大書斎へゆくぞ!
食事を終えたレイズは、満足げに息を吐くと静かにリアナを呼んだ。
先ほどまで野菜との死闘を繰り広げていた人物とは思えないほど、落ち着いた表情だった。
それは周りが勝手にそう思っているだけであるが…
「……それでは午後から大書斎へ向かう」
背筋を伸ばし、堂々と告げる。
「手筈は整っているな?」
その視線が、ちらりとテーブルへ向けられる。
そこには――綺麗に空になった皿。
サラダは一欠片も残っていなかった。
リアナは一瞬だけ目を見開く。
だが、すぐに表情を整え、深く頭を下げた。
「はい。当主様」
その声には、どこか感慨深いものが混じっている。
「すべて整っております」
「うむ」
レイズは満足そうに頷く。
そして二人は食堂を後にした。
しばらくして。
片付けのため使用人たちが食堂へ入る。
そして。誰もが足を止めた。
「…………」
「…………」
視線の先。
そこには綺麗に空になったサラダの皿があった。
誰かが震える声で呟く。
「……本当に乗り越えられたのだな」
別の使用人も静かに頷いた。
「ヴィル様がお認めになったとはいえ……正直、私はまだ半信半疑でした」
「私もです」
「まさかここまでとは……」
かつてのレイズを知る者ほど、その意味を理解していた。
野菜を食べた。ただそれだけ。
だが彼らにとっては違う。
それは確かな変化だった。
自らを変えようとしている証だった。
「我らは……」
一人の使用人が呟く。
「本当に凄い御方に…お仕えできるのかもしれませんな…」
その言葉を否定する者はいなかった。
食堂には静かな喜びが広がっていた。
大書斎へ向かう廊下の途中。
「当主様!」
聞き慣れた声が響く。
振り返ればリアノが慌てて駆け寄ってきていた。
「当主様! お体は……本当に問題ないのですか!?」
心配そうに身を寄せる。
昨夜の光景が忘れられないのだろう。
だが。レイズは胸を張った。
そして腕を曲げる。
ぽこん。
力瘤らしきものが現れる。
「是非もない……」
実に誇らしげだった。
どこか得意げですらある。
リアノは一瞬きょとんとした。
意味が一瞬遅れる。
そして思う。
(……いや、そういうことじゃなくて)
聞きたいのは筋肉の話ではない。
昨夜。
汗にまみれ。
苦しそうに呼吸をし。
水すら飲み込めなくなっていた姿。
その姿が今も鮮明に脳裏へ焼き付いている。
だからこそ心配だった。だが当の本人は。
「それでは行ってまいる!」
満足そうに頷くと、そのまま歩き出してしまう。
リアノは唇を噛み締めた。
「……どうか無理をなさらないでください…本当に……」
小さく呟く。
その願いはレイズには届かなかった。
◇◇◇
一方その頃。
レイズ本人は。
(大書斎……)
胸が高鳴る。
(魔法の先生……)
さらに高鳴る。
(いったいどれだけ俺をワクワクさせたら気が済むんだ……)
異世界。魔法。
図書館。先生。
男の子の夢が全部詰まっていた。
もう止まらない。口元が勝手に緩む。
「くくくくく……」
笑う。
「ふふふふふ……」
さらに笑う。
「ははははははっ!!」
ついには声に出して笑い始めた。
つい先ほどまでの重苦しい空気はどこへ行ったのか。
レイズはすっかり上機嫌だった。
まるで遠足前の子供である。
いや。実際その通りだった。
魔法という未知の世界が待っている。
それだけで胸が躍った。
足取りも自然と軽くなる。
そんなレイズの姿を見ていた使用人たちは、思わず足を止めた。
「…………」
「…………」
目が点になる。あまりにも豪快な笑い声。
あまりにも無邪気な表情。
以前のレイズでは考えられない姿だった。
だが。誰も不快には思わない。
むしろ――
胸の奥から温かなものが込み上げてくる。
「本当に……」
誰かが呟く。
「変わられました…」
別の使用人が静かに頷く。
「えぇ……」
その瞳には希望が宿っていた。
「本当にレイズ様は……」
言葉が震える。
「変わられた…」
その言葉は誰に向けたものでもない。
けれど。
アルバードに仕える全ての者の想いを代弁していた。
レイズは知らない。
自分が笑うだけで。
それだけで救われる人たちがいることを。
そんな期待と希望を背負いながら。
レイズは大書斎へ向かうのだった。




