素直に褒めることができない成果。
カイネルの怒りは、もはや濁流のようだった。一度溢れ出したそれは止まることなく、次から次へとグレサスへ叩きつけられていく。
「グレサス、お前は!! 自分がどれほどとんでもないことをしたのか、本当に理解しておるのか!! その木が成長するまでに、どれだけの年月を重ねると思っておる! 故に素材として扱う際にも、代々慎重に、慎重を重ねてきたのだ! それをお前は勝手に――」
そこでカイネルの視線が、ふとグレサスの持つ網の柄へ落ちた。そして自らの杖を見る。もう一度、網の柄を見る。
「…………それに」
「?」
「なんで……余の杖より……長い……」
グレサスが僅かに首を傾げた。
「馬鹿者が!! 何を考えておるのだ!! しかも、そのような訳の分からぬ物に仕立てるなど、余計にあってはならん!! キュレス!!」
「ハッ……!」
突然名を呼ばれたキュレスが、僅かに肩を震わせながら前へ出る。
「セフィロトへ許可なく手を出した者の罪は、何に値する!?」
「…………陛下」
キュレスは一瞬だけグレサスへ視線を向けた。言いにくいのだろう。だが、王から尋ねられた以上、答えないわけにはいかない。
「その行為だけを法に照らすのであれば……即刻、死刑となってもおかしくありません……」
玉座の間が静まり返った。
「そうだ!!」
カイネルはグレサスを指差す。
「聞いたか、グレサス! 例えお前が王国最強であろうとも、その罪の重さそのものが変わるわけではない!」
「ハッ」
「だが……だがな……!」
カイネルの指が震える。
「グレサス、お前を死刑になどできると思うか!?」
グレサスは少し考えた。
「ハッ。無理かと」
「そういうところだ!!!」
再び怒声が響き渡った。
「お前という奴は!! 今日という今日は、何らかの形で罰する必要がある! 神獣を捕らえるだと!? そんなものはもはやどうでもよい! そもそも余は神獣など望んでおらん!!」
しかし、荒れ狂うカイネルを前にしてもグレサスは落ち着いていた。
「陛下」
「なんだ!!」
「落ち着きましょう」
「誰のせいだと思っておる!!」
「ですが、我々も何も得ずに戻ってきたわけではございません」
グレサスは隣へ視線を向ける。
「デュラン。陛下に収穫をお見せしろ」
「…………ハッ」
デュランはどこか複雑そうな表情を浮かべながら、持ち帰った荷へと手を伸ばした。対してカイネルは、怒りのあまり身体をわなわなと震わせている。
「なんだ!! 一体どれほどの物を持ち帰ったというのだ!!」
デュランは答えず、袋を開いた。
そして。
ゴロゴロ――。
いくつもの石が、ゆっくりと床へ並べられていく。
「…………な」
カイネルの声が止まった。
それが何なのか、王であるカイネルにはすぐに分かった。
魔力石。
しかも、ただの魔力石ではない。どれも特大と呼んで差し支えないほど大きく、その表面には美しい光沢があり、内包する魔力の質も一目で分かるほど高い。
「魔力石を……これほど……?」
先ほどまで燃え上がっていたカイネルの怒りが、一瞬だけ揺らいだ。
よりにもよって今、王国がもっとも必要としているものの一つだった。メモリアルストーンの研究を進めれば進めるほど、その動力となる良質な魔力石の重要性は増している。それも、目の前に並べられているものは、どれも極上品と言っていい。
「…………だが」
カイネルは顔を引き締める。
「それとこれとは話が別だ」
いくら価値ある魔力石を持ち帰ったところで、セフィロトを無断で切った事実が消えるわけではない。
だが。
「陛下。まだございます」
デュランはそう告げると、先ほどの魔力石とは明らかに扱いを変え、慎重に別の袋を開いた。
そこから現れたのは五つ。
透き通った結晶のような物体だった。
キラキラと光を反射している。だが、ただ美しいだけではない。魔力を感じ取ることのできる者ならば、その場にいる誰もが気付いた。
――違う。
先ほどの魔力石とは、明らかに違う。
内側に秘められている魔力の密度が、まるで別物だった。
デュランはそれだけは床へ置かず、一つを両手で持ってカイネルへ差し出した。
「こちらを……陛下」
「…………」
カイネルは震えの残る手で、それを受け取った。
「これは……」
手にした瞬間、分かった。
とてつもない。
重量そのものではない。その存在が、あまりにも重い。
「余にも……これが相当な価値を持つものだということくらいは分かる。だが……これは一体、なんなのだ?」
デュランは言葉を選びながら答えた。
「魔力の結晶――そのように呼ばれるものだそうです」
「魔力の……結晶?」
「はい。ジュラにおいても、ごく僅かにしか存在しないもの。単純な比較はできませんが、魔力石の遥か上位に位置するものと考えてよろしいかと」
カイネルが手の中の結晶を見る。
「これを……どこで?」
「神獣メーレからです」
「…………何?」
「グレサスの力を認め、そしてその力を警戒したメーレが、我々へ渡したものです」
カイネルはゆっくりとグレサスを見る。
上半身裸。
壊れたハクライ。
セフィロトで作った網。
そして、その男を神獣が警戒した結果、渡された魔力の結晶。
「神獣すら……恐れさせる……」
「はい。そして陛下。この結晶について、もう一つ重要なことがございます」
「なんだ?」
「水属性のメモリアルストーンですら、これ一つで発動させられるほどの出力を持っています」
カイネルの目が見開かれた。
「そ、そうなのか!?」
先ほどまでとは明らかに反応が変わった。
水属性のメモリアルストーン。それこそ、つい先ほどまでカイネルたちが頭を悩ませていたものだった。
通常の魔力石でも発動させる方法自体は、すでに見つけている。問題は発動できるかどうかではない。
消費があまりにも激しいのだ。
複数の魔力石を繋いだところで、水を出し続ければ瞬く間に魔力を失ってしまう。実用化するには、あまりにも効率が悪かった。
「だが……発動するだけならば魔力石でも可能だ。それだけでは――」
「一月」
「…………何?」
「レイズ・アルバードによれば」
デュランは告げた。
「この結晶一つで、水属性のメモリアルストーンから水を流し続けたとしても……およそ一月は維持できるだけの魔力を内包しているとのことです」
「…………」
カイネルが固まった。
「…………な?」
聞き間違いだと思った。
「一月……?」
「はい」
「なぜ……そのようなことが分かる!? 一月だぞ!? その場で一月もの検証などできるはずがなかろう!」
「レイズ・アルバードが、そう申しておりました」
「レ……レイズが……?」
カイネルは黙った。
メモリアルストーンを生み出した者。
魔力石を利用して、それを動かすという発想。
そして、その運用方法に至るまで。
それらの根幹にある知識を持っているのがレイズだ。
ならば、その張本人が「一月」と言うのであれば、少なくとも無視できる情報ではない。
「…………一月」
カイネルの頭の中で、別の計算が始まった。
水を生み出し続ける。
一流の水魔術師であっても、長時間の連続使用には限界がある。ましてや一日中。それを三十日間、休むことなく続けるなど、人間には到底できることではない。
「…………待て」
カイネルだけではない。
周囲にいた者たちまで、何かに気付き始めた。
「誰か、計算せよ!」
「ハッ!」
「水魔術師一人を一刻雇う場合の報酬は!?」
「銀貨三枚から四枚ほどです!」
「ならば一日では!? それを一月続ければどうなる!」
「し、少々お待ちを……!」
突然、玉座の間のあちこちで計算が始まった。
一刻。
一日。
十日。
三十日。
一つ一つを積み重ねながら、それぞれが必死に数字を算出していく。
だが、問題は水だけではなかった。
「陛下! もし光属性へ転用できるのであれば――」
「分かっておる!」
水でこれなのだ。
光ならば。
火ならば。
その他のメモリアルストーンならば。
一つの結晶が生み出す価値を、単純な金額だけで測ってよいものなのか。
すでに話は、そこまで広がり始めていた。
周囲が慌ただしく計算を始める中、デュランは静かに口を開く。
「陛下」
「今度はなんだ!」
「メーレからいただいた魔力の結晶は……一つではございません」
「…………」
デュランは残りの結晶を見る。
「五つです」
カイネルがゆっくりと振り返った。
「…………五つ?
「はい」
玉座の間が、再び静まり返った。
ジュラで回収してきた、最上級と呼んでも差し支えない魔力石が数十個。
さらに、その遥か上位に位置する可能性を持つ魔力の結晶が五つ。
そして、それだけではない。
神獣メーレ。
レアリスビースト。
ディア。
ジュラそのものの均衡。
世界樹の種の存在。
数日間の遠征によって持ち帰られたものは、物だけではなかった。
「…………グレサス」
「ハッ……」
カイネルは長い沈黙の末、深く息を吐いた。
「この件は……一度、保留とする」
「ハッ!」
「勘違いするな。許したのではない!!」
カイネルはグレサスを睨みつける。
「セフィロトを無断で切り出した件については、改めて正式に判断する。それまでは、その網を王国で厳重に管理する。よいな?」
「ハッ」
「それから、セフィロトそのものの状態も職人に確認させる。再び素材として使用できるのであれば、然るべき形へ仕立て直す」
「承知しました」
ようやくカイネルは玉座へ深く腰を下ろした。
「……二人とも、ご苦労であった。これからさらに忙しくなるであろう。だが、ひとまず休め」
そしてグレサスを見る。
「グレサス」
「ハッ」
「ハクライも修理が必要だ。それも脱いで置いていけ」
「ハッ。では、よろしくお願いいたします、陛下」
「…………」
なぜ余がよろしく頼まれているのだ。
そんな言葉が喉元まで出かかったが、カイネルはどうにか飲み込んだ。
こうして、王城を揺るがしたグレサスの帰還と、その処遇についての騒ぎは――ひとまず「保留」という形で幕を閉じた。
デュランには分かっていた。
今回のジュラ遠征によって持ち帰ったもの。それを単純な金貨の枚数だけで評価することなど、もはやできない。
最上級の魔力石、数十個。
未知の魔力結晶、五つ。
そして王国がこれまで知ることのできなかった、ジュラについての膨大な情報。
それらが今後、メモリアルストーンの研究や王国そのものへどれほどの影響を与えるのか。現時点では誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは、今回の遠征が王国へもたらした利益そのものは、あまりにも莫大だったということ。
セフィロトもまた、消失したわけではない。網の柄として加工されてしまったとはいえ、素材そのものはここに残っている。王国屈指の職人へ預ければ、再び別の形へ仕立て直すこともできるだろう。
だからといって。
グレサスが許可なく神木へ手を出した事実まで、なかったことにはならない。
金額と価値。
損失と利益。
ただそれだけで裁ける問題ではないからこそ、カイネルは結論を出せなかったのだ。
そしてデュランは最後にもう一度だけ思う。
数日前、ジュラへ向かった時には、まさかこれほどのものを持ち帰ることになるなど――誰が想像できただろうか。
やがてデュランとグレサスは玉座の間を後にした。
二人の姿が扉の向こうへ消えていくまで、カイネルは黙ってその背中を見送っていた。
そして静けさを取り戻した玉座の間で、手元へ視線を落とす。
その手には、先ほどデュランから渡された魔力の結晶があった。
「…………」
指先へ僅かに力を込める。
内側に秘められた膨大な魔力は、こうして手にしているだけでも分かるほどだった。
「とんでもない……収穫ではあるな」
認めざるを得ない。
遠征の成果として考えるなら、文句のつけようがない。むしろ、王として褒めなければならないほどの成果だった。
だが。
「それだけでは……ならぬ」
成果だけを見てグレサスを褒めれば、恐らくあの男は何も気付かない。
今回の一件についてさえ。
――やはり私の判断は正しかった。
そんな結論へ辿り着きかねない。
「今回の件で……自分がどれほどのことをしでかしたのか。少しでも理解してくれていればよいのだが……」
カイネルは深く息を吐いた。
そして、手の中にある結晶を見つめているうちに、その意識は自然ともう一人の人物へ向かっていく。
「また…………レイズか……」
レイズ・アルバード。
またしても、あの少年の名前が出てきた。
メモリアルストーン。
ジュラ。
神獣メーレ。
世界樹の種。
そして、この魔力の結晶についても。
「レイズ……」
もう一度、その名を口にする。
学院へ迎え入れること自体は、すでに決まっている。
だが。
それまで何もせず、ただレイズが学院へやって来るのを待つだけで、本当によいのだろうか。
今回のジュラでの出来事を聞けば聞くほど、カイネルの中でその思いは強くなっていた。
学院へ来る前に。
一度、王国側からレイズへ接触しておくべきではないか。
それも、単なる使者ではない。
レイズ自身を見て、言葉を交わし、アルバードという土地をその目で見ることのできる者。
そして王国とアルバード、双方にとって今後重要な存在となり得る者。
「ならば……」
カイネルの頭に、一人の顔が浮かんだ。
「システィーヌ……」
自分の娘。
システィーヌを、アルバードへ送る。
カイネルの頭にあるのは、ただ娘をレイズへ仕向けるという単純な話ではなかった。
もちろん、王である以上、政治的な意味をまったく考えていないわけではない。
王国とアルバード。
その関係がさらに強固なものとなるのであれば、それに越したことはない。
だが、娘をそのためだけの道具として扱うつもりなどなかった。
むしろカイネルが思い描いていたのは、もっと個人的な願いだった。
システィーヌが、レイズを知る。
レイズもまた、システィーヌを知る。
そして。
もしも二人が互いを好意的に思い、少しずつ距離を縮めていくのであれば。
その先に――。
「…………」
カイネルの表情が、僅かに緩んだ。
いつか。
純白の衣装を身にまとったシスティーヌが、自分の前に立つ。
娘が自ら一人の男を選び。
その男もまた、娘を選ぶ。
そして、その隣に立っている男が。
レイズ・アルバードであるならば。
「…………レイズなら」
カイネルは小さく呟いた。
「許そう」
王としてではない。
一人の父親として。
システィーヌ自身が望み、レイズもまた娘を大切にしてくれるというのであれば、その未来を否定する理由などない。
むしろ。
そんな日が本当に訪れるのであれば。
それは、カイネルにとって一つの夢が叶う瞬間なのかもしれない。
娘の花嫁姿。
その隣に立つ、アルバードの若き当主。
少し前までなら、決して思い描くことのなかった光景だった。
「…………」
気付けば、先ほどまでグレサスへ向けていた怒りも随分と薄れている。
手の中には、ジュラから持ち帰られた魔力の結晶。
そして頭の中には、娘の花嫁姿。
カイネルは静かに決断した。
「システィーヌを……アルバードへ」
学院入学まで待つ必要はない。
早急に準備を進めさせよう。
だが、それは娘にレイズとの結婚を命じるためではない。
まずは会わせる。
互いを知る機会を作る。
その先で、システィーヌが何を思い、レイズが何を思うのか。
それは二人自身が決めればいい。
カイネルは再び、手の中の魔力の結晶へ視線を落とした。
いつからだろうか。
レイズ・アルバードという少年に対して、自分が求めるものが、これほどまでに変わったのは。
かつては警戒すべき存在だった。
何を考えているのか見極めなければならない存在。
王国との関係を慎重に考えなければならない、アルバードの若き当主。
だが、今は違う。
王国に新たな可能性をもたらしたメモリアルストーン。
ジュラへ単身向かい、神獣と関わり、世界樹の種を求め、それでいて王国が知らないものをいくつも知っている少年。
それだけではない。
アルバードという土地そのものを見ても。
王として。
そして一人の父親として考えても。
もし、いつの日かシスティーヌが自ら選んだ相手がレイズであるのならば。
――レイズならば、許せる。
いや。
カイネル自身、そんな未来を少し望み始めているのかもしれない。
「レイズ……か」
カイネルは静かに、その名を口にした。
警戒すべき少年から。
王国へ迎え入れたい少年へ。
そして今。
自分の大切な娘の隣に立つことさえ、認めてもよいと思える男へ。
レイズ・アルバードに対するカイネルの評価は。
本人すら気付かぬほどの速さで――大きな変化を遂げ始めていた。




