思い浮かぶは……
「ディアナ様!!!」
息を切らしながら駆け込んできた女性の尋常ではない様子を見た瞬間、ディアナの表情から、それまで浮かんでいた柔らかな笑みが消えた。
先ほどまで町の人々にクリスとの関係を茶化され、子供達に囲まれながら楽しそうに笑っていた女性とは思えないほど、その切り替わりは早かった。女性へ駆け寄り、倒れそうになった身体を支えながら、まずは落ち着かせるように背中へ手を添える。
「大丈夫です。ゆっくり息をしてください。何があったのですか?」
「はぁ……はぁ……え、えっと……何かが起きた、というわけでは……まだ、ないんです……」
「まだ……とは………」
その一言を、ディアナは聞き逃さなかった。
女性は必死に呼吸を整えながら頷く。
「ヌェさん達が……突然、私達に離れろって言ったんです。それまで普通に話していたのに、急に私達の前へ出て……まるで、何かから守ろうとしているみたいに……」
「ヌェさん達……えぇ魔族の方々ですね……」
「はい……他の魔族の方達もです。みんな同じ方向を見ていて……そこから、一人の男の人が歩いてきて……」
ディアナの目が僅かに細くなる。
「その人物は、魔族で……?」
「いえ……たぶん、人間です」
「人間……です」
「でも……変なんです。見た目は人間なのに、なんというか……怖くて。ものすごい魔力で……でも、その人は何もしていないんです。ただ歩いてきただけで……」
「外見を教えてください」
「え?」
「覚えている範囲で構いません。その人物の外見、それからヌェさん達がその人物を見た時の様子も、できるだけ詳しく」
女性は戸惑いながらも、覚えていることを一つずつ話し始めた。
ディアナは黙って聞いていた。
最初は、ただ真剣に。
だが話が進むにつれて、その顔から少しずつ血の気が引いていく。
「…………まさか」
「ディアナ様?」
ディアナには心当たりがあった。
人間でありながら、魔族の中で長い年月を生きてきた男。王国へ強い憎悪を抱き、かつて何の力も持たない人々まで巻き込み、命を奪った男。
そして何より――アルバードにとっても、決して無関係とは言えない人物。
「……その男は、今どちらへ?」
「こ、この道を……そのままアルバードの中へ……」
「…………」
「ディアナ様……?」
女性が不安そうに見上げる。
ディアナはすぐには答えなかった。
もし自分の予想が外れているなら、それでいい。
だが。
もし、あの男なら。
「……皆さん」
ディアナが振り返った。
先ほどまで楽しそうに話していた町の人々が、不安そうにこちらを見ている。ディアナは努めて穏やかな表情を作った。
「念のため、皆さんはこの辺りから離れてください。子供達も一緒にお願いします」
「ディアナ様?」
「大丈夫です。まだ何かが起きたわけではありません。ですから、今のうちに確認してきます」
「でも……」
「それから誰か一人、クリスさんへ知らせてください。それとこちらを……」
いくつかの購入したばかりの品物を手渡す。
クリスの名前を口にした瞬間、ほんの少しだけディアナの胸が揺れた。
だが、すぐにそれを押し込める。
「正体の分からない人物がアルバードへ入った可能性があります、と。それだけでクリスさんなら分かるはずですか、」
「ディアナ様は!?」
「私は先に確認します」
「一人で!?」
「戦いに行くわけではないですから……」
ディアナは静かに答えた。
「もし私の考えている人物であったとしても、まだここでは何もしていないのでしょう? ならば、まず目的を聞きます。それに……ヌェさん達をあのままにしておくわけにもいきませんから」
女性が何か言おうとしたが、ディアナは安心させるように微笑み、そのまま歩き出した。
腰には剣がある。
そしてもう一つ。
衣服の内側には、レイズからもたらされた力を利用して作られたメモリアルストーン――アンクレックがある。
魔力を封じることのできる、死属性の力を宿した石。
それがあれば最悪なんとかなる。
そんな甘いことをディアナは考えていない。
もし相手が本当にガイルであるならば、まともに戦って勝てる相手ではないことくらい理解している。
だから戦うつもりはなかった。
ただ、目的を確認する。
アルバードから帰ってもらう。
それだけでいい。
――それだけで、終わらせるつもりだった。
◇
「……ったく、意味分かんねぇな」
ガイルは不機嫌そうに頭を掻きながら、アルバードの町を歩いていた。
先ほどから何度見ても理解できない。
人間と魔族が普通に会話している。ダークエルフまで混じっている。それぞれが警戒しながら一時的に同じ場所へいるという雰囲気ですらなく、完全に日常として馴染み始めている。
しかも、自分を知っている魔族達が警戒する相手は人間ではない。
ガイルだ。
「俺様の方がどう考えても味方だろうがよ……」
何度考えても納得できなかった。
だが、今はどうでもいい。
レイズに会えば分かる。
アルバードが何を考えているのかも、レイズが本当に自分と同じものを見ているのかも、本人へ聞けばいい。
「クハッ……まあ、楽しみではあるよなぁ」
再び笑みを浮かべ、歩こうとした。
その時だった。
「――待ってください」
「ぁあ?」
ガイルが足を止める。
前方に、一人の女性が立っていた。
美しい女性だった。整った姿勢で道の中央へ立ち、腰には剣を携えている。だが剣へ手をかけてはいない。
ガイルは一目見ただけで理解した。
ただの人間ではない。
立ち方が違う。
こちらを見ている目も違う。
戦うことを知っている者の目だ。
「なんだ、てめぇ?」
「……一つ、確認させてください」
ディアナは男の顔を見つめた。
そして確信した。
間違いない。
「貴方が……ガイルですよね?」
「…………」
一瞬。
ガイルの目が僅かに細くなった。
だが、すぐに口元が吊り上がる。
「へぇ……俺様を知ってんのか」
「ええ」
ディアナの声から柔らかさが消えた。
「知っています………
「じゃあ話が早ぇな。俺はレイズに会いに来ただけだ。邪魔する気がねぇなら、そこどけよ」
「……レイズ様にですか?」
「ぁあ」
ガイルは嬉しそうに笑った。
「ちょうど話してぇと思ってたんだよ。あいつとはな」
「何を……」
「色々だろ?王国のこと、人間のこと、魔族のこと。それにこれからのこともな」
「これから……?」
「クハハッ。そんな怖ぇ顔すんなよな?」
ガイルは楽しそうだった。
「せっかく見つけたかもしれねぇんだからよ」
「何をです?」
「同志だろ?」
「…………」
ディアナの表情が止まった。
ガイルは気付かず続ける。
「人間のくせに王国に尻尾振らねぇ。魔族と盟約まで結んで、あいつらと一緒に生きる場所まで作ってやがる。面白ぇじゃねぇか。ようやく人間の中にも、少しは話の分かる奴が出てきたってことだろ?」
「…………」
「だったら一度くらい話してみてぇじゃねぇか。もしかしたら俺とレイズなら――」
「違いますね……」
「ぁあ?」
ディアナが遮った。
「違いますよ」
二度目は、はっきりと。
ガイルの笑みが僅かに薄れる。
「何がだよ?」
ディアナの拳が震えていた。
怖いからではない。
怒りだった。
「王国の人々を……」
「…………」
「何の力もない人達を……戦うことすらできない人々まで無差別に殺した貴方が……」
ディアナはガイルを真っ直ぐ見た。
「レイズ様と同じなわけがありません!!」
空気が変わった。
それまで面白そうにディアナを眺めていたガイルの目から、笑いが消える。
「…………あ?」
「レイズ様は、貴方とは違います!!」
「てめぇ……」
「レイズ様は、力のない人々を自分の怒りのために殺したりしません!自分と考えが違うからという理由だけで、何も知らない人達まで巻き込んだりもしません」
ディアナは一歩前へ出た。
「帰りなさい」
「…………」
「ここはアルバードです。貴方の憎しみを持ち込む場所ではありません」
そして。
「私は――貴方を許しません」
沈黙。
ガイルがディアナを見つめる。
数秒後。
「……ぁあ?」
低い声が漏れた。
「なんだよ、てめぇ。さっきから……王国、王国って……」
ガイルは眉を寄せながらディアナを見る。
「てめぇもアルバードの人間だろうがよ??」
「…………」
「だったら関係ねぇだろ?俺様が王国の連中を何人殺そうが、てめぇには――」
「私は」
ディアナは胸を張った。
「元王国座位騎士四位――ディアナ・フォルセティアです」
「…………」
ガイルの動きが止まった。
そして。
ゆっくり。
ゆっくりと。
口角が上がっていく。
「なるほどなぁ……そうかよ」
ディアナの背筋を、冷たいものが走った。
「じゃぁ……とりあえず、てめぇ……」
ガイルが笑った。
「ここで……死んどくか?」
次の瞬間。
ガイルの姿が消えた。
「――っ!!」
ディアナは反射的にアンクレックを握り込む。
「封じます!!」
瞬間、石から見えない力が広がり、ガイルの身体を覆っていた膨大な魔力が掻き消された。
「…………ぁ?ぁあ。そうかてめぇもかよ」
ガイルの動きが僅かに鈍る。
その一瞬をディアナは逃さない。
剣を抜き、そのまま身体を沈めてガイルの懐へ飛び込む。
「はぁぁぁっ!!」
鋭い斬撃。
ガイルが身体を捻る。
さらに二撃、三撃。
剣閃が連続して走り、ディアナはガイルへ反撃する暇を与えない。かつて王国で座位四位にまで上り詰めた技量は伊達ではなく、魔力を封じられた相手ならば、その剣は一瞬で致命傷へ届くだけの鋭さを持っていた。
「へぇ……戦うつもりか」
ガイルが笑う。
「すこしだけど……やるじゃねぇかよ?」
「……っ!」
笑っている。
魔力を消されているのに。
ディアナは剣を振るいながら、その異常さを理解していた。
アンクレックは効いている。
間違いなくガイルの魔力を封じている。
身体強化もない。
魔法も使えない。
それなのに。
――速い。
「くっ!」
ディアナの剣を、ガイルが僅かに首を傾けるだけで避ける。
次の斬撃も。
その次も。
ガイルは笑いながら避け続ける。
「悪くねぇよ?てめぇ」
「っ!!」
「でもよ」
ガイルの足が動いた。
「遅ぇよ。それに力もねぇ!」
ドンッ!!
「――がっ!?」
何をされたのか。
一瞬、ディアナには分からなかった。
気付いた時には身体が宙を舞っていた。
ガイルが蹴った。
ただ、それだけ。
魔法ではない。
魔力による身体強化ですらない。
純粋な肉体だけで放たれた蹴りがディアナの身体を吹き飛ばし、そのまま建物の壁へ激突させた。
「か……はっ……!」
肺から空気が抜ける。
激痛。
肋骨が折れている。
内臓にも損傷がある。
それでもディアナは意識を失わなかった。
「光よ……!」
自らの身体へ光を流す。
折れた骨を繋ぎ、傷ついた身体を治療しながら、震える足で立ち上がる。
「……まだ……です……」
「…………」
ガイルが少しだけ目を丸くした。
「へぇ……」
ディアナは剣を構え直す。
「ここから……出ていってください」
「クハッ」
ガイルが笑った。
「てめぇ、面白ぇな」
そして次の瞬間には、目の前にいた。
「――っ!?」
剣を振るうより早く。
ガイルの手が。
ディアナの首を掴んだ。
「ぁ……!」
身体が持ち上がる。
両足が地面から離れた。
「てめぇ……」
ガイルは笑っていた。
その顔には先ほどまでの楽しげな色とは違う、底知れない怒りが混じっている。
「アルバードにいれば死なねぇとでも思ってんのかよ?」
「ぐ……ぁ……!」
指に力が入る。
首が締まる。
息ができない。
ディアナは両手でガイルの腕を掴むが、びくともしない。
魔力は封じている。
今もアンクレックは作用している。
それなのに。
動かない。
まるで巨大な岩へしがみついているようだった。
「てめぇら王国がしたことをよぉ……」
ガイルの目が細くなる。
「許されると本気で思ってんなら――」
さらに力が強くなる。
「勘違いってやつだろ?」
「…………っ……!」
「クハハハハハッ!!」
視界が暗くなっていく。
音が遠ざかる。
苦しい。
身体へ力が入らない。
ディアナの指から、剣が落ちた。
カラン――。
乾いた音が、やけに遠く聞こえた。
――ああ。
ここで。
終わるんですね。
不思議と、以前にも同じことを考えた気がした。
王国の騎士達に囲まれた、あの日。
あの時も、自分は死ぬのだと思った。
そして。
あの時。
自分の前へ立ってくれた人がいた。
クリス。
いつも真剣な顔をしている。
何をしていても隙がなく、誰よりも強く、誰よりも冷静で。
なのに。
レイズのことになると。
『本来なら私が……私がやりたいことなのです!!』
どうしようもないくらい馬鹿になる。
『ディアナ。あの時は大変にお見事でした』
あんなことを言って。
何も分かっていない。
私が、どんな気持ちだったのか。
私が、どれだけ嬉しかったのか。
「…………」
ディアナの目から、一筋の涙が零れた。
最後に思い浮かぶのが。
やっぱり。
貴方なんですね。
クリスさん。
「……お……ねがい……」
「ぁあ?」
ガイルの手が僅かに止まる。
ディアナは掠れた声を絞り出した。
「王国を……恨ま……ないで……」
「…………」
「わ……わたしで……」
涙が頬を伝う。
「おわら……せて……?」
「…………」
ガイルの手から。
ほんの僅かに力が抜けた。
「…………ぁぁ?」
ガイルが眉を寄せる。
「てめぇ……」
理解できないものを見るように、ディアナの顔を覗き込む。
「てめぇ、まずは自分の命のことだろうがよ!?」
ディアナは答えない。
もう声を出す力すら、ほとんど残っていなかった。
「…………ちっ」
ガイルは舌打ちする。
そして。
「そうかよ」
ディアナの身体を乱暴に放り捨てた。
「きゃっ……!」
地面へ倒れたディアナが咳き込む。
「じゃあ、望み通り――」
ガイルの手が剣へ伸びる。
ゆっくりと抜き放つ。
「てめぇで今日は終わらせてやるぜ?」
「…………」
ディアナは地面へ倒れたまま、ガイルを見上げる。
もう身体が動かない。
治癒を使おうとしても、集中できない。
ガイルが剣を振り上げた。
「ハハ……」
笑う。
「じゃぁな?」
剣が振り下ろされる。
ディアナは目を閉じた。
その瞬間。
――何かが。
凄まじい速度で空を切り裂いた。
「…………ぁ?」
ガイルが僅かに横を向く。
遅れて。
ギィィィィィィン――!!
耳をつんざくような金属音が、アルバードの町へ響き渡った。
「――っ!?」
ガイルの腕が弾かれる。
振り下ろされていた剣が大きく軌道を逸らし、そのままガイルの手を離れて宙を回転しながら吹き飛んだ。
ガァンッ!!
剣が遠くの地面へ突き刺さる。
「…………」
ガイルの笑みが止まった。
何が起きた。
ゆっくりと視線を落とす。
自分の剣を弾き飛ばしたものが、ディアナのすぐ側の地面へ深々と突き刺さっていた。
一本の剣。
ディアナの瞳が、大きく見開かれる。
その剣を。
彼女は知っていた。
「…………また……」
掠れた声が漏れる。
死を覚悟したばかりの瞳から、もう一度涙が溢れた。
「助けてくれた……」
ガイルがゆっくりと顔を上げる。
そして。
剣が飛んできた方向へ視線を向けた。




