前夜では……
レイズは、ジュラを後にしてゆっくりと来た道を戻っていた。
すでに日は完全に沈み、辺りは深い闇に包まれている。このまま無理に進む必要もないと判断したレイズは、途中の山道で足を止め、今夜はそこで野宿することにした。
集めた枝に火をつければ、パチパチと乾いた音を立てながら炎が揺れる。
その小さな焚き火を前に座り込み、レイズはようやく大きく息を吐いた。
「はぁ…………ほんとに、短いようで長かったよなぁ……」
世界樹の種を手に入れる。
始まりは、ただそれだけだったはずなのだ。
ダークエルフたちが探し求めていたものを見つけ、それを持ち帰る。そのためにジュラへ向かったはずなのに、振り返ってみれば、本当にいろいろなことがありすぎた。
ディアという存在。
そして、そのディアを迎えに現れたレアリスビースト。
メーレから聞いた、この世界に関わる話。
ゲームの知識をどれだけ引っ張り出しても、それらすべてに明確な答えを見つけることはできなかった。
レイズは焚き火へ小さな枝を放り込みながら、思わず笑ってしまう。
「たくさん……知ってるつもりでいた。でもほんとに…………知らなすぎたよな」
この世界に転生してから、自分には誰にもない強みがあると思っていた。
ゲームを知っている。
登場人物を知っている。
これから起きる出来事を知っている。
それは間違いなく大きな武器だった。
だが、この世界で実際に生きてみれば、それだけでは分からないことがあまりにも多かった。
その一つが――グレサスという男だった。
ゲームの中で描かれていたグレサスは、紛れもない戦闘狂だった。
戦う。
傷つく。
相手が強ければ強いほど喜び、苦戦すればするほど笑みを深くしていく。そこに明確な善悪などなく、敵として立ちはだかる者には容赦せず、必要ならば躊躇なく殺す。
レイズは、ゲームで見たグレサスの最期を思い出していた。
初老を迎えたグレサス。
その首を貫かれながらも、彼は満面の笑みを浮かべていた。
死ぬことすら恐れず、最後まで戦いそのものを楽しんでいた男。
カイルたちにとって、あまりにも厄介すぎた三強の一角。
もちろんレイズは知っている。
ゲームにおけるグレサスが、どれほど強かったのかを。
だが――知らなかった。
今のグレサスが、あそこまで異常な強さを持っていることを。
「ハハハ…………全盛期じゃなくて、あれだったんだ……。当然といえば当然なのか……」
そう呟きながら、レイズは苦笑する。
ゲームで戦うグレサスは、今よりずっと歳を重ねていた。それなら若い今の方が肉体的に優れていること自体は不思議ではない。
――だが、レイズはまだ知らない。
今のグレサスがゲームの頃より強い理由が、決してただ若さだけによるものではないことを。
やがてレイズは地面へ身体を預け、夜空を見上げた。
木々の隙間から、小さな星々が見える。
そして一人になると、不思議と別の男の顔まで頭へ浮かんできた。
「ガイルも…………いつか必ず会うことになるよな」
ゲームの世界において、ガイルはラスボスとして君臨する。
最果ての地。
そこに魔王として君臨するガイルへ辿り着くだけでも、決して容易ではなかった。
六魔将と呼ばれる最上位の魔族たち。
カイルたちは彼らと戦い、一人、また一人と倒していく。
だが、倒せば倒すほど――ガイルと分かり合うことなどできなくなっていった。
当然だった。
ガイルにとって六魔将は、ただの部下などではなかったのだから。
大切な仲間だった。
ゲームの主人公であるカイルたちは、ストーリーの流れとはいえ、その仲間たちを一人ずつ殺していくしかなかった。中には説得を試みた者もいたが、それでも届かなかった。
ガイルが率いる魔族たちは、あまりにも人間を憎みすぎていた。
そこまで積み重なってしまった憎悪を、どうすれば変えることができたのか。
少なくともゲームの中では、その方法を誰も知らなかった。
だから、戦うしかなかった。
殺すしかなかった。
――でも。
今ならどうだろう。
まだ何も起きていない今なら。
「…………今なら、ガイルだって変われるんじゃないか」
そんなことを、レイズは考えていた。
そしてレイズは――ガイルというキャラクターが、昔から大好きだった。
「かっこいいだけじゃないんだよな……あいつ…………一番優しいんだよ」
レイズがそう言うのには、ちゃんと理由がある。
プレイヤーだからこそ見ることのできた、ガイルの過去。
どうして彼が魔族の側へ立ったのか。
どうして人間を憎むようになったのか。
そして、彼が何を失ってきたのか。
それらを知っていたからこそ、レイズにはガイルを単純な悪として切り捨てることができなかった。
むしろ――救うことのできなかった悪。
それが、レイズの中に残り続けたガイルという存在だった。
「まぁ…………ガイルと会うのは、当分先になるだろうけどな……」
そう呟いて、大きなあくびをする。
「はぁ……疲れた。寝るか……」
――だが、この時のレイズは知らない。
まさか翌日には、そのガイルがアルバードへ現れていることを。
そしてディアナを殺しかけ、その結果クリスが自らクリスという名を捨て――ウラトスを名乗り、今度はガイルを殺しかけることになるなど、知る由もなかった。
そんな大惨事が起きようとしているとも知らず、レイズの夜はあまりにも穏やかだった。
「はは……レイも…………フェリルも、喜んでくれるよな……」
目を閉じれば、ダークエルフたちの顔が浮かんでくる。
彼らがずっと探していたもの。
世界樹の種。
それを渡したとき、どんな顔をするのだろう。
驚くだろうか。
喜ぶだろうか。
そんなことをあれこれ想像しながら、レイズは静かに眠りへ落ちていった。
そして――同じ頃。
王国では、レイズの知らないところで、別の騒ぎが起きていた。
ただでさえ王城では、メモリアルストーンの運用を巡って大勢の者たちが慌ただしく動き続けている。
火属性のメモリアルストーンへ魔力石を接続し、どれほどの時間使用できるのかを調べる試験。
魔力石の大きさによって持続時間は大きく変わる。
この世界における時間の概念には多少の違いがあるものの、分かりやすく表現するなら、小さな魔力石であれば十分ほどで砕け、中程度のものであれば一時間、長いものでは二時間ほど。さらに大きな魔力石になれば、それ以上の時間にわたって使用できることも分かってきていた。
だが研究を続けるにつれ、単純に大きさだけでは分類できないことも判明していく。
これまで魔力石は、おおまかに小、中、大程度に分けられていた。
砕いて肥料として使用する。
薬草などと混ぜ、粉末状にしたものを回復薬へ利用する。
他にも様々な用途はあったものの、現在ほど細かな品質が求められるものではなかった。
しかしメモリアルストーンの登場によって、その価値そのものが変わり始めている。
「この大きさ…………この程度のものであれば、Aとしてよいか?」
カイネルの問いに、研究を担当する者が首を振った。
「いいえ……陛下。どうやら、大きさだけでは判断できないものもあります」
同じ大きさの魔力石であっても、よく見れば光沢が明らかに違う。
さらに試験を重ねれば、魔力の伝達に優れるもの、持続時間に優れるもの、同じ大きさでありながら蓄えている魔力量そのものが異なるものまで存在する。
今までほとんど意識されなかった細かな性質が、メモリアルストーンによって次々と明らかになっていた。
そして王国では、もう一つ重要な研究が進められていた。
水属性のメモリアルストーンを、どうにか人間が直接魔力を注がず、魔力石だけで発動させることはできないか。
鉄線や金線を何本も束ね、魔力の伝導率を高める。
一つでは足りないのなら複数の魔力石を接続し、一度に供給できる魔力量を増やす。
何度も失敗を繰り返し、それでも試行錯誤を続け――ついに、その方法を見つけることには成功した。
水が流れた。
メモリアルストーンから、ちょろちょろと透明な水が流れ続ける。
その場にいた者たちは一瞬だけ歓喜した。
だが――それは希望に見えて、決して希望と呼べるものではなかった。
「…………これだけの魔力石を使って……この程度か」
水が流れ続けた時間は、わずか数十分。
複数の魔力石を消費した結果として考えれば、あまりにも効率が悪い。
「割に合わぬな……」
カイネルはそう呟き、少し考えてから研究者たちへ尋ねた。
「もしもだ。水属性を扱える一流の魔術師が、継続して水を生み出し続けた場合……どれほど持つ?」
その統計についても、すでに調査は行われていた。
王国でも有数の水属性魔術師たちが実際に試し、それぞれの結果が報告されている。
そして、おおよその指標はすでに出ていた。
長くても一刻ほど。
一時間も水魔法を継続して使用すれば、その日はまともな活動が難しくなるほど疲弊してしまう。
それは座位持ちの騎士であっても、大きな違いはない。
――ただし。
一人だけ、例外が存在した。
「…………グレサスか」
過去、王国が大規模な水不足に見舞われたことがある。
その際、一度だけグレサスが魔法によって水を生み出したことがあった。
もっとも、彼が選んだ方法は――水を直接生み出し続けることではなかった。
天候そのものを操作したのだ。
水が足りない。
ならば雨を降らせればいい。
実にグレサスらしい、あまりにも単純な発想だった。
そして実際に――大量の雨が降った。
降りすぎた。
水が足りないから大量に雨を降らせれば解決するなど、当然そんな単純な話ではない。
急激に増えた水は土砂や汚れと混ざり合い、濾過も浄化もまったく追いつかなくなった。
結果として、水を生み出すことには成功したものの、それをそのまま飲み水として利用できるわけではなく、別の問題まで発生した。
もちろんグレサスにも、少量の水を継続して生み出す程度の水魔法は使える。
だが――本人が気に入らなかった。
そんなことのために自分の時間を費やすくらいなら、ジュラへ籠もり、さらに鍛えた方がいい。
それがグレサスという男だった。
王国最強の騎士。
カイネルの前では最低限の礼節こそ守るものの、その本質はあまりにも自由。
国に足りないものを補うために存在しているわけではない。
戦いから国を守り、そして自分自身がさらに強くなるために鍛え続ける。
その鍛錬を邪魔されることを、グレサスは誰よりも嫌う。
だからこそ、いくら強大な力を持っていたとしても、何でも安易に頼める存在ではなかった。
「…………やはり、できることと、できぬことを明確に分ける必要があるな」
メモリアルストーンによって何が可能になるのか。
逆に、何をさせるべきではないのか。
そして魔力石をどのように分類し、どう運用していくべきなのか。
王の間では、そんな議論が途切れることなく続けられていた。
――だが。
その騒がしさは、二人の男の帰還によって一瞬にして消え去った。
ジュラからの帰還。
それだけであれば、何もおかしくはない。
帰還したのはグレサスとデュラン。
二人が戻ってくること自体は、当然予想されていた。
問題は――その姿だった。
カイネルをはじめ、その場にいた者たちの視線が一斉にグレサスへ集まる。
王国最強の騎士へ与えられた鎧――ハクライ。
その鎧が、見るも無惨なほどに破壊されていた。
上半身を覆っていた部分はほとんど失われ、グレサスは半ば上半身を晒した状態で立っている。
それだけでも異常だった。
グレサスのハクライが、ここまで破壊される。
それがどれほどの戦いを意味するのか、この場にいる者たちには嫌というほど分かる。
だが――さらに理解できないものがあった。
グレサスの手。
そこに握られているもの。
「………………」
ボロボロの網だった。
ハクライを破壊され、上半身を晒した王国最強の騎士が、なぜか見るも無惨なほどボロボロになった網を大切そうに持っている。
そしてその隣には、デュラン。
こちらはこちらで、なぜか妙に暗い。
疲れているというだけではない。
何か、とてつもなく面倒なことを経験して帰ってきた人間の顔をしていた。
誰も言葉を発しない。
何があった。
ジュラで何があった。
何と戦えば、グレサスのハクライがここまで破壊される。
そして――なぜ網を持っているんだ。
あまりにも情報量が多すぎた。
静まり返った王の間を、グレサスだけがいつもと変わらぬ様子で進んでいく。
そしてカイネルの前まで来ると、何事もなかったかのように姿勢を正した。
「ただいま戻りました。陛下」
グレサスは、いつも通りだった。
だからこそ。
誰もが余計に嫌な予感しかしなかった。
こうして始まるグレサスとデュランによるジュラでの報告は――ただでさえ慌ただしかった王城を、さらに大きな騒ぎへと巻き込んでいくことになる。




