ジュラの攻略②
グレサスとデュランは、ジュラの奥に存在する迷宮へと足を踏み入れていた。
相変わらず周囲に広がっているのは、どこまでも同じような景色だった。巨大な木々が立ち並び、複雑に絡み合った枝葉が頭上を覆い尽くしている。道らしい道も存在しているようで曖昧であり、少し進んで振り返れば、自分たちがどこから歩いてきたのかすら分からなくなりそうなほどだった。
そんな中、デュランは歩きながら、一定の間隔を空けて小さな光の魔法を仕掛けていた。木の根元や岩の陰、時には地面へ。淡い光を放つそれらは、罠というよりも目印に近い。
その様子をしばらく眺めていたグレサスが、不思議そうに尋ねた。
「なぜそれを仕掛ける必要がある?」
「無駄かもしれませんが……マーキング代わりですよ。同じ場所へ戻ってきた場合、これが残っていれば判断できますから」
「ほう。つまり同じ道を辿っていれば、それが目印になると?」
「ええ。ただ……」
デュランは少し前に設置したライトトラップへ振り返る。先ほどまで確かに光っていたはずのそれは、すでに弱々しく明滅し始めていた。
「不思議なことに、先に仕掛けたものからどんどん効力が薄くなっているんですよね。通常ならこんな短時間で消えるものではありません。ここでは……持って数十分、といったところでしょうか」
グレサスは呆れたように鼻を鳴らした。
「なら、それこそ魔力の無駄というやつだ」
「そうですね。ですが、収穫はあります」
その言葉に、グレサスの口元へ僅かな笑みが浮かぶ。
「確かにな。この場所そのものが、外から持ち込まれた魔力を消費している……あるいは削り取っていると考えるべきか。その情報だけでも、先ほどよりは進展したと言える」
「…………」
デュランは内心、少しだけ安堵していた。
よかった。
さすがのグレサスも、この迷宮をただ正面から突き進めばいい場所ではないと理解してくれたらしい。まずは仕組みを把握し、それから――
「ならば、こうすればよい」
「……はい?」
グレサスが剣を抜いた。
嫌な予感がした。
「少し伏せていろ」
「ちょっ――」
言い終わるよりも早く、グレサスは腰を落とし、その場で身体を一回転させた。
剣閃が走る。
次の瞬間、凄まじい斬撃が円を描くように三百六十度へ飛翔した。
空気そのものを切り裂くような轟音とともに斬撃が森を駆け抜け、周囲に立ち並んでいた巨大な木々へ次々と直撃する。何本もの巨木が一瞬にして断ち切られ、遅れて轟音を響かせながら傾き始めた。
だが――。
「…………」
デュランの表情が変わった。
すべてではない。
確かに切断された木がある一方で、斬撃が何の抵抗もなくすり抜けた木も存在していた。
それらは傷一つ付いていない。
「……本当に、でたらめなことをしますね、あなたは」
呆れながらも、デュランはすぐさま切断されなかった一本へ近づいた。
手を伸ばして幹へ触れる。
硬い樹皮。ざらついた感触。指先へ伝わってくる冷たさ。
どう触っても木だった。
試しに軽く叩いてみても、返ってくる感触に違和感はない。だが、グレサスの斬撃を受けても傷一つ付かなかった。
デュランは目を細め、今度は掌からゆっくりと魔力を流し込んでいく。
そして、気付いた。
「……なるほど。実に精巧に作られていますね、これは」
「作られている……か」
グレサスはそう呟きながら、こちらへ倒れてきた巨木を剣の腹で何気なく薙ぎ払った。
「つまり、それは偽物ということか?」
「ええ。おそらくは魔力によって作り出された木です。ただ、外見だけではありません。触覚まで再現されている。視覚と感触だけでは、本物との判別はほぼ不可能でしょう」
「ハハハ。つまり幻覚のようなものか?」
「幻覚……という表現が近いとは思います。ただ、単純に存在しないものを見せられているだけではない。触れることまでできる以上、かなり高度な魔力干渉です」
デュランは周囲を見渡した。
先ほどまで何の疑問も抱かなかった森。
だが、一度その事実を知ってしまえば、目の前に広がる景色のすべてが疑わしく見えてくる。
「恐らくですが……今、私たちが視覚として捉えているこの光景。その大半が作り物である可能性すらあります」
「ほう」
グレサスは面白そうに周囲を眺める。
二人は再び歩き始めた。
すると、ほどなくしてデュランの足が止まる。
「…………?」
変わらぬ木々が延々と続く景色の中に、一つだけ明らかに異質なものがあった。
花だ。
小さな黄色い花が、木々の隙間にいくつも咲いている。
デュランはしゃがみ込み、その一輪へ慎重に触れた。先ほどと同じように僅かな魔力を流し、その構造を確かめる。
「……これは本物ですね」
「デュラン」
「はい?」
「お前は花が好きなのか。ずいぶんと洒落た趣味を持つものだな」
「違います……」
デュランは心底疲れたように返した。
「この花を、グレサスは見たことがないんですか?」
「…………見たこと……ない。いや、あるか?」
グレサスはしばらく花を眺め、やがて興味を失ったように鼻を鳴らす。
「ふん。知らんな。花など気にしたこともない」
「でしょうね……。いいですか。この花はサンフェアリルと呼ばれるものです。その名の由来は『太陽の妖精』。陽光を好む花として知られています」
「太陽の……妖精?」
「ええ。十分な陽光が長時間当たる場所に群生します。特に日当たりの良い草原などではよく見られますね」
「大概の花はそういうものだろう?」
「その通りです」
デュランは即答した。
そして、ゆっくりと周囲を見渡す。
「ですが、グレサス。ここは常に薄暗いんです」
グレサスも周囲を見た。
「……明るいと思うが?」
「それは貴方が光っているからです」
「…………」
「魔力を抑えてください」
グレサスは露骨に面倒そうな顔をする。
「光を出せと言ったり消せと言ったり、面倒なことだ」
「私は一度も光を出せとは言っていません」
「細かい男だ」
そう言いながら、グレサスが身体から溢れ続けていた黄金色の魔力を抑える。
瞬間――周囲が暗くなった。
先ほどまで黄金色に照らされていた森が、本来の姿を取り戻す。頭上を覆う無数の枝葉によって光は遮られ、昼間であるはずなのに、森の中は夕暮れをさらに暗くしたような薄闇に包まれていた。
「それで……何が分かる?」
デュランはサンフェアリルを指差した。
「いいですか。ここは薄暗い。そして頭上を見れば分かる通り、陽光が十分に届くような環境ではありません。それなのに、サンフェアリルがこれだけ自然に群生している」
グレサスは足元の花を見る。
「……随分たくましい花ではないか」
「そういうことではありません」
なぜかグレサスはサンフェアリルを少し気に入ったらしい。
デュランは額を押さえながら続けた。
「つまり、私たちが見ている景色そのものがおかしいんです。サンフェアリルが本物ならば、この花が育つための陽光も本来は存在しているはずです。にもかかわらず、私たちの目にはそれを遮るほどの木々が見えている」
そこでようやく、グレサスの表情が変わった。
「ほう……?」
頭上を見る。
あまりにも多くの枝が複雑に重なり合い、空を完全に覆い隠している。
「つまり、本来ここは陽光がしっかり届く場所だと?」
「恐らくですが――」
グレサスが剣を構えた。
「…………」
デュランは黙った。
もう止めても無駄だと分かっていた。
剣へ膨大な魔力が集まり始める。
「ふむ……風でいいか」
まるで料理に使う調味料でも選ぶような軽さで属性を決める。
そして剣を頭上へ向けた。
「風よ――天を開け」
振り抜く。
轟ッ――!!
凄まじい風の刃が一直線に天へ駆け上がった。
ザザザザザザザザッ――!!
無数の枝葉が切り裂かれる音が頭上から響き渡る。
だが――。
落ちてこない。
これほどの数の枝を切断したのであれば、周囲へ大量の枝葉が降り注ぐはずだった。
それなのに、一向に何も落ちてこない。
そして当然、開けたはずの空も見えなかった。
「…………なるほど」
デュランは念のため自身へシェルを唱え、身体の周囲へ風の防壁を巡らせていた。
もし本当に大量の枝が落ちてきても問題がないように。
「グレサス……いきなりやるのはやめてください」
「分かっていたのだろう? なら問題などない」
「そういう問題では……」
しかし、グレサスのおかげで一つの推測は確信へ変わった。
頭上に見えている枝。
空を覆っているように見える木々。
そして――この薄暗さすら。
本物ではない。
デュランは周囲へ漂う魔力を慎重に探り、その性質を読み取っていく。
「……闇、ですか」
「ん?」
「この暗さそのものにも、魔力が使われています。恐らく闇属性。光を物理的に遮っているだけではない。闇の魔力そのものによって、ここが暗いと私たちに認識させている」
デュランも剣を抜いた。
刃へ風の魔力を纏わせる。
姿勢を低くし、地面すれすれへ剣を構えた。
「風よ走れ――光よ、風に乗れ」
風と光。
二つの属性が重なり合う。
「エアルドオーブ」
剣を振るう。
だが、先ほどのグレサスのような破壊的な風ではない。
ふわりとした優しい風が地面を撫でるように走り、その風に乗って無数の光の粒子が舞い上がった。
キラキラと輝く粒子が森の中へ広がっていく。
そして――。
本物の木へ触れれば、光が付着する。
本物の岩にも。
本物の地面にも。
だが、偽物には何も残らない。
風はそのまま奥へ進み、一定の距離へ到達すると霧散した。
光も徐々に消えていく。
しかしその僅かな時間だけ、目の前には今までとはまったく異なる景色が現れていた。
本物だけが光っている。
つまり――。
道だ。
偽物と本物を見分けるための道筋が、光によって浮かび上がっている。
「……もはや視覚は意味をなさないということか」
グレサスが呟く。
「そういうことです。だから視覚ではなく、魔力に反応する――」
「ならば、見やすくすればいいだけだ」
「え?」
グレサスが片手を上げる。
その掌に、黒い魔力が生まれた。
デュランの顔が引きつる。
「グレサス……?」
「すべてを支配せよ」
闇が爆発的に広がった。
一瞬だった。
デュランが苦労して作り出した光景も、木々も、花も、地面も、何もかもが黒一色に塗り潰される。
完全な暗闇。
デュランが散布した光の粒子すら見えなくなった。
「グレサス!?」
怒声が響く。
「せっかく道ができたのに、何をしているんですか!?」
「騒ぐな。俺にも考えがある」
「考え!?」
そこでグレサスが取り出したのは――網だった。
神獣捕獲用。
本人だけがそう信じている、例の網である。
「…………まさか」
グレサスは網へ魔力を流し込んだ。
光。
それも先ほどデュランが使ったものとは比較にならないほどの、膨大な量だった。
網目の一本一本へ凄まじい光が収束していく。
「グレサス、それ……」
「こうだったな」
網を振るった。
ブォンッ――!!
暴風が走った。
「なっ――!?」
先ほどデュランが放ったエアルドオーブ。
その原理を、グレサスは一度見ただけで再現していた。
ただし――規模がおかしい。
網目を通して放たれた光と風は、格子状となって森全体へ一気に広がっていく。
縦。
横。
無数の光の線が暗闇の中を駆け抜けた。
闇によって余計な景色はすべて消えている。
そこへ光の粒子だけが本物へ付着していく。
木。
岩。
地面。
植物。
そして道。
本当に存在するものだけが、完全な暗闇の中へ鮮明な輪郭となって浮かび上がった。
まるで世界そのものを黒い紙へ置き換え、その上から本物だけを光の線で描き直したかのようだった。
「…………」
デュランは言葉を失う。
自分が考案したエアルドオーブは、本来、探索時に周囲の構造を把握するための補助魔法だった。
それを。
たった一度見ただけで。
この男は――迷宮そのものを可視化する魔法へ変えてしまった。
しかも。
「…………」
デュランは自分の身体を見る。
全身へびっしりと光の粒子が付着していた。
人の形そのままに、頭から足先まで光っている。
もはや暗闇の中に立つ、光る人形だった。
グレサスが満足そうに周囲を見る。
「便利なものだな」
「…………一応」
デュランの声が震える。
「これは私が学院時代に編み出した技なんですが……」
「ほう。これを生み出すとは、さすがだな」
「それを即座に応用する貴方のほうがおかしいんですよ!!」
デュランの怒声が迷宮へ響いた。
「なんですか、その網は!? 杖ですか!?」
グレサスは手元を見る。
「網だ」
「もう網なんかじゃないでしょう!!」
だが、結果だけを見れば完璧だった。
今まで二人を惑わせ続けていた偽りの木々も、存在しない道も、魔力によって作られた影も――すべてが闇へ沈んでいる。
そして、本当に存在しているものだけが光っている。
その先には。
今まで見つけることのできなかった、一本の道がくっきりと浮かび上がっていた。
グレサスはその道を眺め、満足そうに笑う。
そして、ふとデュランを見る。
「デュラン」
「……なんですか」
「お前も光っているな」
「私のは貴方のとは違うでしょう!!」
再び怒声が響いた。
だが、その声とは裏腹に――デュラン自身も理解していた。
攻略法としては、理にかなっている。
余計なものが見えるから惑わされる。
ならば。
余計なものなど、最初から見えなくしてしまえばいい。
すべてを闇へ沈め、本当に存在するものだけを光で浮かび上がらせる。
デュランの知識と技術。
グレサスの規格外の魔力量。
そして、力任せに見えて妙なところで合理的な発想。
本来であれば侵入者の視覚を欺き、同じ場所を延々と彷徨わせるはずだった迷宮に――。
一本の、明確な道が生まれてしまった。
迷宮の攻略は、二人が想定していた以上の速度で進み始めていた。




