ウラトスVSガイル
凄まじい勢いで吹き飛ばされながら、それでもガイルは笑っていた。身体を覆っていた膨大な魔力が流星の尾のように後方へ伸び、景色が恐ろしい速度で流れていく中でさえ、ガイルの意識は先ほど受けた一撃へ向けられていた。
「ク……ハハハハッ……!!」
魔力壁を張った。それも一枚や二枚ではない。それにもかかわらず、あの男の蹴りはディアブロから聞いていた死属性とはまったく関係なく、自分の障壁を真正面から突き破るほどの威力を持っていた。
魔力そのものの量であれば。扱い方であれば。質であれば。ガイルとディアブロに勝る者など、この世界に実際どれほど存在するのかすら怪しい。少なくともガイル自身は、それほどまでの自負を持っている。
だからこそ、分かってしまう。
もしあの蹴りを、あの訳の分からない力によって魔力を消された状態で受けていたらどうなっていたのか。それだけは、ガイルですら想像することができなかった。
「ディアブロ………何が魔力を封じられたから負けただ……」
吹き飛ばされながら、ガイルはさらに笑う。
「ちゃんとクソ強ぇじゃねぇかよ……レイズってやつ……!」
ディアブロは確かに言っていた。レイズという少年には魔力そのものを消す、理解不能な力があり、それによって自分は本来の力をまともに使えなかったのだと。それでも、ガイルであれば魔力を封じられた状態でもレイズに勝てるだろうとも言っていた。
だが、今の一撃を受けたガイルには分かる。
「魔力なかったら……絶対勝てねぇだろ、こんなの……。さらに成長したってことか……? どんだけ成長が早ぇんだよ……」
そして、その勘違いからガイルは一つの答えへ辿り着いてしまう。
ヴェルビェイヌァイ達がなぜアルバードと盟約を結び、なぜ人間であるレイズの言葉を聞くのか。その理由をガイルはずっと理解できなかった。だが、もし目の前の男がレイズであり、これほどまでの力を持っているのであれば話は変わってくる。
「そういうことかよ……結局は力で言うこと聞かせてたってことか? ヴェルビェイヌァイも魔族の掟に従って、強すぎるからてめぇに従ってるだけってことかよ……!」
その答えならば、ガイルには理解できる。
「そうか。それがお前の答えなんだな……クハハハハハッ!!」
ようやく吹き飛ばされる勢いが弱まり、ガイルは身体を捻って地面へ足をつけた。靴底が大地を大きく削り、長い二本の跡を残しながら滑っていく。その間にも光の魔力を全身へ巡らせ、先ほどの蹴りによって負った傷を瞬く間に修復していった。
そして完全に停止した瞬間、今度は黒炎のような魔力がガイルの全身から激しく噴き上がる。
「なら、話は早ぇな……俺様が目ぇ覚まさせてやるよ?」
黒髪が逆立つように浮かび上がり、黄金色だった瞳がゆっくりと真っ黒に染まっていく。それこそが、ガイルの感情が限界まで昂っている証でもあった。
そこでようやく、自分の手に剣がないことへ気付く。先ほどディアナへ振り下ろそうとした瞬間に弾き飛ばされ、どこかへ消えてしまったのだ。
「くそが……」
だが、すぐに構えを取り直し、両手へそれぞれ膨大な魔力を集めていく。
「まぁいい。なら素手で殺せばいい。それになぁ……俺は知ってんだよ。魔力を無効にした程度じゃ……俺様は止まらねぇってことをな」
それは単に肉体を鍛えているからという理由で生まれた自信ではない。魔力を封じられる可能性を知りながら、何の対策もしていないほどガイルは愚かではなかった。そんな状況に陥った時のための秘策も、もちろんすでに持っている。
やがて遠方から、一つの黒銀の光が凄まじい速度で迫ってきた。
「…………来たか」
ウラトスだった。
赤く染まった瞳はそのままに、先ほどまで前へ垂れていた長い銀髪はすべて後ろへ流され、その顔立ちは完全に露わになっている。身体から溢れる黒銀の魔力も先ほど以上に濃くなっていたが、不思議なことに表情だけは異様なほど静かだった。
地面へ降り立ったウラトスは、すぐに攻撃を仕掛けることもなく、ただスタスタと無言のままガイルへ歩いてくる。
「…………」
その姿を見て、ガイルは大きく笑った。
「ハァ……残念だ。所詮はその程度だったってことかよ。俺様と同じじゃねぇか。力で言うこと聞かせて、気に入らねぇ奴は叩き潰す。馬鹿みてぇに話なんかしようと思ってた俺がアホだったぜ」
それでもウラトスは何も答えない。ただ腰に差していた剣へ手を伸ばし、ゆっくりと抜いた。
「クハハ……殺る気満々じゃねぇかよ! いいぜ!? てめぇなんざ、こっちに武器がねぇくらいで丁度いいハンデだ!!」
返事はない。
「それともなんだ!? ほら、魔力も無効にできんだろ!? あの女が持ってたやつと同じもん持ってんじゃねぇのか!? 使えよ!! おい、なんとか言え!!」
そこで初めて、ウラトスが僅かに身体を屈めた。
カチャリ。
「…………ぁ?」
丁寧に地面へ置かれたのは、アンクレックだった。
先ほどディアナが使い、ガイルの魔力を完全に封じたもの。それをウラトスは自ら手放した。
さらに、抜いたばかりの剣までも、その隣へ静かに置く。
「…………なんだ?」
ガイルには、その意味が理解できない。
ウラトスはゆっくり立ち上がると、短く告げた。
「すぐには殺さないぞ……お前」
一瞬、ガイルの笑みが止まった。だが、その直後には再び大きく口角が吊り上がる。
「クハハハハハッ!! おもしれぇぇぇ!! なんだよ!? あくまで対等を気取ってんのか!?」
違う。
ガイルはまだ気付いていなかった。
ウラトスがアンクレックを置いた理由も、剣を手放した理由も、対等な条件で戦いたいからなどではないということに。
次の瞬間、ウラトスの姿が消えた。
「来いよ!!」
ガイルも真正面から拳を突き出し、それと同時に拳を覆うように幾重もの魔力障壁を展開する。ただ身体を守るための壁ではない。障壁そのものを拳へ重ね、武器として利用する。
対するウラトスは、何の工夫もなく拳を握り、そのまま真正面から叩きつけた。
バリバリバリィィィン!!
凄まじい破砕音が響き、ガイルの拳を覆っていた魔力障壁が一枚、二枚、三枚と連続して砕けていく。
「ハッ!! まだだ!!」
ガイルが新たな障壁を重ねる。
ウラトスは止まらない。
拳を叩きつけ、さらに拳を重ね、そのたびに二人の間に存在する障壁だけが次々と割れていく。触れているようで、まだ身体には触れていない。それでも、目の前に積み重ねられた魔力の壁は確実に減っていた。
そして最後の一枚へ亀裂が走った瞬間、ウラトスは拳を引いた。
「――ッ!?」
代わりに蹴りが突き刺さる。
パァンッ!!
ガイルは咄嗟に腕を差し込んだが、その直後にベキッ、ボキッと嫌な音が響き、受け止めた腕があり得ない方向へひしゃげた。
「ぐっ……ハハ……!! やりやが――」
言い終える前に次の拳が飛んでくる。
ガイルは新たな障壁を壁のように展開した。
バキッ!!
砕ける。
さらに張る。
ベキッ!!
それも砕ける。
そのままウラトスの拳が止まることはなく、障壁を一枚、一枚、まるで本当に壁を殴り壊すかのように破壊し続けていく。
「おいおい……!」
バキバキバキバキッ!!
「おいおいおい!! マジかよ……マジで……おっかねぇぞ、こいつ!!」
さすがのガイルにも、久しく感じていなかった感情が芽生えていた。
恐怖。
だが、ウラトスも決して無傷ではない。障壁を殴るたびに指の骨が折れ、皮膚が裂け、拳から血が飛び散っている。それでも、その拳が止まることはなかった。
むしろ、ウラトスの中では異様な感情が連鎖していた。
固い………固い……………。
だから。
殴れる……殴れる………。
ウラトスは笑みを浮かべた。
楽しい…………楽しい…………。
そして次の瞬間、その笑みが消え、真顔へと戻る。
殺す…………殺す…………。
決して楽には殺さない。散々に痛めつけ、生きていることそのものが地獄だと感じるまで。すぐに終わらせてはいけない。すぐに死なせてはいけない。すぐに楽にはさせてはいけない。
頭から離れない。
地面へ倒れていたディアナの姿が。
首へ残されていた痕が。
傷だらけになった身体が。
涙を流しながら、それでも自分へ謝ろうとしていた姿が。
思い出すたび、胸の奥で何かがさらに熱くなる。
だから。
まだ足りない。
ウラトスの拳がさらに加速した。
「ッ……!!」
ガイルが新たな障壁を展開する。ウラトスはそれすら拳で叩き割り、そして最後の一枚が残った瞬間、今度は拳ではなく自らの頭を思い切り叩きつけた。
バリィィィン!!
額が裂け、血が流れる。
だが障壁も同時に砕け散った。
「てめぇ……!!」
その向こうから伸びた血まみれの手が、ガイルの首を掴む。
「――ッ!?」
指が肉へ食い込み、皮膚が引き裂かれていく。
「やべぇ……やべぇやべぇやべぇ!!」
ガイルは咄嗟に片手をウラトスの腹部へ向け、至近距離から膨大な魔力を一気に放出した。
轟音とともにウラトスの身体が吹き飛ぶ。
だが、その直前。
ブチッ。
「ぐぁッ!?」
ウラトスの指が、ガイルの首の肉を抉り取っていた。
鮮血が大量に噴き出す。吹き飛ばされたウラトスは、自分へ襲いかかる魔力の塊へ空中で蹴りを叩き込み、その軌道を上方へ逸らしながら地面へ着地した。
二人とも酷い有様だった。
ガイルは首からおびただしい血を流し、片腕は完全にひしゃげている。ウラトスの両手も真っ赤に染まっていたが、その血のほとんどはガイルのものではない。何度も障壁を殴り続けたことで指の皮膚が裂け、皮が剥がれ、骨まで損傷している。さらに先ほどの魔力放出を至近距離で受けた腹部からも血が流れていた。
それでも二人は、ほぼ同時に光の魔力を発動する。
肉が戻り、骨が整えられ、傷口が急速に塞がっていく。
だがウラトスは、完治するまで待たなかった。
拳を握ることができる。
足も動く。
それだけ確認すると、まだ治癒を続けている最中にもかかわらず再びガイルへ向かって歩き出した。
「…………こいつ……!」
そこでガイルは、はっきりと理解する。
もし魔力を使えなかったなら。
もしアンクレックによって今も魔力を封じられていたなら。
自分は、とっくに殺されている。
「クソが……!!」
ガイルは大きく後方へ飛び、強引に距離を取った。闇属性の魔力が周囲へ広がり、次の瞬間にはガイルとまったく同じ姿をした影がいくつも現れる。
ただの幻覚ではない。それぞれが僅かながら実体を持ち、攻撃能力まで備えた闇の分身だった。
だが、ウラトスは気にも留めない。
一体を殴り飛ばし、二体目を蹴り消し、三体目へそのまま身体ごと突っ込み、目の前へ現れるものすべてを圧倒的な勢いで消し去りながら、本体のガイルへ一直線に迫っていく。
「おいおい……マジかよ。幻覚っつっても……それなりには強ぇんだぜ……? それ……」
返事はない。
「おい!! てめぇぇぇぇ!!」
ガイルが大声を張り上げた。
そこでようやく、ウラトスが足を止める。
「なんで……」
ガイルは荒い呼吸を整えながら、本気で理解できないという表情を浮かべた。
「なんで魔力を無効にしねぇんだ!?」
本心だった。
使えば終わる。
先ほどディアナが使ったアンクレックによって自分の魔力を封じれば、目の前の男ならばもっと簡単に勝てる。それほどまでに、この男の近接能力は常軌を逸している。
なのに使わない。
ウラトスは僅かに顔を上げ、短く言った。
「言い訳は認めない」
「…………ぁ?」
「魔力を封じられていたから負けた。武器がなかったから負けた。本気ではなかったから負けた。そんな言い訳は、一つも認めない」
赤く染まった瞳が、まっすぐガイルだけを捉える。
「全力を出せ」
「…………」
そこで初めて、ガイルの顔から笑みが完全に消えた。
ようやく理解した。
こいつは対等な条件で戦いたいわけではない。自分の強さを証明したいわけでもなく、戦いそのものを楽しみたいわけですらない。
何一つ言い訳のできない状態の自分を、全力の自分を、そのまま真正面から叩き潰すつもりなのだ。
「…………ハッ」
ガイルのこめかみに血管が浮かび上がった。
「そうかよ……そこまで言うなら、見せてやるよ……!!」
黒い魔力が再び膨れ上がり、ガイルの周囲の空間そのものが歪み始める。
一つではない。
火、水、風、土、光、闇。
様々な属性の魔力が、それぞれ意思を持つ生き物のようにガイルの周囲へ現れ、互いに反発しながら激しく渦を巻き始める。本来であれば決して容易に混ざり合うことのない力を、ガイルは圧倒的な魔法技術によって無理やり制御し、一点へ押し込んでいった。
空間が悲鳴を上げるかのように軋む。
「ぁあ……悪ぃな」
ガイルが周囲を一瞥し、そして笑った。
「ここにいる奴ら全員……死んだな?」
複数の属性が一つへ濃縮される。
だが。
ウラトスも笑っていた。
「だからお前は弱い」
「…………ぁ?」
ガイルの目が見開かれる。
すでに目の前にいる。
「な――」
魔法が完成する、その寸前。
ウラトスの拳がガイルの腹部へ深く沈み込んだ。
同時に、圧縮されていた魔力が制御を失う。
ガイルが本来放とうとしていた方向へ解放されることなく、二人を中心に力が暴発し、その大部分が上空へと逃げていった。
次の瞬間。
世界から音が消えた。
遠く離れたアルバードにいる者達にも、その光景ははっきりと見えた。
地面が沈み、周囲の木々が一斉に大きく傾き、草は根ごと引き抜かれ、大量の土砂が空へ巻き上げられる。本来なら周囲の建造物さえ消し飛ばしかねなかった衝撃は、魔法が完成する前に打ち崩されたことで大半が上空へ逃げ、それでも遠くの窓や扉を激しく震わせるほどの風圧となって広がっていった。
そして。
音は後からついてくる。
スドォォォォォォォォン――!!
遅れて届いた轟音が大地そのものを揺らし、地表が中心から円を描くように削り取られていく。土と石片が激しく宙を舞い、その中心は光とも闇とも呼ぶことのできない、訳の分からない色に支配されていた。
やがて。
少しずつ視界が晴れていく。
そこに立っていたのは、ウラトスだった。
だが、決して無傷ではない。
ガイルの魔法が完成する直前へ拳を叩き込んだ代償として、右腕は見る影もないほど損傷していた。皮膚は裂け、肉は大きく削げ、場所によっては骨が見えていてもおかしくないほどに傷ついている。
そしてガイルの姿は、そこにはない。
死んだのではない。
また遥か遠方まで吹き飛ばされていた。
「ガハッ――!!」
地面へ叩きつけられたガイルが、大量の血を吐く。
呼吸がうまくできない。
腹部へ受けた衝撃によって内臓まで大きく損傷している。
だが、ガイルは死なない。
いや。
死なないための魔法を、すでに仕込んでいた。
「…………ッ……!」
遅延させていた治癒魔法が自動的に発動する。
呼吸が止まりかけた時。
意識を失った時。
致命的な損傷を受けた時。
あらかじめ設定していた条件に従って治癒が開始され、まず最低限の呼吸を確保し、それから意識が戻った瞬間にガイル自身が魔力を上乗せする。
「ハァ……ッ……ハァ……!!」
一気に治癒が加速する。
これこそがガイルだった。
魔法というものを、ただ放つだけの力として扱っていない。
戦う前から。
攻撃する前から。
傷つく前から。
すでに次の魔法を仕込んでいる。
一方のウラトスも、無言のまま損傷した腕へ光の魔力を巡らせていた。肉が少しずつ戻り、傷口が塞がり、指が再び動くようになっていく。痛みを感じていないはずがない。それでも表情は一切変わらず、ただ遠方のガイルだけを赤い瞳で見つめていた。
「…………」
その視線を受けながら、ガイルはゆっくりと立ち上がる。
そして、初めて心の底から疑問を抱いた。
「てめぇ……」
荒い呼吸を整えながら、ガイルが問いかける。
「そんな……クソ強ぇのに……なんで……あん時、いなかったんだよ……?」
頭に浮かんでいるのは、過去の戦場だった。
グレサス。
ヴィル。
セバス。
ディアブロ。
そしてガイル自身。
後に化物の戦場とさえ呼ばれることになる、あの戦い。
ガイル自身ですら、今でも鮮明に覚えている。強者と強者が正面からぶつかり合い、ほんの僅かな判断の違いだけで誰が死んでもおかしくなかった、あの戦場。
だからこそ分からない。
もし。
もし、あの戦場に。
目の前の男までいたのなら。
「…………」
ガイルは考えたくもない答えを想像してしまう。
グレサスも。
自分も。
決してあの戦場から生きて帰ることなどできなかったのではないか。
アルバードが圧勝していた。
そう思えてしまうほど、目の前の男は強すぎる。
そして何より。
容赦がなさすぎる。
身体の傷は治り始めている。
折れた腕も戻る。
裂けた首も塞がっていく。
魔力もまだ十分に残っている。
それなのに。
先ほどの光景だけが、どうしても頭から離れない。
障壁へ何度も何度も拳を叩きつけ、自分の指が折れようが、皮膚が裂けようが、頭から血を流そうが、それでも一度も止まらなかった男の姿。
ガイルは戦いが好きだった。
強い者も好きだった。
命を懸けた戦いですら笑って楽しむことができる。
だからこそ。
分かってしまった。
こいつは違う。
強いから怖いのではない。
戦いを楽しんでいるから怖いのでもない。
自分自身が壊れることさえ、相手を壊すための代償として平然と受け入れている。
そこに。
何の躊躇もない。
「…………ハッ」
ガイルの口元に、乾いた笑みが浮かぶ。
先ほどまでの楽しそうな笑いとは、まるで違う。
「てめぇ……」
そして。
心の底から吐き捨てるように言った。
「気持ち悪ぃくらい……狂ってやがるぜ……」




