒ったかんな!!」
短刀を握り直す。
ルイガスは黙ったまま、その変化を見ていた。
ガイルはまず火を放った。しかしギルウェラは大量の水で炎を消す。
「消すなよ!!」
当然である。
だが幼いガイルには腹立たしい。
「じゃあ……これなら!」
次は風。
飛んできた水流を逸らす。
「できた!!」
一瞬だけ嬉しそうな顔になる。
だが次の攻撃が来る。
「喜ばせろよ!!!」
今度は土。
地面を盛り上げ、ギルウェラの周囲を囲う。
それでも魔物は水膜の中で暴れ続ける。
「まだこんなに動けるのか……!」
ガイルは必死に考える。
水。
こいつは水の中にいる。
なら。
「……あ」
ガイルの小さな頭の中で何かが繋がった。
「水なら……凍らせればいいじゃん」
魔力を流す。
氷が広がった。
ギルウェラを包んでいた水膜が凍り、その動きが止まる。
「…………」
それを見ていたルイガスの目が、初めて僅かに見開かれた。
火、風、土、そして氷。
教えられたわけでもない。
目の前の状況を見ながら、幼いガイル自身が使い分けている。
だが、ガイルにはそんなルイガスの反応を気にする余裕などなかった。
「今だ……!」
身体が重い。
頭がふらふらする。
魔力を使いすぎたせいで、もう立っていることすら辛い。
それでも走った。
「俺は……!」
短刀を両手で握る。
「死にたくないんだよぉぉぉ!!」
ギルウェラの頭へ、思い切り突き刺した。
一度では止まらない。
「なんで……!」
もう一度。
「止まれよ!!」
さらに力を込める。
やがて、ギルウェラの動きが完全に止まった。
「…………」
ガイルはその場に座り込んだ。
「はぁ……はぁ……」
手が震えている。
怖かった。
本当に怖かった。
「……死ぬかと思った」
涙が一粒落ちた。
「俺……勝ったの?」
ルイガスは答えない。
ガイルは死んだギルウェラを見つめ、もう一度尋ねた。
「なぁ……俺、勝ったよね?」
「ああ」
その一言を聞いた瞬間、ガイルの顔にほんの少しだけ笑みが浮かんだ。
「……そっか」
だが、それも一瞬だった。
「よかった……」
そこで身体から完全に力が抜ける。
倒れそうになったガイルを、大きな腕が受け止めた。
ルイガスだった。
「…………」
ガイルは薄れゆく意識の中で、自分が抱き上げられたことに気付く。
「……食べないでくれる?」
「食わねぇよ」
「ほんとに……?」
「ああ」
「……よかった」
それだけ確認すると、ガイルは初めて安心したように目を閉じた。
ルイガスは腕の中で眠り始めた少年を見下ろした。
全属性を扱える。
それは確かに珍しい。
この年齢でギルウェラを倒したことも異常だった。
だが、ルイガスがガイルに惹かれた理由は、そこではなかった。
仲間に捨てられ、魔族へ差し出され、食われると怯え、泣いて、逃げたいと願い、それでも最後には「生きたい」と叫んだ。魔物を前にしても恐怖が消えたわけではなく、痛ければ泣き、怖ければ震え、それでも生きるためなら自分が持っているものを全部使った。
その姿に、ルイガスは惹かれた。
「面白ぇ……」
ルイガスの口元が僅かに上がる。
「ガイル、お前は……面白ぇ」
この日、ルイガスが見つけたのは、全属性を操る天才ではなかった。
捨てられても、泣いても、怖くても、それでもなお――必死に生きようとする一人の子供だった。
そして、この出会いから長い時を経た後。
ただの「ガイル」だった少年は、ルイガスから一つの名を与えられることになる。
――ジアハート。
ガイル・ジアハート。
それは、この時まだ何者でもなかった少年にとって、やがて何よりも大切な名前となっていくのだった。




